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心の奥に戦う気持ちだけでもあればいい

クリスマスは彼女や彼と一緒に外で映画でも、という若い人には映画「レ・ミゼラブル」がお勧めだ。私はまだ見ていないが、評価はなかなか高いようである。舞台ミュージカルを映画化したようだが、見事に成功しているらしい。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の名曲中の名曲、「民衆の歌が聞こえるか」(下の動画では「民衆の歌」)の動画をユーチューブから日本語版で転載する。歌っている人の中には、感極まっている表情の人もいるが、それも当然で、この歌を聴くと、若者も老人も今にも銃を手にして国会まで駆け出したくなる、という歌なのである。日本で銃刀所持が禁止されているのは、こうした事態に備えてのことだろう。(笑)
いや、例によって個人の感想、妄想です。








第1幕

*戦う者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムと 響き合えば
新たに熱い 命が始まる
明日が来たとき そうさ明日が!*

列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに 世界がある
戦え それが自由への道



悔いはしないな たとえ倒れても
流す血潮が 潤す祖国を
屍越えて拓け 明日のフランス!



第2幕(フィナーレ)

若者たちの 歌が聞こえるか?
光求め高まる 歌の声が
世に苦しみの 炎消えないが
どんな闇夜も やがて朝が

彼ら主の国で 自由に生きる
鋤や鍬を取り 剣を捨てる
鎖は切れて みな救われる

列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに あこがれの世界
みな聞こえるか ドラムの響きが
彼ら夢見た 明日が来るよ

ああ 明日は





(追加)


今日最後のプレゼントである。下のアドレス、またはタイトルで探すと、珍しいクリスマスソングが聞けるはずだ。20世紀の名シーンの一つだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=DiXjbI3kRus&feature=player_detailpage

Bing Crosby & David Bowie - The Little Drummer Boy / Peace On Earth












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クリスマスは人が少し優しくなれる日

このブログを読んでくださっている皆さんへのクリスマス・プレゼントである。
この前から、今後の世界のキーワードは「ほんの少しの優しさを」あるいは「ほんの少しだけでいい」ということにしようと勝手に決めているのだが、これは昔聞いたオーティス・レディングの「Try a little tenderness」が私の深層心理の中から浮かび上がってきたのだろう、というわけでその歌をユーチューブから拾って転載する。
最初にCMが入っているのがウザいが、ステージ版よりレコード版の方がこの歌に関しては優れているので、レコード版と思われるこの動画にした。
ディケンズの『クリスマス・カロル』も、いわば「ほんの少しの優しさで世界は変わるよ」、という話と読めないこともない。クリスマスは、世界中がそうした優しさに包まれる日だと考えれば、無神論者でも大いにクリスマスを祝っていい。
なお、後でもう一つ動画を追加する予定である。







「ポップス名詞撰30」より(解説文章および訳は夢人による)


22 「少しの優しさを」(「トライ・ア・リトル・テンダーネス」)

Try a little tenderness

She may be weary
Woman do get weary
Wearing thethe same shabby dress
And when she is weary
Try a little tenderness
(彼女は疲れている
女は本当に疲れるものだ
いつも同じ着古したドレスを着て
そして彼女が疲れている時には
少し優しくしてあげなさい)

You know she is waiting
Just anticipating
Things she may never passes
While she‘s without them
Try a little tenderness
(彼女が待っているのは分かるだろう
期待しているんだ
それ無しではいられない物を
彼女が持たない時には
少しの優しさを見せてやりなさい)

It‘s not just sentimental
She has her greef and care
And a word that‘s soft and gentle
Makes it easier to bear
(それはただセンチメンタルなことじゃない
彼女には自分の苦悩や心配事がある
そして優しく親切な一つの言葉は
それらを耐え易くする)

You won‘t regret it
Woman don‘t forget it
Love is their whole happiness
It‘s all so easy
Try a little tenderness
(君はそれを後悔はしないさ
女は君がしてくれたことを忘れない
愛は彼女たちの幸福のすべて
それは本当に簡単なことなんだ
少しの優しさを試してごらん)


1933年のテッド・ルイスとかいう歌手のヒット曲だが、ほとんどの人は知らない歌だろう。ただし、オーティス・レディングのカバー曲で知っている人もいるかもしれない。
オーティス・レディング版では、第二連の意味不明の「thethe same」が「that same old」となっていたような気がする。辞書を引いても「thethe」なんて語は出てこないから、これはこの歌詞を拾ったインターネットサイトの誤記だろう。
ポップスの歌詞としては珍しく、男女の恋愛ではなく、一種の博愛をテーマとしている。
それも、仰々しい博愛行為ではなく、「少しの優しさを」というところがいい。我々の社会生活の軋轢のほとんどは、この「少しの優しさ」で解決できるところを、それぞれの「少しの強欲」が逆に増幅している気がする。歌に社会改革の力を求めるつもりはないが、案外と、こうした歌が心に残って、何かの影響を社会に及ぼすこともあるのではないだろうか。




その2

「小さな」「少しの」つながりで、バート・バカラックの「Pray a little prayer for you」がうまく使われた「My best friend's wedding」中の私の好きな場面を、同じくユーチューブから拾って転載する。この映画は音楽の使い方が実に私好みで、楽しい映画であった。ジェローム・カーンの「今宵のあなた」が出てきた時には、驚いたものである。まあ、主人公の女の自己中ぶりがうんざり、という人も多いだろうが、そういう話なのだから、これでジュリア・ロバーツを嫌っては可哀想である。なお、ネタバレだが、ジュリア・ロバーツとダンスをしている男は、実はホモであり、彼女とは友情関係なのである。彼女の暴走を引き止め、救う役柄だ。ここでも「少しの優しさ」がすべてを救うということである。
もしもクリスマスに見る映画に迷っているなら、ディズニーの実写・アニメ融合映画の『魔法にかけられて』などがお勧めである。あの中の公園での楽しい群舞シーンだけでも、見る価値はある。もちろん、全体に楽しい映画であり、クリスマスは感動映画か楽しい映画に限る。

*動画そのものを貼る予定だったが、指定の場所に動画が来ないので、動画のアドレスだけ貼っておく。

http://www.youtube.com/watch?v=4Jjedn__Wxk&feature=player_detailpage




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世界は夜明けを待っている

「ヤスの備忘録」の24日記事の後半を転載する。
コルマン(コールマン)インデックスが予告時期どおりに実現するかどうかには私はあまり関心は無い。それよりも、その予告された変化の内容(人間の意識の変化(1)~(10))そのものが非常に興味深い。この変化は、簡単に言えば資本主義の終焉であり、資本主義文化、すなわち競争主義社会の終焉である。そしてそれは私が望んでいた変化であり、ある種の「地上の天国」の実現なのだから、この記事を読んで私が喜んだのは当然だろう。
筆者は、コルマンインデックスの実現時期がずれていること、そしてむしろ資本主義強化の傾向が出ているように見えることを述べているが、こうした反動は常にあることであり、世界全体の集合的無意識が今、資本主義の否定、競争主義の否定へと進みつつあることが何より重要なのである。
長い引用記事なので、私の蛇足的解説はこれだけにする。
なお、この記事とは無関係に、私自身、合理主義への疑念を何度か書いてきている。それは、[合理主義とは抽象に基づくものであり、抽象とは膨大な捨象を土台にしている。つまり、現実の持つあらゆる「含み」を捨てる作業が抽象なのであり、抽象化という切り捨て作業は、非人間的・非現実的な構築物(制度なども含む)を作ることになるのではないか]、という疑念である。もちろん、でたらめを良しとするわけではないが、下手な警句を言えば、合理主義はそう見えるほど合理的ではない、ということだ。(なお、警句とは「警告の言葉」ではない。最近、間違った用法が多いので一言。まあ、「金言めかした言葉」くらいのものだ。)


(以下引用)


コルマンインデックスが予告した変化

次のテーマに行く。マヤカレンダーが終わったので、コルマンインデックスを改めて評価してみる。

記事や本で何度も解説したのでご承知の読者も多いだろうが、コルマンインデックスとは、マヤカレンダーを人間の意識進化の予定表として理解する解釈だ。意識の進化が進展するにしたがって、あらゆる方面で以下のような変化が進むとしていた。何度も記事やメルマガに書いたが、再度掲載する。以下のような変化だ。

人間の意識の変化

1)物欲や他者の支配を欲する権力欲が衰退し、人間関係に最大限の喜びを見いだす意識状態になる。

2)将来の計画を志向する目的合理的な行動が希薄になり、生きている「いま」に最大の幸福を感じる意識に変化する。

3)競争で勝利し、権力を追い求める強い自我を持った権力型の人格から、多くの人を対話で説得できる対話型の人格へと変化する。

社会システムの変化

4)ピラミッド型の階層構造やそうした構造に基づく権力型の組織が崩壊し、メンバーの協調によるフラットなネットワークの組織が社会のあらゆる側面を担うようになってゆく。

5)無限の物欲の再生産と、無理な成長を強いる消費社会から、社会の実質的な必要性に基づいて生産する実質的な経済へと移行する。

6)根拠のない幻想的な価値に基づく金融資本主義から、必要なものとサービスの生産を中心とした実体経済に移行する。

7)第6サイクルの意識に基づいた古い社会集団への帰属意識が衰退し、国家の弱体化と消滅に向かう流れが出現する。

思想の変化

8)特定の民族のアイデンティティーに過度に固執する民族意識や国家主義が衰退し、普遍的な人類意識が出現する。

9)左翼と右翼、保守と革新というように二極に分化した見方から、どんな対立した見方にも共通点を見いだし、対立を統合する総合的な知へと移行する。

10)人間の外部に存在し、人間を支配する超越的な存在としての神の概念から、一人一人が神や仏の一部であることを実感する方向へとシフトする。

一言で言うとこの変化は、左脳に偏重した目的合理的な思考と行動が衰退し、右脳と左脳のバランスのよい統合のもとで「生きている瞬間」に喜びを見いだすことのできる統合意識が出現する過程だ。

その変化とともに、過剰な物欲をベースにした消費社会と金融資本主義、また支配欲を基本に成立するピラミッド型の階層構造の組織がほころびる。そして、必要なものを地域共同体の経済圏を中心に生産する実質的な経済システムと、個人をネットワークでつなぐフラットな社会組織が出現する。社会の多くの分野はこうした形態の組織によって担われるようになる。

このような変化の方向であった。またコルマンインデックスは、一般のマヤカレンダーの解釈よりも一年近く早い2011年10月28日に終了したが、この終了点をもって、意識の進化とそれに伴う社会変化が完成するとするものではない。終了点を向かえると、これから意識進化と社会変化を主導することになる因子がすべて出揃い、この方向に向かう変化は加速するとした。つまり、コルマンインデックスが終了してからは、変化はむしろ不可逆的に進行すると考えられていた。

コルマンインデックス通りの変化の方向

では、コルマンインデックスが予告した変化は実際に実現する方向に向かったのだろうか?

筆者がコルマンインデックスを知り、コルマン博士の論文や著作を読み始めたのは、2002年頃であった。この頃は、第一期のブッシュ政権の時代で、911の同時多発テロとアフガン戦争による国際秩序の根本的な変化は激しかったものの、世界経済は急速に拡大し、金融危機の発生などまったく想像さえできない時期であった。資本主義経済は不況という現象を完全に克服し、二度と不況は起こらないのではないかというニューエコノミー論がまだ一部で信じられていた時期だった。

そのようなとき、コルマン博士の論文や著作には金融危機が第5の昼と呼ばれる2006年11月24日から2007年11月18日までの時期に起こる可能性が高いこと、そして金融危機は次の第5の夜と呼ばれる2007年11月19日から2008年11月12日までの時期にさらに深化するが、各国の国際協調によって古い秩序はぎりぎりで維持される可能性が高いこと、そして階層構造と権力型組織のほころびが進み、フラットなネットワーク型組織が台頭することなどが述べられていた。

その予告どおり、第5の昼の期間にあたる2007年3月21日に、米大手証券のベアスターンズの破綻をきっかけに、サブプライムローンの破綻による金融危機が始まり、拡大した。

さらに、第5の期間にあたる2008年9月15日には、リーマンショックが起こり金融危機は一層深化し、また拡大した。だが、各国の国際協調による金融危機拡大防止に向けた努力が同時に始まり、金融システムの崩壊は回避された。

だが、金融危機がある程度落ち着いた後、コルマンインデックスが予告した変化はさらに一層加速した。以下のような出来事が3年満たない短い期間に集中的に起こった。

1)EUの信用不安によるEU分裂の危機とヨーロッパを席巻する大規模な抗議運動

2)アラブの春の始まりと独裁政権の打倒

3)世界同時不況の進行と失業率の急上昇

3)先進国にあけるオキュパイ運動と反格差運動の世界的な拡大

4)東日本大震災とフクイチの放射能漏れ

2008年から2011年の期間は、ベルリンの壁の崩壊から東ヨーロッパの社会主義国家が相次いで消滅し、最終的にソビエトの崩壊へと至った1989年から1991年をさらに上回る大変動の時期であった。

変動の背後で進行したコルマンインデックス的変化

このような大変動の背後では、コルマンインデックス的な変化が加速度的に進行していた。

オキュパイ運動のような反格差運動は、アメリカでもヨーロッパでも、ソーシャルネットワークの力を発揮して市民のネットワークを拡大し、地域共同体を主体にした自給自足型のコミュニティー農業の形成へと向かうグループが多数出現した。

また日本では、2009年に鳩山政権が誕生し、それぞれの地域を地産地消の「定住自立圏」として生活拠点化し、中央集権とは異なる分散型の地域経済の形成を目標にした。明治以来、国家主導の経済政策によって成長してきた日本にとっては大きな変化であった。

鳩山首相が第173回国会で行った所信表名演説は、この変化を強く反映している。以下である。

「地域の「絆」)

 ここ十年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の「絆」が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。
 かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、「誰かが誰かを知っている」という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。「あのおじいさんは、一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ」とか「あのブラジル人は、無口だけど、ホントはやさしくて子どもにサッカー教えるのも上手いんだよ」とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい「絆」をつくりたいと考えています。                          
 幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる「居場所」を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を活かした新たな「出番」を見いだす方々もいらっしゃいます。

(「新しい公共」)

 働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
 私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
 国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。

 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。
 私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが「居場所と出番」を見いだすことのできる「支え合って生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります」

以上である。

さらに、2011年の東日本大震災とフクイチの放射能漏れ事故以降、政府による復興の大幅な遅れが背景となり、膨大な数のボランティアが被災地に集中し、市民のネットワークで復興を支援する方向が生まれた。また、市民ファンドなどのNPOを経由して、市民自らが被災地の企業を資金的に支援するネットワーク型の組織が多数誕生した。

この動きは被災地にとどまらず、食料(Food)、経済(Economy)、介護(care)を地域で担う「FEC地域自給圏」の概念に結実し、会社組織には依存しない新しい生き方の試みとなり、拡大の兆しを見せた。

一方、アラブの春では、チュニジアのベン・アリ政権、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィー政権など、ミラミッド型の強固な権力構造を特徴とし、国民を長い間弾圧してきた独裁政権が、ソーシャルメディアとネットワークを駆使する市民の民主化要求運動によって打倒された。

さて、このようにざっと見ただけでも、リーマンショックが始まった2008年くらいから、コルマンインデックスが終了する2011年の末くらいまで、金融資本主義の弱まりと実質的な地域経済の勃興、階層型権力構造の弱まりとネットワーク型組織の台頭などのコルマンインデックス的変化が明らかに加速したことが分かる。

さらに、他者との競争やものの消費ではなく、仲間との絆や人間関係に最大の喜びを見いだす価値観、外部に存在する「神」ではなく、内在神を志向する思想の拡大などの内面的な変化も確実に進行していたように思う。

コルマンインデックスから決定的にずれた現状

このブログを始めたのは2007年5月だが、それからコルマンインデックスが終了する2011年の10月末まで、目の前で展開されるコルマンインデックスに予告された変化の加速を実感し、それこそ手に汗を握る思いで現実の変化を見ていたに違いない。筆者はまさにそうであるし、多くの読者の方がそうであるに違いない。

では、マヤカレンダーの一般的な終了日である2012年12月21日(日本時間は22日)が終わったいま、現状はどうなっているのだろうか?コルマン博士の言うように、コルマンインデックスの終了以降も予告された変化は加速しているのだろうか?

実は、2012年の後半あたりから、世界の現状はコルマンインデックスに予告された方向からは決定的にずれ、これまでの変化とは逆行した方向に動いている。それは以下のような変化だ。

1)アメリカや日本での強い中央集権的な政府の復権

2)金融緩和と公共投資を主体にした国家主導の経済

3)オキュパイ運動などの反格差運動の退潮

4)中東におけるイスラム原理主義政権の成立

5)金融市場の回復と金融資本主義の実質的な復権

このような変化だ。

反格差運動が完全に退潮するなか、アメリカでは、シェールオイルとシェールガスの本格的な採掘によるエネルギー革命の進展で将来的に景気が大きく上向く予兆が出てきているし、ヨーロッパでは、ECB(欧州中央銀行)によるPIIGS国債の無制限な購入発表でEUは危機を脱し、急速に投資が戻りつつある。その結果、地域ごとに分散した経済どころか、より強固な統合EUが将来出現する可能性が強まっている。

さらに、新たなクラッシュも予想された金融市場は順調に回復し、リーマンショック以前の水準を越える相場になっている。金融資本主義のほころびどころか、むしろ強化される流れだ。

これはまさに日本でもそうだ。日本における安倍政権の成立は、まさに強い中央集権的政府の復権を意味している。

このような動きのなかで、2011年までは注目されていたFEC地域自給圏や定住自立圏の構想はほとんど目にしなくなったし、また市民ファンドやNPOを主体にした地域経済形成の方向もかつてほど注目されることはなくなっている。

これから安倍政権のもとで、政府主導の一層の金融緩和と巨額の公共投資が実施され、政府主導の経済運営が強化される方向に進むことは間違いない。

かつて民主党政権が提唱していた地産地消の定住自立圏の構想などは、完全に消滅したと言ってよい。

なにが起こっているのか?

一時期までは、コルマンインデックスの予告する変化は確かに加速しつつあった。しかし、2012年からは、コルマンインデックス的な動きは停止し、あらゆる領域で、変化以前の状態に戻りつつある。

これはいったい何を意味しているのだろうか?一時期、コルマンインデックス的な変化が加速するように見えていたのは単なる偶然で、実際はコルマンインデックスは単なるニューエイジ系のファンタジーにしかすぎなかったのだろうか?

それとも反対に、実は現代の社会システムを揺るがす危機はこれから発生し、結局はコルマンインデックスの予告した変化が実現する方向に動いて行くのだろうか?

いまのところ、これはまだ分からない。読者の方はどう考えるだろうか?

ある種の体験をする一部の人々

一方、そのようななか、ある種の体験をする人々がどんどん増えているような印象がある。

やはり金融危機が始まり、コルマンインデックスの変化の加速が起こっているように見えたときから、筆者はある種の体験を報告するメールを多数いただいた。それはいまでも続いている。

これはメルマガに詳しく書いたので詳述はしないが、ブログでも簡単に紹介する。記事があまりに長くなるので、次回に書くことにする。






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読みのレベルの問題

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
これは「メディアリテラシー」のテキストとして使ってほしい文章である。
文章を読みとるとは、こういうものだ。

私を含めて、ほとんどの人間は、この毎日新聞の記事を読んで、
「なかなかいい記事じゃないか。こういう題材を選ぶこと自体人道的だし、書かれた主張も健全だ」
と考えるだろう。

それは、
「何も読みとっていなかった」
ということなのである。

書かれたことの表層しか読んでいないのだから、読んだ意味がまったく無い。
我々の「情報取得のための読み」はたいていこんなものだ。
そして、その後に書かれた村野瀬嬢の読みを読んで、我々B層は、
「自分はいったい何を読んでいたのだ」
と自分の頭を殴りつけたくなるわけである。
まったく、頭の悪い人間は度し難い。そのくせ、えらそうにブログなどを毎日書いていたり他人の意見を批評したりする。これは私自身のことだ。

少し頭を使いながら文章を読めば、村野瀬嬢の言うことはもっともだ、と分かる。ならば、最初の読みは何だったのか。つまりは、ゼロである。
恐ろしいのは、こうした読みを日常的に行いながら、それに気づいてもいない可能性があることだ。
これは「時間内に要点を読みとらねばならない」という学校教育、特にテストの訓練の中で培われた表層的読みだろう。テストではむしろスピーディな表層的読みができないと良い点は取れないのである。それが習慣化すると、すべての読みが表層的読みになる。
もちろん、深い読み、批判的な読みをするには読む当人の中に「騙されないだけの芯になるもの」があることが必要なのであり、誰もがそれを持つのは不可能だろう。
しかし、それを持つように社会的啓蒙活動をすることは必要だと思う。
そういう意味で、この文章は素晴らしいテキストだと思うわけである。




(以下引用)




日本になんとか良い国になってもらいたいと強く願ってこんなブログを書いています。「いくらなんでもこの政策やこの社会現象はまずいでしょ」という気持ちで書いた記事もずいぶんたまってしまいました。日本社会は民主主義レベル向上にもなかなか思うように向かわないし、多くの人にとって住みやすく働きやすく幸福な社会にもなかなかなりません。それでも日本社会と政治を良くできるようにと考え続け、書き続けますけど...。

そこで、最近こんなツイッターと報道が目に留まりました。母国に戻れないまま避難先の国で長年滞留している難民を対象にした「第三国定住制度」を導入している日本ですが、難民の来日希望者が今年ゼロとなる見通しになったのだそうです。つまり、難民から日本は選ばれていない、好かれていないということになります。残念ながら...。

はねた @haneta317 だって日本に住む魅力がないじゃん。「外人は帰れ!」と叫ぶ国民も沢山だし。:記者の目:第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃=高橋弘司 mainichi.jp/opinion/news/2…
2012年11月28日 返信リツイートお気に入りに登録

はねたさんの紹介する毎日新聞の報道はこちら。興味深い内容なので、消されないうちに記憶のために記録しておきたいと思います。


●毎日jp(毎日新聞)
記者の目:第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃=高橋弘司
http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c.html
http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c2.html
毎日新聞 2012年11月28日 00時14分

 日本が、母国に戻れないまま避難先の国で長年滞留している難民を対象にした「第三国定住制度」を導入して3年目の今年、難民の来日希望者がゼロとなる見通しとなった。援助関係者の間で「このままでは日本は国際社会から取り残される」との危機感が高まっている。世界にあふれる難民に、我が国としてどう向き合えばいいのかを探った。

 2010年来、第三国定住制度を通じ、タイの難民キャンプに滞留してきたミャンマー難民計45人が来日。第3陣として今年も9月末、ミャンマー難民3家族16人が来日予定だった。だが、タイ出国直前、3家族のうち1家族が、「日本に行かないで!」という親族の強いアピールで翻意した。親類にあたる別家族も同調したため、残る1家族は「我々だけでは心細い」と辞退し、最終的に希望者ゼロになったという。

 ◇厳格な選考基準 受け入れ不備も

 この事態を受け、NPO法人「難民支援協会」(東京都新宿区)の石井宏明常任理事は「第三国定住制度導入を機に、国際社会は、日本が難民受け入れに積極姿勢を見せ始めたと期待していた。それだけに各国政府や支援関係者の評価は地に落ちた」とその影響を指摘する。10年の第三国定住難民受け入れ実数は米国5万4077人、カナダ6706人、オーストラリア5636人と続く。日本はわずか27人。移民国家でない国情を考慮し、国際社会には「小さく産んで大きく育てる」という期待があった。今年3月、事業の2年延長が決まったものの、「ゼロの衝撃」は制度の根幹を揺さぶっている。

 今月7日開かれた第三国定住制度の在り方を検討する政府の「有識者会議」でも討議され、厳格過ぎる選考基準に批判が出た。現行制度は、ミャンマーの少数民族カレン族で、幼い子どもを持つ家族に限定している。キャンプに残った父母らの呼び寄せも想定していない。基準緩和は遅すぎるぐらいだ。

 加えて、「受け入れ態勢」の改善も不可欠だ。一昨年秋に来日したミャンマー難民第1陣をめぐっては、千葉県内の農業法人で職場適応訓練を積んできた2家族が「事前説明と異なる長時間労働を強いられた」などと訴え、この法人への就職を断り、東京都内に転居してしまった。2家族をめぐる騒動がタイの難民キャンプにも伝わり、今回の「来日辞退」に影響した可能性も否定できない。現行のわずか半年間の日本語研修や生活指導だけでは定住には無理があり、きめ細かく、息の長い支援が必要だ。

 また、長谷部美佳・東京外国語大学特任講師は「第三国定住制度にとどまらず、我が国の難民政策全般で、難民を社会の一員としてどう溶け込ませていくかという『社会統合』の視点が欠けている」と指摘する。ベトナム戦争後、ベトナム、カンボジア、ラオスからの大量の難民流出に際し、我が国は1978年から2005年まで総数1万1000人の難民定住を認めた。だが、その後、十分な追跡調査もなく、現在の実際の定住総数さえ不明だ。学問的研究も緒に就いたばかりで、大半の国民は無関心なままだ。

 元カンボジア難民のハン・ソクアンさん(31)は日本社会にうまく溶け込んだ成功例だろう。父母とともに5歳で来日、神奈川県伊勢原市の小、中学校を経て、高校卒業後、かまぼこ工場などに勤務。幼なじみのカンボジア人男性と結婚、2人の女の子に恵まれた。昨年11月には日本国籍を取得、調理師免許まで取った。ハンさんは「小学校時代、バレーボールのクラブ活動でできた仲間の支えが大きかった」と振り返る。だが、頼れる日本人に出会わなかった多くの難民は落ちこぼれ、貧困にあえぎ、生活保護を受けたり、日本社会になじめず精神を病んだりした例も少なくない。

 ◇子の将来考え苦渋の離日

 ハンさんは今年10月、25年住み慣れた日本をたち、家族4人で母国に帰国した。帰国直前、「定住に成功したはずなのになぜ」と尋ねると、生活費がかさみお金がたまらないとこぼす一方で、「私は幸い、友人に恵まれた。だけど、日本ではやはり難民はのけ者扱い。子どもの将来を考えました」と顔を曇らせた。

 オーストラリアでは定住に成功した難民が新参難民の生活支援を行い、カナダでは無医村に難民出身の医師が着任するなど、難民による社会貢献が進む。日本でも、公益社団法人「難民起業サポートファンド」(東京都新宿区)が今秋、中古車輸出業を営むパキスタン出身の難民に初の融資を行うなど、難民の経済的自立を支える試みが始まった。難民を社会の一翼を担う戦力としてとらえるという発想の転換が求められている。(新聞研究本部)

(転載ここまで)

この記事はいくつかの例を紹介しているだけで、多数の例を統計的、網羅的に紹介しているわけではありません。しかし、ここには「いかにも日本だなあ」と思わせる事象が含まれていると思います。

まず、入国管理政策の問題。厳格過ぎる選考基準。いったい何を選んでいるのかわかりませんが、まるで来てほしくないと言わんばかりですね。一定の基準はあるべきだとは思いますが、入口のところで厳格すぎる基準を課せられたら、私が難民なら「これは日本では冷たい扱いをされそうだ」と直感して、それだけで日本に行こうと思わなくなるかもしれません。

そして、日本の労働慣習が雇用者側に有利にできていることの代表的な事象の一つである、長時間労働の強要。上の記事であげられている事例の詳しい事情はわかりませんが、一般的に言って、労働者に少しでもタダ働きさせようと言わんばかりの態度は日本人相手には通じても、外国人相手には通じないということですね。いえ、本来は、日本人相手に通じてもいけないのですが。

社会全体に『社会統合』の視点が欠けていること。私は、そのことは外国人、難民にだけ当てはまるのではないと思います。日本人に対してもまた、日本人は社会統合の視点を欠いていると思います。排除、切り捨て、無視、差別などを日本人が日本人に適用する例はいくらでもあると私は感じます。非正規労働者に対して。犯罪者に対して。逆に、沖縄で米兵からレイプの被害を受けた女性に対して。病気や高齢などの理由で生活保護を受給している人々に対して。いじめの対象にされた人に対して。...いくらでも例を思いつきます。そのような例のいくつかについてはうちで記事をたくさん書いてきました。

そして、単純に、日本では生活費がかさむこと。...確かに。

こういうことを難民の目から積み重ねていけば、結論はおのずと出てきます。

難民にとって暮らしにくい日本は、日本生まれの日本人にとっても暮らしにくい。そういうことです。日本人にとっても、そうはっきりと意識する機会ではないでしょうか。


最後に、「難民を社会の一翼を担う戦力としてとらえるという発想の転換が求められている。」という一文でこの記事が締められていますが、この表現にもう一つの問題が象徴されていると思います。「戦力」という言葉に違和感があるということです。難民は日本社会の一翼を担う戦力として「日本株式会社」に海外から「採用される」労働者ではないということです。

さらに言うなら、「少子化による将来の人口減への対策として海外から移民労働者を入れる」という考え方もまたおかしなものです。日本生まれの日本人が日本でふつうに働いて普通に生活を成り立たせるための政策を行なうべきで、日本人が暮らしにくい政策を続けながら日本人の人口が減った分を外国人で補充すればいいというのは、日本人と外国人の両方をバカにしていると思うのです。日本人が暮らしにくい日本に外国人を呼んだとしてもやはり日本が暮らしにくい国であることは全く変わりません。

「日本は日本人のものだ」という料簡の狭い国家主義で私は言っているのではありません。そこに住む者にとって暮らしやすい政策を行なうのが政治の役割であり、最優先目標であるということです。









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自由にものが言える社会を作ろう

「徽宗皇帝のブログ」に掲載した岡山博氏の貴重な論考の一部をここに再掲載しておく。
私が常々考えていたようなことを、端的にまとめている。

頭のいい人の文章はいいものである。概して、理系の人の文章には無駄がなく、論理的で正確だ。私の文章など、次から次へと思いつくままに書いている「連想によるダラダラ文章」なので、読み返すと無駄ばかりだ。前にも書いたが、「出づるかと思えば消え、往いては永遠に帰るを忘る」という「行雲流水的文章」である。これは不正確な引用だが、『吾輩は猫である』中の苦沙弥先生の文章についての評語。
まあ、私はもともと雲が往くのを眺めるのが好きな人間だから、文章が「行雲流水」的であるのも当然か。

「徽宗皇帝のブログ」にも書いたが、パソコンの調子が怪しいので、いつこのブログも終わるか分からない。そこで、ぜひ多くの人に読んでもらいたい岡山博氏の文章を(長いので、ここには一部だけだが)こちらにも転載しておこうというわけである。
すぐれた思想を知る人が、ネットの拡散活動で一人でも増えれば、それは一つの社会的貢献をしたことになる。そのようなネットの機能が、まだまだ十分に生かされていないようだ。
植草教授などが、現在そのあたりを模索しているようだが、岡山博氏あたり、あるいは岩上安身氏あたりと手を結べば、面白いのではないだろうか。もちろん、そのほかにも有能誠実なネット知識人はたくさんいる。
ただし、ネット言論がネット世界内にとどまる限り、それは現実政治を動かす力としては弱すぎる、というのは「徽宗皇帝のブログ」の「明日のために」シリーズで書いてきた通りである。

今日は、別ブログとかなり重複した内容になったが、重複部分は「大事なことなので二度言いました」ということだ。

要するに、下の文章の要点、そして私の常々の主張の要点は、「自由にものが言えない社会が、すべての社会悪の根源である」ということであり、自由闊達な議論のできる風土や気風を作ることが、日本のこれからの最大の課題の一つである、ということである。




(以下引用)




          事故経過のまとめ

・行政と電力会社は、原発の設置、拡大、運営、福島原発事故、事故後の対応のどの場面でも、真実を説明せず、議論を抑圧するために、社会と国民に偽りを言って、原発大方針を継続実行し、それまでの失敗を過小評価し隠蔽してきた。

・国民に真実ではなく偽りを言うことが行動様式の基本として現在も続いている。福島では、放射能を心配する言葉を口に出すことも出来ない。恐ろしいほどの言論抑圧社会が現実になっている。

・他人や社会を偽り、異なる発言する人を適し排除しては、原発を健全に運営することも、原発事故を健全・合理的に収束させることはできない。

・再点検し安全取り組みを強化して安全性を確認したと言って大飯原発を再稼動させた。
反対意見を敵視・無視して、偽りの説明をして強行した。

・異論を排除して強行するあり方が福島事故の最大の原因だ。これを改善せずに、原発稼動を安全にすることはありえない。

・津波堤防を数メートルかさ上げするなど見せ掛けの対策をして安全になったと偽りの説明を懲りずに繰り返している。

・福島事故が想定外の災害のために起きたという主張から出る唯一の結論は「想定しきれないことで大事故を生ずるから、想定した対策をしても安全を保障できない」という結論だけだ。

・ここでも、自分でも信じていないごまかしを言って、押し切っておけばかまわないという姿勢が貫かれている。



        自由に物をいえない日本の人と社会

• 原発大爆発後も、自由に物が言えない社会を改善していない。逆に強化した。

• 物言えぬ日本社会のあり方は、原発事故に限らず、殆どの社会問題と、個人の多くの苦痛の基盤になっている

• 殆どの社会問題や、個人間の問題の解決を妨げる原因だ

• 自由に物が言えない、嘘・偽り・恫喝・侮辱が批判されず横行する社会は不健全で危険だ


         過剰適応

• 強者に無条件同調を強要する社会に人々は過剰適応した。異論発言や、自分で判断することを恐れる精神を強めた。

• 考えるということは、「本当にそうか」と異論を考えることから始まる。そして答えが出るまで考え続けることだ。

• 多くの日本人は異論発言を避けて同調することを目指し、自由な発言を控えることを繰り返した。そして自分で検討・判断し発言する、能力・熱意、自覚を後退させた。

• 与えられた情況と選択肢の中から、気分で選ぶだけの言動を日常化した。論理を軽視して気持ちで納得することを繰り返した。作られた状況に流されて判断行動をする体質を身につけた。自分の言葉で発言しないと情況に応じて気持ちはかわる。自分の判断を長期に覚えていることはできない。

• その結果、遅い状況変化は気づかず、状況に流されて判断していることに気づかない。それを問題と理解する能力も失う。









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アセンションは起こった?

今日は引用は無し、である。
「アセンション」という言葉がだいぶ前からネットの世界で使われていたが、要するに、「昇天」のことである。これが「世界の終末」の意味だ、今年の12月22日に世界は終わるのだ、とか、いや、「次元上昇」の意味だ、人類の一部、あるいは全部に精神的な次元上昇が起こり、新しい世界が始まるのだ、とかいろいろ言われている。
で、私が今朝短い睡眠から目覚める寸前に、頭の中で「リン」と何かが鳴る音が聞こえ、その瞬間に「あ、全人類に今、次元上昇は起こったのだ」と考えたのだが、それと同時に、次元上昇は、実にさりげないもので、ほとんど誰も気づかないものなのだ、と考えたのである。
もちろん、これは半覚醒の状態での思考であり、妄想なのだが、私の考えた次元上昇とは次のようなものだ。

これは、眠りに就く前に読んでいたJ・M・バリー(もちろん有名な『ピーター・パン』の作者だ)の『小さな白い鳥』の中に出てきた言葉だが、


「神秘的な魅力に満ち溢れた若いお嬢さん方に申し上げる。皆さんが52歳におなりの頃、私たちは皆さんを本当に知ることになるのだ。そのとき初めて、皆さんの本当の姿が現われるのだ。口元が落ちくぼんでいれば、それは皆さん自身の責任なのですぞ。心の卑しさは、若い間は隠されていても、年齢と共に顔に出てくる。しかし、美しい考え、優しい身のこなし、そして、たとえ忘れられていようとも、人に尽くした思いやりの数々は、決して皆さんの身を離れず、やがて人生の黄昏どきになって、月見草のように花開くのだ。」


私の考える次元上昇は、この、目に見えない「美しい考え」や「人に尽くした思いやり」のようなものだ。

(追記:これは、実は最初に引用しようと考えていた部分ではない。その部分が探しても見つからないのでSECOND BESTな部分としてこちらを使ったのだが、先ほど引用予定部分を見つけたので転載しておく。それにしても、最初に「今日は引用は無しだ」と書いたくせに、引用が多い。下のものがその予定どおりの引用だ。

「今夜からでも、人の世の生き方に新しいルールを一つ加えてはどうだろう、『いつも、必要と思われるよりほんの少し余計に、人に優しくすること』というルールを。」)

私の言う次元上昇とは、地球上の全員が、「ほんの少し優しくなること」「ほんの少し賢明になること」「ほんの少し自分の欲望を抑えること」である。
何かをしようと思った時、一瞬のためらいを持ち、考えること、それが私の言う次元上昇だ。

何かに対して怒る。だが、はたして自分は怒るべきなのだろうか。誰かにとげとげしい言葉を投げつける。だが、はたして本当にそれを我慢できないのだろうか。水道水を流しながら顔を洗う。だが、はたしてその流されている水の量は必要なのだろうか。
会社の利益を出すために、従業員の給与を削減する。だが、はたしてその利益は従業員の不幸と引き合うだろうか。
すべての人が、そうした一瞬のためらいを持つこと。これが私の言う次元上昇である。
このためらいと自己抑制が全地球的に起こったならば、あるいは全世界は新しい段階に入ったと言えるのではないだろうか。

私は、資本主義という欲望拡大社会はもはや破裂寸前だと見ている。
競争社会も同様だ。他人を蹴落とすことでしか幸福は実現できない社会など、地獄である。
すべてを0か1かの二者択一にするデジタル的社会も人間を不幸にするだけだ。
人類は、もっと豊かで、もっと幸福な社会を作ることができる。
それは、全員が、ほんのわずかでもいいから、自分の欲望を制限し、他人の幸福に寄与することで実現できるだろう。


あなたが、(いや、我々が)自分にとって不要なものを溜め込むことで、あなた自身が(我々は)実はどんどん醜くなっていくのである。食欲を抑えきれない人間が贅肉を溜めていくように。

我々は、自分が理性で考えていると思っている。だが、よく考えると、実はその考えはたいていの場合、脊髄反射に近いものなのである。つまり、動物的反応なのだ。その脊髄反射的思考を、本当に大脳による思考に近づけることが、私の言う次元上昇である。それを私は「一瞬のためらい」と表現したわけだ。と言っても、熟考ばかりしろというわけではない。碁や将棋で言う「手拍子の手を打つな」ということを実生活の中で実行するというだけである。

「自分がすべてに優先する」という自己愛を少し捨てること、それだけで地上の天国は実現できるだろう。



なお、私はベッドの中でこの思考の大筋を把握すると同時にライトを点けて時刻を確認したら2時50分であった。だいぶ前から、2時45分に目覚めることが多かったのだが、日本時間12月23日の2時45分に、全世界にそのような思想が同時に生まれていたら、面白いことである。







(追記)「たんぽぽ日記」にもう一つ別のパターンのアセンションの記事があったので、転載しておく。こちらのアセンションも可能性はあるが、どちらでもお好みの方をお選びください。

追記の追記だが、今日は天皇誕生日であった。今上天皇は右翼たちの思惑とはまったくかけ離れた素晴らしい民主主義者、平和主義者であると私は考えている。そして、国民への慈愛の気持ちをお持ちであると、思う。そういう天皇を我々が国民統合の象徴として持っていることは、幸せである。私は自分や自分の家族の誕生日さえロクに覚えていない人間だが、今日はまさしく祝うにふさわしい日である。





(以下引用)




「臨時ニュースです。本日午前9時11分ごろ、わが海上防衛軍尖閣諸島守備隊は、わが国の領海を侵犯した中国海軍の駆逐艦を攻撃し、撃沈いたしましたー


我が国は中国と戦争状態に入りました。
まもなく内閣総理大臣から重大発表がございます。
全国民はテレビまたはラジオ前でお待ちください。
繰り返します。
我が国は中国と戦争状態に入りました。
まもなく内閣総理大臣から重大発表がございます。
全国民はテレビまたはラジオ前でお待ちください。

たんぽぽ「未来予言ニュース」





「国民の皆さん、本日は極めて重大な発表を行わなければなりません。
本日、日本時間午前9時10分ごろ、
中国海軍所属と思われる軍艦が我が日本領海内を侵犯いたしました。

これまで日本国憲法9条に書かれていた『国家間の紛争は武力では解決しないという』条項により、我が国はたびたび中国軍による領海侵犯を許し、悔しい思いをしてまいりました。

ですが、先日施行された新憲法の真の精神は、
『国家間の紛争解決は武力による』と言うものです。

そのため、わが内閣は戦争に必要な軍備の拡充、増強に努め、
国内の兵器生産をフル回転させてきました。

わが日本国が中国に戦争で負けるはずがないことは、
明治維新以来の数度にわたる我が国の侵略戦争において証明されているところであります。



話し合っても解決しないものは、断固暴力で解決すべきではありませんか!
世界の歴史は、強いものが最後に勝つというこの世の現実を証明しています。

イギリス、アメリカの両国が、長い近代史の中で覇権を築きあげることができたのも、
ひとえに、両国の強大な軍事力によるものであります。

我が国は、明治維新の精神に立ち戻り、
再びこのアジアで軍事力による覇権を築かなければなりません。
そのためには全国民の皆さんの協力が必要です。


戦争にはお金がかかります。
中国よりたくさんの兵器を作り、ミサイルや銃弾もすべての中国人を倒せるだけつくらなければなりません。
戦地に赴く兵隊さんの食事や軍服も必要です。


ですがご心配には及びません。
国民の皆さんにはその戦争を支えるだけの貯蓄があります。
世界有数の財産があるのです。


ただ、国家予算の半分は戦争に回す必要がありますから、
年金は停止し、最低限必要な物資の配給制にします。


健康保険も停止せざる負えません。
お金のない人は病院にはかからずに、自力で直すよう努力してください。
特に70歳以上の高齢者は、癌などの治療はもう必要ないでしょう。

警察は今まで犯罪を中心に取り締まってきましたが、戦争が始まった以上、
これからは犯罪者より戦争に反対する時代遅れの人間を逮捕する側に回ります。
そうしなければ戦争がやりずらいからです。

国民の皆さんも協力してください。
政府に反抗して平和を叫ぶ国賊がいたならすぐに国家警察に通報してください。
そのような非国民は強制労働と精神教育によって矯正いたします。

エッ!それでも直らない場合ですって?
その場合は最前線に送致するか、
適宜処理いたしてまいります。
いつまでもただ飯を喰わせるほどの余裕はありません。


大量破壊兵器の発達により、
この戦争は比較的短い期間で終了するものと見込まれますが、
仮に長引けば、
国民の皆さんの貯蓄、財産を提供していただく必要がございます。


戦争はお金です。金がなければ戦争はできません。
戦時こそ、国家がばらまいた金を国民から回収すべきときです。


私たちは、国民の皆さんの生命を守るために戦っています。
皆さんも自分の命を守りたければ国に喜んで財産を供出してください。


えっ!何々!あ、そう、皆さん、いま中国軍から反撃があったようです。
私は戦況を確認するために危機管理センターに戻らなければなりません。
最後にもう少しつけ加えておきます。


町内に住む人々の監視を行ってください。
戦争に非協力的な人間、戦争に反対し平和を叫ぶ人間を政府は厳しく取り締まってまいります。
平和を叫ぶ人間は愛国心のない国賊です!
通報者には逮捕者の分から割り増しして配給することも検討しています。
ぜひこの優遇制度を活用してください。
この戦争に勝てるかどうか、すべては国民の皆さんの協力によるのです。


そして、ご家族の中で戦闘に耐えられる人はすべて軍人登録してください。


前線で戦死した軍人の補給はスムーズに行わなければなりません。
特に若い世代は、男性女性に関わらず登録してください。
アメリカ軍もそうですが、最近の戦場では男女問わず戦うことが一種のブームになっています。


オリンピックを見てもお分かり頂けることでしょう。
女子のレスリングが注目されたり、
また、義務教育の世界でも女子に柔道や技術という男子と同じ教育を受けさせてきたのは、
実はこの日のためだったのです。


女子も戦場でいろいろと役に立つことが多いことが知られてきました。
かの偉大なる哲学者であるプラトンも言っています。


優秀な男女は子供の頃に親から引き離し、
裸で体育・哲学教育を施し、
またこれらの優秀な人間をたびたび交わらせなければならないーと、

逆に能力が劣等で醜悪な人間は育てる必要もない、
交わらせてはならないーと教えています。

私たち世界の支配層は、ギリシャ・ローマ時代という遠い昔から、
神という非理性的なものの束縛から逃れ、
人文主義的な、神人間による世界の支配を推し進めてまいりました。
神様という概念は、秘密の知識を知らない大衆だけのものであります。


人間こそが真の神なのです。
ただし、われわれのように真の哲学を理解し、
支配者に収まった人間のことだけですが・・・

あっ!喜びのあまり興奮しすぎて少ししゃべり過ぎたみたいです。


とにかく、今こそ戦争のできない非哲学的国家から、
我が国は真の霊的哲学国家に、
より高次な存在に変貌しようとしているのです。


つまり、わが日本人は肉体をかなぐり捨てて、
霊的な存在になるということです。


この教えを国家に先駆けて広めてくれたのがスピリチュアリストと呼ばれている皆さんです。
皆さんには本当に感謝いたします。
もし核攻撃を受けそうな場合には、官邸の危機管理シェルターまでお越しください。
ここだけが安全な場所です。
中国政府が絶対に攻撃しないと確約していますから。
死ぬのは一般国民だけです。


スピリチュアリストは日本人が肉体に執着せず、
5次元や六次元という霊的なカバラの思想を受け入れる土壌を作ってくださいました。


実際、この世よりあの世の方がよいものです。
私はまだ行ったことはありませんが。
たかが尖閣のような小島で戦争が起きることもありません。
あの世には国家がありませんから。


国家こそが災いのもとであるー
ということを尊敬すべきユダヤ民族の聖書が教えてくれています。


それゆえ、戦争によって全世界から国家と法律をなくしてしまう計画がございます。
これは「アジェンダ」と呼ばれていて、
日本人の皆さんにもある政治家の方を通じてお馴染みになったものです。


人間を守るべき国家や法がなくなれば、
この世界はジャングルと同じカオスの状態に戻ります。


それこそが聖書が求める楽園、
ユダヤ人の使命である「神の国の復活」なのであります。

このアジェンダを実行するために我々は戦います。
人類至高の幸福であるカオスの実現を邪魔する者は排除しなければなりません。


高次の世界の実現こそ、
時代を超えて哲学者である政治家に求められる、
唯一、最大の課題であります。
その姿は悩める錬金術師、「考える人」として有名です。


世界はついに新次元のとば口に到達いたしました。
もうすぐ夢の楽園が訪れます。

シャングリラ・ダイアローグは間違っていません。

この地球が人間で埋め尽くされ、滅びてしまわないよう、
世界で秘かに受け継がれた、聖なる教えなのですから。

では以上を以って、中国との開戦宣言といたします
皆さん、聖なる世界の実現のため全国民が力を合わせて頑張りましょう」


たんぽぽ「未来予言ニュース」中国への宣戦布告についての総理大臣発表




(追記)神秘主義者KAYさんの23日のブログから転載。このアセンションが本物であれば嬉しいことである。



(以下引用)



私は、地球のアセンション(次元上昇)を甘く見ていたのかもしれない。
長い間に、自分で思うよりも、心の中に否定的な傾向が積み重なっていて、それが残っていたのかもしれない。
私は、世間では、卑しい立場で長く過ごしたのだ。多少は仕方がない。
尚、アセンションという言葉は、オカルト用語でも何でもない。ただ、上昇とか、昇天という、美しい言葉だ。

想像をはるかに超えて世界は変わっている。
ただし、無理に良くなったという思い込みも持たないで欲しいという思いもあって、これまで、少し否定的なことも述べたのだ。
世界で起こっていることについては、自分の目で見た訳ではないので、やがて、それを直接感じるまでは気にしないでおこう。
しかし、身近な世界を見ても、世界が変わっていることが分かるのではないか?
私は、車を運転している時、対向車が来ると、出来る限り左端に寄ることにしている。別に親切というのではなく、万一の厄介ごとも避けたいからだ。
すると、これまでであれば、「もっとどけ」とばかりに、空いた道のど真ん中、あるいは、嫌がらせでもするかのように、こっちにぎりぎりまで寄って来て横柄にぶっ飛ばして通り過ぎる車が大半だったのが、今日は、ほとんどの車が、反対側にいっぱいまで寄ってくれるし、止まって待ってくれることも何度もあった。
今日は、近所のご老人を連れてお墓参りに行き、多くの車とすれ違ったのだが、それは明らかなことだったと思う。

だが、やはり、「世界は良くなったんだ」と不自然に決め付けないことも必要なんだと思う。
でないと、やがては、「やっぱり何も変わってない」と言うハメになるかもしれない。
世界がどうかなんて、少なくとも半分は、あなた次第なのだ。





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2ちゃんねる潰しは対岸の火事か?

例によってマスコミ利用の印象操作が行われているようだ。
こうして世間の印象を「西村ひろゆき怪しい奴」にしていき、起訴・有罪判決・2ちゃんねる閉鎖・ネット発言委縮・ネット弾圧正当化へとどんどん進めていくのではないか。
なお、私の記事は個人の感想であり、妄想にすぎません。(笑)




(以下「2ちゃんねる DAYS PLUS」より引用)




【社会】西村博之のPCから削除依頼のメール数百通見つかる-2ちゃんねる事件・警視庁★3




res:1 そーきそばΦ ★2012/12/22(土) 00:52:46.46 ID:???0

 インターネット掲示板「2ちゃんねる」で薬物売買の書き込みが削除されなかった事件で、
書類送検された西村博之元管理人(36)が使っていたパソコン(PC)から、
警察庁などから送られた削除依頼のメールが数百通見つかったことが21日、捜査関係者への取材で分かった。
 警視庁サイバー犯罪対策課は、こうしたメールを通じて、
西村元管理人が2ちゃんねるに違法な書き込みが多数あることを認識していたとみている。

 捜査関係者によると、西村元管理人のPCからは、警察庁のほか警視庁や他県警、
違法情報の削除依頼を行うインターネット・ホットラインセンターなどからの数百通の削除依頼メールが見つかったという。
 ほとんどが開封され、既に読んだことになっていたが、西村元管理人は今年5月、
自身のブログで「警察から送られたEメールの削除依頼は2通」と主張していた。
 2ちゃんねるの書き込みの削除を求める場合、利用者は「削除依頼板」と呼ばれるサイト内の掲示板に書き込んで対応を求めるが、
警察などの公的機関は2006年ごろから、成り済ましの削除依頼などを防ぐため、西村元管理人のメールアドレスなどに削除依頼を直接送っていたという。 

時事通信 12月21日(金)14時31分配信 削除依頼のメール数百通=元管理人PCから見つかる―2ちゃんねる事件・警視庁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121221-00000085-jij-soci




2ちゃんねるに纏わる昨今の出来事について(西村博之)
2012/05/16 http://hiro.asks.jp/85110.html

そんなわけで、おいらの知ってる事実と、誰かが世間に流したい情報が違うみたいなので、修正してみます。

おいらが知ってる警察から送られたeメールの削除依頼は2通です。
その他、封書やはがきなどは、送られていません。
その2通に関する書き込みは、削除済みです。

何千件の削除依頼が云々といった報道がありますが、そのメールは財団法人インターネット協会が運営するインターネット・ホットラインセンターからのeメールなのですが、警察が送ったと誤読するように記事が書かれていますね。

良識のある報道の方々には、警察庁がどこに何を何通送って、それ以外の団体がどこに何を何通送ったのか?というのを確認してもらうとよいのではないかと思います。

ちなみに、日本は、合法か違法かの判断は裁判所が行うことになってますので、財団法人が情報を違法と決めることは出来ません。

司法によって違法と判断されない限りは合法というのが日本の法律です。

従って、合法の可能性もある情報の削除依頼を財団法人が不適切な手段で送って、対応されなかったというだけなのですが、なぜかこういった事態になっているようですね。  




res:79 名無しさん@13周年2012/12/22(土) 01:25:47.12 ID:lkWkV9aC0

裁判所の命令が無ければ、警察からの要請であっても
無視して違法じゃないよ
警視庁は2chが邪魔で潰したいから

>警察トップの特命で専従班が組織され、威信をかけて「2chつぶし」に取り組んでいる、という。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1112/07/news022.html


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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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