罰として「写経」を命じるところから見て、仏教系の学校だったと思うが、記事で書いてある「指導内容」と「処罰」の厳しさは、あまりに仏教精神とはかけ離れたものに思える。
まあ、「仏教精神」というのも曖昧な言い方だが、「不殺生」というのは、言葉で相手を死に追い込むことも含むだろうし、そもそも仏教に「罪と罰」という概念があるとも思えない。
仏教の究極は「涅槃」つまり悟りに至ることであり、極楽とか地獄とかに象徴される「罪と罰」の概念は本来の仏教思想ではなく、日本仏教の作ったものだろう。
そもそも、カンニングされて誰が損するのか、迷惑するのか。全員が「カンニングOK」ただし、他者の答案ではなく、教科書を見てよい、とすれば、テスト自体が優れた教育になるではないか。個々の生徒に優劣をつけるだけのテストに「仏教的な」何の意味があるのか。
この教師たちの姿は、処罰相手に「自己批判」を迫る紅衛兵そっくりである。
せいふう‐うんどう【整風運動】
(以下引用)長い記事のようなので、最初だけ転載する。
【なぜ】息子の死は『指導死』か否か…大阪の有名進学校でカンニング後に自殺 「適切な指導だったのか」遺族らの悲痛の訴え 過去にも約100件の“指導死” 問われる教育の在り方
■発覚後、4時間にわたり叱責・反省文 自らを「卑怯者」と呼ばされ…
「ものすごく優しい息子だった」 「いつも『お母ちゃん大丈夫?』と声をかけてくれるような子だった」 両親が思い出すのは優しい我が子の姿ばかりだった。中学時代は生徒会長を務めるなど真面目な性格。塾の勧めで入学したのが、清風高校だった。 2021年12月に行われた期末試験。倫理政治経済の科目で男子生徒のカンニング行為は発覚した。 訴状などによると、発覚直後、男子生徒は生徒指導室で約4時間にわたって叱責されたり反省文を書かされたりした。母親が学校に呼び出された後も、教員に囲まれた男子生徒は泣きながら謝罪。教員から「カンニングがなぜ悪いか」と尋ねられると「ずるいことをしました」と返した。ところが、教員は続けて問い詰めたという。 (男性教員) 「それにとどまらない、卑怯なことだ」 (男子生徒) 「卑怯者です」 清風高校では朝礼で「カンニングは卑怯者がすることだ」と訓話が行われていた。母親は当時の状況について「自らのことを『卑怯者』と言う息子に違和感があった」と振り返る。
■遺書に「死ぬ恐怖よりも、周りから卑怯者と思われ生きるのが怖い」
男子生徒には以下の処分が言い渡された。 ●全教科0点 ●家庭謹慎8日(友人等との連絡禁止) ●写経80巻 ●反省文と反省日誌の作成 ●学校推薦は行わない カンニングが発覚した翌日、男子生徒は深夜まで写経に取り組んだ。母親は「もう明日にしたら」と声をかけたが、「もうちょっとやってから寝る」と答えたという。「午前1時ぐらいまで写経をやっていて、私は『先に寝るね』と言って…」。これが、親子で交わした最後の言葉となった。 翌朝、男子生徒は近所で変わり果てた姿で見つかった。自ら建物から飛び降りたとみられている。

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