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原発は国民生活のすべてを蝕む悪性腫瘍である(1月4日追記)

「雁屋哲のブログ」から記事の後半だけ転載。
私自身同じことを何度も言っているのだが、プロの文筆家だけに書き方がうまい。
これを読んでもなお原発に賛成できる人間の精神構造を疑う。しかも、我々の周りの自民党支持者や保守主義のおっさんや若者(たいていは貧乏人だ)は下のU(原発による利益)を得る立場でも何でもないのに、原発稼働に賛成するのである。お前は経団連か、と言いたくなる。
原発が無ければ電気料金が高騰する? 馬鹿、原発を維持推進するために巨額の金が要るから、それが電気料金に加算されていることも分からないのか。簡単に言えば、「原発村維持費用」が電気料金の大半なのだ。しかも、電気料金だけでなく、税金から巨額の原発諸費用は投入されている。
つまり、原発そのものが日本社会の経済を、いや、生活のすべてを蝕む悪性腫瘍なのである。しかも、海岸線にずらりと並んだ原発は、国土防衛を不可能にしている。戦争大好きな右翼の皆さんが原発も好きというのは頭がおかしいのではないか。
福島原発からいまだに毎日放射能が放出されていることについては、もはや言う気もしない。これで原発を擁護する人間は、もはや狂信者、いや狂人である。



(以下引用)


2)どうして、日本の経団連などの財界人、自民党、民主党などの政治家は単純な算数が出来ないのか。
安倍晋三氏は、
a)原発の再稼働を認める。
b)新しい原発の建設を認める
と言う方針を決定し、経団連はその決定を大歓迎し、株価も年末にかけて上昇したという。
経団連、と言えば日本全体の経済の動きを左右する団体である。
この、経団連の主だった人達は、全て日本の大企業の頭だ。
彼らは、いわゆる学歴も世間的に見れば大変な物だ。
有名大学を卒業して、それぞれにまともな知的な思考能力に優れていると思われている人達である。
そういう人達であれば、中学程度の算数の学力は身につけているはずだろう。
原発の損得勘定は、単純に中学程度の算数の問題だ。
次の算数の問題を考えなさい。
P=原発を設立するためにかかる費用。
q=原発を維持するためにかかる費用。
r=原発を建てた地元の人間に対して支払う補償費(事故以前)
s=使用済み核燃料の処理費。
t=四十年稼働した後に、廃炉にするためにかかる費用(最低三十年かかる)
u=原発を稼働して得ることの出来る利益(電気料金)
としたときに、
u≧p+q+r+s+t・・・・(A)
が成り立つかどうか、考えなさい。
文章で言えば、原発を作ることによって得られる利益が、そのための諸々の費用を合わせた出費より大きくなるかどうか考えなさい、ということである。
この算数の問題の意味は誰にでも理解出来る物でしょう。
この6個の項目の中で、原発が利益になるのは、最後の1項目uだけである。
原発の採算が取れる為には、
uはp,q,r,s,tを合わせた物より大きくなければならない。
uが大きければ、原発は上手く行く。
uが小さければ、原発は採算が取れない。
ところが、
s=使用済み核燃料の処理費、は既に巨費を費やし、可能性のめどすら立っていない。
しかも、
t=四十年稼働した後に、廃炉にするためにかかる費用(最低三十年かかる)
を、考えたら、式(A)が成立することはあり得ないことが子供にも分かる。
(この廃炉にかかる年数が凄いね。四十年使った後、最低三十年経たないと、原発に使った土地は使い物にならない。使い物になると言ったって完全に安全な物になるかどうかも分からない。しかも、それにどれだけの費用がかかるのかまだはっきりしない。この1点を考えただけでも、原発は金の亡者達が祭り上げる邪神であることが分かる)
しかも、これは、原発に何事もなく、安全に運転されていてのことである。
一旦、今回のような事故が起こると、
p,q,r,s,tとは比較にならない巨額の《大損害の項目X》が加わる。
どのように考えても、
uである。
原発を作り、動かすことによって、経済的には大きな損失をこうむる。
原発が正常に動いているとき、その間には一瞬、uが大きく見えて、原発は具合がよいように経団連の受験秀才たちは思って、「ええわい、ええわい、具合がええわい」と喜ぶ。目先のことしか見えない人達である。
最初に原発を作った人達はすでに死んでしまった。
幸せな死だった。
p,q,rについても、実際は国民にとっては損失なのだか、それによって利益を得た人は少なくない。
しかし、その後に残された私たちは、s,tの重荷を負わされた。
私たちの世代はまだ良い。
次の世代の若い人達は、sとtを押しつけられるだけで、何の利益も得られないどころか、さらに最悪の、《大損害の項目X》が加わった。
最近の報告では、東電は、福島第一原発の処理のために10兆円を援助するように政府に要求している。
国家として途方もない大損失ではないか。
経団連は経済的な利益を第一に考える人々の集まりのはずだ。
経済を第一に考える人達が、どうして、長期的に絶対的に巨大な経済的損失を生み出す事が明らかな原発を今稼働させようというのか。
それどころか、新しい原発を作ろうとまでしている。
経団連の主だった人達の年齢を見ると、みんな六十代半ば過ぎである。
彼らは、自分の属している会社の社長とか会長である今の時期の自分の利益しか考えていないのではないか。
ルイ14世の愛人、マダム・ポンパドゥールは心ある人に「そんなに無駄使いをしているとフランスの経済が破綻してひどいことになりますよ」と忠告されたときに、「Après moi le deluge」(我が亡き後に洪水は来たれ。私が死んだ後に洪水が来るなら来たらいいわ)と言ったそうだ。
経団連も安倍晋三氏も、マダム・ポンパドゥールと同じ精神構造なのだろう。
自分たちさえ良ければよい。「後は野となれ山となれ」で知ったことではない。
そういう神経構造でなければ、いま、この時期に原発再稼働、原発新設など言えるはずがない。
日本の政治経済を動かす人達が、単純な算数の問題を考えられないのは、いや、敢えて考えようとしない姿は、日本だけでなく人類の悲劇である。
ど腐れである。
今年の最後に、もう少し明るい話を書きたかった。
しかし、今の日本の状況を真面目に考えれば考えるほど、途方もなく不吉な黒い影に包まれるような気がするのである。
2013年こそ、世界中に良いことがあって欲しい。







(付記)いずれ新しく書くつもりだが、「神州の泉」経由で知ったあるブログに例の森本アナ冤罪逮捕の原因となったらしい「NHKスペシャル」の書き起こしがあったので、その一部だけ転載しておく。非常に興味深い内容のようだが、まだ一部しか読んでいない。


(以下引用)



福島第一原発で起きた、メルトダウンの発端は
電源が失われ、通常の手段での冷却が、行えなくなったことにありました

実は20年前、原子力安全委員会では
全ての電源を失ったときの対策を、
規制に盛り込むことが。話し合われました

その場には、東京電力と関西電力の社員が出席していました

電力会社からは、「そのような対策を規制へ反映することは、行き過ぎだ」と、反対意見が出されます

すると、原子力安全員会は、電力会社に対し
今後も『30分程度』で問題ないという(中長時間のSBOを考えなくて良い)理由を作文してください」
と依頼したというのです

規制をしない理由づけを
規制される立場の電力会社に作らせるという
あってはならないなれ合いが、まかり通っていたのです

国会事故調
「(全電源喪失に関する)規制化は行われなかった」

結局、全ての電源が失われても、重大事故に至らないための規制は先送りされます

国会事故調の報告書は、こう、結んでいます

「もし、規制当局と事業者の双方が安全第一に徹し、必要な備えに怠り無きを期していれば、十分に「防ぎ得た」災害である」

森本健成 (NHKアナウンサー)
安全、安全と言っていたこの裏で、こんなことが行われていたのかと
こう、怒りを覚えた方も多いと思うんですが
あの、民間事故調の報告書でも、北澤さん、この規制の在り方については、ふれていますよね、問題視していますが

北澤宏一 (民間事故調委員長)
はい、そうですね
あの、日本では、空気を読む
そういう風土というようなものが
こう組織の中に、下手をすると、正義よりも組織の方が重要といった
そういった雰囲気を作っていた面があるかと思います

森本健成 (NHKアナウンサー)
空気を読むって、ふつうは、いいことに使いますけれども
そこがいけないわけですね

北澤宏一 (民間事故調委員長)
ふつうの社会ではいいんだけれども
こういう非常に危険な原子力を扱うようなそういう規制と
それから推進する側との間に、空気を読むようなそういう部分に
相手の都合を考えてやっていくようなことではいけない
ということがあったはずなんですね

あの、日本では、もうひとつ「安全神話」というものがあってですね
100%安全なものに、これ以上の安全はない
といったような自縄自縛状態になってしまって
「改善」と言い出すことが
規制側にも、もうそれ以上のことを言うっていう勇気がなかった
そういう面があったかと思います

森本健成 (NHKアナウンサー)
まあ、当然、非常に根深い問題ですが
このままでいいわけはありませんよね
とすると、いったい、どうすればいいのかっていうの
ぜひ、みなさんから、お聞きしたいんですが
黒川さん、例えば、その、海外との関係からいくと、どうなんでしょうか










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精神の独立宣言

「In deep」から転載。
何でも、近いうちに彗星が太陽系近く、あるいはそのど真ん中を通過するとかいう話があって、(このあたりはあまり興味が無いのでいい加減に読んだ)それが地球の生物の大量死をもたらすとか、コンピューター的なものがほとんど使用不可能になり、現代文明は危機的状況になるとかいう。
「2012年12月21日」のマヤ歴の終わりは(これも、実は本当はそこで終わってはいない証拠が見つかっているとも言う)地球の滅亡ではなく、新たな歴史の始まりであり、それは人類の意識の次元上昇が起こるということだ、という考えは私は気に入っており、このブログでも何度か書いてきた。
では、その「アセンション」後の世界はどうなるのか、ということは少し前に掲載した動画でも見てもらえばいいが、あれも個人それぞれの意見にすぎない。どうやら愛に満ちた世界へと進んでいきそうだが、本当に少しずつしか進まないのかもしれない。

で、昨日書いたように、少なくとも政治的には今年は大きな変化は無いのではないか(注:大事件はあるだろうが、それは「変化」とは限らない)と、易の卦などを根拠にして語ったわけだが、実は「地球環境の大変動」や「大自然災害」は今年もあるのではないかと思う。
と言うのは、地軸の傾きが大きく変化しているように思うからである。去年見た3月頃の日の出の位置と、今年の初日の出で見た日の出の位置が、山一つ分移動している。今年の3月までにこの位置が元に戻るとは考えにくいから、これは地軸の傾き(太陽に対する角度)が大きく変わったと考えられる。まあ、地学の知識は無いし、小中学校の理科はほとんど落第点だった男の考えだが、地球の太陽に対する角度が変われば、気候に大きな影響が出ても当然ではないだろうか。偏西風の進路の変化などは、その端的な現れだと思う。
まあ、そのあたりの考察は理系知識の豊富な人々にぜひやってほしいと思うが、ここ数年の異常気象の原因は地球温暖化などではなく、地軸の傾きの変化のためだ、という説を私はここに提出しておく。エヘン。(笑)

自然災害とは、実は「現在の人間の生活状態が新たな自然のフェイズ(相)に対し不適応であった」ということだと考えられる。
今の状態に対し、精神が眠っていた人々への自然の警告と考えてもいい。
これは社会のあらゆる面に演繹できるだろう。この「不適切な現状」に気づくことが精神の次元上昇だとも言える。

我々も、この虚偽に満ちた社会に対し、「精神の独立宣言」を出すべきかもしれない。





(以下引用)



いずれにしても、地球は新しい時代を迎える時期だと個人的には感じます。

そう感じる理由は「何もかも飽和している」と感じるからです。


限界。


もう発展するものも衰退するものもない。


今回は年の最初ということで、いろいろと抽象的なことも書きましたが、メディアの作り出した「2012年12月21日」という時がやっと終わり、私たちは本当の変革の時に足を踏み出した可能性があります。

再度書きますが、今までのの2、3年の自然災害などを見てもおわかりかと思いますが、今後の数年も確かに「過酷」が多いと思います。


しかし、私が先日の「あなたの中の宇宙が具現化すると思う2013年以降」という記事に、


ここから数年間くらいの環境の変動はそれくらい激しいと思います。私のようなヤワな人間が生き残れるような世界だとは思っていません。


と私自身のこととして書いたんですけど、知り合いの人からメールがあって、


むしろ生き残るのは一番弱いものでは? 今の文明が壊れるのに、今強い人が生き残れるはずない。


と書かれてありました。

「あー。そうかもなあ」などと思いました。

そういえば、年末飲んだ昔からの友人と、今年から「サバイバル・リサーチ・コミュニケーション・センター」を作ろうということにもなりまして、まあ、何をするかというと別に何もしないと思うんですけど、それでも、「生き残るため」ではなく「見るために」、サバイバル・リサーチをしていこうとは思っています。

25年くらい前に書いた演劇の脚本でしたか、私が言うセリフでしたが、


「オレは始まりを探しているんだ。終わりは・・・わかってる」


というのがありました。

その「始まり」というものがこの世には存在しない可能性があることを In Deep を書いている中で知ったりもしてきたわけですけれど、それなら「始まり」というのは「サイクルの生まれかわり」なのだと思います。

それを見るまで頑張ります。





精神の独立を宣言する


そういえば、最近の大晦日は事情でひとりで過ごすことが多くて、昨日もそうだったんですが、アイスランドの国民的な歌手ビョークの4、5年前の歌で「ディクレア・インディペンデンス」(独立宣言せよ)」という歌があり、それの「アルマゲドンバージョン」なんかを作っていました。

ちゃんとした、ディクレア・インディペンデンスのオリジナルのプロモーション・ビデオはDeclare Independenceにあります。



▲ 「ディクレア・インディペンデンス」のプロモーション・ビデオの中のビョーク。


「ディクレア・インディペンデンス」は下に訳詞も載せますが、比較的、政治的な意味を感じますが、私は「2013年からの精神の独立宣言」として、今年のテーマとしたいと思います。




Declare Independence / 訳詞

独立を宣言しなさい
奴らにやらさせるのではなく自分で

自分たちの価値観を作りなさい
自分たちの言語を守りなさい

植民地主義者たちはクソだ
彼らの保護など無視しろ

あの目隠しを切り裂き
奴らの目を見開かせなさい

旗を掲げトランペットを持ち
一番高い山の頂上へ行きなさい
そこに旗を揚げなさい

独立を宣言しなさい








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日本と世界の今年を占う

賀正。
って、なにが「正」なのか、世の中不正だらけなのに「正を賀す」のも何だかなあ、とは思うが、とにかく賀正。今年が、善良な人々にとってめでたい年になりますように。悪党どもにとってめでたくない年になりますように。
さて、あまり威勢のよくない書き出しになったのは、先ほど日本と世界の今年を易で占った結果が、あまり嬉しくないものだったからだ。まあ、霊力の無い私の占いだからどうということはない。毎度言うように、易などの占いは、思考を引き出す母胎の一つとして利用すればいいのである。信じるというよりは、そういう可能性がある、という「心の注意信号」として心の片隅にとどめて利用すればいい。

占ったのは三つ。「日本国民にとっての今年の運勢」「日本政界の今年の運勢」「世界の人々にとっての今年の運勢」の三つだ。後は、私個人の運勢も占ったが、それは秘密。

第一点「日本国民の運勢」は「艮為山」の3爻。卦の本文その他は読むのもうんざりだろうから省略して、私の解釈を書けば、「どつぼにはまって動けない」「上下相背いて苦難がある」ということである。これは具体的には、国民の意思にまったく反する政治が行われ、国民が苦しむことと考えられる。変爻(変卦)は「山地剥」で、これも不吉な卦である。すべてが剥がれ落ちる、つまり国民の困窮は極度に達するかもしれない。
第二点「日本政界の運勢」は「雷風恒」の初爻。私の解釈は、「現在の状態は基本的に変わらない」。具体的には自民党政権が参議院選でも勝つ、ということだろう。初爻の「浚うを恒とす。貞凶。よろしきところなし。」が暗示するのは、自民党政権が民主党政権の政策から(どぶ浚いのごとく)拙速にすべてを変えようとし、しかも頑迷頑固に妥協をつっぱねるために、多くの不幸が起こる、ということかと思う。変爻(変卦)は「雷天大壮」で、天に雷が轟くような大騒動が起きるか。(これはもちろん、私の解釈であり、「大壮」は「大いに壮んである」が基本の意味。雷はエネルギー、生命、騒ぎなどの象徴でもある。)
第三点「世界の人民の運勢」は、何と、これも「雷風恒」の初爻である。つまり、「変わらない」「凶」ということだ。このように連続してまったく同じ卦が出るのは珍しい。

いやはや、正月早々縁起でもないことを書いたが、まあ、私の易はお遊びだ。通常の思考では生じない要素を易の占示から取り入れ、思考を活性化させる、というのが、私が易をやる理由である。それに、「易経」の言葉の中には深い人生知が含まれているから、それを読むのも役に立つ。霊力のある人がやれば易で未来を予見できるかもしれないが、未来など分からないから夢も希望もあるし、自由意思の価値もあるのである。

ここからは私信だが、忠武飛龍さん、コメント有難うございます。私は自分のCM欄にどう書き込めばいいのかやり方も分からない馬鹿なので、ここでお礼しておきます。今後ともよろしく。







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年末年始に見る映画なら、これ!

今年最後の記事として、何を書くか迷ったが、年末に見るお勧めDVDでも書こう。
幾つも書いてもしょうがないから、一つだけ。それは、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」である。「アッパレ! 戦国大合戦」も正月向きでいいのだが、過去を振り返り、未来を考えるには、こちらが向いているか。
内容については、下の二つの記事を読めば、これがいかに傑作か分かるだろう。
感動したければ、気持ちよく泣きたければ、これである。しかも、見た後の爽快感が素晴らしい。まず、「クレヨンしんちゃん」やアニメ映画への偏見を忘れて、これを見ることだ。
ただし、家族と一緒に見たら、子供等の前で大の大人がぼろぼろ泣いて恥ずかしいのは覚悟することである。


引用記事の一つ目(マスター@ビジョン氏による)は映画公開当時に劇場で見た感想、二つ目(「気まぐれなブログ」管理人氏による)はDVD鑑賞の感想だ。





(以下引用)


★ ★ ★ ★ ★
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(原恵一)
脚本&絵コンテ:原恵一 演出&絵コンテ:水島努 音楽:荒川敏行&浜口史郎 主題歌:こばやしさちこ
作画監督:原勝徳&堤のりゆき&間々田益男 美術監督:古賀徹&清水としゆき 制作:シンエイ動画
声の出演:矢島晶子(しんちゃん) 藤原啓治(父 ひろし) ならはしみき(母 みさえ)
こおろぎさとみ(妹 ひまわり)| 津嘉山正種(ケン) 小林愛(チャコ)



傑作である。それも生半可な傑作ではない。一人の作家が一生に一本 作れるかどうかという類の作品だ。おそらく原恵一はこの映画のゼロ号試写において、キャリアの最高作を作ってしまった者のみが味わう恍惚と不安におののいたことだろう――そう、本作のなかでもリスペクトを捧げている「カリオストロの城」を作り上げた直後の宮崎駿のように。 ● 今回、原恵一は本気(マジ)である。ここまで「付き添いのお父さん」にターゲットを絞っちゃっていいのか!?…と心配になるほど、三十男の心に直球をズバンッと投げこんで来る。なにしろ本篇には映画版のレギュラーである「カラオケ好きの原作者・臼井儀人」も「グラビア・アイドルのゲストキャラ」も(なな、なんと!)オカマ・キャラすら出てこないのである。いや、もちろんこれは「クレヨンしんちゃん」なので、クッダラナイ脱力ギャグはテンコ盛りだし(キャラを真面目に振りすぎた前作の反省も踏まえて)しんちゃんは最後の最後の最後まで徹底して無責任でお馬鹿で快楽主義者な5才児であり続ける。ドラマに足をすくわれて「動画」としての魅力を損なうこともなく、中でもクライマックス・シーンの作画は(普段あんまり「上手い」と思わせない作風の)原恵一と水島努がアニメーターとしての底力を見せつける。変幻自在の“ザ・劇伴”を繰り出す荒川敏行&浜口史郎のスコアも素晴らしい。 ● これは「わたしたちが過ごしてきた20世紀」への心のこもった鎮魂歌であり「今、わたしたちが生きているこの21世紀」に向けての決意表明でもある。1960年代に生を受けた者は必見。このサイトを読んできて少しでもおれの目利きを信じてくれるなら観に行ってくれ頼むから。いや大丈夫、平日の夜ならガキもそんなに居ないって。
[以下、内容に触れています]本篇はいきなり太陽の塔のアップから始まる(=太陽の塔を知らない観客はこの時点で脱落) しんちゃん一家の住む埼玉県春日部市にテーマパーク「20世紀博」がオープン。父ちゃん母ちゃんは、な~つかしいなあ:)を連発して、人気アトラクション「バーチャル万博」に通いづめ(おおお、おれなんか万博のパビリオンの名前ぜ~んぶ言えるもんね←威張ってどーする) もう、親はニコニコ、子どもはイヤイヤ。そのうち大人たちは子どもに還って「21世紀博」から戻って来なくなる…。 ● これ、じつはマッシュルーム・カットのケンと、長い黒髪のアンニュイなチャコをリーダーとする秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の陰謀。そもそも「21世紀」とは「おれたちの輝ける未来」だったはずだ。手塚治虫が夢見た「未来」はこんな耐えがたい悪臭をはなつクソみたいな時代では断じてない。いま一度、自分たちの手に「輝かしい未来」を取り戻すため、おれたちは時計の針を20世紀へと戻すことを選択する。そう、おれたちの「黄金の20世紀」、…街に匂いがあった時代へ、だ・・・てなことを津嘉山正種の声で言われた日にゃあ、もうおれなんか涙を流して「そーだそーだぁ!」と同意しちゃうわけよ(どーせならチャコの声は池田“メーテル”昌子でお願いしたかったね) なにしろあーた、この人たちはテーマパークの地下に「昭和の町並み」の完全なレプリカを作っていて、その町はつねに夕焼けで、地面はまだアスファルトに覆われてなくて、何処からともなく豆腐屋のパ~プ~が聞こえてくるのだ。もちろんケンとチャコもその町の安アパート「昭和荘」の2階で同棲時代を送ってる。おおおお、おれも、おれも。おれも入れて。夕陽の町の住人にしてくれい!<完全に洗脳されてる。 ● というわけで春日部から、…いや、日本中から大人の姿が消えるという「ビューティフル・ドリーマー」な状況が現出し、がらんとした町に残された子どもたちはご飯を食べることすらままならない。幼稚園児がぽつりと呟く一言「“懐かしい”ってそんなにイイモノなのかなあ?」 やがて始まる子ども狩り。しんちゃんと幼稚園の級友たちで構成される かすかべ防衛隊の面々は、大人たちの目を覚ますべく「イエスタデイ・ワンスモア」に戦いを挑む。――最後の最後の最後の最後、しんのすけ はアクション仮面や ぶりぶりざえもん の手を借りず、自分ひとりの力で大人の前に立つ。わずかに残された力を振り絞るように吐き出す台詞。つまり「未来」っていったい「どういうこと」なのか。ぐはっ(←涙が堰を切った音)だめだ。もう両目は栓を抜いた風呂桶のよう。おれは今、この文章を泣きながら書いている<バカ。 ● ドラマを締めくくるのはよしだたくろうの名曲「今日までそして明日から」――♪わたしは今日まで生きてみました ときには誰かの力を借りて ときには誰かにしがみついて わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと♪ 1度でも「昔は良かった」と嘆息したことのある人はこれを観てよおく反省するよーに(特に>アントニオ猪木と新日本プロレス関係者)






2011年05月08日00:02
アニメレビュー
クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲 5拍手
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]



今回のアニメレビューは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」です。
キャッチコピーは『未来はオラが守るゾ』。
「昔は良かった」「思い出補正」「懐古」
というのがテーマになっていて、
大人が子供に戻りたいという願望を叶えてしまう、
「20世紀博」というテーマパークが作られた。
大人達に大好評。しかし子供達には不評。
この「20世紀博」にはある秘密が隠されていたのであった・・・(ネタバレ満載!)
あえて最初に言っておきますが、個人的にケン側寄りの人間です。
懐古ネタが大好きで、こういった世界があるのは良いものだと思います。
古きよき時代ですからね・・・
このブログの過去の記事を見ていただければわかりますが、
僕はかなりの懐古厨です。レトロ物好きです。まぁそれは置いといて・・・

実の所、僕はこの映画はリアルタイムでは見ませんでした。
今思うと映画館で観ておきたかったと後悔している作品の一つ。
後に友達がオススメだよ!というイチオシで観てみた作品です。
いやーマジで良い作品でした。

PTAの目の敵となっていたクレしんですが、
この作品からそういった方々から
映画だけは良いという意見もチラホラ出てきたらしいです。
初期は完全にみさえを呼び捨てで読んでたりするしんのすけは
たしかに親からして良いイメージはないかもしれませんがね。
でも映画だけはそうは言わせない、それがクレしんの凄い所。
批判をしていた当時しんのすけぐらいの子供の年齢がいる
大人が嫌々この映画を映画館に観に行った、そういった層にストライクなネタが多いんです。
とにかく大人向けとも言えるように内容が『深い』作品になってます。

僕自身、
『ホテル』 『ソープ』 『おとなのおも…』 や
『コンドームを風船ガムと勘違いして食べようとする』や
給食のおばちゃんに半殺しにされ『前が見えねぇ』などといった
初期時代をリアルタイムで観ていた層なのですが、
まさかこういった感動路線に進んでいく作品になるとは思いもしませんでした。
いやはや、当時のしんちゃんは口が悪く、母親を馬鹿にするシーンも多かった為、
ウチの親もあんまりこのアニメは見せたくないという感じでしたね。

まぁこの映画を観るまで僕だってしんちゃんはギャグアニメといったジャンルだと思ってたのですがね・・・
ギャグアニメがこういった感動路線をやるとは思いもしないでしょうから、
よりいっそう、感動したのでしょうね。

しかしながら前半の大人が勝手に街から消えていく、
そして電気も消えて真っ暗になるなんて
子供向けにしては怖い雰囲気が漂っていますよね。
(元々しんちゃんって大人向けの作品ですがね、特に初期の原作は)
でも、その後にバス乗っ取って、逃げ出すシーンは楽しいですけどね。
しんちゃんが車におしっこかけたりねw
________________________________________
ではではこの辺で、このオトナ帝国をレビューしている
どこのブログ、サイトでも話題になってる
ひろしの回想シーン
について書いてきます。

学生の人にはあまり意味がわからないと思いますが、
社会人になって壁にぶつかった時、またこの映画を見返すと
当時と100%見方が変わります。
というよりもひろしの回想シーンは自分と照らし合わす部分が多すぎるんですよ・・・
学生時代の「父親の偉大さ」「恋愛・失恋」
社会人になって「上京」「就職」「挫折」などなど・・・
あんなシーン、振り返ったら自分だって泣いちまうわ・・・
もちろん全部一緒なわけではないですが、部分部分本当同じように感じでしまうところがあるんですよ・・・

何故ひろしが汗水流して、仕事をするのか?
何故電車で居眠りするほど疲れているのに仕事をするのか?
それは待っている家族がいるからなんです。
そしてよくアニメ上でネタにされてる足の臭さは汗水流して働いてるという象徴なんですよね・・・
僕は最後のひろしが子供の頃、父親に(秋田のじいちゃん)されていたことを
大人になって自分の子供(しんちゃん)にしているので、やられてしまいました・・・
当たり前な日常なんですけど、これがどれだけ大変か・・・大人になればわかる部分ですが。

しんちゃん「父ちゃん、オラがわかる?」
ひろし「あぁ…あぁ…」
というシーンでのひろしのセリフで終わるこの場面・・・
感情がこもっていて何回見ても・・・この場面では泣いてしまいそうになってしまいます・・・
ひろしの回想シーンは観ている人それぞれ感想は変わると思いますが、
『深い』、そして『メッセージ性が強い』と思えるシーンだと思います。


そしてもう一つの目玉シーンは
しんちゃんが階段を必死に駆け上がるシーン
について書いてきます。

においを止める為、未来を守る為野原一家は階段を駆け上がるのですが、
次々に邪魔が入って全てをしんちゃんに託すことに。
血だらけでも頑張って走っていくシーン。そしてBGM…
少しずつ盛り上がっていくBGMと映像とのシンクロが最高に合っていて
今でもBGMを聴けばすぐあのシーンが頭に浮かびます。
これは画面の向こうで観ている人も思わず「がんばれ!!」って言いたくなります。
実際にこの映画では戦闘シーン的な場面は無いです。



ちなみに僕はあのテーマパークが90年代を軸にしていたら
間違いなく洗脳されます。もう住んじゃうだろうなぁ。
え?その時代だとネットやパソコンが普及じゃないかって?
いや、あの時代の雰囲気が完全に再現されていれば
もうパソコン、ネット環境はいりません。
うん、ぶっちゃけそういった環境を再現できるならブログもいらないわ!
あの頃はネットとかが無くてもいろんなことが充実していた。
今じゃもう・・・仕事仕事ばかりでなんだかなぁ・・・


しんちゃんは「オラ大人になりたいから!!!」と言いますが、
たしかに子供の頃はそういった気持ちはありました。
でも

大 人 に な る と

子 供 に 戻 り た く な り ま す。

え、自分ですか?しんちゃんぐらいの年齢から人生やり直したいです・・・orz
とっくの昔に「埼玉紅さそり隊」や「ななこおねいさん」などといった年齢を超えてしまった・・・
よしなが先生やまつざか先生ぐらいの年齢に気が付けばなってしまったぜ・・・
時代の流れって恐ろしい・・・

最後の締めもすっきりして良かったです。
「ただいま~」
ヒロシとみさえがそう言って家に入ります。
「お帰り、父ちゃん、母ちゃん」
と最後にしんちゃんが言って終わる。いつもの野原家に戻って終わる。
やっぱりこうじゃないと!

ここまで感動できる作品もあまりないと思います。
しかもこの作品は誰も人が死ぬということでもありません。
そういった別のメッセージ性で感動してしまいます・・・
この作品で感動できたらもう貴方もオトナ(大人)でしょうね・・


クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(Wikipedia)


例のBGMをピアノで弾いた動画がありました。ぜひとも見て頂きたいです。



________________________________________
この作品で印象に残ったセリフベスト3
第3位
「懐かしいってそんなにいいことなのかなぁ」
物語序盤で風間君が言った一言。
これは本当に大人になってみないとわからない部分とも言える、懐かしいという部分。
しんちゃん達はもちろん、頭の良い風間くんでもこれはわからないこと。
このことについては絶対に理解できないでしょうね。時が答えを見つけてくれます。


第2位
「今の日本に溢れているのは、汚い金と燃えないゴミぐらいだ」
ケンがチャコに対して言ったセリフ。
当時も汚い金と燃えないゴミはあったものの、
2011年現在、本当にどんどんそういったものが増えてきたものと思う。
本当の意味でケンのセリフに共感できると思った人も少なくはないのでは?
特に汚い金は・・・(以下略)


第1位
「また、家族に邪魔された・・・」
物語の終盤でチャコと一緒に飛び降り自殺をしようとした時に
屋上に巣を作っていた鳩の親子に邪魔されたときのケンの一言。
自殺しようとする時にしんのすけが「ずるいゾ!!!」も印象深いのですが、
ケンのその後の一言に鳥肌が立ったのでそちらをピックアップ。

皮肉めいた一言ですが、ケンにとっては本心では「救われた」という感情もあると思われる部分。
しんのすけのバンバンジージャンプをオラにもやらせろというセリフにも
受け答えを少し笑いながら「あぁ」という部分も感情がこもっていて好きです。
そして、その「あぁ」というセリフが彼の映画でラストのセリフとなります。

映画の立場上、悪役なのにも関わらず印象に残るものセリフが多かったです。
ひとつひとつ正論部分もあったりと、僕自身あんまりケンが悪い人には思えないんですよね・・・
(まぁ子供狩りの場面はあんまりよろしくないですが)


番外編
「ハハハ!ボクのバスー!」
組長こと園長先生が幼稚園のバスの上に立ったときに言ったセリフ。
この後看板に吹っ飛び、組長先生退場。(よく死ななかったね!)
しかし何故か組長先生、この映画ではメガネがずっと光ってます。コナン状態!
________________________________________
最終的に
過去ばかり見ている人を否定してしまう作品になってしまいました。
結局は未来に生きていけ。踏み出せ。という
メッセージ性のある作品なのではないでしょうか?
最初に書いたとおり、個人的にはケン側の気持ちの方が共感できてしまうのですよね。
でも実際にTVの前で必死に子供が未来を手に入れるために
血だらけで走っていたら未来に生きていきたくなるかもしれませんね・・・



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日本政府の取るべき基本政策3点

年末だし、易で来年の日本の運勢でも占おうかな、と思うのだが、私より霊力のありそうな人がすでに占っているので、私は「今年の運勢」として、明日にでもやろうかな、と思う。ちなみに、その方の出した卦は「乾為天」だという。全陽の卦であり、力に満ちた卦だから、物事が大きく進展していくのではないだろうか。ただし、それが良い方向とは限らない。

さて、下の記事は「賀茂川耕助のブログ」からの転載である。言うまでもなく、賀茂川耕助はビル・トッテンの日本名だ。彼は真の意味での「日本の友人」であり、日本の進むべき道についてこれまで変わらずに的確なアドバイスをしてきた。もしかしたら、日本に帰化したのかもしれない。ならば、最良の愛国者である。
自民党が選挙であれだけの数を取ったことはもはや動かせないのだから、後は国民がいかにして自民党政治を監視し、それを制御していくかだ。政府が国民を制御するのと同様に、国民も政府を制御するのが民主主義である。

下の記事の意見のうち日銀国有化は、一般論的には困難すぎるように見え、残る2点、困窮層に金を配分すること、エネルギー政策を抑制主義に転換することは可能に見える。
だが、実際には安倍自民党は経済界と同盟関係にあり、富裕層優遇政策、原発促進政策を取ることはほぼ確実である。逆に、日銀国有化の方が案外実現する、という奇想天外なことが起こるかもしれない。
まあ、自民党政権下ではこの3点とも実現しない、というのが残念ながら一番可能性は高いが、どの政権であれ、この3点が今後実現すべき大事な政策だ、というのは確かだから、ここに転載したわけである。




(以下引用)



私が来る数カ月、自民党に期待することは次のようなことだ。

まず日銀を国有化し、日本政府がこれまで発行した国債を日銀に買い取らせる。これは日本政府が日本の貨幣を創造するという特権を民間銀行から取り戻すのに等しい。さらに、民間銀行が預金という裏付けのあるお金以上を貸し出すことを政府が禁じれば、民間銀行から部分準備制度という悪しき特権を剥奪することもできる。

次にいかなる景気浮揚策を打っても、すでにモノがあふれている日本社会で消費は大きく長期的に増えないということに気づくべきだ。経済を活性化させたければ、賢明な公共投資を増やすこと、そして日本の低所得者層がもっと消費ができるようにすることだ。公共投資といっても不要な道路や橋を造るのではなく、求職中の失業者を政府が雇用し、日本国民の生活を向上するプロジェクトにつかせる。食料自給率向上のために、小規模有機栽培農業が最もそれにふさわしいと私は考える。失業者の所得が増えれば、その分だけ必ず消費も増えるだろう。なぜなら所得が低いほど、収入のほとんどが衣食住の消費に回るからだ。

さらに、エネルギー消費を抑える施策を行う。日本はほとんどのエネルギー資源を輸入しており、真に独立国として振る舞うためにはエネルギー自給率を上げなければ不可能である。そしてあわせて電力会社が脱原発をしても経営が破綻しないような法制度を整備するのだ。また消費税増税の撤回、TPP不参加など、このほかにも民主党がとってきた政策と逆の政策を自民党がとることを私は強く期待する。




(追加) きのこ姐御の「建築云々」ブログより転載。(長いブログ名は覚えきれません)
丸山、じゃなかった、三輪明宏の茂木大臣への啖呵である。さすがに、思うことはずばずば言う芸能界の「荒れ野の魔女」(だったかな)である。(「ハウルの動く城」参照)他の政治評論家がだらしないだけに、こうした正論がテレビ画面に流れるのは貴重だ。
紅白も頑張れ! お年だが、歌詞の度忘れなどするなよ。
私は今年の紅白は彼の登場場面だけ見るつもりである。もともと「ヨイトマケの歌」は昭和の名曲だと評価してきたのだから。


(以下引用)


今回「何故、神様は政権を自民党に戻したのか?」と思ったら、
「後片付けをしなさい」ということよね。
半世紀以上かかって、とにかくこの借金だらけ、メチャクチャにしちゃって、
この原発もそうですわね。
ぜーんぶ自民党時代の産物をたった3~4年で尻拭いしろったって無理な話よ。

自分のお尻は自分で、とにかく拭きなさいよ。
後始末は自分たちでしなさいよということで政権が戻ってきたんだと思うんですよね。
だから今の弊害はたった2~3年のね、民主党がやったわけじゃなくて、
その前の政権が全部、全部積もり積もったものでしょ?

潔さなんですよ。
まず、言い逃れだとかね、詭弁で人のせいにばかりしていて、
民主党のせい、あれのせい、
民主党がつくったわけじゃないじゃないですか、原発なんて。

いや、だからね、
民主党、民主党ってね、全部民主党のせいにしようとしてるじゃない。
それが、こ狡くてね、本当に卑怯未練ですよ。

「全部自分たちが悪うございました」と一言えばいいんですよ、そう。

http://cocologsatoko.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/1228-e254.html#more










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ハンナ、聞こえるかい

28日の「地球の鉄の時代は終わりブロンズの時代に向かうか?」に載せた動画を昨日は全部見たが、なかなか面白かった。
もちろん、私は英語の聞き取りは苦手なので(書くのはまったく駄目で、読解は一応中卒レベル)理解できたのはたぶん3割から4割程度だと思うが、理解できた範囲でも十分に面白い。英語の得意な人はもちろん、得意でない人もご覧になることをお勧めする。音声は全部英語だが、下に英語字幕が出るので、気になる部分はストップにして字幕を確認するというのもいいだろう。
何人かのスピリチュアル系の人物かと思われる人々が交互に語る合間にさまざまな映像が流れる形式だが、その複数の人物の語りが、まるで一人の人間が語るかのように自然に流れて、心地よいのである。映像も音楽も気持ちがいいから、ヒーリング効果もありそうだ。
私は自分がスピリチュアル系だとはまったく思っていなかったのだが、これを見ると、私とよく似た考えだ、と感じるところが多い。
たとえば、「我々は大きな海の水滴の一つ一つのようなものであり、いわば同一の存在なのだ」という考えは、ネットを通じて同じ考えが共有され、やがて世界は止揚されていく、という私の考えに近い。自我やオリジナリティ、我欲を私が否定的に見ていることは何度か書いてきたはずだ。
この動画の中でも印象に残ったのは、デビッド・アイクの、「すべては選択の問題である。愛を選ぶか、恐怖を選ぶかの」という趣旨の言葉である。
私はこれまで愛という言葉がどちらかと言えば嫌いであった。それは、男女の間では性欲の偽装であり、またあらゆるジャンルの大衆芸術の中で商業的に利用され汚れ切った言葉だ、と思っていたからである。もちろん、スピリチュアル系の人々がやたらに愛という言葉を言うのも気に入らなかった。むしろいかがわしさを感じていたのである。
しかし、我々がそれぞれ大海の水の一滴であるならば、愛はむしろ自然なことである。愛は引力であり、恐怖は斥力だ。水滴と水滴の間には引力しかなく、斥力は無い。
我々は恐怖によって支配されてきた。
恐怖すべきは恐怖そのものであり、それを乗り越えれば、恐怖の支配者のみじめでちっぽけな真の姿が見えるかもしれない。そして、恐怖に満ちた世界より、愛に満ちた世界に生きるほうが幸福であることは言うまでもない。

チャップリンの『独裁者』の最後は、ハンナという恋人に呼びかける愛の言葉であった。
その『独裁者』のラストシーンでのチャップリンの「人類史上最高に感動的な演説」をここに引用しておく。どこのサイトから採ったか失念したが、そのサイトの管理者による訳文も付けておく。




(以下引用)



人類史上最も感動的なスピーチ
JUGEMテーマ:反戦・非戦




I'm sorry but I don't want to be an emperor.
That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible; Jew, Gentile, black men, white.
We all want to help one another.
Human beings are like that.
We want to live by each others' happiness, not by each other's misery.
We don't want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone.
And the good earth is rich and can provide for everyone.
The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way.

Greed has poisoned men's souls; has barricaded the world with hate; has goose-stepped us into misery and bloodshed.
We have developed speed, but we have shut ourselves in.
Machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical; our cleverness, hard and unkind.
We think too much and feel too little.
More than machinery we need humanity.
More than cleverness, we need kindness and gentleness.
Without these qualities, life will be violent and all will be lost.
The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in man; cries out for universal brotherhood; for the unity of us all.

Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women, and little children, victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say "Do not despair."
The misery that is now upon us is but the passing of greed, the bitterness of men who fear the way of human progress.
The hate of men will pass, and dictators die, and the power they took from the people will return to the people.
And so long as men die, liberty will never perish.

Soldiers!
Don't give yourselves to brutes, men who despise you and enslave you; who regiment your lives, tell you what to do, what to think and what to feel!
Who drill you, diet you, treat you like cattle, use you as cannon fodder!
Don't give yourselves to these unnatural men---machine men with machine minds and machine hearts!
You are not machines!
You are not cattle!
You are men!
You have a love of humanity in your hearts!
You don't hate!
Only the unloved hate; the unloved and the unnatural.

Soldiers!
Don't fight for slavery!
Fight for liberty!
In the seventeenth chapter of St. Luke, it’s written “the kingdom of God is within man”, not one man nor a group of men, but in all men!
In you!
You, the people, have the power, the power to create machines, the power to create happiness!
You, the people, have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.
Then in the name of democracy, let us use that power.

Let us all unite.
Let us fight for a new world, a decent world that will give men a chance to work, that will give youth a future and old age a security.
By the promise of these things, brutes have risen to power.
But they lie!
They do not fulfill their promise.
They never will!
Dictators free themselves but they enslave the people!
Now let us fight to fulfill that promise!
Let us fight to free the world!
To do away with national barriers!
To do away with greed, with hate and intolerance!
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness.
Soldiers, in the name of democracy, let us all unite!

Hanna, can you hear me?
Wherever you are, look up Hanna!
The clouds are lifting!
The sun is breaking through!
We are coming out of the darkness into the light!
We are coming into a new world; a kind new world, where men will rise above their hate, their greed, and brutality.
Look up, Hanna!
The soul of man has been given wings and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow.
Into the light of hope!
Into the future!
The glorious future!
That belongs to you, to me, and to all of us.
Look up, Hanna!
Look up!

≪和訳≫

私は皇帝になんかなりたくない。
そんなことは私のやりたいことではない。
私は人を支配したり征服したりするのは嫌いだ。
できれば人の手助けになりたい。
ユダヤ人であれ、キリスト教徒であれ、黒人であれ、白人であれ。
みんなお互い助け合いたい。
人間とはそういうものだ。
人の不幸によってではなく幸せによって生き たい。
お互い軽蔑したり憎しみあったりしたくない。
この世界はみんなのものだ。
地球はすべての人に豊かさを与える。
人生は本来自由で美しい。
しかし、われわれは道を誤った。

貪欲が人の心を蝕んだ。
憎悪が世界を遮断した。
人を機械人間にして悲惨な戦争と流血に巻き込む。
生活は効率的になったが、みな殻に閉じこもってしまった。
豊かさを与えるはずの機械は欠乏を生み出した。
知識は人を皮肉屋にしてしまった。
賢さは堅苦しい不親切を生み出した。
人は考えるばかりで、感じることをやめ てしまった。
われわれには機械よりも人間性が大切だ。
賢さよりも親切心や優しさが必要だ。
これがなければ人生は暴力に満ち溢れ、すべてが失われる。
飛行機やラジオのおかげでお互い身近になった。
これらの発明はまさに人間性を求めている。
普遍的な兄弟愛、そしてみんなが一体となることを求めている。

私の声は今でも世界中の人たちに届いている。
数百万の絶望した男性、女性、子供たち、そして人を苦しめ無辜の人たちを投獄する社会の犠牲者たちが聞いている。
私の声が聞こえる人たちに言う、「絶望してはいけない。」
今降りかかっている不幸は一時的な貪欲と、人間の進歩を恐れる人たちの恨みによるものである。
人間の憎悪は永遠ではない。
独裁者は必ず死ぬ。
そして人民から奪った権力は人民に返される。
人間が死を免れない以上自由が滅びることは決してない。

兵士よ!
野蛮人に身をゆだねてはならない。
彼らは君たちを軽蔑し、奴隷にし、統制し、ああせよ、こうせよと命令して考え方も感じ方も鋳型にはめてしまう。
君たちは猛訓練にあけくれ、減食させられ、牛馬のごとく扱われ、間に合わせの人間にされてしまう。
このような非人間を信じてはならない。
機械の心を持った機械人間は信用できない。
君たちは機械ではない。
家畜でもない。
人間だ!
君たちの心は人間性を求めている。
憎悪することではない。
憎悪するのは愛をなくした人間だけだ。
愛をなくした者と非人間だけが憎悪するのだ。

兵士よ!
奴隷になるために戦ってはならない。
自由のために戦おう。
ルカ書十七章にこうある、「神の王国は人の心の中にある。」
人の心とはみんなのことである。
君のことである。
君たち民衆こそが権力を持っているのである。
機械を作る権力。
そして、幸せを作る権力を。
君たち民衆こそがこの世を自由に美しくする力、この人生をすばらしい冒険にする力を持っているのだ。
今こそ民主主義の名においてその力を行使しようではないか。

みんなで団結しよう。
新しい世界を作るために戦おう。
人に労働のチャンスを与え、若者に未来を与え、老人に安全を与えるまともな世界を作るために。
独裁者はこういう約束をしながら権力を握った。
しかし、彼らはうそつきだ。
約束を守らない。
絶対に守らない。
独裁者は自分自身を自由にするが民衆を奴隷にしてしまう。
さあ、約束を果たすために立ち上がろう。
世界を開放するために立ち上がろう。
国家間の壁を打ち破るために。
さらば、欲と憎悪と非寛容!
科学と進歩がすべての人を幸せに導く理性の世界を作るために立ち上がろう。
兵士よ!団結しよう!民主主義の名の下に!

ハンナ、聞こえるかい。
どこにいてもいい、空を見上げるんだ、ハンナ!
雲が晴れていくのが見えるだろう?
太陽が輝き始めた。
われわれはようやく闇から抜け出し光の中にいる。
新しい世界に入ったのだ。
人間が憎悪、貪欲、残忍を克服した優しい新世界に。
見上げてごらん、ハンナ!
人間の魂が翼を持ち飛び立とうとしているんだ。
ほら、虹の中に飛んでいく。
希望の光の中に!未来の中に!
この輝かしい未来は君のものだ。
私のものだ。
そして、みんなのものだ。
いいかい、ハンナ、見上げるんだ。













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栄光と慈悲

井口博士のブログに実に美しい話が載っていたので、紹介する。
記事の最後に書かれた記念碑のプレートには、「彼は栄光の呼び声ではなく、慈悲の声に耳を傾けた」というような趣旨が書かれていて、これも涙ものである。(正確には「He heard the low voice of mercy, not the loud acclaim of glory.」=「彼は慈悲の低い声に耳を傾けた。栄光の大きな喝采にではなく」)

最後のゴールを前にして愛馬から降りた城戸少佐の姿は神々しい。
これを、私は「神は人間の内部にある」と言うのである。





(以下引用)




全米が涙した武士道精神 麒麟 川島

1932年、80年前の話である。アメリカ、ロサンゼルスでオリンピックが行われた。

そのロサンゼルスオリンピックに馬術で出場した城戸俊三という選手がいた。馬術は今とルールが全く異なっていた。競技はレース形式で行われ、山や谷、障害物を置いた22マイル(35km)の距離を走り、先着順に順位が決まるというものであった。

※愛馬 久軍号と城戸俊三少佐。



※:城戸俊三氏。陸軍騎兵隊の少佐であった。



この時、城戸が連れて行った愛馬は久軍号。19歳の馬である。馬の年を人間に換算するには5~6倍する。久軍は人間でいえば100歳近い高齢であった。当時は空輸もできないので船で太平洋を渡り、ロスアンゼルスに行った。

レースが始まり下馬評では、アメリカに到着しただけでも奇跡だと言って笑われていた。しかし、スタートしたら久軍は後続を引き離してぶっちぎりの1位であった。途中で失速することもなく、最後の障害を残すのみとなった城戸と久軍。

ところが、ここで久軍の体力が限界を迎える。全身から汗を吹きだし、息も絶え絶えになってしまった。もう気力だけで走っている状態になった。ゴール間近で観客は大声援を送っているが、城戸だけは久軍の状態を把握していた。

最後の障害をジャンプしたらゴール後に久軍が死んでしまうだろうことが城戸にはわかった。日本代表として国家を背負って出場している責任と、愛馬のどちらをとるか城戸は迷ったが、次の瞬間、馬から降りた。

疑問に思う審査員と観客。久軍は横に立った城戸に頭をうずめて何度もお辞儀をし、謝っているように見えた。その光景を見て、観客は馬を守るために城戸がリタイアした情況を理解した。棄権なので、城戸はメダルをもらうことなく日本に帰国した。

その2年後、1934年にアメリカ人道協会がロスアンゼルス郊外のリバーサイド郡にあるルビドー山の友情の橋付近に、城戸を讃える記念碑を建立した。

そこには「情けは武士の道」と日本語の縦書きで書かれている。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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