忍者ブログ

現行の高血圧基準値に医者からも疑義提出

「阿修羅」から転載。
やっと医療の現場からも現在の高血圧治療への疑問が提起されだしたようだ。
年齢とともに血圧は上がるものだし、昔は、「年齢+100」が適切な最高血圧とされていたと聞いたこともある。それが、年令、体形おかまいなしに上限が130だなどというのは、明らかに、意図的に「高血圧患者」(もちろん、本当は健康体だのに病気扱いという医療詐欺被害者)を作り出し、それで金儲けをしようという医療業界、製薬業界の陰謀だと言えるだろう。
実際に治療の必要な高血圧患者ももちろんいるだろうから、治療に関してあまりに素人判断が蔓延するのも問題だが、医者だけにすべてを考えてもらうのではなく、患者自身が自分でも調べ、自分でも判断する、ということがこれからは必要だろう。自分の体を一番知っているのは自分なのだから。そして、患者の体についての決定権は医者にではなく、患者自身にある、という当たり前のことを(医者全能思想を持つ医者は異議を唱えるだろうが)社会全体が再確認していくべきではないだろうか。


(以下引用)赤字部分は夢人にょる強調。


東大医科研特任教授が日本の高血圧治療のデタラメ横行に苦言(SAPIO2014年11月号)
http://www.asyura2.com/14/iryo4/msg/332.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 10 月 30 日 11:59:05: igsppGRN/E9PQ




東大医科研特任教授が日本の高血圧治療のデタラメ横行に苦言
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141030-00000007-pseven-life
SAPIO2014年11月号


 製薬会社・ノバルティスファーマの降圧剤「バルサルタン」の臨床試験に関する疑惑でも明らかになった、製薬会社と医師の癒着構造を、専門家たちはどう捉えているのか。日本の健康基準値の歪みを指摘することでその構造を喝破してきた大櫛陽一・東海大学医学部名誉教授と、医療ガバナンスの旗手として大学医療の中枢から内部告発を続ける上昌広・東京大学医科研特任教授が初対談した。

大櫛:今年4月、日本人間ドック学会が発表した「健康診断(健診)の新基準」は現行の基準から大きくかけ離れているということで日本高血圧学会などの臨床学会から「国民の健康に危険を及ぼしかねない」と袋だたきにあって潰されてしまいましたが、私は150万人を調査対象とした人間ドック学会の方が正しいと思っています。

 私自身が過去に行なった70万人を対象とした大規模調査の基準値とも合致する。たとえば現行基準では年齢も性別も関係なく「上」(収縮期血圧)は130から高血圧と診断されてしまいますが、人間ドック学会は147でも正常。私たちの調査でも60~64歳の男性は164まで正常値の範囲です。高過ぎると思うかもしれませんが、我々の基準の方が欧米で用いられる最新のガイドラインにも合致しているのです。

上:私は高過ぎる高血圧についてはやはり薬を使用すべきと考えますが、確かに年齢や性別を無視した10数年前につくられた基準が現代に通用するわけがない。とにかく血圧を下げればいいなんてのはデタラメな治療であって、個々の事情を考慮すべきです。

大櫛:ただ、この問題よりも恐ろしいのは、誤った基準によって健康な人が飲む必要のない薬を飲まされているということです。日本では国がやるべき診察のガイドラインを製薬企業という利益集団が決めてしまっている。これは欧米では10年以上前に問題視されて改善されたことです。

 たとえば、降圧剤のセールスのために世界各国で血圧の基準を下げてきた「高血圧マフィア」と呼ばれる集団が有名です。彼らはまず1993年にアメリカでJNC5という政府の委員会に働きかけて血圧の基準を厳しくし、1999年にはWHO(世界保健機関)の基準も厳しくすることに成功します。

 後にこれは良識のある医師たちから批判されて元に戻るのですが、日本高血圧学会はこの「高血圧マフィア」がつくった基準を今も正しいと主張しているわけです。

上:その件を私は詳しくは知りませんが、日本の高血圧学会に関して言えば、あの人たちにそこまでの大きな力はないと思っています。たとえば、ノバルティスファーマ社の降圧剤ディオバンをめぐる論文不正事件のなかで、高血圧学会が裏で糸を引いているような陰謀論が囁かれましたが、ノ社による降圧剤セールスのための「営業ツール」として利用されたに過ぎません。臨床学会というのはなにかあったら訴えられる現場の医師と違って、安全な場所で提言できる。だからこそ製薬企業に利用されやすいのです。


 







  拍手はせず、拍手一覧を見る









コメント




01. 2014年10月31日 10:28:30 : yBG3GAzvsY
医者が数値で機械的に処方しようとするのが、そもそもおかしい。それだけ医者の能力が低くなったのか、忙しすぎて(専門的な能力アップよりも経済的により豊かさを求めて)勉強できなくなったのか、いずれかだろう。
 体や健康は個人差が大きく、血圧もその時々の状況に対応する。全体的な診断がなくて高血圧を薬でコントロールするのは、おかしいだろう。
 とりわけ、高齢者ではいろいろな体の不具合や病気もある。健康な人であっても生活スタイルや生活への望みが多様である。それらも合わせてよりよい処方というものが求められるであろう。
 数値によるガイドよりも医者の学習がもっと盛んにされるべきだろう。

拍手

PR

日本の国土という人類の至宝

「谷間の百合」さんの12日の記事、「国民こそ国の資源では?」の全文である。
私はこの日本という国が好きなのだが、その理由の1,2番目に来るのが、日本の自然である。この国の春も夏も秋も冬もすべていい。そして、その自然から生まれた日本人の芸術的感覚の鋭さ、文化的伝統と創造力が大好きだ。
特に観光地に行かなくても、自分の家の周辺を見るだけで、美しい花や紅葉が見られ、美しい空や雲が見られる。これほどの贅沢は無い。もちろん、他国にはその国なりの自然の美しさがあるだろうが、日本の自然は日本だけにある貴重な、そして世界的に希少な財産であることは確かだろう。
話が逸れるが、「赤毛のアン」が特に日本であれほど愛された理由の一つは、その中に描かれた自然描写の美しさが、日本人には特によく理解されたからではないか、というのが私の仮説である。
ふつうの欧米人の感覚では、自然とは野蛮・未開のことであり、「征服すべき対象」なのだから。そして、自然を破壊し、経済効用の高いものに置き換えていくことを彼ら(と、その使用人の現地官僚組織)は「グローバリズム」と称している。それは私(だけではなく、自然を愛する人間、おそらく多くの日本人はそうだろう)から見れば、野蛮そのものの思想なのである。



(以下引用)一番最後のスナップ写真、二本の樹の深緑と黄色のコントラストが美しい。


それがあたかも道理か事実であるかのように頻繁につかわれる「常套句」があります。

たとえば、「日本は資源のない国」「国際化」「日米同盟は日本外交の基軸」などなどです。

わたしは、多分この5年くらいの間に、それらがすべて政治的なキャッチコピー(プロパガンダ)だということに気が付いてきていました。


鹿児島の伊藤知事は(いまどき珍しい時代劇の悪代官を地で行くような人物)川内原発の再稼働を「やむを得ない」ことだと言いました。

なにがやむを得ないかといえば、いうまでもなく、日本は資源がないということなのですが、それをさも正当で立派な理由であるかのように、だれもそれに文句はないだろうという感じで言っていることにわたしは違和感をおぼえるのです。

わたしはもうそういう言葉を聞き飽きましたし、それが正当な理由にもならないことに気が付くべきだと思いました。






資源とは何ですか。

日本でいわれている「資源」はイコール「石油」を指します。(その他レアメタルなど)

石油がないだけで、日本は資源小国になるのだそうです。


レアメタルの鉱脈が発見されたというアフガニスタンや石油の埋蔵量を誇る国々の地は、ほとんどが砂漠や荒涼とした岩山です。

それに引き替え、日本には有り余る緑ときれいな水があります。

まさに、「緑の日本列島」です。

これこそが人間が生きていく上での絶対不可欠な資源なのです。






人口減は止まらないのでしょうが、人間あっての資源であると共に、人間そのものが資源なのです。(人的資源)

それなのに、政治家や企業家はなんとその資源(宝)である国民を粗末に扱い苦しめていることでしょう。

子どもは国の宝だと言いながら、少子化を促進するような政策ばかり採っています。

国の宝である国民をすべて奴隷労働者にしようとしています。

そうしておいて「日本には資源がない」と言う為政者に、わたしは怒り以上の感情を持つのです。


きれいで豊かな水があるということは、喜びと幸せの源泉です。

(もちろん、それが時に洪水となって人に仇をなすのですが)






「封印された技術」といわれてきた水で走る車の実用化ももうすぐだそうです。

人間ではなく、お金がもっとも価値あるものとして尊重されてきた歴史が終わるのもそう遠くはないのでしょうか。

石油を軸に動いてきた国際環境や政治も終焉のときを迎えるのでしょうか。

人間や生きものが尊重されない世界は「死の世界」です。

そういう世界がどれほど人類を苦しめてきたことでしょう。

想像を絶します。

わたしは、人間の感性や理性や知性、そこから溢れ出てくる知恵や想像力こそが人類の資源なのではないかと思っています。



拍手

「ぜい、ぜい、ぜい、……」とあえぐ声が……

「東海アマ」ツィッターでリツィートされていたものを転載。
スーパーに貼られていたらしい。小学低学年の習字で「ぜい(一年)」「のうぜい(二年)」「ぜい金(三年)」(「かん納(四年)」というのもある。)と書かせるその洗脳教育が恐ろしい。さらに、それをスーパーに展示させる連中の神経が恐ろしい。
これを見た主婦たち、客たちはどんな気持ちになっただろうか。「ぜい、ぜい、ぜい」と後から後から追い立てられるような暗鬱な気分になったのではないか。

だが、よく考えると、この写真はむしろ、まもなく実施されるかもしれない衆議院選で、野党側が政府攻撃に使えるのではないか?


(以下引用)



みえないばくだん @hopi_domingo  ·  7時間前

恐ろしい…既に洗脳? " 帰りに近所のスーパー寄ったら小中学生の納税作品が大量に展示してあってすごく税金に追い立てられる気分になった。”

拍手

沖縄県知事選のこと

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
かつての沖縄県民、かつ、やや左巻きの私としては翁長候補を応援しなくてはならないはずだが、自民党政権が仲井真候補当選のお土産として約束している「南北縦断鉄道」と「USJ沖縄招致」はあまりに誘惑的である。これは、未来の沖縄経済と県民生活を画期的に変える可能性のあるものだろう。辺野古のジュゴンには悪いが、住み場所を変えてもらうことにして、ここは仲井真に勝利してもらい、「金目」を貰うことにするのが沖縄県民にとって最良の選択なのではないか。
もちろん、基地をお断りしつつ、「南北縦断鉄道」と「USJ」は貰う、というのがベストであり、全国の基地負担の75%を戦後70年近く負わされてきた沖縄には、それを要求する権利は十分にあるとは思うのだが。
まあ、沖縄からすべての米軍基地が撤去されないかぎり、もう一つ基地が増えようが減ろうが、たいした問題ではない、というのが私の今の考えだ。もちろん、先の名護市長選で反基地派が勝ったことには大きな意義があったと思う。それは、基本的に沖縄県民は米軍基地存続に反対している、という意思を全国に示した、ということだ。だが、辺野古には既に米軍基地があり、その海上への延長で住民生活に支障が出る可能性は少ないのではないか、と思うし、もし支障が出るならば補償金をふんだくればいい、と私は思う。これはあまりに銭ゲバ的な考えだろうか。
まあ、そうは言いつつも、大方の予想では翁長候補がかなり優勢のようだから、「南北縦断鉄道」も「USJ誘致」も夢に終わることだろう。




(以下引用)




◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/kititeltukyoyorongakouhosyasibaru.html
長周新聞  2014年11月3日付


    基地撤去世論が候補者縛る

       沖縄県知事選挙

     安倍戦争政治との全面対決



日米「安保」と米軍基地撤去を最大争点にした沖縄県知事選挙が10月30日告示され、
16日の投開票に向けて本戦に突入した。

県民のなかでは沖縄戦で虫けらのように住民を殺戮した米軍が、
戦後69年にわたって植民地支配を強いてきた
筆舌に尽くしがたい体験と合わせて、
二度と戦争を起こさせてはいけない」 「戦争をやるための基地建設は許さない
強い思いが語られている。

今回の知事選は第1に 普天間基地の辺野古移転にどのような態度をとるのかが、
候補者たちに問われている。しかし米軍基地は辺野古に限った話ではない。
沖縄全体が69年にもわたって米軍に占領されてきた事実と関わって、
知事なり為政者の側の態度が問われるものとなっている。

沖縄をアメリカに売り渡す裏切り者をたたき落とし、
県民の圧倒的な力を示す選挙にする
ことが期待され、
沖縄県内は下からの行動が盛り上がっている。

 
交付金で買収謀る仲井真陣営

1日に沖縄セルラースタジアム那覇でおこなわれた翁長雄志人1万大集会には、
主催者側の予想をはるかに上回る1万4800人もの人人が全島から結集した。

1時間以上前から、一番遠方の県北部から駆けつけた人人がスタンドに陣取っていた。
最高気温28度の炎天下のなかで、
遠く離れた駐車場から歩いて会場に集結した高齢者の姿もあった。

汗をかきながらスタジアムの周囲を囲むように長蛇の行列をつくって受付を待つ姿、
子どもの手を引いた親子連れや若い世代、現役世代の姿、タクシーで駆けつけ
必死で手すりにつかまりながらスタンドをめざす高齢婦人など、
県内各地から結集した人人の熱気で溢れ返った。

県民の揺るがぬ基地建設反対の思いを示そう!という思いにみなぎっていた。

本紙は集会会場で「批判票分裂仕組んだ謀略選挙/基地撤去の県民世論統一を
の号外5000部を配布


号外を受けとった人人からは、「山口から来ているのか! 
沖縄も岩国も一緒に連帯して頑張ろう!」 「ありがとう!」
「山口は安倍のお膝元だ。安倍には跳び蹴りだな!」などと口口に語られ、
全国的な連帯を求める声がやまなかった。

スタジアムの中では新聞の花が咲き、多くの人が号外を読み、
周囲の人と語りあう姿が見られた。

翁長陣営の発言のなかでは「沖縄の土地は銃剣とブルドーザーで全部強制接収された。
沖縄県民がさし出した基地は一つもない
。日本国憲法の適用もないなかで、
プライスという人が来て 今まで借りていた土地だが、金を出すといった。
しかし絶対に土地を売らないとプライスを追放し、県民が力を合わせて撤廃させた」

「一部の政治家がぶれたが、県民はぶれていないということをみせつける」

「経済の発展は平和のもとでこそ発展できる」

「安倍内閣と仲井真が一緒になると、沖縄県の基地は70年前と同じで
戦争に巻き込まれる。基地は沖縄にはいらない。全員沖縄県民が心を一つにして
平和のなかでしっかりと頑張っていこう」


との発言には、会場からおおいに拍手がわいた。

ゲストとして登場した俳優の菅原文太氏が
「政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと、もう一つは
もっとも大事なこととして絶対に戦争をしないことだ」と発言。

「私は小学校のころゲートルを巻き、戦闘帽をかぶって竹槍をもたされた。
子どもたちだけでなく大勢の大学生が雨の中を戦地に運ばれ多くが帰ってこなかった。
今の政府と仲井真知事は戦争をすることを前提に沖縄を考えている。
前知事は今もっとも危険な政権と手を結び、沖縄の人たちを裏切り、
公約を反故にして辺野古を売り渡した」

「沖縄・本土の海も山も空気も風もすべて国家のものではない。
そこに住んでいる人たちのものだ。辺野古もしかり。勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ」

「アメリカ、中国、韓国にも良心の熱い人たちはいる。
その良心ある人人は国が違えど同じ人間だ。みな手を結びあおう。
今日来ているみなさんも肝に銘じて実行してください。
それができない人は沖縄から日本から去ってもらおう」と呼びかけると、
会場のボルテージは最高潮に達した。

一方で「沖縄の基地は日本国民全体で負担するべきだ」といって
本土と沖縄を分断する発言も出てくるなかで、

「他陣営は(普天間基地の)危険性を除去するといっている。小学生でもわかるが、
危険なものはどこへ持っていっても危険だ

「普天間は県民が誘致した基地ではない、勝手につくった基地じゃないか。
なぜ県民に移転先を示せというのか」


「今回の選挙は基地をつくらせないという沖縄の魂と、
強力に推し進めようとする自民党政府、強い圧力とのたたかいだ」


との発言に対して「そうだ!」とうなりのような声・指笛が飛びかった。

さまざまな政治勢力が陣営に群がっているなかにあって、県民世論が大きく陣営を縛り、
翁長陣営をして基地撤去をいわせる下からの力が高揚していることを反映した。

一方の仲井真陣営は、10月30日に沖縄市民会館で出陣総決起大会(沖縄市支部)を開いた。
会場では「仲井真ソング」が流れていた。作業服やスーツ姿の「動員組」が多数見られ、
1300人収容の会場には空きも見られた。

発言者は、「辺野古に新基地をつくらせないというのはごまかしだ。
キャンプシュワブがあるところを160㌶埋め立てるのだ。
ごまかしでは沖縄の振興はできない」(普久原沖縄市議会議長)、

一括交付金は沖縄だけだ。他のところの代議士からもうらやましがられている。
それを獲得したのは仲井真知事」(比嘉奈津美衆議院議員)、

「今回の選挙は保守と革新の対決。翁長は革新だ」
「これから一括交付金を使って全県下の小中学校の給食費を無料にし、
中学校3年まで通院も無料にする」(照屋自民党県連幹事長)など、
主に交付金ばらまきを主張する者が目立った。

仲井真前知事は「沖縄市の振興策は一括交付金を使えば簡単にできる」と発言。
交付金を政府から取ってくる作業は「仲井真候補しかできない」という発言に全体が収斂した。

選挙戦が始まると谷垣・自民党幹事長が応援にかけつけたもとで
7000億円かかるといわれる縦貫鉄道の推進を叫び、国とのパイプを強調した。

目下、埋もれた印象を漂わせているのが下地、喜納の2陣営で、
喜納氏については告示日に離島からサバニ(沖縄の漁船)でこぎ出し、
最後は海に飛び込むというパフォーマンスをして県民を驚かせた。

討論会では「私が知事になったら副知事は下地さん、顧問に仲井真さん、
辺野古担当は翁長さんにやってもらう」と主張した。

メディアのインタビューに対して「副知事にしてくれるなら立候補を取りやめる」と
翁長陣営に掛けあったことなどもみずから明かして
舞台裏のやりとりが有権者から驚かれている。

下地陣営も切り崩すべき票田は翁長陣営と明言するなど、
完全な批判票分断選挙であることが話題にされている



再び沖縄戦場にさせぬ 凄惨な体験胸に

沖縄市の男性は、今回の選挙は民主主義とは名ばかりの選挙であること、
批判票の分断構図は誰の目にも明らかで、
自民党を喜ばせる役割を果たした候補者については
「あとあとの生活なりポジションを保証されているのだろう」と語った。

そしてテレビ討論で喜納氏が翁長氏に
「私を副知事にするという約束をしたら今すぐ出馬を撤回する」といっていたことに対して
怒りをのべていた。「1万5000人集会で示されたように県民の圧倒的多数が
基地は絶対反対というのは揺るがない。

それを選挙テクニックで分断させるのが今回の選挙構図だ」といい、
予想以上に県民の世論が盛り上がっていることから
「安倍は青ざめていると思う」と思いを語った。

そして「期日前投票が増えれば翁長優勢になる。
3日前戦争の前に投票が終わっていれば謀略もきかなくなる。
今時点で例年になく期日前投票が多い」と期待を込めていた。

また辺野古への新基地建設はアメリカと中国との関係が悪化している状況のなかで
進められていること、ミサイルの射程圏内で辺野古は標的にされかねないことを指摘し、
「撃たれたら沖縄は終わりだ」と危機感をのべた。

さらに自身の体験として「戦時中サイパンで六万人いた民間人が殺されて3万人になり、
軍人は九七97%死んだ。出撃の拠点になっていたから、日本軍にはたくさん食料があったが、
食料は配られず各部隊には“民間から調達するように”といっていた。

みんな食料がなくトカゲ、ネズミ、水草、葉を探して食べて餓死していった。
“サイパンが玉砕した”といったが、まだたたかっていたのに国がまったく支援をせず、
沖縄に拠点を移すというのでうち切った
と当時の状況を語った。

そのなかで「自衛隊が前の戦争のときの軍隊のような状況になってきている。
訓練中にいじめによる暴行で死ぬ隊員が増えている
こういうことは戦争が起きる前に共通して出てくるものだ」
と語り、

「今の資本主義の末期症状のなかで、一握りの大資本家がいい思いをするようになり、
行き着くところまで行き着いた。マスコミは本当のことを書かず、
戦前の大本営発表と同じように右傾化とだまして真実をわからないようにさせている。
今回の知事選は絶対に勝って、戦争政治を止めなければいけない」
と強調した。

商店主の1人は「民主党が政権をとって自民党が野党になったところから、
基地批判で自民党が県政をにぎったが、去年の暮れに本来の姿を現した。
今回自民党のなかでも、仲井真の尻ぬぐいを誰もしたがらなかったのだろう。
それほど県民の世論は圧倒的に基地反対だ」と語った。

那覇市内の商店で働く婦人は「市場の中の高齢者の方たちは戦争を体験し、
そこからの熱い思いを持っている。知事選に対しても
仲井真を落として、翁長で基地反対の思いを示すんだとみんな話している。

沖縄県民は基地を受け入れるような県民ではない、県民の誇りをかけてやるんだ
と話になっている」と語った。

企業関係の男性は「今回の一番の争点は、この新聞にも書いてあるように金で動く者を落とす
県民のプライドをかけて翁長を当選させるということだ」と語り

「岩国も基地がどんどん大きくなって、全部基地機能が集まってきていると聞いている。
沖縄からも空中給油機が移転し、アメリカは中国を狙っている。
沖縄と岩国から戦争に行く準備が始められているということだ」とのべた。

そして「今回の選挙は全国に大きな影響を与えていく」と確信を持って語った。

拍手

世界で唯一成功した「社会主義国家」の日本はどこへ行った?

「逝きし世の面影」から記事の一部を部分転載。(誤記を勝手に2箇所訂正。赤字部分)
高度成長期の日本が所得税最高税率75%という累進課税により所得の平準化を図り、その結果、世界でも稀な「資本主義体制下の社会主義的平等国家」を実現したという事実を、なぜ多くの人は無視しているのか、私にはまったく理解できない。
そして、もう一つ。そこには「年功賃金、終身雇用」という、今の新自由主義的経営とまったく反対の経営方針が採られ、その結果、社会は経済的に発展し、人々は安定した生活設計ができ、経営者は労働者から憎悪されることもなく、労働者も経営者もみな幸福な生活を送れたのである。
それはグローバル時代とは無縁の、過去の「閉鎖された日本」の中での話だ、と言うのなら、なぜ今からでも鎖国をしないのだ、というのが私がずっと前から言い続けていることなのである。
近い過去には幸せな日本があった。なのに、なぜそれを振り返ろうとしないのか。
我々は「ハメルーンの笛吹き」の子供たちのように、我々を地獄に連れて行く先導者の後に付いていくのだろうか。



(以下引用)

『今だけ、金だけ、自分だけ』


1960年代から170年代にかけての日本の所得税の最高税率は75%であり現在の3倍。1億総中流の豊かで平等で平和な日本が、何と保守政党である自民党で実現していたのですから驚きである。
今の名前は以前と同じだが、格差を極限まで拡大する極右国粋主義の安倍晋三の自由民主党とは大違いなのです。
当時の日本国は年功序列と終身雇用、勤労者を100%完全雇用していたので、我が日本は『世界で唯一成功した社会主義国家』であると揶揄さていたくらいである。
経験が無い若年労働者は賃金が低いが、その分企業の責任で職業訓練を施していたし、勤続年数が上がる分給料も上がる。
日本は同一賃金同一労働の職能給でも
能力や功績に応じて高くなる能力給でも無くて、支出が少ない若年層を低くして家計の支出が増える中高年世代の給与を高くする仕組みであり、日本的社会主義そのものである。
結果世界一安定した平等で平和な国家が出来上がり、敗戦国だった日本は瞬く間にアメリカに次ぐ世界第二の先進国に駆け上がる。
ところがゲームのルールが唐突に変更されるのですが、この原因はバブル崩壊では無くてベルリンの壁の崩壊に続く23年前のソ連の崩壊(冷戦終結)である。
怖いライバル(仮想敵国ソ連)を失ったアメリカは誰にも遠慮することなく自分勝手に振舞いだす。
グローバリズムと称する『アメリカ化』の悪影響で、日本を含めて世界中が、まさに『今だけ、金だけ、自分だけ』の悪魔の碾き臼新自由主義で世界は大混乱に陥ったのです。その中でも特に日本の被害が酷かった。
(世界から見て一番成功している国々は地理的にフィンランドやスウェーディンなどソ連に一番近い欧州の資本主義諸国である)




拍手

あのトルストイが言ったから名言に思える、ということもある

素晴らしい名言だと思うのだが。
つまり「幸せはどこかから来るものではなく、自分の心一つでなれるものだ」ということを一瞬で分からせるところがこの言葉の名言たるところではないか?トルストイは仏教にも深い関心があったらしいが、この言葉には仏教の真髄を感じる。

幸せになりたいなら、なりなさい


(以下引用)


竹熊健太郎《編集家》 @kentaro666  ·  9時間前

トルストイの名言を調べていたら、 「幸せになりたいなら、なりなさい」 というのがあった。どこが名言なんだ?


拍手

仏教ダイエットの勧め

「DMMニュース」から転載。
冗談半分で書かれた記事(だと思う)が、実際に有効なダイエット方法でもある。というのは、ダイエットの大原則とは、「消費カロリー以下しかカロリーを摂取しない」ことしかないからである。そして、下記記事中の方法は基本的にはこの大原則に忠実なものではある。
ただし、私の考えでは、下記記事中の意見とは反対に「食欲はほとんどの場合必要摂取量より大きい」。そしてこれがダイエットの最大の難関になる。中には、食欲は無いのに食わずにはいられないという強迫神経症的な食事欲もある。たとえば「口さびしい」というのがそれだ。「口さびしい」という状態は本来の食欲とは異なるもので、精神的なものでしかない。
仮に、下記記事の方法で本当に食欲(あるいは食事欲)を断ち切ることができれば、いくらでも意のままに体重を減らすことができるだろう。もっとも、瞑想と分析で食欲を減らせる、とは私はあんまり信じられないのだが。
とはいえ、仏教の真髄がこの世への執着(様々な欲望)を断ち切り、涅槃の状態に入ることであるからには、食欲という欲望を断ち切るのも仏教的行為であるのは確かだ。

まあ、肥満に悩む人は、入滅しない程度に仏教ダイエットを試みてみてはいかがか。(笑)


(以下引用)赤字部分は、私が「?」と思うところ。「人体は欲求するよりも本当はもっとたくさんの量を必要としている」とは、「現在体重を維持するためには」という言葉を補わないと誤解を招くだろう。そして、もちろん、ダイエットのためにはその「必要としている量」を摂取しては絶対にいけないのである。「効果はバツグンで楽チン」の部分もおそらく嘘。これは「楽チン」な方法ではない。それは、仏道に志して、「悟り」を得るのは楽チンだ、というのと同じくらいの嘘だ。釈迦にはあれほどの修行と瞑想の年月が悟り(あらゆる欲望からの解放)には必要だったのだから、欲望の滅却が楽チンにできるはずはない。


体重が31㎏減!禁断の“仏教ダイエット”でみるみる痩せた

2014.11.09 08:00 DMMニュース


 先日、「炭水化物抜きダイエット」に関して、農林水産委員会でやり取りがあり、農水省生産局長がこのダイエット法に対して否定的な発言をしたことが話題になりました。


衝撃!? 日本政府、公式に「炭水化物抜きダイエット」に否定的見解を示す | みんなの党 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト


 実際、炭水化物の摂取を抑えるこのダイエット法には危険もあるらしく、過度な摂取制限は心筋梗塞や脳卒中などの発病リスクを高めると言われています。

効果はバツグンで楽チンだけど餓死の危険性も…

 さて、本日ご紹介する「仏教ダイエット」ですが、これもまた危険なダイエット法です。開発したのは真言宗の寺院住職、中村甄ノ丞さん。身長172cmの彼は、このダイエット法を実験してから一年一ヶ月で、体重を86kgから55kgまで落とすことに成功しました。


 「効果はバツグンで楽チン」とのことですが、「オススメできないダイエット法」でもあると言います。なぜなら「そのまま入滅する可能性があるから」。ウッカリ餓死しかねないこのダイエット法のポイントは「食べ物に対する欲求を消すこと」だそうです。


 このダイエット法を説明する前に、まず仏教とはどのようなものか、から説明しましょう。仏教には様々な形がありますが、乱暴に簡潔に言うならば「瞑想中の己の精神状態を観察し、悟りと呼ばれる精神状態を目指す」と言えるでしょうか。輪廻転生や念仏(南無阿弥陀仏)などは、この実践行為に関する説明であり拡張と言えます。


 中村さんによれば、瞑想中、つまり「五感を働かせない」状態では、人間はネガティブな思考ばかりするようになるのだと言います。普段は意識しない「あれがしたい」という欲望や、「ああすれば良かった」などの後悔がどんどんと湧いて出てくる。これが煩悩。


 そして、そういった感情を、何とか解決して乗り越えようとするのではなく、一歩引いてそれらを観察する。「ふうん、こんな感情が出てくるのかあ~」と他人事のように思う。そういった感覚を慣らしていくと、そういった一つ一つの欲望や悩みが「価値の無いもの」「どうでもいいこと」に思えてくる。


 そして悟りに近付いていく……、と、このような実践過程をまずイメージして下さい(もちろん仏教にも色々ありますので、皆が同じ実践法ではありません)。それで、仏教ダイエットでは、これらの煩悩のうち「食欲」にフォーカスを当てることで、「食欲」を「どうでもいい」と感じるように心身を慣らしていくわけです。


 具体的なやり方はこうです。まず、食事は一日一食、昼食のみ。これは制限なしで何を食べてもOK。すると、当然お腹が減るのですが、この「お腹が減っている」という状態を観察し、分析します。われわれは「お腹が減っている」と一口で言うけれど、中村さんによれば、これも分析することで、「物理的にお腹が減っている」「カロリーが足りていない」「口が寂しい」「肌がカサカサする」「身体がアミノ酸を欲している」「身体がミネラルを欲している」などに細分化できるのだそうです。


 そして細分化の結果、自分がいま「どのタイプの空腹なのか」を見極めたら、次にその食欲の「適切な満たし方」を探し出します。例えば身体がアミノ酸を欲しているならばコンブを食べればいいし、物理的にお腹が減っているなら蒟蒻や牛乳で物理的に胃袋を埋めればいい。「ハンバーグが食べたい」と思った場合も、それを分析していくと、自分はただ「脂質が欲しい」「塩分が欲しい」と思っていただけに過ぎないことが分かり、油を舐めたり、塩を舐めたりして解決するようになるのです。


 中村さんは実験として、「〇〇〇が食べたい」と思った時にその成分を細分化して、成分を別個に摂取したのだそうです。すると結果として、その食品を丸のまま食べた時とほとんど同じ満足感を得ることができたのだと言います。なんとも味気ない話ですが、われわれの「欲求」の正体とは実はこんなものなのかもしれません。


 しかし、どう考えてもそんな食生活が楽しいとは思えません。ですが、これに身体が慣れてくると、そもそも「ハンバーグを食べたい」などの欲求が湧かなくなり、「塩を舐めたい」「油を舐めたい」と最初から細分化された形で欲望が湧くようになるのだそうです。そして、その欲求すらも薄れていき、「活動して消費した分だけしか摂取する必要性を感じなくなってくる」。こうして人間は煩悩の一つである食欲を克服することができるのだと言います。


 すると、どうなるか? この実践行為を通して中村さんが分かったのは、「人体は欲求するよりも本当はもっとたくさんの量を必要としている」ということ。油を舐めたり塩を舐めたりすることで欲求は完璧に満たせても、肉体的には全然足りていないので体重はガンガン落ちていきます。しかし、欲求は満たせてるし、常時飢餓状態だから一日一回の食事も美味しくて食べ物に心から感謝できて毎日楽しく、体重が減り、動きが機敏になるので前よりも元気になったと錯覚します。周囲の反応はと言うと、


「86kgから始めて、65kgまでは檀家も目を輝かせながら『どんなダイエット法なのか』と聞いてきました。しかし、62kgを下回ってからは『頼むから何か食べてくれ』と言われるようになり、55kgの時点で入滅の危険に気付いて中止しました」


 とのこと。


 ちなみに中村さんは、小麦の高騰とそれに伴う「小麦食品が食べられなくなる」未来をシミュレーションするテレビ番組を見ていた時に、「小麦が高騰しただけで世を憂いなければならないのか」と感じて、食欲を克服するためにこの方法を考案したのだそうです。……確かに、小麦高騰も小麦関係の人には死活問題かもしれませんが、いち消費者としては小麦が手に入りにくくなれば、無理なく買える範囲で小麦を食べればいいだけの話です。


 そんなことで大袈裟に世を儚んでる人々を見たら、仏教者としては何か実践的な解決手段を考えたくなるのも当然かもしれません。「よく考えて下さい。あなたが必死に思い悩んでるそれって、本当にそんな大変なことですか? 意外とどうでも良くないですか?」というのが仏教のメッセージの一つですしね。


 なお、当然ですが、このダイエット法はサラリーマンなどには実践困難だと思います。付き合いもあるでしょうし、飲みュニケーションの場で塩や油を舐めていたら間違いなく嫌われます。中村さんいわく、「このダイエット法をやろうと思ったら、まず出家すると良いでしょう」とのことです。


(写真/Andrea Schaffer)

著者プロフィール

拍手

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析