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アニメで、明治維新の見直しが初めて登場

新編アニメ「るろうに剣心」一期最終回、素晴らしい。
フィクション(大衆小説など)で、大久保利通を、これほど実像に近く描いたのは初めてではないか。彼が暗殺されたことで、日本は長州完全支配の暗黒国家の面が増強されたのである。それが、陸軍による軍事国家化と日清、日露戦争、そして太平洋戦争へとつながったわけだ。もちろん、天皇の傀儡化(神格化)や田布施システムも、その一部だ。

(ついでに言えば、長州支配の背後にはイギリスがあり、第二次大戦後はそれがアメリカに変わった。つまり、明治維新後の日本は常にイギリスとアメリカの半属国だったのである。しかし、それによって江戸幕府を正当化するのは大間違いである。封建制度とは完全身分社会であり、下の身分から上に上がることはほぼ不可能に近い、つまり一般庶民は奴隷階級と言っていい。そういう社会が肯定されていいはずがない。「文明開化」の恩恵は国民すべてが享受し、生活水準が飛躍的に上がったのであり、それだけでも明治維新自体は肯定される。ただ、問題は明治政府の変質、つまり長州一極支配への変化であり、それが大久保利通暗殺で完成した、と私は見ている。)

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伝統には合理性があるから伝統になる

「スプートニク」記事で、どうでもいい指摘や勘違いもありそうだが、まあ、ロシアを身近に感じる手がかりにはなるだろう。
何が勘違いかというと、たとえば「半地下の家」というのは、ロンドンなどもそうで、これは昔の竪穴住居と同じく、「建築の労力が半分で済む」というのが伝統化したのだろう。つまり、四方に壁を作って、その上に屋根を載せるという建築に比べて、壁の高さが半分で済み、しかも地熱によって冬には温かいから、欧州(イギリスだけかもしれないが)やロシアでは一般的だったのではないか。(日本だと湿度が高いので、昔は半地下の家は住居に適さなかった。)
一階部分が「不自然に」埋まっているのではなく、合理的工法だったわけだ。地震が少ない国なら、堅牢性の上でも(大地が家の壁である)半地下の家のほうが優れていたはずだ。

(以下引用)

【解説】ロシアにあって日本に欠けている決定的な5つの違い

ロシア人 - Sputnik 日本, 1920, 22.11.2023
サイン
ロシアで10年以上の生活経験のある筆者が、ロシアにあって日本に欠けている決定的な5つのポイントをピックアップしました!表面的な違いだけではなく、重大な歴史認識の違いもあります。

食事の大部分が健康的

大部分の食事が健康的であること ロシアに来て一番に、日本と違うと思うのは、食品の販売方法です。ロシアではまだ食材を自由に取引できる市場が残されています。 野菜も果物もキロ単位の量り売りで、トマトなども高くても1kg(1キロ)300円位、キャベツなどは1kg100円位で買えることができ、リーズナブルです。
Продуктовый рынок в Москве - Sputnik 日本, 1920, 22.11.2023
モスクワの食料品市場
加えて、日本では農薬をたっぷり使った野菜が一般的ですが、ロシアの農産物には化学的な農薬は基本つかわれていないといわれています。 日本で、無農薬の野菜や果物を購入しようとすると、なかなか売っていないので、これは大きな違いだと思います。
そして、外食産業でも、ほとんどのロシアのカフェ、レストランでは、今でも手作りで、そのレストランで一から調理している料理を提供しています。日本のように化学調味料や保存料を多用するという事もないので、安心して食事ができます。価格も、外食産業が近年一般化されてきたこともあり、日本で外食するよりもだいぶ安く食べることができます。
日本の場合はチェーン店から個人の料理屋に至るまで、工場生産の出来合いの料理や漬け物、冷凍食品を多用して様々なコストを下げる努力がされていますが、その結果決して健康的とは言えない外食産業ができてしまっていますね。私はロシアで外食をするたびに、手作りの料理はやはりおいしいし、安心して食べられるなと感じています。
モスクワの食料品市場

マスクを嫌う風潮

日本とは違って、ロシアでは2020年からのコロナ騒ぎが始まってからも、マスクを愛用する人たちというのは限定的でした。 法律で、客も店員もマスクをした状態でなければ支払いしてはいけないと定められたせいで、スーパーなどの店内では一時期マスクをする人たちが多くなった時期もありした。
しかし、マスクをする意味がないとよくわかっている屋外では、ほとんどの人がマスクを外して歩いていました。 また、私の知る限り、小学校などでは子どもたちにマスクの装着を強制するという事は一度もなく、確かに当初から、コロナは若年層には安全だと言われていて、非常に科学的な対応をしていたと思います。
また、なぜか2022年3月のウクライナへの特別軍事作戦開始後は、モスクワをはじめロシア中で、マスク装着に関する取り決めが解除され、屋内でも屋外でもほとんど誰もマスクをしないという状態になっています。
私の知る限り、日本でマスクを外すようになったのは、2023年5月のゴールデンウィークあたりからでしたから、マスクを大好きな日本人と、マスクを嫌っているロシア人とで、大きな違いがありますね。

水はけが悪くて洪水になる道路

ロシアの道路ではちょっと雨が降るとすぐに大洪水のような状態になります。雪解けの時期になると、モスクワでさえほとんど洪水のような状態になることがあります。モスクワやペテルブルグ、その他の大きめの都市の地下には、実は広大な地下トンネルであったり、地底都市のような地下構造物が広がっていると、一部ではささやかれているロシアの町々です。
日本の完璧に整備された地下の下水道がいつ整備されたのかも不思議な話ですが、地下にたくさんのトンネルのあるロシアの町々で、下水の排水がうまく機能していないというのも、不思議な違いですね。

半地下の建物と雨水ガードがついて大部分地中に埋まった窓

ロシアのインターネットを検索していくと、近年、公式の歴史の見直しを行っている独立系の研究者が多数いることがわかります。彼らの発見の中で最も顕著なのは、ロシアのアンティーク調の建物のほとんどの一階部分が半分地面に埋まっているという事でした。ロシアの建物はどこもかしこも、この一階部分が不自然に埋まった建物ばかりです。しかも、わざわざその半分以上埋まった窓に雨水が流れ込まないようにガードする細工までしています。
半地下の建物 - Sputnik 日本, 1920, 22.11.2023
半地下の建物
そのように建設したと考えると、余りに不便なうえに、わざわざ地下室を設けるような建設だとコストがかさみます。非常に不思議な現象です。5~8メートルほど、建物が粘土層に埋まっているという事にロシアの研究者たちは気が付いたのです。
日本ではちなみに、そこら中にこういう建物があるわけではありませんが、日本の各都市にちょくちょく見られるアンティーク調の建物の多くが、やはり同じように半地下になっています。
実はロシアばかりでなく世界中にこういった建物が散見されますが、土が5メートル以上積もるような、何かがあったのでしょうか? 不思議ですね。

(以下省略)

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東海アマ氏の生涯

「東海アマブログ」で、自伝的内容だが、非常に面白い。自分を美化も卑下もしていないので、日本の下級庶民の生活史としての貴重な資料なのではないか。これに比べると、上級国民の生涯というのは、面白くも何ともない気がする。
まあ、アマ氏のような人生を自分が送るのは御免蒙りたいが、人生の「師」、あるいは「参考書」となれる生涯だろう。ただし、或る種の反面教師である。
で、私が不思議でたまらないのは、いわば「資本主義の犠牲者」のようなアマ氏が、なぜあれほど執拗にロシアや中国(あるいは北朝鮮)を憎悪するのかだ。そこに、(プーチンや習近平は独裁者だという決めつけ以外)何かの説明や理屈を読んだ記憶が無い。まあ、父親が共産党員(ただの労組委員か?)だったようだから、父親憎悪の代償行為だろう。
どうでもいい話だが、登山という行為も、社会的人生で満たされない人間の代償行為という気がする。つまり、サーファーなどと同様、「社会自体の拒否の言い訳としての自然への逃避」だ。例の、マスコミによく出ていた「下山家(登山家ではないww)」などを代表に、ネットや本などで知る限り、登山家でまともな人格(社会適応者としての人格)の持ち主を私は知らない。北杜夫など、私は大好きだが、やはり社会的人格欠陥者である。まあ、私の自然好き、散歩好きも似たようなものか。

(以下引用)



 今朝は、ブログネタを探しても、なかなかインパクトのある問題が目にとまらない。
 だから、ひさびさに、自分について書くことにした。
 ろくでもない落ちこぼれの、孤独な年寄りのことを語っても、不快感しか残らない方も多いかもと心配しているが、それでも、亀の甲羅のコケの効用でもあれば、残しておきたい。

 私は、名古屋市中村区で育った。徒歩10分ほどのところには、大門という旧赤線の歓楽街があったが、それはそんな街特有のヤクザの属性を持っているということを意味する。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828448.html

 私の住む町に惣兵衛用水というのがあって、我が家から数百メートルだが、用水の両側には貧しいバラックがあって、いつでもホルモンを焼く良い匂いが漂っていた。
 このあたりには、ちょっと怖い地名が残っている。

 例えば、近鉄線の烏森駅、これはカラスの森であって、東京の鈴ヶ森と同じ意味で、処刑場を意味することが多い。
 江戸時代には、風水で城から南西方向を裏鬼門といい、ここに処刑場のような不浄が置かれたと書かれている。まさに、我が家を含むこの土地は裏鬼門に相当した。

 そして、処刑場の近くには、必ず、処刑や遺体処理のため穢多といわれる被差別者たちの集落ができていた。これが惣兵衛用水の住民たちだった。
 (今は全員が移住しているので、公開しても問題ないと判断した)
 我が家の土地も、もしかしたら処刑場そのものだった可能性がある。図書館で江戸時代の地名を調べていたら、我が家の地名だけ、理由なくすっぽり抜けていたのだ。

 そして、我が家には極めて深刻な「霊障」があった。
 家族全員が何かの深刻な病気にかかったので、母が心配して霊能者として知られる山伏を呼んで視てもらったら、「白髪の老婆がいて、恐ろしい顔で睨んでいる、私でもとても鎮められない」と言って去ったそうだ。

 この土地は、戦後、半世紀近く経ても、なぜか開発が進まなかった。だから名古屋駅から徒歩十数分という好条件なのに、なぜかひどく土地が安価だったのだ。
 父は、国鉄のSL機関士の安月給だったので、この土地しか手に入れることができなかった。同僚に手伝ってもらって、田んぼだった土地にSL石炭殻を大量に入れて、少しだけ嵩上げして、家を建てた。

 親戚に井村勇という優れた宮大工がいたので、しっかりした素晴らしい家が建ち、石炭殻のおかげで伊勢湾台風の浸水にも耐えた。
 しかし、石炭殻には大量のヒ素が含まれているので、水道が敷設されるまで、我が家の井戸の水質は最悪で、家族全員が病気に見舞われたのは、そのせいだったと思う。埋め立てに石炭殻を使ってはいけなかったのだ。
 その家も、今では取り壊され、他人の家に変わっている。

 少し離れているが、同じ方位に、「万場」という地名があり、これも「よろず場」といい、不浄の作業を意味していたという。
 また八田地区には、名古屋地区最大の畜産加工場(屠殺場)が置かれていた。
 つまり、風水や昔の差別体制に詳しい人が見れば、どのような土地か一目瞭然だった。

 私の通った学校に来る児童たちは、たぶん半数近くが在日系ではなかっただろうか?
 同級生には、正村会館の娘がいた。パチンコ創始者の親族だ。もちろん在日朝鮮人だった。中村区は、いたるところにパチンコ産業があった。

 また、ヤクザの子供は掃いて捨てるくらいいた。みんな親を反映して、とてつもなく傲慢で暴力的だった。今、イジメが教育上問題になっているが、当時は、まだイジメなど、ありふれた日常の一コマにすぎず、教師が鉄拳制裁したり、露骨な嫌がらせをしても、それを問題視されることさえ滅多になかった。

 今の陰湿なイジメと違って、当時のイジメは暴力的だった。私が小中学校に行った思い出は、そんなヤクザの子弟に毎日殴られに行ったという印象しか残っていない。
 だから、小中学校の生活にはトラウマしかないので、同窓会も行ったことがない。

 だが、殴っていじめる子供そのものが、家に帰れば親兄弟に毎日殴られていたのだ。
 ただ、カミソリで切ったり、火傷させたりなどの凶悪で残酷なイジメは、ほとんど記憶がない。もっぱら殴り倒しがイジメだった。
 ただ、教師が家庭訪問すると、ヤクザのパシリが出てきて教師を脅したり、女子中学生が強姦されるなんてことも、それほど珍しいことではなかったと思う。
 そんな荒廃した土地柄だったのだ。

 いじめっ子たちは、私のことを「四つ」と呼ぶことが多かった。
 四つ足のことで、未解放部落民を意味していた。移り住んだ土地は、そういう地域だった。実際には無関係だが、いじめっ子にとっては実に手頃なイジメ理由になった。

 いじめっ子のなかには優秀な子もいて、一級下だが鬼木組の息子は、文武両道、スポーツ万能で女生徒に人気があり、中学の生徒会長にまでなった。
 彼は野球が得意だったので中京高に行ったはずだが、、中京高は、金田正一以来、在日者の子弟が多かった。

 私が大門のタクシー会社で勤務したとき、得意先に弘道会があった。当時の組長、司忍氏もたまに乗せた。
 ある幹部に鬼木のことを尋ねると、彼は「二丁拳銃の鬼木」という名で呼ばれるほど、名古屋で著名なヤクザとなったが、ある人妻に道ならぬ恋をしてしまい、自暴自棄になて陸橋から飛び降り自殺したと教えてもらった。
 「根は純粋だったんだな」と私は思った。

 司組長は、後に山口組六代目に就任したが、実は、彼は冬山登山が好きなストイックな人間性で、私と厳冬の中央アルプスで何度も遭遇していたことが、後に分かった。
 彼は「筋が通る」という厳しい倫理性を持っていて、きちんと挨拶をすること、筋を通すことさえ守れば、とても誠実で優しい人間性であることが分かった。

 私は中津川市に移住した2003年まで、かなり長期間、中村区役所の上にある公団アパートに一人で住んでいた。
 ここも、かなりひどい霊障がある建物で、昔は中村区でもっとも高い建物だったので、たくさんの飛び降り自殺者を出していた。
 私は、母親譲りで霊感の強い体質だったのでかなり苦しんだが、残念ながらエピソードを書き残すことができない。書いても、誰も理解できないだろうから。

 また、私は、ある種のギフテッドだったので、精神的に暴走することが多いのだ。若い頃から単独登山を続けたのも、他人との協調性が極度に低かったせいだ。
 他人と話していると、自分の過去の問題が思い出されて、自分の欠陥が浮き彫りになるため、苦しくて仕方がなく、だから孤独にならざるをえなかった。
 私は長い間、ノイローゼ状態だった。

 また父親との仲もかなり悪かった。父は国労や総評の役員をしていたが、やたらに名誉欲というか、コンプレックスの強い人間で、私を学歴自慢の種にしたがった。
 だから私は、自分の優越性を誇るような人生を拒絶しながら、一方で、父の期待に答えようとする精神分裂のような状態になってしまった。
 この矛盾から抜け出せたのは、ごく最近のことだ。

 こんな精神分裂のような私にとって、中津川市の山岳地帯の土地は、孤独を癒やすのにとても素晴らしい土地だった。
 だが、その土地の近所の先住者は、想像もつなかいほど、とんでもない人物だった。 これは、いずれ出版したいと思い、忘れないようたくさん書きためたものがある。
 問題が、まだ決着がついていないので公開を控えるが、いずれ公開するつもりだ。それを読めば、どれほど人を驚愕させるような、ひどく特殊な人物か分かると思う。

 中津川に住んで、もっとも良かったと思ったことは、何よりも、たくさんの自然とふれあえる場所があるということ。そして馬篭や妻籠、苗木城のような旧跡名所が多く、現在も多くの外国人観光客を惹きつける観光資源があるということだ。
 馬篭から妻籠の8Kmある中山道コースは、いつ歩いても魅力たっぷりだ。

 私は、2012年頃から今でも原因不明のアレルギー性肺疾患(間質性肺炎)に罹患し、症状から2014年に肺線維症であることを確信した。ユスリカアレルギーだけでなく、若い頃、トラックで石綿運搬に従事したことが問題だったかもしれない。
 当時、ネットで検索しても、肺線維症(IPF)の最大余命は5年程度だった。

 私は2019年までの命と絶望したが、症例を調べてゆくうちに、十分な呼吸トレーニングによって10年の延命が確認されていることを知った。
 私は医療思想を信頼できなかったので、医療プロトコルを拒否して、自力で延命に取り組んだ。信頼できるものはホメオステーシスだけ、というのが私の信念なのだ。
 それは、中津川のたくさんのハイキングコースを、毎日7000~10000歩、歩くというものだった。

 呼吸力が半分以下に落ちていたので、最初は、坂道にくると息が上がって動けなくなり、とても苦しいものだったが、徐々に慣れてゆき、普通の人の半分程度以下の速度しか出せないが、のろのろと歩き続けることができるようになった。
 「もしかしたら肺胞細胞が回復するかも」
 という期待はあったが、残念ながら10年近く歩き続けても、呼吸能力の回復はほぼなかった。しかし、半分以下のスピードなら、コースを歩けるのだ。

 来年、いよいよ10年目を迎え、それ以上の延命データは確認できていないのだが、残念なことに、ほんとうにわずかずつだが、回復とは逆に、呼吸能力は悪化の一途だ。
 とりわけ今年はひどく、3月と9月に自分の死を覚悟するほど悪化した。
 悪化の理由は、どうも中国からの有毒黄砂の可能性が考えられた。ひどいときは、トイレに行っても激しく回復呼吸し、苦痛で眠れなかった。

 しかし、11月ころから、再び回復があり、また元通り歩けるようになった。それでも以前に比べれば呼吸能力は劣化しているように思う。
 「やはり10年が限度なのか」と思う毎日なのだが、せめて、中国共産党とロシア、北朝鮮の完全崩壊を、生身の目で確認してから死にたいと思っている。
 ついでに竹中平蔵の駆除を確認できれば、とても幸せだ。

 また話は変わるが、甲羅のコケが増えてくると、嗜好がうるさくなる。
 私は、毎朝のコーヒーが欠かせないのだが、インスタントでは満足できず、オーガニックの生豆を5Kgずつ購入して、自分で焙煎している。最近、使っているのは東チモール産が多い。

  東ティモール レテフォホ産で、約1万円と以前の倍近く高価なのだが、今のところは、満足している。
 私は、ドリップのとき、饅頭が成立しない豆が許せないのだ。コーヒー饅頭だけが独特の切れを保証してくれるからだ。
焙煎時間は、その日の気温や風によって大きく変わるが、おおむね40~100分程度だ。約500gを半月も持たずに使い切る。
 やや深めのフルシティが一番のどごしが良い気がする。

 また、一人暮らしで完全自炊なので、おかずも自分で作る。米は地元米を炊飯器で炊くだけだが、おかずは自家製漬物を主体にし、あとは野菜炒め程度だ。
 肉類は痛風体質なので食べられない。
 漬物は、ナスと赤カブは、1K150円の味噌に大量に漬けておく。これが実にうまい。赤カブの最高にうまい食べ方は味噌漬けだと確信している。もう数年も繰り返している。
 ナスは二年ものが素晴らしい香りだ。ただし、塩辛いので高血圧には向かないかも。

 それから大根は漬物用を買ってきて、十日ほど干してから醤油とみりんに漬け込み、冷蔵庫に一ヶ月保管して炉端漬けにして食べている。
 こうした自家製漬物を食べていると、サッカリンを使ったような市販漬物なんか食べられたものじゃない。市販品を置いているような食堂に行きたいとも思わない。

 肉魚が食べられないので、タンパク質は、主に豆から摂っている。
 近所のめぐりーんという産直店で、大豆かひよこ豆を買ってきて、一晩水浸して圧力釜で炊いてからカレーにして食べる。
  ダシはシャンタンと昆布と豆だ。これに馬鈴薯とタマネギ、人参、リンゴなんかを炒めてぶっこみ、トマトペーストを入れて、カレールーで仕上げるが、これもカレー粉とバターの自作だ。

 シャンタンを使うので準ビーガン食というところだが、豆食はもっと見直されるべきだと感じている。
 なお、畑で大根やタマネギ、馬鈴薯は原則自作している。大根があれば、緑色野菜は十分なのだ。可能なら豆類も作りたいが、とにかくキジバトなどに狙われてうまくいかない。

  これが70歳の落ちこぼれ老人の食生活なのだが、もしかしたら私は恵まれている方かもなどと思うこともある。
 いわゆる加工市販食品は、できるだけ使いたくない。年金暮らしでなければ、こんな手間のかかる食生活は無理だろう。

 私も大型二種免を利用してバス運転手くらいしたいのだが、病気の都合があって控えている。バスは、呼吸器感染病の確率が高いからだ。
 それに今はアルバイト運行が不可能になってしまった。無意味な規制を増やさなければ、運転手不足もこれほど深刻にならないと思うのだが……。

 私は、「ポツンと一軒家」をTVerで視聴していて、他人の生活が面白いことに気づいた。だから読者の関心は、もしかしたら具体的な生活実態にあるのかもしれないと思い、今回は自分の生活ぶりを紹介してみた。
 まだ、たくさん書きたいことがあるので、今度またトライしてみたい。

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日本人とロシア人の精神性の類似

「混沌堂主人雑記(旧題)」に転載されていた「ジェーニャブログ」(筆者は在日ロシア人女性だろう)の記事の一部で、強固な反天皇主義者の混沌堂主人氏には珍しい、「天皇肯定」思想を含んだ文章である。
混沌堂氏の「天皇否定論」は、対象となる天皇が、実は明治維新後に明治政府(薩長政府、主に長州)に利用されてきた「神格化天皇」であり、長い歴史の中の天皇としては異常な在り方だということ、そして敗戦後の「人間宣言」し、「政治的行動が不可能になった」、つまり政治権力とは無縁な後期昭和天皇以降の天皇にはまったく当てはまらない理屈だのに、執拗に、あるいは異常なまでに「天皇権力を打倒しろ」「天皇一族を殺し尽くせ」というのは、親か祖父母の恨みでもあるのだろうか。
そのブログに引用する記事と無関係に「すべて天皇に責任がある」と結論する、その異常性にはかなり呆れるが、まあ、いろいろなブログを渉猟し、有益な記事もたくさん引用するので、私はかなり恩恵を蒙ってはいる。何しろ、「ネットゲリラ」氏が亡くなった今は、まともな政治ブログ、政治サイトは少ないのである。

(以下引用)個々人も神の一部である、という思想は私も前に書いたような気がする。神とは「上(かみ)」つまり、すべての存在の上質な部分だ、と屁理屈を書いておくwww ただし、「お上」や富裕層のような社会上層部が上質部分なのではない。農民でもエタ非人でも、精神性が高ければ、「カミ」である。精神性だけでなく、美的な、あるいは魅力におけるカミもある。幼児や小動物の可愛さの類だ。

さて今日は
『日本人とロシア人の精神性』について話したいと思います。
 
ご存知の通り少し前のロシアは
ソビエト連邦、共産主義国家でした。
信仰の自由がなかったのです。
 
これは私の勝手な解釈と妄想ですが
人の本質とは神なるもの
私はそう思っています。
 
信仰を禁じたソビエトは、だから滅びた
と言っていた近所のオジサンの言葉を思い出しました。
 
日本の言葉でもありますよね?
「お天道様がみている、だから悪い事はできないよ」
 
私たちは生まれながらにして
霊性と言いますが、一人ひとりに
自分の内なる神がいると思います。
 
キリスト教などは、神は対外的なものとし
イエスを神の子として偶像崇拝をしますが
私は幼いころから、その考え方がしっくりこず
宗教の本を読んでいた時
日本の神道の考え方が、
いちばんしっくりと来ています
 
神は分け御霊
あなたも神の一部であり私も神の一部である
 
集合意識という言葉があるように
魂の次元では皆が繋がってますから
他人の悪口を言えば、
そのまま自分の悪口となって返ってしまい
同様に自分で自分を拒否すれば
周囲からも拒否されることになります。
 
モノ・金・情報の奴隷となり
「今だけ金だけ自分だけ」の力づくの生活ばかりしてると
自分も含め周りもそうなります。
自分だけ、力づくの心を持った人間が減らない限り
誰一人、幸にはなりません。
 
私の読者の方がコメントで教えて下さいました。
 
世の中は鏡の法則
カガミからガ(我)を取れば
カミ(神)だから
神社には鏡を置いてある
 
このような国民と精神性だからこそ
和を以て貴しとなす
争いがなく自然と調和の文化が生まれたと
 
私はロシアがここまで復活できたのは
プーチンがこの精神を学んだのだと思っている。
柔道の黒帯のプーチンだが
当然、武術を通して
『柔よく剛を制す』また、
この考え方を学んで来たのだと思っている
この考え方の根本には神道かた来てると聞いたことがる
 
欧米列強の伝統的な考え方だが
その基本的な構造は
王がいて民がいる
王が権力をもって民衆を支配するやり方
王様と奴隷と言ってもいい
 
いっぽう日本の統治の在り方は面白く
天皇=王ではなく
国民の象徴として
 
武力や権力で「力の支配」を行うのではなく、
国を"家"・国民を"家族"と捉え、
天皇が国と民に深い関心を持って広く知り、
国民一丸となって稲(富)を利することで
幸せな国を作るようにと
天皇が「臣に権力を与える」
そういう形を取っています。
 
実はロシアでプーチンが支持されているのも
プーチンがロシア正教を上にして
政治を行ってきたことにあると思っています
プーチン大統領が哲学的支柱にするアレクサンドル・ソルジェニーツィンの言葉。
ロシア人文化は帝国の強大さではなく⛪️正教への信仰により形作られており、ロシア人団結の源は『人種』では無く『精神』であり、心や慣習、行動の中に自然に生きている正教である。
その為、領土、国家#山鹿素行 pic.twitter.com/i6bg4PXDPc
— taka (@0_fighter_taka) November 3, 2022
 
プーチンの私利私欲の為であれば
ロシア人は従わない。
あれだけの強大な国家、所々で反乱して分裂してるだろう。
・・・・・中略・・・・・
ロシア人もペレストロイカで貧しかった経験もあるが
物の豊かさを羨む時期もあったが
人々との繋がり助け合い
信念にはウクライナがとかロシアがといった
人種としてではなく
信仰としての『精神』がある
 
残念なことにロシアにはもう皇帝という
体制の喪失があるが
『正教の信仰と、そこから生まれる崇高な感情』
それはロシア人から失われる事は無いと思う。
ロシア正教はロシア人の精神的支柱になっていますが
その精神性が、今のロシア国家を作り直したと思っています。
 
人の精神は生まれ育った環境・風土で自然に形作られます。
 
それを理念・思想・イデオロギーだけで無理やり形作ろうとするのが、
欧米左派・進歩主義者達です。
 
そして私はその流れに対してこう思います。
 
自分の為(私利私欲の為)だけに生きる人間は
いずれ狂ってくると思います
 
他人の為、世の為人の為に生きる人間は狂う事なく
次の時代へ進める人達だとも思います。
 
かつてロシアは東のヨーロッパとして
ヨーロッパの一員として
ヨーロッパの枠になりたがっていた時期があった
 
しかし
 
現在ではロシア人のDNAにはアジア系が多いことで
ロシア人はアジア人との混血民族=ユーロエイジアンと規定し呼び、
 
欧米の経済制裁は、
ロシア人がユーロエイジアンと自覚する
良い機会になったと言います。
 
また、経済的に衰退していく
欧米よりも、経済成長がめざましい
インドや中東、アジアをメインとして動いています
 
日本もかつてのスローガンは脱亜入欧と
読んでいた時期があったそうですが
これからは、脱欧入亜
これをスローガンに掲げると良いかも知れません(笑)
 

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新コロ詐欺と新コロワクチンは一環


「耕助のブログ」から転載。さすがにポール・クレイグ・ロバーツである。真実を言うだけでなく、それを一般大衆に理解できる言葉で簡潔明瞭に語っている。(もちろん、私は英語原文を読んでいないが、訳文からだけでもその簡潔明瞭さは分かる。)「他人に読ませる(読んでもらう)」ための記事というのは、こういう風に書くのだというお手本である。博覧強記で猛烈に多弁の北林あずみ氏などは少し見習うといいww

(以下引用)

No. 2005 あなたに嘘をつく人をなぜ信じるのか?


Why Do You Trust Those Who Lie To You?


by Paul Craig Roberts


少し考えてみてほしい。事実は明らかだ。ビッグファーマ(大手製薬会社)のコロナ「ワクチン」は死亡率が高く、健康被害率も高い。私たちは米国連邦裁判所によって公開が命じられたファイザー社の内部文書やニュージーランドの政府データ管理者がリリースしたデータなど、多くの公式ソースからこのことを知っている。 また、科学的な査読を経た無数の研究結果からも知っている。


コロナ「ワクチン」が危険でないことを示す公式データがあるのなら、当局がそれを公表するだろうし、データ管理者によってリークされたり、裁判所によって公表を命じられたりする必要はない。


説明責任があるはずの民主主義政府の公的保健当局が、情報を抑えるだけでなく、ニュージーランドのデータ管理者のように、情報を公開した人々を悪者扱いし、逮捕するという行為が何を意味するのか、あなた自身やあなたの友人に問いかけてみてほしい。


なぜメディアは、命を救うために真実を語る人々の信用を失墜させ、逮捕を支持するのか、考えてみてほしい。


なぜ公衆衛生機関や健康維持組織が、死に至らしめることが証明されている致命的な 「ワクチン」を推奨し続けるのか考えてみてほしい。


なぜ人々が信頼する権威者たちが私たちを殺そうとしているのか、考えてみてほしい。


現在も使われているコロナ「ワクチン」は、緊急使用許可(EUA)の下で承認された用量であることをあなたは理解しているだろうか? その後承認された用量は公表されていない。


なぜか?それは米国の緊急使用許可は損害賠償訴訟を防ぐが、承認された使用バッチでは訴訟が可能だからだ。


明らかに、「ワクチン」メーカーと当局は、ワクチンが危険であり、責任を回避するために緊急使用許可の下で使用する必要があることを理解している。


「ワクチン」ではなく、コロナによって死亡した人々は、イベルメクチンとHCQという証明された治療薬を使わせなかったことによって死んだ。なぜなら、治療薬が存在すれば、法律上「緊急使用」を発動することができないため、治療薬を使えないようにしなければならなかった。ビッグファーマが無防備な市民を殺傷することで数十億ドルを稼ぐために、治療薬は抑制され、人々は不必要な死を遂げた。政治家や保健当局は死因をワクチン未接種のせいにした。腐敗したメディアはイベルメクチンを「馬の薬」と揶揄した。 そしてアメリカ人はとんでもない嘘に騙されて、死んだ。


これがアメリカだ。政府、メディア、医療機関が完全にビッグファーマの支配下にあることを、あなたは誇りに思うだろうか?


あなたは誇り高きアメリカ人だろうか、それとも「あなたの」政府、「あなたの」保健当局、「あなたの」メディアによって地獄に堕とされた人なのだろうか?


これについて、あなたはどうするつもりなのだろうか?


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極地地方の温暖化は「地球温暖化」ではない

「大摩邇」から転載。長すぎる記事なので、末尾(磁極の変化の話)を省略するかもしれない。
岡氏は地軸の傾きの変化より磁極の移動(ポールシフト)を心配しているが、磁極の移動は地軸の傾きの変化に伴うのではないか、と私は思っている。そして、地軸の傾きの変化は超長期的には当たり前の話(太陽系の惑星の中には、太陽と水平に近い地軸を持つ星もあるらしい)だろうが、ひとりの(数人の人間の観測だが、要は同じ世代内でだ)人間が生きている間に観測されるのは珍しいのではないか。まあ、極地に近い地域では温暖化が起こるだろうが、それは「地球温暖化」ではないし、また極地近辺の温暖化は人間の居住可能地域の拡大になるのであり、むしろ喜ぶべきことだ、というのは私は何度も書いている。


天王星の最大の特徴は、公転軌道面に対して自転軸がほぼ横倒しになっていることです。 水素とヘリウムを主成分とする表面層の下に、分厚い氷の層を持ち、「巨大氷惑星」とも呼ばれます。 海王星も、天王星と同じような内部構造を持つ巨大氷惑星です。
天王星は天王星は他の惑星と違って、自転軸が公転面に対して約98度傾いていてます。つまり、横倒(だお)しの状態で、ごろごろと転がるようにして太陽のまわりを回っているのです。他の惑星と違って、自転軸が公転面に対して約98度傾いていてます。つまり、横倒(だお)しの状態で、ごろごろと転がるようにして太陽のまわりを回っているのです。


(以下引用)

「太陽の位置がおかしい」という投稿が相次いでいるのですが…皆さまでお気づきの方はいらっしゃいますか? そして思い出す12年前のイヌイットたちの言葉

In Deepさんのサイトより
https://indeep.jp/the-position-of-the-sun-is-wrong/

express.co.uk

イヌイットたちは星も月も太陽もすべて位置が変わってしまったとかつて述べていた

今日、X の投稿で以下のようなものを見ました。


塗装屋の友達が 太陽☀️の動きがおかしい!いつもならあの山⛰️と山⛰️の間を通るのに違うんだよ!明るさも違うからお客さんに色の確認が大変なんだよ。と言われて 良くわからなかったけど
外の仕事の人は何かおかしいと思う人居るのかな??


@GyTOGf3RTanlp98


これだけでしたら、ご本人の勘違いなど、いろいろとあるでしょうけれど、その後に、このことに同意するレスポンスがずっと続いているんですね。



それらのレスは後で少しご紹介するとして、この、


「太陽や星の位置が(体感的に)おかしい」


というのは、In Deep で十数年前から取り上げてきた話のひとつでもありました。


最初に記事にしたのは、東北の震災の数か月後でしたから、もう 12年前ですかね。


イヌイットの人たちの証言をまとめたドキュメンタリーをご紹介しました。


(記事)「太陽の位置がずれてきている」と語るイヌイットたち
In Deep 2011年07月11日


 


この記事から、かなり時間も経っていますし、このときにご紹介した、そのドキュメンタリーから抜粋した部分を再掲します。


なお、当時リンクしたドキュメンタリーの動画は、YouTube では「この動画は再生できません」と表示されましたが、探しますと、おそらく、以下がほぼ同じものだと思います。


Inuit People on Sun Wrong ,Stars Wrong , Earth Tilting on Axis


以下、当時の記事からです。

今は太陽の位置も星の位置も間違っており、それは地球の軸が傾いているからだと語るカナダのイヌイットの人々

Inuit People On Sun Wrong ,Stars Wrong , Earth Tilting On Axis
YouTube 2011.07.07


ラディ・パドラクさん(ヌナブト準州レゾリュートベイ)


アザラシを獲るために陽の高いうちにソリで現地に到着しなければならない。最近は太陽が昇っている時間が以前と違うんだ。


この変化はすごいものだ。何しろも太陽が通常より地平よりかなり高い位置にあるんだよ。


私たちイヌイットがすべてを知っているわけではない。それでも、大気に変化が起きていることをかなり強く感じることは事実だ。


もう長い間、このあたりには北風が吹いていないんだ。
南からの風ばかりが吹く。


そして、今は東からの風が強くなっている。
この東風はとても強力だ。


--


イヌーキー・アダミーさん(ヌナブト準州イカルイト)


私は、この生まれてからずっとこの土地に住んできた。そして、毎日、太陽を見続けてきた。


日の出に関しては今でもそれほど変化はないが、夕暮れの太陽の位置にものすごい変化が出ている。


多分だが……地球の軸の位置が傾いてきているのだと私は思う。


私はいつもこのことを考える。


そして、この太陽と自然の変化のことを人と語りたいと思っている。


--


エリヤー・ノードラクさん(ヌナブト準州バングナータン)


地球の軸の位置が傾いてきている。
これがいつ頃始まったのかは正確にはわからない。


以前は、夕暮れの時に太陽は、高い山の頂上の近くを通って沈んでいった。
変化が起きて以来、太陽はその位置を越えて沈んでいってしまう。


--


ジャイピッティ・パルークさん(ヌナブト準州イグルーリク)


我々の世界の軸がこのまま傾いていくと、我々は太陽からより多くの熱を受けるだろう。つまり、暖かくなってしまう。


--


サムエリ・アマックさん(ヌナブト準州イグルーリク)


星が見えない時には、私は周囲を監視するようにしている。
最近、星がいつもと違って見える。


もはや星は以前の位置とは変わってしまったんだよ。


私たちの世界は変わった。
土地も空も自然も何もかも。




 


ここまでです。


ドキュメンタリー自体は、もっと長いですが、ここではイヌイットの人たちの言葉だけを取り上げています。


その後、2015年に、カナダの北極圏やグリーンランド、シベリア、アラスカの地に住む先住民族イヌイットの長老たちが、アメリカの NASA に


「地球の軸が移動している」


ことについて警告する手紙を書いたことを、以下の記事で取り上げたことがあります。


(記事)「雪も鳥も空も何もかもが変化してしまったのです」 : カナダの北極圏で暮らす先住民族が、気候変動と環境変化に対しての非常事態を宣言
In Deep 2019年5月25日


このタイトルには「気候変動」という言葉が入っていますが、いわゆる温暖化とか、そういうレベルの変動を訴えたのではなく、


「星と太陽の位置が変わってしまった」


という変動ですから、体感の世界とはいえ、ご本人たちにとっては非常事態なのだと思います。


その報道も再掲します。



イヌイットの長老たちが NASA に地球の地軸のずれを語る

Inuit Elders tell NASA Earth Axis Shifted
Natural News 2015/03/08


カナダの北極圏やグリーンランド、シベリア、アラスカの地に住む先住民族イヌイットの長老たちが、アメリカの NASA に手紙を書いた。


内容は「地球の軸が移動している」ことを NASA に告げるためのものだ。


 


「空が変化してしまった」と主張するイヌイットの長老たち


イヌイットの長老たちは、北極圏の気候変動について記している。それは、氷河が溶け、アザラシの毛皮の質が落ち、そして、海氷が消えていっている状況だ。


しかし、長老たちは、この気候変動の原因が人間活動による炭素排出によるものだとは考えていない。


部族の長老たちは、これらの変化の原因は「空の変化」にあるとしている。長老たちは、太陽が「かつて昇った場所に昇っていない」と語っているのだ。そのため、イヌイットたちの地は日中の気温が上がり、そして、太陽の照る時間が長くなったという。


夜の星と月も、以前とは違う位置に照っていると彼らは言う。


そして、このことも気温に影響を与える。


イヌイットたちは、1年間のうちのいくつかの期間を完全な夜(極夜という太陽が沈んだ状態が続く期間)の中で生活しており、星や月の位置を把握することは、生活するための手段でもある。


かつては、イヌイットたちは、風をナビとして天気を予測をすることができた。


しかし、もはや長老たちにも天気の予測ができないのだという。風が積雪を変化させており、陸上での天気の予測をすることができなくなったと述べる。


そして、ホッキョクグマの個体数が増加しており、イヌイットたちの生活圏でホッキョクグマが彷徨う原因ともなっている。


 


科学者たちの報告は


2011年に、日本での大地震(東北の震災)によって、日本列島が約 2.5メートル移動し、そして、地球の軸が移動したことが米国 CNN で報じられたことがある。


報道では、アメリカ地質調査所の地球物理学者ケネス・ハドナット氏による「この時点(2011年4月20日)で、ひとつの GPS が、2.5メートル移動していることを知りました」という言葉を引用している。


また、イタリアの地球物理学火山研究所は「日本でのマグニチュード 9の地震が、地球の軸を、ほぼ 10cm移動させた」と推定している。


天文学者たちは、地球の自転軸にはズレがなかったことには同意したが、しかし、この最近の 10年間では微妙な極性の移動(地球の磁極の変化)があったことを報告している。


地球の重力場を詳細に観測している NASA の人工衛星グレース(GRACE)を使った観測を続ける米国テキサス大学の研究チームは、2005年に、北極点の移動が変化していることを発見した。それまで南に向けて移動していてものが、東に向けて移動していた。




 


ここまでです。


ここでは、


 


・2011年3月11日の東北沖での大地震の後、日本列島が約 2.5メートル移動し、そして、地球の軸が移動した


・地震で、地球の軸は、ほぼ 10cm移動した


・最近の(2015年までの)10年間では微妙な極性の移動(地球の磁極の変化)があった


 


というようなことにふれているのですが、3つめの「地球の磁場の移動」というのが、近年、非常に速度を増していまして、たとえば、以下は、2019年1月にネイチャーに掲載された論文にある図です。


西暦1900年から2020年までの北極の磁極の移動

nature


100年くらいかけて移動した距離を「 21世紀は、十数年で同じほどの距離を移動している」のです。


どんどん磁極の移動が加速していると見られます。



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旧版「イエスは何を教えたか」

私は、「イエスは何を教えたか」、つまり、聖書の中でのキリストの言葉だけを頼りに、「キリスト教の本質は何か」を論じたいと思って、書きかけてはやめているが、古いフラッシュメモリーの中のものが、わりといい内容だと思うので、載せておく。もちろん、中断したものだが、書かれた内容だけでもキリスト教やキリストや旧約聖書や新約聖書の「神」の本質に迫っていると思う。
まあ、こんなのは杉田玄白がキリスト教宣教師との問答の中で喝破したもの(ユダヤ・キリスト教の矛盾)と同じだろうとは思うが、私はそれを読んでいないので、一応私の考えだけを書いておく。

(以下自己引用)


イエスは何を教えたか


 


序論


 


ここで扱う問題は、表題の通り、「イエスは何を教えたか」である。つまり、新約聖書の中の、イエスの教えを分析し、解釈してみようということだ。そんなことは、2000年にもわたって無数の人がやってきたことだと思われるだろうが、イエスの言葉には比喩が多く、また新約聖書にはイエスを荘厳するための粉飾が多くて、イエスの教えのエッセンスが何か、私にはわからないのである。そこで、もう一度、イエスの言葉を分析的に読んでみようということだ。そこから、イエス理解のための新しい地平が開けないとも限らない。


 


本論


 


ここでテキストとするのは「日本国際ギデオン教会」版の新約聖書である。その中の「マタイ福音書」を出典とするものを1グループ、「マルコ福音書」を出典とするものを2グループ、「ルカ福音書」を出典とするものを3グループ、「ヨハネ福音書」を出典とするものを4グループとする。


 


第一節   マタイ福音書より


 


1-1 (悪魔の、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」という誘いに対して)「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである』と書いてある」。(マタイ第4章)


 


分析と解釈:


マタイ第3章までは、イエスの出自などの話で、第3章末尾になって、成人したイエスが登場する。まず、彼はバプテスマのヨハネ(「洗礼者ヨハネ」とでも言えばいいか。洗礼とは、清めの儀式だ。母の胎内から生まれる時の産湯の比喩で、水を頭から注ぐことで、これまでの汚れた生から、生まれ変わって新しい生を生きることを象徴するものだろう。)に洗礼を受ける。ヨハネは、「私こそあなたから洗礼を受けるべきだ」と言うが、イエスは「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」と言う。イエスのこの言葉が意味するのは、自分の生は預言の実現であるということだ。イエスの最初のこの発言は、自分がキリスト(救世主)であることの婉曲な表明だと言える。そして、新約聖書のすべての記述は、イエスが神の子であることと、イエスがキリストであることを読者に印象付ける意図が含まれている。


だが、現実のイエスの生涯には、当然ながら、神の子だのに、なぜこれができないのかという困った事実が多々あっただろう。フィクションとしての奇跡を幾つかイエスの伝記に挿入するにしても、イエスの生涯の「事実」の中には、福音書の書き手が弁明しようのないイエスの『人間の証明』があるはずだ。そこで、まずここで、福音書の書き手、マタイは予防線を張る。「イエスは奇跡ができないのではない。やらないのだ」と。では、なぜやらないのか。それは、同じ場面に続いて出てくるイエスの言葉の通り、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と聖書にはまた書いてある」からである。


イエスは、このように、常に旧約聖書の言葉を引用して、人々そして悪魔(――イエスを信じない連中の比喩とも言える。そもそも、荒野でのイエスと悪魔の対話を、誰が聞いていたというのだ。)の問いに答えるのである。これがイエスの最大の特徴であり、イエスとは、自分が神の子であるという妄想から聖書オタクになった人物だったと想像できる。


「主なるあなたの神を試みてはならない」これも神の実在を疑う人々に対しての見事な予防線だ。こう言われれば、神に対してその存在証明を要求できなくなる。つまり、理屈や証拠で納得するのではなく、頭から信じるか、信じないかの二つしかなくなるのである。もちろん、これが「信仰」の本質であり、証明されていないからこそ、あるいは理解できないからこそ「信仰」するのである。あなたは、自分の存在を信仰しているのではない。確信しているのである。「仰」とは何か。仰ぐことである。遥かな高みにある存在を仰ぐことである。それは遠く高い存在であるから、信仰するしかないのだ。1+1が2であることをあなたは信仰しているのではない。ただ知っているだけだ。そのような確信は、実は信仰ではないのである。不確かな存在と自分との間の深淵を、あえて飛び越える、その行為が、信仰の本質である。そして、私のような分析的人間には、当然、それはできない。


 


1-2(悪魔の、「あなたが私にひれふして拝むなら、この世の栄華をすべて与えよう」という言葉に対し、)「サタンよ退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(マタイ第4章)


 


分析と解釈:


 ここでも、やはり旧約聖書からの引用で、相手の問いに答えている。イエスの言葉のほとんどは、旧約聖書に根拠があることを自らの言葉の権威の根拠としているのである。


 では、ここでの問題は何か。第一の問題は、悪魔とは何かという問題である。そもそも世界のすべてを神が作ったのなら、悪魔もその創造物であることになる。しかし、旧約聖書での「世界」とは全宇宙ではなく、天国と対比される「この世」である、という解釈もできる。それならば、悪魔は神と対等の存在として宇宙に最初から存在していたという解釈もできるのだが、キリスト教ではそこをどう説明するのだろうか。悪魔が神の創造物だとすれば、神の中にすでに悪が存在していることになるし、悪魔を神が作ったのではないとすれば、神が唯一の創造神だという設定が成り立たなくなる。悪魔というものは存在しないとすれば、聖書は信頼するに値しない書物だということになる。


 おそらく、そのすべての矛盾を説明する方法は、聖書に書かれたことはすべて比喩である、とすることである。しかし、そうなると、その解釈は誰が行うのか。誰の解釈に我々は従えばいいのか。


旧約聖書の中で悪魔が活躍する話が、「ヨブ記」である。神は、悪魔との話の行きがかりで、神の忠実な信者であるヨブに試練を与え、その信仰を試すのだが、問題は、繰り返しになるが、聖書が悪魔の存在を認めていることである。つまり、ユダヤ教ないしキリスト教を信じるなら、神の存在と同時に、悪魔の存在を信じることになる。ならば、人間の行為は、彼の心が悪魔に支配されて行ったものでないと、どうして分かろうか。旧約聖書の中には、神がイスラエルの民に敵対する族長の心を操る話がある。ならば、人間の自由意志など無いのであり、善も悪も無意味となる。神の言葉に従うことだけが善ならば、まず神の存在証明が必要だろう。


 もう一つの問題は、神に仕えることと、悪魔に仕えることとに、本質的な違いがあるのかどうかということだ。人間にとって神が絶対であることの根拠は、神が世界全体を創造した点にある。つまり、神の被造物である人間は神に逆らうべきではないという考えだ。(その考えの当否は保留しておこう。)神がすべてを創造したとすれば、悪魔自体も神の被造物なのか。それとも、悪魔は神と対等の存在として、最初から存在しているのか。後者ならば、ユダヤ教やキリスト教は一神教ではないということになる。そして、聖書の中における悪魔の存在は、どうやら後者のようなのである。悪魔を神としないのは、ただ、神とは善なる存在だと定義しているからだけにすぎない。しかし、旧約聖書の中の神は、人間の目からは悪にしか思えない行為をしばしば行っている。イスラエルに敵対する部族を殲滅せよという命令などは、「全人類の神」としては悪の行為だろう。


 とりあえず、我々不信仰な人間としては、旧約聖書に書いてあるからと言って、ユダヤの部族の神など、信じる義理は無い、とイエスには答えておこう。


 


 


1-3「私についてきなさい。あなたたちを人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ第4章)


 


分析と解釈:


 これはイエスが、漁師のペテロとアンデレを弟子としてスカウトした時の言葉だ。これだけで弟子になった人間の気が知れないが、イエスにはそれだけの人間的迫力があったのかもしれない。しかし、「人間をとる漁師」とは何か。多分、人間の中から、天国に行ける人間を選び出す係りにしてやろうとことだろう。イエスの言葉という投網を投げて、それに引っ掛かる人間を救ってやろうということか。駅前によくいる「アナタハ神ヲ信ジマースカ?」という、あれだ。投網に掛かった魚は、食われてしまうのが普通の運命だが、キリスト教の投網に掛かった人間どもの運命はどうだろうか。


 


1-4「心の貧しい者は幸いである。天国は彼らのものである」(マタイ第5章)


 


分析と解釈:


 


 いわゆる「山上の垂訓」の最初の言葉で、ルカによる福音書では、「心の貧しい者」ではなく、「あなたがた貧しい人たちは幸いである。神の国はあなたがたのものである」となっている。この違いは大きい。そもそも、「心の貧しいもの」とは意味不明の言葉である。誰もがこの言葉を何となく「謙虚な者」の意味にとっているが、「貧しい」は「貧しい」でしかない。謙虚などという意味はない。大負けに負けても、「心の貧しさ」とは「貧困な精神」つまり、想像力も何も無い、砂漠のような精神しか意味しないだろう。しかし、案外と、そういう人間のほうが、天国に行けるのかも知れない。精神が貧困だから、神を疑うこともないというわけだ。世の宗教信者たち、特に新興宗教の信者というものには、「精神の貧困な者」が多いことは確かである。


 これ以外の「山上の垂訓」の大半は、神を信じ、それを行為に表すならば、この世では迫害されても、天国で報われるという趣旨のものである。では、その天国が存在しなければ? 親鸞のように、法然師匠に騙されて地獄に落ちても悔いはない、と言うか? 天国という空手形を信じて禁欲的に一生を送り、死ぬときになって、自分の一生は無意味だったと後悔する羽目にはならないか?

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HN:
酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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