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ネオコンというゾンビどもが日中戦争煽りのために再登場

「スロウ忍ブログ」から転載。
ネオコンなどという言葉を久し振りに聞いた気がする。ネオコンという存在自体がオワコンかと思っていたが、ゾンビのように生き続けているらしい。実際、安倍も石破もゾンビ顔ではある。特に石破の三白眼は、あれは生まれつき他人を恨んでいるような顔である。まあ、他人の顔の話などあまり品が良くないのだが、顔を見れば石原、橋下、前原などが下司中の下司であることは一目瞭然だのに、何で世間の人間がそれに気づかないのか、といつも歯がゆく思う次第だ。
人間の品性など、顔を見れば分かる! 
顔の話はともかく、この総裁選出馬メンバーを見れば、自民党自体がオワコンであることは明らかだ。(年配の方向けに説明すれば、「オワコン」とは「終わったコンテンツ」ということで、賞味期限切れの無価値な存在、ということだ。)
ネオコンとは「新自由主義の新しい潮流に乗り遅れた武闘派、戦争大好き人間」と定義すればいいだろう。要するに「東西冷戦」やら「資本主義対共産主義」といった古いコンテンツにいつまでもしがみついているために、世界支配層からも少々ウザったがられているわけだ。石破が軍事マニアであることはよく知られている。
しかし、まだまだ道具としての価値はあるから、日中戦争を誘導するためには安倍や石破という武闘派、戦争オタクの右翼を自民党総裁にしておこう、というわけだろう。そういう連中以外に誰も総裁選に名乗りを上げないことからも、それは明らかだ。しかも、谷垣は出身派閥のボスの古賀からも見捨てられているし、石原幹事長からもそっぽを向かれていることが、今朝のテレビニュースで流れていたのだから、明らかに谷垣はもはや粗大ゴミ扱いだ。
ん? とすると、自民党はオワコンではなく、ゴミの再生利用場か?
いやはや、民主党もクソだが、自民党はそれに輪をかけてクソである。まあ、ウジの湧いた肥溜めである。
汚い比喩でスマン。だが、汚いものには汚い比喩しかできない。




(以下引用)
 



2012年8月31日金曜日安倍晋三に続き、石破茂も自民党総裁選に出馬する意向。ネオコンだらけの自民党総裁選。
http://surouninja.blogspot.jp/2012/08/blog-post_31.html
今年9月(2012年9月)に行われる自民党総裁選にネオコン石破茂が立候補する意向を固めたとのことである。

同党の総裁選には、石破の他にも、“統一教会のプリンス”安倍晋三・元首相や町村信孝・元官房長官、林芳正・政調会長代理も出馬する意向を示しているとのことだが、候補者が典型的なネオコン(シオニスト勢力)の使いっ走りばかりで残念である。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120831-00000048-mai-pol

<自民総裁選>石破氏が出馬固める…谷垣氏も表明へ

毎日新聞 8月31日(金)15時0分配信

 自民党の石破茂前政調会長は9月の党総裁選に立候補する意向を固めた。9月8日の国会会期末前後に出馬表明する。再選を目指す谷垣禎一総裁も9月7日ごろに正式に出馬表明する考えを周辺に伝えた。安倍晋三元首相や町村信孝元官房長官、林芳正政調会長代理も出馬に意欲を示している。同党は次期衆院選で政権奪還を目指しており、「次の首相」選びになる可能性のある総裁選は候補乱立の様相を呈してきた。

 石破氏を支持する鴨下一郎元環境相ら十数人の同党議員が30日夜、東京都内で会合を開き、来週中に石破氏に出馬を要請する方針を確認。会合の出席者は「(立候補に必要な)20人の推薦人はクリアしている」と語った。石破氏は支持議員に「みんなから支援があれば出馬の決断をするしかない」と明言した。

 一方、谷垣氏は30日夜、側近の川崎二郎元厚生労働相や逢沢一郎総裁特別補佐らと東京都内で会談した。出席者によると、谷垣氏は「政権を奪還する思いで戦ってきたが、あと一歩。自分の手で成し遂げたい」と再選を目指す決意を伝えた。谷垣氏は野田佳彦首相との「近いうちに解散」の合意に基づいて今国会中の衆院解散・総選挙を求めており、周辺は「(出馬表明を急ぐと)解散はもういいんだということになる」と懸念。正式な出馬表明は解散がないことが確定する会期末をめどとする一方、30日からは総裁選での地方票獲得を狙って全国遊説を開始している。

 自民党は31日午前、党総裁選管理委員会を開き、9月14日告示、同26日投開票の日程で総裁選を行うことを正式に決定した。【佐藤丈一、念佛明奈】

2012年03月09日
首都直下地震を想定し、国民の管理・統制・搾取を企むネオコン石破茂。今後予想される“維新の会”への迎合。
http://surouninja.seesaa.net/article/256667384.html

一神教カルト信者の石破茂と言えば、橋下徹や小泉純一郎と同様、英語版のWikipediaでは“ネオコン”として認定されている政治家である。早い話が“シオニスト勢力のパシリ”だな(プ

http://surouninja.seesaa.net/article/227226548.html

Neoconservatives

The neoconservatives are a group of "younger" politicians, in their 40s and 50s. Notable neoconservatives often include:

Shinzo Abe(安倍晋三), former Prime Minister of Japan, the successor of Junichiro Koizumi, an anti-North Korea hardliner
Toru Hashimoto(橋下徹), governor of Osaka
Shigeru Ishiba(石破茂), Former Minister of State for Defense and major proponent of Japan's involvement in the US-initiated War in Iraq
Shintaro Ishihara(石原慎太郎), governor of Tokyo, and co-author of the controversial essay, "The Japan That Can Say No"
Seiji Maehara(前原誠司), a hardliner and former Minister for Foreign Affairs.
Shoichi Nakagawa(中川昭一), Chairman of the Policy Research Council of the Liberal Democratic Party (LDP)
Keizo Takemi(武見敬三), an LDP member and head of the "Young Lawmaker's Group"
Ichita Yamamoto(山本一太), head of the LDP team studying sanctions on North Korea
Junichiro Koizumi(小泉純一郎), a former prime minister, to precede Shinzo Abe is a conservative in the foreign policy arena, and receives support from the neoconservative legislators, but is not himself considered a neoconservative.
橋下徹の大阪維新の会(シオニスト勢力)に迎合する安倍晋三と同様、石破茂も又、間違いなく同会に擦り寄って行くだろうね。

此れでは、海外のシオニスト勢力や其の駒である国内の一神教カルト信者からの支持は得られるかも知れないが、流石に多くの日本国民の支持を得ることなど不可能だろう。まぁ官僚と米軍産複合体の傀儡であるカルト保守勢力にとっては、国民の支持など屁でもないのだろうけどな。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120831-00000052-reut-int

米大統領選、ロムニー候補とオバマ大統領の支持率逆転

ロイター 8月31日(金)9時50分配信

[タンパ(米フロリダ州) 30日 ロイター] ロイターとイプソスが実施した最新の世論調査によると、11月6日の米大統領選に向けた共和党の候補、ミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事が支持率でオバマ大統領(民主党)を追い抜き、僅差ながらリードしている。今週フロリダ州タンパで開かれた共和党の全国大会が追い風となった。

調査は27─30日の4日間にかけて、登録有権者1481人を対象にオンラインで実施。その結果、支持率はロムニー候補が44%、オバマ大統領が42%で、ロムニー氏がわずかながらリードに転じた。

投票予定有権者を対象にした週初のロイター/イプソス調査では、オバマ大統領が46%で、42%だったロムニー氏を4ポイント差でリードしていた。

イプソスの調査担当者、ジュリア・クラーク氏はロムニー候補が3日にわたった共和党大会で追い風を受けたことが示されたと指摘。「党大会は彼(ロムニー候補)にとって非常に順調に進んだ」としている。

いわゆる「党大会効果(convention bounce)」は大抵は長続きせず、オバマ大統領が来週ノースカロライナ州シャーロットで開かれる民主党の全国大会で同党の大統領候補への指名を受諾すれば、今度は同氏の支持率がアップすることも予想される。

ただ、今回の調査結果は、民主・共和両陣営が党内の盛り上げと選挙の行方を左右する可能性がある激戦州の無党派層へのアピールに努めるなか、オバマ、ロムニー両氏の支持率が拮抗(きっこう)していることをあらためて示している。

シオニスト勢力の駒であるミット・ロムニー(米共和党)が今年(2012年11月6日)の米大統領選で勝利し、日本国内ではネオコン総裁率いる自民党(と公明党)が政権を奪取するなどという、11年前(2001年1月20日のジョージ・W・ブッシュ政権成立と同年4月26日の第一次小泉内閣成立)に見た様な最悪な顛末が脳裏を過(よぎ)るわけだが、こういう連中を何時迄も日本の政界に野放しにして同じ過ちを何度も繰り返すほど、今の日本国民の多くは愚かではないと信じたい処である。

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表層的現象に一喜一憂するネット言論

「人力でGO」というブログの今日の記事が面白いので転載する。
韓国大統領の「天皇侮辱発言」は、文字通り日本人の「逆鱗に触れた」というところがあり、ネット論者の大半が冷静さを失っている感じはあった。(龍は大人しい生き物だが、喉の下の逆鱗に触れると狂暴になる、というのが「逆鱗に触れる」である。天皇とは日本人の逆鱗的存在なのだ。まさしく昔なら「神聖ニシテ冒スベカラズ」だったのだが、その天皇神聖視のDNAは今の人の精神にも伝わっているようだ。左翼的傾向の強い人間である私でさえ、あの発言にはかっとなった。赤の他人から自分の親を侮辱されたような気分である、などと言うと、まさしく戦時中の「国民は天皇の赤子」みたいな言葉になるが、まあ、そんな気分だ。)
しかし、そういう風に日本中が狂っている時に、こういう冷静な言葉を読むと、感心してしまう。「人力でGO」というブログは時々右寄りの記事が散見された記憶があるのだが、案外右にも左にもぶれない、中庸的姿勢があるのかもしれない。
まあ、私は経済面だけで政治的判断をするのが正しいとも思わないし、「誇りよりも金が大事」とも思わないし、「いくら侮辱されても喧嘩をしない」ことが正しいとも思わないが、一般国民が戦争で得をすることはまったく無い、とは思っている。そういう意味では「悪しき平和は良き戦争に優る」主義に近いので、韓国大統領のヒステリー発言に冷静な大人の態度で接するのが、とりあえずはいいとは思う。
ただし、韓国と日本という米国の「属国同士」の喧嘩を米国が処理し損なえば、米国のボロが出て面白いかもしれない、という意地悪な期待感もあったのである。だが、戦争はいかなる場合でも最悪の選択だろう。こういう場合に「うまく喧嘩をする」のが外交というものなのだが、はたして日本はこの問題をうまく着地させられるだろうか。
尖閣問題では中国政府は事態の鎮静化を図っているようで、ここでは日中動乱による漁夫の利という米国の狙いは失敗しつつあるようだが。


(以下引用)



■ 日本もアメリカも民主主義は機能していない ■

消費税増税は確かに財務省のシナリオでしょう。

民主党単独では、法案が成立しないので、
民自公の三党協力で、法案が可決しました。

国民がこれだけ反対しているのに、
敵対する政党が協力して法案を通すなど
アメリカでは考えられません。

アメリカはリーマンショックの銀行救済の決定時でも
表向きは「政治対決」を演出しています。
母親の葬儀に出席していた議員を飛行機で呼び戻して、
最後の一票を投票させて、金融機関を救済する事を決めました。
これなど、メチャクチャ茶番で、
金融機関救済は共和党と民主党の裏の協議で合意されていたはずで、
さらには、票数を調整して、最後の一票を演出しています。

しかし、アメリカ人は、民主主義に誇りを持っていますから、
この茶番を見て、「民主主義の原則は守られた」として
銀行救済を良しとするのです。

日本とアメリカのどちらも出来レースで茶番ですが、
日本人は「お上が決めた事」と批判しながらも諦め、
アメリカ人は「民主主義の選らんだ結果」として満足します。

本質的には、民主主義が「絵に描いた餅」である事は変わりありませんが・・・。
対立政党が、表にせよ、裏にせよ、結託してしまえば
民主主義はその時点で機能を失います。

■ 低支持率を武器とする日本型政治 ■

最近の日本の政治を見ると、「低支持率」を巧みに利用しています。

ほぼ全ての国民が反対する消費税の増税は、
一党だけで成立させると、その政党は国民の支持を失います。
ですから、主要3党が等しく責任を負う形で、非難を分散化します。

その過程で3党協力の必要性を演出する為に
小沢一郎以下が、民主党の党議に造反したから、
3党協力が必要だったという演出をします。

さらには、「消費税増税に反対した」という勢力を温存し、
次の選挙の芽を上手に残しています。


TPP問題についても、
当初、野田首相が独断専行した様に報道されますが、
野田首相や内閣の支持率が下がれば、
TPPの推進には、大きくブレーキが掛かります。

アメリカが野田首相をけし掛けても、
これ以上が政権維持が難しいと言って、逃げる事が出来ます。

当然、アメリカは次の首相を選ぶ訳ですが、
これも、マスコミと国民に叩かれて、
「決められない首相」になって行きます。

■ 国民不在の政治の反映が、「イヤ」しか言わない国民 ■

結局、国民が何を言おうと、日本は官僚達によって、
まあまあ、どうにか運営されています。

だから、国民はとりあえず「イヤ」とだけ言っていれば良い。
何か、都合が悪い事が起きても、「俺は反対したんだけどね」と逃げられます。

だから、ネットの言論は、「イヤ」で埋め尽くされます。

そうして「肯定的意見」は、
「お前が責任取れるのか」という非難で潰されてゆきます。

■ 高校の生徒会レベルの言論 ■

ネット言論の多くが、かつての高校の生徒会レベルです。

校則反対、制服反対と主張した所で、
実際の学校運営は大人達が粛々と進めて行きます。

生徒会は生徒のガス抜きにはなりますが、
それによって、高校の本質は何も変わりません。

■ 大量の無責任にかき消される、少数の意見 ■

個人のブログでも立派な主張のブログが沢山ある事も事実です。

しかし、今回の竹島問題や尖閣問題では、
多くの良識的なブログも、韓国、中国に対して強硬な意見を展開しています。

それだけ、韓国大統領の天皇発言は、日本人の心を逆撫でした発言です。

一方で政府は、通貨スワップの継続など、現実的な対応をしています。
財務官僚達は、韓国経済が破綻した時のシナリオを綿密に計算して、
経済的負担の少ない方を選択したとも言えます。

韓国が破綻したら、IMFを通じて、日本は莫大な負担をせざるを得ません。

通貨スワップの継続は、「国家間の喧嘩」に対して弱腰とネットは非難します。
だから韓国や中国が付け上がるのだと・・・。

しかし、私は隣国を経済破綻させる事が、国家として正しいとは思いません。

むしろ、日本はアジアの平和と安定を願っていると主張する事の方が、
今は大事な事である様に感じます。

東南アジア諸国は、韓国と違い親日的です。
それらの国家は、韓国の問題点も良く理解しています。
ですから、日本と韓国が子供の喧嘩の様なレベルで争う必要は無いのです。
大人としての喧嘩のやり方があるはずです。

例えば、通貨スワップ継続を表面的には発表しながらも、
裏では、「テメー、これ以上騒ぐと、通貨スワップしてやんないぞ」と脅すとか・・・。
まあ、アメリカが良く使う手ですね。

尤も通貨スワップ継続は、通貨マフィアからの指示だと思います。
通貨の情勢が不安定な時期に、いらぬ騒ぎを起すなという圧力が当然あるはずです。

さらに韓国の格付けを1ランク引き揚げて、後方支援も怠りません。

日韓のイガミ合いも、結局は誰かの掌の上だという何だかトホホな状態であるという事に、
連日、勇ましい事を書きたてるネトウヨの皆さんは、どれだけ気付いているのでしょう?

「イヤ」と言って責任から目を背けている限りは、見えないものが沢山あります。



<追記>

韓国は史上最高の経常黒字を計上し、
それを受けて、格付けが1ランク上がっています。

しかし、経常黒字を押し上げたのは、
国内不況による輸入の減少という、不況型の経常黒字である事に注意が必要です。

ただ、経常黒字が拡大したからという理由で
格付けを引き揚げる、格付け会社って、いったい何なのでしょうね?

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初心者や新人、新規参入者に冷たい社会

西の京に帰ってきて、すぐにネット接続はできたのだが、NTTからの料金催促状が、ほとんどひと月留守にしていたのに7000円も請求されるという馬鹿な請求額が来ているので、電話契約もネット契約も打ち切ろうかと思案中である。
電話もネットも無ければ無いで私は生きていけるが、それをやめると家族から文句を言われそうなので、とりあえず格安のネット契約でも無いか、探すつもりだ。
まあ、こんな個人的な話などどうでもいいが、人によってはそういう話の方が面白いとか、参考になる、ということもあるかもしれない。
さて、ネット上での話題は相変わらず低調である。今の日本はTPPやACTAや人権救済法案やら何やらで危機的状況にあるが、あまりにそういう状態が長く続いているのでみんな徒労感や倦怠感に捉われているような感じだ。本当は原発事故による放射能汚染もまだ継続中であるのだが、もはや騒いでも無駄、という感じで日本国民は汚染食品を大人しく購入して食べて放射能を体内に蓄積している。乳酸菌やら何やらが放射能に効く、と言われてもイワシの頭を信心するような気にしかなれない。放射能へのあきらめは、日本国の政治的経済的崩壊へのあきらめにもつながり、ある種のニヒリズムが日本社会全体を覆っている気がする。
山科恭介(有名人なので敬称略)がブログをやめるとか言っていて、それも寂しい限りである。沢山のファンのためにも、やはり続けてほしいものだ。ブログなんて、架空の相手とのお喋りなのだから、書いたものに責任など感じなくてもいい、というのが私のスタンスだ。日常のお喋りにいちいち責任を持って発言する奴はいない。そういう気軽なものなのだから、書きたくなければやめればいいし、書きたくなったらまた書けばいい。

実は、下記の文章は昨日書いたものだが、わざわざブログに載せるような文章でもないなあ、と思って没にしかかっていた。しかし、「わざわざブログに載せるほどの文章」など、べつにこれまで書いてもいなかったのだから、書いた時間を無駄にしないために掲載することにする。

私は「考えること」自体が趣味だから、そういう「思考素材」を与えてくれるのなら、世界政治だろうが身近な出来事だろうが、題材としては何でもいいのである。
今日はネット上には面白い話題も無いので、少し足を延ばして、普段はあまり訪問しないブログを訪ねてみた。

「レジデント初期研修用資料」という妙な名前のブログから転載。
研修医のためのアドバイスや感想などを書いたブログで、普通の人が読んでも面白い。筆者は非常に合理的な頭を持っているので、問題の切り口がユニークであることが多く、世の中に罷り通る不合理に慣れ切った人間には新鮮な感じがあるかと思う。
この「オーダー」とは、つまり医者から看護師への「注文」「指示書」だと思うが、その書き方も教えないで「オーダー」を突き返す、というのは、昔の職人世界ではよくあったやり方で、職人世界よりは一見知的レベルが高そうに見える医療の世界でも同じようなものだったんだな、と思う。
そういう不合理、かつ、いじめに近いような行為はどの世界でもあるのだろう。そして、そうした職人世界的やり方をむしろ擁護し、称賛するのが世の常である。案外知られていないことだが、学校の生徒の間では「いじめ容認」の意見が実は多いのである。

学校の部活などでの「先輩への絶対服従」も似たような問題だ。「自分はそうやってきたから、後の者にも同じやり方をさせる」わけである。なぜ、自分はそれで酷い目に遭ってきたから後輩にはそれをやらせたくない、という気持ちになれないのだろうか。

元記事について一言だけ書いておけば、最初に出てきた「オーダー」については、「オーダー用紙」に必要事項を最初から印刷し、研修医が事項ごとに空欄に書き込めば、それで済む話だ。何が必要事項なのかを教えもせずに、それをいちいち突き返すというのは単なる初心者いじめであり、看護師たちのストレス解消手段の一つだったのではないだろうか。それを黙認したままで、改善しようともしない病院上層部の人間的レベルも想像がつく。


(以下引用)

歩きかたと登りかた

研修医だった大昔、患者さんが病棟に上がってきても、オーダーを出すのが大変だった。
ある病名を背負った人に何を行うべきなのか、知識としては一応持っていたのだけれど、それをどうすれば「オーダー」という記法に落とし込めるのか、思うところを書いても、病棟からは「これでは指示を受けられません」なんて突き返されたり、「ふつうに点滴をつないでおいてくれればいいから」と言われた患者さんがいて、じゃあ「ふつう」とは何なのか、ラクテックなのか、ソリタT3なのか、まずはそこから分からなかった。生まれて初めて処方した「ふつうの」輸液製剤は10% EL 3号で、それを書いたら「どうしてEL なの?」なんて、先輩の研修医から怒られた。
駆け出しの本当に最初のこの頃、けっこう長い期間途方に暮れて、たまたま集中治療室の患者さんを受け持つ機会があって、婦長からはじめて、「オーダーの書きかた」を教えてもらった。オーダー用紙には「病名、重症度、安静度、検温の回数、尿測とモニター、酸素の有無、食事、点滴、内服」を、この順番で書く。それだけのことを教わることで、各病棟から突き返された研修医の落書きは、ようやく「オーダー」として通じるようになった。

当たり前のことは難しい

今の研修病院なら、こうした「オーダーの書きかた」みたいなものを教えない施設はさすがにないだろうけれど、昔はこうした「当たり前」の知識については、研修医が各自で発見するものだと考えられていた。研修医が学ぶべきはもっと高度な知識であるべきで、当たり前のことは、わざわざ教えるまでもないからと。
知識の序列は立場が変わると異なってくる。慣れた人なら重要さが順番の要になるけれど、研修医は切実さで序列を付ける。もっとも切実な知識、オーダーの書きかたや「ふつうの点滴」の出しかたは、先輩の序列では「重要でない」ものだから教えてもらえなかったし、教科書に「ふつう」を求めて、答えを探すのは大変だった。
知っていることと、オーダーできることとの差異は本当にわずかなのだけれど、一度知った人間にとっては意識するまでもないことが、研修医には絶望的な壁に思える。一度聞いたら自分も壁の向こう側にいけるのに、どれだけ勉強しても、知識を「オーダー」へと落としこむその最後の半歩が超えられず、けっこう長い期間惨めな思いをする研修医はたぶんそれなりにいるのではないかと思う。

見えるものはずいぶん違う

カルテの書きかたには決まりがあって、最初の方に「主訴」が、患者さんの訴えを記載する欄がある。研修医はたいてい、主訴の欄に病名を書いて、「病名を自分でしゃべる患者さんがいるわけないだろう」なんて、上の先生から怒られる。
立場が異なると、風景はずいぶん変わる。外来を受け持つ上の先生にとっては、例えば肺炎の患者さんは咳や発熱、呼吸困難を訴えて病院に来る人だけれど、研修医にとっての肺炎は、上司から「肺炎みたいな患者さんを病棟にあげるから、先生見ておいて」と紹介される病気して認識される。病棟に来た段階で、患者さんの多くは自分の病名を聞いているし、「どうしましたか?」なんて今さら尋ねても、「外来で肺炎だから入院が必要だと言われました」なんて答えが返って、それをそのままカルテに書くと、あとからまた怒られる。
肺炎に関する知識なら、上司はたぶん、問診や聴診における肺炎の特徴や、肺炎に対して使われる抗生剤の理論的な背景を大切だと考える。研修医はたいてい、「肺炎」という病名が付けられた患者さんにどんな検査を予約すればいいのか、どんな食事を出せばいいのか、安静度をどうすれば怒られないのか、酸素はどうなったら使うべきなのか、そんな知識を切実だと考える。
教科書には大切な知識が沢山記載されているのだけれど、切実な何かが書かれていなかったり、そうした知識を探すのがやけに難しかったりする。

歩きかたと登りかた

山に登るのに必要なのは「歩くこと」であって、「登山とは何か」みたいな深いテーマを学ぶのは、歩き出してからのほうがいい。
成功するための哲学を教えてくれる人は多い。それが重要なことなのだろうし、教える側にも「教えがい」がある。「その業界でスタートするための方法」を教えてくれる人はあまりいない。事務手続きやお金の話みたいな、成功哲学に比べればあまり大切に見えない話が多いし、どうにも高級に遠いから、話す側も面倒だからなのだと思う。
そうした傾向が真実であったとして、結果としてたぶん、「成功できる知識があるのにスタートできない」新人が、世の中には増えていく。
そこで成功するために必要な知識と、そこで食べていく上で切実な知識とは大いに異なる。前者のほうが面白くて大切だけれど、最初に後者を習得しないと、スタートするための障壁がどんどん重たくなっていく。成功するための知識が増えていくほどに、スタートするための知識の欠落が相対的に大きくなって、結局その人は動けなくなる。
山に登ることは、実はそこまでものすごい知識が必要なわけではないのに、「頂上を目指すことの素晴らしさ」を熱心に説いた結果として、登山客を減らしている「山が好きな人」が、社会のいろんな場所にいるのではないかと思う。
スタートするためには何が必要なのか。それにはどんな手続きが必要で、たとえばどれだけのお金がかかるのか。困ったときには何が役に立つのか。誰に援助を求めればいいのか。オーダー用紙や契約書の文面の文面は、どんな型に従って書くのが無難なのか。若い人を教える機会なんてもうないんだけれど、そういうのをまとめてみたかった、あるいはそういうのがあれば、研修医の時の苦労は少しでも減らせただろうなと思う。

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私も台風も左巻きか

私は、言葉の誤用には割とうるさい方だが、知識そのものの正誤にはルーズだ。もともと、何かを事実であると判断すること自体が当人の主観なのだから、その主観を幾ら突き合わせても純粋な客観にはならない。昔は天動説が真理だったのだろうが、今は地動説が真理とされている。だが、シャーロック・ホームズの言葉を借りれば、それがどっちだろうが「そんなことは僕や僕らのやっていることに対して、なんらの相違も起こさせやしない」のである。
というわけで、私はそれが常識かどうかなど、まったく気にしていない。むしろ非常識な思想にこそ惹かれる方である。
しかし、そういう風に「世間の知識」を軽視していると、馬鹿な発言をして世間からは相手にされなくなるわけで、私もこのブログで何度も馬鹿な発言をしている。
昨日一昨日書いた台風の話の中で、「台風は北半球では時計回りだ」と書いたが、これは逆のようだ。調べもしないで物を書くからこういう馬鹿な間違いをする。
私の書く文章なんてその程度のものである。読む人はそういうつもりで読んでいただきたい。まあ、私が注意しなくても大丈夫だろうが。
台風が反時計回りだとすると、その進路についての私の理屈も成り立たなくなり、台風の進路は台風の渦の回転のためではなく、上空のジェット気流によるものだ、ということになるのだろう。しかし、ジェット気流は南西から北東方向に吹いている以上、台風の進路も原則的にそれに同調して進むはずである。実際、昔はそう進んでいたのだ。ならば、現在の台風の奇妙な進路は、やはり不自然であり、人為性が疑われる、という結論に変わりはない。
まあ、今日は記述の間違いのお詫びと言い訳と開き直りという、謙虚なのか傲慢なのか分からない文章であるが、とにかく「台風は反時計回り」のようだ。

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台風と、沖縄(日本)のブータン化

今日の「つむじ風」ブログを読んで、今回の台風15号の進路が操作されていたという考えが一層強くなってきた。
何しろ、台風の動きを表す動画を見れば、台風が本来の渦巻きの進路の性質通りに右曲がりになろうとする度に、ぐいっと左に進路を変えられ、沖縄を目指しているのだから、沖縄直撃は当たり前だ。その奇妙な細かいジグザグの動きを見れば、これは操作されている、と考えざるを得ない。貴重な情報を掲載してくれたつむじ風(飃平)さんに感謝したい。(「飃」の字は間違いかもしれない。難しい字だ)
しかし、なぜ沖縄直撃なのだろう。
これまでは、むしろ、沖縄には米軍基地があるから気象兵器の対象にはならない、と考えられたのだが、連中の考えが変わったのか。
まあ、気象操作が可能かどうかは、まだ憶測の段階なのだが、もしもそれが可能なら、旱魃で苦しむ米国に台風でもハリケーンでも運んで、大雨を降らせば有益だろうにね。
もっとも、彼らにとっては自分たち以外の存在は虫けらのようなものだから、害虫を駆除しているつもりかもしれない。
しかし、台風14号までがコースを変えて台風15号の後から沖縄を直撃しそうな形勢になってきたのには参った。これは、会社も学校(予備校や塾)も当分は閉鎖して沖縄県民は家の中で遊んでいろ、という天の声か。
まあ、働くばかり、勉強するばかりが人生ではない。台風で停電になれば、久しぶりにローソクでもともして、家族全員で花札やトランプや家族マージャンでもやる、という「電気を使わない娯楽」を味わうこともできる。そこから、「電気を使わない生活」「低エネルギー生活」への展望も出てくるだろう。案外、それこそ人間らしい生活かもしれない。


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台風の進路は設定されている?

沖縄に史上最大級の台風が近づいているようなのだが、台風と言うと、「気象操作」で台風のコースを変えることは可能かどうかという疑問を多くの人は持っているだろう。そして大半の人はそれを「例の陰謀論」の一つとして一笑に付しているだろう。

しかし、近年の台風のコースは明らかにおかしいのである。
昔は、台風のコースは右曲がり、つまり右投げ投手のシュートの軌道を取るのが普通だった。台風は北半球では時計回りだから、右投げ投手のシュートと同じ原理で、右に曲がっていくのは当然だろう。(追記:これは私の間違い。28日の記事参照)
しかし、最近は左に曲がっていくことが非常に多いのである。
しかも、そのコースがあらかじめ気象庁などで予測された通りである。去年の迷走台風など、その異常で複雑なコースが発生当初から予測されていた通りになったのである。
これは、台風のコースがあらかじめ設定されており、その情報の一部が日本の気象庁や気象予測会社に流れている、と推理していいのではないだろうか。
まあ、いかにも「陰謀論」的な話だが、それなら、なぜ時計回りの台風が左に曲がっていくという予測ができるのか、説明が欲しいところだ。
ついでながら、気象操作については今日の「つむじ風」ブログに載っている動画で説明されている。
私が不正確ながら中学生レベルの頭で説明すれば、地球上空に電磁波だか低周波電波だかを照射して、そこの空気を加熱し、上昇気流を作って気圧を低くする。気圧の低いところには空気が流れ込むので、そういう「空気の流れ(気圧の誘導路)」を順次作っていけば、台風の誘導はできる、という話ではないかと思う。
カナダにある「HAARP」という施設がそういう気象兵器である、というのが世間では「陰謀論」とされている奴だ。
気象操作が可能ならば、それを使えば台風の無力化も無害化もできるのだが、それが逆に「兵器」として使われているとすれば、「あの連中」の基地外ぶりも度を越している。彼らは人類(アジア人、特に日本人)を本気で削減するつもりであるとしか考えられない。
まあ、はっきりした証拠が出るまでは、これはあくまで可能性としての話にとどまるのだが。

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奴隷の平和、動物の幸福

文芸評論家山崎行太郎のブログ、「毒蛇山荘日記」から転載。
すべてはここにポイントがある。


「何故、現在の「奴隷の平和」「動物の幸福」に満足せずに、わざわざ独立とか自立とかを目指すのか」


対米従属派官僚や対米従属派経済人とはまさしく「奴隷の平和」「動物の幸福」を選択し、そこから利益を得ている人々である。そしてその「動物の幸福」の一部は国民大衆にも確かに配分されている。
ならば、それがなぜ悪いのか、というのが彼らの言い分だろう。自分たちこそ現実が分かっているリアリストであり、日本自立の空理空論など相手にしていられない、というわけだ。
とすれば米国における黒人奴隷解放は誤りであった、という話になる。
黒人奴隷は奴隷のままでいることが幸せなのだから、なぜ解放する必要があるのか、というわけだ。実際、アメリカ南部の奴隷所有者の意見はそうであったのだ。

さて、我々は奴隷の状態でいるのが幸福なのだろうか。
いくら所得が低下し、ワーキングプアが増大し、生活保護世帯が激増し、生活保護給付水準がどんどん低下しても「他国の一般庶民よりはまだまし」なのだから、これを「幸福」と思って我慢し、現状を受け入れるべきなのだろうか。
いくら政府に抗議しても原発は再稼働し、原発事故被害者は救済されず、どんどん困窮し、病死していっても、「まだそれより不幸な人はいる」から現状を我慢するべきなのだろうか。
どんなに抗議してもオスプレイは配備され、TPPはおそらく締結され、ACTAや人権擁護法案だか何かによって表現の自由も失われ、政治的発言もできなくなってもまだ「中国や北朝鮮に比べれば」自由だとか言って、我慢するべきなのだろうか。
あるいは現在戦火の中にあるシリアなどにくらべれば平和なのだから、この国に生まれた幸福に感謝するべきなのだろうか。

すべて、これらは「奴隷の平和」であり、「動物の幸福」なのである。
我々がこれに文句を言わない理由は、ただ一つ、「今ひどい目に遭っているのが自分ではない」からだ。
あるいは、≪文句を言えば、自分自身に不利益が生じる≫からである。そのようにこの社会は仕組まれているのである。

戦う者は、銃弾に倒れるかもしれない。そして、戦わなかった者はその死者の犠牲による新しい世界から利益を得るだろう。
賢い人間は、だから黙っている。そういう「賢い」卑怯者でこの世界は満ちている。
そういう「賢い卑怯者」を「奴隷」と言うのである。
「無知な者」を「動物」と言うのである。

鎖につながれているから奴隷なのではない。「奴隷」とは奴隷であることを自ら受け入れ、精神の高貴さを失った精神の在り方なのだ。






(以下引用) *明らかな誤字や誤記は一部修正してある。


今こそ奴隷の思想を排せよ

―― 奴隷の思想が自覚症状なしに蔓延している。

山崎 江藤淳が『奴隷の思想を排す』を発表したのは1958年のことだ。だがそれは叶わず、2012年現在、政治家やマスコミ、保守論壇は、奴隷の思想を拝している。この事実が彼らの沖縄をめぐる発想から証明されたことは、既に見た通りだ。

 奴隷の思想とは、幻想を無責任に信じ込む現実逃避に他ならない。戦後日本は多くの幻想、たとえばキレイな民主主義やクリーンな政治家、憲法九条、日米安保を妄信してきた。しかしこうした幻想に浸かって現実から目を背けるのは幼稚で無責任な振舞いだ。軍事力を負担しなくても国家は守れるという幻想の代償を、現に沖縄が払い続けているではないか。

少なくとも冷戦時代の日本人たちは、欺瞞と矛盾にまみれた厳しい現実をしっかりと直視していた。そしてその眼差しには、痛みと悲哀、そして悔しさが湛えられていた。大江健三郎はその想いを、著書『人間の羊』の中で「ヤンキー・ゴー・ホーム」という文学で著した。

この小説は、日本人大学生が、アルバイトの帰りに、米兵の乗り合わせたバスの中で、辱めを受けるが、何も声高に抗議も抵抗もせずに、屈辱感を抱え込んだまま立ち去って行く話だが、外国に占領され、外国兵の乱暴狼藉を黙って見ているしかない日本人の絶望と悲哀がよく描かれている。言い換えれば、大江健三郎の時代は、米国、ないしは米国人、米兵への怒りと憎しみが、存在したということだ。私は、若い頃から保守・右翼的思想の持ち主だったが、しかし左翼学生運動に命と人生を賭けて闘う学生たちの心情の奥底には、共産主義革命とか永世中立の理想とは別に、最も健全な民族自立のナショナリズムとしての「反米愛国」「民族独立」の精神があったと思う。逆に保守・右翼陣営で、「反米愛国」「民族独立」の精神を保持していたものは、江藤淳や三島由紀夫のような僅かな例外は別として、少ないのではないか。いずれにしろ、反米、親米に限らず、まともな思想家や文学者は、その心の奥底に反米愛国、鬼畜米英の精神を保持していた。いずれにしろ、左翼右翼というイデオロギーにとらわれない目で見ると自体(夢人注:「事態」か?)は明らかになるはずだ。大江健三郎の文学が戦後の日本で、一世を風靡し、最終的にはノーベル賞にまでたどり着いたのは、抑圧され、鬱屈した日本国民の怒りと屈辱感を描くことに成功したからだ。≫

しかし今や我々はその想いを忘れ、「ギブ・ミー・チョコレート」だけを覚えている。その後「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫んだのは、沖縄と鳩山元首相だけではないか。

しかし日本の保守派やマスコミは、鳩山由紀夫を「ルーピー」と呼んで嘲笑している。アメリカ政府からみれば、確かに「ルーピー」だろう。植民地国家の首相のくせに偉そうなことを言うんじゃないよ、というわけだろう。しかし日本人が、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と言い放った鳩山由紀夫を「ルーピー」と呼ぶのは喜劇と言うより悲劇だろう。日本人よ、そこまでアメリカの奴隷国家、植民地になりたいのか、というわけだ。大江健三郎や鳩山由紀夫は、愚か者かも知れない。何故、現在の「奴隷の平和」「動物の幸福」に満足せずに、わざわざ独立とか自立とかを目指すのか、と。

ジョセフ・ナイ、アーミテイジ、ケビン・メアなどのジャパン・ハンドラーズと呼ばれる人たちの著書や論文を読むとよくわかる。彼等は、鳩山由紀夫や小沢一郎を、「ルーピー」だとか「安保音痴」だとかいって違反(夢人注:「批判」の誤記だろう)罵倒する。彼等にとって厄介な人物だからだろう。逆に、彼等の言いなりになる政治家を絶賛する。われわれは現実を直視しなければならない。鳩山や小沢の方が、現実と対決していると言わなければならない。

 彼らのように、我々は現実と向き合わなければならない。欺瞞と矛盾を一身に引き受けなければならない。それは凄まじい痛みを伴う。しかし、それこそが物事を「経験」するということだ。

この経験がなくては、現実を引きずりながら理想へ近づくことなど、決して出来はしない。

―― 山崎氏は、著書『それでも私は小沢一郎を断固支持する』において、現実を引きずりながら理想へ近づく政治家として小沢一郎氏に期待している。

山崎 リーマンショック以後のアメリカの弱体化をうけて、現在は「第二の冷戦終結」と呼ばれることもある。そしてまさにこの時期に、「第一の冷戦終結」のときと同じように、政治家小沢一郎が躍動している。マスコミをはじめとする知識人は相変わらず、これを単なる権力闘争として冷笑しているが、政権交代から民主党分裂、新党立ち上げに至る一連の動きは、リーマンショック以後の時代に対応しようとする、対米自立を志向した政治運動ではないか。今度こそ好機を逃してはならない。私はそのために、小沢一郎を断固支持する。

 第二の冷戦が終わり、主人であるアメリカが没落しつつある今、もはやアメリカの奴隷でいられる時代は終わった。今こそ我々は、対米従属と訣別しなければならない。奴隷の思想を排すためには、まず奴隷であると認めなければならない。それが痛みを伴いながら現実と向き合うということであり、日本の独立自尊へ向けた第一歩となる。

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