忍者ブログ

こなごなに砕かれた 鏡の上にも新しい景色が 映される

最近は小言幸兵衛みたいな文句つけ記事が多いこのブログだが、せっかくのGWだから、少し爽やかな記事を引用しよう。
『千と千尋の神隠し』の主題歌として使われた「いつも何度でも」の歌詞が東日本大震災と福島原発事故で半壊状態になった日本の現在と未来を予見していたという印象を持っている人は多いだろう。有名な「ウクライナ美女が歌う『いつも何度でも』」をユーチューブなどで見た人も多いはずだ。
先日のアイススケートモスクワ大会でスミルノフ・川口ペアがエキジビションで踊った演技にこの「いつも何度でも」が使われ、感動を呼んだらしい。その感動を記したのが下記引用の1で、「いつも何度でも」の歌詞が引用その2である。この歌詞をじっくりと味わって、これからの日本に思いを馳せるのもいい休日の過ごし方ではないだろうか。
下記記事1は「ときどき休みます」というブログである。ほのぼのとしたブログで、私は好きだ。


(引用その1)

映画に行きたかったけれど、GW真っ只中の映画の日ではそうとう混雑するだろうなあと諦める。夕方から雨。夜にカミさんが、フィギュアスケートのエキシビション(上手に言えない)を見ていたので今夜も肩口から覗き込む。しばらく見ていると、アレクサンドル・スミルノフさんと川口悠子さんのペアがはじまるところで、場内に『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」が流れて驚いた。ふたりのスケートは特別この楽曲のためにという振り付けでもないのだろうが、最初からぐっと惹きこまれて、もはやこの振り付け(滑り)以外には考えられないというくらいぴったり馴染んでいた。

あの日を境にあらためてこの曲、特に歌詞を聴くと、なにかを知っていてなにかを伝えるためにこの歌が作られたとしか思えない。またまたそんな大げさなこと言って、と思うならば、どうか歌詞を検索してみてください。実際の演技もいまならばYOU Tubeで見られます(たぶんすぐ削除されるでしょうが)。被災した人々がというより僕が、身震いするくらい感動して、もう途中からポロポロ泣いてしまった。さまざまな人がさまざまなことを言い、歌い、演じ、行動するのを見てきたなかで、僕としては今夜のこのロシアのスケートペアとジブリの歌の取り合わせにいちばんやられた。「歌の力」はこれだとはじめてわか
ったような気がした。


(引用その2)

「いつも何度でも」歌詞




 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー


 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに
 見つけられたから

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 

拍手

PR

ウサマ・ビン・ラディンなる虚像の死

「テロとの戦い」がアメリカの自作自演であり、その発端となった9.11もアメリカの自作自演であったことはインターネット上では常識に近いが、「嘘も100回繰り返せば真実になる」から、表マスコミしか情報源の無い一般大衆、いわゆるB層の中にはまだ「テロとの戦争」を本気で信じている人間もたくさんいる。そうした人間の中にはウサマ・ビン・ラディンがまだ生きていると思っていた者も多いだろう。下記記事にあるように、彼は何年も前にとっくに死んでいる。ウサマ・ビン・ラディンはアメリカによって作られた「テロの広告塔」、虚像にすぎない。要するに、今回の「ウサマ・ビン・ラディンの死」は、「ほら、ウサマ・ビン・ラディンはちゃんと存在しただろう。だからテロリストたちはいるんだよ」と言うための宣伝活動である。もちろん、「テロリスト」とはアメリカのCIAが雇っている連中にすぎない。冷戦が終わって仕事が無くなった軍隊とCIAの存在を維持するために活動しているのである。こんなのは少し注意すれば誰にでもわかることだが、世間の人間の8割くらいはこれが見えていない。


(以下「東海アマ」ツィッターから引用)


tokaiama 東海アマ管理人
オサマの死体、まだDNA照合が済んでないらしい。ホンモノのはずがない。2002年に腎臓病で死亡したとCIA報告があったしブットが暴露して殺害された経緯 http://p.tl/6oAZ この写真はニセモノ http://ow.ly/i/b2n2
8時間前 »
tokaiama 東海アマ管理人
新聞に公開されたオサマの目の潰れた死体写真は、やはりニセモノだったらしい。ホンモノは側頭部を打ち抜かれて未公開と。しかし死体はすでに水葬とロイターが伝えてる
8時間前 »
gloomynews deepthroat
tokaiamaがリツイート
CNNが今頃こんな速報。オサマ・ビン・ラディンの遺体から採取したDNAの照合がまだ進行中と。側頭部を撃ちぬかれた遺体の写真があり、それを見れば誰でもビン・ラディンと判別できると。遺体写真を公開するかどうかは未定と。 http://goo.gl/YdKdk
9時間前

拍手

争うより、助け合おう

「井口和基のブログ」から転載。

私のブログも、このところいつもいつも社会悪への怒りや批判の内容が多かったので、今日は気分直しに精神浄化(などと言うと宗教系の話かと思われそうだが、私は宗教は概して嫌いである。と言うより、今のキリスト教はキリストの精神や思想を失っているし、仏教は釈迦の精神を失っている、新興宗教のほとんどは教祖の金儲けと権力獲得の手段でしかないと思っている)の内容の記事を引用する。

私は闘争や競争というものが大嫌いである。だからスポーツも嫌いだ。ゲームも、相手があるゲームは好まない。つまり、それらのすべてにおいて「勝利は必然的に敗者を作りだす」からである。私は、自分が勝っても嬉しくない。それで負ける人間の気持ちが分かるからだ。自分の勝利も誇る気にはなれない。そのほとんどは偶然によるものだからだ。
だから、勝敗によって報酬配分を変え、人間を序列化していくという資本主義のシステムも好まない。

競争によって社会は発展するというのは確かだろう。競争が無ければ、努力する人間はいなくなる、というのもある程度は正しいだろう。
しかし、人間の人間的活動(創造的活動)の原動力は、実は競争ではない。それはその活動そのものの与える喜びや快感にあるのである。

人間は動物的な闘争の社会から脱出し、闘争をやめて互いに協力しあうことで、人間の文明を作りだした。その動物的闘争がまだ残っているのが、経済的闘争のシステム、つまり資本主義のシステムであり、これは人間が克服すべき最後の野獣性だというのが私の考えなのである。


(以下引用)


生物のすべてが本能的にあらかじめデザインされた役割を果たす限り、
宇宙は生きるものすべての面倒を見ている。
魚は海に遊泳料を支払う必要はない。
人間も成功するようにデザインされているはずだ。
−− R. B. フラー

みなさん、こんにちは。

こういうゴールデンウィークの時期こそ、この宇宙と一体となり、この宇宙の声に耳を傾けてみる。あるいは、いつもは嘘だデマだ眉唾だ、トンデモねえものだ、といって簡単に片付けていることを自分なりに調べてみる。こういうのを本当の命の洗濯、魂の浄化というと私は考えている。

かの20世紀の超人といわれた建築家のバックミンスター・フラーは、1920年代のアメリカの大不況の時代に、事業が倒産。ほぼ自殺しかないところまで追いつめられたという。しかし、彼は「なぜ自分が自殺に追い込まれることになったのか」自問自答の日々を送ったという。

その結果、「自分には金はない。学歴もない。身体も小男。財産も失ってしまった。今できることは考えることだけだ。この世界を感じ取ることだけだ」、「考えることはただで出来る」と認識し、毎日「考えること」に集中したという。

そこから「宇宙はそもそもこの宇宙にあるものすべてを育むことにその目的がある」、「この宇宙自体に背かない限り、自分自身の人間としての存在そのものに意義があり、かならず成功するように宇宙は成り立っている」。

ところが、「これまで自分個人の成功だけを望み、家族の成功を望む」そんなことばかりを願って生きて来た。つまり、「エゴのために生きて来た」。その結果が「このざまだ」。そして、「このエゴを貫く為に自殺しよう」としたと理解したという。だから、これからは「自分のエゴのために自分の身を滅ばす(自殺する)」のではなく、「エゴを殺して利他的に生きよう」、「自殺する」のではなく「自らのエゴを殺そう」と考え方を変え、それに応じた行動をとるようにしたという。

こうして行くうちに、「ダイマキシオン・ハウス」、「ダイマキシオン・カー」、「宇宙船地球号」、「フラードーム(ジオデシック・ドーム)」、「トラス構造」、「テンセグリティー構造」、「シナジー」、「インテグリティー」、「シナジェティクス」、「プリセッション」などなどのさまざまな概念を創始することが出来、いつしか「20世紀最大の建築家」とまで呼ばれることになったのである。

このすべての始まりが「エゴを殺して生きる」というところから始まったのである。是非フラーの「クリティカル・パス」



や「バックミンスター・フラーの世界」



を読んでもらいたいものである。



拍手

公務員は国民の敵ではない

「つむじ風」ブログの筆者飄平氏は私が深く尊敬するブロガーの一人だが、下に引用する記事はいただけない。おそらく、大地震・津波災害以来、被災地の公務員は、その地でもっとも働いている人々のはずである。ふだんの場合の「役人優遇」を批判するのとは話が違う。
そして、労働に対しては対価が支払われるのが当然であり、あらかじめ決められた賃金を払わないというのは不法行為である。非常時だから不法行為をしていいと言うのなら、災害時には強盗・略奪をしてもいいと言うようなものだ。
私はふだんは公務員優遇には批判的であるが、だからと言って、こんな場合の残業手当のことで公務員批判をするのは間違っていると思う。働いた人間にはその分の報酬を出すのは当然ではないか。しかも、労組は残業報酬の一部を復興への寄付金とすることを勧めているという。
「非常時だから」やり方を変えるということは、仕事の進め方などならあっていい。だが、「非常時でも」変えてはいけない部分もある。それが人権に関わる部分である。労働の対価としての給与は生活の基盤であり、最大の基本的人権(生存権)なのである。
ついでながら、義援金が公務員給与に転用されるということは無いと思う。給与はあくまで年間予算の人件費から払われるものだろう。



(以下引用)


2011-04-30この期に及んで残業代満額要求とは?! 宮城県名取市!!
宮城県名取市!
あの悲惨な大津波の被災都市だ・・・・
職員の多忙も激務も分かる!
が、全てを失った被災者も多いというのに・・・・・
役人天国が、国を滅ぼす!!



 この分では、義捐金も役人に喰われてしまう。ボランティアで寝食忘れて援助している人々も多いと言うのに、公務員の残業手当3000円/時を満額請求する市職員労組。






 魂が腐っている。取り分け、労組は現代の役人マフィアだ。


 震災で全てを失った人、仕事を失った人、着の身着のままの人々が大勢居るというのに、これはないだろう。おかしいと思わないのが不思議だ。


 このままでは、義捐金も役人の経費に喰われてしまう。義捐金詐欺とはここに存在する。公務員労組は、官僚以上に特権を行使している。


 世も末だな。


 怒れ! 許すな! 偽善の役人を天誅にせよ。公労組という特権階級を解体する必要がある。このままでは、役人という特権階級と市民奴隷の世界が展開する。


 




【転載開始】河北新報社記事

名取市職員の3月残業代 市長が半額カット 県、是正指導

 宮城県名取市で東日本大震災の対応に当たった市職員の3月分の超過勤務手当が1億6000万円に膨れ上がったため、佐々木一十郎市長が半額カットして支給したところ、市職員労働組合が反発、県の是正指導を受けて正規の通り支払われることになったことが27日、分かった。未払い分約8000万円は、5月支給の給与に上乗せされ支払われる見通し。

 市によると、削減対象となったのは3月11日以降の震災対応の残業や深夜・宿直勤務、休日出勤で発生した超過勤務手当。管理職を除く市職員530人分で、4月21日に支払われた。

 超過勤務は1人平均約100時間、約30万円だったが、15万円カットされ約15万円が支払われた。消防や水道復旧に携わった職員の中には、月200時間を超えたケースもあった。

 同市の超過勤務手当は年間約2億円だが、1カ月でその8割を占めたことになる。

 佐々木市長は「震災で無収入の市民が大勢いる。避難所では多くのボランティアが無給で働く。そんな時に基本給がある市職員が、割り増し手当を満額受け取るのは市民感情として許されない」と削減した理由を語る。

 削減に労組側が異議を唱え、事務レベルで交渉したが物別れとなった。その後、この情報が県に寄せられたという。

 県市町村課は「明らかな労働基準法違反で、罰則規定もある。市民感情というが、法令上は許されないこと」と市に是正を求めた理由を語る。

 市職員労組の足利弘昭委員長は「被災した市民のため、超過勤務手当の一部を役立てられないかと組合で検討しようという矢先に有無をも言わさぬ形でカットされたため、組合員の中に反発があった」と説明する。

 労組は支給される手当から復興財源として市に寄付するよう、組合員に呼び掛けていくという。

2011年04月28日木曜日【転載終了】

投稿者 飄平 日時 2011-04-30 17:38 竹原革命 | リンク用URL

拍手

我々は他人の不幸に平然と耐えきれるほどに勇敢だ

井口和基氏のブログから転載。タイトルはラ・ロシュフーコーの言葉だったかと思う。

根本的に原発というのは「原爆の核反応を容器内に閉じ込めて制御する」という非常に無謀な行為であり、しかもその核廃棄物を処理する手段は無い(人間が居住していないところを見つけて捨てるしかない)のだから、その存在自体があってはならないものだろう。それが50年以上も稼働してきた中で、周囲には様々な放射能被害があり、小さな事故も無数にあったのだが、それらのほとんどは隠蔽されてきたために原発に反対する声は大きなものとならなかった。それが日本にとって最大の不幸である。
今回の福島原発事故は「起こるべくして起こった」ものであり、「想定外」の出来事でも何でもない。
科学教を信じる信者は、おそらく今回の大惨事にも何一つ反省はしないだろう。「科学の進歩に犠牲はつきものだ」と、彼らは心の底で思っているのだ。言いかえれば「金のためなら多少の犠牲は仕方がない」ということだ。「自分が安楽な暮らしができるなら、原発立地地帯の人間が放射能被害に遭ったってかまうものか」ということだ。だが、今や死の灰は日本全土に降りかかっている。
まあ、「ただちに健康に害はない」と政府は言っているし、「長期的に見れば、我々はみな死んでいる」(ケインズ)のだから、のんびりと死んでいくか。

これからの子供たちには、ただ自分たちの無力を詫びるしかない。


強欲資本主義のモットーになりそうな言葉。

「自分が一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅んだってかまうものか」
(ドストエフスキー『地下生活者の手記』より)



(以下引用)



問題なのは、原子炉を直に設計し、現場監督として、その製造過程からすべて指揮し、監督して来たその本人が、地震のない国アメリカで設計された、GEの原子炉構造







(スカートとは、この図の金色の部分)

は地震国の日本には適さないと言っていることである。特に、格納容器と圧力調整プールを繋ぐ「スカート」と呼ぶ部分の構造は実に華奢で、地震による垂直の突き上げ振動や横揺れ振動を受けたらすぐに破損するというのである。さらに、格納容器の内部の冷却用配管や緊急時の調整用の配管などは、上から吊るす形で溶接設置されているため、振動に弱く、すぐに破断すると言っているのである。

これまで、日本のGE製の原子炉は、電源があれば何とかなる。だから、電源を異なる予備電源を備えれば何も問題ないと考えられて来た。東電も日本政府も官僚も東大エリートもみなそういって来た。しかしながら、設計し作製した本人が地震には非常にもろい構造であると主張しているというわけである。

以上のすべてを考慮しても、日本は全原発を即刻稼働停止、そして逐次廃炉にしてゆくべきだろう。私はそう結論せざるを得ないと思う。このまま地震やその余震が続くのであれば、今度は、新潟や六ヶ所村、福井など他の場所の原子炉も福島化しないともかぎらないからである。


拍手

学者からも愛想をつかされた政府

「毎日jp」から転載。
このところ東大というと御用学者の巣窟という目で世間から見られていたが、中には良心的な学者もいる、ということか。


(以下引用)


. 福島第1原発:内閣官房参与、抗議の辞任
 東日本大震災発生後の3月16日に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘・東京大教授(放射線安全学)が29日、菅直人首相あての辞表を首相官邸に出した。小佐古氏は国会内で記者会見し、東京電力福島第1原発事故の政府対応を「場当たり的」と批判。特に小中学校などの屋外活動を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトに決めたことに「容認すれば学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と異論を唱えた。

 小佐古氏は、政府の原子力防災指針で「緊急事態の発生直後から速やかに開始されるべきもの」とされた「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」による影響予測がすぐに実施・公表されなかったことなどを指摘。「法律を軽視してその場限りの対応を行い、事態収束を遅らせている」と批判した。

 小佐古氏はまた、学校の放射線基準を、年間1ミリシーベルトとするよう主張したのに採用されなかったことを明かし、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を小学生らに求めることは、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と述べた。【吉永康朗】

拍手

我々は言葉を事実と思いこむ

「阿修羅」経由で転載。
船井幸雄という人物については、私はまだ判断しかねているのだが、「人を信じやすい人間」であるという印象がある。たしか経営コンサルタントもしていたと思うが、自分で経営のできる人間だとは思われない。しかし、人間を信じること自体が悪いわけではないし、信じることから物事に意外な進展が生まれることもある。オカルトや陰謀論、擬似科学の中に本物の信仰や政治経済の真実、新しい科学が存在していることもあるだろう。しかし、信じることはその相手に対し盲目になることでもある。

下記の記事の中の「入力より出力が大きい装置」は、科学の第一原則とも言うべきエネルギー保存の法則に反する、いわば「永久運動装置」などの「不可能装置」に近いものに思われるが、詳しい内容が分からないのでこれ以上の批評はできない。
松下幸之助については、最初から肯定的に見る結論から出発しているので、実態が見えていないように思われる。確かに松下幸之助は経営の天才だった。だが、彼がそれ以外の点で立派な人間だったかどうかは別問題だ。単なる金儲けの名人なら、称揚する必要などない。さらに、その残した松下政経塾の出身者が世間に害毒を流しているのは明らかである。ならば、松下幸之助はただ政治を利用して金儲けをしたかっただけだと思われてもしかたがあるまい。
松下幸之助語録は経営のバイブルかもしれないが、人間は「口ではどんなきれい事でも言える」ものだ。

東電のパンフレットの最初には、「東電は倫理観にあふれた人間の企業である」と清水社長のお言葉が麗々しく書いてあったそうだ。福島の人間にぜひ読んでもらいたいパンフレットである。


(以下引用)


松下政経塾と原子力発電 (船井幸雄)
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/137.html
投稿者 Orion星人 日時 2011 年 4 月 28 日 20:50:08: ccPhv3kJVUPSc


http://www.funaiyukio.com/funa_ima/

 4月23日の土曜日のことです。浜名湖の西隣り、静岡県湖西市の三上元市長から電話がありました。
 彼は何十年も私のところ(船井総研)で私の片腕として、名経営コンサルタントとしても大活躍してくれた人で、船井総研の社員、役員などを歴任後、退職して、生まれ故郷の湖西市の市長になったすばらしい人です。ストレートで絶対にウソも言わない人でした。
 いきなり「原子力発電所をどう思いますか?」と言ってきました。
 「そんなものいうまでもない。やめるべきだよ」と答えると、「そうでしょう。静岡県の市長会で、それが問題になっており、やめるべきだ……と思うんですが、ほとんどの市長は、態度を明らかにしないのです。原子力発電をやめないで、つづけるべきだという人々が50%はいますから」と彼は言うのです。
 経営者やトップというのは、「絶対に安全」と確信できないことにゴーサインを出してはいけないのです。これは経営者の常識です。というよりもこれは意志決定の原則なのです。「想定外の出来事がおこらない限り安全だ」と言っていた福島第一原発が、安全でなかったのですから、これを知っただけで、まともなトップなら「原子力発電所は止める」と意志決定するのが、トップとしての常識のはずです。
 「これからの電力供給は、原子力発電以外によい方法が、いまのところではない。だから、徹底的に安全策を取って、原子力発電を続行するべきだ」というのが、政治家や世界の首長たちの大多数の意見のもようですが、このような人たちは、トップとしての意志決定法を知らないのです。非常時のトップの経験がないか勉強不足だと思います。
 電力供給の方法というかエネルギーの供給の方法はいくらでもあります。
 『聖書の暗号』には、日本は「この3/11事故を機にメタン・ハイドレードに、エネルギー供給の主軸を移すだろう」と読める「愛のコード」があります。
 日本の近海には、多くのメタン・ハイドレードが埋まっているということです。
 詳しくは稲生雅之さんの本でも、ブログでも見てください。
 また、すでにフリーエネルギー技術が実験的には完成しています。それらは、いままで「闇の勢力」といわれている石油エネルギーを牛耳る一派に何百件もの特許を葬り去られ、開発者は脅され、なかには殺された人もいますが、現に私の友人にも、入力より出力の方が大きい装置の開発の成功者がいます。この面での闇の勢力(?)の圧力は、いま急減中です。
 発電などの方法はいくらでもあります。日本には戦前、600をこえる発電会社がありました。それをいまのような半官的な独占業者に全面的に委せることになったので、世界でも最高度に高い価格の電気を、われわれは買わされています。中国やアメリカと比べても2倍以上します。それに電力会社の客に対する態度は常識外です。役人の悪い面に似ています。
 たとえば東電の行なった計画停電のように(私の場合は病院の停電で緊急手術のためのCTやレントゲンが撮れず、危うく一命までキケンになるところでした)、まったくユーザー無視のとんでもないことが、一方的に行なわれました。ふつうの民間会社では、考えられないことです。
 ここで少し話を変えますが、公私ともにいろいろ教えていただいた松下幸之助さんが、なぜ「松下政経塾」という変なものをつくられたかは、私にはいままで分らなかったのです。
 私は創業者で、一代で大企業をつくった経営者から、もっとも学びました。
 前記、松下幸之助さんやソニーの井深さん、ホンダの本田さん、ウォルマートのサム・ウォルトンさん、三星(サムスン)グループの李秉喆さんなどからです。
これらの人々の意志決定法は特によく分りました。その中で分らなかったのは、松下さんが政経塾をなぜつくったのか? ……だけだったのです。
 松下政経塾の卒塾生には多くの知人がいます。そのほとんどの人が正しい意志決定ができないように思うからです。
 しかし考えてみれば、「政治家がいかに大事な仕事で、意志決定の原則がいかに大切か」を知りつくしていた松下さんは、それの分る人を創りたくて政経塾をつくったのでしょう。いま、ようやく分りました。
 松下政経塾の卒塾生の大半は、トップのあり方を覚えなくて政治家などになったようです。私は成功した創業経営者が政治家に最適だと思っています。
 松下さんは、その点についてはあの世で泣いておられるでしょう。
 意志決定は、「世のため、人のためになること」「100%の人を納得させられ説得できる自信のあること」「絶対と言ってよい良い面での成功の確信のあること」がゴーサインの必須条件なのです。菅直人首相はじめ、いまの日本の政治家はこれらを知らないようです。世界の政治家の大半もそのようです。日本では特に、原子力発電はすぐにストップして、今後のよいエネルギー方策をトップ自らの権限で決めるよう再出発するべきでしょう。三上湖西市長の言は正しいのです。
                                           =以上=  

拍手

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
26 27 28

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析