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てんでんこ

「ウェッジ インフィニティ」というウェブマガジンの記事である。
集団行動を学校教育で叩き込まれた現代日本人は、非常事態に対して自己判断ができない。下記の記事は岩手の小中学生相手に防災教育、具体的には津波への対処を教えて、生存率約99%という「奇跡」を起こした人の手記だが、その根本にあるのが「自己判断」「他人の指示をあてにするな」ということだ。いわゆる専門家というものがいかにいい加減な存在であるかは、福島原発事故関連の無数の御用学者で世間の人間もよく分かるようになってきたが、しかし、ではいざという時どうするかというと、「責任者の指示に従う」というのがほとんどだろう。その責任者というものが現場には実は存在もしていないというのが福島原発事故だったわけである。
「てんでんこ」つまり、各自が自己判断せよ、というのは日常を生きる上での基本でもある。


(以下引用)


 防災教育の総仕上げとして子どもや親に教えたことは、端的に言うと「ハザードマップを信じるな」ということだ。ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオにすぎない。最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。そうは言っても、子どもたちには不安が残る。だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げることだ。

 もう一つは、自分の命に責任を持つことだ。三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、一家全滅・共倒れを防げという教訓である。私はそこから一歩踏み込み、子どもに対しては「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」と話した。親に対しては子どもの心配をするなと言っても無理なので、むしろ、「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」と伝えた。

 どれだけハードを整備しても、その想定を超える災害は起きうる。最後に頼れるのは、一人ひとりが持つ社会対応力であり、それは教育によって高めることができる。私は、今回の震災で命を落とした少女たちの声に耳を傾け、防災教育の広がりに微力を尽くしていきたいと、あらためて思いを強くしている。

WEDGE5月号特集「『想定外』を生き抜く力」では、他に以下の記事が読めます。
・自衛隊の訓練が津波と原発の差を生んだ
・海外での異常時にこの国は自国民を守れるか
・ゆで卵5人で1個 岩手・助け合いの現場を歩く
・原発被災後のエネルギー戦略の視点



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江戸社会への回帰

どういう巡り合わせか、昨日から右側の陣営に属する人間を褒めるような記事を転載しているが、べつに私が「転向」したわけではない。もともと転向するほど強固な左翼でもない。私の友人知人親戚の大半もほとんどは保守主義者である。私は現実人生では「隠れ左翼」なのである。

何度も言うが、左翼とは、現在の社会を変えなければいけないと切望している人間のことなのだ。今の社会によって苦しんでいる人間が無数にいるのに、その社会をそのままにしておくことは国民全体に対する犯罪的行為である、と思うから社会変革を望むのである。その意味では、「保守主義とは所有に伴う傾向である」という言葉ほど保守主義の本質を示した言葉はない。
つまり、現在の社会から利益を得ている「既得権益層」が保守主義の中心にあり、それが無数の犠牲を要求しているのである。
もちろん、誰でも今の政治社会体制から恩恵を得ている部分はあるが、それが構造的に一部の人間の犠牲の上に成り立っているのなら、そのような社会を肯定することは、私はしたくない。

下記記事は船井幸雄のホームページに掲載されていた記事の一部で、直接には「つむじ風」ブログで知った。
筆者(語り手)は自衛隊の教官の方であるからマルクス思想を敵と見做しているが、実は私にとってもマルクス思想は、ある意味で敵である。つまり、マルクス思想の戦闘性が社会主義(共産主義)の本質と思われたために、本来は多様性をもっていた社会主義全体が世界中で嫌悪され攻撃されるようになったからである。
日本共産党がマルクス主義と決別することができれば、日本の政治に新しい潮流が生まれる可能性もある。

前置きが長くなった。
下記記事にある「江戸社会への回帰」が、私の思想と一致しているので、これを掲載する。


(以下引用)


"本物の情報"を自分で選び取ることが大切


池田:結局、テレビなどで表に流される情報というのは、流す側のPR的要素があって、スポンサーの利益が出るために流しますので、客観的に見て、本物の情報が流れないのは当然なのです。だから本物の情報を知りたいと思うと、自分から選びとるしかありません。そういうこともあって、勉強を始めました。
 いま、大量に出回っている食品に含まれる添加物の量というのはすごいですよ。やはり人間にとって、とくに組織のリーダーになるような人にとって一番大切なのは健康管理ですから、食生活も日本人本来の和食に戻るのがいいと思いますね。戦後、牛乳を普及させたのはアメリカの洗脳だと思いますよ。


―牛乳の普及はアメリカの洗脳…。「戦後、アメリカが日本人の高い精神性が復活することを恐れて、食生活や文化、教育などを徹底して欧米化した」と船井も言っていますが、池田さんも同じお考えでしょうか?


池田:そうですね。その通りだと思います。戦後どころか明治維新でまず、主に日本の上層部を洗脳することで日本人の精神性の50%は奪われたと思います。そして第二次世界大戦以降はマスメディアが一気に発達したので、いろいろマインドコントロールできますから、結局、ほぼ100%の日本人の本来の心が失われていったのです。アメリカと同じ考え、すなわち「今だけ、自分だけ、お金だけ」となってしまったのです。




自分の存在を否定してくるものの正体を突き詰める


池田:先ほどお話しました通り、私は少年工科学校にいた時、「税金泥棒」と言われました。その時、自分の存在を否定されたように感じたのです。
 人間何がつらく悲しいかというと、自分の人格、そして自分の存在そのものを否定されることほどつらいことはないのです。当時の自衛隊に対して、反対している人は何も考えないかもしれません。しかし言われなき反対で、弱い立場にいる人はずっとつらかったのです。自己存在の否定…すなわち「お前なんかいない方がいい」と言われることが人間にとって一番ショックなことなのです。
 そこで私は「自分たちの存在を否定してくる敵の正体は何なのか?」そして敵の弱点をしっかり見つけて、そこに理論的にも勝たないかぎり、自分が否定されたものを克服できないと思いました。


池田さんの読書記録ファイル。池田さんは18才の時から読書記録をつけており、自らの"読書道"をお持ちです。船井幸雄の本の読書記録もたくさんあります。
 それで防衛大学では国際関係論という学科に入りました。そこでまず、敵は共産主義、その中でもマルクス・レーニン主義だと思いましたので、マルクスの哲学、基礎を徹底的に検証しました。するとこの理論の人間観には問題点・欠陥があると分かったのです。 
 マルクスの人間観は要するに、「周りのものが変われば人間は変わる」という唯物史観ですね。しかしそれは人間に対する考え方が甘いと思います。人間というのはまず「心・意識ありき」だと思います。
 そのように、根本にある思想が間違っているので、時がたつにつれて、「形だけ、力だけ」で統制していく社会になってしまい、やがては共産主義は崩壊するだろうと予測しました。卒論でも「マルクスの人間観とその欠陥」というテーマで書いたのですよ。見事に当たりましたね。


―そうですか。では今の資本主義についても、矛盾があるからいずれは崩壊するとお思いでしょうか?


池田:そうですね、そう思います。99.9%の人は今のアメリカを中心とする資本主義の思想の中でやってきていますが、それがどんどん行き詰ってきています。今が本当に大きな変化の時期だと思います。
 船井先生もおっしゃっていますが、この地球という星は、まだ『宇宙学』(コスモロジー)で言うところの"不良星"です。それが1段階上の"優良星"に進化できるかどうか、現在が境目の時だと思っています。だから1万年に1回くらいの心の転換が必要になってくるのだと思います。


すばらしい江戸時代文化への回帰


池田:これから先の時代、世の中は、私たちは日本人の本来の姿、すなわち江戸文化的な時代になっていくのだと思います。


―江戸文化? これから私たちは、江戸時代の文化のようになると思われますか?


池田:そうですね。そう思います。私が考える「人間の本来の生き方」というのは、江戸文化的な、自然や共生を大切に思う生き方ですね。だから私たち日本人にとっては、祖先がやってきた当たり前の生き方に回帰するということなんですよ。


―なるほど。江戸時代というとどうしても「封建的であまりよくない時代」というイメージがあるのですが、江戸時代の文化というのはそんなにすばらしかったのでしょうか?


池田:そういう江戸時代に対するマイナスのイメージは明治政府が作為的につくったものなのですよ。明治政府の良さを印象づけるためにね。江戸時代は本当にすばらしかったです。たとえば江戸は人口約100万人で、世界一人口の多い都市でした。当時、ロンドンやパリの人口は60万人前後です。江戸は緑にあふれ、クリーンで美しい町だったのです。
 また、日本は縄文時代から土の文化です。土の文化は自然と共に生きています。そこでは今でいうリサイクルが非常に発達していました。

 江戸時代の具体的な生活については、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社刊)という本がとても参考になると思います。これは幕末前後に日本の近代化のために欧米から訪れた約4000人の外国人が残した手記をそのまま訳して編纂されたものです。客観性があり、参考になると思います。
 その本には、「日本に行ったら、物乞いをするどころか、子供たちがにっこり笑って『うちに遊びにおいでよ』と誘ってくれ、家に行くと、ごはんは食べさせてくれ、お風呂まで入れてくれた。寝るときは鍵さえかけないで寝られるほど安全で、帰るときにはおみやげまでくれた。なんてすばらしい国なんだ!」と、その人間性の高さにビックリしたことなどがたくさん書かれています。
 また各家には庭があり、人間の出した糞尿を肥料にして有機の野菜をつくっていたようです。治安的にも安全で、100万人の都市に警察官はわずかな人数で足りたようです。
写真が趣味という池田さんが最近撮ったマロウ(別名:ウスベニアオイ)。




 さらに驚くのは、例えば目の不自由な人に対して、現代の感覚では、お金を寄付するという発想になりますが、そうではなく、按摩(あんま)とか琵琶法師など、目の不自由な人にしかなれない職業を特権として与えていたのです。お金を与えるのではなく、職業を与えていたのです。だから、目が見えなくても自立して一生生きていけるのです。まさに、私たちが今向かおうとしている、本来の人間のやるべきことをすでにやっていたわけですよ。それに感動しましたね。
 一方、ヨーロッパは石の文化ですから、確かに見栄えはいいですよ。しかしながら、その実態はどうかというと、まずトイレは、壷の中にするのですよ(笑)。壷に入れたら、窓からポチャンと捨てるだけですよ。だから下に人がいたり、通りに人がいたりしたらたまらないですよね。そのため町中臭いし、日が照るとハエなどが出てきて、すぐに病原菌が流行するのですよ。それで香水の文化が発達したというわけです。


日本人の本来の姿は、武士道精神そのもの


池田:日本人の本来の姿というのは、究極の"誠の道"、すなわち武士道の精神そのものだと思います。映画の『ラストサムライ』などは侍の姿として参考になると思いますよ。
 武士道精神を持つ人は、お金も名誉も、地位も、命さえも何もいらない。そして自分の大義、信じるもののために全力で尽くします。これが伝統的な武士道です。これが日本人の"誠の道"だと思いますね。それを体現したのが、江戸時代の侍だったり、時代は違うけれども、特攻隊で亡くなった若者たちかもしれません。そういう意味で自衛官というのは、人のために命をかけて尽くすことを使命としていますから、武士道の精神が残っていると言えると思います。
 そしてその武士道に対峙するのが、悪い意味での資本主義だと思います。それは「今だけ、自分だけ、お金だけ」なのですね。


部長室には池田さんの息子さん達の少年野球の写真が大切に飾られています。


 そのようなすばらしい"日本人の誠の心"が、明治維新、第二次世界大戦など100年を通じて無くされてきた…というのが私の持論です。確かに明治維新はすごいことでした。戦後の発展も目覚しいものがありました。しかしそれだけでは物事の半分しか見られていないと思うのです。そんな経緯があって、成り立っている社会がいまの日本なのです。
 「物事の根本はどこにあるのか」ということを探求するのが私の心の一つの形なのです。
 だからある意味、大それたことを言いますと、船井幸雄先生の生き方と同じなんですよ。
 「人間は何のために生きるか」「宇宙の構図は何なのだろうか」…ということが、ずっと私の探求のテーマだったのです。





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黒だろうが白だろうが、鼠を取るのがいい猫だ

私は「漸進的社会主義者」のつもりだから、右翼とは対立する考えの持ち主だ。だが、今回の大震災の被害者救助に対して、右翼集団の一つと目される日本財団が大きな支援をやっていることを知ったので、公平を期すために掲載しておく。特に漁船を失った漁民に対し、1億円を無利子で貸すというのは、相当なものだ。政府の無為無策に比べると実に立派なものである。だからと言って彼らのふだんの行為のすべてが正当化できるということはもちろん無いが、善行は善行として顕彰しよう。
タイトルは、昔、中国の政治家の誰かが言った言葉。言いかえれば、右だろうが左だろうが、困っている人を救う者が(この際は)いい人間である。


(以下「笹川陽平ブログ」より引用)


緊急記者会見 [2011年03月30日(水)]
「東北地方太平洋沖地震への救援活動」その30
―緊急記者会見―

※日本財団第一次被災者救済策発表

①死者・行方不明者に各一人5万円を支給
②漁船を失った漁民に最大1億円、3年間返済猶予の上15年で返済。無利息
③NPOボランティアの100万円を限度に迅速支援

①広域被災地には、2,500ヶ所余の避難所での生活を強いられている方々、自宅の1階は泥で埋まり2階でひっそりと生活されている方もおられ、被災された方々の避難生活の現状は千差万別である。被災から18日、最低限の生活は確保されたものの、将来への具体的な展望のない生活は、避難民の精神を着実に追い詰めている。

死者・行方不明者を出したご家族の嘆きはいかばかりであろうか。察するに慰める言葉もない。

避難所での生活が落ち着けば、亡き親族に花束を手向け、線香を立て、好物であった酒や饅頭などをお供えしたいであろうに。

筆者は昭和20年3月10日、東京大空襲で被災した。親戚を廻り、ささやかな食事にはありついたが、現金のない生活のつらさをいやというほど味わった。そんな経験もあり、今回の死者・行方不明者の遺族・親族に、死者・行方不明者一人当たり5万円の弔慰金又は見舞金を送ることを決定した。

現在の死者・行方不明者は約2万9千人であり、約15億円を大至急現地にお届けする。

②報道で見る被災者の漁民の姿は一様に深刻である。海に生きた男がすべてを失い、漁業での再起を放棄しようとする映像に涙した。三陸の漁業を絶やしてはならない。

筆者を含め、日本中の人々が三陸の魚介類を楽しみに生活してきた。彼らに再起のほのかな光を提示することによって、今一度、海に出る気力の回復といつの日か我々の食卓に三陸の珍味を提供願いたいものだ。

③NPO、ボランティアは、日頃、専門としている仕事があるにもかかわらず、乏しい金をやりくりしてガソリンを買い、遠路、被災地で活動して下さっているが、この方々への政府、企業からの支援は皆無に等しい。

2,500ヶ所の避難所に1ヶ所10名としても25,000名の人手がいる。その上、町を覆った泥土の処理等々、被災地の復興の初期段階には膨大なボランティアの支援なくして不可能である。
しかし、彼らには政府からは一銭の援助もなく、ただ黙々と働き、夜は寝袋で眠りに就つく。
これらの無私の活動に、日本財団は物心両面の支援をしたい。

この三点の日本財団の具体的な支援が起爆剤となり、政府や関係筋が連動してくれることを願って止まない。

Posted by 笹川 陽平 at 09:00 | エッセー(essay) | この記事のURL | コメント

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風が吹いたらゆりかごゆれた

インターネットで「風が吹くとき(風が吹いたら)」の原詩を検索して、アニメ「風が吹くとき」の紹介をしているこのページに出逢ったので、ここに紹介する。
なぜここに転載するのかは言うまでもないだろう。原発事故は原爆投下とまったく同じことなのである。ただ、即死と緩慢な死の違いだけだ。
アニメ「風が吹くとき」および、デビッド・ボウイの歌などもユーチューブにあるので一見をお勧めする。



(以下引用)


風が吹くとき(「When The Wind Blows」)
立澤史郎(1989)

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風が吹いたらゆりかごゆれた
枝が折れたらゆりかごおちた

ぼうやとゆりかご いっしょにおちた


 マザー・グースの残酷さには、子供の頃よりも、むしろ今になってぞっとします。この歌、「WHEN THE WIND BLOWS」(英国版「風が吹いたら桶屋が儲かる」)もそのひとつ。これをそのまま題名とした映画が公開されます。邦題も「風が吹くとき」で,'86年英国制作の長編アニメの日本語版です。

あらすじ

 英国の片田舎に住む老夫婦、ジムとヒルダ。ジムは定年を迎え、これからは愛し合った二人ののんびりとした時間が始まる。
食事時、ラジオは戦争勃発を知らせ、政府は三日以内に核シェルターを作れと言う。窓は白ペンキで塗り、扉を壁に立てかけマットレスをしいて水と食料をキッチンに保存すれば出来上り。でもまてよ、政府の説明書では窓の周辺から薄い、細かなものは除けとあるが、議会の出したそれでは窓には白いシーツを下げろと書いてある。どっちが正しいんだ?保存食の’公式’リストに載っているピーナツバターを忘れている!慌てるヒルダにジムは「僕はピーナツバターは好きじゃないよ、無くたって生き残れるさ」。
 先の第二次大戦の思い出話に、二人は今度も有能で勇敢な指導者が事態を切り抜けてくれると言う。けれど彼らはどの国とどの国が戦っているのかさえ知らない。家具で窓をふさいだり、爆弾を落とさないよう嘆願書を書いたりと、彼らの対策は進む。
 ジムは、大きな紙袋をかぶれば効果があるのではないかとかぶってみて妻にバカにされる。やがて彼は’ヒロシマ’を思いだし、柄のない、まっ白のシャツを着れば体を焼かれずにすむと思い至る。けれどヒルダは「それは日本人のことでしょ(?) 、第一そんな話聞いたことないわ」と取り合わず、クリスマスプレゼントの新しいシャツを着ることを許さない。「じゃあ白の古いシャツはないかな?」けれど妻の対応はそっけない。
 そこへラジオ。「敵のミサイルがわが国へ向けて発射されました。三分で到達します。」ヒルダは洗い物に行こうとしている。ジムは妻をかかえてシェルターへ飛び込んだ。 

           ー 閃 光 ー

 「ちくしょう!」信じられないが、核爆弾が炸裂したこと、そして生きていることを確認する二人。おののくヒルダに「僕たちは今でも幸せじゃないか」とジム。「僕たちの爆弾のこと、ニュースでやってるかもしれない!」何も出るはずがない。電気は?電話は?全てが働かない。街は死に絶えたんだ。
楽しみにしていたテレビ番組がみられないというヒルダ。真っ白なシャツを着たジム。廃墟の生活にも笑顔さえみられる。けれど、そんな個人の幸せも大きな力が踏みつぶしてゆく。
 数日後、ヒルダは体中が痛み、ジムはようやく放射能の影響に気付く。やがて二人の皮膚は斑点におおわれる。妻をいたわり、陽気に振舞おうと歌を唄うジム。その口から血がしたたっていることももはや妻に言われるまで気付かない。毛が抜け始めたヒルダに夫が言う。「女性は丸坊主にはならないよ、これは科学的真理だ。」しかし事実は彼らの知識を超えていた。彼らの信じるシェルターは苦しみを長引かせるものでしかなかった。
 つぎのICBM(大陸間弾道弾)におびえながら、二人は紙袋を身にまとってまたシェルターへはいる。そして再び出ることはなかった・・・  

思いつくまま

 昨年の九月、京都の書店でこの原作の絵本を見つけました。40ページにぎっしり書き込まれた原作は、言葉で反核をうたうのではなく、ただ淡々と夫婦の会話と行動を追っています。原作者は、「(この作品を創ったのは)反核運動のためでも、政治意図によるのでもない。」と言っているそうです。つまり「核」問題に対する判断は全て読者(視聴者)に託されているのですが、これが英国では50万部のベストセラーとなり、各国で話題となって、昨年はついに映画化されたわけです。今回の公開はこれを日本語吹き替えしたものです。
 原作はレイモンド・ブリッグズ。私は彼の作品「スノーマン(雪ダルマ)」が大好きなのですが、(これも昨年映画化されて成功を収め、最近は某スープのCMにこのフィルムが使われています)今回の「風が吹くとき」は、少し悲しくもファンタジーの世界に遊ぶ彼の他の作品とは一見ひどく違い、大変面食らいます。しかし彼の言葉はその疑問を氷解してくれました。
 ジムがしたように、ちょっとした工夫で核爆弾の影響をやわらげることはできる、しかし最終的に個人がその影響から逃れることはできない。そんな状況下で、多くの市民はどの様な思考と行動を取るのだろうか。それを描きたかったと作者は言っています。つまり彼の制作上の興味は社会問題ではなく、(彼の両親がそうであったように)市井の人々の瞬間瞬間の言動であるのです*。最後の最後になって、彼らがどの様な会話をするのか、今まで信じていたものに対してどの様な態度を取るのか、じっくり観てみたいと思います。そこで、ー私たちにできることは何か?ーそれを考えるか否か、それは当然私たちの問題でしょう。
 監督はG.T.ムラカミという日系人、日本語版監督は大島渚です。この監督陣も興味あるところですが、やはり捨て置けないのは音楽。主題歌をデビッド・ボウィ、サウンドトラック全体の構成を (あの)ロジャーウォータースが担当しています。言うまでもなく彼はバンド「ピンク・フロイド」で現代社会の論理や様々な意味の環境破壊を鋭く告発してきた人。その音楽がレイモンド・ブリッグズの絵とどう反応しあうのか、今回のロードショウの楽しみの一つです。     
 最後に蛇足。原作を読んでいて強く感じるのは、(子供と自然の媒体としての文学作品の重要性、早い話が)マザーグースの存在の大きさです。冒頭の歌(詩)が背景(原体験)としてあってこそ、この作品の内容が読む(観る)人に深く関わってくるのだと確信したわけです。マザーグース体験を介して染み込んでくる”恐ろしさ”、これは日本人には理解しにくいものかもしれません。
 けれど、理屈でなく子供の頃の体験を通じて直感的に膨らむ恐ろしさ、自分の大切なものが奪われることに対する恐れ、そう言うものは誰にでもあるはずです。いわゆる「自然保護」や「反核」の行動、これらもおそらくそうした感覚に裏打ちされているはずです。そうでなければ空論でおわってしまうだろう、久しぶりに原作を読んで、そう思っているところです。
 この長編アニメ、自然教室の子供さんとご家族にも、是非観てもらいたいと思います。数少ない、だれでも”気楽真面目に”行ける映画。友人、夫婦、親子孫連れ、もちろんひとりでも、この夏の思い出にしてください。
(「都市と自然」誌)(千里山生協会誌)

*:この作品は,現実と紙一重ではありながら,やはり一種のファンタジー.でも気付いてはいけない現実世界とファンタジーの関係を垣間見てしまった気にもさせられます.(2000年11月)

((C)立澤史郎)

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ネット戦争

井口和基氏のブログによれば、原発に関し、政府発表に反するネット記事を全部削除するように、プロバイダー各社に政府から通達が行ったそうだ。
これまでもつむじ風氏のブログ強制閉鎖などの事件があったが、今後は情報弾圧をいっそう強化するということだ。気になる情報は、早めに自分のパソコンに取り込んでおくことをお勧めする。これからは政府と国民の情報戦である。いたちごっことも言う。
ネットというジャングルでは、ゲリラのほうが有利であるかもしれない。我々もみな「ネットゲリラ」になるべきだろう。
そこで、希望されるのが、P2P、つまり、パソコンからパソコンに、プロバイダーを通さずに通信できるシステムである。これは、あの詐欺師臭い風貌の苫米地博士が言っていることだが、彼は洗脳と情報についての権威の一人ではある。彼のこの提言は聞くに値する。


(以下、井口氏のブログから転載)


みなさん、こんにちは。

いよいよ、菅直人の盟友で影の総理、元全共闘の仙石由人率いる日本政府が、ただならない動きを出したようである。以下のものである。


日本ネット検閲

日本が公式に福島原発事故に関する真実の検閲を命じる

自由な民主主義国家だと思われている日本、そこは言論の自由に価値を認め守っていると思われているが、その日本が公式に、政府の「災害は終わり、放射能の危険はもはやない」という公式の立場に反するコンテンツをサイトから削除する命令を通信企業やウエブ管理者に公式に出した。

検閲で抑圧しようと意図しているいわゆる噂については、ほとんどのものが噂ではなく真実であろう。
例えば、日本は、いくつかの国は日本からの輸入で放射能がある車を受け取ったと報告しているにもかかわらず、放射能を帯びた車は噂であると抑圧しようとしている。
日本は放射能を帯びた魚というウソの噂を抑圧しようとしているが、しかし実際のところ、放射能を帯びた魚が捕れていて、日本とアメリカは魚は食べても安全であると言っている。食物の米連邦の制限値の2400%であるにもかかわらずだ。(2400% 未確認)

Asia-Pacific Journalの一部

いわき市の中学校の入学式で、校医が生徒と父兄に対して、「放射能問題は既に終わっています。何の問題もなく学校に来たり、外に行けます。悪意のあるゴシップに怯えることはないのです。」と教えた。

Japan Officially Orders Censorship Of Truth About Fukushima Nuclear Radiation Disaster

The government charges that the damage caused by earthquakes and by the nuclear accident are being magnified by irresponsible rumors, and the government must take action for the sake of the public good. The project team has begun to send “letters of request” to such organizations as telephone companies, internet providers, cable television stations, and others, demanding that they “take adequate measures based on the guidelines in response to illegal information. ”The measures include erasing any information from internet sites that the authorities deem harmful to public order and morality.

Source: Asia Pacific Journal

このソース記事はこれ。
Fukushima Residents Seek Answers Amid Mixed Signals From Media, TEPCO and Government. Report from the Radiation Exclusion Zone
このグーグル翻訳はこれ。
福島県の住民は、政府と東京電力のメディアから、シーク回答の中混合信号。

いやはや、こうなるとこれからは英語が読めないとまったく真実が手に入らなくなるということである。このまま行けば、福島県民は、日本政府官僚、東電業界のための、「人民の壁」にされてしまいかねないということである。

かつて福島では「会津戦争」というものがあったというが、今度はまたこの地で原発戦争が起きかねないということである。困ったことである。

いずれにせよ、現政府の元左翼過激派出身の政治家たちは、あの青春時代の記憶に舞い戻り、いまやすべてを敵に回しても良いという、誤った覚悟が芽生えてしまったのではないかと私は恐れているというわけである。

こうなると、かつて仙石由人がバリケードを張って、東大安田講堂の屋上に篭城したように、国会や首相官邸に篭城しないとも限らないということである。

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権力ピラミッドの下で泣く者たち

全然タイムリーな話題ではないが、日本の行政の実情を示す、よいエピソードなので、先ほど見つけた記事を転載しておく。「続小児科医のブログ」というところの記事だ。
要するに、米国医薬品会社から米政権を通じて日本政府にこれこれのワクチンをこれだけ買えと命令があり、厚生省のお役人は全国の医療業界に対して下記の記事のような通達を出し、下記の記事のようなドタバタ騒ぎが起こるわけである。患者にとって危険性のあるワクチンで医者が儲けているとかいう非難は無意味で、これは厚生省主導で行われ、全国の医師はそれに従っているだけなのである。

一事が万事であり、これは医療だけの話ではない。
この日本の国難の時期に、農水省が減反政策を継続して日本国民の多くを餓死の危険にさらすことを決めたのも、米国からの命令に決まっている。日本の木ッ端役人や陣笠代議士の一人一人をとがめても、菅総理という阿呆の案山子総理を批判しても何の意味もないのである。

タイトルの権力ピラミッドは一般的な意味での権力の象徴で、べつにあの「目のあるピラミッド」のことではない。


(以下引用)



2011-04-06 新型インフルエンザワクチン契約・最後のエピソード2009年の話になりますが、新型インフルエンザワクチンの接種のために医療機関は契約せよとのお達しがありました。どんな雰囲気だったのかを当時作ったコントで紹介しておきます。


■第5部:委託契約編


厚労省:「委託医療機関の選定と国との契約を行ないなさい」
医師会:「契約書の正式内容は?」
厚労省:「正式の契約書はないが、正式の契約書になる予定の『案』があるから代用せよ」
医師会:「説明は『案』でも可能だが、契約は『案』では無理なのでは?」
厚労省:「届出を出してもらい、それで暫定的に承認とし、正式契約は委任状を出してもらい後日書類処理する」
医師会:「えらい条件ですが、いつまでですか?」
厚労省:「10/9までに完了だ」
医師会:「ヒェ~、今日は10/6ですから『案』の説明も間に合わないのですが?」
厚労省:「10/9は政治主導で決定である」


■第6部:医師会混乱編


医師会幹部A:「こんなんで委託契約を結べとは無茶でんな」
医師会幹部B:「会員から問合せの山が来るやろし、来ても何にも答えられへんし」
医師会幹部A:「でもお国の命令だし・・・問合せの期間が短くなるように、今日Fax、明日返答にしよう」
医師会幹部B:「問合せにはひたすら『詳細は後日説明』で押しきらなしょうがおまへん」


■第7部:医師会員ドタバタ混乱編


職員:「医師会からFaxです」
医師:「どれどれ、新型接種の契約届出をせよみたいやな。こっちが届出書でこっちが委任状か、他は?」
職員:「それだけです」
医師:「つう事は白紙委任状を明日までに提出せよと言う事かいな。そんなアホな!]

その日は患者からのインフルエンザの問い合わせと同じぐらい、医師会員同士の「一体、どうなっているんだ!」「お宅はどうする?」の電話が飛び交ったそうな。

覚えてられている方も多数おられると思いますが、Faxが突然舞い込んで翌日とか、早いところではその日のうちに返答せよという物凄さでした。もちろん、


そもそも契約時に契約書なるものが存在しない
契約内容についての丁寧かつ納得できる説明はほぼ皆無
考慮時間はうちで1日、ひどいところでは2時間と言うところもある(10/6に指示が出て、10/9に契約完了のスケジュールであった)
契約期間は空欄

こんな状態でドタバタと契約を結ばされたわけです。一方で契約書の拘束力は猛烈で、


ワクチン販売は押し売り状態の返品不可
鉄の優先順位の強要

ワクチン販売に関してはかの有名なパーティボトルの大量販売で、悲鳴をあげた医療機関がかなりありました。返品不可については契約書には明記されていませんでしたが、「そうである」と高らかに宣言して既成事実としていました。そう言えば最終的に返品を認めるの話も出ていましたが、どうなったんですかね。

また鉄の優先順位は、余ったものを接種しただけで社会的制裁だけではなく、契約破棄の処分を下されたところもあったと記憶しています。鉄の優先順位は、たとえ余っても「廃棄せよ」との指導を受けた話さえ残っています。

この契約は去年の段階で予防接種法の改正に伴い、一方的に解約させられ、再契約させられました。これもまた2009年に近いようなドタバタ契約でしたが、これもやっと終了のようです。


予防接種委託医療機関各位


神戸市保健所長


新型インフルエンザ(A/H1N1)ワクチン接種に関する委託契約の終了について

 時下、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 平素は、予防接種事業に格別のご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。

 さて、新型インフルエンザ(A/H1N1)の発生に伴うワクチン接種事業については、「新型インフルエンザ(A/H1N1)ワクチン接種に関する事業実施要綱」(平成22年9月28日厚生労働省発健0928第6号通知)に基き、新型インフルエンザ(A/H1N1)ワクチンの接種を希望する医療機関と厚生労働大臣との間で契約を締結し実施してきたところですが、厚生労働事務次官から平成23年3月31日をもって、契約を終了する旨の通知がありました。契約終期は本市の実施要綱等でも明記しているところですが、貴会員の受託医療期間に対する周知をお願いします。

 以下略

これは3/31付読売新聞から引用しておきますが、

 細川厚生労働相は31日、2009年発生の新型インフルエンザについて、感染症法の「新型」の類型から外し、4月から従来の季節性インフルエンザと同様の扱いにすると公表した。

 名称は「新型インフルエンザ(H1N1)」から「インフルエンザ(H1N1)2009」に変更される。

 感染症法では、新型インフルエンザについて、国民の多くが免疫を獲得するなどした場合、厚労相の公表をもって「新型」の類型から外す、としている。09年4月に確認された今回の新型インフルエンザは、2シーズン目の流行がほぼ終息し、流行の規模や期間などが従来の季節性インフルエンザと同じ傾向だった。

至極単純には新型インフルエンザから、これまでの季節性インフルエンザに定義を変えたので、厚労省との契約による接種手続きが不要になったとの事です。それにしても名称はなんとかならんかと思いますが、とりあえず新型から「インフルエンザ(H1N1)2009」になったようです。もうちょっと短くならないものですかねえ。通称であっても構いませんから短くならないと実用上不便です。

それでも今回の契約終了はまだマシかもしれません。契約が無効になったから契約を終了するの立派な理由があります。契約を結んだ時に較べると、解約はこれで関係がとにもかくにも無くなる訳ですから、ちょっとだけスッキリした気分です。



事が済んでの感想ですが、世の中には物凄い契約がある事を学んだのは社会勉強になりました。それもブラック企業相手の契約ならまだしも、相手が厚労省であり厚生労働大臣であるところが強烈です。なぜにこんな展開の契約になったかを推測すると、やはり契約相手が厚労省だったからと考える他はないようです。

新型ワクチン接種について契約と言う形態を取らざるを得なかったのは、法的な問題になります。細かい事はともかく、厚労省サイドにすれば契約形態にしないと接種が出来ない事情があったと考えてよいでしょう。しかし厚労官僚の認識の中に、社会通念としてある契約の概念は皆無に近かったと考えています。

むしろ契約を結ばされた医療機関側が「契約」と言う言葉に妙な誤解をしたと考えるべきかもしれません。どういう事かと言えば、厚労省側は名目上は契約としていますが、扱いは通常の通達行政と全く同じであると見れるからです。契約でなく通達と見れば、一連の契約騒動はわかりやすくなります。


ワクチン接種機関の登録を行う通達
登録後に接種に関する細則を通達
細則の解釈、または都合の悪い部分は通達により適宜改変

通達行政ならよくある手順です。契約と言いながら、通達行政と実質同じ手法を厚労省は実践したと考えられます。厚労省側にすれば、契約内容と言っても、通達と一緒で、いつでもどうにでも出来るものとして扱ったとすれば話の筋が通ります。

言ってみれば、新型ワクチン接種に関して厚労省は契約風通達行政を行ったと考えられます。私も含めて、社会通念にある契約を念頭に置いたので解釈に混乱を来たしただけと言っても良いかもしれません。

それでも厚労省側としては、この契約風通達行政の運用を新型インフルエンザ対策として輝かしい成果として記録する様に考えています。解釈や運用に混乱を来たしたのは医療機関側であって、厚労省としては実質として通達行政を堅持出来たからです。きっと今後も、この輝かしい先例を踏襲しての二番煎じ、三番煎じを行われると予想します。

まあ、通達行政に付き合うのも大変ですが、契約風通達行政も当分付き合いたく無いですねぇ・・・。

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元もと保健所長 2011/04/06 08:17
それでも、ほとんどの医療機関はおとなしく白紙委任状を提出して「契約」したのでしょう。
相手が国だったから、ワクチンを待つ患者・住民のためだから、というのは言い訳で、
所詮はワクチン欲しさに目がくらんだ上での行動だったのでしょう。

国はこれで味を占め、2010年度はついに法律の根拠なく「国の事業だけど市町村主体」
というとんでもないことをしでかしました。
これがまかり通るなら、そもそも予防接種法という法律自体が不要になるくらいの
恐ろしい強権政治です。


luckdragon2009 2011/04/06 08:25
うーむ。

微妙に、契約時の「錯誤」ないし、「公序良俗に反する」という内容によって、契約無効の提起を成したら、どうなるんだろうなあ、と思ったりします。

> [PDF] 宅建重要用語集PDF - 資格の総合スクール - LEC東京リーガルマインド
> http://www.lec-jp.com/takken/qa/pdf/tu11054.pdf (「公序良俗に反する」は、12p)

案外、弁護士や、いろんな法務業、公務員の方々に関しても、結構議論の余地のある内容なのかも、と思ったりもしたのですが、まあ、法務業ではないので、時々、関連項目をしらべているだけではありますが。


luckdragon2009 2011/04/06 08:30
株主総会の白紙委任状でも、定款変更や、議案内容、取締役就任内容くらいは告知されますけどねえ...。
しかし、2時間ってのは、すごい短い判断時間ですね。


京都の小児科医 2011/04/06 08:56
日本の(お笑い予防接種)行政の伝家の宝刀の超法的対応ですね。

今回の東日本大地震でも課長クラスの(○ンピラ)官僚が超法的対応を
とられているように思います。

繰り返しますが、東日本大地震では日本は滅びませんが、滅びるのは官僚の暴走です。
日本国においては官僚の課長クラス以上は法を守らなくてもいいというコンセンサスが
できているのは恐ろしいです。緊急時にチーム日本とか・みんなで頑張ろうとか・誰も
公式は逆らえないキャンぺーンをさらにマスコミも増幅してゆきます。
まさに「正義は国を滅ぼす」です。
たぶん、官僚は正しいこと(正義)をおこなっていると思っているのでしょう。

前の戦争も発端は現場の課長クラスの暴走がスタートだったと理解しています。


元ライダー 2011/04/06 09:30
契約風通達行政の間抜けなところは、医療機関が取り敢えず契約しておいて、実際には契約不履行(予防接種を行わない)しても、お咎めなし無しであるところです。ですから、白紙委任と言っても詳細判明後、嫌なら無断で実質的な契約破棄が可能です。

ですから選択肢は2つで
・通達どおりの面倒な予防接種を行う
・予防接種を行わない

裏を返せば、契約を履行するかどうか、契約後にも医療機関に選択の自由がある『契約』です。契約という言葉が気持ち悪いですが、日本語でなく、厚労省用語だと思えば何のことはありません。一見日本語風に見える特殊用語は法律の分野でさんざん学習しました。サーバリックスの時には、当院ではこの手でかわし、『契約』しましたが、接種実績ゼロです。


Seisan 2011/04/06 09:57
>相手が国だったから、ワクチンを待つ患者・住民のためだから、というのは言い訳で、
>所詮はワクチン欲しさに目がくらんだ上での行動

そういわれてしまうと、保険医療機関契約すら、「所詮は健康保険からの金に目がくらんだ上での行動」になってしまいますよ(^_^;)

実際、よそがしているからうちもしないと、という横並び意識はあるでしょうし、それをうまく利用された面も否定しませんが、やはり、医師として「国民の健康な生活を担保する存在」であるという自負がありますから(ええ、言ってて恥ずかしいですよ。確かに)、新型インフルエンザワクチンに関しての契約云々には文句はたくさんあったんですが、受け入れざるを得なかったという思いがあります。

まあ、今回の「子宮頚がんワクチン等・・・」も同じ根っこの話ですけどね。
ポイントは、来年の3月までの話なのに、その後の話が出ていない、ということでしょうか。
子ども手当なんかより、よっぽど大事なものなんですけどね。


10年ドロッポ 2011/04/06 10:31
京都の小児科医様、
>今回の東日本大地震でも課長クラスの(○ンピラ)官僚が超法的対応を
とられているように思います。

新聞やテレビはおろか、最近は気が滅入るのでニュース系のネットも見てないので何の事かさっぱり判りません。ご教示頂ければ幸いです。
*聞きたくないかもw


京都の小児科医 2011/04/06 11:58
10年ドロッポ様
ちょっと勇み足でした。(週刊誌にはあったのですが・・)
この部分は申し訳ありません。


京都の小児科医 2011/04/06 12:04
>所詮はワクチン欲しさに目がくらんだ上での行動だったのでしょう。
これは他のところでも同様の発言をもらったことがあります。
(保健所の先生から)
新型インフルエンザワクチンで(外)車?を買った医師がいたとか・・


luckdragon2009 2011/04/06 12:49
うーむ。
車が買えるほど、本数十分に供給されましたっけ?

まあ、最後は「余るほど」な供給体制でしたけど。(流行自体に間に合わなくて、微妙にキャンセル?な話もありましたよね、確か。)


Yosyan 2011/04/06 12:59
 >新型インフルエンザワクチンで(外)車?を買った医師がいたとか・・

机上の計算ですが、成人換算でワクチン卸価格が1468円、接種価格が3600円です。つまり1人接種すれば2132円の粗収益があります。クルマの価格が仮に300万円とすれば、1400人ほど接種すれば300万円になります。もっともここから消費税とか、注射器や針代などが出ますから、1600人程度接種すれば不可能ではありません。

ただしあのワクチン不足と鉄の優先順位のなかで、効率よく、無駄なく1600人も接種できた開業医がどれほどいたかは大いに疑問です。それとあの年のワクチンは季節性と完全に別立てになっています。季節性と別に新型ワクチンを1600人も接種するのは半端な手間ではありません。それこそ3000人とか4000人規模の接種を10月から12月の3ヶ月ほどで接種した事になります。1月には希望者は殆んどいなくなりましたから。

小児科は接種量の関係で卸価格部分は下がりますが、その代わりに2回目接種が大きく絡んできます。それと接種時期に新型の流行がピークに達しましたから、外来もテンヤワンヤでしたから、それこそインフルエンザ患者を診ながら、なおかつ平年の季節性プラス新型接種を行うことになります。これも並大抵の状態ではありません。

そこまで儲けた開業医がいたのは否定しませんが、一般的にそうかと言われると少々疑問です。儲けた開業医は、それこそ倒れるぐらいに働いたような気がします。


京都の小児科医 2011/04/06 13:12
>儲けた開業医は、それこそ倒れるぐらいに働いたような気がします。
私は反論しなかったのですが、正直、仮に事実なら労働による対価であって別にいいのではとその時思いました。
給料決まっている保健所じゃあるまいし・・・

あと、保健所って、色々な方がおられると思いますが、厚生労働省と開業医の間の中間管理職で、結構つらい立場ではとも思いました。

すいません。
第1部~第4部ってどこでしたでしょうか


10年ドロッポ 2011/04/06 14:14
京都の小児科医様、コメント有難うございます。
実際、上がアレですから、中級官僚クラスが自分の判断で動かざるを得ない局面が数多ありそうではありますねえ…。この未曾有の国難の時にミンス政権なんて、神とやら、貴方は残酷だ!<私は共産主義者なんで、神なんか信じてないケドw

>新型インフルエンザワクチンで(外)車?を買った医師がいたとか・・

実在するのであれば厚労省のクソ通達だか契約をも翻弄したボクらのヒーローwですから、賞賛を惜しまないんですが…。


京都の小児科医 2011/04/06 17:40
>とりあえず新型から「インフルエンザ(H1N1)2009」になったようです。もうちょっと短くならないものですかねえ。通称であっても構いませんから短くならないと実用上不便です

通称:メキシコかぜでは

20世紀のスペインかぜ、アジアかぜ、香港かぜ、ソ連かぜ、そして21世紀になって、最初に世界的に流行したメキシコかぜではどうでしょうか


Seisan 2011/04/06 19:22
「メキシコかぜ」という表現は最初WHOでも使われそうになりましたが、メキシコ政府からの猛烈な抗議があって使えなかったという経緯があります。
豚インフルという表現も動物愛護協会だったかどっかからの抗議があったとのこと。いやまぢで(w

結局H1N1/2009という表現しかないのかな?

しかし、外車が買えるとは、思ってもみませんでした。
ウチはチョイ黒、ただし人件費を考えると、お疲れさま会の宴会費にはなったかなくらいでしたが(w
もし年明けにワクチン受け取り拒否をしなければ、大赤字になってたかもしれません。


霞ヶ関ヒラ官僚 2011/04/06 20:34
あのね、いいことをおしえといたげる。
本省課長以上の官僚っていうのはね、政治家の子分なの。
でね、権力と権限を持ってるけど決して責任を取らない(問われない)政治家先生のために一所懸命働くのよ。
だから、政治主導、という言葉が出てくるの。
あなた、おりこうさんだから、わかるわよね?
え?責任?
もちろん、課長以上の官僚は政治家先生に守られているから責任を取る事もとわれる事も無いわ。
それは、課長未満の官僚とあなたたち国民の皆様がとるのよ。
国民の皆様が望めば、課長未満の官僚をさらし首にして溜飲下げて、はいおしまい。
そんなことあたりまえでしょ。
なんど経験したらわかるのかしら。
ほんと、国民の皆様って、バッカよねぇ……


京都の小児科医 2011/04/06 22:49
>最初WHOでも使われそうになりましたが、メキシコ政府からの猛烈な抗議があって使えなかったという経緯

通称ならメキシコかぜでいいと思います。
スペインかぜ、アジアかぜ、香港かぜ、ソ連かぜがあるわけですし、
メキシコかぜ(インフルエンザ(H1N1)2009)


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ある予言、ある妄想。

ある予言、ある妄想。


1994年に、当時の中国の元首相の李鵬が、「あと20年たったら、日本という国はこの世に存在していないでしょう」とオーストラリアのハワード首相に言ったことがある。それを何かで読んで、当時の私はそれを、日本の国際的重要性が低下することの比喩だと思っていたが、今年3月11日の大地震と原発事故は、日本消滅に近い出来事であった。今年は、あの発言から17年後である。もしもこれから最悪の事態(西日本大地震など)が起こるなら、あと3年で本当に日本消滅という事態になることもありうる。
もしかしたら、今回の3.11事件は当時から既定の路線だったのかもしれない。つまり彼・李鵬は世界の支配者からそれを耳打ちされていたのである。確かに、当時の中国は上り坂ではあったが、まだまだ日本のGDPにはまったく及ばない状態であった。それが、その後の20年で米国と肩を並べ、一方で日本は3.11事件が起こったのである。その前、つまり1990年から日本はバブル崩壊と小泉改革による「失われた10年」「失われた20年」のために国富の大半を失い、経済的に疲弊していた。そして最後の一撃が3.11事件である。
これが人工地震であり、コンピュータ操作による意図的原発事故だとしたら、「彼ら」は日本を徹底的に破壊し、日本国民の多くを死亡させ、残りを貧窮のどん底に陥れる計画を実行したということだ。何のために? 彼らにとっては自分たち以外は人間ではないからである。そんな黄色い猿たちが偉そうに白人優位の世界を脅かし、経済的に圧迫する存在になったのが許せないのだ。
もともと、第二次大戦後に彼らが日本を経済的に支援したのは、白人(まあ、白人の一部のことだが)のためにせっせと働く「経済的奴隷」を作るためであった。だが、日本人は経済的に成功しすぎた。あらゆる方法で収奪しても、すぐに回復し、白人社会を脅かす日本人に彼らはほとほと嫌気がさしたのである。こういう目ざわりな存在は見るのも嫌になったのだ。だから、経済的利用価値は無視してでも日本民族を破滅させる決定を下したのである。
経済的には、彼らは日本など、実は必要としてもいない。彼らは先進諸国の中央銀行を支配しており、いくらでも紙幣を刷ることができるからだ。
世界の富のほとんどを手にしている彼らは、もう、他民族は抹殺して、自分たちにとって気持ちのいい世界をデザインすることに決めたのである。それが世界人口50億削減計画である。その手初めが、あの目ざわりな猿、日本人であった。もちろん、次には中国が、そして韓国が消滅するのである。どちらが先かはべつに問題でもない。
もちろん、こうした有色人種の一部は彼らの道具としてしばらくは生き残る。しかし、100年後には、それもすべて消滅させられる。かくして、22世紀の地上には美しい白色人種だけが存在する「素晴らしき新世界」が誕生することになるわけである。
まあ、H. G.ウェルズの「タイムマシン」では、醜い有色人種は地下に潜って白人のために食物や物を作り、白人は無為の生活のためにバイタリティを失ってしまうことになっているが、いずれにしても人類60億のうち50億は削減されるしかなさそうだ。
そういえば、我々の子供の頃は、世界の人口問題が大問題として論じられていたが、今は環境問題ばっかりである。つまり、どうせ世界人口が減るのは規定路線だから、論じる必要は無くなったということだろう。もっとも、彼らも原子爆弾体験をしていないから、原発事故で、地上に残る自分たちの環境までめちゃくちゃになることの計算ができていないようで、日本を核のゴミ捨て場にすればそれで済むと思っているようである。馬鹿である。

以上はただの妄想だが、「20年後には日本という国は存在していない」という予言は、ある意味では実現したとも言える。
しかし、「地震兵器」って本当にあるのだろうか? もちろん、米政府高官がその存在を認める発言をしていることは私も知っているし、1990年頃から世界的な大地震が異常に増えているのも分かってはいるのだが、それにしてもそんなものを使う基地外どもがこの世に存在するということが、どうにも信じ難い気がするのである。たぶん、多くの人がそう思うから、そういう考えは「陰謀論」の一言で世間には無視され、彼らの思惑通りに事は進んで行くのだろう。これはいったい妄想か? それとも真実か?

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