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人間として行動せよ

「阿修羅」記事とそのコメントを転載。
辰巳琢郎のこのブログ記事に対してガセネタだとか、煽動的だとかいう非難もあったようだが、多少誇張的である可能性はあっても、事実に近いだろう。何より、現地にいる人間から聞いた情報なのだから、それが現地の実感なのである。現場にいない人間が高みの見物で偉そうに論評するのとはわけが違う。(もちろん、現場にいない方が岡目八目で全体像は見やすいということはあるが)
コメント09の発言は、まさしくその通りである。こういう時に、規定がどうこうとか法律がどうこうとか言って、目の前で人間が死んでいくのを見捨ててよいはずはない。
また、救助に当たる人間も、その場では自分に全権があるのだと思って自己判断で行動するべきだし、上の人間は部下にそういう権限を与えるべきである。任務命令は出しながら判断権限は与えないということが、いかに事なかれ主義のお役所仕事の温床となってきたことか。いや、それはお役所に限らず、多くの組織に見られる病弊なのだが。


(以下引用)



辰巳琢郎「子どもの餓死、死体の山…」石巻市の救援が行き届かない現状を代弁(シネマトゥデイ)
http://www.asyura2.com/11/senkyo110/msg/339.html
投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2011 年 3 月 20 日 12:31:02: d1qFhv8SE.fbw


 避難所で体調を崩して死亡された人が数多く居ることは
 報道されていたように思うが、食糧が無くて餓死しているというのは
 初耳のような気がする。

 これが本当だとしたら、菅政権の対応は、あまりにも杜撰すぎる。

 犯罪的な怠慢だろう。

**********************

辰巳琢郎「子どもの餓死、死体の山…」石巻市の救援が行き届かない現状を代弁(シネマトゥデイ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110319-00000001-flix-movi

俳優の辰巳琢郎が、東日本大地震で被災した宮城県石巻市の友人が訴えた命のメッセージを自身のオフィシャルブログに掲載し、いまだ救援が行き届かない被災地の現状を代弁した。

 辰巳は15日に「地獄…」と題したブログで、安否を心配していた石巻市の友人と衛星電話で会話したとつづり、被災地の実情を多くの人に伝えてほしいと頼まれた。そして、「死体がゴロゴロなんですから。避難所にいるのに、食糧がなく、子どもが餓死してるんですよ」とメディアでは大きく取り上げられていない現状を記している。

 この衝撃的な訴えを公開した辰巳だが、「友人のいる避難所に救いの手を…」と訴えるためだけにつづったのではない、間違えないでほしいと18日に更新したブログで語っている。辰巳がほかにも伝えたかったメッセージは、テレビで報道される内容の表面だけを見るのではなく、奥にあるものを考えるということ。「被災地のこれからのことを想像してください。長い長い支援が必要でしょうから、この出来事をしっかり心に刻みつけて欲しい」と辰巳は訴えている。
 

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コメント
01. 2011年3月20日 12:39:31: AkfjoVUw82
人災をマスコミは報道せよ !

03. 2011年3月20日 12:59:48: lRYfivAqeo
管屑の遣って居る事は、己の保身ばかりです。原発事故の対応も後手後手に回り、
上手くいかないと、全て丸投げする卑怯者だ!!!
自衛隊員、消防隊員、東電現場職員、を危険に曝し何一つ成功していない。

折角助かった命を、何故助け出さないのか?無能な官屑一派執行部は現場に行って指揮を取れ!民主党全員一丸となれ!小沢さんの力を借りるべきでしょ!!


04. 2011年3月20日 13:18:04: xDSRSBQsrs
棄民政策だ。
小沢を総理に。

05. 2011年3月20日 13:56:18: rWmc8odQao
参考まで。海外メディアはこのように伝えてます。
http://player.vimeo.com/video/20987706


[削除理由]:URLの紹介時には、その内容を表すタイトルが必須
06. 2011年3月20日 14:51:10: B5OLAOAHiY
>>05
海外ビデオを見ると、屋上にHELPとかSOSとか英語のメッセージが多いですね。
外国人は日本人がみな英語を話しているか少なくとも解すると思いそう。

07. 2011年3月20日 20:09:42: WBpywHtE5w
安住!何してるおまえの地元だろ!
御自慢の秘めたる裏工作で地元を救え!

威張り散らすだけで何の役にも立たん!


08. 日高見連邦共和国 2011年3月20日 20:35:00: ZtjAE5Qu8buIw : QU6BwGaBvk
安住かあ~
まっこと、あの御仁、どこで何をなさってるのやら。

どっかの会合で涙目・ヘロヘロで援助を乞うていた惨めな映像が流れてたなあ~


09. 2011年3月21日 07:20:13: MoJp1THWBI
「現場から、援助要請がでていない」
だから、援助しない!
「航空機から荷物の落下は禁止されている」
だから、援助物資を落下傘投下しない!

マニフェストは平気で反故にし、法人税減税、消費税増税などは勝手にするくせに、非常時になにもできないのは、
アホ、馬鹿、無能、下劣などの言葉以下。

私は菅を人間として認めない。


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私は沈黙していた。(承前)

びっくりした美浜原発細管破断事故!
 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

もんじゅの大事故
 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない
 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い
 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理
 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物
 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別
 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない
 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。



優しい地球 残そう子どもたちに

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筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

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e-kochi

原子力発電がなくても暮らせる社会をつくる国民会議
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IAM


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私は沈黙していた。それは自分の事ではなかったから。

「独りファシズム」経由の記事だが、これまでは他人事としか思っていなかった原発問題が、自分たちの身にふりかかってきた今だからこそ読むべき文章である。私もここに書かれた内容のあらましは知っていたし、この文章の一部も読んだことはあった。だから原発反対の思想は持っていたが、そのために運動することはしなかった。なぜなら、日本において反原発運動をすることは、この社会でありとあらゆる不利益を甘受することを意味したからだ。つまり、既得権益層の悪事を暴くことは、既得権益層、すなわち権力の側の人々の敵になること、あらゆる弾圧を受けるこを意味するのである。自分だけならまだしも、家族にそういう運命を受けさせることはできない。おそらく、社会悪に沈黙する人々の多くの気持ちはそんなものだろう。しかし、そうした沈黙の結果が今回のような大惨事になったのである。これは東電社長一人を断罪して済む問題ではない。また、だからといって一億総懺悔をして責任をあいまいにしてもならないことだ。
我々は、下記の文中にある女子高生の悲痛な叫びに耳を傾けなかった。その結果、今度は無数の人命が失われることになったのである。



(以下引用)


  原発がどんなものか知ってほしい

原発がどんなものか知ってほしい(全)
平井憲夫

私は原発反対運動家ではありません
 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

私は原発反対運動家ではありません
「安全」は机上の話
素人が造る原発
名ばかりの検査・検査官
いいかげんな原発の耐震設計
定期点検工事も素人が
放射能垂れ流しの海
内部被爆が一番怖い
普通の職場環境とは全く違う
「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
だれが助けるのか
びっくりした美浜原発細管破断事故!
もんじゅの大事故
日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
日本には途中でやめる勇気がない
廃炉も解体も出来ない原発
「閉鎖」して、監視・管理
どうしようもない放射性廃棄物
住民の被曝と恐ろしい差別
私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
原発がある限り、安心できない
著者 平井憲夫さんについて
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私は原発反対運動家ではありません。
 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話
 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発
 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

名ばかりの検査・検査官
 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計
 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が
 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

放射能垂れ流しの海
 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い
 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

普通の職場環境とは全く違う
 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか
 また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

(続く)

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『恐怖の報酬』

「asahi.com」より転載。
もちろん、福島原発事故のためだろう。逃げる場所がある人間はいいが、関東が生まれ故郷である人間はそう簡単に関東脱出はできないだろう。それに年寄りには放射能の影響はそれほど無いとも言うから、乳幼児・子供・若者をまず「疎開」させるのがいいのではないか。

ついでに、福島の避難場所や待機場所に物資が届かないという問題について、運送屋が放射能を恐れているからだと言われているが、これを解決するのは簡単な話である。ドライバーや作業員に大金を支払って行かせればいい。生命に関わる危険な仕事を通常の給料で使おうというケチなやり方が通用するはずがない。私はむしろ、会社命令を拒否した労働者の勇気を評価する。
将来の放射能後遺症発症可能性に対する報酬としてどの程度が妥当かは、労使双方が協議すればよいが、あまりケチな金額にしないことだ。今は時間との戦いだから、一人1000万円くらいも出してはどうか。放射能後遺症が出ない可能性もあるのだから、いいギャンブルである。いわば『恐怖の報酬』である。
福島原発の事故処理をしている末端労働者にも一人1億円ずつ支払うべきである。本人が死んだら、その家族に支払うと決めれば、自ら志願して行く人間もいるだろう。まあ、その中には東電社長は必ず入れねばならなが。もちろん、無給でだが、その財産もすべて国家が没収して事故費用の一部に充てるべきだろう。その他の東電経営陣も同様だ。


(以下引用)


米、チャーター機で退避を開始 仙台へバスも手配2011年3月18日23時32分


. 【ワシントン=村山祐介】米政府は17日、日本にいる米政府職員の家族を対象に自主退避の許可を出したことを受けて、チャーター機やバスを使った被災地や日本からの退避支援を本格化させた。

 国防総省のラパン副報道官は17日、本州に住む米軍人、国防総省職員の家族らの国外退避を進めていることを明らかにし、対象は「数千人規模になりうる」と述べた。必要に応じて米軍機の利用も検討する。また、すべての国防総省関係者の家族に対し、自主退避許可措置が解除になるまで本州への訪問を見合わせるよう指示したという。

 また、国務省のケネディ次官(管理担当)は17日の会見で、日本時間の同日夜に外交官の家族ら約100人を東京からチャーター機で台北に退避させたと明らかにした。18日も東京からチャーター機を最大2便手配する。仙台市には17日、東京への退避のためバス14台を向かわせた。最大で約600人を輸送する。

 一方、AP通信によると、ナポリターノ国土安全保障長官は同日、日本からの乗客・貨物について放射能検査を実施していることを明らかにした。米税関・国境警備局によると、シカゴやシアトルなどの空港で日本発貨物から放射能が検出されたが、いずれも有害な水準ではなかった。
.

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民は知らしむべからず、依らしむべし

天木直人は頭がお坊ちゃん的で判断が甘く、鳩山前総理の同類だが、鳩山前総理と同様の善人だと私は見ている。だから普通の場合、批評家としては評価できないが、外務関係ではさすがにその道で生きてきた人間だから、下記の事態の判断は正しいだろうし、裏情報のコネクションもあるだろう。
国民の生命に直結する情報を国民に隠す政府を我々は持っているのである。つまり、太平洋戦争の頃の情報統制・大政翼賛会政治から一歩も進んでいないのだ。いや、江戸時代から変わらないのかもしれない。


(以下「阿修羅」より引用)


天木直人のメールマガジン2011年3月18日発行 第187号 
 
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  外国人の国外退去を隠そうとした日本政府
            
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 いまでこそ各国政府が日本からの国外退去を命じていることが
大手新聞各紙で報じられるようになった。18日の各紙が様々な
形でそれを報じている。

 その中で私は18日の朝日新聞の記事に注目した。その記事は要旨
こう報じている。

 17日までに大使館の一時閉鎖を正式に通報してきた国は外務省
によると、イラク、バーレーン、アンゴラ、パナマ、クロアチア、
コソボ、リベリア、レソトの8カ国である。しかし正式な通報はない
ものの事実上大使館を閉鎖している国は相当数あるという。

 この奇妙な記事が意味する事を私が解説して見せよう。

 影響力のない小国がいくら撤退したところで影響力はない。だから
外務省は発表する。

 しかし、米、英、仏といった主要国が大使館を閉鎖したらその政治的
ダメージはどうか。

 菅民主党政権はついに国際社会から見限られたということになる。

 だから政府・外務省はたとえそのような動きがあっても、それを正式に
認めたくないのだ。おそらくかなりの数の大使館が通報なく避難をはじめ
ているに違いない。

 主要国が正式に撤退を通報してこない裏に何があるのか。

 それを推測させてくれるに十分な情報を私は偶然にも個人的つながり
で入手した。

 日本政府が口止めしていたのだ。

 日本の原発事故について海外ではどう見ているのか。その事について
私の知人の何人かからメールで情報が寄せられてくる。

 国内の報道との格差には驚くばかりだ。

 放射能汚染に対する危機意識がまるで違う。

 日本政府の対応に対する不信は驚くばかりだ。

 そんなメールの中で、日本に進出しているドイツ外資会社の幹部の
奥さんから次のようなエピソードを聞いたと教えてくれるメールが、某国
在住の友人の一人から寄せられた。

 ドイツ大使館が在日ドイツ人に国外退避を呼びかけた(これについては
16日の産経新聞が在日ドイツ大使館がウェブサイトを通じ15日までに
呼びかけたと報じていた)。

 ところがそれに対し、「国外退去をすすめた事実は公けにはしないで
欲しい」と日本政府からドイツ大使館に要請があったというのだ。

 これにはさすがにドイツ大使館も驚いたという。

 日本政府は国民に本当のことを知らせないのか、と。

 日本国民をいたずらに動揺させてはいけないという口実の下に、政府に
都合の悪い事は隠そうとしているのではないか。そのような疑問が菅・枝野
両名の言動には常につきまとっていたが、その動かぬ証拠を見つけた思いだ。

 一事が万事だ。

 私の菅民主党政権に対する信用はとっくの昔に失せていたが、このエピ
ソードを聞いてからは、菅民主党政権のあらゆる言動がウソ臭いと思う
ようになった。

 危機を食い止めることよりも、如何にして国民の批判が政府に向かわない
ようにする、その事にエネルギーを投入しているように思えてならない。

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町が全滅しても行方不明者ゼロ?

「ゲンダイネット」から転載。日刊現代の目次の一部も含めて掲載する。菊田政務次官の「エステに買い物」記事なども面白そうである。まあ、国家の非常時だからといって、外国にいる自分には何もできないのだからという気持ちは分かるが、さすがにエステなどやっている場合ではないだろう。このあたりが官僚の本性というか、本領というものか。
それはさておき、下記の記事は非常に重要な指摘である。言われてみれば当たり前のことだが、公の発言として聞いたのは初めてだ。なるほど、警察というものは「失踪届」があって初めて行方不明者としてカウントするのである。ならば、町全体が水没したなら一人も行方不明者はいないという理屈だ。マスコミの人間ならそういう基礎知識(裏知識)は持っているはずだのに、それを誰も口に出さないとは、この国のマスコミはどこまで国民を馬鹿にしているのか。まあ、馬鹿なんだけど。とにかく、マスコミの言うことなど信じると、それこそ馬鹿を見るってことです。


(以下引用)


テレビは「行方不明者は推定16万人」と、なぜ伝えないのか
東日本大震災のテレビ報道が話にならない。とりわけ「発表報道」に傾斜しすぎ、発表のブレに応じて右往左往する姿は目も当てられない。

もっとも有害なのは警察が確認した死者数と警察に届けが行方不明数を足して、「死者・不明1万2000人超」とする発表報道。NHKが典型である。

津波映像を見れば、一家全員や近所に住む親戚が丸ごとのみ込まれたケースがあるのは当然。すると、誰も行方不明者を届け出ない。それは数える必要も、報じる必要もないというのがテレビや大新聞の考え方だ。

その結果、「死者・行方不明は5日目で1万人ちょっと。増えても2万~3万人か」という印象を人々に与え、社会をミスリードしてしまう。これは「誤報」に近い問題報道だと私は思う。

例えば岩手県陸前高田市の面積は232平方キロで宅地が2.5%。2万3000人が2.4キロ四方に住んでいた。その市街地が津波で壊滅し、避難民が約9000人。だから行方不明者は1万4000人である。

これに自治体首長などが不明者数を語った大槌町1万人も南三陸町8000人、女川町5000人を加えれば、4つの自治体だけで行方不明者3万7000人なのだ。

このような自治体が岩手県、宮城県、福島県と30近く並ぶ。人口は1万~数万が多い。計算過程を記す紙幅がないが、現段階での行方不明者の推定数は約16万人である。

むろん阪神・淡路の死者6400人とはケタ違い。関東大震災か東京大空襲か広島原爆級の行方不明者が出た大災害に私たちは直面している。

そう認識して初めて何をなすべきか分かる。その大前提すら伝えないテレビや大新聞の報道とは何なのか?
(ジャーナリスト・坂本衛)

(日刊ゲンダイ 2011/03/17 掲載)

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他に、「深夜の避難所で大パニックが起きていた~自衛隊が逃げた!」
「(黄色スーツの)菊田真紀子外務政務官はジャカルタでエステに買い物三昧」
など、紹介したい記事がたくさんですが、本紙をどうぞ。

気になる「枝野の会見」
例えば、「避難していただきたい、と思っております」と言う。
「思っております」は本人の意見、感想、推測…。なぜ「避難してください」となぜ言い切らないのか。
(政府の)決定事項ではないのか。個人の意見・感想を語る場ではない。
また、「―と報告を受けております」と言う。
<オレは報告があったことを伝えているだけ…><間違っていてもオレは知らない>
と私には聞こえる。
いずれも、己の保身、責任回避を優先するヤツにありがち…。

専門用語、官僚言葉、カッコ(体裁)ばかりでつくろう。
分かりにくい会見は今後も続く…。

■ふざけた人事…仙谷氏起用に批判 (3/18 時事通信)

【ゲンダイネット】

◆「民放はこの局は原発報道だけ、この局は安否情報だけ、この局はバラエティーと思い切った放送を」
被災したサンドウィッチマン会見 (3/17)

◆なぜ自衛隊を使って被災地に食料、毛布を投下しないのか
話にならない無能バカ政府 (3/16)

◆何から何まで後手後手、右往左往の無能ぶり (3/14)

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スケープゴートを作るな!

またしてもマスコミ・権力お得意のスピンである。この期に及んでも誰かをスケープゴートにして吊るし上げ、そこに話題を集中させて自らの責任をあいまいにしようという腹だ。それと同様なのが、某芸人のブログ発言がきっかけで英国新聞に日本を励ます記事が書かれたとかいうことでその芸人を英雄扱いするスピンである。どちらも下らない話である。医師が高齢者を残して避難しようが、誰に責められる? 最後まで残ってその場で死ねと誰に言える? また、英国新聞に日本激励の記事が出たところで今の日本にとって何の意味がある? マスコミの愚劣さは死んでも治らないようだし、そういうマスコミに騙される日本人が無数にいるという状況もまだまだ続きそうである。

ついでに暴言を吐かせてもらう。寝たきりの病人や認知症の老人は救助作業の最後に置くべきである。老人や病人自身、あるいはその家族もその覚悟を持つべきだ。彼らを救うために前途有為な人間が死んでいくというのは逆立ちしたやり方である。もちろん、幼児や子供は最優先で助けるべきだ。50年60年も生きてきて、このような災害時にまで、まだ生にしがみつくのは見苦しいと思うべきである。まあ、人生観は人それぞれだから、自分の命がすべてに優先するという考えの人間がいてもいいが、あの津波の時に、赤ん坊とその母親の救助を優先させるように申し出て、自らは津波に呑みこまれた人間も何人かいたということをよく考えるがよい。



(以下引用) 




高齢者残し、医師ら避難か=原発圏内の病院-福島(時事通信)
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/596.html
投稿者 いいげる 日時 2011 年 3 月 17 日 23:50:27: Xn2tbFdBriSHs


高齢者残し、医師ら避難か=原発圏内の病院-福島
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031700997&j4&rel=my

 事故が相次ぐ福島第1原発(福島県大熊町)の10キロ圏内にあり、避難指示が出た同町の双葉病院で、患者を避難させるため自衛隊が到着した際、病院内は高齢の入院患者128人だけで、医師や病院職員らがいなかったことが17日、分かった。県災害対策本部が明らかにした。
 同病院の患者のうち14人は、避難途中や避難先の県立いわき光洋高校(いわき市)で死亡した。
 対策本部によると、官邸危機管理センターは14日未明、原発の10キロ圏内に取り残された住民について「明け方までに避難させること。避難しない場合は責任を取れない」と県に指示したという。
 県は自衛隊に救助を要請。自衛隊は14~16日にかけ、バス3台を使って双葉病院から128人を搬出した。しかし、隊員が病院に到着した時点では、300人を超える患者のうち、寝たきりの高齢者らだけが取り残され、病院関係者はいなかったという。
 自衛隊は患者の被ばく状況を調査した上で、避難所に移動させた。
 県の担当者は「病院職員がいないことはあり得ない。放棄ととられても仕方がない」と批判。同病院を運営する医療法人「博文会」関係者は取材に対し、「理事長と連絡が取れず、事実関係は分からない」としている。(2011/03/17-20:52)  

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コメント
01. 2011年3月18日 00:05:05: cqRnZH2CUM
予想通り、インフラ崩壊が始まっている
まあ、これだけ政府批判や危険を煽るデマ情報が
溢れていては、責められないな

02. 一隅より 2011年3月18日 01:00:36: PnbUj1IYwR18o : EDdl3oR2Vp
>県の担当者は「病院職員がいないことはあり得ない。放棄ととられても仕方がない」と批判、ということです。
しかし、安全な家にいるだけの自分などには、何もいえない。
役に立つ技術も知識もないのが残念なばかりです。

医療関係者はじめ、自治体、消防、警察、自衛隊、電力会社、運輸の方々などなど、皆さまに感謝します。


ただ、上記の記事のなかで、
>『官邸危機管理センターは・・・「明け方までに避難させること。避難しない場合は責任を取れない」と県に指示した』

と読んで、ほとんど絶望的な気分になりました。

暖かい東京にいて、「・・・させろ。させなければ、自分たちは《責任を取れない》」というのが、人の上に立つ、国のトップにある、「官邸」とは。



03. 2011年3月18日 02:12:35: IEvZBtjwq6
14日、東京の各国大使館に伝えられたこと。
「11日の最初の爆発で、作業員が20名死んでいる。」2011 年 3 月 17 日 http://bit.ly/bl3Pd9

04. 2011年3月18日 02:50:03: OWVxv8NGOE

誤報訂正されました。
福島県の担当者は、産婦人科医が不当逮捕後に無罪になった大野病院事件の仕返しでもしたつもりだったんでしょうかね。双葉病院はその事件の舞台の一つです。


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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031711330032-n1.htm

避難所で高齢者ら14人が死亡 福島県いわき市
2011.3.17 11:32

福島県立いわき光洋高校(いわき市)の避難所で、病院や介護施設から避難してきた高齢者ら入院患者14人が死亡していたことが17日、分かった。

 亡くなったのは、男性6人、女性8人。全員が要介護者だったという。

 県災害対策本部などによると、福島第1原発の20キロ圏内で避難指示が出たことを受け、14日に双葉病院(大熊町)などから128人の入院患者が、自衛隊のバスでいわき光洋高校に避難。別の病院などに移るために一時的に避難所で待機してたが、16日までに14人が亡くなった。そのうち2人はバスの移動途中で亡くなったという。

 当時、避難所には医師1人、看護師2人など医療スタッフがいたが、医療機器が最低限しかなく、畳の上に毛布を敷き、寝ていたという。ヒーターで暖はとっていた。16日までにほとんどの患者は別の病院などに移ったという。

 同校の校長は取材に対し、「とにかく異常なことが次から次へと起きている。今はまだ混乱しているしか言えない」と話している。


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http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031800030

「避難時に院長いた」=福島県が訂正発表

 福島県は17日夜、福島第1原発の事故で避難指示が出た双葉病院(福島県大熊町)で高齢者らが避難する際、医師や病院関係者らがいなかったと同日発表したことについて、自衛隊の救出時には院長がいたと訂正した。
 県によると、同病院は原発から10キロ圏内にあり、自衛隊が14日から15日にかけ3回に分けて高齢者を救出。院長は1回目の救出時に立ち会っていたという。
 院長は県に対し、救援を求めるため病院の外に出たが、原発で事故が相次ぎ、戻るのを断念したと説明。他の病院スタッフも途中からいなくなったという。(2011/03/18-01:18)


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