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論理的言語と情緒的言語、論理的民族と情緒的民族

「井口博士のブログ」から転載。
井口博士という人は人種差別的な発言が多くて(私も人のことは言えないがw)、そのあたりはあまり感心しないのだが、物の見方が面白いので、愛読するブログの一つである。まあ、人それぞれ癖はある。
さて、前回、詩は論理ではない、と言ったが、下の井口博士の言葉を一部借りれば、(人間の感覚や思考を通して見た)この世界そのものが情緒の世界であり、数学的には記述できない(つまり、論理を超越している)ものだ、と言える。そしてそれは論理を絶対視する西洋的思考では捉え難いものだろう。もちろん、泰西名詩はたくさんあるが、日本人ほど自然ともこの世界のすべてとも一体化した繊細な情緒を持っている民族は稀だろうと思う。それが端的に顕れたのが俳句や短歌という芸術であり、俗化してその本質を失ったとはいえ、華道や茶道もそうだろう。日本語そのものも、論理よりも情緒の表現に向いているのである。

論理というものの本質は「抽象」である。
「抽象」の本質は、その前段階の「捨象」にある。
論理形成に必要な要素以外をすべて捨てる、という作業が「捨象」である。
たとえば、人間というものをただ労働力という部分にだけ還元(「元」つまり「要素」に還すこと。「もと」に還す意味の「還元」ではない)し、それ以外の要素を捨象することで、企業経営が「合理的」になるし、それによって確かに企業は利潤を多く上げることができる。労働者に支払う「労働の対価」、つまり賃金をできるだけ切り下げることで企業利潤を上げるというのも「合理的」なことだ。だが、そうした合理的思考の行き着く先は、労働者にとっての地獄しかないだろう。
それが現在世界中で起こっていることだ。
つまり、新自由主義とは合理主義とエゴイズムの複合体だと言えるだろう。
この世界を非人間的世界にしているのも「論理一辺倒」の思考形態や論理絶対主義ではないだろうか。

話が飛躍したが、この世界を人間的に見れば、その本質は情緒の世界であり、それは「いわく言い難い」ものである。だから、言語だけで物事を説明しようとする西洋人などには理解されにくい。彼ら(の大部分)にとっては言語とは論理の世界であるのだから。そういう低レベルの思考しかできない連中(おっと、私も人種差別的発言をしたw)がこれまで世界を侵略し、その支配の軛(くびき)の下に置いてきたことが世界中の不幸の原因だろうと私は思っている。


ある詩人の言葉を少しアレンジして書こう。
この世界そのものは白い光のようなものだ。その光が、人間というステンドグラスを通してさまざまな色に彩色され、映像を作る。それが芸術であり、すべての人間の営為である。




(以下引用)*色字部分は引用者(夢人)が、見易くするために変えたもの。




岡潔博士は、この宇宙で数学によって表現される世界もあることにはあるが、数学や数式では表せない世界もまた存在する。むしろ、この宇宙の本質はそっちの方にあって、ほとんどは数学では記述できないものなのだ、と考えたのである。

そして、そうしたものを「情緒」だと考えた。

「情緒」の前では、時間も空間も意味はない。だから、この宇宙では、時空間というのは、人間が便宜的に数式や数学に乗せるために使った方便の一種にすぎないよ、と言っていたのである。

言い換えるならば、数学で表わされるものは、何らかの「量的」(距離や重さなど)に表現できる世界であり、数学で表されないもの=「質的」に表現するほかないというような世界も存在するということである。数学で書けた瞬間にそれは「量的世界への射影」に過ぎなくなってしまう、というわけだヨ。

最近、やっと欧米人やこの地球上の他の国々の人たち、や他の民族の人たちにも、ほんのちょっとだけ、我々日本人が伝統的に持っている感性やその感じ方、すなわち、「情緒」について分かりつつあるようである。(もちろん、韓国人にはわからない。しかしどうも本国の北朝鮮人には分かるようである。)

外国人のそんな「無謀な」努力を垣間見せてくれるものがあるようなので、それをここにもメモしておこう。以下のものである。




海外「生まれる国を間違えた」 日本人の独特な美意識に外国人が感心





今回の翻訳元は以前にも何度かお世話になったチャンネルなのですが、
この動画では「日本人の美意識」についての私見を披瀝していらっしゃいます。

投稿者さんは冒頭、「美に対する感覚は人それぞれ」とした上で、
「それでも日本人が一般的に持っている美意識がある」として、
上の写真を示し、日本人の感覚を分かりやすく説明されています。

・通常左側の桜が満開に咲いている状態が好まれるだろうが、
 日本人は今にも芽吹きそうな蕾の状態や、散ってしまった状態を好む。

・すべての日本人があからさまな美しさを愛するわけではなく、
 花開く寸前の桜や、散り始めているがそこにわずかに残る花が内包する美など、
 花開き、そして散りゆくまでのプロセスにも美を見出す。

といった点が説明されています。
17文字という短い言葉で構成される俳句の、その奥に存在する美しさにも触れており
(英訳された俳句を見た時、長文になっていたことに驚いた、という点も)、
改めて、秘められた美を愛でる日本人の特性を指摘していらっしゃいます。

Japanese sense of beauty




(中略)



(あ)まあ、この女性の主張は、

「日本人は表に現れた、あからさまな美(obvious beauty)の他に、その背後にある、隠された美(Hidden beauty)を感じ取る。そういう美意識を持っている。」

という主張ですナ。


(中略)



(い)さて、この話はこの女性が思っている以上に深い問題につながっている。だから、ついでにここにメモしておこう。

この女性のやっていることを見れば、最初に岡潔博士が

「数学で記述できる世界ばかりがこの世界ではないよ」

と言ったという意味が分かるはずである。この女性は、我々日本人が普通に感じている世界を英語に表現しようとしているわけだが、それが実に難しいかよくわかるからである。

つまり、

「英語(欧米語)で表現できる世界だけが世界ではない」

とこの女性は言わんとしているわけである。事実、そうなのである。「日本人の感性」を英語で表現することは不可能である。外人が自ら日本語を学び、日本で生活していくうちに、自ずと理解できるようになる。そういうものである。




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宮澤賢治詩集「春と修羅」序

この前、「独りファシズム」の中の「自分という現象」という言葉は宮澤賢治に由来するものではないか、と書いたが、それを自分の蔵書(今は数十冊しかない)で確認することはできなかった。
しかし、ネット時代は便利なもので、ネットの中にそれがあったので、転載しておく。

詩というものは人生の良き伴侶であり、あらゆる瞬間瞬間に、好きなフレーズを想起することで、平凡な人生も彩色される。だが、学校教育の中で、子供向けに選定されたつまらない詩にしか触れていない人は、詩はつまらないもの、と思い、また文学青年たちが振り回す難解な詩に触れた人は、詩とはわけのわからないもので、自分には詩は分からない、と思うようになる。

詩は、言葉の音楽であり、分析的に、意味的に理解する必要は無い。

宮澤賢治の詩など、意味的に理解しようとすれば難解だろうが、そのシュールなイメージと言葉の音楽を楽しめばいいのである。それは、下記の「春と修羅」序からも分かるだろう。

なお、宮澤賢治の童話も詩的イメージに満ちており、それが彼の作品の魅力である。
小学校の教科書によく載っている「やまなし」など、キラキラした水のイメージと、その中にいる謎の生き物たちの不思議な会話だけである。それを論理などで説明しようとする学校の先生など、ご苦労なものである。「クラムボンは笑ったよ」「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」「なぜ笑った」「知らない」のクラムボンが何か、などを追及させて、それは「泡」である、などと結論するなど、愚の骨頂だろう。しかし、理屈や合理性だけがすべてという学校教育の中では、そういう指導になるしかない。そして、詩や小説は分からない、下らないと思う人々を大量生産していくのである。



(以下引用)*活字の色付け、および一部の行分けは夢人による。








   序

 

  わたくしといふ現象は

  仮定された有機交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

  風景やみんなといつしよに

  せはしくせはしく明滅しながら

  いかにもたしかにともりつづける

  因果交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

   

  これらは二十二箇月の

  過去とかんずる方角から

  紙と鉱質インクをつらね

  (すべてわたくしと明滅し

   みんなが同時に感ずるもの)

  ここまでたもちつゞけられた

  かげとひかりのひとくさりづつ

  そのとほりの心象スケツチです

   

  これらについて人や銀河や修羅や海胆は

  宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら

  それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが

  それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

  たゞたしかに記録されたこれらのけしきは

  記録されたそのとほりのこのけしきで

  それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで

  ある程度まではみんなに共通いたします

  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

   みんなのおのおののなかのすべてですから)

   

  けれどもこれら新生代沖積世の

  巨大に明るい時間の集積のなかで

  正しくうつされた筈のこれらのことばが

  わづかその一点にも均しい明暗のうちに

    (あるひは修羅の十億年)

  すでにはやくもその組立や質を変じ

  しかもわたくしも印刷者も

  それを変らないとして感ずることは

  傾向としてはあり得ます


  けだしわれわれがわれわれの感官や

  風景や人物をかんずるやうに

  そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに

  記録や歴史、あるひは地史といふものも

  それのいろいろの論料(データ)といつしよに

  (因果の時空的制約のもとに)

  われわれがかんじてゐるのに過ぎません


  おそらくこれから二千年もたつたころは

  それ相当のちがつた地質学が流用され

  相当した証拠もまた次次過去から現出し

  みんなは二千年ぐらゐ前には

  青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ

  新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層

  きらびやかな氷窒素のあたりから

  すてきな化石を発堀したり

  あるひは白堊紀砂岩の層面に

  透明な人類の巨大な足跡を

  発見するかもしれません

   

  すべてこれらの命題は

  心象や時間それ自身の性質として

  第四次延長のなかで主張されます

 

     大正十三年一月廿日      宮 澤 賢 治









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これからの銀行はどうあるべきか

「耕助のブログ(賀茂川耕助のブログ)」から転載。
「徽宗皇帝のブログ」向きの経済の話題だが、あちらには別記事を載せたので、こちらにしたわけだ。
銀行の仕事は金を預かること、金を貸すことだが、今の民間銀行がその仕事を誠実にやっているようには見えないから、こうした意見が出てくるのだろう。(経済システムの最大の問題である、中央銀行の問題は、また別の話だ。)
ほとんどの中小企業が銀行から借金して経営しているというのが現実だと思うが、銀行側にも「貸した金を取りはぐれる」という問題が常につきまとうから、「担保のある者にしか貸さない」となる。すると最初から担保も資金も無い貧しい人間は永久に浮かび上がれないことになる。
出勤前で時間が無いので、この問題は後日考えたい。



(以下引用)


No. 1048 公共の銀行を
投稿日: 2013年10月1日 投稿者: 耕助



北海道の夕張市が負債総額632億円で財政破綻したのは2006年のことだったが、さる7月、アメリカではミシガン州デトロイト市が1兆8千億円を超す負債総額で財政破綻した。

アメリカでは過去にはカリフォルニア州ストックトン市やアラバマ州ジェファーソン郡などが破産法を申請しているが、デトロイトの負債額はそれらを大きく上回る。夕張市は炭鉱、デトロイト市は自動車と、特定の産業に財政の比重が集中していたことが原因だが、ストックトン市は不動産バブルで投資に走り、それが暴落して立ち上がれなくなった例である。アメリカにはこのような破綻寸前の自治体が数多く存在する。
今デトロイト市が行っている破綻処理は、今後同じような自治体の処理のひな型となるだろう。それは3月にキプロスで破綻した銀行を救済するために預金者のお金が使われたように、市の債権者である銀行を救済するために、公務員の年金が奪われるというスキームである。キプロスもデトロイトも銀行は保護され、その他大勢の人々が犠牲となるのだ。
金融危機の多発する欧米諸国は70年代後半から民営化と規制緩和を推し進め、それによって少数の人がいかがわしいほどの利益を手にするようになり、特に金融分野で顕著である。銀行業務と証券業務の分離を定めたグラス・スティーガル法を廃止し、銀行が預金と貸し出しだけでなく、株やデリバティブなどの売買も行えるようになり、規制が緩和される一方で銀行の救済保護は強化された。
興味深いことに、ブラジル、ロシア、インド、中国などではこれほどの金融危機は起きていない。パブリック・バンキング・インスティテュートのエレン・ブラウンによれば、なぜならそれらの国では銀行は国営で、厳しく規制されているからだという。たしかに、銀行が国営ならウォール街からお金を借りたりデリバティブ商品を買うこともない。
民間銀行からお金を借りる代わりに政府が銀行を作り、そこからお金を借りる。その公共の銀行は政府の資本を信用とし、その信用を税収などで裏打ちして配当として政府に利子を返す。これは中国やロシアの話ではなく、すでにアメリカのノースダコタ州で州有のバンク・オブ・ノースダコタという銀行が州の人々のためにやっていることだ。民間銀行との大きな違いは、利子は銀行の利益として取られるのではなく州に入る。カナダのアルバータにも州政府が設立したATBと呼ばれる金融機関が州民に銀行と同じサービスを提供している。
公共の銀行はとっぴなアイデアではないのだ。日本もゆうちょ銀行を国営のまま残すべきであり、それ以外にも国営銀行を作り、政府はその銀行では株やデリバティブなどは禁じ、預金を100%保証するようにすればよいと思う。
エレン・ブラウンによると、世界の4割の銀行は公共であり、さらに今、アメリカの20の州が公共銀行法案の通過を待っているという。デトロイトに続かないためにも、地方政府が自分自身を守るために自分の銀行を作ることを検討しているという動きがあることを、日本国民も知っておくべきである。





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自分という現象の残響をキャッシュに残す

「独りファシズム」から転載。
文章が読みづらいので「独りファシズム」はあまり読まないのだが、「文殊菩薩」に転載されていた今回の記事は面白く思った。書かれた内容自体はこれまで何度も書かれてきたようなことだが、最後の


いよいよ秘密保全法が国会審議に入り、時代は暴力的転換点に立ち、自由言論は終焉を迎えようとしているのだが、残された時間の中で可能な限りを綴り、そのいくばくかを皆様に共有して頂きつつ、自分という現象の残響をキャッシュに留めておきたいと思う。

バラモンの聖典が教えるように「言葉のなかに全ての創造物が生きる」のであり、言葉だけが未来の手がかりなのだ。


という部分には「白鳥の歌」の響きがあり、哀切さが漂っている。
「自分という現象」は宮澤賢治の詩集の序文に出てきた言葉だと思う。「因果交流電燈の青い光に明滅する自分という現象」とか何とかいう文言だったか。引っ越しのたびに蔵書を捨ててきたので手元に本がまったく残っていないのが残念である。
バラモンの聖典にあるという「言葉のなかに全ての創造物が生きる」という言葉も素晴らしい。まさに私も「言葉だけが未来の手がかりなのだ」という思想に賛同する。
人はなぜ発言し、記録を残すのか。それは自分という現象の残響をこの世にとどめたいからだろう。その因果交流電燈の青い光はやがて未来の「別の自分」を明滅させるのである。





(以下引用)





政治・経済 | Trackbacks(0) | Comments(6)


考えてみればメチャクチャな話だ。

無軌道な原発行政が破滅的な事故を引き起こし、そこら中が放射能だらけとなり財産権も生存権も破壊されているのだが、賠償を回避したい国家は核による健康被害などないのだと居直り、原発マネーに浸潤された裁判機関は加害者の瑕疵を認めず法体系すら瓦解し、児童の被曝が累積しているにもかかわらず行政はカネがないからと避難を拒絶しつつ、有責者である文科省や経産省の役人は変わらず高額給与が支給されているのであり、ついにそのような欺瞞が隠し切れなくなったことから言論弾圧法を施行するというのである。

ソルジェニーツィンの記録文学「収容所群島」には、当時のソ連で反革命分子という冤罪をでっち上げられた人々が各地の収容所に送られ、どれほど惨い拷問や強制労働の犠牲になったのか克明に記されている。

共産主義体制における市民生活はそのような奴隷階級の生産によって担保されていたのであり、結局のところ古代ローマも市場原理主義が席捲する近代国家も、人間の家財化つまり家畜化によって成立する図式に変わりがないのかもしれない。

ニホンの歴史においては野蛮な奴隷制度など存在しなかったというが、朝貢外交の記録によると献上目録には奴隷が記されているし、平安や鎌倉など中世においては奴婢や下人が公然であるとおり、市場取引されていたことは皆様もご存知だろう。公娼制度が明治に廃止されたというのも建前であり、自分の親類などは60年代頃まで置屋を経営し、さらには四国の貧農世帯から女性を引き受け、その斡旋を生業としていた。

人間の売り買い禁止とはごく近年の民主的獲得物なのであり、奴隷制や従軍慰安婦の存在を認めない者達の頑迷とは「エスノ・セントリズム」(自民族だけが特別に潔白かつ優秀であるという思想)に過ぎない。

人間は普遍本質としてヒエラルキーを欲望し、抑圧衝動を孕む生き物だと捉えなくてはならないのであり、換言するならば我々は自己利益のために‘けだもの化’するのだ。

国家は福島原発の作業員の献身により首の皮一枚で存続している状態なのだが、そのように生命を賭している方々は報われることもなく、低賃金で危険な作業を強いられたうえ医療保障すら適用されず、文字通り使い捨てにされるわけだ。すなわち2万円にも満たない日給が生命の値段であり、ニホンにおける人間の市場価格である。

超絶のブレアクレズム(官僚統制主義)により独裁政治を貫いた旧ソ連ですら、原発事故の直後には千数百台のバスを連ね子供を救出し、疎開地では安全な食物を優先的に供給し、リグビダートル(復旧作業員)には恒久的な医療保障を施したのだから、我々の体系がどれほどの暗黒国家であるのかもはや説明するまでもない。

このように原発事故は生命のデフレをもたらし、人間が限りなく低廉化し市場取引される社会を現出させたのだけれど、未だ国民の99.9%は進行する事態の理解すら覚束ないわけだ。

かつて辺見庸はこのような状況を「イナーシア」(inertia=物理学用語における「慣性」)と表現したのだが、要約すれば「思考作業を代行して、ある現象を観念化し、言語化してやらなければ、大衆は何も理解できない」ということだ。「イナーシア」は怠惰という意味も有するのだけれど、結局のところメディアにより国民知性が根源的に無化され、分析的思考の一切が破壊されているということなのだと思う。

おそらく知性とともに人間の基本感情すら破壊されているのであり、線量バッヂを首からぶら下げ通学する東北の子供たちの写真などが公然と配信されながら、そのような不条理に馬鹿野郎!とも、ふざけるな!とも怒りを言挙げすることもないのであり、もはやタナトロジー(生死を深く考える枠組み)が成立し得ないほど、凄まじい精神劣化が進行しているのではないだろうか。

この時代ほど国家知性が問われる時代はないのだけれど、文学者も哲学者も宗教者も学識者も教育者も一斉に口を閉ざすのであり、むしろ積極的に加害行為へ加担するのであり、それは共謀関係というトポロジー(連関構造)の露呈であり、知識層による壮大な自己検閲と言えるだろう。

結局のところ破滅の回避にむけ必死で情報発信しているのは普通の主婦であり、中小企業のオヤジであり、定年退職者であり、疲れたサラリーマンであり、まったく市井の人々なのであり、つまりニホンの文化資源の全面敗退なのである。

これまでさんざんクロード・レヴィ・ストロースの敬愛者を自称してきた内田樹もまた、児童の被曝という問題については頑なに口を閉ざすのだけれど、そもそもレヴィはホロコースト・サバイバー(ナチ収容所の生き残り)である。

本来的には内田氏のような人物こそ被災地で展開される構造的暴力を論じるべきなのだが、やはり「実利は思想を超越する」のであり、「大人の事情」なのであり、結局彼もまた「メディアの内側にいる人間」であり、それは国家暴力の前において人間知性など全く無力であるという証左なのかもしれない。

この国の「権威」とはマスメディアの露出によって担保されるのだし、反原発だの児童の被曝だのに言及した瞬間からおおよそ全ての媒体から排除され、公演や出版の依頼も激減するだろうし、職すらも奪われるのだから心情的には理解できるのだけれども、そもそも国家が存続しなければカネを得ることすらできないのであり、今声を上げなければ未来永劫に声を上げる機会などないだろう。

いよいよ秘密保全法が国会審議に入り、時代は暴力的転換点に立ち、自由言論は終焉を迎えようとしているのだが、残された時間の中で可能な限りを綴り、そのいくばくかを皆様に共有して頂きつつ、自分という現象の残響をキャッシュに留めておきたいと思う。

バラモンの聖典が教えるように「言葉のなかに全ての創造物が生きる」のであり、言葉だけが未来の手がかりなのだ。



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天災ではなく人災

「陽光堂主人の読書日記」から転載。
台風26号の進路が不可解で、誰かがコントロールしているのではないか、という推測をしているが、べつに伊豆大島を台風に直撃させても誰にもメリットも無いし、また関東を直撃させないためのコントロールだと言うなら、それは「日本のためを思う行為」になってしまい、これまでの「気象兵器」の捉え方を変える必要がでてくるだろう。私は今回の台風26号が気象兵器に操作されていたとは思わないが、それ以上に大きな問題を提起していると思う。
正直言って、台風26号がフクシマを直撃していたら、どういう事が起こったか分からないのだから、確かに関東全体として見たら、台風が逸れてくれたことは幸いだったということになる。
伊豆大島の大被害は、「備えあれば憂い無し」の正反対で、まったく台風への備えができていなかったということだ。もともと火山灰の脆弱な土壌の上に民家を建てること自体が危険な行為であり、日本全国でもそういう危険地域は無数にあるだろう。
毎年のように大雨は振るのに、毎年のように水害が起こり、何人もの人が死んでいくのは、それに対する備えがまったく為されていないということであり、これは天災ではなく人災である。



(以下引用)


台風26号の不可解な動きで大惨事となった伊豆大島



 台風26号による豪雨で、伊豆大島は大規模な土砂崩れに見舞われ、17日午前1時現在で17人が死亡、依然として43人の安否が確認されていません。台風被害としては、近年にない大惨事です。

 伊豆大島は火山島で地盤が脆く、集中豪雨に弱いと言われていますが、何故異様な豪雨となったのか、避難勧告が何故出されなかったのかという点について検証する必要があります。

 近年は集中豪雨・ゲリラ豪雨が発生しやすく、今回もまたかという感じですが、原因はよく判っていません。後知恵で気象庁は気圧や気流などで説明しますが、何故そういう異様な気圧配置ができるのか、不明のままです。

 下の図は、気象庁が発表している台風26号の関東・東北付近の経路図ですが、素人目にも不自然な感じがします。

1326-00.png

 台風26号は、八丈島辺りで急に角度を北に変えて真っ直ぐに進み、三宅島と御蔵島の間で再び右へ急旋回し、房総半島沖を北上してゆきました。島々の間を縫って関東地方を避けるかのような動きを見せています。丸で誰かがコントロールしているが如くです。

 たまたまそういう形になったと気象庁や専門家は説明するでしょうが、納得できるものではありません。気象コントロールしたのではないかという疑念が湧いてきます。もしそうなら、伊豆大島はとばっちりを食った可能性があります。台風が近くでモタモタしていたわけですから。

 大島町長と副町長が揃って不在だったという点も気になります。それぞれ島根県と東京都へ出張していたとのことですが、関東地方への「10年に一度」の台風が接近しているのにのん気なもので、通常なら役所で待機していなければなりません。

 東京都によれば、大島町を災害警戒地区に指定する直前だったということですが、言い訳じみているような感じもします。台風被害が生じ始めた時点で、地元の警察が大島町役場に2度も連絡したとされていますが、何故か役所は動かなかったようです。

 「今更避難勧告を出しても危険を増すだけ」という尤もらしい説明がなされていますが、もう少し対応の仕方があったのではないでしょうか? 全体的に不自然で何かありそうですが、結局天災ということで蓋をされてしまうことでしょう。国や地方自治体などは当てにならず、自分たちの身は自分たちで守るしかないようです。




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人間の使い捨て

「酔いどれギャラリー」から転載。
今日の「徽宗皇帝のブログ」の補完記事として。


(以下引用)



もはや、やる気もない東電では無理だろう、

◆http://blog.goo.ne.jp/chiba20110507/e/7de5a12d113b7ba1ae24917988594054
もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション  2013-10-15
◎「福島第一原発、だめだ。」ーー
  福島第一原発に働いている知り合いから連絡がありました


フェースブックから


先ほど、福島第一原発に働いている知り合いから連絡がありましたので紹介します。


・引用開始・


福島第一原発、だめだ。

現場の意識レベルが最近低下して、原発を知っている人が居なくなってきた。

線量計も身に付けさせてもらえず、4時間⇒7時間作業に伸びた。

人が足りてない。 素人ばかりだ。 さらには、自分の被曝量もわからない。

やり方はむちゃくちゃ。 日当もほとんど上がらない。

最近では、会社をクビになったおっさんまできだした。
多分、浮浪者も居なくなってきているのかも。
夏も終わり涼しいが風が強いと 埃が舞って、さらに被曝量が増えている。
俺の靴下に入れているシート型線量計も100ミリシーベルトはこえていた。

あと、二週間前に、同じ作業員が、急性心不全で亡くなった。

そいつは建てや内の作業で、高レベル放射能地区だった。

もう、誰も止められないよ。

どうしよ。このまま福島第一原発は続いていくのか心配。

タンクの汚染水漏れ、ホースのつなぎでの被爆なんて、現場ではわからない。

全てにおいて報道で知る。アルプスも不具合 治しながらだが、除去されている保障がない。

現場にいると、綺麗事なんてない。2年半、なんにもできていないみたいだ。

なんとなく周りに建屋を立てているが、3号機なんて近寄れないし。


事実を報道しない理由はわかる。

報道したら、福島第一原発はチェルノブイリよりタチが悪い。

東電も、毎日何かやっているが、メルトスルーすら、なんにもわかっていないみたいだ。

これから、また、どうなるかわからないが、もう少し働いてみる。

今日の夕方に、嘔吐により病院行ったが緊急入院。 白血球が異常値らしい。

もう、作業員も使い捨てだな。

また、連絡するな。


・引用終わり・



●現場の士気が低下。

なくなっている人もいる。
政府は理解していても東電任せだろう。
なんとかできないのか。。


以下管理人

事態はどんどん進展していますね。
どうすればいいのか・・焦るばかりです。

「限度」は100mSv/5年ですから、
(賃金以外に)最低限でも1mSv当たり20万円程度の補償と、
万全の安全対策・健康管理を実施させねばなりません。

そのうえで、5年以降の継続雇用も保証させることです。朝日の記事も参照

_______________________________________

☆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131013-00000029-asahi-soci
朝日新聞デジタル 10月13日(日)
◎作業員「線量パンクでポイ捨て」 福島第一、下がる士気


東京電力福島第一原発で9月以降、単純な作業ミスによるトラブルが続いている。
放射線量の高い現場で働き、汚染水まで浴びた作業員もいる。
ミスの背景に何があるのか。

「浴びちゃったな」「きょうも高かったな」

第一原発の出入り口「入退域管理棟」。
その日の仕事を終えた作業員たちが、渡されたレシートのような紙を見てつぶやく。
無言で数字を見つめる人もいる。

記された数字は、被曝(ひばく)量。
1日で2ミリシーベルト近く被曝する作業員もいるという。
一般人の年間被曝限度の2倍近い。

建屋周辺は今も毎時100ミリシーベルト超の場所がざら。
作業ごとに浴びる線量を想定して計画を立てて現場に向かうが、
1年間の被曝限度50ミリシーベルトを超えると、その年は現場では働けなくなる。

「被曝線量がパンクすれば、ポイ捨てされるだけ」。
10年以上、第一原発などの原発で働いてきた30代の男性は、そう自嘲する。

原発作業員が「ポイ捨て」されると語った男性は、
事故前は原子炉建屋内などの作業でチームの責任者も務めた。
事故直後、避難先から志願して戻り、原子炉に水を入れるために建屋にホースを運んだ。
被曝(ひばく)量が1時間で10ミリシーベルトを超え、「死ぬかと思った」こともある。

五輪に沸き返る東京の様子や、消費税増税がメディアをにぎわす一方で、
第一原発の報道はトラブルばかりで、作業員の声はほとんど報じられない。
被災地に著名人が慰問に訪れても、作業員には会わずに帰る。

「今は社会全体で応援してくれる空気が感じられない。
モチベーションがどんどんなくなる」とぼやく。

入退域管理棟で働くベテランの男性は、汚染水絡みのトラブルが相次いだ夏ごろから、
作業員の肌や下着の汚染が増えたと感じる。

防護服に全面マスクを身につけてはいるが、マスクを外す際に
汚れた手袋で首筋に触れる人もいるという。
「事故後にゼネコンが集めた作業員は経験も知識も浅く、防護服も上手に脱げない」

しかも、第一原発は通常の発電所と違い、がれき撤去やタンクの据え付けなどで
少しずつ様子が変わっていく。 事故前の作業経験が通用しない現場もあるという。

_______________________________________



◆http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-10060.html
「日々担々」資料ブログ (日刊ゲンダイ2013/10/16)
◎現代の蟹工船 福島原発作業員の悲惨


今月に入り、福島第1原発で立て続けにトラブルが起きている。
ほとんどが「タンクにゴムパッドを置き忘れた」といった単純ミスだが、
原因は作業員の人手不足と士気の低下だ。

事故の年は3万円近かった日当が今では半分以下に。
なのに、国と東電が「急げ、急げ」とプレッシャーをかけるから、ミスが増えるのも当然だ。

士気の低下はカネのせいだけじゃない。
福利厚生面の待遇悪化が作業員のやる気をそいでいるという指摘がある。

以前は線量オーバーで離職した作業員は、無料で健康診断や人間ドックを受けられたが、
今ではよほどの高線量を被曝しなければ認められないという。

作業員の取材を続けているジャーナリストの布施祐仁氏が言う。
「東電のコストカットで、事故直後は温泉旅館やホテルだった作業員の宿が
プレハブみたいな仮設住宅になりました。しかも個室ではなく相部屋がほとんど。
これではプライベートを保てないし、疲労回復は望めないでしょう」

作業員は床にマットを敷いただけのプレハブ内で雑魚寝をして休憩する。
全面マスクと防護服で包まれた作業員はいつも汗でビッショリ。
そんな男たちが集まれば、異臭もするし食事どころではなくなる。
しかも、以前は新品の下着が毎日支給されていたのに、今は洗濯して再利用するようになった。
他人の臭いが残っている場合があるという。

「作業員が口を揃えて『クサイ』と訴えるのがマスクにこびりついた臭いです。
呼吸口のフィルターは毎回交換しますが、
ヘルメット部分は事故直後から使い回しているものがあるそうです。
かぶった瞬間、ムワッとした男の臭いで息苦しくなるといいます」(布施祐仁氏)

福島原発はただでさえ危険な現場だ。

給料が安いうえ環境が不衛生では、腕のいい働き手が集まらなくなるのは当然といえる。

蟹工船みたいな労働環境の改善は喫緊の課題だ。


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昨日の記事にもあるように、東電の大株主はゴールドマン・サックス。

ここが裏の核心ですよ。  東電の破綻処理、絶対反対だろう。







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「兼愛非攻」は過去の思想ではなく未来のための思想

「櫻井ジャーナル」から転載。
同ブログ管理人氏は著作もあり、いわばプロの書き手だが、その持っている膨大で貴重な知識と見事な分析力をこうして無料で拝見させてもらえるのは、何とも有難い。
下記記事に書かれた中には私自身が覚えている事件もいくつかあるが、そのほとんどは表マスコミから得た知識のみであり、その背景などはまったく分からなかった。
まさにプラトンの「洞窟の比喩」のように、私は洞窟の壁に向かって、そこに映る物の影を、わけもわからぬまま呆然と眺めて長年生きてきたわけである。
そして、ネット時代の今、こうしたブログやサイトなどのお陰ですべての「意味」がやっと分かってきたわけだが、それでもそれ以前から自分の頭で歴史や政治や経済の真実を考えようと努力し、苦労した経緯があるために、一般人が「陰謀論」と呼ぶもの(私の用語では「陰謀実在論」)こそが事実である、と自信を持って判断できるわけだ。そうした経緯が無く、最初から「陰謀実在論」に触れた人は、それを多くのゴミ情報、嘘情報の一つとしか考えないだろう。それは、知的な人間、知的職業の人でもそうなのである。
親兄弟や友人とすら、「陰謀実在論」に関しては話題にできない、という現実を悲しむ「目覚めた人」も多いだろうが、時代の流れは、少しづつではあるが、世界的覚醒の方向に向かってはいる。日本でそれに寄与してきたのが「櫻井ジャーナル」や「マスコミに載らない海外記事」「ROCKWAY EXPRESS」などの良心的ブログである。

「櫻井ジャーナル」の表紙(?)には墨子の言葉が書かれているが、氏はまさに現代の墨子である。


(以下引用)*「防弾仕様」が一か所「防弾使用」となっていたので、そこだけ訂正。こうした見事な文章が、誤記を含んだまま拡散されるのは残念なので。



ところで、「米陸軍フィールド・マニュアル30-31B」という1970年3月18日付けの文書が存在する。アメリカの同盟国でコミュニストへの対応が甘くなった場合、その国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦(破壊活動など)を実行しなければならないという内容で、1970年代にタイやトルコで伝えられている。

 1982年にもこの文書はローマ空港で発見されたのだが、その文書を隠し持っていたのはアンヌ・ジェッリ。非公然秘密結社P2のトップとしてイタリアで大きな影響力を持っていたリチオ・ジェッリの娘だ。文書はCIAから渡されたのだという。

 1970年代のイタリアは「テロ」が頻発していた。例えば、1969年にはパドゥア大学、ミラノの産業フェア、ミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行で爆弾が炸裂、1980年のボローニャ駅爆破事件まで何度も繰り返されている。

 一連の爆破は「極左」の「赤い旅団」が実行したとされていた。この団体はトレント大学の学生が1969年に創設、当初は比較的に穏健で、理想主義的なグループ。その路線が大きく変化したのは1974年のこと。切っ掛けは創設メンバーでリーダー格だった人物の逮捕だ。新たにグループを率いることになったマリオ・モレッティが「テロ路線」へ舵を切ったと言われている。指導的な立場にあったメンバーのうち、この人物だけはなぜか逮捕されなかった。

 1974年にアメリカとイタリアの関係を緊張させる出来事が起こる。アルド・モロ首相がアメリカを訪問してヘンリー・キッシンジャー国務長官と会談したのだが、その際、コミュニストを政権に入れることは許さないとアメリカ側から脅されたとエレオノーラ、つまりアルドの妻は語っている。モロの親アラブ的な言動も問題になったという。

 ちなみに、その前年、キッシンジャーはチリで軍事クーデターを仕掛け、軍事独裁体制を成立させ、アメリカの巨大企業にとって目障りな人びとを大量殺戮している。すでにキッシンジャーの手は血で赤く染まっていたわけだ。

 1978年3月にモロは誘拐され、5月に遺体が発見される。(この時点における首相はジュリオ・アンドレオッチ)「赤い旅団」の犯行だとされたが、この「公式見解」に説得力はない。5名の護衛を伴って自動車で移動していたモロを6名のグループが襲撃、護衛を全て殺害したうえ、モロを無傷の状態で連れ去っていることを考えると、訓練を受けたか場数を踏んだプロの仕業。素人にできる芸当ではない。赤い旅団が主犯だとは考えられない。

 事件前、モロの護衛チームは自分たちが監視されている気配を感じ、不審な自動車のナンバーを警察に通報する。その一方、内務省には防弾仕様の自動車を手配するように求めているが、これは拒否されてしまった。当時、同省は防弾仕様の自動車48台を保有、拒否する理由はなかった。そこで、内務省も何らかの形でモロ殺害に関係していたと疑う声もある。

 この時期、バチカン銀行を舞台にした不正融資事件が発覚、アンブロシアーノ銀行が倒産している。不正融資の流れた先はポーランドの「連帯」だとスキャンダルの中心人物は語っていた。

 連帯には資金だけでなく、ファクシミリ、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなど当時の最新機器が数トン、アメリカ側から密輸されていたとジャーナリストのカール・バーンスタイン(ウォーターゲート事件で有名。ワシントン・ポスト紙を去った後、CIAとメディアの関係を詳しく書いている)は明らかにしている。連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めた。

 この不正融資にはP2、その背後にはCIAが存在していたのだが、1978年にその仕組みを揺るがす出来事が起こる。CIAと緊密な関係にあったパウロ6世が死亡、アルビーノ・ルチャーニが新しい教皇、ヨハネ・パウロ1世に選ばれたのである。

 当時、バチカン銀行の総裁はパウロ6世の側近でシカゴ出身のポール・マルチンクス。社会的な弱者に目を向けていたルチャーニとは考え方が正反対の人物で、以前から両者の関係は良くなかった。

 しかし、この窮地からCIAはすぐに抜け出してしまう。ヨハネ・パウロ1世が在位1カ月余りで急死、ポーランド出身のカロル・ヨゼフ・ボイティーワが新教皇、ヨハネ・パウロ2世として連帯を支援しはじめるのだ。

 とはいうものの、すでに金融スキャンダルは明るみに出ている。1981年3月に財務警察隊は金融スキャンダルの黒幕と見られていたリチオ・ジェッリの自宅などを家宅捜索、その際に秘密結社P2の会員名簿を押収し、イタリアの支配システムを揺るがすことになる。

 この年は3月にロナルド・レーガン大統領が、5月にはヨハネ・パウロ2世が銃撃(銃撃犯はNATOの秘密部隊につながる)されているが、教皇銃撃の1週間後にアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルビ頭取が逮捕される。6月になるとカルビは姿を消してしまい、その8日後にロンドンのブラックフライヤーズ橋で死体が発見される。

 FM30-31Bがローマの空港で見つかるのは、その翌年。アメリカの下院や国務省などは偽物だと主張している文書だが、その後、本物ではないかと思わせる展開になる。1990年10月、イタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの秘密部隊、グラディオの存在を認める報告書を公表したのだ。米英の支配層はNATOの秘密部隊を使い、左翼を装って「テロ」を実行、左翼への支持者を減らし、治安体制を強化しようとしたのである。いわゆる「緊張戦略」。

 キューバに対するアメリカ軍の軍事侵攻を正当化するため、アメリカの情報機関や軍の好戦派が1960年代の前半、キューバを装って「テロ」を実行する「ノースウッズ作戦」を計画していたことも後に判明している。たとえFM30-31Bが偽物であっても、そこに書かれいるようなことをアメリカが計画、実行していたことは間違いない。



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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