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「尊皇攘夷」の旗

「鎌倉好きですか」というブログから転載。
ふと思いついて「今こそ尊皇攘夷」という言葉で検索するとほとんど右翼ブログばかりだったが、下記記事は「尊皇攘夷」の意味が、私が今考えていることに比較的近いように思えたので引用させてもらう。
明治維新が西洋(私は癖でつい「西欧」と書いてしまうが)による日本支配工作の一面を持っていたことは心ある人にとっては常識だろうが、学校教育ではひたすら素晴らしいことのように教えられている。その背後の、西洋の日本支配工作についてはほとんど聞かされない。そして文明開化という「日本の西洋化」も、物質的生活の向上だけが語られて、その暗黒面である欲望の肥大化や金権支配、日常的な精神的堕落については無視されている。
その行き着く先が、54基の原発が海岸に立ち並び、今なお福島原発からの放射能で日本中が汚染されている日本である。あるいは日清、日露両戦争であり、太平洋戦争である。これらが日本の文明開化と経済的発展の招来した影の面だ。その間に何百万の庶民が殺されてきたことか。
これが「金がすべて」の思想の帰結である。
そして、金がすべての思想とは、「新自由主義」を正確に言い換えたものであり、その新自由主義の最後の切り札、西洋による日本支配の総仕上げがTPPなのである。
したがって、今こそ攘夷の時である、というのは、右も左も無関係な話なのだ。
それが「尊皇」と結びつくのは嫌だ、という人も多いだろうが、天皇という存在が明治維新において決定的要因になったことを思えば、今回は明治維新後に新政府が「攘夷」をあっさり翻して「開国」に踏み切ったのとは逆に、本当に「攘夷」をする、その中心として天皇の存在を考えてもいいのではないだろうか。
いや、天皇に政治的実権を持たせようという話ではない。日本国憲法に明記されているように、天皇とはまさしく日本の象徴なのであり、政治だけではなく文化や日本人の本来の精神にもつながる存在なのである。今の日本国憲法ほど、日本の歴史における天皇の意味をはっきりと示したものは無い、と私は考えている。
天皇は日本国民統合の象徴であり、現在の国難において「尊皇攘夷」とは、日本国民は西洋の侵略と戦うために立ち上がるという意思の表明になると私は考えている。これによって左翼陣営の天皇制アレルギーの人間は離れる可能性は高いが、日本を愛し、日本精神を心の中に残した多くの日本人が結びつき、立ち上がる核がここにこそ生まれるのではないだろうか。
「尊皇攘夷」というスローガンは、江戸幕府を倒す力を持った強力な言葉であった。そういう「言葉の力」を理解していない人間が多すぎる。いや、橋下などはそれを十分に分かっているから偽りの「維新」、嘘だらけの「船中八策」などという「言葉の利用」をしてきたのである。だが、「未来の党」その他の政党には、その程度の頭も無い、というのが私には残念でならない。
「尊皇攘夷」を明示することは、何を守り、何と戦うのか、その敵を明確にすることである。戦うためには、旗が必要なのである。
今、我々の真の敵は「夷」であり、外資、ユダ金、その手下である経団連や政府の上級官僚、橋下・石原・安倍などの偽右翼、偽愛国主義者なのである。



(以下引用)



【鎌倉人】今こそ攘夷(じょうい)の精神を。【世界への姿勢】
2012年 04月 26日


 歴史の授業くらいでしか聞いたことがないかも知れない、この「攘夷(じょうい)」という言葉。

 恐らく、多くの方は「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい。文政8・1825年~天保13・1842年)」に代表されるような「排外主義」をイメージされるかも知れませんが、それは当時がのっぴきならない弱肉強食の世界であった事に起因する事象(徳川幕府の政策)の一つであり、攘夷の本質ではありません。

 夷(えびす)を攘(うちはら)う。

 この「夷」とは、本来「野蛮人」を意味する言葉であり、何も外国人とは限りません。

※中には、この「夷」を勝手に「自分たちを指している」と決めつけては「差別だ」何だと騒ぐ(悪質な例ではたかりのネタにする)方もいますが、そういう手合いは国籍や人種ではなく、その振る舞いによって「夷」と分類すべきでしょう。

 野蛮人とは、文字通り「野蛮なことをする人」を指す言葉ですから、日本人でも夷はいます。

 そして、野蛮とは何でしょうか。

 その定義は、色々あるでしょう。

 例えば。

 外国へやって来て、その国の文化や価値観を重んじない、とか。

 あるいは。

 目先の利益に媚びへつらって、自国の文化を切り売りする、とか。

 つけ上がる方もつけ上がる方ですが、甘やかす方も甘やかす方です。

 内憂と外患が癒着と妥協を繰り返す中で、日本が日本でなくなって行く。

 日本の文化を土壌として、独自の文化が培われた鎌倉もまた然りです。

 鎌倉は、日本の古都です。

 私たちは「攘夷」の何たるかを知らねばなりません。

 それは決して闇雲な排外主義に走ることではなく、お客様をもてなしながらも、峻厳たる「一線」を引いておくことに他なりません。

 それを一言で表わすなら「媚びるな」。これに尽きます。

 世界中から多くの方が見える鎌倉こそ、この「攘夷」の精神を身につけておかねばならないのです。

 だからこそ私は、「尊皇攘夷」を祈願するのです。

※尊皇(天皇陛下はじめ皇室を敬愛する)については「日本文化の根源であるため」の一言で足りる(詳しく調べればキリがないものの、最低限の主旨は伝わる)ため、今回は紹介を割愛します。

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税金で、英語の使える奴隷を作ろう

論評する価値も無い、という気もするが、他に面白い記事も無いので取り上げた。確か橋下ネタで未公開の文章もあったので、追加するかもしれない。
しかし、こうして毎回ネタを作ってくれるという点では、橋下は確かにマスコミ的には得難いタレントではあるようだ。だが、タレント、電波芸人、電波芸者であって、政治家にしてはならないサイコパスのやくざである。弁護士でありながらこれほど無知、無教養であるというのも珍しい。その橋下の説く「英語教育論」である。
「橋下がそう言う」のだから、英語など「絶対に勉強してはならない」、と思う人も出てくるだろう。ネットゲリラ氏の言葉もそういう感じだ。
もちろん、英語自体には罪は無いのであり、英語を他国民に強制的に教育させることで「英語言語圏による異民族支配」を容易にする戦略が陰に存在することが問題なのである。
まあ、日本人全体の英語水準が上がれば上がるほどアングロサクソン(=ユダ金)をご主人とする奴隷の数は増えて、彼らにとって便利である、というのはネットゲリラ氏の言う通りだろう。
ただし、私自身はアメリカンポップスを聞き、ハリウッド映画を見て育ったもので、英語という言葉そのものはわりと好きである。もっとも、英語能力はいまだに中学生の平均レベルなのだが。まあ、その程度でも、辞書を使えば英語を楽しむことはできる。お暇な方は「徽宗皇帝の娯楽的語学ブログ」も見てください。パスワードを忘れたので、今では更新不可能になっているサイトだが、まだ存在はしていると思う。「女か虎か」などの、名前だけは有名な作品の原文とその翻訳など、珍しいものも入ってます。




(以下「ネットゲリラ」より引用)



英語を勉強するヤツは売国奴

野次馬 (2012年12月 7日 16:07) | コメント(20)





日本語というのは、欧米人にとっては最大の非関税障壁なので、新自由主義者は口を揃えて「英語教育」とか言いますね。ユダ金が英語で命令できるポチを欲しがっているだけです。専門的に外国人と接する商売でもない限り、日本人に英語教育はこれ以上要らない。日本人が英語下手なのは、使う必要がないからです。







橋下徹 「日本はもっと英語教育をすべき。アメリカ人は幼稚園児でも英語がペラペラだ」

1 スペインオオヤマネコ(埼玉県) 2012/12/07(金) 15:28:21.48 ID:VSQVbfRZP

橋下徹 @t_ishin

もっともっと現役世代、子どもたちに税金を回す。
日本の子どもに対して、高校を卒業する頃には英語で日常会話ができるようにさせる。英語なんて、能力なんて関係ない。
アメリカ人は幼稚園児でも英語をしゃべる。とにかくやらせればいい。
しかしこれにも莫大な金がかかるが、あとは政治の決断のみ。

4 サビイロネコ(家) 2012/12/07(金) 15:29:36.97 ID:bb5zm1QTP

そりゃアメリカ人だしなw

5 ツシマヤマネコ(チベット自治区). 2012/12/07(金) 15:29:47.88 ID:AkJkupcT0

日本人の幼児も日本語ペラペラだ
すげーよな

6 スフィンクス(宮城県) 2012/12/07(金) 15:29:52.87 ID:Gygc5zez0

つまんねえジョーク

7 シャム(愛知県) 2012/12/07(金) 15:30:06.06 ID:S8RMgQsC0

こいつどんどん壊れてくなw

10 オシキャット(茸). 2012/12/07(金) 15:30:23.20 ID:aGwcdSZO0

もういいよお前喋んなバカがばれる

11 マンチカン(チベット自治区). 2012/12/07(金) 15:30:24.59 ID:1ed5OszX0

小学生でも漢字書けるんだぜ?そっちのが凄いだろ

18 ロシアンブルー(大阪府) 2012/12/07(金) 15:31:39.50 ID:YrDRFUiD0

典型的な勘違い
日本に必要なのは国語

20 アメリカンカール(dion軍) 2012/12/07(金) 15:32:00.77 ID:1Sc+dZxT0

お前らこんなアホをホルホルしてんの?

22 オシキャット(茸). 2012/12/07(金) 15:32:05.67 ID:aGwcdSZO0

また具体的な話がない
で、どうしたら英語話せるようにするんだ金の問題なのか?で英語話せるようにしてどうなるんだ

23 アビシニアン(神奈川県). 2012/12/07(金) 15:32:22.16 ID:6xas7lR00

こいつ・・・マジで言ってるのか・・・?

26 猫又(京都府) 2012/12/07(金) 15:32:40.75 ID:zYKCzWkr0

真性のバカなのか
受けを狙ってるのか
理解しかねる・・

27 スペインオオヤマネコ(京都府). 2012/12/07(金) 15:32:46.66 ID:coHHjLxW0

タクシードライバーとか英語喋れん奴がゴロゴロおるのがアメリカやん

30 黒トラ(西日本) 2012/12/07(金) 15:33:20.02 ID:4kej6ay+O

デーブスペクターのもちねたのパクリ

34 ジョフロイネコ(愛知県). 2012/12/07(金) 15:33:47.93 ID:imHRks610

そりゃあんた母国語はちゃんとしゃべりよるわ
俺だって2歳で相当な数の日本語操ったで

35 猫又(京都府) 2012/12/07(金) 15:34:12.11 ID:zYKCzWkr0

ツイッターで下品な言葉で吠えまくってるどこかの政治家を見てると
美しく正しい日本語教育のが先だと感じる





[追加記事』



「たんぽぽ日記」から転載。
どこの誰かは知らないが、下のようなことを考えている人間がいるそうだ。もちろん、他人の考えなど分かるはずは無いのだから、これは多分妄想だろう。まさかこの日本にこんなことを考える悪魔的な人間はいないはずだからね。ヒトラーだって、ある意味ではドイツのために働いたという愛国者的部分もあるが、これではまるで日本人全体を憎悪しているみたいである。もっとも、「俺が一杯の紅茶を飲むためなら、世界が滅んだってかまうものか」(ドストエフスキー『地下室の手記』)と考えている人間は経団連などにもたくさんいそうな気はするのだが。
下に書いた記事だけでは、これが誰か分からないだろうけど、名前を言うと誹謗中傷になるから教えません。

旧ソ連のアネクドート(ジョーク)だが、フルシチョフの時代に「フルシチョフは馬鹿だ」と国家元首の悪口を言った国民が警察に捕まった。罪名は何か、と聞くと「国家機密漏洩罪だ」と答えたそうである。なかなか洒落た話である。




(以下引用)*「外人地地区」となっていたのを「外人自治区」に訂正。「写真」を「社員」に訂正。単なる変換ミスによる誤記だろう。


「世界の人口が増えすぎ、食料もエネルギーも枯渇する恐れがあるので、平和憲法を廃止して戦争を始めます。国民の70%が死んでくれれば、日本は新しくやっていけるでしょう」

「年金は廃止します。日本人は長生きしすぎです。金がなくなれば働き口のない年寄りは死んでしまうでしょうから。延命治療も禁止します」

「生活保護は廃止します。働かざる者、食うべからず。死んでください」

「子ども手当は廃止します。子供を育てる金もないのに、子どもを生むな!と言いたいです。
私は年収1億円以上ありますから、大勢子供を産んでも問題ない。愛人を囲えるほど財力がありますから」

「在日外国人に選挙権を与えて外人自治区を作り、いずれは外国の植民地にします。
そうすれば、もっと外国と仲良くできるでしょ?
外人自治区の日本人はどうするかですって?
そんな少数の日本人のために政治をやっているわけではありません。
すべては自己責任といったはずです。
郷に入らば、郷に従えというでしょう。
朝鮮自治区の人は、朝鮮人に従ってください」


「最低賃金法は、今回は選挙に負けると困るので一応、改定という言葉の綾で変更いたしましたが、
いずれは撤廃します。だって、アフリカ人の平均収入と日本人の平均収入を比較してみてくださいよ、
高すぎますって。時給500円くらいでちょうどいいんじゃないですか?
私のバックボーンである孫正義さんら、経営者が賃金を支払うことを思えば、
どうしても賃金を下げざる得ないんですよ。
孫さんは今、年収2億円ですから。
社員の賃金が時給500円程度まで下がれば、
孫さんは年収50億円も受け取るようになれるんですよ。

優秀な経営者にはたくさん報酬を払えば、企業は長く続きます。
つまり雇用が安定するというわけです。


「えっ!ワーキングプアですって・・。そんなに金がほしければ、
私が作った大阪カジノランドに来てくださいよ。
運が良ければ億万長者も夢ではありません。
映画「カイジ」を見てないんですか?
あなたにも億万長者になれる可能性を私が与えてあげたんですよ。
ただし、もし賭けに負けたら地下いきですけどね。
それくらいのリスクは当然でしょう。
私だって、だてにサラ金の顧問弁護で財を成したわけじゃないんですよ。
お金に困っている人たちから金をむしり取る、
それがどれほど苦しいことだったか・・・
むろん、私は裁判に一度も負けたことはありません。
すべて勝訴して回収しましたけれどね。
そのおかげで「行列のできる法律相談所」にも出演し、
いま、こうして次期総理大臣候補にもなれたんですから」

「戦争で、破産でこの日本の人口はどんどん減ります。
たしかに税金も入ってこなくなりますが、死んだ国民の財産は一代限りで没収するという法律を作りましたから、全然政府はやっていけます。
これで日本はやっと復活できるんですよ。僕に感謝してください」

「えっ!日本人が死に過ぎて日本に住む人間がいなくなったらどうするかですって?
大丈夫ですって、私の父の故郷である朝鮮半島から大勢移民を計画していますし、
尖閣を巡って開始する中国との戦争で、日本列島の多くの土地が長い間人が住めない放射能汚染地域になりますから。なんでって、原発を冷やさないだけで、核兵器を使わなくとも核攻撃が可能となることが、民主党政権下で証明されましたからねぇ。使わない手はありません。それが原発廃止を延期した最大の理由です」


「とにかく、戦争は救済の技なんですよ、古代からそう政治家や哲学者たちによって受け継がれてきた神聖な教えなのです。私はその教えに従って、ただただ日本の再生を願って破壊するだけです。
破壊こそ再生をもたらす唯一。最大の手段であると、聖書にも書かれているではありませんか。
この世は正義ではありません。悪が支配しているのです。
だから戦争が必要なんです。神が戦争を求めているのですから。
我々はその神の教えに従うだけです。だってこの世で一番偉いのは、彼ら人間神なのですから」




(夢人注)最後の「人間神」とは欧米の金貸し商売の商人だろうと思う。高利貸し以外にも、何も無いところから金を作ったり油を売ったり兵器を作ったり、いろいろやっているが。







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やはり世界は今年中に滅亡か???

「in deep」から転載。
井口博士のブログを先に読んでいたので、この記事の存在をそこで知ったのだが、もちろん、「in deep」もお気に入りブログの一つだ。文章が抜群にうまいし、管理人さんの個性も面白い。ただ、私自身は宇宙やら自然現象への興味はあまり無いので、読まずに済ます記事が多く、訪問頻度もやや低いわけだ。過去ログの中には抜群に面白い記事がたくさんあるので、知らない人は探してみると良い。

さて、下記記事だが、いったい何なのだろう?
そもそも、現役の首相がテレビで大真面目に話す内容とも思えない。しかし、記事の後半を読むと、偽造動画でも無さそうだ。つまり、本当にオーストラリア首相がテレビでこういうことを言った、という話になる。気が狂ったのか、それとも、何かの事実を掴んだのか。
「最後の打撃」の可能性の一つに「K-POPの完全勝利」が挙げられているのも奇妙である。日本ならばマスコミや芸能界、政界を在日勢力が支配下に収めたという話もあるから、まだ話が成り立つが、オーストラリアでKポップが完全勝利することがなぜ「最後の打撃」なのか。Kポップがゾンビや地獄の怪物と同列に挙げられているのは、何かの隠喩だろうか。
べつに韓国や北朝鮮がNWOの世界的尖兵であるという話も聞いた記憶は無いし。
まあ、判断材料が少ない段階であれこれ推測しても無駄だろうが、ごく近いうちに真偽の確認ができる話だから、とりあえずは「韓国・北朝鮮に注意しておく」くらいの心構えでいいのではないだろうか。もちろん、「独りエイプリルフール」でした、というオチもあり得るが。

まあ、私としては、マスコミ予測のように今度の選挙で自民党が大勝するくらいなら、世界など滅亡してもいいんじゃない?という気分もある。政治的経済的にゆっくり殺されるよりは物理的に一気に殺されるほうがマシだし、日本人だけが殺されるより世界全体が滅びるほうが何となく気持ちがいいではないか。(笑)おっと、いつも書いていることと違って「絶望の虚妄」の方へ傾いた発言になってしまった。
だが、私は昔から「全員で一度に死ぬ」ことの公平感が好きだ、というところがあるのである。『博士の異常な愛情』のラストなど、大好きで大好きで、あの「また逢いましょう」の曲が流れながら全世界がどんどん核爆発していく様子の爽快感は、筆舌に尽くし難いものがある。
その反対に、石原某は核戦争の後も自分だけは生き残るつもりであることは私が保証してもいい。保証してどうなる、という話ではあるが。




(以下引用)*動画も見たい人は元記事へ行かれたい。



2012年12月06日


オーストラリア首相が「世界滅亡の日が近づいています。マヤ暦が正しいことが証明されるのです」と国民に宣言・・・という謎のニュース




真偽や理由は一切不明ながら、その映像が存在するという事実

ちょっとなんだかよくわからないニュースなんですが、タイトルの通りなんです。

オーストリアの現在の首相はジュリア・ギラードさんという女性なんですが、その人がカメラの前で下のようなことを言っているのです。下のはその演説(?)の冒頭部分です。





あとで動画も載せますが、ゆっくり喋っているので、比較的わかりやすい内容かと思いますが、「親愛なる国民の皆さん、世界の終わりが来ています」から始まって、



「マヤ暦は真実であることがわかりました」





あるいは、



「ゾンビやモンスターに襲われるなど、いかなる死の迎え方であっても、最後まで私は皆さんのために戦います」


などと続き、最後は、



「 Good luck to you all 」(国民の皆さんに幸あれ)


としめられています。

こちらの動画です。



大体の内容を記しておきます。




ジュリア・ギラード首相の演説
2012.12.05

私の親愛なる同胞としてのオーストラリアの皆さん。
世界の終わりが来ています。

マヤカレンダーが真実だったことがわかるのです。

たとえ、科学者たちや、オーストラリア連邦科学産業研究機構( CSIRO )がそのことを確認できないとしても、私はトリプル J の予測は正確であることを確信しています。

最後の打撃が人肉を食らうゾンビによるものか、地獄から来た悪魔の怪物によるものか、あるいは、K-Pop の完全勝利から来るものか、それはわかりませんが、どんなものであろうと、あなたがたもご存じのように、私は最後まであなたたちのために戦います。

皆さんすべての幸運を祈ります。





「なんだこれ?」と正直、よくわからないのですが、考えられるのは、



1. 首相本人によるジョーク

2. 本人ではないそっくりさんなどによるジョーク

3. CG などによって編集されたねつ造動画



のどれかだと思ったのですが、本人であるかないかは見慣れていないのでよくわかりません。Google などでいろいろな彼女の顔を見る限り、同一人物には見えますけれど。



▲Google 画像検索でのギラード首相。


「2」もなさそうだし、動画を見ると、「3」もちょっと難しそう。

まあ、そのうちわかるんでしょうけれど、なんですかね。これ。


仮に本人が本気で言っているのだとしても、どうしてオーストラリアの首相に「この世の終わりがわかる?」という問題もあります。


しかしまあ・・・最近、いろいろなことがオーストラリアでは起きていますし、首相もお疲れであるという可能性もありますけれど。


というわけで、これだけなんですが、ものすごく気になりましたので、アップしてみました。

--

[追記] オーストラリアの報道を見ましたら、いくつものメディアで取り上げられていて、これは間違いなく首相ご本人のようです。意図についてはよくわかりません。

英語記事ですが、ヘラルド・サン、オーストラリアン、インターナショナル・ビジネスタイムズ の各メディアに記事として掲載されています。





夢人追記:

今「2ちゃんねる」まとめサイトを見ていると、下の記事があった。どうやら、「オーストラリア首相の独りエイプリルフール」が正解だったようである。人騒がせなことをするものである。
まあ、面白いからいいか。しかし、Kポップ云々は、冗談としても物議を醸しそうである。


(以下引用)



豪首相「K-POPで人類が滅亡する」
1: サバトラ(WiMAX):2012/12/06(木) 17:55:43.90 ID:vekU6QmE0

中米ユカタン半島に栄えていたマヤ文明の暦を根拠に、約2週間後の21日で世界が滅亡するという風説が世界に広まっているが、オーストラリアのギラード首相はこのほど、その終末論をちゃかしながら自分を売り込むお笑いビデオを制作した。

ビデオは若者向け放送局用につくられた。ギラード首相は神妙な表情で「まだ生き残っているオーストラリア国民の皆さん、世界の終わりが近づいている」と語り掛け、「世界にとどめを刺すのが人食いゾンビなのか、悪魔のようなけだものなのか、はたまたKポップ(韓国ポップ)の全面勝利なのかは分からないが、私は最後の最後まであなた方のために戦う」などと誓っている。

(2012/12/06-14:32
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012120600508



引用元:豪首相「K-POPで人類が滅亡する」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1354784143/







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真の保守、天皇制などについて

「暗黒夜考」に転載された松本英志氏の文章の再転載である。
「徽宗皇帝のブログ」などでも繰り返し言っているように、私は「漸進的社会主義」を是とする人間である。右か左かと言えば左に分類されるだろう。
だが、

「※念のためにお断りしておくと、この前段では「保守」という概念を「自分たちの国や民族のまっとうな精神・文化・伝統を守り、それを後世に伝えて行こうとするあり方」、という意味で使っています。」

という定義に従うなら、私は保守主義者である。日本の文化・伝統・自然をこよなく愛する人間だ。そういう文化伝統の根底に天皇制があるのだから、天皇制にも肯定的だ。
私が以前に「書に見る明治維新における皇統の断絶」を書いたことで天皇制否定論者だと思っている人もいるかもしれないが、血筋的な意味での皇統の断絶など壬申の乱、南北朝その他、何度も起こっていることであり、それで天皇制を否定するのは、日本という国の個性(それを国体と言うと右翼的になり、また国体という言葉は政治の文脈でしか使われないことが多い)を軽視しすぎた議論だと思う。むしろ、天皇は「日本という国家の重石」であり、日本が危機に立つ時に、その重石が存在することが日本(の伝統)を守る大きな働きをしてきた、と思っている。
「引用2」に「たんぽぽ日記」から天皇についての記述を引用する予定だが、その考えに私も近い。いや、天皇という存在の意義をもっと積極的、根源的に捉えているつもりだ。

さて、日本に本物の保守がいない、という松本氏の言葉にはまったく同感である。石原慎太郎や橋下徹は売国奴であって、右翼とすら言えない存在である。本物の右翼なら、国を守るためにこそ戦うはずだ。それが外国の新自由主義者の手先になって国を破壊しようとしているのだから、日本人の風上にも置けない人間どもである。もっとも、慎太郎と橋下の立ち位置は少し違うようで、そのため政策面でもしばしば齟齬を来しているのだが。
では安倍や石破は保守か、と言えば、この連中は自分の仲間の既得権を守るという意味での保守でしかないだろう。まあ、それもこれも下の記事に書かれていることだから、後はお読みいただけばいい。


最後に、天皇という存在の日本人にとっての意味を示すエピソードを書いておく。
太平洋戦争の敗戦から間もない頃、ある左翼的思想の持ち主である学者がアメリカに留学し、その物質文明の巨大さに打ちのめされ、日本という国の卑小さを感じて劣等感に打ちひしがれていた或る日、「そうだ、日本には天皇がいる」と考え、明るい気持ちを取り戻したという話である。
このエピソードは昔の「文芸春秋」に載っていた話で、「文芸春秋」は右翼雑誌だと言えばそれまでだが、私の父親がこのエピソードに丁寧にアンダーラインを引いていたのが当時中学生くらいだった私の記憶に残っている。(今考えると、「文芸春秋」を読む中学生というのもなかなかレベルが高い。今の私はその頃からあまり進歩していないかもしれない)

「そうだ、日本には天皇がいる」

この言葉は、軽視していいものではない。
ある意味では、天皇が存在しなくなるとき、「日本」という国も存在しなくなるとも言えるのではないだろうか。
それが「万世一系」の真の意味であり、単なる血統の連続性の問題ではない、と私は思う。だが、もちろんこれは私の考えにすぎない。



(以下引用)


◆本当に「本物の保守」がいないね、この国には!
 2012-12-05 03:25:09 「松本英志」氏


●前段 ~ 本来的な「保守」のあり方と日本の現実

日本では「亡国・売国」のことを「保守」と呼びます!?

こう言ってしまえば、丸っきしの「ブラックジョーク」ですが、これが「日本の現実」なんですから、本当に腹が立つ以上に目の前が真っ暗になりますよ。

何よりも「国民の生活を守って、国土を守る」のが「保守」の土台中の土台、なんじゃないでしょうか?

※念のためにお断りしておくと、この前段では「保守」という概念を「自分たちの国や民族のまっとうな精神・文化・伝統を守り、それを後世に伝えて行こうとするあり方」、という意味で使っています。「保守」の本質論については、後段で論じます。

その上で「良き伝統、文化」を守る、「悪いところ」があればみんなで努力して改善し、「至らないところ」があればみんなで切磋琢磨して身に付ける、このようなものの上に、初めて本当の「国の誇りや名誉」といったものが生まれる、のではないでしょうか?

そういう国であればこそ、国民は本気で「この、自分たちの国を守るんだ」という気になる、というものです。誰かさんに「国を守る気概を持て」、とか上から指図などされなくても、ね。

ところが、「日本の保守」とか称している連中、口先ではえらそうな事ばかり言ってるくせに、やってる事は「これら」の正反対のことばかり、でしょう?

やれ「原発を守れ」だの、「消費増税は必要」だの、と。

何よりも、「国民の生活を守って、国土を守る」という一番、肝心かなめのものが欠片もない!!

「原発を守って国民の生活を破壊し、子供たちから未来を奪い(それ以前に、「子供たちから真っ先に放射能で殺し」なんですが...)、国土を放射能だらけにして、水も食べ物も汚染して....」、と。おかげで、今や日本の食品は「核廃棄物」、と世界中から呼ばれている始末、なんですからね。

この連中が「保守」したがってるのは「目先の利権」、それも官僚や財界の利権と、粋がりと格好付けだけの「面子意識」でしかない「中味のからっぽな、日本の名誉と誇りとやら」だけ。

石原慎太郎なんて奴が、まさにその典型でしょう? 安倍晋三だの、その他の連中も似たり寄ったりで。

「これ以上、原発をやっていたら生活が破壊されて、日本が滅びてしまう」という危機感を感じて、多くの「名も無き国民」たちが立ち上がった!

これこそ、本当の意味での「保守」なんじゃありませんか?

多くの国民がまともに生きて行けて、国土がちゃんと保たれていればこそ、「国がまともでいれる」んですからね。「領土問題だの、国防問題だの」は、これがちゃんとできている上でのハナシ、でしょう?

国民が貧富の格差と失業に喘ぎ、国土が大規模に放射能に汚染されているような状態では、「領土も国防も」へちまもないから、です。いったい、「誰のための領土で、誰のための国防」なのか、と。

「国民のための領土であり、国民のための国防」なのであって、「権力者のための領土、権力者のための国防」など、何の意味もないのです!

「フクシマ」が起きた後、井尻一男という「保守」の馬鹿が「天皇さえ無事ならば、国民などどうでもいいんだ」というふざけた事をほざいていましたが、これが「日本の保守」とかいう輩の本音なんですね。

当の天皇御自身だって、そんな事は思っていないでしょう? 

むしろ、天皇御自身は「フクシマ」の悲惨に喘いでいる国民のことを思って、本当に心を痛めていると思いますよ。那須の御用邸施設を被災者のために提供したり(那須自体も福島に近いので、既に放射能に襲われていたんですが)、被災者を見舞う天皇皇后の姿には、本当に国民の不幸を悲しんでおられる様が見て取れますから。

あえて「右翼風(?)」に言うならば、「保守」だの「右翼」だのという連中こそ、口先では「天皇、天皇」と言っているくせに、「天皇の国民を思う心」など、まったくわかっていない。いや、連中は単に天皇を権威に祭り上げて、「天皇を政治利用」したいだけなんですよ。「絶対の権威」に祭り上げた天皇の権威にあやかって、自分たちを「天皇の権威」で権威付けたいだけの。

私は「左翼」ではないので、天皇を否定しませんが、いわゆる「保守」「右翼」(ごく一部の「まともな右翼・民族派」を除いて)の「天皇を絶対の権威」に祭り上げての「天皇の政治利用」などは認めてはいません。

まあ、この問題は非常にむずかしいので、ここでやめておきますが。

私は、「本来の良き意味での日本」は大好きなのですが、もはや、そういう「正論」がまともに成り立たなくなってしまった、のですね。

「日の丸・君が代」で「日本、日本」と言っている連中ほど、もっとも醜悪極まりない「亡国・売国」の「原発カルト」どもであり、「アメリカのケツ」にぶらさがって「利権第一」のろくでもない輩どもであり、こういう連中が「日本という国の看板」になってしまっているから、です。残念ながら。

ごく一部に、「日の丸」を掲げて本気で断固、「脱原発」を訴え続けている人たちもいますが、彼らをとことん攻撃しているが、この「保守」「右翼」の連中なんですから、ね!

いったい、誰のための「国」であり、誰のための「国家」なのか?

これこそが、国、国家というものを考えるに際しての「事の本質」、であるはずです。しかし、その視点が全く欠落したままで「国、国家」というものを安直に、自分たちの権威付けのために用いているのが「日本の保守・右派」勢力なのですから。




(引用2「たんぽぽ日記」より)





ネットで私のことを狂信的な皇室信者などと呼んでいる人たちもいる。
(私ほど右翼を嫌っている人間はそうそういないと思うが・・・)
実際に、好きでもないのに仕事などで右翼と付き合う破目になり、
本当に嫌な思いをした経験から語っており、
ただ、ネットで右翼の話を見ただけで書いているわけではない。


私も明治維新のどさくさに紛れて、岩倉や伊藤などが孝明天皇を毒殺、
長州藩の藩士の末裔が天皇に就いたーなどという説があることを20年ほど前から知っている。


仮に、そのような入れ替わり説が本当だとしても、
私には現在の明仁天皇や徳仁親王が悪人にはまったく見えない。


私はブッシュやオバマ、
石原慎太郎や橋下徹、菅直人らは悪人に見えるが天皇や皇太子は悪人には見えない。


まあ、このあたりの感覚は人によって違うのだから、
他人に強制しようとは思わない。


ただ、昭和天皇は政治的影響力を多少は行使できたのだが、
象徴化された今上天皇は、政治に介入する権限がまったくと言っていいほどない、
政府が作成した書類を承認しているだけである。


立憲君主制と言っても、明治時代と現在ではまったく違う。
中でも、昭和天皇は激動の戦争時代を受け持ち、
自分の思い通りにならない国政に歯がゆい思いをされていたようだ。





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俳句という遊び

毎日毎日、寒さの余り家に閉じこもって、ほとんど冬眠状態だが、いったい地球温暖化はどこへ行ったのだ。はやく温暖化してほしいものである。
若いころには千葉や東京にも住んでいたのだが、12月初旬、いや、正確には11月末からこんなに寒かった記憶は無い。むしろ11月や12月初旬は、「清涼で爽やかな季節」という印象であった。
まあ、暖流が近くを流れる海岸部の関東と、盆地の京都では気候が違って当然だが、昔からこの土地に住んでいる人々は我慢強かったのだなあ、と感心する。平安時代の貴族の女性など、「冬なら」十二単など着ていたのも納得、である。しかし、トイレの時は十二単をいちいち脱いでいたのかね。
さて、政治関係の話は一服して、今日は風流関係の話で、書けば多分自分の底の浅さを知られてしまうような内容だ。なぜそんなのを書くのかと言えば、馬鹿でも無知・無教養でも堂々と自分自身を世間に公開していいのだ、という私の持論のためである。と言うより、本当は、ノートに書いておいてもどうせ見直すことも無いから、ブログを備忘録として使うだけである。私が馬鹿さをさらす事で、世間の人間は「年を取ってもああはなりたくないものだ」、と我が身を振り返る一助になるかもしれないし。

何の話かというと、俳句の話である。私はこれまで作った俳句が百に満たないというまったくの俳句素人だが、時々発作的に俳句を作ることがある。
で、昨日、近くの山を散歩して、俳句が次々に出来たので、それをここに書いておくわけである。
言い訳じみるが、私は「厭味な句よりは平凡な句、月並みな句の方がいい」という考えである。これは映画や小説などの好みもそうで、「後味がいい」かどうかが作品評価の大きなポイントになる。もっとも、ブニュエルの「アンダルシアの犬」など、後味がいいとはまったく言えないが、それが凄い作品であるとは評価する。逆に、世評が高くても、ゴダールの映画のように気どりまくった作品は大嫌いである。映画監督の中ではウィリアム・ワイラーなど、奇をてらったところがまったく無いので世間的評価はあまり高くないが、私の中では、「神様」スタンリー・キューブリックとほぼ同格である。
さて、話が俳句から逸れたが、俳句を作る人々の間では厭味な句、奇をてらった句が高い評価を得ることが多いと私は感じている。つまり、「自分には思いつかない」ものに人は感心するからである。だが、そうした奇をてらった句、作為がぷんぷん臭う句は厭味なものである。俳句に人生観をにじませるような深刻な句もだいたいが厭味なものだ。

俳句は、言葉によるスケッチである、というのが私の考えだ。

目の前の風景、ふと心の中をかすめる感慨を言葉で短くスケッチする。それが俳句の最高の機能であり、練りに練り上げて作り、歴史に名をとどめるような類の俳句は、芭蕉や蕪村などの天才が残したものだけで十分だ。凡人は、自分の平凡な感慨を、奇をてらうことなく平凡に詠めばそれでいい。要するに、俳句は万人に開かれた、日本の伝統的文化遺産である、ということだ。それをどのように利用しても誰も文句は言わない。

前置きがだいぶ長くなったが、私の持論がそうである以上、私の俳句は小学生レベルである。政治や社会を論じる時はいちおう中学生レベルはあるだろうと思っているが、俳句は小学生でも私よりうまく作る子はいるだろう。
だが、べつに人と競うためにやるのではないから、どんなヘボ句でもかまわないわけである。もちろん、それを公開するのがいいかどうかは別問題だが、私は、政治評論における「床屋政談」をもっと広げるべきだと主張するのと同様に、文芸でも「素人が文芸で遊ぶ」ことが広まってほしいと思う。特に俳句や短歌の裾野はもっと広がっていいのではないか。

さて、以下に私が昨日作った俳句を並べていく。ヘボ文芸作品に耐性の無い人は、ここで読むのをやめておくことだ。


1 下葉落ちて 視界広がる 林かな

(もうこれであきれてしまった人もいるだろう。「視界」というゴツゴツした言葉じゃなく、もっといい表現もあるだろうに、とは私自身も思うのだが、素人俳句で3分以上考えるのは無駄だ、と私は思っているので、そのままにする。)

2 空に舞う 落ち葉高々 鳥のごと

(初案は「風に舞ふ」だったが、どちらにしても月並みも月並み、あきれるほどだが、感じた通りなのだから仕方がない。「鳥のごと」は「鳥のごとく」とすると字余りなのでこうした。)

3 人も来ぬ 山に一本 紅葉かな

(「一本」は「ひともと」と読む。これでも子規の俳句の本くらいは読んでいるので、その程度の知識はあるわけだ。初案は「人も見ぬ」が初句であった。)

4 枯山に 鴉鳴きゐる 師走かな

(これは季重なりなので、最後の「師走かな」を変えたいが、面倒なのでそのまま書いておく。なお、「鳴きゐる」と旧仮名づかいにしたのは、ただの気分である。)

5 道に身を 乗り出したる 薄黄葉木

(少し厭味な句かもしれない。擬人法というのは厭味になりがちなものだし、「薄黄葉木」なんて無理な造語だろう。読みは「うすきばき」。実際に見た木の葉の色は、透明な黄色で、それが日に透けてきれいだったのだが、その色を俳句に詠むのは無理なようだ。「乗り出したる」は「のりいだしたる」と読む。)

6 昼にして 日の早傾くや 冬の山

(「早」は「はや」と読み、「早くも」の意。)

7 木隠れに 寺も見えけり 冬の山

(「木隠れ」は「こがくれ」と読む。)

8 宇多陵の 参道 冬の日を受けて

(これで私がどのあたりに住んでいるかが分かるかもしれない)


9 山越しに 京を見下ろす 師走かな


(別に末の句は「師走かな」でなくてもいいのだが、何も思いつかない時は、とりあえず今の季節がいつかを入れておく方針である。)

10 京囲む 山に幾筋 冬日の箭

(これも俗っぽい比喩だが、「箭(や)」を「矢」とするよりはまだ線状の光線のイメージがあるかと思う。初案は「遠山にレンブラントの光かな」という無季の句で、「レンブラント光線」がそのまま使われていた。「冬山に」としてもあまり変わり映えはしない。)


11 鳥騒ぐ 声も懐かし 冬の山

(「懐かし」は懐旧の情ではなく、「慕わしい」「孤独を慰めてくれる」意)

12 落葉の 山道行けば 風寂し

(本っ~当に、平凡そのものである。)

13 人も来ぬ 細山道や 風の音

(見たままの光景、風景である。)


14 暖かに 山の空き地を 日の照らす

(無季だし、平凡そのものだが、これも見たまま。)

15 道尽きて 戻る背中に 冬日かな

(本当は、道は尽きていなかったのだが、そろそろ家に帰ろうと思ってUターンしたのである。まあ、その程度の嘘は許容範囲だろう。)


以上、冬山散歩であった。

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希望は希望に満ちている

徽宗皇帝のブログにも書いたが、選挙期間内のネットでの選挙活動を禁じた公職選挙法のために、しばらくは選挙関係の記事は自粛である。そういうように自粛させ、国民を萎縮(おっ、「自粛」と「萎縮」で洒落になった!)させるのが政治権力の狙いであり、たとえば国政選挙の供託金制度によって貧乏人が最初から政治に関与できないようにされているように、日本は様々な手段で国民が政治から遠ざけられているのである。

私の持論は、国民が日常的に政治について快活に語れるようになった時に、政治自体の次元上昇が起こる、というものである。つまり、党派や思想の違う人間同士が政治論争をしても、それで人間関係が壊れることは無く、むしろそれで楽しい時間を過ごせた、という快さが政治議論に欲しいということだ。
これも何度か書いているが、「床屋政談」でいいのである。床屋政談こそ民主主義の土台であり、政治が専門家やインテリだけの専有物では民主主義の真の実現など永遠に不可能だ。
私の理想は、これも何度か書いているのだが、子供のころに読んだ『小公子』の世界である。この中に、アメリカの初期民主主義の理想的状態が描かれている。無学な雑貨店店主の老人(中年か?)と、まだ10歳かそこらのセドリックが大真面目に政治を論じるのである。
私には、これが政治の理想像だと思える。
その逆の例が「鼓腹撃壌」の話だ。ここでは、平和な世の中に満足した庶民が、それが為政者のお陰であることにも気づかず、「政治など俺に何の関係がある」と嘯き、それを見た為政者が、それで良い、と微笑むのだが、これは「民は依らしむべし。知らしむべからず」を象徴しており、国民が主体的に政治を決めていく民主主義の対極である。
国民主権や民主主義は実現不可能なファンタジーである、という考えもあるが、私はそういうペシミズムは採らない。

これも何度も書いているように、「絶望の虚妄なること、希望に相同じい」(魯迅)なのであり、希望も実は虚妄ではあるかもしれないが、同じ虚妄でも絶望よりは生産的で、「希望は希望に満ちている」(笑)のである。
まあ、それでうまいことを言ったつもりか、という幻聴も聞こえるが、「最後まで耐え抜いた者は救われる」(ドストエフスキー)と信じたい。もっとも、この言葉も「最後まで耐え抜いたならば、それが救われていることは自明ではないか」と言われればそうなのだが、言葉というものは意味や論理だけに価値があるのではない、ということもしばしば言ってきたことである。






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苫米地国際食糧支援プロジェクト

天才か詐欺師かマッドサイエンティストか、という苫米地英人が面白いことを始めたようだ。
あるいは彼が人類の救世主になるかもしれない。
誰でも知っているように、現在の世界の食糧生産能力は全人類に十分行き渡るだけあるし、それ以上に作れるにも関わらず、世界には飢餓に苦しむ膨大な人口がある。
NWOはそうした人間をむしろ殺戮しようとしているのだが、彼、苫米地英人はその飢餓に苦しむ人々を全員救おうというのである。
マザー・テレサのように一部の地域の人々を救うのではない。地球全体の飢餓人口を救うのである。
壮大な計画だ。
どうせ詐欺さ、と嘲笑する声も聞こえる気がするが、これほど壮大かつ人道的な計画は、私は生まれて初めて聞いたように思う。
あるいはこれが人類の幼年期の終わりを示すプロジェクトになるのではないだろうか。
これは全地球的にバックアップすべき計画であろう。
誰もが一度は考え、誰もが不可能だと考えていたことが、あるいは実現するかもしれない。
ここには載せてないが、そのプロジェクトの概念図は納得のいくものに思える。つまり、該当国で土地供給と食品加工工場の設置はしてもらい、食料加工技術と指導人材の供給、および支援体制は苫米地国際食糧支援機構がやる、という分担である。
これこそ、「飢えた人間に魚を与えるな。魚の釣り方を教えよ」の現実化である。
これまでの国連などを通じた食糧支援が世界の飢餓克服にほとんど役に立たなかったのは、飢えた者に魚を与えるという一時的な対症療法にとどまっていたからである。
私は、このプロジェクトが成功する可能性は高いような気がする。
それが実現したら、苫米地英人は全人類の歴史の上で最高の仕事をしたことになるだろう。ある意味では釈迦やキリストを超えた存在とさえ言えるかもしれない。




(以下苫米地英人のブログから引用)



2012年10月03日13:35



世界の飢餓をなくすことをゴールとした一般財団法人苫米地国際食糧支援機構が設立された。概要図を添付する


私のゴールである世界の戦争と差別をなくすことの一環として、世界の飢餓をなくすプロジェクトを各国のリーダー達に提案してきたが、ようやく具体化し始めてきた。これに合わせて、一般財団法人苫米地国際食糧支援機構(Tomabechi World Food Aid Foundation) を10月1日に設立した。財団法人名にわざわざ苫米地の名前を入れたのは、既に大統領や元大統領を含む一部の海外の大使や商工会議所などでは、Tomabechi FoundationやTomabechi Food Projectの名前で、私の「世界の飢餓をなくすプロジェクト」が知られているのと、あくまでも民間の財団であることを明確にするためだ。

とりあえず、海外のトップに提案を始めている財団のコンセプト図を日本語と英語でここにあげる。近々、このブログで様々な分野でのボランティアも募集する予定だ。

コンセプト図だけであえてここでは解説は書かないので、図だけではわかりづらいと思うが、プロジェクト賛同者には具体的に説明している。簡単に言うと、各国に土地を提供してもらい、そこに、財団が資金とノウハウを提供して、現地で雇用を創出した上で、作物を飢餓の地域に食糧にして送るという単純な方式だ。ただ、現地で作られた作物の加工食品を付加価値商品として土地の提供国は販売し外貨を稼げるようにする。また、土地の提供国は、このプロジェクトに対して税制などでなんらかの優遇措置をしてもらうことをお願いしている。また、飢餓地域におくる理想的な食糧の研究も重要なテーマだ。

全世界で12億人が飢餓状態にあるという事実を厳しく受け止めて、皆さんにも是非、協力をお願いしたい。

コンセプト図 
日本語 
苫米地国際食糧支援概要
英語 
World Food Aid (Tomabechi Food Project) Conceptual Diagram








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HN:
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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