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自動車文化の見直しの時期か

「阿修羅」記事からコメント付きで転載。


「外国から見て日本の自動車所有にかかる費用の異常な高さは、まるで「自動車を持つな」と言われるのと同じである。上の記事でも、マンションの月額駐車場代は2万円もかかるとか。休みの日に自動車に乗って買い物に行ったりしても、行った先々で駐車料金を取られる。高速道路を走れば通行料金を取られるし、燃料費や保険料、税金など含めれば、日本など世界屈指のボッタクリ国家である。」

というコメントに問題の根本原因が示されている。
つまり、日本国民貧民化に対する庶民の生活防衛がどんどん進行しているということである。もともとマンションという存在そのものが割りに合わないものだと私は思うが、狭小な日本の国土、特に都会では仕方がない住居様式だった。だが、それに車や駐車場の維持費まで加わるとなると、車を持つことを止めたほうが現在は賢い暮らし方だと言える。都会では公共交通機関がほぼ万全に整備されているから、不便は無い。どうしても車での移動が必要な時はレンタカーを使えばいい。つまり、日本の自動車産業は、内需はこれからはどんどん低下していく、と見るべきだろう。これも安倍経済政策(円安政策・格差拡大政策)の当然の帰結である。経団連の中心企業である自動車産業は、安倍政権を後押しして、自分たちの首を絞めたわけである。では、外国に市場を求めるか。まあ、お手並み拝見だ。
それはともかく、「一家に一台」あるいは「一家に数台」が当たり前だったことが異常だったとも言える。自動車のような高額商品は富豪だけに許された贅沢であった昔に戻るだけのことだ。もっとも、数十万円程度の格安自動車が普及し、ガソリン代が低下し、保険や車検費用なども時代に合わせて低下していけば、話は別。案外、そういう中から新しい自動車文化も出てくるのではないか。そもそも、毎日の通勤程度なら、軽自動車どころかカートで十分である。見栄を張るためだけの大型高級自動車など、むしろ公共スペースの無駄使いであり、迷惑な存在だ。



(以下引用)



都心マンションで深刻化 駐車場ガラガラで住民負担アップ(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/14/hasan89/msg/829.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 8 月 20 日 08:25:05: igsppGRN/E9PQ

           写真はイメージ/(C)日刊ゲンダイ


都心マンションで深刻化 駐車場ガラガラで住民負担アップ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/152696
2014年8月20日 日刊ゲンダイ


 今、都心のマンションを中心に深刻な事態が進行している。「値崩れが激しい」とか「入居者がいない」という話ではない。若者はもとよりシニア層のクルマ離れが進み、駐車場がガラガラ。見込んでいた駐車場収入が激減しているのだ。これは「修繕積立金」や「管理費」会計の収入減に直結する。このままでは…。


 まずは大田区内のマンションで管理組合の理事をしているKさんの話を聞いてみよう。


「ウチのマンションは現在50台分の駐車場が空いています。80年代に建てられたマンションで入居は約300戸。もともとは100台分の駐車場しかなかったのですが、バブル期に拡張したんです。マイカーは一家に1台が当たり前の時代で、<100台じゃ少ない>ということになって駐車場を立体式にして、300台分に建て替えたんです。ところが、10年ほど前から徐々にクルマを持つ人が減り始め、いまや50台分がガラガラの状況です」


 Kさんのマンションの駐車場料金は月額2万円。収入は「管理費」に入る規約になっていて、初めから予算に組み込まれている。50台分の収入が減ると、それだけで月に100万円、年間1200万円の減収。10年だと1億2000万円。いずれは大規模修繕が必要になったとき、住民負担などの形で影響が出るのは避けられない。


 Kさんのマンションはまだマシな方だ。港区や中央区など都心になればなるほど、マンション駐車場の“空き率”は高くなっている。


「都内の移動なら地下鉄で十分ですし、たまの遠出も今やレンタカーもあるしカーシェアという方法だってある。わざわざバカ高い駐車料金や税金を負担する必要はない。そう考える高齢者や若い夫婦は多いですよ」(Kさん)


■売るに売れずスラム化


 こんな事態になったのは物件を売り出したディベロッパー側にも責任はあるという意見も出てきた。管理組合経験者のM氏が言う。


「もともとマンションには『積立金』と『管理費』という2つの財布があり、本来なら駐車場料金は“臨時収入”として積立金に入れるべきなのです。ところが、毎月の管理費を少しでも安く見せたいディベロッパーは駐車料金も当然入るものとして『管理費』に計上してしまう場合がある。これが諸悪の根源です」


 管理費の収入が減るとKさんのマンションのように“管理費アップ”の可能性が出てくる。積立金勘定にしても将来の備えが貯まらないわけで、大規模修繕などに住民の負担が増えるのは目に見えているのだ。


「駐車場を利用している住民とクルマを手放してしまった人の間で感情のシコリができてトラブルが発生しています。収入が減った分、補填として<マンション外の人に貸そう>という意見も出ている。しかし、これも問題で<見知らぬ人の出入りは嫌><営業車だった場合、出入りがウルサい>などと言って侃々諤々。このままいくと『駐車場ガラガラマンション』は売るにも売れずスラム化する危険があります」(前出のM氏)


 打つ手はあるのか。


「自転車置き場やトランクルームにする手もありますが、収入はタカが知れてます。平置き駐車場の場合は何かの足しにはなりますが、問題は立体の機械式駐車場。金は入らないにもかかわらず、ベラボーな保守点検費用がかかる。残念ながら『廃止』を考えるしかないでしょうね」(マンション管理士の松本洋氏)


 それはそれで、金銭的負担は大きそう。不安は増すばかりだ。


 




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コメント
 
01. 2014年8月20日 17:48:05 : bH2JxVDleU
もう車を手放そう。経費が掛かりすぎる。ガソリンは異常な高さ。車はばか高く、なぜか企業優先でエコカーだけを優遇する。バカな政策が招いた車不況。高速料金高く、何のメリットもない。ガソリンスタンドの閉鎖も激しい。電車で行こう。それがこの不景気を乗り切る方法だ。

02. 2014年8月20日 19:00:55 : 3EMgCxnjJI
必要ないから持たないのであって、必要な状態にしてやればよい。例えば地下鉄を廃止するとか。便利に環境を整えれば、不便の解決が前提となる個人移動用の道具が売れなくなるのは当たり前ではないか。

03. 2014年8月20日 22:59:04 : AQLSPLIkCw
外国から見て日本の自動車所有にかかる費用の異常な高さは、まるで「自動車を持つな」と言われるのと同じである。上の記事でも、マンションの月額駐車場代は2万円もかかるとか。休みの日に自動車に乗って買い物に行ったりしても、行った先々で駐車料金を取られる。高速道路を走れば通行料金を取られるし、燃料費や保険料、税金など含めれば、日本など世界屈指のボッタクリ国家である。

それから上の写真を見て、駐車場の一台あたりの面積の狭さが酷い。狭い駐車場で一台でも多く停めようと、区画を狭くしている。これでは接触事故が絶えない。こちらの大雑把なオージーだったら、あっという間にポンコツになってしまう。もしくは、駐車場に入れる勇気がないか。日本独自の5ナンバー規格に合わせて区画を取っているのだろう。全幅1.7メートルの自動車で、ドアを開けるのがやっとだ。ところが最近は、世界的に衝突安全設計が取られるようになり、自動車の全幅はますます肥大化。こちらで人気のマツダ6(日本名アテンザ)は、全幅1.8メートルですよ。これでは入れないし、出られないだろう。


だったら軽自動車に乗ったらいいんじゃないかと思うが、都会の人は軽自動車に乗らないからね。都会でも、どうしても自動車が必要な人もいるだろう。月2万円の駐車場代がかかっても必要な人もいるだろう。ところが、馬鹿にされると思っているのか、都会のマンション住民は軽自動車に乗りたがりません。ここが何とかならなかったら、都会のマンションの駐車場はどんどん空車率が上がっていくと思います。


04. 2014年8月20日 23:14:25 : GdQOkPTV4w
世界で人口を強制的に、急激に減らすアジェンダは間違いなく進められている。
日本でももちろん、小泉や竹中がマスコミを相手に、そうしたアジェンダの存在
を機会あるごとに、口にしている。
消費増税で内需が壊滅的になることは、人口削減プロジェクトを進める支配層は
承知しているから、戦争や武器や原発で利益を生み出すべく、企業形態を急速に
転換している。
支配層からしてみたら、消費しない、購入しない、所有しない、そうした庶民の
抵抗というか対処は想定内、結局従順なる家畜という概念からは少しもはみ出し
てはいない。

05. 2014年8月20日 23:29:45 : pAfV51HIyo
路上駐車防止のため大規模住宅建設の場合、自治体や警察に駐車場の設置を要求されるんじゃないか しかし、公共交通機関の発達している都会に駐車場がどの程度必要なのか?

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北朝鮮・中国のアフリカ進出とエボラ出血熱

「in deep」から部分転載。
長い記事なので一部だけ転載する。ここにも二つのポイントがあって、最初は北朝鮮がアフリカを自国のための食料生産基地にしようとする試みの話、二つ目はエボラ出血熱の話である。どちらもアフリカに関連してはいるが、本来は別々の話題だ。だが、アフリカがエボラ出血熱の温床となれば、アジア各国(特に北朝鮮と中国)のアフリカへの進出や投資は瓦解する可能性もあり、仮にエボラ出血熱がアメリカによって作られた生物兵器だとすれば、それがなぜアフリカで広められているかという「犯行動機」の一つを示唆しているのではないか。まあ、今のところはただの陰謀論にすぎないが、疫病パンデミックに無駄騒ぎするのも、対岸の火事視するのもあまり理性的態度ではないだろう。まずは、「なぜそれが起こったか」を考えてみる、というのは大事なことだと思う。つまり、「連続殺人事件」があるならば、「犯人」を逮捕すれば今後の被害者の出現は防げるだろう、ということだ。もっとも、その犯人がユダヤ=アングロサクソンの政治経済支配者である可能性大なので、逮捕は非常に困難ではある。



(以下引用)




まあ、それはともかくとして、東アジアに住む私たちは「なんとなく遠い話」として、エボラの話を考えてしまいます。私もそうです。しかし、今日、ある記事を見て、ふと、アフリカはそんなに遠い国ではないかもしれないと思ったりしたのでした。




東アジアとアフリカの関係

今日見たその記事というのは、ラジオ・フリーアジアの下の記事です。

nk-zimbabue-top.gif

▲ 2014年8月15日のラジオ・フリーアジア韓国語版より。


要約しますと、

北朝鮮がアフリカのジンバブエで大規模な農地の確保に乗り出し、ムガベ政権からジンバブエの代表的な穀倉地帯を確保することに成功したことがわかった。北朝鮮は、この地で、米やトウモロコシなどの穀物を栽培する計画を立てているという。

北朝鮮は 2011年にジンバブエに食糧支援を要請するなど、農業分野での協力に大きな関心を見せている。

慢性的な食糧不足に苦しんでいる北朝鮮は、最近になってロシア極東地域を中心に農業協力を強化するなど、食糧確保に努めて​​いる。元米下院外交委員のデニス・ヘルピン氏は、北朝鮮とジンバブエは多くの分野で協力する余地が多いと指摘している。


というようなものでした。

北朝鮮はともかく、考えてみると、東アジアでも特に中国などはアフリカでの開発をかなり積極的におこなっていて、人員の交流も大きなものとなっているはずです。

たとえば、2006年から 2012年までに中国の企業がアフリカの鉱物資源のために投資をした国は以下のようになります。

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独立暁星法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構


ギニアやシエオラレオネといった、現在のエボラ出血熱の流行地とも多くの企業的な人材交流がありそうな感じです。

というわけで、最近のエボラの様々な状況をまた少し書かせていただいたわけですが、今回の締めは、先日の記事「始まった「エボラ戦争」のこれから」で、ご紹介できなかった、ロシアのプラウダの記事「米国は生物兵器としてエボラウイルスを作ったか?」というものをご紹介しておきたいと思います。

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Pravda

ちなみに、先に書いておきますと、この記事は、タイトルとは違い、「エボラのワクチンを最初に作るのはロシアだ」といういかにも冷戦下らしい内容の記事となっています。




USA created Ebola virus as biological weapon?
Pravda 2014.08.11

米国は生物兵器としてエボラウイルスを作成した?

アフリカのジャングルの奥で生まれた致命的なエボラウイルスの流行は、前例にないスピードで世界中に広がっている。

公式統計によると、犠牲者の数はすでに 1,000人を超えており、感染者の数はほぼ 2,000人に近づいている。 WHO はこの病気に対しての世界的な脅威を宣言した。

このエボラに対処するための方法は何かあるだろうか?

実は、このエボラに対するワクチンが存在することが判明した。アメリカ国防総省の科学者が 30年前にそれを開発したとされ、薬剤のためのすべての権利は、米国の政府に属している。

今回の流行で感染した米国の2名の医師は、ワクチン注射を受け、彼らはすぐに病気から回復し始めた。

なぜこれが今になって大々的に公開されている?
なぜワクチンの使用のためのすべての権利を米国が保有している?

これらの質問に対してはふたつの最も明白な答えがある。

そのひとつとして、エボラが完璧な生物兵器であるという可能性である。エボラ・ウイルスはすぐに広がり、ほぼ 100%の死亡率を示す。ワクチンがあれば、他者に対しての影響力を行使できる。

ふたつめの答えは、純粋に商業的な関心だ。エボラは、鳥インフルエンザなどいくつかの流行の場合と同様に、メディアの助けを借りて、人心をパニック状態に置くのに十分である。その後、任意の価格で治療薬を販売することが可能となるわけだ。

しかし、ロシアの科学者たちは、アメリカ人が実際に治療薬を作り出したことを疑っている。

ロシアの科学者たちもまた、エボラに対するワクチンを作成するため、ウイルスの性質を特定するための研究を行っている。

なお、ソ連時代からの科学者であるアレクサンダー・ブテンコ博士は、未知のウイルスが発見されたギニアの熱帯雨林で 1982年から毎年ほぼその地で過ごした経験を持つ。 そのため、ロシアの科学者がワクチンを作成するための最も広範な科学的な基盤を持っていると、ブテンコ博士は述べる。

あるロシア人研究者は、「現在、エボラのワクチンは、経過した5つの試験の結果が非常に良く、じきに最終段階に行く着くと思われるが、その時期については、誰も明言はできない」と述べている。




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池上、GJ!

木村久夫遺書というものらしい。


(以下引用)



教えて!池上さん「日本は中世国家なの?」⇒ 池上彰が提示した証拠が酷すぎる!!!!! ツイッター民大発狂wwwwwww

9: 名無しさん 2014/08/17(日) 22:08:06.30 ID:scO3iIbt0.net
それより京都帝国大学のB級戦犯扱いされた学徒出陣兵に

「中世日本」と看破されてたのがワロタw


31: 名無しさん 2014/08/17(日) 22:10:58.54 ID:RHdDrK1r0.net
>>9
それ見てめちゃくちゃ笑ったわ


95: 名無しさん 2014/08/17(日) 22:18:24.08 ID:UOmjB5Mu0.net
>>9
これか
(連合国軍の看守から)全く不合理と思えることが、日本では平然と何の反省もなく行われてることを幾多指摘されるのは、全く日本にとって不名誉なことである。彼らが我々より進んでいるとは決して言わないが、真赤な不合理が平然と横行するまま許してきたのは、何と言っても我々の赤面せざるべからざるところである。
ことに軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものにほかならなかったことは、反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬところである。(59・61p)

この(見るに堪えない)軍人を代表するものとして東条(英機)前首相がある。さらに彼の終戦において自殺(未遂)は何たることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。(101p)

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精神変化を待つか、革命か

「バカ国民帝国日本の滅亡」の記事の一節のみ引用。文中の「ダブルスタンダード」とは、日本人の思考習性が「いい人・悪い人」「身内・よそ者」で決定されていることのようだ。通常の「ダブルスタンダード」という用法は、二つの矛盾する基準を場合によって使い分ける、狡猾なやり方を言うが、ここでは単に「二つの基準」という意味で言っているように見える。というのは、「いい人・悪い人」「身内・よそ者」は矛盾することはほとんどなく、日本人的な思考習慣では、「身内=いい人」「よそ者=悪い人」となっているからである。私の「毛唐嫌い」も、(偽)右翼の「中国・韓国・ロシア嫌い」も、そういう意味では似たようなものだ。ただ、私にとっては「アジア=身内」であり、(偽)右翼にとっては「欧米=身内」という違いがあるだけである。言うまでもなく、(偽)右翼と書いたのは、本来の右翼はアジアが団結して欧米の侵略から日本(アジア全体)を守ろう、という思想が主流だったからである。
前置きが長くなったが、孔徳秋水氏は、その筆名(当然、幸徳秋水を尊敬しているのだろう)にも関わらず、「革命」に否定的であるようなのが解せない。日本人が精神的に変革しないかぎり、どんな革命をしても無意義だ、という考えのようだが、はたしてそうか。革命によって精神の変化も生まれる、ということもあるのではないか。人間の精神は外部刺激によって変化していくものだ。とすれば、今の社会が変われば、人間の精神も変わるだろう。もしも、精神変化を待つのなら、釈迦、キリストなどの偉大な教えがあったにも関わらず、人間の世界はこの2000年以上も暴力と悪の支配する野獣的世界であり続けたのはなぜか、を問わねばなるまい。



(以下引用)




また、こうした社会で”革命”などすればどうなるだろうか?




庶民が、どいつもこいつも”小権力者”、”小独裁者”なのだから、成り上がれば”大権力者”、”大独裁者”になるだけである。





権力を打倒しても、別の権力者が取って代わるだけにすぎない…




それで「世の中が変わった」などと言えようか?…「目先が変わった」にすぎないのではないのか?…





日本が民主社会になるための第一の条件は、日本人がことごとく、


この”ダブルスタンダード”を捨てることである。




「常識」を振りかざして、人を裁くことを止めることである





日本人よ、まず人間になれ!


 


地獄鬼畜生のルールを捨てて、人間のルールにしたがえ!!

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「非常時」はゆるやかに日常とすり変わっていく

「シジフォス」というブログに転載されていた記事の孫引き転載である。
中島京子という作家が直木賞を取ったことは知っていたが、最近の作家にはまったく興味がない(漫画家には興味があるが)ので、作品を読もうとは思わなかった。しかし、この文章を読むと、作家としてというより、「人間として」実にまともで賢明な人のようだ。
下の記事は、「非常時」がゆるやかに日常の中に滑り込んできて、当たり前の日常と同化していく様を見事に示している。そして、多くの人が言うように、今は再び「戦前」になろうとしているのである。まったく戦争の必要性の無い、平和なこの日本が「戦前」だ、と言うと頭がおかしいと言う人も多いだろう。しかし、戦争は国民の意志で起こされるものではない。経済界の一部と政治指導者の意志で起こされるものであり、戦争の「理由」など、どうとでもでっち上げられるものだ。そして、マスコミがそのでっち上げに協力し、全国民的な狂気が形成されていく。
「霜を踏みて堅氷至る」とは、そうした事態への警告でもあるのだ。


(以下引用)



>(寄稿)「戦前」という時代 作家・中島京子(朝日新聞 2014年8月8日)

 昨年のいまごろ私は、準備中の短編小説のために、戦後まもないころの出版物をあれこれ調べていて、プロレタリア作家・徳永直(すなお)の「追憶」という文章に出くわした。「文藝春秋」1946年11月号に掲載されたその随筆は、敗戦直後に書かれたにも拘(かかわ)らず、なんと、関東大震災時の朝鮮人虐殺を書いたものだった。
 「朝鮮人が火をつけた」に始まり、「“てき”が一人一つずつ爆弾を抱えて向かってくるから応戦せよ」に至る、震災当日から翌日、翌々日と膨れ上がっていくデマの実態と、それを真に受ける人々の行動が詳細に描かれる。同時に、「しゃかいしゅぎしゃ」だった徳永が、身に迫る危険を感じていかに怖かったかも書かれている。実際、このときに「亀戸事件」も「大杉栄一家惨殺」も起こるので、徳永は戒厳令下で行われ始めた排除の空気をその肌に感じて、東京の街を逃げ惑う。
 1923年が関東大震災の年、2年後に「治安維持法」が成立、その悪名高い法律は、3年後の改定を経て、戦争へとなだれ込んでいく昭和の時代の思想弾圧に猛威を振るった。太平洋戦争に突入する1941年には、さらに厳罰主義を徹底する全面的な改定がなされ、戦時の言論は見事に封殺される。敗戦で自由が保障されるまで、徳永は書こうにも書けなかった。「戦争中にくらべれば多少は検閲がらくであつた昭和の初期でも、伏字くらいですむ性質とも思へなかつたし、昭和七・八年以後となると、書いてしまつておくことさへいざといふ場合が考へられて怖い気がしてゐた」。1923年から1945年までは、徳永の中でひとつながりだ。
 私が随筆「追憶」を見つけて間もないころに、「特定秘密保護法案」に対するパブリックコメント募集がひっそりと行われ、あっという間に締め切られた。それでも9万件ものコメントが寄せられ、その8割近くが法案に否定的だったにもかかわらず、問題の多いこの法案は、年末に強行採決され、国会を通過した。
 あれ以来、日本史年表を見るとどうしても、「関東大震災」と「東日本大震災」を、「治安維持法」と「特定秘密保護法」を引き比べてしまう。いまは昭和史で言うと、どのへんにいるのかと、つい考えてしまう。「関東」と「東日本」が違うように、「特定秘密保護法」は「治安維持法」ではないのだから、そんなに心配することはない、というような楽観的な気持ちにはなかなかなれない。7月に閣議決定で憲法解釈の変更がなされ、行使できるとされてしまった「集団的自衛権」が、「特定秘密保護法」施行下で使われたら、日本は歯止めのない武力行使の時代に突入することが、理論上ありえることになる。
 しかし、私は政治家でも法律家でもないので、法律の話はこれくらいにしようと思う。私の危機感、私自身が皮膚感覚で感じ取っている怖さは、法律や政治の動きもさることながら、少し別のところからやってきている。
     ■     ■
 「小さいおうち」という小説は、今年映画になって公開もされた、私の代表作だ。昭和10年、東京郊外に小さな家が建てられ、核家族の一家がそこで暮らす日々を、当時女中として雇われていた女性が晩年になって綴(つづ)る、というのがメインのストーリーになっている。
 これを書こうと思った理由は、現実社会に警鐘を鳴らそうなどという大それた気持ちではなくて、ただ単純に、自分自身の興味と関心のためだった。私は、政治家や軍人、官僚など、歴史を動かす決断をした人たちではなく、一般の人々にとって、あの時代はどういう時代だったのか、なぜ戦争に向かったのか、知りたいと思ったのだ。
 当時の記録に触れると、文化的には円熟期であり、都会の市民層には教養もあり、分別もあり、平和主義的な傾向すらあったように見える。しかし、歴史の教科書が教えるように、軍国主義が力を持ち、他国を侵略し、おびただしい犠牲者を出した時代だ。私はその、明るくて文化的な時代と、暗くて恐ろしい残酷な時代がどう共存していたのか、あるいはどこで反転したのか、知りたいと思った。
 そこで私は当時書かれた小説、映画、雑誌、新聞、当時の人々の日記などを読んだ。のちになって書かれたものは、戦後的な価値観が入っているので、できるだけ、当時の考え方、当時の価値観がわかるものを調べた。すると、だんだんわかってきた。そこには、恋愛も、親子の情も、友情も美しい風景も音楽も美術も文学も、すべてのものがあった。いまを生きる私たちによく似た人たちが、毎日を丁寧に生きる暮らしがあった。私は当時の人々に強い共感を覚えた。
 けれども一方で、そこからは、人々の無知と無関心、批判力のなさ、一方的な宣伝に簡単に騙(だま)されてしまう主体性のなさも、浮かび上がってきた。当時の人々に共感を覚えただけに、この事実はショックだった。豊かな都市文化を享受する人たちにとって、戦争は遠い何処(どこ)かで行われている他人事のようだった。少なくとも、始まった当初は。それどころか、盧溝橋で戦火が上がり日中戦争が始まると、東京は好景気に沸いてしまう。都心ではデパートが連日の大賑(にぎ)わい。調子に乗って、外地の兵士に送るための「慰問袋」を売ったりする。おしゃれな奥様たちは、「じゃ、3円のを送っといて頂戴(ちょうだい)」なんて、デパートから戦地へ「直送」してもらっていたようだ。これは前線の兵士たちには不評で、せめて詰め直して自分で送るくらいのデリカシーがないものか、と思っていたらしい。つまり、それほどに、戦闘の事実は市井の人々から遠かった。これは1939年の「朝日新聞」の記事から読み取れる。盧溝橋事件からは2年が経過している。しかし、この後、戦況は願ったような展開を見せず、煮詰まり、泥沼になってきて、それを打開するためと言って、さらに2年後に日本は太平洋戦争を始める。また勝って景気がよくなるのだと人々は期待する。しかしそうはならない。坂を転げ落ちるように敗戦までの日々が流れる。
     ■     ■
 人々の無関心を一方的に責めるわけにはいかない。戦争が始まれば、情報は隠され、統制され、一般市民の耳には入らなくなった。それこそ「秘密保護法」のような法律が機能した。怖いのは、市井の人々が、毒にちょっとずつ慣らされるように、思想統制や言論弾圧にも慣れていってしまったことだ。現代の視点で見れば、さすがにどんどんどんどんおかしくなっていっているとわかる状況も、人々は受け入れていく。当時流行していた言葉「非常時」は、日常の中にすんなりと同居していってしまう。
 昨年あたりから、私はいろいろな人に、「『小さいおうち』の時代と(今の空気が)似てきましたね」と言われるようになった。出版された2010年よりも、2014年のいまのほうが、残念ながら現実と呼応する部分が多い。
 いちばん心配なのは、現実の日本の人々を支配する無関心だ。戦前とは違い、戦後の日本は民主主義国家なのだから、きちんと情報が伝えられる中で、主権者である国民がまともな選択をすれば、世の中はそんなにはおかしな方向にいかないはずだ。それなのに、たいへんな数の主権者が、投票に行かず、選挙権を放棄している。そのことによって、あきらかに自分自身を苦しめることになる政策や法律が国会を通ってしまっても、結果的にそれを支持したことになると気づいていない。そうした人たちが、だんだんと日常に入り込んでくる非日常を、毒に身体を慣らすように受け入れてしまうかと思うとほんとうに怖い。
 「集団的自衛権」に関して言えば、これを「検討が十分に尽くされていない」と感じている人は、共同通信の世論調査結果で82%に上る。高い数字の中には、防衛政策云々(うんぬん)の前に、内閣が立憲主義を無視した暴挙に対する批判も含まれるだろう。こうした意識が有権者に芽生えたのには、報道も寄与したはずだ。「集団的自衛権」に関しては、どの報道機関もかなり力を入れて報道していた。国民のほとんどが、「よく検討されていない」と感じるくらいには、報道されたわけだ。逆説のようだが、きちんと報道されなかった事柄に対しては、人は「検討が十分でない」ことすら判断できない。
 日常の中に入り込んでくる戦争の予兆とは、人々の慢性的な無関心、報道の怠惰あるいは自粛、そして法整備などによる権力からの抑圧の三つが作用して、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿状態が作られることに始まるのではないだろうか。その状態が準備されたところに本当に戦争がやってきたら、後戻りすることはほんとうに難しくなる。平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反するものではなく、気味悪くも同居してしまえるのだと、歴史は教えている。
     ■     ■
 終戦直後の新聞を繰っていると、やたらと出てくるのが「一億総ざんげ」という言葉だ。戦争に負けたことを、戦死した兵士と天皇に向かって謝らなければならないらしいのだが、「一億」みんながやらなければならないという主張が政権担当者によってなされ、戦争を煽(あお)ったメディアが積極的に報じているところが、なんとも責任逃れくさくて受け入れがたい。とはいうものの、私たちが未来への選択を誤るようなことがあれば、そのときこそ、主権者である国民は、言い逃れできなくなるだろう。
 「自分が何をしようと、世の中が変わるわけじゃない」と思うのは、間違っている。8割の人が「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」に懐疑的である事実は、少なくとも、前のめり一辺倒できた政府の姿勢を慎重にさせている。「カラーパープル」を書いたアフリカ系アメリカ人の作家アリス・ウォーカーの言葉を引くならば、「人々が自分たちの力を諦めてしまう最もよくある例は、力なんか持っていないと思い込むこと」なのだ。特別なことをする必要はない。いまより少し社会に関心を持って、次の選挙で自分の考えに近い候補者に投票すればいい。
 「小さいおうち」の時代の人々は、いまを生きる私たちとよく似ている。でも、戦前の日本は、民主主義国家ではなかった。日本国憲法を得る以前は、一般市民は主権者ではなかった。だいじなのは、関心を持つ状態をこそ「日常」化させることではないだろうか。
 日本国憲法第十二条には書いてある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
    *
 なかじまきょうこ 64年生まれ。出版社勤務、フリーライターを経て作家に。2010年、「小さいおうち」で第143回直木賞。著書に「かたづの!」(8月下旬刊行予定)など。

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職業としてのテロリスト

前に「徽宗皇帝のブログ」で引用した言葉だが、

若者の1人目は親の後を継いで家に残れるが、余った2人目は外国に働きに出て、3人目は犯罪者か革命家になる

という言葉は世界政治を考える上で非常に重要なことを示唆している、と思う。具体的には中東におけるIS(ISIS)のことである。
あのキチガイ集団は、要するに「3人目は犯罪者になる」ということなのだ。つまり、「職業」として犯罪者になることを選んだのであり、彼らをイスラム原理主義者だとか規定するのはまったくの間違いだ、ということだ。彼らの生きる世界では、犯罪者、テロリストになることが「合理的選択」だったのである。なぜなら、それ以外の生き方では「奪い尽くされる側」にしかなれないからである。もちろん、「革命家」にならないのも同じ理由だ。革命家は虐げられた者への奉仕者であり、革命は、(少なくともその途上では)自らの利益になることはまったく無い。
いずれにせよ、彼らテロ集団は「職業として、あるいは生活手段として」テロを選んだ連中だ、という観点を持たないいかなる論評も中東情勢批評においては弱いものになるだろう。彼らに、テロ以外の有望かつ有意義な生活手段を与えることこそが、迂遠だがテロ撲滅への道になるかと思う。
そして、もちろん、彼らテロリストの最初の「雇用主」は「西側」にいるのだから、まずはその事実を究明し、「道義」の面からこの両者を責めることである。(テロリストが「自活」し始めた現在では、この線からのテロ撲滅は困難だろうが。)

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太平洋戦争は「防衛戦争」だったか?

「yahoo知恵袋!」から転載。
大学の先生や評論家などの書いた長大な(そして明らかに偏向した、あるいは思考硬直した)本を読むよりも、こうしたネット掲示板での質疑応答などのほうが、世界の真実や事実を簡潔明瞭に分からせてくれる。ネットというものは、人類の精神的次元を変える、革命的発明ではないか。
何はともあれ、この小さな記事は、「対日石油禁輸」によって日本は対米戦争に追い込まれた、という(主にネット右翼の世界で叫ばれている、「あの戦争は防衛戦争だった」という)「常識」に一石を投じるものだろう。



(以下引用)



「先の大戦」について どうやら「海軍善玉論」、「陸軍悪玉論」という評価があ...


質問者


shpfiveさん


2014/5/1306:02:48



「先の大戦」について

どうやら「海軍善玉論」、「陸軍悪玉論」という評価があるようです。 個人的に言うと、歴史を「善玉、悪玉」という、単純な二元論で割りきるのは違和感があるのですが、事実として言うなら、少なくとも「先の大戦」は、陸軍主導によりはじめられた、という点に関しては、例えば「機密戦争日誌」などを読んでも間違いないように思われます。
http://www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/nitibeikaisen/kimitusens...

Q 「先の大戦」開戦にあたり、海軍が果たした役割も、確かに小さくはないとは思いますが、陸軍主導によりはじめられた戦争である、という認識を覆すだけの材料はあるのでしょうか?


補足皆様、ご回答いただきありがとうございます。

いろいろ考えましたが、本質問は「投票」とさせていただきます。

以上、よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。


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お礼:
25枚

 


ベストアンサーに選ばれた回答


red_spi99さん


編集あり2014/5/1411:50:48



最初に余談から書くと、私は海軍が「善玉」とは思っていません。その根拠もあとで書きますが・・・どうもなにかの反動なのか、「陸軍善玉海軍悪玉」みたいな、わけのわからないトンデモ主張が飛び出すのはどうにかならないものかと・・・

さて、「海軍は知能犯、陸軍は暴力犯」という海軍反省会で出てきた言葉は、じつにうまく状況を表していると思います。
陸軍は軍部大臣現役武官制のあからさまな悪用や、満州事変をはじめとする勝手な軍事行動など、暴力的な手法で国政に干渉を繰り返しました。
これによって状況が混沌としていったことは否定のしようもないでしょう。

しかし海軍も裏ではあれこれ画策しています。
まず海軍においては海軍左派と呼ばれた対米戦反対派、米内、山本、井上らが有名ですが、勢力としては小さなものでした。大半はどちらにも明確につかないあいまいな層です。
そして、むろん対米強硬派もいました。これもけっして大きな勢力ではないのですが、困ったことに軍務局の要所に集まっていました。

海軍に限らないのですが、軍務局の若手中堅の研究が上層部に上げられ、これが採用されるという傾向があっため、ここに対米強硬派が集まっていた影響は少なくありませんでした。

ことに軍務局の石川らが中心となった海軍第一委員会が策定した「現情勢下ニ於ケル帝国海軍ノ執ルベキ態度」の絵図面は、じっさいこのとおりになっているだけに軽視できません。

この第一委員会の策謀でもっとも重大な問題は南部仏印進出で、いくつか相反する史料があるためなんとも言えないところがあるのですが、この第一委員会が南部仏印進出を裏で強行していたらしく、その影響を考えれば海軍の開戦に関する関与は軽視できるものではないでしょう。

詳細については防衛研究所の資料がありますので、見てください。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200103/07.pdf


いくつかの相反するということについて書いておきますが、南部仏印進出は松岡外相が言い出して強行に主張したという説(松岡と石川は盟友だったという)と、石川ら第一委員会が強行して、反対する松岡に圧力をかけたという説があります。


ほんとうに真逆なんですが、同じ防衛研究所論文でも上記のどちらも採用されている例があって、どちらが正しいのかわかりません。


それと、史料から見て陸軍が開戦に大きな役割を果たしたことは否定できませんし、機密大日誌あたりを見れば陸軍部戦争指導班が開戦を望んでたことは明白ですが、「陸軍側の史料が多く残っている」という実態もあります。

海軍の機密大日誌は現存していませんから、わからないだけですね。軍務局の対米強硬派の存在を考えれば、ロクでもないことが書かれている可能性は十分にあります。

まあ書くとキリがないのですが、なぜかこういうところを指摘する人は少なく、連合艦隊という開戦の可否を判断する場から離れていた山本を原因にしたがる人がいるのが不思議でなりません。

nmurasさん

「現情勢下ニ於ケル帝国海軍ノ執ルベキ態度」は、対日禁油前に作られてますよ。石油の輸出停止は南部仏印進出への経済制裁ですが、第一委員会はそれに先だって「直に戦争決意(対米を含む)明定」

さらに米英蘭の妨害があった場合は「英米に対し武力を行使す」と書かれています。

つまり、禁油の前から対米戦を決意していた層は存在しました。むしろ第一委員会の計画は対米英戦を必至のものとした上で策定されています。つまり南部仏印進出は対米英戦の布石です。

ちなみに、陸軍も「対南方政策要綱」において仏印進出を計画しています。これは「対米戦にはならないだろう」という目算で定められましたが、やることは同じです。
南部仏印進出がもたらす結果を第一委員会は対米戦必至と考え、陸軍は対米戦回避と考えていた。考えは違っても、これが禁油を招いたことは史実のとおりで、単に陸軍は読みが甘いだけです。
やったことの責任は回避できません。


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