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天皇・皇后の御不例と福島訪問

「阿修羅」記事から転載。(末尾の投稿者感想は余計に思えたのでカットした。)
対談の詳細はよく分からないが、書かれた内容にはある程度の蓋然性があるように思われるので、「思考素」の一つとして備忘的に保存しておく。(長いので、読む人は適当に飛ばし読みをすればよいと思う。)
特に赤字部分にした天皇の御不例(この対談の時点では皇后の健康不安はまだ起こっていなかったのだろう)が数次に亘る福島訪問と無関係ではないという指摘は、多くの人の盲点になっていたのではないか。福島訪問は天皇や皇后ご自身の意思によるものだと私は思うが、国民へのその愛情が仇になったようだ。
(なお、私は尊皇主義者だが、「天皇様」「皇后様」とは書かない。「度の過ぎた」敬語は日本語の欠点であるという考えからだ。敬語そのものはあって良いと思うが、社会的上下関係を明示するのが敬語の主な機能であり、上を傲慢にし、下を卑屈にしがちである。)


(以下引用)


100年後の日本(人口は20%~30%に減少、社会の活力も頭脳も何もかも失う)-バスビー他の対談から (院長の独り言)
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/139.html
投稿者 天下万民 日時 2013 年 6 月 13 日 12:23:04: icvBmcVGYoU6M
Fallujah, Fukushima, & the Global Radiation Catastrophe, Part 2から

(前略)

モレ: 2009年に、マレーシアのマハティール博士が開催した戦争犯罪会議に招かれました。私にとっては2回目の参加でした。マハティール博士とは、前マレーシア大統領です。バズビーさんも2007年の会議に参加され、それは素晴らしい発表をなさいましたね。
さて、2009年の会議で私は、「世界の人口および出生率の減少を裏付ける2008年の国連報告書」という発表を行いました。そのとき、国連が独自に出した報告書から二つのグラフを皆様にお見せしました。[編者注:第8図および第10図]
第8図
世界、先進国、開発途上国および後発開発途上国における平均年間人口変化率1950年-2050年
1963年に核実験が終了して以来、世界の人口は減少している。
変化率(傾き)は、すべてのグループに関して同様であり、人口減少の原因が共通していることを示唆している。
人口減少の原因が核物質による環境汚染であることは、第10図が示すように、新たな核技術がもたらされる度に人口および出生率が減少していることからも伺える。
すなわち、大気核実験(1952ー63年)、原子力発電所の稼働(1960年以降現在まで)、チェルノブイリ事故(1986年)、劣化ウラン弾および正体不明の核兵器の使用(1990年以降現在まで)および最小に見積もってもチェルノブイリ事故の300倍に等しいフクシマ事故(2011年)により、人口が減少し続けているのが読み取れる。
Source: UN Report: “World Population Prospects: The 2008 Revision – Highlights”, Fig. 2.
第9図 国連とは矛盾する世界人口増加を示す世界資源研究所のグラフ
世界資源研究所は、1982年に「持続可能性」の概念を広めるために設立された研究所で、世界銀行および他の国際金融機関の出資を受けている。
同研究所には、ロックフェラー財団、オープンソサイエティ財団(ジョージ ソロス)および中央情報局関連の財団など、多くの財団が資金を提供している。
また、ゴールドマンサックス、ウオールマート、ウェルズファルゴ銀行、富裕な個人投資家、石油会社も資金を提供している。
同研究所の役員会には、新世界秩序の行動計画を広める「グローバルセールスマン」が名を連ねている。(例えば、元米国副大統領のアル ゴア氏や原子力産業関連者など。)
世界資源研究所は、明らかに新世界秩序の行動計画にもとづいており、人口過剰、人口削減、原子力エネルギー、気候変動などについて喧伝することにより、グローバル支配を目指すエリートの利益に寄与している。
Source: World Resources Institute
第10図 世界、先進国、開発途上国および後発開発途上国における合計特殊出生率の推移1950年ー2050年
1963年の部分的核実験停止条約により、10年にわたったイギリス、アメリカ、ソビエトの大気核実験が終了したが、この国連のグラフは、同条約締結後に出生率が大幅に減少したことを示している。
また、イラク戦争(1990年ー2000年)での劣化ウラン兵器および正体不明の核兵器の導入に伴ってさらに出生率が減少したことをも示している。
2011年のフクシマ事故は、世界の出生率および人口に関して大量殺戮的かつ無差別的な影響を与えたが、いまだにその影響の規模は未知である。しかしながら、過去に判明した核汚染の影響を遥かに上回るであろう。
UN Report: “World Population Prospects: The 2008 Revision – Highlights”, Fig. 3.
これらのグラフは、1986年以降、世界のすべての国や地域において、人口も出生率も減少していることを示すものです。
これらのグラフをお見せしましたら、会場からかなりの反響がありました。皆さん、「えっ?国連は、人口が急増していて爆発しそうだと言っていたじゃないか!?」と仰るわけです。
でも、驚くことに国連が独自に出した報告書や統計は、すべての国や地域で人口や出生率が減少していると示しているのです。いいですか、国連の統計がそう言っているのです。そして、私が何より驚いたのは、先進国の人口および出生率が最も減少していることでした。原発がない発展途上国より遥かに多くの減少ですし、世界の平均と比べても多くの減少を示していたのです。
フェッツア博士: 先進国より発展途上国の出生率が高いのは、一世帯当たりの子供の数が多いということじゃないのですか。
モレ: 原発立地地図をご覧ください。すべての主要先進国にほとんどの原発が建てられています。日本、アメリカ、カナダ、そしてヨーロッパ..
第11図 世界の原子力発電所の立地図
ロンドンのシティの銀行家は、原子力エネルギーを支配し、原子力は最も安価なエネルギーかつ地球温暖化の解決策であるとして、贈賄と欺瞞にまみれながら推進してきた。
現実には、原子力発電は最も高価な発電方法であり、各国政府の助成金と税金が投入されている。また、ライフサイクル全体を通した温室効果ガスの排出量は最大である。
原子力エネルギーは、世界の公衆衛生および環境の健全性に多大な影響を与えており、国際社会および環境にはその影響に対処するだけの余力はない。
Source: “The Madness of Nuclear Energy”, The Ecologist 29/7 (November 1999), back cover.
フェッツア博士: つまり、原子力に何らかの形で関わっているために地域が汚染され、人口や出生率が減少したということですか。
モレ: その通りです。
フェッツア博士: では、原子力エネルギーは、もともと有害で回避されるべきであったというのですね。これらの国々は、原発周囲の人々の健康や繁栄を度外視して金儲けをしたがる産業界からの働きかけを拒否すべきだったということですね。
モレ: ええ。そして、これら2つのグラフ(第8図と第10図)から読み取れることは他にもあります。
一つには、核実験が非常に深刻な影響を及ぼしたために、人口や出生率が減少したということです。そしてもう一つは、チェルノブイリ事故で、人口や出生率がさらに大幅に減少したし、その後のイラク戦争、アフガニスタン戦争、ユーゴ紛争も人口や出生率の減少に拍車をかけたということです。
このように世界的に起きている人口や出生率の減少は、環境汚染に起因するものです。先進国における人口変化率および出生率を示す曲線はもともと緩やかでした。ですから、急激な減少を示してはいません。しかし、先進国以外のすべての地域に関する減少曲線は、みな一様ですし、急な傾きを示しています。そして、減少傾向は世界的に見られます。それゆえ、人口や出生率の減少は、環境汚染が原因だと言えるのです。
フェッツア博士: バズビーさん、何か付け加えたいことがありますか。
バズビー博士: まあ、人口や出生率の減少の理由の一つは、核実験が行われていた時代に放射能降下物により被爆した男女が、1986年頃から子供を産むようになったということもあるでしょう。
第12図 大気核実験による放射性降下物 1952-63年
「雲の下で 核実験の10年」より引用した放射性物質の降下状況を表す地図。
この地図から、ネバダ核試験場で1200回行われた核実験の影響が見て取れる。
2002年アメリカ政府は、1958年から1963年にアメリカに居住していた全ての人が核実験による放射性降下物に曝されたと認めた。
現在、アメリカでは、放射能の影響と思われるガン、心臓病、自閉症、糖尿病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、ぜんそく、ぶらぶら病、新生児の甲状腺機能低下症、肥満、学習障害が蔓延している。
また、アメリカの子供12人に1人に障害がある。
Source: R. L. Miller, “Under The Cloud: The Decades of Nuclear Testing” (1991). D.V.Conn “U.S. Counts one in 12 children disabled”, Washington Post (6 July 2002).
これまでに行われた調査から、1959年から1964年までに産まれた人は、他の時期に産まれた人に比べると、骨の中にストロンチウム90とウランを非常に多く持っていることがわかっています。
また、この時期に産まれた人は、60年代に被爆した結果、遺伝的な損傷を受けたこともわかっています。そして、80年代になって子供を持つようになったとき、その人達から産まれた子供は、「F1」(雑種第一代)というか「Fallout 1」(放射能降下物による被爆を受けた親から生まれた第一代)となったわけですし、子宮内で亡くなった子供もずっと多かったでしょう。
13図 核の時代におけるアメリカの新生児の健康悪化 1945年ー1996年
図1 アメリカにおける乳児死亡率 1935年ー96年
1935年に乳児死亡率が減少に転じて以来、妊婦の管理と啓蒙が功を奏して乳児死亡率は一貫して減少してきた。しかしながら、1947年に始まった核実験時代において、乳児死亡率は大幅に増加した。
スターングラス博士の見積もりによれば、低線量であっても、胎内にいるときから大気中に拡散された放射性物質の電離放射線に被ばくしたことで100万人を超える乳児が死亡した。
イギリスの放射能の専門家であるバズビー博士は、日本のエアフィルターに付着した放射性物質を計測することで、フクシマ事故で拡散された放射性物質の見積もりを行った。
同博士が見積もりのさいに参照したのは、1963年にイギリスのハーウェルにある放射線研究所による計測値である。同研究所は、放射能物質の拡散量が最大時の濃度を計測した。
バズビー博士の見積もりによれば、フクシマ事故により拡散された放射性物質は(2011年8月現在)、1963年にイギリスで計測された濃度の1000倍であり、チェルノブイリ事故の300倍である。
Source: J.M. Gould, E.J. Sternglass et al, “U.S.A. Newborn Deterioration in the Nuclear Age, 1945-1996”, Radiation and Public Health Publications (1998). This was presented at the International Congress on the Effects of Low Dose Ionizing Radiation in Childhood and Youth, in Medicine, Industry and Environment in the Workplace, March 19-21, 1998.
1963年にスウェーデンのルーニン博士が行った調査がネイチャー誌に掲載されました。ルーニン博士は、ネズミを使って実験を行いました。あるグループの雄のネズミにストロンチウム90を注射し、その直後に雌のネズミと交尾させました。これら雌のネズミは妊娠し、妊娠中期まで妊娠を継続させました。
その後、雌ネズミを殺し、胎児の死亡数を数えたのです。その結果、ストロンチウム90を注射された雄ネズミと交尾した雌ネズミの胎児の死亡数は、コントロール群の死亡数より著しく多かったのです。
セシウム137を注射された雄ネズミと交尾した雌ネズミの胎児の死亡数は、コントロール群とさほど差はありませんでした。このことから、1963年頃に生まれた女性の妊娠のさいに胎児の死亡が増加したのではないかと思います。1963年が核実験のピークだったと思いますからね。
このような放射能の妊娠出産への影響は、モレさんの仰ることと辻褄が合いますし、チェルノブイリ後に見られた現象とも整合性が取れます。もちろん、チェルノブイリ事故そのものが、核実験と同様な影響をもたらしたわけではありますが、チェルノブイリ事故の影響だけではありません。
そして、北半球で出生率の過去最大の減少が見られたということも、放射能の影響で説明できます。北半球でほとんどの核実験が行われたからです。
第14図 大気核実験による世界的な糖尿病の増加
特定の狭い地域(ニューヨーク市)、特定の広い地域(アメリカ)そして世界における糖尿病の増加を見れば、核実験の人間の健康への影響を読み取れる。
世界の糖尿病地図は、明らかに放射能降下地図と重なっており、放射性物質がジェット気流とともに基本的に西から東に拡散したことが明らかである。
Source: N.R. Kleinfield “Diabetes and Its Awful Toll Quietly Emerge as a Crisis”, The New York Times (9 January 2006)
大規模な核実験による放射能降下物の拡散地図をご覧になれば、放射性物質のほとんどが北半球に拡散されたことがわかります。そして、最大規模の核実験が行われたのは、旧ソビエトであるロシアのノバヤゼムリャでした。このメガトン規模の実験で、南半球よりも北半球がずっと多く汚染されました。このように放射能汚染が出生率減少の原因であると説明できるのです。
モレ: もちろん、放射能ですよ。そして、311の後に出されたアメリカ疾病予防管理センターの報告を参照しながら、アメリカの地域別の過剰な死者数を調査しました。そして、放射能汚染が死者数を増加させるという現象が見られました。
3月11日から9月3日までの死亡率が上昇しており、通常より3万4千人が多く亡くなっていたのです。この死亡者数には、フクシマ事故による赤ちゃんや胎児の死亡数は含まれていません。この3万4千人という数字は、過去の死亡率では説明できない過剰な死者数なのです。
第15図2011年3月11日以降の過剰な死者数
アメリカ疾病予防管理センターが発表した2011年3月13日より同年9月3日の期間における統計によれば、アメリカのすべての地域で死亡者数が著しく増加し、その数は例年に比べて過剰といえる。
このようなアメリカ全土で見られる急性死は、週を追うごとに増加しているが、その原因は日本のフクシマ事故による環境汚染以外に考えられない。
乳児死亡数も増加したが、この地図の統計には含められていない。
Source: Bobby1, “Post-Fukushima Excess Deaths in US Updated for Sept. 3”
さらに、年齢別の死亡率増加を考察したときに興味深いことがわかりました。
今日65歳以上の人は、第二次大戦終了時以前に生まれたので、子宮内で電離放射線による被爆を受けていません。その人たちの死亡率の増加を見ると、ある地域は3.6%増だったのに対し、別の地域では8%増という違いがみられたのです。
3.6%増だった地域は、西海岸の太平洋沿岸地域でした。一方、8%の増加が見られたのは、カナダ国境からメキシコと国境までの山岳地帯にあるネバダ州、アイダホ州、コロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、モンタナ州、ワイオミング州などでした。これらの州がいずれも山岳部にあることから、放射能による環境汚染は、天候と地形に左右されることがわかります。
フェッツア博士: それに、山岳地帯では、特定の大気汚染物質も蓄積されやすいですよね。
第16図 2011年9月日現在のフクシマ事故による死亡率増加
左図: 月ごとのフクシマによる過剰な死者
右図: 過剰な死者の地域および年齢区分
電離放射線による度重なる被爆の積算効果が、若年層の死亡率増加に現れている。
Bobby1, “Post-Fukushima Excess Deaths in US Updated for Sept. 3”
モレ: その通りです。そして、山岳地域のほとんどの州における高齢者の死亡率は、実は、若い世代の死亡率より低いのです。第16図を参照してください。
太平洋沿岸地域、山岳地域、東北中部地域における死亡率を見てみると、45歳から64歳のグループの死亡率の方が、65歳以上の高齢者グループの死亡率よりも高いのです。65才以上の高齢者グループは、胎児のときに電離放射線による被爆を受けていません。でも、45歳から64歳のグループは、核実験や原発からの放射能に被爆しています。
そして、もっと驚いてしまうのは、西南中央部地域における25歳から44歳のグループの死亡率の増加です。18.7パーセントです。この数字は、65歳以上の高齢者グループの死亡率の3倍ですし、大気核実験による胎内被爆を受けた45歳から64歳のグループの2倍から3倍です。
西南中央部地域とは、オクラホマ州、アーカンサス州、テキサス州、ルイジアナ州です。テキサス州には、多くの軍事基地があります。テキサス州からは、中東や中央アジアに多くの兵士が派遣されました。彼らは、戦地からテキサス州に戻ってきたのですが、あまりにも病状が重くて軍隊に戻れないのです。それで、彼らは、基地のまわりで生活するようになります。自分がかつていた基地のまわりに住んで、障害者手当を受けるためです。そして、25歳から44歳のグループにおける死亡率の増加が18.7%というのは、電離放射線への度重なる被爆および数世代に渡る被爆ということによってしか説明できないと思います。
フェッツア博士: 積み重なった影響というわけですね。
第17図 日本の主たる死因 1899年から2003年
1945年までの日本の主な死因は感染症であったが、抗生物質によりおおかたの感染症は撲滅された。
1945年に広島と長崎に原爆が投下され、第二次大戦後の日本の主たる死因に原子力技術の影響が加わった。積算的な被爆で脳血管疾患、ガン(緑色の線)、心臓病による死亡数が増加し、主たる死因の感染症に取って代わった。
Source: Vital Statistics of Japan 2004, Ministry of Health, Labour and Welfare, Vol.1, p.67, Fig.4.
モレ: その通りです。
フェッツア博士: バズビーさん、フクシマについて討論するまえに、なにかお話になりたいことがありますか。フクシマに関しては、モレさんの最近の調査についてお話を伺ってから、バズビーさんの新しい本についてお話頂こうと思っているのですが。
バズビー博士: ええ、まあ、このような集団に現れる影響に関して、大筋で同意します。以前、モレさんの乳がん患者集団についての考察を聞いたことがありますからね。
そして、5年ごとに区切って見ると、集団に現れる影響がさらにはっきりとわかります。第17図を参照してください。つまり、電離放射線に多く被爆した女性が乳ガンになる可能性が上昇しています。そして、もちろん、電離放射線に被爆しなかった年配の女性の乳ガン罹患率は低いです。このように、かなり明確に違いがわかるのです。
そして、このグループの女性は、年齢を重ねながらガン年齢へと移行していきます。そうしますと、核兵器から放射性物質が大量に大気中に放出されたころに生まれた人たちに、ガンが多く発症するだろうと思います。
私が心配しているのは、このような研究を誰もしていないということです。もちろん何百万ドルや何百万ポンドもの資金が投入され、ガンや他の疾病の原因についての研究は行われています。でも、誰もこれらの研究の方向性を見ることが許されていないのです。研究の出発点やその方向性を考慮することが許されないというのは、とてもおかしなことです。そして、誰かが何かを言おうものなら、すぐさま片隅に追いやられ、笑い者にされるのです。
フェッツア博士: 今、私たちが話しているのは、高齢者のガン発症率の増加と若年層の出生率の低下が世界の人口の減少を引き起こしているということですよね。
バズビー博士: そう、その通りです。ガンだけではないのです。放射能が全面的な影響を及ぼして死を引き起こすことは、皆よく知っています。そして、事実、このことは非常に重要な観察です。なぜなら、もし心臓麻痺で死んだとしたら、死因はガンとはならない からです。
そのため、これまでに被爆者グループに関する遡及的調査が行われましたが、ガンによる死ではなかったと片付けられたことが多くありました。被爆者グループにおける人たちは、ガンを発症するであろう年齢に到達する前に亡くなっていたのです。
フェッツア博士: とても重要なことですね。鋭い分析です。
バズビー博士: ついでに申せば、このことは、核実験に参加した兵士達についても特に当てはまります。私は、今、イギリスで核実験に参加した兵士に関するいくつかの大きな訴訟に関わっております。
実験参加兵士に関するいくつか調査が行われました。そして、ラジウム夜光塗料に被爆した人たちについての遡及的調査、および、なんらかの治療でトロトラストを注入された人々についての遡及的調査も行われました。
[編者注: トロトラストは、X線照射に際して鮮明な画像を得るために体内に注入された二酸化トリウムのこと。]
そして、これらの調査結果を詳細に見ますと、常にガンの調査となっていて、研究者達がこれらの人々におけるガンの発症を見ようとしていることがわかります。実際は、これら調査対象となったであろうはずの人々は、ガン年齢に到達するどころか、調査が始まるずっと以前に亡くなっている場合が多いのです。つまり、調査対象群にはバイアスが入っていて、正しい調査とは言えないのです。
フェッツア博士: モレさん、フクシマに関する話題に移るまえに、このことについて何か仰りたいことがありますか。
モレ: いえ、結構です。
フェッツア博士: では、最近のフクシマについてざっと概観してください。そして、フクシマ事故の影響と日本の人口についてもお聞かせください。人口問題については、すでにお話しになりましたが、フクシマの影響で日本人の消滅に拍車がかかったのではないでしょうか。
モレ: 1月30日付けデイリーメールオンラインには「今後50年で日本の人口は30%急減」という記事がありました。2060年までに、現在1億2800万人の人口が8700万人未満になるというのです。32%の減少です。もう一つ驚くことは、この人口減を語る場合、日本の人口の多くが65歳以上であるということです。引退した人々が人口の40%を占めるということです。
フェッツア博士: 死亡者数の40%が65歳以上ということですか。
モレ: いいえ。人口の40%が65歳以上ということです。
フェッツア博士: わかりました。
第18図 ベラルーシの人口指標 1950年から2004年
核実験により放射性物質が拡散されたが、1986年のロシアのチェルノブイリ事故により放射性物質がさらに拡散されたために、周辺国であるウクライナおよびベラルーシは、より深刻な汚染を受けることになった。
事故の影響は、5年以内にすでに深刻であり、死亡率が上昇を続ける一方、出生率は下降の一途をたどった。
このことから、フクシマ事故が日本、北アメリカの一部の地域、そしてヨーロッパにさえ深刻な影響をもたらすことが予測できる。これらの国や地域は既に、大気核実験、原子力発電所、劣化ウラン兵器、戦場(イラク戦争、ユーゴスラビア紛争、アフガニスタン戦争)で使われた正体不明の核兵器から拡散された放射性物質で汚染されているが、フクシマ事故でさらに深刻な影響を受けると思われる。
Source: Prof. Y. Bandashevsky, “Non cancer illnesses and conditions in areas of Belarus contaminated by radioactivity from the Chernobyl Accident”, Proceedings of ECRR Conference, Lesvos, Greece, May 5-6, 2009, Fig. 4.
モレ: それで、今、日本で何が言われているかというと、バズビーさんと私が話してきたこととまったく同じです。出生数が死亡者数を下回るのです。出生数が非常に少ない。それで、日本は年金基金や膨張する社会保障費について懸念しているわけです。社会保障費は、毎年、1兆円ずつ増加していると言われています。でも、日本は社会保障費の増大を心配している場合ではなくて、日本人が生存していけるのかどうかを心配すべきだと思います。
フェッツア博士: 日本は、島国ですからね。遺伝的浮動に関して言えば、外界との交流が少なくて比較的孤立した集団ですから、フクシマ事故による放射能汚染の遺伝子への影響は広範囲でみられるようになるでしょう。一部の人々はすでにフクシマ事故により、急性の遺伝的影響を受けていますし、汚染が拡大するにつれ日本人すべてから遺伝的影響が見られることになるでしょうね。
モレ: 日本の去年の出生率は、1.39でした。日本の人口を維持するには、2.08人でなければなりません。
フェッツア博士: そうですね。
モレ: その上、今回の事故で大量に被爆しましたから、日本人の出生率は、今後、確実に減少の一途です。
フェッツア博士: では、今から100年後に、日本の人口は、現在の人口の20%から30%ぐらいになりますかね。
モレ: そうでしょうね。 そして、遺伝子に多大な損傷を受けていますよね。だから、死亡者数をいくぶんか補うようにして生まれる若い世代は、精神的に障害を持っているでしょうし、それゆえ生産性や社会の活気も衰えてしまうでしょう。文化というのは発想力にもとづいて形成されますからね。50年後または100年後に、人口全体の頭脳が損傷を受けているなら、一体、何が残るというのでしょう。
第19図 降下するアメリカ大学進学適正試験の点数 1952年から1994年
アメリカの大学進学適正試験(SAT)の点数は、1945年に生まれた生徒(グラフの線に添って記載されているのは出生年)の480点から、1963年生まれの生徒の425点へと大幅に下がった。
1963年はアメリカの核実験のピークであった。アメリカの高校生達が受けたSATの点数は、1945年から1963年に12.5%下落したが、その後、回復することはなかった。大気核実験に取って代わって原子力発電所が放射能汚染を続けたからである。(1)
世界保健機関の世界調査によれば、アメリカは世界で最も精神病を患うものが多いのだが(26%)、それは核時代の負の遺産の一つといえるだろう。(2)
Source: (1) Sternglass, E.J., S. Bell, “Fallout and SAT Scores: Evidence for Cognitive Damage During Early Infancy”, Phi Delta Kappan, April 1983, pp.539-545; and (2) “Prevalence, Severity, and Unmet Need for Treatment of Mental Disorders in the World Health Organization World Mental Health Surveys, The WHO World Mental Health Survey Consortium, Journal of the American Medical Association (JAMA), Vol. 291 No. 21, June 2, 2004: 2581-2590.
フェッツア博士: 恐ろしい話ですよね。日本は、自動車、電子工学やテレビといった分野だけでなく、広い分野で創造性と技術力に優れていた国ですからね。私もですが、アメリカ人は、東芝のテレビを欲しがっていましたよね。「メードインジャパン」のファンだった。
モレ: 日本の文化は、伝統的に創意工夫に富んでいて、創造性豊かでした。社会の活気たるや、目を見はるものがありましたよね。
私は、2000年以来、日本全で20回講演会を行いましたが、その度に、日本はもともと技術力が高い国だと述べてきました。日本全国に参り、フクシマのような事故が起きることを警告しておりました。2004年のジャパンタイムズ紙で警告したのですよ。
[編集者注:2004年5月23日付「死の原発ルーレットで遊ぶ日本」]
もう二度と警告致しませんよ。こんなことが二度と起きて欲しくないからです。本当に日本は、活気に溢れ文化の高い国だったのに、素晴らしい社会文化をいったん失ってしまったら元には戻せません。
フェッツア博士: モレさんは、外部的な要因を考慮してではなく、日本の技術力の評価や原子力産業の現状にもとづいて警告されたのでしたよね。
モレ: いいえ、違います。大地震の可能性があるから、とても危険だと言ったのです。
フェッツア博士: ああ、地震ね。日本は、多くの原発を断層の上に建てましたからね。
モレ: そう断層の上にね。それに日本は世界でも地殻運動の活発な場所です。日本の国土は、世界の全陸地の0.3%ですが、主な地震の10%以上が日本で起きているのです。
第20図 死の原発ルーレットで遊ぶ日本
原発技術者の菊池氏が注釈を記した日本地図。
日本は、4つの構造プレート上にあり、地震が起きる「高いリスク」と「非常に高いリスク」のある国である。
その国土のうえに、54基の原子力発電所が建てられている。
Source: L. Moret, “Japan’s deadly game of nuclear roulette”, Japan Times (23 May 2004)

(中略)
フェッツア博士: バズビーさん、日本についての新しいご本のことを教えてくださいませんか。その本は、なんという本で、いつ出版されるのですか。
バズビー博士: その本は、日本語だけで書かれてあります。
フェッツア博士: 日本語だけ!
バズビー博士: 日本語の本は、6月中に出版されるでしょう。まだ、書名は考えておりません。
[訳注: C.バズビー著、飯塚真紀子訳「封印された『放射能』の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか」は、2012年7月に講談社から出版されました。]
まあ、私は、フクシマに関する本を書いたというか、少なくとも編集を致しました。「フクシマと健康への影響、何が起きるか」という本で、10月か11月に出版されました。
[編者注: ヨーロッパ放射線リスク委員会のサイトでバズビー博士の本を概観することができますし、pdfのダウンロードすることもできます。]
そして、この本は、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の国際会議での討論に基づいてまとめたものです。私は、この委員会の代表です。2009年に、この委員会は、ギリシャのレスボスで国際会議を開催しました。この会議の目的は、チェルノブイリ事故を検討して放射能のリスクモデルを見直すことでした。
そしてもちろんフクシマ事故が起きたとき、この国際会議の会議録をすべて参照しました。フクシマで何が起きるか、日本の人々がどうなるかを知りたかったら、チェルノブイリ事故で何が起きたのかを検討し、また、この国際会議に参加した旧ソ連の科学者達の報告を参照するしかないのです。
この会議には、優秀な科学者が20名程参加して、チェルノブイリ事故による健康被害についての討論を行いました。我々参加者は、遺伝的損傷、精神障害や知能低下、心臓疾患、性比の変化、そしてもちろんガンなどの健康被害が出ていると伺いました。
このようにチェルノブイリ事故のせいで、ありとあらゆる健康被害が出ており、国際放射線防護委員会(ICRP)によるリスクモデルの間違いを明らかにしました。ICRPのリスクモデルとは、フクシマ事故に関して放射線の被爆量を制限するために使用されておりますが、もちろん、非常に誤った用い方をされています。
まあ、私の本の内容なざっとこのようなものです。フクシマ事故とその健康被害と予測に関するものです。アマゾンから購入できますよ。
また、この本では、モレさんがお話になっていたことにも全て言及しております。つまり、モレさんが取り上げた問題は、日本の人々にも起きるだろうと書きました。例えば、知能低下や精神障害や心疾患などが日本で増えて行くであろうと記したのです。
フェッツア博士: 歴史的にみても、日本の人々はおしなべて世界でもっとも知性が高かったのに。
バズビー博士: 被爆すると精神機能や思考力にも多大な影響がでます。放射能による精神機能や思考力への影響に関する調査はいくつかあります。何人かの研究者がすでに調査しましたが、その一つは放射性降下物による被爆を受けたノルウェイの子供達についてでした。
フェッツア博士: 放射能が神経組織やシナプス結合に影響するということですか。
バズビー博士: そうです。能力全般が低下するのです。そして、日本という経済大国が被爆を受けたのですから、国の経済力が破壊されてしまうか、経済力が確実に減少するということです。
また、私の日本語の本では、私がフクシマで独自に行った調査結果についても記してあります。私は、福島県の各地と周囲の県で少なくとも18台の車のエアフィルターから放射性核種を計測いたしました。千葉県や東京でも車のエアフィルターを調査しました。これらの車の調査から、ガンマ線のスペクトルを分析し、大気中にどれほどの放射性核種があるのかを示したのです。
第22図 早川教授の放射能汚染ルートマップ
日本の群馬大学教授早川氏が念入りに作成した地図には、2011年3月11日からの放射性物質の濃度の等高線、拡散ルートおよび拡散のタイミングが示されている。
3月11日の地震と津波から10日以内に、日本の広大な部分が高濃度の放射性物質の拡散により汚染されてしまったが、そのことが国民に伝えられることはなかった。
3月15日までには、汚染は西方の長野県の山岳部に達し(黄色)、また南西にも到達した(赤)。
3月20日までには、汚染は福島の北東に向かった(青)。
3月21日までには、放射能は南に向かい、千葉県を通って東京に到達した(ピンク)。
他のプルームは、仙台を汚染した後に太平洋沿岸を北東に進んだ(青緑色)。
再度記すが、3月11日のフクシマ事故後10日以内に日本の広大な部分が高濃度の放射能で汚染されたが、国民に知らされることはなかった。
Source: Prof. Yukio Hayakawa, Gunma University, Japan
私の研究チームは、アメリカエネルギー省の膨大な書類を独自に入手しました。アメリカエネルギー省が日本各地で行った計測結果を記してある書類です。私が知る限り、この書類は公表されておりません。そして面白いことに、アメリカエネルギー省の計測結果は、私たちの車のエアフィルター調査結果を裏付けるものでした。
フクシマ事故の始まりからアメリカエネルギー省は、東京のアメリカ大使館の屋根の放射性核種を計測していましたし、他の場所においても、携帯用大容量エアサンプラを用いて
計測していました。私たちの手許には、その計測結果があります。
フェッツア博士: では、アメリカエネルギー省は、被爆による絶望的な結果を既に承知していたと仰るのですか。
バズビー博士: アメリカは確かに計測したのです。アメリカは、放射性物質を計測しましたし、私たちはその計測結果を持っております。アメリカは、初期の段階で大量の放射性核種が東京にやってくることを知っていましたが、誰も何も言わなかったのです。[編者注: 第22図参照のこと]
フェッツア博士: 911後の環境保護局のウィットマン局長みたいですね。911の時、空気には有毒物質や重金属が沢山含まれていたというのに「空気は吸っても何の問題もないですよ」と言いましたものね。政府は、国民の健康など構わずに政治的な理由だけで動くという無責任さの表れですよ。
バズビー博士: 世界中、政府と国民の間にはガラスの壁が立ちはだかっているようですね。政府はなにかをやる。国民は、政府のやることを目には見える。でも、実際には、国民は、何も本当のことを知らされないまま置いておかれる。そして、世界で日本ほど、政府と国民との隔たりが激しい国はありません。日本の人々は「原子力の神」への生け贄にされているのです。日本の現状を表現しようとすると、私には、このように申し上げるほかございません。
(中略)
モレ: 天皇陛下も2011年11月にご入院になりましたね。そして、皇太子ご夫妻の一人娘であられるたった10歳の愛子さまも、被爆による症状で...
フェッツア博士: おそらくフクシマですよね。それともそれ以前の放射能かな?
モレ: フクシマです。
バズビー博士: もちろん、フクシマに決まっています。フクシマの影響は、日本国民全体にはっきりと現れるのです。心臓発作は特に良くみられるでしょうね。
モレ: 日本政府は、天皇皇后両陛下を低空を飛ぶヘリコプターにお乗せし、福島に何度もお連れしたのですよ。もちろん、両陛下の印象をより良くする写真を撮るために、福島ご訪問をさせたのです。それで、天皇皇后両陛下は、あの酷く放射能汚染された雲の中を飛ばれて...
第30図 天皇皇后両陛下、福島をご訪問
放射能は、国境を越え、宗教や社会経済的階級の別なく人々に影響する。放射能は、「機会均等を推進する殺人者」なのだ。
天皇陛下そして皇太子ご夫妻の幼い愛子さままでが、日本全国を汚染した放射能に被爆された。天皇陛下および愛子さまは、2011年11月、ご入院になった。
Source: “Japan’s Emperor, Empress, Visit Quake’s Hardest-Hit Areas”, 27 April 2011.
フェッツア博士: すごい汚染なわけでしょ? なんと馬鹿げたことをするんだ。
モレ: 福島ご訪問の際には、往復ともに非常に汚染された空を飛ばれたのですよ。両陛下の福島ご訪問は、1回だけではありません。何度もです。

フェッツア博士: モレさん、バズビーさん、今日は本当にありがとうございました。番組を終えるにあたって、それぞれから一言づつ頂きたいと思います。モレさん、お願いできますか。
モレ: そうですね。エネルギー獲得のために、我が子を殺す動物なんていますか。安全保障のためだといって、我が子を殺す動物なんていますか。他国を占領したいからといって、我が子を殺す動物なんていますか。そんなの人間だけです。
フェッツア博士: バズビーさんは、いかがですか。
バズビー博士: そうですね。もし未来に、火星の歴史学者が空飛ぶ円盤に乗って、地球で何が起きたのかと調査にやってきたとしたら、きっと腰を抜かすでしょうね。
フェッツア博士: (感情を抑えるような低い声で)番組進行は、フェッツアでした。ゲストのお二方、そしてラジオをお聞きの皆様、ありがとうございました。






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戦後日本とは何か(白石隆)

今思うこと - 戦後日本とは何か(前編)

2002年1月 白石 隆




昨年「今思うこと」というテーマで岡林君から原稿依頼を受けていました。このテーマに「戦後日本とは何か」という副題をつけて私が今、切実に思い続けている「日本国の行く末」について考察してみたいと思います。既存の刊行物で「日本国の真実の姿」について一般国民に詳しく伝えている著作はほとんどありません。何故でしょう。誰も書こうとしないし、書けないからです。あまりはっきり書くと、とてもヤバイことになるからでしょう。この誰も書かないことに敢えて私が挑戦し、「日本の真実の姿」を白日のもとに曝(さら)け出して皆さんにお伝えします。そして真実の姿が見えたところで「日本国の行く末」を現実的に論じて見たいと思います。
さて小泉首相が構造改革を叫んで首相となり、日本国の財政再建に向けて大鉈を振るう政策が掲げられています。今後この政策が具体的にどのような展開を見せるかは予断を許さない状況ですが、小泉首相が言う「改革には痛みを伴う」の言葉通り国民生活がより一層の苦境に追い込まれることは確実です。奇しくも2001年11月の失業率はついに5.5%を超えたとの報道がありました。今後日本国は国民を守ってくれる頼もしい存在ではなくなります。それどころか日本国自らが生き残るために、税金の名目で国民からできるだけお金を奪い取ろうとする存在に成り下がります。つまり国民一人一人が自分の生活は自分の力で防衛していく知恵と力が求められる厳しい時代に突入して行くことになるのです。
経済大国と言ってもて囃され、バブル期にはアメリカの株や不動産を買い占め日の出の勢いにあった日本国はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。いまや国家は700兆円に及ぶ借金を抱え、銀行や企業は不良債権にあえいでいます。株価は低迷し、治安は悪化し、国民はリストラの嵐に吹き曝され、戦々恐々として明日の不安におののいています。どうしてこのような国になったのでしょうか。まずは戦後日本の歴史を振り返えり、その謎解きから始めましょう。

【日本という国の真実の姿を知らなければ何も見えてこない】

戦後の日本はアメリカの軍事的な支配下にあって未だ本当の意味での独立国ではありません。日本はアメリカの属国に過ぎないのです。日本の政府、官僚、大企業のトップといったこの国の指導者たちはアメリカの支配勢力の管理下にあります。そして彼らの意向に乗っ取って行動しています。けっしてそれに反する行動は許されないのです。この基本的事実をしっかりと認識しなければ戦後の日本がどうしてこのような国になったのかを理解することはできません。日本は大東亜戦争(アメリカから見て太平洋戦争とも呼ぶ)の敗北で国家としてアメリカに征服され、日本国民はいわばアメリカに軍事的に囲い込まれた虜囚の身分に落とされたのです。アメリカのために働き、奉仕し、貢ぐ、これが戦後の日本国民のおかれた境遇だったのです。これは歴史上のどの時代にも見られる敗戦国の国民が歩むごく当たり前のありふれた運命に過ぎませんでした。
しかし大多数の日本国民はこの事実に気がついていません。それは戦後日本のマスコミがアメリカに情報統制されてきたことと、日本の学校教育がアメリカにコントロールされてきたことに大きな原因があります。日本人はこの二つの巧みな情報操作によって自分が何物であるのかを自ら知ることができない国民に誘導されてきたのです。大多数の日本国民は日本は独自の平和憲法を持ち、国連に参加し、世界各国と平和的な国際的協調を行い、資本主義体制のもとで自由と民主主義を実現し、世界第二位の経済大国に成長したと自負しています。また自衛隊という名の軍隊を持ち、政府は外務省という対外機関を通じて自主的な外交を行ない、日本国民の国益を守る外交を地道に展開していると信じています。しかしこれは全くの幻想に過ぎません。自分で勝手にそう思い込んでいるだけの話です。それはアメリカの巧みな洗脳によって刷り込まれたノーテンキな世界認識というべきものなのです。
事実は自衛隊は日本国民を守る軍隊などではありません。自衛隊は米軍の管理下に置かれた米軍を支援するための軍隊です。建前はどうあれ自衛隊は実際は日本政府が独自に動かすことのできる軍隊などではないのです。また外交を司る外務省の役人は実際はアメリカ政府の顔色を伺い、アメリカのご機嫌を損なわないように、アメリカの指導下で外交のまねごとしているお飾りに過ぎません。とても国益を守る外交官などと呼べる代物ではないのです。英語のできない貴方にだって簡単に勤まる役柄なのです。同様に国連における日本の代表もアメリカの使い走りをしている哀れな道化に過ぎません。彼らは日本の国益など本当はただの一度も考えたことなどないのです。強いていえばアメリカの意向に従うことが日本の国益であると信じているアメリカの手先を地で行く連中なのです。
以上から分かる通り、日本はアメリカの圧倒的な軍事力に敗北した昭和20年8月の時点でアメリカの仕組んだ新しい形態の半植民地となり果てたのです。そしてアメリカの巧みな政治的コントロールを受けながら戦後の歴史を歩むこととなったのです。この事実を日本国民ははっきりと認識しなければなりません。以下にその認識に基づいて戦後の日本をアメリカがどのように飴とムチを使って料理して来たかを見て行くことにしましょう。

【官僚主導国家体制による成果】

戦後、アメリカはソビエトを牽制する必要から日本に極東の防波堤としての役割を求めました。日本を共産主義の荒波を食い止める最前線の砦にしようとしたのです。しかしその見返りとして日本に経済的、技術的支援を行いました。これはアメリカが日本に対して親切心から行った支援ではありません。アメリカはあくまでアメリカの国家戦略として共産主義の浸透を日本で食い止めるために必要な政治的、軍事的な梃(てこ)入れを行ったに過ぎなかったのです。
国家としてアメリカに軍事と外交の主体性を剥奪され半植民地化された日本は、残された唯一の道として、工業化による貿易立国をめざして生きざるを得ない状況に追い込まれました。しかし日本人は、持ち前の勤勉さでアメリカから与えられた技術に創意工夫を重ねアメリカを凌駕する製品開発を次々に行い経済大国日本としての道を切り開いて行ったのです。日本の工業化を推進していく最も有効な国家の指導体制が官僚主導による護送船団方式でした。日本は戦後いち早くこの官僚主導による護送船団方式を国家の指導体制として採用し、企業の保護育成を行い高度経済成長を達成したのです。銀行、証券、保険、あらゆる基幹産業は政府の行政指導の下に育成され成長してきたのです。この官僚主導という体制下で皮肉なことに日本は資本主義国でありながらその実もっとも成功した社会主義国ともいうべき充実した社会保障制度を実現してしまったのです。その端的な例が企業における終身雇用、年功序列、年功賃金の制度であり、国家による年金の保障と健康保険制度の完備でした。これは社会保障の行き届いた理想的な社会主義国家そのものであったのです。
ちなみに現代のアメリカには終身雇用も年功賃金もありません。能力主義ですから能力がなければ解雇されますし、賃金は能力に応じて支払われます。従って賃金には1対1000の賃金格差が厳然として存在します。これが不況ともなれば簡単にレイオフされてしまいます。アメリカにはまた国家によって保障される年金や健康保険の制度もありません。これが必要ならば民間会社の年金や健康保険に個人的に大金を払って加入しなければなりません。従って大多数のアメリカ国民は年金も健康保険にも加入できず不安定な生活状態に置かれています。これが自己責任を徹底した資本主義超大国アメリカの現実なのです。

【日本的社会保障制度は如何にして確立されたか】

それでは戦後の日本は何故このような理想的な社会制度を完成させることができたのでしょうか。それは日本が幸運にもまともな国家ではなかったからです。すなわち前述したようにアメリカの支配と庇護の下にある属国(半植民地)ともいうべき中途半端な国であったからです。もともとアメリカは日本を経済的に豊かな国にするつもりなどこれぽっちもありませんでした。アメリカ占領軍は戦後すぐに財閥解体や農地改革など様々な一見民主的と思われる改革を断行しましたが、これは日本に残る戦前の体制を完全に破壊するための政策として実行されたものでした。すなわち二度と日本に戦前のような英米に刃向かう軍国主義が復活しないように既存の権力構造を完全に解体し根絶やしにすることを目的として行われたものであったのです。そして教育によってアメリカに従順な国民に洗脳し、平和憲法で戦争を放棄させ、軍隊を持たない武装解除された国として国力も中国や韓国など旧大日本帝国の被支配国よりはるかに低い生活水準を保つ国になるように計画されていたのでした。
この計画が180度変更されたのが、ソビエトや中国による共産主義の脅威と朝鮮戦争の勃発でした。アメリカはソビエトや中国の侵攻に備えるため人的インフラの整った日本を味方につけ、これを後方支援基地として利用することで戦況を有利に運ぶ方向に方針を転換したのでした。朝鮮戦争終了後、冷戦の長期化に伴ってアメリカは日本を同盟国と位置づけ、その実アゴで使える便利な手下として使役しました。つまり日本列島そのものを極東の資本主義の防波堤(浮沈空母)とし、また便利な修理工場や生産工場として利用すべくその役割を日本に求めたのでした。その見返りとしてアメリカは日本に経済的、技術的支援を行いました。しかし実態はあくまで在日米軍を日本全土に駐留させ日本の軍事と外交権を事実上剥奪し、アメリカの政治指導の下に日本に内政と経済活動の自由を認めるという極めて中途半端なものだったのです。一見日本は独立国の体裁をとっていますが実態はアメリカの属国に過ぎないものでした。この政治状況が今日まで連綿として続いているのです。戦後の日本にはしたがって独立国としての本当の政治はありませんでした。日本はアメリカの都合で揺れ動く骨なしクラゲのような存在に過ぎませんでした。たとえば田中角栄がエネルギー資源の獲得に少しばかり独自に策動しただけでアメリカの逆鱗に触れてロッキード事件であえなく失脚してしまいました。あの程度のことで今太閤と唄われた日本の最高権力者が完全に政治生命を絶たれてしまう始末です。そういうわけでそれ以後アメリカに面と向かって楯突く政治家は一人も現れていないのです。
日本の戦前の官僚組織は戦後もそのまま生き残りました。アメリカ占領軍が何故大日本帝国の伝統をそのまま引き継ぐ官僚組織を解体せず温存したのか不思議に思われますが、日本国民が官庁(お上)に対して極めて従順な国民であったことがその最大の理由だったと思われます。すなわち終戦の混乱を静かに収拾させた官庁の国民に対する統率力をアメリカは驚異の念を持って見つめ、その組織を温存させてそっくりそのまま利用することを考えたものと思われます。官僚のトップをアメリカ側に取り込みコントロールすることで官僚組織全体を、ひいては日本国民全体をアメリカの思い通りに操ることができると考えたからでしょう。アメリカのこの目論見はみごとに的中しました。
日本の戦後政治を実質的にリードしたのはこの官僚達でした。アメリカの政治的圧力の下で日本に許されている希望は経済発展だけでした。資源のない小国として生き延びていくには工業化と貿易立国しかなかったのです。この目標の達成のために大蔵省を資金の元締めとし、通産省が実務の中心となって各省庁が連携する五十五年体制と呼ばれる体制が急速に確立されて行ったのです。五十五年体制の基本は護送船団方式にあります。日本の基幹産業の企業群を官僚統制下に置き、官僚の指導で産業の保護育成をはかるという政策です。そのために官僚統制の徹底を計るため企業組織に官僚組織の枠組みが導入されました。こうして企業組織に上意下達の官僚組織の特徴をそのまま持ち込むことで官民一体となった経済体制を整えたのでした。
この時日本の官僚組織の伝統的な仕組みであった終身雇用、年功序列、年功賃金という独自の制度も日本の企業に導入されることになったのです。このようは制度は戦前の民間企業にはありませんでした。こうして五十五年体制のもとで日本の基幹産業は準官庁ともいうべき国策企業として再出発を果たしたのです。この基幹産業に導入された終身雇用、年功序列、年功賃金という独自の制度はその後、日本の多くの企業に浸透し日本独自のものとして定着していったのです。さらに教育においては受験体制を確立させ国家や企業に優秀で従順な労働力を供給するシステムを確保するとともに、企業に優秀な人材が集まるように、国家による年金制度と健康保険制度を完備させ、労働者の待遇を高め労働意欲の充実を計ったのです。五十五年体制の生み落とした諸制度が目指すところは安定した優秀で従順な労働力を確保することに主眼が置かれていたのでした。

【アメリカの誤算】

戦後の日本は前述した通りアメリカの政治的、軍事的属国であり、アメリカの政治的な指導に背くことは許されませんでした。その見返りとしてアメリカは日本に経済的、技術的援助を与え経済活動の自由を保障しました。日本はこの限られた条件の下で五十五年体制を確立し官僚主導による貿易立国をめざしました。しかしこの限られた条件が日本に大いに幸いしたのでした。日本は軍事的、外交的には主体性を剥奪されてしまいましたが、それをアメリカに肩代わりしてもらうことで、逆に経済活動にだけ専念することができたからです。官僚(組織)は、民間に対してその許認可権を握ることにより、規制を国内の隅々にまで行き渡らせ、経済・社会を強力にコントロールすることで指導権を発揮し、戦後の経済復興期に社会的混乱を引き起こすことなく、いち早く奇跡の経済復興を成し遂げました。さらにアメリカの援助をテコに「アメリカに追いつけ」を目標に高度経済成長の達成に挑戦したのでした。
アメリカの誤算は日本人の能力を過小評価していた点にありました。アメリカは技術を無償で提供したとしても日本人はそれをうまく使いこなすことすらできないだろうと最初はタカを括っていたのです。しかし日本人の特性ともいうべき抜群のものつくりの能力と勤勉な国民性は、提供された技術を簡単に吸収し、より優れた品質の製品を安価に大量生産しアメリカに逆輸出するほどになったのです。こうしてまたたくまに日本は高度経済成長を達成しGDPもアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍進する驚異的な経済発展を遂げたのです。ここで見逃せないのはこの経済発展を支えたのはアメリカという巨大市場が開放されていたことにあります。さらにアメリカの同盟国(実質的な手下)としての日本製品は安価で品質が良ければ無条件にアメリカ市場に受け入れられる下地があったことです。
ところでアメリカは60年代後半から輸入が拡大して貿易収支の黒字幅が減少に転じ、71年に入って戦後初めて貿易赤字を記録するに至ると、その年の8月にはいわゆるニクソン・ショックを発動して、アメリカは金・ドルの交換を停止するとともにドルは「変動相場制」に移行して行きました。ドルの通貨としての威信はこれでかなり失われることになりました。さらに冷戦の長期化に伴って軍事費の増大に国力を費やし、企業は多国籍化して国内産業は空洞化の状況に陥って行きました。このアメリカ産業の空洞化を突いて日本の安価で優秀な工業製品が大量にアメリカに輸出され、アメリカは巨大な対日貿易赤字に苦しむようになりました。アメリカが事態の重大さに気が付いた70年代の後半には、既にアメリカ国内には日本製品が氾濫し、アメリカの国内産業は日本の輸出競争力に勝てず、財政赤字と貿易赤字は膨らむ一方で手の付けられない状態に陥ってしまいました。いわばアメリカは憐れみをもっておこぼれを与えた飼い犬(日本)にひどく手を噛まれ重傷を負う状況に陥っていたのです。

【アメリカの日本封じ込め戦略】

この状況を苦々しく思ったアメリカは、決して表には出しませんが、腹の底では怒り心頭に達していました。「生意気な、ジャップめ。犬コロが、いい気になるなよ。俺には軍事という最強の切り札がある。俺が本気になったら、お前たちなどイチコロだ。お前たちの命運は俺が握っているのだ!」アメリカは内心このような怒りの言葉を吐いたものと察せられます。この時点で日本はアメリカの保護国としての立場を失い、経済的な仮想敵国としての標的にされたのです。これを境にしてアメリカは国家の持てる頭脳と知恵を総動員して日本を封じ込め、追い落とす対日戦略を展開することになるのです。
日本の経済力が如何に強くなろうともアメリカは本質的には日本など恐れるにたらないと考えたでしょう。何故なら軍事的、政治的に日本はアメリカの属国に過ぎないからです。アメリカは自国が拠って立つ資本主義の経済原則を反故にするような横紙破りな真似をして日本を追い落とすことはできませんが、資本主義の経済原則の体裁を表向きは崩さないようにして、一方で政治的かつ軍事的な圧力をかけることで日本をいかようにも料理することができると考えました。日本の政治家や官僚のトップはすでに長い年月をかけてアメリカの意のままにコントロール出来るように手なずけてあります。マスコミも当然管理下に組み込んであります。たとえ異論を唱えるものがいても、結局は日本全土に駐留する米軍が無言の圧力となってアメリカの意向を受け入れざるを得ない状況に追い込んで行くことが出来ます。軍事的に自立できない国の指導者は当然政治的にも自立することはできず、所詮強国にいいように扱われ、手先としての役回りを演じさせられる運命にあるのです。問題は日本国民の反感を買わないように波風立てず合法的に巧みに事を運ぶことにありました。アメリカが最も恐れるのは日本国民の底辺から盛り上がってくる反米意識の高揚です。国民的、大衆的な反米意識の高揚ほどアメリカにとって恐ろしいものはないのです。アメリカはこのことを十分に熟知していました。60年安保の苦い経験があったからです。アメリカは隠密裏に国家を上げて国内のシンクタンクを総動員し日本国民を懐柔し騙しすかす「日本を封じ込め戦略」を練り上げました。以後アメリカはこの戦略に基づいて巧みに日本を罠に嵌め込み、日本が戦後営々として築いてきた富を合法的に奪い取って行くのです。

【最初の反撃-日米通商交渉】

アメリカの最初の反撃は日米通商交渉によって輸出規制を設けアメリカの対日貿易赤字を食い止めることでした。アメリカ政府は米国通商代表部を通じて日本政府に露骨な政治的圧力を加え貿易摩擦の解消を迫まりました。「日米貿易摩擦」としては古くは1960年代の日米繊維交渉などがありましたが、70年代後半から90年代にかけて鉄鋼、テレビ、自動車、半導体、コンピュータ、写真フィルム、板ガラス等あらゆる工業製品に及び、摩擦は年を重ねるにつれエスカレートしていき、その都度アメリカは手を替え、品を替えて日本製品に対する強力な輸出規制を求めてきました。これに対して日本側の代表であった通産省は輸出は貿易立国である日本の生命線であると考え日本の輸出競争力を死守するために、相手の要求を突っぱね、のらりくらりとアメリカの圧力をかわして頑強に抵抗したのでした。この通産省の交渉担当者は日本の国益を守ることをはっきりと自覚して行動しており、その態度は立派なものでした。結局、この日米通商交渉ではアメリカは日本側からある程度の譲歩は引き出したものの、決定的な成果を得ることなく交渉は中途半端なものに終わっています。これがうやむやのうちに終わった理由は自由貿易の原則に反したアメリカの露骨な輸出規制に世界中から疑問の声が湧き起こり、日本国民がアメリカに反感を覚え始めたことに原因があるかのように言われています。確かにそれも原因の一つであったでしょう。しかしそれはあくまで表向きの理由付けに過ぎませんでした。アメリカが日米通商交渉でなり振り構わぬ露骨な政治的態度を取った本当の目的はこの輸出規制という「ありふれた反撃」を使って日本人の感心を貿易摩擦に釘付けにしておき、実は密かに別の所で隠密裏に日本の息の根を止める第二の反撃を画策していたことが上げられます。日米通商交渉はあくまでその反撃をカモフラージュするための陽動作戦に過ぎなかったのです。そしてこの第二の反撃が日本に壊滅的なダメージを与えアメリカに大きな経済的成果をもたらしたため、前座である日米通商交渉を重視する必要がなくなったことが事の真相なのです。

【第二の反撃(その1)-ジャパンマネーの流出】

1980年代初頭に誕生したアメリカのレーガン政権は「悪の帝国」ソ連を打倒することを大きな目標に掲げ、大幅な軍事費の出費を行いました。そのためアメリカの財政赤字は急速に悪化し破綻寸前の状況に陥いってしまいました。これを補うためにアメリカ政府は中・長期の国債を乱発して財政の穴埋めを行いました。この穴埋めにうまく利用されたのが日本の貿易黒字でした。日本は70年代後半から対米輸出の増大によって貿易黒字が続き、その余剰金が蓄積されていました。80年代に入って、この余剰金が生命保険などの機関投資家を通じてアメリカ国債などの投資に当てられ、アメリカの資金需要を補う役割を担うようになったのです。これが所謂ジャパンマネーと呼ばれた流動資金です。ジャパンマネーがアメリカ国債に流れた最も大きな理由はもちろんアメリカ国債の「高金利」に魅力にあったのですが、さらに敗戦による日本人のアメリカに対するコンプレックス(劣等感)の裏返しとしての、アメリカに対する絶対的な信頼感があったことは否定できません。いわばアメリカ崇拝とも言うべき盲目的なアメリカ信仰です。「アメリカ政府の発行する国債は世界で一番信頼できる債権だ」、日本の経済人は腹の底からそう信じ込んでいました。それほどアメリカを偉大な国、信頼にたる親のような存在として位置付けていたのです。実に見事な戦後日本におけるアメリカの洗脳教育(マインドコントロール)の成果ではありませんか。何と80年代初頭にはアメリカの財政赤字に疑問を抱き、アメリカ国債にリスクを感じる日本の経済人はほとんどいなかったのです。
実は1970年代からアメリカは財政赤字に悩んで来たのですが、この赤字の穴埋めを行って来たのは日本と同じく敗戦国でありながら奇跡の経済復興を成し遂げた西ドイツでした。しかし西ドイツ政府はアメリカ政府の無計画な財政政策に疑問を感じ、いち早く80年代に入るとアメリカから財政支援の手を引いてしまったのです。同じ敗戦国とはいえ、さすがにドイツ人の慧眼には今更ながら驚かされてしまいます。同じ白人種ですからアメリカ政府と彼らのバックにいる事実上のアメリカの支配者である国際金融資本の手の内を早々と見抜いてしまったものと思われます。このように西ドイツに逃げられて困っていたアメリカは、次なるターゲットとして対米貿易黒字の増大で有頂天になっている無知でノーテンキな日本人に狙いを定めたのでした。アメリカは敗戦国といっても西ドイツに対しては同じ白人種のよしみからある程度の手心を加えた対応をとっていました。しかしアジアの黄色人種である日本人に対しては一切手加減を加えるつもりはありませんでした。日本に原爆を落としたことから分かるように、黄色人種を白人とは同格の人間とは認めていないからです。アメリカの英知を結集したシンクタンクは、アジアの卑しい成り上がり国家である日本から徹底的に金をむしり取る遠大な計画を怒りと憎しみを込めて画策しました。飼い犬に手をかまれた恨みと黄色人種への侮蔑の念から容赦のない巧みな簒奪計画が練り上げられたのです。
その手始めとしてジャパンマネーがアメリカ国債やアメリカ株の購入に自然に流れ出すようにアメリカ政府は日米の金利差を意図的に広げました。水が高いところから低いところに流れるように、ミツバチが甘い蜜に引き寄せられるように、自然とお金が日本からアメリカへ流れるように周到に条件を整えたのでした。まずレーガン政権発足当初は日本の金利5%に対してアメリカの金利を14%に設定し、10%近い大きな金利差を作って日本からアメリカへジャパンマネーが流れ出る呼び水としたのです。その呼び水の勢いに乗って、その後もアメリカの金利は日本の金利に5%を上乗せをした高金利になるように設定され続けたのです。それに加え重要なことはアメリカが外国人投資家(すなわち日本人投資家)にアメリカ国債の保有に対して税制上の優遇措置講じたことです。つまりアメリカは自国の国民よりも日本の投資家の方にアメリカ国債を安く買える便宜を計ってくれた訳です。あまりに出来すぎた話なので今だったら変に勘ぐってしまうのが普通ですが、如何せん当時の日本人は無知でお人好しで世間知らずだったのです。これだけ「おいしい」条件の付いた据え膳を出されたのでは食べない方がおかしかったとも言えます。日本の機関投資家の代表である生命保険などはすぐにアメリカの差し出す手に乗ってアメリカ国債の買いに走りました。当時国際化の波に乗って海外に現地法人を展開しつつあった日本の民間銀行も最初は恐る恐る、しかしその「おいしさ」に味をしめると大胆不敵にもアメリカ国債を大量に買い漁る羽目に陥ったのです。例によって日本人特有の「みんなで渡れば怖くない」という愚かな連帯意識から海外展開する民間銀行は一斉にこの罠に嵌って行きました。この裏にはアメリカ政府の圧力を受けた日本の大蔵官僚による民間銀行への行政指導が大きな働きをしたことは言うまでもありません。既にこの時期には大蔵省と日銀のトップはアメリカに育てられた連中が多数を占め、アメリカに完全にコントロールされ、アメリカの言うがままに行動するアメリカの手先に成り果てていました。こうして日本の機関投資家と民間銀行はアメリカのいいカモにされるべく、以後せっせとアメリカ国債を買い続けるのです。

【第二の反撃(その2)-日本経済敗北の決定的キーポイント】

さてこのジャパンマネーのアメリカ国債買いにはその後の日本の経済の敗北を決定付ける最も重要なキーポイントが隠されています。このキーポイントはアメリカの「日本封じ込め」の最大の武器となったものです。日本人は国際経済、特に国際金融についてあまりにも無知でした。国際的な金の貸し借りにおいて貸し手側の利益を守る最も重要な原則をまったく認識していなかったのです。そのために決定的な過ちを犯しました。それは日本がアメリカの国債や株を買うのに自国通貨の「円建て」で買うのでなく、アメリカの通貨である「ドル建て」で買ったことでした。これは国際間の金銭貸借において非常識極まりない行為でした。71年のニクソン・ショック以来、すでにドルは金本位制を捨ててしまい、為替の変動する不安定な通貨に成り果てています。アメリカ政府の威信を持ってしても、かろうじて世界の基軸通貨の面目を保っている程度に過ぎませんでした。たとえ80年代初頭には為替レートが1ドル250円前後で安定していたとしても、その先の事は誰にも分かりません。何が起こるか、そして何が起こっても不思議でないのが国際関係というものです。お金を貸すのに相手国の通貨建てで貸すのはあまりに危険な行為でした。相手国の通貨建てでお金を貸すということは、通貨発行権は相手国にあるのですから、相手国が発行する通貨の量によって為替レートは自在にコントロールされることになります。言いかえれば相手国が意図的に通貨量を調整することで為替は自在に変動させることができるわけです。例えて見れば、お金を貸した相手の発行する借用書の金額の欄をいつでも相手が自由に書き換えられることを許したのと同じ話になるのです。
何故日本人はこのような愚かな「ドル建て」という通貨建てでアメリカの国債や株を購入したのでしょうか。第一の理由はアメリカが「ドル建て」という取引条件以外には決済を許可しなかったことが上げられます。しか当時アメリカは巨額の財政赤字をかかえ瀕死の状態にあったのです。そしてこれを救えるのは日本のジャパンマネー以外にはありませんでした。このような条件下では、お金の貸し手である日本側が一番発言権が強いわけですから、たとえアメリカが「ドル建て」を主張しようとも、しっかりと貸したお金を防衛することを考慮して、あくまで「円建て」で購入することを交渉すべきだったと考えます。この交渉を粘り強く行えば「円建て」での取引が許可される可能性もあったはずです。事実これまでアメリカの財政赤字を支えてきた西ドイツは、全ての取引を「マルク建て」で行って来ていました。さすがに白人種である西ドイツは国際金融のシステムをよく理解していて自国の防衛には抜け目がありませんでした。しかし翻って日本については、不思議なことに日本の利益を防衛する「円建て」での決済について、全くアメリカと真剣に交渉を行う努力をしていません。アメリカの言うがままに従ったのです。これはアメリカの強圧的態度に日本の通貨当局が端から尻込みをしてしまい、アメリカの意向に従ったものと考えられます。大蔵省と日銀のトップは事態の重大さを知りながらアメリカの恫喝に恐れをなし、安易に「ドル建て」による決済を認めたことが推察されます。そして第ニの理由は日本の強みであった護送船団方式が裏目に出たことです。つまり戦後の民間の銀行、生保、証券といった機関投資家は官庁の行政指導によって育てられ発展して来た業種です。彼等は全てを官庁におんぶにだっこしてもらい過保護のまま甘やかされて育って来た連中です。したがって彼等独自で投資対象をシビアに調査し、その結果に基づいて意志決定するという機関投資家としてはごく当たり前の能力がほとんど備わっていませんでした。「全てお上の言う通りにすれば間違いはない」という盲目的な信仰が彼等を支配していました。お上に対して絶対的な信頼感があったのです。彼等はお上が自分達に不利なことをするなど到底考えることができない状況に置かれていたのです。それで日本の銀行、生保、証券といった機関投資家は、全く事態の重大さを考えず官庁の行政指導に従ってアメリカ国債を買いまくったのです。さらに第三の理由として戦後の日本人に対するアメリカの巧みなマインドコントロールが上げられます。すなわちアメリカは敗戦のコンプレックス(劣等感)を巧みに利用して日本人の心の奥底にアメリカのものは何でもいいもの、優れたものと無批判に受け入れる無意識の心理を植えつけることに成功していました。ほとんどの日本人はこのマインドコントロールの罠に嵌り、無意識にアメリカ・ブランドを優れたものとして礼賛する性向を植え付けられていたのです。これには民間の機関投資家も例外ではありません。アメリカ・ブランドの国債は世界一安全で有利な利回りの債権であると盲目的に信じる下地が出来上がっていたのです。この三つの理由が絡み合って日本の機関投資家は「ドル建て」決済という悪夢のシナリオに落ち込んで行ったのです。これが日本経済の運命の分かれ目となりました。アメリカは自分の仕掛けた罠に日本がすんなりと嵌ってくれるのを見て「馬鹿な日本人!」と腹の底からほくそえんだことでしょう。
こうして1981年から85年までの初期の5年間で日本円にして約10兆円のジャパンマネーがアメリカに流出しました。この時期の「ドル建て」での決済実績が以後の日米間の貸借の一般的な決済条件として固定してしまうことになります。この「ドル建て」に関しては次の「プラザ合意」というさらに大きな仕掛けが待っていました。

【第二の反撃(その3)-プラザ合意】

1985年9月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開かれたG5(先進5か国会議)で当時のアメリカのベーカー財務長官と日本の竹下登大蔵大臣を中心に米、日、英、西独、仏の蔵相・中央銀行総裁の間で合意されたドル高是正の協調政策を通称「プラザ合意」と呼んでいます。「プラザ合意」とは一体何なのでしょう。一言でいえば「現在のドルの価値は実力よりも高いので、相応に安くなるように各国みんなで協力して為替操作を行い、ドル安を実現しましょう」という合意のことです。この真の狙いは「ドル安」を実現することで「円高」を導くことにありました。「プラザ合意」はあくまでアメリカがヨーロッパ主要国を仲間に従えて「国際協調」という名のもとで日本に加えた有無を言わせぬ経済的な圧力だったのです。竹下をはじめとした日本の大蔵省の首脳陣も、これがどういう事態を招くかうすうすは気付いていたはずです。しかしアメリカの強大な圧力に抗する術もなく簡単に合意に承諾したものと思われます。これは典型的な売国行為といえるでしょう。こうして竹下はこのときの論功行賞として田中角栄の政治基盤を与えられ、総理大臣の地位に登り詰め、「日本国王」として君臨することが許されることになります。
「プラザ合意」は単純に考えれば先の日米通称交渉の意図と同じく、「円高」を導くことで日本の輸出競争力を低下させアメリカ産業の保護育成を果たすことを目的としているように理解されます。一種の通貨を利用した関税障壁のようなものと受け取れるのです。もちろんその効果は絶大で日本の輸出産業はこの合意のおかげが当初は大打撃を受けることになりました。しかし日本企業はこれを乗り切るために労使一丸となって「円高シフト」をしき、コスト削減を実現することで、より国際競争力の高い製品を生み出すことに成功したのです。皮肉なことに「プラザ合意」の「円高」は結果的に日本の輸出競争力をさらに強化する役割を果たす結果になってしまたのです。このような結果論から結論するのではありませんが、「プラザ合意」の目的がアメリカ産業の保護育成にあったっと捉えるのは短絡的な見方と言えます。「円高」によるアメリカ産業の保護育成という効果は確かにありましたが、これはアメリカ国内の中小零細企業に対して生まれた小さな効果でした。しかし多国籍化したアメリカの巨大産業にはたいして何の恩恵もなかったのです。すでにアメリカ国内で空洞化してしまったこれらの産業が国内で復活することはありませんでした。
「プラザ合意」の真の目的は別のところにあったのです。結論から先に言えばその目的の第一は日本産業の空洞化を画策し日本国内の産業の弱体化をはかることでした。その第二はアジアの新興国を第二、第三の日本に仕立て上げ、戦後の日本同様にアメリカに都合のよい生産工場を作り上げるとともに、分割統治よろしく、それらを日本と競わせ牽制させることにありました。その第三は「ドル建て」による為替差損によって日本経済に大打撃を与えることにありました。
第一の日本産業の空洞化は日本企業が「円高」を克服するために仕方なく為替の影響を受けないアメリカ国内や生産コストの安いアジアの新興国に生産拠点を移すことで徐々に実現されていきました。系列化された日本企業はその子会社、孫会社までも海外に拠点を移し、国内産業の空洞化は促進されて行きました。「プラザ合意」の「円高」による生き残りのために日本企業はなりふりかまわず海外に拠点を移し、アメリカ産業がたどったと同じ道のりで多国籍化していかざるを得ませんでした。日本の大企業であればあるほどアメリカの意向を受けた経営者が陣頭指揮をとって、この道を驀進して行ったのです。アメリカはこれで日本の国家としての国内産業の弱体化を自らの手を汚すことなく実現していったのです。こうしてアメリカに投資された日本企業の資産はいずれ何らかの策を弄してアメリカ企業に乗っ取られる運命が予定されていたのです。
第二の目的は日本産業の空洞化と軌を一にして進みました。アジアの新興国に生産拠点を移した日本企業は資材と人材の確保の必要からその国に多大のインフラ整備の投資を行いました。また日本政府は政府レベルのODA(政府開発援助)でこれを支えました。これが第二、第三の日本をつくるための原資となって各国の産業基盤の発展に寄与したのです。いわば日本は日本の競争相手を自らの手で育て上げる役回りを演じたのです。戦後アメリカが日本に対して行った役割を、アメリカは「円高」を画策することによって、アジアの新興国に対して日本に同様な役割をあてがったのです。アメリカが日本に手を噛まれて傷ついたように日本もアジアの新興国に手を噛まれるのを期待して画策したのです。こうして日本を脅かす日本のクローンが次々と誕生しました。その代表的な存在が現在の中国なのです。
第三の為替差損による日本経済への大打撃こそが「プラザ合意」の隠れた主要目的でした。日本が「ドル建て」で買ったアメリカの資産は「プラザ合意」の「円高」によって急激に資産価値を減少させて行きました。「プラザ合意」の結果、当初1ドル250円をキープしていた為替の値が、わずか二年後の1987には1ドル150円にまで落ち込みました。これでアメリカの国債買いなどに流れていたジャパンマネーはその資産価値を4割減らしたことになります。1981年から85年までの初期の5年間で日本円にして約10兆円のジャパンマネーがつぎ込まれていましたから、これに対しては金額にして4兆円の資産が消えてなくなったことになります。こんな効率のよい資産減らしの方法は他には考えられないでしょう。この打撃は日本の機関投資家や個人投資家を直撃しました。アメリカはこの借金の目減りを最大の目的として「プラザ合意」を画策したのです。最初から日本にアメリカの借金を肩代わりさせ、行く行くはその借金を踏み倒すつもりでいたのです。「ドル建て」はそのための切り札であったのです。「プラザ合意」は明確なアメリカの日本に対する経済(マネー)戦争の開始宣言であったのです。ところが愚かにも日本の機関投資家にはこの裏が読めず「プラザ合意」以後も何とアメリカ国債を大規模にせっせと買いつづけたのでした。まさにカモネギを地で行った行動を取ったのです。87年2月にアメリカの金利が引き下げられると、日本の通貨当局は意図的にそれにスライドさせて日米金利差を4%にキープするように日本の金利も引き下げ、金利2.5%という超低金利時代を演出しました。機関投資家はこれにつられてアメリカ国債を買いつづけたわけです。しかしあまりに軽率でお粗末な行動としか言いようがありません。どうして彼らは為替差損という大きなリスクを知りつつこのようにリスキーなアメリカ国債を買い続けたのでしょうか。その答えは先に[日本経済敗北の決定的キーポイント]で書いた3つの理由が上げられます。この中でも特に「護送船団方式」による通貨当局の行政指導が決定的な役割を果たしていたと思われます。当時の大蔵省や日銀のトップはアメリカの意のままになる代理人によって占拠されており、アメリカの意向に沿って売国的な行為が行われたとみるのが正しい見方でしょう。日本は1987年2月に2.5%の超低金利となり、何故かその後2年3ヶ月にわたってこの状態が放置されてしまいます。これが日本のバブル経済の生む大かな原因となるのです。このバブルの発生に影響されて機関投資家はさらにアメリカ国債をせっせと買いつづけるはめに陥るのです。

( 中編に続く )

*夢人注:残念ながらこの文章の中編は探せなかった。白石氏の他の文章は幾つか保存してあるので、本人には無断だが、随時掲載したい。彼の文章は2002年当時のものとはいえ、現在も通用する鋭い洞察に満ちているので、そのまま埋もれさせるには惜しいものである。たぶん、白石氏もこの無断転載を了としてくれると思う。まあ、本人から抗議がくればすぐに削除するつもりだが。
上の文章に書かれた内容の中で、官僚支配を「社会主義」と評しているのは、多くの論者に共通したことだが、官僚主義は確かにかつての社会主義国家で目立ったにしても、社会主義の本質ではない。たとえばキューバなどが「人間的社会主義」の実例になるだろう。





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地方主権社会?

「本音言いまっせー!」というブログから転載。「孫埼亨の視点」とあるから、孫埼亨の文章を紹介したものだろう。
私は実は孫埼亨をそれほど高くは評価していない。彼のベストセラー「戦後史の正体」(だったか?)の内容は、ネット世界では常識にすぎないものであり、それを政治の世界では或る程度の地位のある知識人が一般人に向けて書いたところに意義があったということだ。この書があれほど大きな驚きで世間に迎えられたことの方が、ネット知識人にはむしろ驚きだろう。参考までに、私がネットに最初に触れた頃に感銘を受けた、或る人物による「日本戦後史略史」的な文章をこの記事に続けて転載する。(多分、明日になる。うまく転載できるようなら、彼の文章をシリーズで紹介していきたい。)その文章は今から10年以上も前のものだが、孫埼の「戦後史の正体」と比べて少しも見劣りするものではなく、むしろ短い文章の中に日本戦後史の正体を明瞭に描き出した名文章であると思う。筆者は白石隆というが、同名の政治学者ではなく、山口県に住む市井の中小企業経営者のようである。

さて、私が孫埼亨を評価するのは、彼がいわば「日本属国論」を堂々と出版したという点にある。これが副島あたりなら、「際物著作家」「自称政治学者」の書いたもの、ということでまったく注目されないだろうが(私は副島の功績は認めている。ここに書いたのは副島への「世間の評価」を私が推測したものだ。)、まがりなりにも実際の政治の世界に身を置いた者が書いたという点で孫埼の書は世間を瞠目させたのである。(「瞠目」程度の熟語がワードでは出てこない! これでは日本人の漢字知識は劣化する一方だろう。)
その意味で孫埼の功績は大きいが、彼の知識や分析力自体はべつに高いものではない、と私は見ているわけだ。
前置きが長くなったが、私が下の文章を転載したのは


「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、

技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。」

という部分に非常に引っ掛かるものを感じたからだ。
「地方分権」「地域主権社会」というものは、はたしてそのような天国になるのだろうか。いったいこのような楽観的な予測が可能な、どんな根拠があるというのだろうか。
孫埼の主張は、見方を変えれば「国家主権喪失」肯定論、「グローバル社会」肯定論ではないだろうか。地域主権とは何か。はたしてそれは国家主権の喪失を補うだけの機能を持ちうるだろうか。それとも、単に新自由主義的グローバリズムの下部組織にしかならないという可能性は無いのか。私はむしろ後者である可能性が高いと思う。
確かに官僚支配国家の腐敗は極度に達している。だが、それは中央集権国家であるからだろうか。地方主権国家になれば官僚支配が無くなるというどんな根拠があるのか。
何か新しい国家システムを提示するなら、単なるお題目ではなく、具体的な見取り図と思想基盤を提示するべきだろう。それがなければ、「現政権(独裁者etc)を倒せば地上の天国が来る」と信じて人形使いに操られる未開国の国民と同じことである。
もちろん、下の文章に続けて、「地方主権国家」の詳細な内容や理論的根拠が書かれているのかもしれないので、これはただの疑惑を述べただけである。まあ、私は幾つかの会社で会社員勤めをしていた頃に、いろんな「社内改革」が常に社員の労働強化にしかならなかったという経験を積んでいるので、「改革」というものには概して疑い深いのである。耶律楚材の「一利を興すは一害を除くに如かず」は政治や組織における最高の金言だと私は考えているが、たいていの場合、「一利を興す」提言は、「提案者にとっての」一利であるのが後になると分かるものなのである。もちろん、ただ思慮が浅いために、一利と思うことがその裏に多大な害悪を潜ませていることに気づいていないという場合も多い。孫埼氏の「地方主権論」は、その類だろうと私は思っている。これは橋下の「道州制」と同じく、「国家解体思想」であって、「国家再生思想」としては問題の多い思想ではないだろうか。


(以下引用)


明治国家以来の、欧米に追いつき追いこせという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、すでに歴史的役割を終えた。

 これに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。 

いま必要なことは、すでに人口の7割を超えた戦後世代を中心とする市民のもつ創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、その問題意識や関心に応じて地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら実行を監視し保障していくような、地球市民的な意識と行動のスタイルをひろげていくことである。

小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、

技術創造型のベンチャー企業をはじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた中小企業経営者や自立的農業者、それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。




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高血圧と食塩

「異端医師の独り言」というブログから記事の一部を備忘的に転載。
記事全体は、食塩は高血圧と(基本的に)無関係だ、という内容だが、もちろん、広い意味では、食塩摂取量は血圧と関係するだろう。しかし、血圧のメカニズムは単純に食塩摂取量だけに還元できるものではない、とされるようだ。そして食塩悪玉説の論拠(実験データの正当性など)は驚くほど薄弱なようなのである。
下記記事にあるヤモマモ族は食塩摂取量が少なく、高血圧は殆ど無い種族だが、実は彼らの生活は食塩摂取が少ないだけではなく、「摂取カロリーも少なく;果物、野菜、そして乳製品の摂取量が多く;より痩せていて、活動的で;アルコール摂取量は少なく;そして工業化されていない。」というものだ。こうした生活が高血圧になりにくい生活であることは、おそらく誰でも予想できるだろう。つまり、高血圧になりたくなければ、あるいは高血圧体質を改善したければ、「摂取カロリーを減らし、体重を落とし、活動し、アルコール摂取量を減らす」のがいい、ということである。
それは最後の「アルコール」を除いては、私の現在の生活である。(アルコールにしても、若いころに比べれば、まるで飲んでいない、という程度の摂取量なのだが。)とは言え、高齢になるにしたがって血圧は上がるのが普通のようだから、上に書いたような健康的生活をしていても高血圧になる可能性はある。私の場合は既に高血圧だと判定されているのだが、なるべく降圧剤を飲まないで、医者にもかからずに自分で血圧操作をしようと努力しているわけだ。それは、高血圧治療が医者の安易な金儲け手段になっているということへの反抗である。大きく言えば、我が身を使っての人体実験をして、「降圧剤からの脱出」を試みているわけだが、今のところ完全脱出はなかなか難しい、という感じだ。
かつての体重72キロを、現在62キロまで減らしたが(身長は176ほどある)この体重だと上半身などまるで骸骨である。それでいて血圧は「高め安定」なので、今後、どうしたものか思案中だ。まあ、前に書いたように上が160、下が95までは「高血圧ではない」という方針でいけば問題はないのだが、血圧が高い時に頭痛などすると、脳卒中などの不安が頭をよぎったりする。まあ、脳卒中で即死すればむしろ望ましい死だが、半身不随で、寝た切り、要介護となるのは、御免蒙りたいので、仕方なしに数週間に一度くらいは降圧剤を飲んだりしている。なかなか毅然として「常識への反抗」をするのは難しい。(笑)


(以下引用)


初期の論争では、食塩の有害性を示す殆どの証拠は「生態調査」として知られる疫学調査によりもたらされた。それは先住民族、例えばブラジルのヤモマモ族の食塩摂取量と血圧を調査し、工業圏のそれと比べる。先住民の食塩摂取量は 1g以下で、高血圧や心臓病は殆どない。一方、工業圏、例えば北部日本の住民は一日に 20~30g、世界で最も多量の食塩を摂り、脳卒中の発症率は世界一である。このような発見は移住調査で補強された、すなわち、工業圏に移住した先住民族を追跡すると、食塩摂取量が多くなり高血圧症が増えた。
 これらの発見から直感的ダーウィ型進化論が提唱された:人類は食塩が少ない環境下で進化してきたので食塩を保持できる固体が生き延び、この形質は食塩が豊富な現在まで受け継がれた。この論法に立つと、最適な食塩摂取量は数g、原始社会のそれで、工業圏の住民は食塩を過剰に摂取するため心臓病と卒中が多いことになる。
 このデータと仮説の積み重ねの落穴は、データ全体の半分しか含めていないことである。他の半分、特に集団内調査(intrapopulation studies)と呼ばれる調査は食塩-高血圧説を支持しない。集団内調査では、ある集団、例えばシカゴに住む男性の食塩摂取量と血圧を比較した、そして食塩摂取量と血圧は全く相関がなかった。1980年、国立統計センターが 20,000人を対象とした集団内調査でも関連を認めなかった。
 しかしながら、いずれの調査法をもっても決定的な答えを得られなかった。生態調査は、科学的な研究法とは言えず、現在はあまり用いられない。この調査法の致命的欠点は、結果に影響を与える変数の数が集団により異なるのに、結果を一つの変数で説明することである。例えば、食塩摂取量の少ない集団は、摂取カロリーも少なく;果物、野菜、そして乳製品の摂取量が多く;より痩せていて、活動的で;アルコール摂取量は少なく;そして工業化されていない。これら一つ、あるいは幾つかの組み合わせが血圧を低下させる。先住民族は感染症や外傷で若くして死ぬ傾向があるが、工業圏の住民は心臓病にかかるほど長生きすると Epsteinは言及する。





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特殊B層の自覚

朗報である。推奨中止の理由は副作用の事例が多発している事にあるが、ネット上での子宮頸がんワクチンへの批判も中止理由の一つにはなっているかと思う。これをきっかけに、医療専門家もWHOなどの権威を盲信し、盲従するのではなく、自分の判断で行動するようになってほしいものである。

専門家なるものも、ある意味では官僚と同様、「教科書」だけを頭に詰め込んだ「特殊B層」(知識層に属するB層を私が今命名したw)にすぎないことを自覚するべきだろう。もちろん、医療界だけではなく、科学界、法曹界、教育界その他、権威的な分野はたいてい「昔からの定説」「今支配的な学説」「古株の重鎮の言動」などで支配されていると私は推測している。つまり、「自分の頭で考える人間」は専門家ほど少ない、と私は思っている。こうした人間を「特殊B層」と私は言っているのである。
一番の問題は、彼らが自分をB層だとまったく考えていないことだろう。彼らは自分の知的レベルに自信があるから、自分が間違っている時でも、それが分からない。そして彼らが社会をリードするから、社会はいつまでも誤った方向に進む。戦後68年間の日本、いや、明治維新以降の日本は、彼ら特殊B層が作った社会だと言っていい。それは3.11という歴史的災害や2009年の民主党革命によっても変わらなかったのだ。
もちろん、専門家のすべてがそうなのではないのだが、マス(塊)としての特殊B層は、それほど頭がいいとは私には思えない。東大を一番で出たと自称する片山さつきなどの程度の低さを見れば、そう思いたくなるのも無理はないだろう。いや、東大批判ではなく、本題に戻ろう。医学関係や科学関係でさまざまな奇妙な「定説」や無根拠な慣習がはびこる様(そしてそれが世間に流す害悪)を見れば、専門家の人々には「もう少し広い視野と誠実さを持て」、と言いたくなる。ソクラテスの「無知の知」ではないが、何より、「自分はそれほど頭が良くない」という自覚を持つことが一番大事なのではないだろうか。謙虚さというものや、自分は学ぶべきだという自覚は、幾つになっても、どんな地位にあっても必要なことだと思う。


(以下引用)


子宮頸がんワクチン、検討会「一時的に接種推奨控える」
朝日新聞デジタル 6月14日(金)19時29分配信

子宮頸(けい)がんワクチンの勧奨見合わせを受け、厚生労働省が医療機関向けに作成したリーフレット
 【森本未紀】子宮頸(けい)がんワクチンの接種後に長期的な痛みやしびれを訴える人が相次いでいるため、厚生労働省の検討会は14日、一時的に接種の推奨を控えるとの意見をまとめた。これを受け、厚労省は自治体に通知を出す。定期接種は中止しないものの、自治体に接種対象者に案内を出さないよう求める。

 定期接種のワクチンで推奨を控えるのは異例。接種対象者は希望すれば、これまでどおり無料で受けられるが、医療機関は接種者に対し、推奨していないことを説明する。

 検討会では、ワクチン接種後に体に痛みが出るなどの健康被害43例について議論した。委員からは「患者に何が起きたのか調査が必要」との声が相次いだ。同省は秋以降、16の大学病院で、痛みなどの症状と予防接種との因果関係の有無を調べ、積極的な接種を推奨すべきか結論を出す。

 検討会の桃井真里子座長は「中止ではないので、打たないとの判断もできるし、打ちたい人は今まで通り打てる。ワクチン自体の安全性に大きな問題があるということではない」と話した。

 このワクチンは、4月から小学6年~高校1年の女子を対象に原則無料で受けられる定期接種になっている。ごく一部で重い副作用も報告されている。副作用が出た場合は、予防接種法に基づき、国が因果関係を認定すれば市町村から医療費などが給付される。
朝日新聞社




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ヤギは日本列島を避けて東に消えた

「in deep」から記事の前半だけ転載。後半が本題のようだが、前半だけでお腹一杯、という感じなので後半はまだ読んでいない。(なお、「in deep」は、「 in darkness」すなわち現在の「 darkness」とはまったく別ブログで、残酷写真が冒頭に載っているのは後者である。まあ、どちらも「in」で始まり「d」が続くという似た言葉だから、私も最初は戸惑ったのだが。「in deep」は宇宙的思考のブログとでも言ったらいいだろうか。まったく「dark」な感じは無い。もっとも、この宇宙全体の変化によっては地球自体の消滅もあるわけで、それを気にし出したら心も暗くはなるだろうが。)
引用部分前半の「日本列島の水不足」は、今年の夏以降に深刻化する可能性がある。本当に、歴史的な「カラ梅雨」になってしまうのではないだろうか。現段階でダムの貯水率が「2%」! 「20%」ではなく「2%」である。そういうダムもあるのである。政府は今からそういう水不足に備える必要があるはずだ。水道民営化などと馬鹿なことを言っている場合ではない。
引用記事後半は、「悪魔」の主な性質が「分かりにくさ」である、という、私にとって新しい知見が書かれており、備忘的に保存する。確かに、我々は得体の知れない存在に恐怖と不安を感じる。ほとんどの異邦人迫害はそういう「自分と違うもの」すなわち「自分の理解を超えているもの」への恐怖や不安から起こっている。
引用記事が長いので、詳しい考察はいずれまた、としておく。


(以下引用)





2013年06月13日


地獄の夏の意味: 消滅しつつある太陽黒点の中で恵みの雨だったはずの「山羊」は日本列島をスルーして






▲ 現在の太陽黒点の様子。もはや太陽活動最大期に向かう太陽の黒点数ではなくなっています。



▲ 最近の黒点数の減り方。 NICT 太陽黒点情報 より。

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ほとんど水の恩恵をもたらさなかった台風3号 ヤギ


昨日、知り合いの方からメールをいただきました。
農業をされている方です。

関東より西にあたる地域の方なんですが、水不足は大変なもののようです。

メールの中には、




隣町では、農業用水の井戸が枯れてしまい、ポンプアップできないために、田んぼがひび割れているそうです。このままだと雨乞いしてもらわないとダメかなあと近所の皆さんも真剣に話しています。

こんな年は初めてだと年配者が嘆いています。




など、他にもいくつかの深刻な様相が書かれていました。

先日の「西日本に覆い被さる「龍の顔」を見て思い出す日本で最強の火山:薩摩硫黄島」という記事では、台風3号の水の被害を心配していたりもしていたのですが、予測はさらに裏切られ、この台風は、ほぼ完全に日本列島をスルーしていきました。

私の住む関東あたりでは多少の雨は降っていますが、しかし、この2日間ほどの雲の動きを見ていましても、水不足が大きく解消した場所はほとんどないような感じに思えます。

Google のニュース欄などで「水不足」で検索しますと、下のように、日本列島の非常に多くの地域で、水不足が深刻化している報道がなされていることがわかります。





ダムの貯水率も、国土交通省のデータを見ると、貯水率が 50パーセント以下のダムがかなり増えていることがわかります。

下の図は、全国ダム貯水率マップというサイトのものですが、縮小していて、わかりにくいかもしれないですけれど、「赤」の丸のダムが貯水率 50パーセントを切っているダムです。




上のサイトでは、地区別に詳しく見られますので、気になる方はご覧下さい。


しかし、実はこの「貯水率の危機」というのは、私の最も身近なダムで顕著に起きていることでもあるようなんです。

私の住んでいるあたりの水源について詳細についてはわからないですが、少なくとも私の住んでいる場所から近い水源のひとつに「秩父」というところがあります。そして、下は、先日の NHK のニュース。



▲ NHK より。


「貯水率2パーセントって何じゃい!」とは思いましたが、まあしかし、実際そのようなことになっているようですので、2パーセントは2パーセントのようです。数字上では「枯渇」に近く見えるのですが、記事によりますと、「仮に貯水率が0%になってもダムの湖底には一定の水が残るため、現在も放流を続けていて田植えなどへの影響はない」というようなことが書かれてありましたが、しかし、心許ない数値ではあります。

いずれにしても、台風3号は、これらの水不足を多少解消していってくれるのではないかと思っていたわけですけれど、今のところは、どうやらあまり貯水率には影響しないようです。



ヤギの由来

ところで、この台風3号のアジア名は「Yagi (ヤギ)」というものなのですが、先日の記事では、「この台風3号の英語名は YAGI (ヤギ)ですが、意味はわかりません」と書いたのですが、意味がわかりました。

ヤギは山羊でありました。
つまり、日本語です。

台風は、日本では仮面ライダーのように「1号」、「2号」というような番号で管理されますが、ハリケーンを含めて海外の多くでは台風には名前がつけられます。台風にも、日本名の「台風3号」というような数字以外に、アジア名が英語でつきます。

その由来が、台風 - Wikipediaに説明されていました。




アジア名

2000年からは台風の国際的な呼称としてアジア名が使用されている。アジア名は、米国とアジア各国で構成された台風委員会によって定められたもので、国外では広く使用されている。

アジア名は全部で 140個あり、 140番目の「サオラー」まで使用されると最初の「ダムレイ」に戻るループ。名称の順番は、 2012年現在 3周目に入っている。




ということで、140個の台風の名前が決められているということのようです。

Yagi は 19番目にあります。




つまり、次に発生する台風は「20番目」のアジア名が使用されるということで、次の台風4号のアジア名は 20番目の「リーピ」で、台風5号は、「バビンカ」という名前となるようです。

日本語がつけられた台風のアジア名としては、他に、

5 テンビン
33 ウサギ
47 カジキ
61 カンムリ
75 クジラ
89 コップ
90 コンパス
117 トカゲ

などがあるようです。

89など、「台風コップかよ!」と思わず呟いてしまいましたが、今回の台風が「ヤギ」だったので、星座とかと関係しているのかなとか思いましたけれど、特に関連性はないようです。


ところで、この「山羊」。


私は少年の頃、タロットなどが好きだったこともあったのですが、山羊は西洋では、「悪魔」をあらわすことが多いです。タロットの絵柄のデザインにはいろいろとありますので、ここには載せないですが、タロットの「悪魔」というカードにも山羊の姿の悪魔が描かれることが多いです。

それとタロットではなくとも、五芒星を逆にした「逆五芒星」という形の中に山羊を描く構図もオカルトではよく見られます。



▲ こういうように悪魔的なイメージのロゴとして使われたりします。


ただ、「悪魔」というとイヤなイメージばかりが先行するかと思いますが、少なくともタロットにおいては、その解釈は多様で、「堕落と覚醒の間を漂う」というような意味としてのカードという感じもします。

ふと思って、悪魔 (タロット) - Wikipedia を見てみましたら、その途中に下のような記述がありました。




「悪魔」が最も強調している象徴は「訳がわからない」である。このようにちぐはぐな象徴を一体の像に集約することは「混乱」や「葛藤」といった心理的錯乱状態を示し、「悪魔」を滅亡や破壊へと誘う恐ろしい存在として扱っていると解釈される。

(中略)

一方で、「悪魔」を「救世主」と見ることもできる。悪魔は創世記においてイヴをそそのかし知恵の実を食させたが、見方を変えれば(逆位置)、悪魔の意思がどうであれ、人間にとっては科学を発展させ地球上に種を広げる良い結果をもたらしたといえる。

これは「意図の有る無しに関わらず、当人の望む望まぬに関わらず、結果的に起こる奇跡」、即ちトリックスターを意味する。





今回の台風3号の「ヤギ」も確かに訳がわからないまま消えていこうとしていますけれど、当人の望む望まぬに関わらず、結果的に起こる奇跡というものが、何かあればいいのですけれど。










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それは遺憾

私の最愛のサイトの一つであった「ボーガス・ニュース」が1年の休みからいつの間にか復活していたが、また休載し始めたようだ。なかなか完全復活とはいかないようだ。
4月5月の二か月ほどの間の記事をおいおい読んでいくつもりだが、とりあえず、ネーミングが秀逸な、下の記事でも紹介しておく。
世界遺産ならぬ「世界遺憾」だそうで、失言よりもその存在自体が遺憾な政治家や官僚や経団連を「世界遺憾」に指定して、精神病院に強制入院させた方がいい、と私は思う。そんなことを書いていると私自身、「……おや、誰か来たようだ。」となるか。(笑)


(以下引用)


2013
05/04 17:30
日本政治家の「失言」、世界遺憾に登録へ──富士山とダブル受賞 社会面




ザ・世界遺憾

富士山が世界文化遺産に登録される見通しであることが明らかになったばかりだが、同時に日本の政治家の「失言」も世界遺憾として登録されることが文化庁の発表でわかった。世界文化遺産の登録総数はすでにかなりの数にのぼっているが、世界遺憾に登録されるのは国際的にみてもきわめて異例。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が1日までに勧告決議をしたもので、今年6月にも正式登録される見込み。日本の政治家の失言が世界遺憾に認められたポイントは、主に「引き際がわからない」「失言の上塗りになるような言動をする」「外遊先のようなアウェーでも失言する」という三点で、他国に類を見ないことが「誠に遺憾である」として認定されたもの。
今後、日本には世界遺憾の保有国として失言の保全などが義務づけられる。このため、文化庁では「神の国発言」で知られる森元総理を首班としたスペシャルタスクフォースを結成。政治家の失言を「生産」「記録」「再生産」の3ステップに分けて、いずれの段階でも活発な遺憾の意を表明できるよう環境構築していく方針だ。
最近の失言生産者・猪瀬都知事のコメント:
世界遺憾への登録はすばらしいことで、今回のことで誰が味方で誰が敵かわかった






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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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