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日本人全体を侮辱されてたまるか

「ライブドアニュース」から転載。
私は慰安婦問題(日本政府の責任問題)と韓国による外国への「慰安婦像」設置問題とは区別すべきだという意見である。韓国内に慰安婦像を設置するのはいいとしても、アメリカ議会前に慰安婦像を立てるなど、日本そのものへの侮辱行為である。まあ、過去の日本人がそういう侮辱に値する行為をしてきたのは確かだが、それによって「現在の」日本人まで侮辱されるいわれはない。まして、未来の日本人まで侮辱され続けてたまるものか。
こんな姑息な行為をするより、日本の「戦犯」たちを直接に名指しして、責任を求めればいいではないか。たとえば、中曽根元総理とか、産経新聞の(笑)鹿内とか、慰安所設置に関わった連中だ。


(以下引用)


「慰安婦像は日本人を侮辱している」テキサス親父が市議会で発言


米西部グレンデール市内に設置された慰安婦記念像(黒沢潤撮影)

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 米カリフォルニア州グレンデール市の市議会で21日(現地時間)、「テキサス親父」の呼び名で知られるテキサス州在住の評論家、トニー・マラーノ氏が発言する機会を与えられ、韓国系団体の強い要請で設置された慰安婦像を批判した。


 マラーノ氏は慰安婦問題で韓国側の主張を否定し、日本擁護の立場を取っている。


 「慰安婦像は日本人の名誉を毀損している。侮辱している」。マラーノ氏は慰安婦像設置に賛成した市議らを前に静かに話し始めた。


 事前に届け出れば、誰でも意見を述べることができるパブリックコメント制度を利用し、意見を述べる機会を得た。この制度はグレンデール市民以外でも参加できる。慰安婦像の設置を審議する際や、在米日本人らが慰安婦像撤去訴訟を起こした際、韓国系がこぞって日本バッシングを展開するために利用した制度だ。


 マラーノ氏がグレンデール市を訪れることは非公表だったため、反日的な韓国系住民の姿はなかった。


 「あなたたちの目的は尊い」。市議らに向かって、マラーノ氏は言った。「だが最近、韓国で新しい慰安婦のグループが、自分たちの政府に1950年から1992年の間に強制的に慰安婦とさせられたと言っている。グレンデール市は、日本や、日本の人々に対し一貫性があることを表明するチャンスだ」


 朝鮮戦争以後、在韓米軍基地周辺で米兵を相手に売春をさせられたと主張する100人以上の韓国人女性らが今年6月、韓国政府に賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こしたことを引き合いに出し、続けた。


 「今ある慰安婦像が、日本を侮辱する目的で設置したわけではないということを証明できる。この新しい慰安婦のグループのために2つ目の像を考えたらどうだろうか」


 グレンデール市の慰安婦像の横には、像の説明として「20万人の女性が」「日本軍に強制的に慰安婦にされ」「セックス・スレイブ(性奴隷)として」などと記されている。これは韓国側の主張だ。グレンデール市がこれを“歴史”として認めるならば、在韓米軍の慰安婦も同じように扱わないと不公平だ、と言っているのだ。


 マラーノ氏は「今ある慰安婦像のとなりに大理石の記念碑などを設置することをすすめる」


 不思議なものだ。在米日本人らが、慰安婦像について反対意見を述べると、「もっと歴史を学ばなければ」「なぜ、過ちを認めない」などとヒステリックに反論していた市議らも、マラーノ氏には何も言わなかった。米国世論に、日本の立場、日本の主張を説明することがいかに重要かを示している。


 慰安婦像設置に賛成した市議らは、マラーノ氏の話を聞き終わると、「サンキュー」と述べた。設置に唯一、反対した市議は「あなたの名前は」と改めて聞いた。


 発言を終えたマラーノ氏は「少し緊張したかな」とホッとした様子だった。


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リュックはタンス内に

笑ってしまう。リュックはタンス内にあったんだと。それで、家宅捜査した時に見つからなかったんだとさ。


(以下引用)


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 神戸市長田区の市立名倉小1年、生田美玲(いくたみれい)さん(6)の遺体が見つかった事件で、無職君野康弘容疑者(47)=死体遺棄容疑で逮捕=の自宅アパートから見つかった美玲さんのものとみられるリュックサックは、たんすの引き出しにあったことが28日、捜査関係者への取材で分かった。


 リュックサックは26日の捜索で見つかった。捜査関係者によると、引き出し内に同容疑者の私物と一緒に置かれていた。大きな破損や目立った血痕などはなかったという。兵庫県警長田署捜査本部は、美玲さんが11日に行方不明になった際に持っていたものとみてDNA型鑑定し確認を進めている。


 県警は28日、4日間の家宅捜索を終え、室内にあった洗濯機などを押収したとみられる。捜査関係者によると、これまでの捜索で室内から目立った血液反応は検出されず、ナイフや包丁などの刃物も見つかっていない。


 一方、県警は同日、アパートから北東約200メートルの神戸電鉄長田駅周辺の草むらを調べた。捜査関係者によると、金属探知機を使い、遺体の切断などに使った刃物や遺留品がないかを確認したという。


 28日に接見した弁護士によると、君野容疑者は黙秘を続けている。


2014/9/29

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供述が警察の作文でなければいいね

権力による人権侵害を憂え、疑わしい刑事事件などでの冤罪の可能性を論じる人々をネットで「冤罪厨」などとののしる権力の犬たち(大半は工作員か)、大喜び。
まあ、この事件は容疑者が犯行をやったかどうかより、「証拠」があまりに不可解だから、冤罪可能性もある、ということで騒がれたのである。
それに捜査するのが兵庫県警だしね。
このことでべつに警察は冤罪を起こさない、と証明されたわけではない。それは吉田証言が虚偽であったからといって従軍慰安婦は存在しなかったとは言えないのと同様だ。安倍総理や橋下市長がたまに本当のことを言うとしても彼らが嘘つきではないという証明にはならないのと同様だ。(笑)




(以下「朝日新聞デジタル」より引用)


神戸女児殺害、容疑者が関与認める供述 黙秘から一転

2014年10月21日12時56分



 神戸市長田区の雑木林脇で近くの小1女児(6)の遺体が見つかった事件で、殺人容疑で再逮捕された君野康弘容疑者(47)が、女児の殺害と死体遺棄事件への関与を認める供述を始めたことがわかった。接見した弁護人の増田正幸、高木甫(はじめ)の両弁護士(兵庫県弁護士会)が21日午前、明らかにした。君野容疑者は9月24日に死体遺棄容疑で逮捕されて以降、黙秘していた。

 両弁護士によると、君野容疑者は20日の検察の調べに関与を認める供述を始め、同日夜の接見で弁護士に対して「認めました」と話したという。21日朝に接見した際、君野容疑者の表情に変化はなく、淡々とした様子だったという。


 動機について増田弁護士は「分からない」とし、供述を始めた理由などは「聞いていない」としている。高木弁護士は「全面自供だと思う」と述べた。


 女児は9月11日午後、下校後に行方不明となり、遺体が同23日、君野容疑者の自宅アパートから北西約30メートルの雑木林脇で、複数のポリ袋に入れられた状態で見つかった。


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全人類的な平和と幸福への願い

「播州武侯祠遍照院」ブログから記事全文を転載。
言葉は、その人の人格を自然と物語るものだ。皇后の言葉は、その顔立ちや表情、仕草などと同じく、皇后自身の清らかな人柄を示している。頭の明晰なことも驚くほどだ。天皇皇后両陛下が、少しでも長生きして、この日本が良い国になっていく姿を見てほしいものである。
そのためには、まず政界・官界・財界・マスコミ界の大掃除だろう。
坂本竜馬ではないが、「日本を大掃除したい」と願う人はたくさんいるはずだ。


(以下引用)

ちょっと気になる。 皇后さん80歳誕生日の会見の言葉・・・ 渾沌堂

Updated   
2014.10.20 (Mon)
朝日だけが流していた皇后さん80歳誕生日会見の言葉。

宮内庁 より

上記文抜粋
・・・・・・・
問1 このたび傘寿を迎えられたご感想とともに,これまでの80年の歳月を振り返られてのお気持ちをお聞かせください。

皇后陛下
ものごころ付いてから,戦況が悪化する10歳頃までは,毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く,とりわけ兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや,その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦きることなく眺めていたことなど,よく思い出します。また一人でいた時も,ぼんやりと見ていた庭の棕梠しゆろの木から急にとび立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり,ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど,その頃私に強い印象を残したものは,何かしら自然界の生き物につながるものが多かったように思います。
その後に来た疎開先での日々は,それまでの閑のどかな暮らしからは想像も出来なかったものでしたが,この時期,都会から急に移って来た子どもたちを受け入れ,保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと思います。
戦後の日本は,小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ,少なからぬ感情の試練を受けました。終戦後もしばらく田舎にとどまり,6年生の3学期に東京に戻りましたが,疎開中と戦後の3年近くの間に5度の転校を経験し,その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく,そうしたことから,私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました。ずっと後になり,もう結婚後のことでしたが,やはり戦時下に育たれたのでしょうか,一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見,ああ私だけではなかったのだと少しほっとし,作者を親しい人に感じました。
皇室に上がってからは,昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中,今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりました。長い昭和の時代を,多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは,おそばに出ます度に多くの御教えを頂きました。那須の夕方提灯に灯を入れ,子どもたちと共に,当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前の坂を降り,山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを,この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き,懐かしみました。
いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも,一人ひとり配偶者を得,独立していきました。それぞれ個性の違う子どもたちで,どの子どもも本当に愛いとしく,大切に育てましたが,私の力の足りなかったところも多く,それでもそれぞれが,自分たちの努力でそれを補い,成長してくれたことは有難いことでした。子育てを含め,家庭を守る立場と,自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために,これまで多くの職員の協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ,支えられてまいりました。御手術後の陛下と,朝,葉山の町を歩いておりました時,うしろから来て気付かれたのでしょう,お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ,「陛下よろしかったですね」と明るく云い,また車に走っていかれました。しみじみとした幸せを味わいました。
多くの人々の祈りの中で,昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり,うれしゅうございました。50年以上にわたる御一緒の生活の中で,陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり,また子どもたちや私を,時に厳しく,しかしどのような時にも寛容に導いて下さり,私が今日まで来られたのは,このお蔭であったと思います。
80年前,私に生を与えてくれた両親は既に世を去り,私は母の生きた齢としを越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に,同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は,私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います。

問2 皇后さまは天皇陛下とともに国内外で慰霊の旅を続けて来られました。戦争を知らない世代が増えているなかで,来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。


皇后陛下
今年8月に欧州では第一次大戦開戦から100年の式典が行われました。第一次,第二次と2度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い,共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。
私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々,私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが,戦中戦後の記憶は,消し去るには強く,たしか以前にもお話ししておりますが,私はその後,自分がある区切りの年齢に達する都度,戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか,と思いを巡らすことがよくありました。
まだ若い東宮妃であった頃,当時の東宮大夫から,著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で,中でも,帰国への期待をつのらせる中,今年も早蕨さわらびが羊歯しだになって春が過ぎていくという一首が特に悲しく,この時以来,抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと,その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に,心を向けるようになりました。
最近新聞で,自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が,十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前,死亡場所等,出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み,心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれの上に,長い戦後の日々があったことを改めて思います。
第二次大戦では,島々を含む日本本土でも100万に近い人が亡くなりました。又,信じられない数の民間の船が徴用され,6万に及ぶ民間人の船員が,軍人や軍属,物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを,昭和46年に観音崎で行われた慰霊祭で知り,その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後70年の来年は,大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。
世界のいさかいの多くが,何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で,わが国の遺族会が,一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの,自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも,今,平和の恩恵に与っている私たち皆が,絶えず平和を志向し,国内外を問わず,争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。

問3 皇后さまは音楽,絵画,詩など様々な芸術・文化に親しんで来られました。皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち,これまでどのようなお気持ちで触れて来られたのでしょうか。


皇后陛下
芸術ー質問にある音楽や絵画,詩等ーが自分にとりどのような意味を持つか,これまであまり考えたことがありませんでした。「それに接したことにより,喜びや,驚きを与えられ,その後の自分の物の感じ方や考え方に,何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。子どもの頃,両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ,それを楽しんでいる姿を見,私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。戦後,どちらかの親につれられ,限られた回数でも行くことの出来た日比谷公会堂での音楽会,丸善の売り場で,手にとっては見入っていた美しい画集類,父の日当たりのよい書斎にあった本などが,私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。
戦後長いこと,私の家では家族旅行の機会がなく,大学在学中か卒業後かに初めて,両親と妹,弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。しかし残念なことに,私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。結婚後,長いことあこがれていた飛鳥,奈良の文化の跡を訪ねることが出来,古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い,歌に「山」と詠まれている,むしろ丘のような三山に驚いたり,背後のお山そのものが御神体である大神おおみわ神社の深い静けさや,御神社に所縁ゆかりのある花鎮はなしずめの祭りに心引かれたりいたしました。学生時代に,思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から,創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。
建造物や絵画,彫刻のように目に見える文化がある一方,ふとした折にこれは文化だ,と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。昭和42年の初めての訪伯の折,それより約60年前,ブラジルのサントス港に着いた日本移民の秩序ある行動と,その後に見えて来た勤勉,正直といった資質が,かの地の人々に,日本人の持つ文化の表れとし,驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。当時,遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに,異国からの移住者を受け入れ,直ちにその資質に着目し,これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても,深い敬愛の念を抱いたことでした。
それぞれの国が持つ文化の特徴は,自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。これまで訪れた国々で,いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが,私は特に,ニエレレ大統領時代のタンザニアで,大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。
東日本大震災の発生する何年も前から,釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており,3年前,現実に津波がこの市を襲った時,校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り,全校の生徒がこれに従い,自らの生命を守りました。将来一人でも多くの人を災害から守るために,胸の痛むことですが,日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び,しっかりとした防災の文化を築いていかなくてはならないと思います。
歓び事も多くありましたが,今年も又,集中豪雨や火山の噴火等,多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を祈り,遺族の方々の深い悲しみと,未だ,行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察しいたします。又この同じ山で,限りない困難に立ち向かい,救援や捜索に当たられた各県の関係者始め自衛隊,消防,警察,医療関係者,捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に,感謝をこめ敬意を表します。


・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

{赤・青の着色や大文字化は私の編集です。}

偉大な先達の一人ってことで、一応全文載せます。

>私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。

朝日でもこれを特筆していたが、やはりアベ・戦争屋・原発屋のやっていることに皇室は我慢ならないってことの表れであります。

>戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということ

今の霞が関・アベチョン仲間は、その意思と覚悟はあるか!って話。


>創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。


基本的に現皇室は「神仏習合」に舵を切っているってことか。神社本庁というカルト集団とは一線を画す。

秋篠宮の息子さんの悠仁さんが生まれるとき、その安産祈願に泉涌寺の腹帯で祈願をした。

>大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。

日本もそうだった。

でも今の霞が関・財界・アベチョン仲間・似非保守は、そういう日本の本来持つ文化・思想の良いところはゴミ箱に捨てているようで、弱肉強食の修羅道・餓鬼道こそ本懐の、極悪人の大逆無道であるのは言うまでもない。



いやだろう、日本の権力者どもに取り、老賢女のこの発言は。


お読みくださりありがとうございます。

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麻生や安倍がアレなのは国家機密

最後のコメントに思わず笑った。
昔のソ連のアネクドート(小噺)を思い出した。

「赤の広場で『フルシチョフは馬鹿だ』と叫んだ男が逮捕されたそうだ」
「ほほう、誹謗罪かね?」
「いや、国家機密漏洩罪だ」

おや? そういえば、日本にも似たような法律があったような。




(以下「ネットゲリラ」から引用)



ロシアはiPhone1億台買わないから

野次馬 (2014年10月19日 11:30) | コメント(18)



メドベージェフがオバマを非難というんだが、元はオバマが悪いんで、人類の脅威が、「一にエボラ、二にロシア、三にイスラム国」と言ったというんだが、おいおい。ロシア人は人類じゃないのか? イスラム国の国民は人類じゃないのか? という事になるw 


「たとえば私には、オバマ大統領が国連総会の演壇に立ち、人類が直面している脅威又は課題を数え上げるに、一番目にはエボラ出血熱を挙げ、これは妥当だとして、二番目にロシア連邦を挙げ、三番目にやっと「イスラム国」を挙げたことが、非常に哀しい。
私はこのことに言及すらしたくない。哀しいことだ。何か脳に異常があるんじゃないのか」と首相。

中東みたいな「民主主義」が成立しない土地においては、ああいう手法しか統治する手がないんだろうし、ロシアがユダヤ人嫌いでiPhone6を1億台買わないからって、そら、ロシア人の勝手だ。ロシア人はどんなスマホ使ってるのかね?



オバマ「"人類の脅威"1位エボラ、2位ロシア、3位IS」→メドヴェージェフ「何か脳に異常があるんじゃ」、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。

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例えそう思っていても口に出さないほうが良いこともある
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クロンボはどう逆立ちしても知能労働向きじゃないってことだな
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詭弁使いだからな、オバマンは
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ここまでロシアを敵視してんのアメリカくらいでしょ
世界にとってはオバマのほうが害悪なのは常識だわ
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裏工作してんじゃね
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まあ中共がランクインしていないところがオバマクオリティ
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ロシアより酷い中国が入らないとか露骨っすなー
さすが親戚に中国人が何人もいるオバマだわ
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アメリカはエボラなんとかしろよぉおおおおおおおおおおおお
感染の疑いがある奴は片っ端から隔離しろ!
隔離を手伝った奴も隔離しろよ!
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ロシアは、自分達は世界の癌だと気づいてなさそう
中国は気づいてるが、そんなの関係ないとと思ってそう
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プーチンに主導権握られがちだしなオバマ
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【国際】オバマ大統領「"人類の脅威"1位エボラ、2位ロシア、3位イスラム国」→メドヴェージェフ首相「何か脳に異常があるんじゃないのか」
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413508611/
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ほんと80年代はソ連は悪って映画ばっかだったよな。あれプロバガンダの一つだったんだな。
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↑当時少年だったオバマはソビエト時代がトラウマになってんのかもね
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しかしこんなのにまでロシアを上げるとか悪と思い込ませる印象操作必死だなアメリカ
日本も日本は悪!とアメリカに昔からやられてるけど
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アメリカは昔からロシアの事怖くて仕方がないからな、中東でイスラム教徒同士殺しあってるISより
冷戦時代の核の脅威のトラウマの方に怯えてるんだろ
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いつもの大げさスレタイかと思ったら
メドさん、ホントに言ってたwww
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日本の脅威は

1位アメリカ
2位中国
3位韓国
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ネトウヨ「韓国、韓国」
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まぁ、正面からブチ殺し合って、アメリカと対等に戦えるのはロシアしかない。中国の持っている核ミサイルなんて知れたもんだし、アメリカを攻撃するには、中国はあまりに遠い。ロシアは、何と言ってもアメリカと国境を接している隣国なのだ。


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日本の驚異は中国、働かないお前ら、なかなか死なない爺婆
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エボラばらまいてるのアメリカとイスラエルだろ
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>何か脳に異常があるんじゃないのか

アメリカの国家機密じゃないか
国家機密が漏洩するのはスノーデンに続き2度目か


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人権無き社会

相変わらずの上手さだ。だけど、これは映画「仁義無き戦い」をリアルタイムで楽しんだ世代でないと味が分からないかもしれない。




(以下引用)




小田嶋隆 @tako_ashi  ·  10月17日

のうきょうだい、わしの人権は、みーんなこんなにあずけたけえ、わしゃー永遠のゼロじゃけんのう。

 

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コスモスと大正文化

澁澤龍彦の「フローラ逍遥」という本の中に、実にうまい一節があったので、備忘のために転記しておく。「大正文化を思わせる花」の冒頭である。

 コスモスには、一時代前の、大正文化あるいは大正ロマンティシズムを思わせるところがある。なんとなくハイカラで、郊外の文化住宅の庭に植えられていたり、児童雑誌「赤い鳥」の挿絵に描かれていたり、といった感じなのだ。なんとなく弱々しいところまでが大正文化と似ているから妙である。
 事実、コスモスは明治の末とくに日露戦争後に、日本全国にさかんに植えられるようになったというから、その花が日本であれほどポピュラーになったのは、まさに大正時代と時期的にぴったり一致していたわけだ。









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それだけで人生は生きるに値します。

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