忍者ブログ

父親という「家の中の他人」

見たいアニメがあまり無いので、食事のお供に昔の「美味しんぼ」を見たりしているが、見ていて疑問に思ったのが主人公山岡士郎のマザコンぶりである。父親の海原雄山が母親の料理が不味いと怒鳴りつけてばかりいるので、母親が泣いたりする、それが許せないと、母親が死んで何年も経っているのに父親を恨むわけだ。まあ、いくら怒鳴っても一向に料理が上手くならない母親にも問題があると思うし、母親自身が士郎に、父親を悪く思うな、と言うエピソードもあったと思うのだが、士郎は父親を蛇蝎のごとく嫌い憎むのである。「お前の半分は、その父親からできているのではないか」と私などは思うのだが、士郎には母親は絶対善で父親は絶対悪らしい。
こうした、マザコン主人公は世界の小説や児童文学にも多いようで、ケストナーなど、作家本人がかなりのマザコンである。なぜそれほどマザコン人間が多いかと言うと、これは子供と接する時間が長く接する機会が多いのは圧倒的に母親で、父親はいわば「家の中の他人」であり、子供から見れば「なぜか知らないが家の中にいて、威張っている嫌な奴(あるいは滅多に物も言わない不気味な奴)(あるいは面白くも無く、時々意味不明の説教をする嫌な奴)」だからだろう。父親が働いて家族を養っている、などというのは成長してから理解することで、幼児期の「刷り込み」は圧倒的に母親有利なのである。
その証拠に、子供同士の喧嘩で、子供が言う悪口は「お前の母さん出べそ」であって、「お前の父さん出べそ」というセリフは無いwww 相手の母親への侮辱がそのまま相手への侮辱になるほど、母親との一体化が当然視されているわけだ。

拍手

PR

「自殺」のかなりな割合が他殺

まあ、ジャニーズ騒動自体が何かの重要問題の矛先逸らしの可能性もあるが、ジャニーズや吉本によるテレビ支配が日本を汚染しきったのは間違いないだろう。で、下記事件は本当に自殺ならば、SNS規制への政府方針強化の有力な材料になるし、他殺なら、誰が殺したのか、それで利益を得るのは誰かが問題だ。ここでもSNS規制を狙う層が怪しいのではないか。

(以下引用)

旧ジャニーズ被害者の会の男性死亡自殺と見られる

 
bandicam 2023-11-14 11-08-20-836

引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1699907682/

1: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:34:42.47 ID:BmsvOF7H0
誹謗中傷を受けていた模様
2: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:35:04.67 ID:BmsvOF7H0
3: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:36:48.07 ID:uaVBkn7jd
あーあ
6: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:39:52.82 ID:2gJyGuRF0
もうジャニーズが許される段階じゃねえなこれ
7: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:40:27.81 ID:YSzK4M1C0
ミヤネ屋とかもう生ぬるいもんな
10: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:42:59.59 ID:EpTsmDBB0
これもう2度とテレビでジャニーズ使えないね
11: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:43:39.45 ID:CY/Wy1Yr0
ジャニオタ…
12: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:44:29.21 ID:xPUrmwC40
ジャニオタほんとに頭おかしくなっとるよな
いまはジャニーズ側がオファーしたのにオファーされた側誹謗中傷しとるし
303: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 08:19:56.33 ID:u6iNffKC0
>>12
統一教会信者みたいなもんだからな
まともなわけないわ
14: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:45:13.13 ID:BXNm2+NgM
ジャニオタ大量逮捕くる?
16: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 05:46:46.96 ID:L2djMvaZ0
どの人や 痛ましいとしかいいようがない
25: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:01:18.63 ID:ieQGKxdg0
ジャニヲタ怖すぎやん
39: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:15:22.38 ID:stCAq7T+0
ひどすぎる
45: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:20:37.92 ID:kJJKSx8Q0
とりあえず逮捕しろよ
どんなBBAが出てくるか
48: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:24:20.61 ID:E/bGhiQp0
警察は何も動かないんか?
50: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:25:01.94 ID:W3F0H1zi0
これはもう紅白永久出禁かな
51: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:25:23.82 ID:NUoFpw9w0
SNSは日本人にはまだ早いな
66: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:31:46.26 ID:OZqj2uHS0
可哀想
68: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:34:09.91 ID:O/Y/L+M10
ジャニタレはジャニオタによって息の根止められるわけか
80: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:41:04.95 ID:0qjgaxoEa
はたして誹謗中傷してたのはジャニオタなんですかね…
もしかしてジャニオタではなく事務所の人間…おや誰か来たみたいだ
86: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:45:16.82 ID:+6+8eL1v0
>>80
ジジイか?
84: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:44:59.61 ID:VdFu0SCl0
被害者が叩かれる頭おかしな国
89: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:46:35.68 ID:hKBG0K4V0
今頃必死にツイート消してそう
97: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:51:09.78 ID:CkaYr4Fdd
名前変えたのに旧ジャニーズ事務所ガーって報道してんの変えた意味なくて草
124: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 07:05:59.57 ID:PNTlGEEO0
自殺したのは1ヶ月前も前の話なんやな
135: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 07:09:25.02 ID:xPUrmwC40
>>124
ツイ消しさせないために情報出さないで集めてたんじゃない?警察も捜査あるだろうし
125: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 07:06:00.66 ID:zzfDtfC/0
今回、叩いてる側も提示された情報は嘘だみたいなノリやからな
31: それでも動く名無し 2023/11/14(火) 06:07:16.73 ID:34XW30vN0
誹謗中傷ヤバすぎだったからな

拍手

ワニが輪になる世界

「混沌堂主人雑記(旧題)」の今日の記事は長い記事が三つくらいあるが、そのどれも秀逸な内容で、よく探して見つけたものだと感心する。そのうちのひとつだけ転載する。記事筆者の短い感想もそのまま載せる。冒頭の、内田樹の記事も、なかなかいい。ユダヤ・キリスト教シンパの内田樹など、ガザ虐殺問題については沈黙し続けるという卑劣な人間だが、長い記事の要約・解説能力の高さには感心する。能力と品性は別のようだ。
赤字にした部分を読んで、私は「アリス」の中の、「セイウチと大工の話」を思い出した。このふたりはカキ(幼い子供として描かれる)を食べながら、「(カキが)可哀そうだねえ」と涙を流すのである。「ワニの(嘘)涙」という有名な言葉も私は「アリス」で知った。つまり、偽善という奴だ。これはユダヤの得意技である。言葉と行動が完全に乖離しているわけだ。驚くことに、世間はそれを咎めないのである。

(以下引用)
locom2 diary  より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・
ウクライナ代理戦争とガザ虐殺は、西側の偽善と道徳的破産を致命的に露呈している⚡️SCF
Ukraine Proxy War & Gaza Genocide Fatally Expose Western Hypocrisy and Moral Bankruptcy — Strategic Culture
Strategic Culture:10/11/2023
西洋が支配する古い秩序は、莫大な痛みや苦しみが伴うにもかかわらず、終わらせなければならない。
欧米の指導者や機関は、パレスチナ人に対する大量虐殺に加担したことで、前例のない不評を買っている。これは、ウクライナにおけるNATOの代理戦争によって、さらに増幅されている。
西側の戦争犯罪への加担が暴露されただけでなく、西側の指導者たちの衝撃的な二重基準と偽善が全世界に公開されている。彼らは嘘つきで、精神病質者で、犯罪者なのだ。
私たちが目撃しているのは、深く歴史的なことである。民主的で道徳的な権威があると思われていた西側のイメージが、大きく崩れ去ったのだ。
世界中で、イスラエル国軍によるガザやヨルダン川西岸でのひどい民間人虐殺に反対する大規模な抗議行動が起きている。ワシントンDC、ロンドン、ベルリン、パリを含むヨーロッパと北米の都市では、何百万人もの市民が抗議のデモ行進を行っている。イスラエルによる国家犯罪だけでなく、同様に重要なことだが、パレスチナ人の大量殺戮を助長している自国政府の堕落した罪の意識にも抗議している。
民衆の怒りは、政府や議会内の一般職員や外交官、その他の労働者たちによってさえも表明されている。労働者たちによる抗議は、イスラエルに西側の武器を輸送する港を封鎖した。欧米のメディア企業内のジャーナリストたちも、組織の偏向報道を糾弾し、妥協に満ちた報道が大量虐殺を幇助していると訴えている。
ジョー・バイデン米大統領をはじめとする欧米の指導者たちは、大量虐殺に加担しているとして、公衆の面前で罵声を浴びせられている。抗議者の中には、ユダヤ人団体やナチスのホロコーストを生き延びた個人もいる。
国民の怒りに拍車をかけているのは、抗議行動は違法だと主張する西側機関の反動的な反応である。当局は、デモ参加者がテロリストのシンパであり反ユダヤ主義者であるという非難されるべき主張に基づいて、デモ行進を禁止しようとしているが、失敗している。大量虐殺を非難するために動員された何百万人もの一般市民に対するこのような中傷は、欧米の政府やメディアに対する軽蔑をさらに募らせるだけだ。
ガザでは、野蛮で凶悪な市民(主に女性と子ども)の大量殺戮が、4週間以上にわたってノンストップで続いている。10月7日、パレスチナの過激派組織ハマスがイスラエル人を数百人殺害したことが引き金となったが、その後の大量虐殺にはまったく不釣り合いだ。40,000人以上のパレスチナ市民が殺害され、負傷したと報告されている。封鎖された領域では、230万人の全人口が非道的な集団的懲罰を受けている。米国とNATOの兵器を使ったイスラエルの砲撃による子供の殺害は、特に恐ろしい。
米国、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、主要7カ国(G7)はいずれも、この虐殺に対する停戦を求めることを拒否している。その代わりに「人道的な一時停止」を要求しており、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権は最近、自国民の反乱を恐れる欧米の指導者たちからの圧力で、間違いなくこれを受け入れている。しかし、このような哀れな「一時停止」は、侮辱に侮辱を重ねるだけだ。
ロシアや中国、国連の大多数を含む全世界が、罪のない人々の大量殺戮を即刻やめるよう求めているのだ。再軍備やさらなる殺戮の連鎖のための無意味な「一時停止」ではない。西側諸国政府によって実現されたシオニスト政権による数十年にわたる卑劣な占領と侵略に耐えてきたパレスチナの人々のために、歴史的な正義を求める新たな激しい呼びかけが世界中で行われている。
アメリカの武器は、アメリカの納税者が負担し、特権的なドル騒動によって間接的に世界の他の国々も負担している。そしてアメリカ政府は、140億ドルの追加援助によって殺戮マシンの供給を増やすつもりだ。バイデンのホワイトハウスと国防総省は、イスラエルがアメリカの火力をどのように使うかを抑制するためのレッドラインはないと堂々と言っている。すでに25,000トンの爆薬がガザに投下されているが、これは1945年8月にアメリカが広島に投下した原爆2発分の威力に相当する。
この地域に集結しているのは、原子力空母を含む米国とNATOの軍艦による強大な艦隊である。自衛権」というインチキな主張のもとで、イスラエルを支援するという米国とNATO政府の公式立場を考えれば、西側諸国が大量虐殺を全面的に支援していることは避けようがない。この忌まわしい政策は、西側諸国民と全世界にとって明白である。
西側諸国の指導者、政府、メディアの偽善と二枚舌は、彼らが戦争犯罪人であるとして非難されている。ほんの数カ月前まで、同じ西側の大物たちは、ウクライナでの戦争犯罪の疑いでロシアを非難していた。バイデン、フォン・デル・ライエン、ショルツ、マクロン、スナク、そしてその他の西側諸国の指導者たちは、ウクライナに対するロシアの犯罪の疑いについて敬虔な説教をしていた。
ロシアがNATOに支援されたキエフ政権をほぼ打ち破った今、西側メディアや西側政府による戦争についての言及はほとんどない。
それにもかかわらず、驚くべきことは、西側の指導者たちの間に、パレスチナにおける大規模な戦争犯罪に対する真の懸念がないことである。
バイデンと西側の共犯者たちは、イスラエルの国家テロを武器化し支援しながら、「罪のない死を悼む」ことについて話している。
ガザとヨルダン川西岸で起きている蛮行は衝撃的だ。さらに忌まわしいのは、大量虐殺を可能にした西側諸国の明確な罪である。
この犯罪が明らかにしているのは、西側国家権力の絶対的な凶悪性である。イスラエル政権の犯罪は、西側帝国主義の現れであり、西側権力の真のグロテスクで腐敗した本質である。何十年もの間、実に何世紀もの間、アメリカとヨーロッパのパートナーたちは、民主主義の模範であるかのように見せかけ、同時に地球上の他の国々を搾取し、堕落させてきた。
そして今、その欺瞞と腐敗が完全に露呈している。戦争に明け暮れた植民地主義と帝国主義の歴史は、メディアの支配と自称する魅力によって、あまりにもしばしば隠蔽されてきた。集団的西側」(世界的な少数派エリート)が本当は何を目指しているのか、それは死と破壊なのだ。
大きな問題は、巨大な国民の怒りと軽蔑が、どこまで、どこへ向かうのかということだ。歴史的な反乱が進行中だ。次に何が起こるのか?民主主義を装って西側諸国を支配してきた資本主義寡頭政治の退廃的独裁政権を打倒するために、建設的に動員することができるのだろうか?
ひとつ明らかなことがある。西側のエリートシステムは、修復や再生が不可能なほど損傷している。パレスチナ人民の十字架刑は、パンドラの箱を作り出した。西側の腐敗は、深く、組織的で、歴史的な腐敗である。
欧米列強の大量虐殺的犯罪は、今度ばかりは見過ごすことも説明することもできない。二枚舌と破綻は、根幹にダメージを与える。
しかし最終的には、より良く、より公平で公正な世界への希望が持てるかもしれない。しかし、まず第一に、西洋に支配された古い秩序は、莫大な苦痛と苦悩を伴うにもかかわらず、終わらせなければならない。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
今後「欧米人が、世界政治の指導的に立つ」こと自体が、忌避されるようになるだろう。
NWO・世界政府って構想すら、「白い悪魔の遺産」として、葬り去られるだろう。
WOKE・意識高い・という言葉を、もっと蔑称として使うべきなのである。

拍手

統制と孤立、どちらが良いか

「大摩邇」所載の生チョコぽん酢氏の記事で、面白い内容だが、結論(記事タイトル)には同感しない。テレビの場合とSNSの場合はかなり違うのではないか。
テレビは明らかにDSによる統制が厳重だが、SNSはそれが不完全であり、しかも、SNSをやる人間は既に「テレビ(や新聞)への不信感」があり、それはSNSへの不信感(と言うより「信頼感が限定的である」)をも最初から持っているわけだ。
と言うことは、ぽん酢氏の言うような、「すべてが分断化された社会になる」のではなく、誰もが健全な懐疑心や批判力を持った社会になる、というのが私の見方である。まあ、それを「分断だ」と言うこともできるだろうが、それこそ「当たり前」の「健全な」話である。
これまでテレビや新聞が「絆」だ何だと騒いでいたほうが異常だったのであり、多くの人が言うように「絆」とは動物や奴隷を拘束する手段だったのである。(拘束された集団のほうが強いのは、高校野球、いやスポーツ界、いや、軍隊や宗教組織などたいていの組織を見ても分かるのだが、それは個性や個人的思考・欲望、つまり健全な自我を犠牲にしての話だ。ただし、統制されているほうが幸福だ、というのは宗教組織などを見てもよくあることだし、統制の無い社会は存続不可能である。つまり、結局は個人の意識の問題だ。我々は常に自分の頭脳の中では何からも自由でありうる。)

(以下引用)

分断した社会ではいづれ全員孤独になりそう

 


こんにちは!生チョコぽん酢です。

朝晩はかなり冷えますね。


 


ストーブを出したり冬用の寝具に変えたりと大忙しです。



寒いと言えば、今年の夏ってかなり暑かったじゃないですか。

搬送中にご家族の方と世間話をしていた時のことなのですが、暑いですねぇなんて話していたら娘さんがこんなことを聞いてきました。

娘「ほんと暑いですねぇ。今年の冬はどうなんですかね?

私「何となくですけど、夏が暑い時って冬が寒くなるイメージがあるんですよね

私は特に深い意味もなく、自身の感覚の話をしたのですよ。

それで後日、再び通院でご利用頂いた時に娘さんはこう言うのです。

娘「テレビで言ってたのですが今年の冬は暖冬らしいですよ!

え?あ、そうなのですか。

これ文章だとトーンが伝わらないのですが、割と鼻につく言い方だったのですね。

別にどうでもいい話なのですが、どうでもよくないですか?(←意味不明)

私は何となく自分の感覚を言ったわけですが、それに対して娘さんはテレビで暖冬になると言っていたからあなたは間違っていますよと、あえて伝えてきたわけです。

本当に些細なことなのですが、これが日本人なのだなぁと思わされた一件でした。

テレビは常に正しい事を言っているから、テレビと違うことを言っている人には「テレビと違う事を言っているよ」と指摘してあげる、みたいな。

もちろん悪意が無い事は理解しているのですが、そんなことを基準に会話をされたら、会話が成立しないのですよ。



唯一会話が成立するとしたら、お互いにテレビが基準で生きていて、毎日テレビにかじりついている人同士です。

テレビでこう言ってたよ!

あ!それ観た観た!

みたいな。

テレビを観ていない私と会話なんて成り立つわけがない。

別にどちらが優れているとかそういう話ではないのですが、何か話すごとに「そういえばテレビではこう言ってましたけどね!」と言われたら、

当人にとってそれは疑いようのない正解なわけですから、私は常に「そうなのですか!教えてくれてありがとうございます!」以外言いようがないわけです。

わざわざ「テレビの話なんてせず、あなた自身の意見を聞かせてください」とか言ったらそれこそ面倒くさいヤツになりますし、私自身もそんな偉そうな事を言える立場でもないわけで。

テレビが言っている事柄に対して、私の中に確たる情報や考えを持っている場合にも「テレビではそう言っているかもしれませんが、私はこのように思います」と言ったら変わり者や陰謀論者に思われてしまうし、角が立ちますよね。

何よりそうした日常会話の中で毎回確たる情報や考えを持っているわけでもないので、いちいち主観で意見を述べたとしても、


 


そもそも相手だってテレビ以外の情報や考えを持っていないのだから「別に議論したくて話したわけではないのに・・・」と、頭が真っ白になってしまうだけです。


今回はどうでも良い会話ですが、ポンコツワクチンの時も、コロナの時も、同じでしたからね。

人生や生命に関わる重要な話ですらテレビが基準になるのだから、これらの人は何かについて真剣に意見を交わすことをしないのではなく、出来ないのだなと察しました。

ちなみにこれはテレビだけに限らず、SNSだけを信じ切っている人も同様です。

〇〇が言ってたから間違いない

というスタンスで言われたら、もう何も言いようがありません。

つまり、真実なんて誰にも分からないのに、相手の言葉が入る隙間が無くなった状態というのが危険なのだなと思います。

だからテレビ民はテレビに騙されるし、SNS民はSNS上のデマに騙される。

そしてどちら側にも偏った人は一定数いて、我こそは真実を知っている、と信じ切るわけで。

人間同士のコミュニケーションってこんなに難しい事だったのだなと、分断が進む世界になり改めて実感します。


 

こうして年月とともに皆が孤独化していく傾向にあるのは、疑いようのない事だと私は思いました。


 


拍手

「体(てい)」と実態

まあ、私自身、「嘘と演技」の重要性を「生活の技術」という記事の中で書いているので、この記事筆者のほぼ同類だが、読んでいると気持ち悪いwww 世間に受け入れられやすくなることと、それが自分の心術(心の在りよう)を爽やかにするか不快にするかは別物だ。私は嘘や演技が苦手で嫌いだからこそ、その重要性を誰よりも理解しているのだろう。
ちなみに、下に書かれていることの実践見本が「弱キャラ友崎くん」というライトノベル、およびその漫画化、アニメ化に見事に描かれている。
私は、他人に誤解されても動じることなく堂々と平然と生きる人間が大好きだ。言葉より行動で自分の実態を示せばいい。

(以下引用)長いので、あるいは途中省略するかもしれない。

いろいろ役に立つ「体」の運用について


 
saize-lw.hatenablog.com
 
つい先日、「体(てい)」というキーワードで実践的な内容を見事に言語化しているブログ記事を見かけた。昔は、こういう面白くてためになるブログ記事、有用だけど一部の人たちの嫌悪や反感を買いがちなブログ記事には大勢のブロガーが言及記事を次々にアップロードしたものだった。残念ながら2023年にはそんなブロガーはほとんど存在しない。はてなブックマークの100文字以内のコメント、それかツイッターの140字以内のコメントで言及欲や言語化欲を満足させてしまう。
 
 
私は、何かグシャグシャと書きたくなった。
いろいろ役に立つ「体」の運用について、私なりに言語化してみたい。
 
その前に、リンク先のブログ記事の優れっぷりについて少しまとめてみたい。
 
筆者は採用面接や職場における「体」の重要性を説明している。ここでいう「体」とは体裁の「体(てい)」のことだが、「他の人に向けた一貫性を保証すること」というなら「キャラ」という言葉も近い。このブログ記事の旨いところのひとつは、「キャラ」という似て非なる語彙によらず、わざわざ「体」という語彙を用いているところだと思う。フォーマルな場面を想定しやすくなるし、後半の「本心vs嘘というパラダイムを捨てる話」や「不問に付すという行為の正体の話」の筆致との統一感がすごくいい。この「体」を軸に据えた中心とした言葉運びのおかげで、内容が役立つ場面が想像しやすくなっている。
 
こんな素晴らしいブログ記事がいつでも書けたらいいんですけどねえ。もし、こういう記事を毎月書いていたらプロすぎでしょう。でも、ここまでの記事を量産できる人はそう多くないし、へたにこういう記事ばかり狙おうとすると転びやすくなってしまうからブログの道は難しいものですね。
 
それより本題に戻らないと。
 
続いて、「体」について私も書きたくなったので書いてみる。リンク先筆者のLWさんと言いたいことが重なっているかもしれないし、重なっていないかもしれない。とにかくこれも機縁と思い、前から思っていたことを言語化したくなったので言語化してみる。
 
 

「体」をマニフェストとして、シグナルとして表出・運用する

 
「体」は就職活動や職場だけでなく、あらゆる人間関係、あらゆる社会関係で求められるものだ。体裁としての「体」は、周囲の人に自分はこういう人間ですと伝える「マニフェスト」であり、自分という人間の「取扱説明書のようなアナウンス」であり、私はこういう人間なのでよろしくねーという「シグナル」でもある。
 
だから「体」をうまく表現できるかどうかとは、自分についての情報伝達やシグナリングがうまく実施できるかどうかとほぼイコールで、それは就職面接の帰趨を左右するだけでなく、職場や家庭の日常をも左右する。というより継続的な「体」の表出は日常においてこそモノを言うだろう。ディスコミュニケーションが発生してしまう確率を下げ、自分についての誤解を減らすためには「体」を常時・望ましいかたちでアナウンスしておく必要がある。その際、「体」として他人に差し出されるインフォメーションにはいろいろな内容が含まれてしかるべきだろう。
 
たとえば自分はこういう分野が得意で関心を持っているという情報。そういう情報を「体」として出せば、周囲の人は「おまえ、確かここの分野が得意で関心を持っていたよな?」と思うようになり、そういう分野の仕事を引き受ける確率に影響する。ただし、そのような「体」の表明はそういう分野の仕事ならある程度の骨折りを私は惜しまないですよ、というお引き受けのマニフェストを否が応でも含んでしまう。リンク先のブログ記事にもあるように、「体」のマニフェストは別に嘘でも構わないのだが、嘘でもそういう「体」を表明すれば、それに沿った行動を期待されるのは避けられない。そうしたことを踏まえたうえで、いかに自分にふさわしく可能でもある「体」を表明できるかが問われることになる。
 
で、そうした情報に加えて、たとえば人生観なども「体」の一環として表明しておくとディスコミュニケーションを減らせるかもしれない。人生観を表明する場面は、就職面接のなかにあるかもしれないし、ないかもしれない。しかし職場などの活動領域を共有していれば必ずそういう話をする場面が出てくるし、そうでなくても会話のなかにそれとなく混ぜ込んでおく機会は巡ってくる。たとえば結婚する前から「子どもが生まれたら子ども第一の働き方をしたい」と職場や活動領域のメンバーに表明しておくこともマニフェストの一部、ここでいう「体」の一部になる。それは子どもが生まれる前後においてどのようなワークスタイルが可能になるのか、どのようなワークスタイルが好ましいとみなされるのかを左右する因子になる。逆に、そうした「体」を一切表明しないまま、唐突に子どもをもうけて唐突にワークスタイルを豹変させると、ディスコミュニケーションや職場の混乱が起こりやすくなる。そのとき、混乱の戦犯とみなされやすいのは「体」をとおして前もってマニフェストしていなかった者だ。
 
もちろん、こうした「体」のアナウンスや表出を周囲がどう受け取るかはわからない。完全に拒絶する人や組織があるかもしれないし、逆にそういったものを早くから認識しあい、持ちつ持たれつの体制をとろうとする人や組織もあるかもしれない。周囲の反応を確認せずに「体」を繰り返しアナウンスしても有効性が乏しいことはままある。その場合、周囲の人々や組織をよく観察し、どのような「体」にモディファイすれば受け取ってもらいやすいのか、再検討しなければならない。というか世渡りがうまい人はたいてい、この再検討を無意識のうちにPDCAサイクルしてコミュニケーションの最適化をはかる。最適化をとおして自分がアナウンスする「体」が周囲にとってなんらか有意味な情報伝達となるように計らい、と同時に自分にもメリットのあるコミュニケーションになるよう計らう。もちろんそれは周囲の人それぞれの「体」を認識しあったうえでの舵取りになるだろう──「体」を示しているのは自分だけではないのだから。
 
でもって、今、受け取ってもらえるか否かのために「体」を変えていくだけでなく、将来の状況の変化や目指さなければならない目標の変化を踏まえて「体」を変えていくこともできる。もちろんこれには時間がかかる。なぜなら今まで自分がマニフェストしてきた「体」を周囲の人はもう記憶し、それをあてにしているからだ。たとえば就職直後の「体」のなかに「私は家庭にちっとも興味ありません」というマニフェストが含まれている人がいきなり結婚して家庭第一の生活になったら、周囲の人はびっくりするだろう。のみならず、冒頭リンク先で述べられている「他の人に向けた一貫性を保証すること」が果たされていないと思われてしまうリスクも高まる。そうすると心証が悪くなったり職場の仕事の割り振りを困難にしたりするかもしれない。仕事の割り振りがなんとかなったとしても、「あいつがそうするのは理解できることだ」と納得してもらえる確率が下がり、「あいつ、いきなり掌返しやがって」といった反感を買う確率が上がる。そういった予測不能性は、職場の運行に際して困るからだ。同僚の残業を30分増やす程度ならまだいいほうだ、後日ちょっとしたお返しをすればそれで済むから。それで済まない事態はできるだけ避けたい。
 
してみれば、「体」の表明が適切にできるかどうかを就職志望者に問うてみることは職場にとってかなり重要かもしれない。「体」を表明し慣れている人は、自身の行動を適切にシグナリングできるだけでなく、もし急に気が変わっても当面は「体」を尊重し行動してくれると(ある程度まで)期待できる。逆に「体」を表明し慣れていない人だとしたら、自身の行動をあまりシグナリングしてくれないために周囲の人との間にディスコミュニケーションが起こりやすいかもしれない。または、気が変わった時にマニフェストを急に撤回し、周囲を振り回すような事態を招くリスクが高いかもしれない。
 
「体」の内容には一貫性は必要とされる。けれども長い目で考えた場合、「体」にはしなやかさも必要になる。「体」は微調整が可能だし、しておいたほうが良い。それは自分自身のマニフェストとしての「体」を周囲の人により受け取ってもらいやすくするためだけでなく、将来の自分にとってより都合の良い内容の「体」に少しずつアップデートさせていくことをとおして、将来、自分の活動領域でどんな行動を許容してもらうのか・どんな行動を引き受けていくのか、その可能性を微調整していける。これは絶対に有効な技法ではないかもしれず、将来の状況を絶対に変えられると約束するほどではない。まして、自分にとって全面的に得な変更だけできるのでなく、自分が代償を支払うマニフェストを伴っていなければ筋が通らない。それでも将来の状況を変える変数のひとつたり得る、ぐらいは言ってもばちが当たらない。だからやっておく値打ちはある。
 
 


「体」は他人のため?自分のため? 不自由をもたらす?自由をもたらす?

 
冒頭リンク先のブログ記事では、「体」について本心か嘘かの二項対立的な捉え方は捨てましょう、といったことが書かれていた。私も賛成だ。でもって、ここまでお読みになればわかるように、「体」を他人のためか自分のためかで捉えるのもナンセンスだ。不自由をもたらすか自由をもたらすかで捉えるのも、たぶんナンセンスだと思う。
 
「体」は自分が社会適応しやすくするためのマニフェストという点では自分のためだが、自分に関する他人の理解をはかどらせる、意思疎通をしやすくし、自分の将来の行動を予測づけしやすくするよう情報提供しているという点では他人のためのものだ。
 
同じく、「体」はマニフェストとなって自分の行動を縛ったり、自分が果たすべきミッションを決めてしまう一面があるという点で不自由だが、「体」に沿ったかたちの行動を周囲に受け入れられやすくする・「体」の微調整をとおして将来の行動が受け入れられる可能性や確率に働きかけられる点では自由に貢献する。
 
こういう、二項対立の両面の性質を持つ考え方が苦手な人がいるのはわかる気がする。善か悪か、利他的か利己的か、肯定すべきか否定すべきか、嘘か本当か、そういった具合にどうしても二項対立的に物事を捉えてしまう人は後を絶たない。ここでいう「体」もその最たるもののひとつだろう。でも、社会の構成要素は往々にして二項対立的な捉え方を受け付けない要素から成っている。コミュニケーションの領域には特にそうした要素から成るものが多い。「体」の非-二項対立的な性質について理解を深めることは、コミュニケーションの領域のいろいろについて理解を深めることにも通じているので、そういう意味でも冒頭リンク先のブログ記事は啓発的な内容だと思う。
 
 



拍手

ステロイドのこと

西洋医学批判の多い私だが、唯一、その劇的な効果に驚いたのが、水虫治療薬としてのステロイド軟膏だ。ただし、内服薬としてのステロイドは、これまた強烈な副作用を伴う劇薬であるらしい。
しかし、「副腎エキス(副腎ホルモン)」って、動物の副腎から取るのか。それとも人間から? www

(以下引用)


体内でつくられているホルモンを薬として応用したものです。

ステロイドは、もともと体内の副腎(ふくじん)という臓器でつくられているホルモンで、このホルモンがもつ作用を薬として応用したものがステロイド薬(副腎皮質ステロイド薬)です。


外用薬(塗り薬)だけでなく内服薬や注射薬などもあり、さまざまな病気の治療に使われています。


ステロイド外用薬は、局所(塗った部分)の炎症を鎮める作用にすぐれており、湿疹・皮膚炎を中心に、皮膚疾患の治療に幅広く用いられているお薬です。


ステロイド外用薬の作用には、炎症を鎮める作用(抗炎症作用)のほか、次のようなさまざまな作用があります。


<ステロイド外用薬の主な作用>
抗炎症作用炎症を促す物質の産生を抑える。
細胞増殖抑制作用炎症反応を引き起こす細胞の増殖を抑える。
血管収縮作用炎症部の血管を収縮させることで、患部の赤みを鎮める。
免疫抑制作用抗体の産生を抑制して、免疫機能を低下させる。

また、ステロイド外用薬は塗った部位によって吸収率が違うため、患部の吸収率によって強さの異なるステロイドを使い分けます。

ヒトにおけるヒドロコルチゾンの部位別経皮吸収率ヒトにおけるヒドロコルチゾンの部位別経皮吸収率

なお、ステロイド外用薬の局所性副作用(塗った部分に現れる可能性のある副作用)としては、次のようなものがあります。

<ステロイド外用薬の主な局所性副作用>
・皮膚の萎縮
・毛細血管の拡張(特に顔面に起こりやすい)
・酒さ様皮膚炎、口囲皮膚炎、紅潮
・乾皮症(肌の乾燥)
・感染症の誘発、悪化

また、全身性副作用(皮膚を通して吸収されて、全身に現れる可能性のある副作用)としては、次のようなものがありますが、長期にわたって大量に、効果の強いステロイド外用薬を使用し続けないかぎり、このような全身性の副作用が起こることはまれです。

<ステロイド外用薬の主な全身性副作用>
・小児における成長障害
・成人におけるクッシング症候群(体内のホルモンバランスが崩れることで起こる、肥満や高血圧、うつ、骨粗鬆症などの症状)
・糖尿病の誘発、悪化


どんなお薬でも、副作用の心配がまったくないものはありませんので、用法・用量を守って正しく使用しましょう。




拍手

健康は自分で守るもの

かなりな独断や偏見、思い込みの激しい印象の記事だが、すべて「本人の実体験」である貴重な記事である。こういう記録こそが重要なのである。
法律を改正して、「無資格医者」を許容したら、案外社会の医療体制は充実するのではないか。つまり、江戸時代に戻るわけだ。そうしたら、無資格医者でも治療実績の高い医者が評価され、有資格医者でもヘボ医者は淘汰される可能性が高い。
医学というのは結局は治療事例の集積であって、西洋医学の「劇的な効果」は「危険な薬物」の使用と、その失敗事例の反面でもある。そして、常に新薬が使われ、失敗事例が秘匿される。どのような薬物でも必ずと言っていいほど副作用がある。(私がかつて経験し、今もその影響が残る横紋筋融解症は、私の調べと体の様子の勘案では、ほぼ確実に、当時医師から指示されていた降圧剤の副作用だった。)まあ、家庭常備薬の類は、その危険性が非常に少なく、穏やかでも効能はあることが長年の国民的治験で実証されているわけだ。

(以下引用)




 私は、16歳のころ、学校行事で北アルプス焼岳に集団登山したのを皮切りに、すっかり山歩きにはまってしまって、20~40代は、年間50回近くの山歩きを続けた。雨だろうが大雪だろうが、山を歩かなければ気分が悪いという中毒だ。

 おかげで1990年頃には、日本百名山を完登してしまった。
 だが、山歩きで健康になったかといえば、必ずしもそうでもない。第一に、異性との交際機会を失っていたので、もう墓場が近い今に至るまで一度も結婚したことがない。
 性欲はあるので、裏世界で金の力を借りて欲求を満たすことはした。
 自分ながら、人としての社会的使命を忘れた、ろくでもない人生だったと思う。

 私は、20代前半は東京近辺にいて、ベ平連シンパだったので反戦デモには積極的に参加していた。
 だが、健康など顧みたことはなく、自分の好きなものを食べて、酒を飲んで転がって布団もかけずに寝るという生活だった。
 立川にいたときは、北口に在日の大衆食堂があって、そこのねーちゃんから「モツライスのにーちゃん」と呼ばれていたくらい、もつ煮込みライスしか食べなかった。

 だから40代になると当然、高尿酸症から痛風発作を繰り返すようになった。
 普通は足の親指に発作が起きるのだが、私の場合は、長年の山歩きで膝に負荷がかかっていたので、突然、片方の膝が真っ赤に腫れ上がって激痛で歩けなくなるという症状が出た。
 近所の医者や病院を7軒も回ったが、どこでも原因不明の診断で、痛み止めと抗炎症湿布剤で終わり、なかにはステロイド注射をした医師までいたが、完全な逆効果だった。

 これが痛風発作であると分かったのは、山仲間の石川外科医師の指摘だった。長年、の外科医としての経験から、痛風が、体内のもっとも負荷が大きく、組織が壊れ始めている箇所に発症するもので、決して足の親指だけではないことを認識していたのは、石川医師ただ一人だった。
 これが、医学というものの本質的な欠陥を思い知らされる端緒となった。

 痛風も、サイトカインストーム(免疫暴走)の一種である。この特徴として、激しい炎症が暴走する箇所は、ただ一箇所だけで、同時に複数で起きることはない。
 人の炎症性疾患が命や生活に重大な影響を及ぼす正体は、このサイトカインストームであることを知っておいた方がいい。
 https://biken.yawaraka-science.com/qa/detail/111

 これにステロイドを注入したりすると、一時的に効果があっても、後に深刻なリバウンド現象が起きて、患者を殺してしまうことも珍しくない。
 だから、「炎症はなんでもステロイド」という先入観念の医師は信用すべきではない。

 それにしても、私が痛風で分かったことは、多くの医師が痛風という、非常にありふれた病気を正しく診断する能力がなかったということだ。
 私が凍結スリップ事故で入院した東濃厚生病院の整形外科、磯部医師(2011年当時)は、足の親指が真っ赤に腫れ上がって変形しているのを見ても、「痛風かどうかわからない」と言い放ち、アロプリノールの処方さえ拒否した。

 それだけでなく「態度が悪い」と決めつけて、鎖骨を四箇所複雑骨折して緊急手術が必要な私を病院から追い出した。おかげで、私の肩は、その後治癒することなく、大関雅山のようなひどい偽関節になってしまった。
 これが、私が医療全般に対して強い悪感情を抱く、最大の決め手になった。

 他にも、医療に対して強烈な不信を抱くことは複数回あった。
 私は、医療というものが、人を救うかのように装いながら、医師の名誉欲や金銭欲など、たくさんの不純な要素にねじ曲げられ、患者の苦しみに寄り添って問題を解決してくれる「赤髭医」は、たぶん数百名に一人もいないのではないかと確信するようになった。
 
医療は、患者を治すためにではなく、医師が自分の技量を患者に見せつけるためのもの、あるいは、最適医療を目指すよりも、金儲けを狙って、必要のない処方料、手術料を得るための手段に成り下がっているように思うしかなかった。
 もちろん、すべての医師がそういうわけではないが、「赤髭医哲学」を持っているような人物と出会ったことは非常に少なかった。

 以来、私は、「本当の医療とは何か?」という命題を、自分の健康に照合して考えるようになった。
 医師たちは医学教育カリキュラムのなかで、医療とは、「確定診断と投薬と手術」だけであるように洗脳されているとしか思えない。

 だが、私が自分の病気と健康を長年向き合って得た結論は、医療の本質は、ホメオステーシス=恒常性維持機能であり、自分の本来持っている力で自分を救援することが医療の本質であると確信するに至った。
 だから、私は中央アルプスの単独沢登りで事故を起こして骨折したときも、救援を求めず、岐路のバスで他の乗客が恐怖するような異様な姿で帰宅し、訪ねてきた母親を驚愕させたが、ホメオステーシスを信じて、医者には行かなかった。

 2012年に、未だに原因が分からないユスリカの大量発生があり、私は激しいアレルギー性呼吸障害を起こし、2014年には、肺線維症(IPF)の特徴を持った呼吸音になってしまった。
 ネットで調べてみれば、ベルクロラ呼吸音が出た間質性肺炎(IPF)患者の余命は、最大で発症から5年と書かれていた。普通は3年くらいで死んでしまう。
 当時、富士山を2時間で登れる心肺能力のあった私の呼吸機能は、半分以下に落ち込み、わずか数メートルの階段を上がるにも、激しい息切れを起こすようになっていた。

 だが、医療を信用していなかった私は、IPFの医療マニュアルを読んで、ますます、これで医療に頼ったなら殺されると確信した。
 その公式治療マニュアル=プロトコルには、X線CTスキャナーと、X線平板撮影、っそして肺穿刺細胞診がなければ確定診断として認めないと書かれていたし、治療手段としては、最初にステロイド、そしてピルフェニドン、ニンテダニブなどが挙げられていた。

 IPFを診断するのに、X線CTや肺穿刺が必要だとは思えなかった。ベルクロラ呼吸音だけで十分なのだ。
 なぜ患者に強烈な負荷を与える確定診断が必要かといえば、それは医師の理論的関心と名誉のためであって、患者の治療のためではないと考えられた。
 また、呼吸リハビリよりもステロイドを重用する医療にも大きな疑問があった。ニンテダニブのような医薬品を投与するよりも、呼吸トレーニングを重視した方が、間違いなく患者の延命を実現できるのだ。

 IPFの死亡症例を調べてみると、大半がサイトカインストームによるもので、そのきっかけの多くが肺穿刺細胞診だったし、おそらくステロイドリバウンドが多く含まれているように思えた、
 私は、放射線生物学を学んでいたし、30ミリシーベルトにおよぶCTスキャン被曝が激しい不可逆的炎症を起こしている患部に与える影響を考えれば、どうみても、無益な診断治療が患者を殺しているようにしか見えなかった。

 そこで私は医療を拒否し、ホメオステーシスに依存した自家治療の方針を立てた。
 まず、外国の治療プロコトルなどを調べてみて、本当に効果があるのは「呼吸トレーニング」であると確信し、毎日歩くことで、呼吸機能を活性化させる方針を選択した。
 幸い、私の住む中津川市には清浄な大気のなかで歩ける森林浴コースが無数にあった。

 私は毎日1~2時間、歩数にして7000~10000歩程度、標高差が100~200mのハイキングコースを選んで、よほどの風雨降雪日を除く年間350日ほどを呼吸トレーニングにあてた。
 呼吸トレーニングとはいうが、やることは思い切り呼吸し、思い切り排気するだけのことだ。深い呼吸ほど効果が強いと思われた。

 このおかげで、ブツブツバリバリと蜂巣肺特有の呼吸音と、小さな空咳が絶え間なく出ていた苦しい状況を脱することができた。
 その後の体験のなかで分かったことは、肺にタンが分泌されることの意味は、炎症を起こしている患部を守るためにタンが出ることだ。
 もしもタンが出なければ、炎症が加速し、必ずサイトカインストームが起きる。
 だから、タンを咳によって排泄するのは良いが、意図的に除去すべきではないと思う。

 サイトカインストームを抑止するには西洋医薬品よりも、漢方の方が圧倒的に効果がある。なかでも肺の炎症には葛根湯に強い効果がある、サイトカインストームを抑止できたとの論文が多数ある。
 私は、咳に苦しむときは、葛根湯に依存するようになった。

 数年間、毎日歩いているうちに、肺胞細胞による呼吸能力はどうしても回復しなかったが、いつのまにか肺線維症の独特の呼吸音と辛い空咳は消えていった。
 また血中のヘモグロビン濃度が高まることで、潜水のプロのように、呼吸をとめて血中酸素だけで仕事ができる長さが大きくなっていることを自覚できた。
 さらに、肺胞細胞以外の呼吸の連携が洗練されてゆき、全体として呼吸が楽になり、坂道を登るような作業も、それほど苦痛が伴わなくなった。

 IPFの治療報告によれば、本来2018年頃には死ぬはずだった私は、全然ピンピンしていることで、私は呼吸トレーニングを主体とした自家治療法が正しいことを確信した。
 しかし、険しい山道を登ったり、強い筋肉労働をしようとすると相変わらず、激しい息切れが続き、肺胞細胞回復の兆しはなかった。

 2023年を迎え、私はIPF発症から9年前に達した。私の調べた範囲で、IPF患者が延命した最大年数は10年なので、もう近くなった。
 今年に入って、3月頃から、急激に症状が悪化し、わずかな動作でも激しく息切れを起こすようになり、自分の死期が近づいたことを悟った。
 このときは、中国から黄砂が大量に飛来したのだが、これが原因だったようだ。
 次に9月頃にも、中国で放射能炭で火力発電所を運用したとき、大量の「雷雲喘息」という奇病患者が出た。このとき日本にも飛んできたようで、急に空咳が再発して具合が悪くなった。

 咳とタンが増えることは、肺の炎症が再発していることを意味する。
 このときは、本当に苦しくなって、トイレに行くだけで激しく回復呼吸をしなければならなくなり、草刈りをしようものなら5分で意識が遠くなってしまい、家は完全な幽霊屋敷に変貌した。
 自分の死後の始末を姉に依頼することになったが、現在は少しだけ回復しているので、もしかしたら、まだ一年くらいは持つかもしれない。

 私の病気を振り返ってみて、これほど延命できていることは、若い頃からの登山習慣が大きなアドバンテージになっていたこと。
 普通の人に、毎日2時間歩けといってみても無理かもしれない。私は山の空気に触れることが、ひたすら好きだったのだ。
 これで延命できたし、医療を信用せず、自分のホメオステーシスを信用したことが一番良かったと思っている。

 人生を振り返ってみて、「歩く習慣」が自分を救ってくれたと強く思う。
 病気の9割くらいは、ガンであっても歩いてれば直る。もちろん体調を健全に保つ食生活も重要だ。
 私は、このことが正しいことを自分で確かめた。
 https://www.yamakei.co.jp/products/2815490150.html

 私は、若い頃から山歩きに夢中になってしまって、結婚も蓄財もできないまま孤独に死んで行くが、日本中を歩いて回ったことだけは一つも後悔していない。
 

拍手

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析