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宮沢賢治と易の「吉凶悔吝」

宮沢賢治の晩年近いころの手紙にこういう一節がある。


「易の〈吉→吝→凶→悔→吉〉という原理面白く思います。みんなが「吉」だと思っているときはすでに「吝」へ入っていてもう逆行は容易でなく、「凶」を悲しむときすでに「悔」に属し、明日の清楚純情な福徳を約するという科学的にとてもいいと思います」

これに続けて「ねがって常に凶悔の間に身を処するものははなはだ自在であると思ったりします」とも書いてある。

要するに、現在「凶」である時は、すでにその反省〈なぜその事態に至ったかの反省、後悔〉があり、それは次の段階が「吉」であることを約束しているということである。現在、「吉」であることのほうが、〈慢心、油断、他者の嫉妬による〉将来の危険性を予告しているとも言える。
まあ、当たり前と言えば当たり前だが、そう観じることが「凶悔の間に身を処する」ということだろう。
確か易の本でも「吝」は「はじめ良く、後わるし」で、「悔」は「はじめ悪く、後よし」だったと思う。後者は、「後悔し反省するから(するなら)、それからは良くなる」と思えばいい。「吝」が分かりにくいが、「恥じるべきこと」の意味のようで、つまり、現在「吉」でありながら、その福徳を他人に分け与えようとしない「吝嗇さ」のイメージでいいかと思う。つまり、その時点で周囲に嫌悪されているから「凶」に向かうわけだ。

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