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プロデザイナーの「紳士協定」を土足で踏みにじるネットの「正直な」子供たち

「泉の波立ち」から転載。
ここまで来ると、佐野研二郎が気の毒な気もしてくる。彼の仕事の大半がパクリであったことは確かだと思うが、デザインとはもともとそういうものではないか。つまり、「素材を変形したり合成したりして『新しいもの』とする」わけで、素材の無いデザインは存在しない。その素材が既成のデザインだった場合が問題になるわけだが、それが意図的なものか偶然のものかは判断困難なグレーゾーンが多いだろう。そのグレーゾーンをプロ同士は「好意的に解釈する」という「紳士協定」によって成り立っているのがプロデザイナーの世界だ、と考えるのが妥当なのではないだろうか。プロデザイナーの多くが最初佐野氏を擁護したのは、デザインの世界がもともとそういうものだと分かっているからだろう。
ところが、そこにネットという怪物が現れて、「盗作だ盗作だ」と騒いだもので、プロデザイナーの世界自体が崩壊しかかっている、というのが現在の状況ではないだろうか。(子供が「王様は裸だ」と叫ぶのに似ている。「空気を読めよ」と「大人」は言うわけだが、「子供」は思ったことをそのまま言うから大変だww)
私自身は、佐野氏の顔が嫌いだし、彼が博報堂や身内のコネで現在の地位を作ったらしいことも不快だし、彼の仕事の多くは「グレーゾーン」を超えたブラックなものだと思うが、彼をあまりに叩きすぎたことで、彼がすべてを失うことになるというのは、「小悪」に対して、過重な罰ではないか、と思う。フクシマに関して、こんな小悪党よりもはるかにひどい悪事(放射能による大量傷害、または殺人と、避難家族の財産と生活のすべてを奪う、という悪事)を行ってきた東電幹部や政治家や官僚の誰一人、罰を受けていないではないか。
さらに、今回の事件が「著作権」強化につながることも私は危惧している。私自身の意見は、「あらゆる創作は過去の創作を基にした二次創作でしかない」というものだ。素材の組み合わせ方や並べ方など、そこに少しでも新しいものが含まれれば、単なる模倣ではなく「創作」と見ていい、ということだ。そして、「創作」の基準を厳しくする、つまり著作権の保護を厳しくすれば、あらゆる創造は痩せ細っていくだろう。このことに関して、「播州武侯祠遍照院」所載の山崎行太郎の文章を「引用2」で転載しておく。
なお、思いついて「デザイン」を英語辞書で引くと、その複数形は「陰謀」の意味があるらしい。(笑)


(以下引用)

2015年09月03日

◆ 多摩美が佐野作品を削除

 多摩美のサイトに掲載されていた佐野研二郎の代表作が、削除(公開停止)されてしまった。

 ──

 前項 では、佐野研二郎の代表作として、多摩美のサイトに掲載されていたサイトを紹介した。(代表作の画像つき。)
  → http://www.tamabi.ac.jp/prof/pr/adv.htm

 これは、昨日の深夜の段階では、きちんと表示されていた。
 ところが、今では、この作品が削除されてしまった。脱殻のようなページだけが残っている。

 つまり、著名な広告賞を四つも受賞した、佐野研二郎の代表作が、「なかったこと」にされてしまったも同然だ。少なくとも多摩美としては、その方針である。

 ──

 いったいどういうことかと思って、検索してみたら、こういう事情だった。
 佐野氏が教授を務めている同氏の母校・多摩美術大(東京都)は、大学ポスターを含む他の盗用疑惑で、理事会の討議次第では来年以降に予定する講義が取りやめられる可能性があることを示唆。
 同大の総務課によると、エンブレム問題に関しては「組織委員会が見解を示していますし、当校としては問題にするつもりはありません」と、撤回が決まったものの不問にする構え。ただ、問題となるのは、先月中旬に発覚したサントリーのキャンペーン賞品デザインと、数日前からネット上で指摘されている同大学の広告シリーズポスター「MADE BY HANDS.」の盗用疑惑だ。
 特に「MADE―」は、大学に関わる問題とあって重要視。総務課では「近日中に行われる予定の理事会で、間違いなく議題として上がるのではないでしょうか」としている。現在、大学は夏休み中で、学内では騒動となっていないが、学外からメールなどによる指摘が届いているという。
 同課の担当者は「理事会の結論次第では、佐野氏の講義が行われなくなることもあるのか」との質問には、「その可能性は否めないと思います」とした。理事会の緊急討議次第では、来年以降に予定されている「佐野プロジェクト」と名付けられた3、4年生の講義がなくなる可能性がある。
( → 2015年9月3日 スポーツ報知

 他に、次の記事もある。
  → 佐野氏母校の多摩美大困った…13年ポスターに疑惑

 こういうふうに世間で話題になったことで、多摩美としても問題を放置できなくなったようだ。

 で、当の画像が公開されなくなったので、何とか保存しようとして、Google キャッシュを探したり、魚拓を探したり、Web Archive を探したりしたのだが、どこにも残っていなかった。すべて削除済み。
 せっかくの作品が、もはや見られなくなった状態だ。

 ──

 ただし、必死に探すと、いくらかは見出すこともできる。たとえば、これだ。(サムネイルのみ。)
  → http://j.mp/1JPHP3y
   
 こっちのサイトもある。
  → http://www.dandad.org/awards/professional/2014/branding/23324/tamabi/
  → http://www.spoon-tamago.com/2013/05/09/made-by-hands-tama-art-university-ads-by-kenjiro-sano/


 なお、佐野研二郎のサイトは、現在、閉鎖されているのも同然なので、何の情報も見つからない。
 


 [ 余談 ]
 それにしても、ここまで来ると、もはや「すべてを失った」という状況だ。業界内で生きていくことも困難だろう。あらゆる仕事を失いかねない。その一方で、事務所の維持には、莫大な金がかかる。
  → MR_Design(佐野研二郎代表)のオフィスがオシャレすぎ
 このままだと、収入がないまま莫大な支出を迫られ、破産しかねない。人生そのものが破滅になりそうだ。

 思えば、サントリーのトート・バッグの件が話題になった時点で辞退しておけば、これほどひどくはならなかっただろう。なのに、あくまで「おれは正しい、パクリはしていない」と言い張ったせいで、徹底的に絞られて、すべてを失うハメになった。
 すべてを望んだせいで、すべてを失うことになった。

 ──

 なお、私は前に、次のようにコメントしておいた。
 佐野研二郎は、もはや自発的にデザインの撤回を申し出るべきだ。

 一方、本人が何もしないでいると、どんどん世論の糾弾を浴びて、本人がぼろぼろになる。自殺行為も同然だ。
 巨大な敵から巨大な攻撃を受けているときには、白旗を掲げるのが、生き延びるための唯一の策だ。
 無為無策でいると、そのうち、原爆を落とされて、莫大な損害をこうむるだろう。
( → コメント by 管理人 at 2015年08月30日 10:17

 ここで忠告したとおりになってしまった。(上記を書いたのは 30日だが、その翌日の 31日に、多摩美のポスターの盗用が発覚した。 → 別項



(引用2)

私は、デザインやデザイナーというものに興味がない。

しかし、「五輪エンブレム問題」をめぐるネットやマスコミの「騒動」には興味がある。

私が「ネット右翼亡国論」で問題にするテーマが、そこにあるからだ。

今回は、「盗作」や「パクリ」が問題になっている。デザインにおける盗作とパクリ。そもそもデザインにおける「オリジナル」とは何か。

ネットの世界では、「似ている」ということが、即、盗作やパクリということなっているようだ。「似ているか、似ていないか?」は、素人にも理解できる。

いわば、これが「ネットの正義」「ネットの倫理」である。

私は、そこに問題があると考える。

少なくとも、今回は、デザイン業界が、「アマチュアの倫理」に過ぎない「ネットの正義」に屈服した事件と見ていい。

これからデザイン業界は、「模倣」や「模作」「パスッテイッシュ」「オマージュ」という芸術や文学・・・に不可欠な技法に敏感になり、そういう技法に躊躇するようになるだろう。むろん、これによって、デザイン業界も、貧困化、凡庸化、幼児化していくだろう。





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「夢の高校」考

夢の高校について考えてみたものを下に転記しておく。末尾の二つの校則は、冗談ではない。「性と暴力」は人間の二大衝動であり、教育の大きな二つの障害である。これを認めたら、教育は不可能になる、と私は考えている。少なくとも、学校内にセックスと暴力は持ち込まない、ということが重要である。もちろん、恋愛禁止、ではない。それは禁止して禁止できるものではない。




「夢の高校」考




「夢の高校」の具体的内容を考えてみる。



まず、基本コンセプト(広告業界では単に「コンセプト」と言うようだが、コンセプトは「概念」の意味だから、「中心的コンセプト」か「基本コンセプト」と言うべきではないだろうか。)から。



1)これまでの、「大学入試」だけのために存在するような、学力向上あるいはテスト能力向上のみを目的とする高校、あるいは運動部による売名で生徒集客のみを目的とする高校ではなく、生徒自身がそこに通うことが喜びでありつつ、社会で生きていく能力を増大させられる高校。



2)教師主体ではなく、生徒主体の学校。つまり、教師はあくまで生徒活動の補助と、一部の専門的分野での講義を主とし、その他の生徒活動にはほとんど口を出さない。同様に、生徒も教師のプライベートに口を出さない。基本は生徒の自学自習である。



3)教科内容は大きく二種類あり、第一種はこの高校だけで終了する教科、第二種は大学での勉強につながる教科。後者のための「受験教科」も第二種に含む。つまり、大学入試を完全に無視するわけではないが、基本的には、高校の学習は高校で終了、とする。受験対策は、一部の希望者のみが対象となる。



ここから、詳細内容に入る。



1)第一種の教科はだいたい次のようなものを考えているが、追加や削除は随時行う。



イ:身近な法律(道交法、住民登録その他の登録義務、民法の一部、その他)


ロ:身近な経済(税、公共料金、保険、銀行、会社の基礎知識、その他)


ハ:芸術(楽器演奏、美術実技、文芸実作、書道実技、茶道、その他)


ニ:自動車(特殊車両含む)運転


ホ:家庭科(大工仕事、工作、電気系修理技術、裁縫、手芸、料理、その他)


へ:体育(純粋体育、各種スポーツ、各種武道)


ト:ヘルスケア(栄養学、身体機能学、初歩の生理学、基礎の生物学、市販薬の知識、その他)


チ:情報リテラシー(スマホ、パソコンその他の情報機器の取り扱い方とネットの注意など)


リ:災害対策常識(災害救助、応急処置、サバイバル、その他)


ヌ:身体表現(発声法、演技、ボイスコントロール、メーキャップ、衣装知識、その他)


ル:外国語(エスペラント、英語、中国語、その他)


ヲ:政治学(歴史含む)



2)第二種は現在の高校の授業内容とほぼ同じなので省略。



3)時間配分は、1日に第一種2コマ、第二種2コマの各50分4コマが基本。午後は課外活動、クラブ活動、もしくは自由。土日は授業無しだが、学校は使用可。(3年間、午後は野球だけでも図書館に入り浸りでもピアノばかり弾いていたでも可)



4)校則1「校内でのセックスは禁止」(笑)この種の高校で、これを認めたら風紀退廃は確実。



5)校則2「身近な他者への嘲笑と愚弄、暴力を禁ずる」。目に余る校則違反者は退学。べつにこの高校はDQNの救済機関ではなく、一般の子供の全的な能力を伸ばすことを目的としている。





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武装によってのみ守られる、という思想を排す

「反戦な家づくり」から転載。
下の記事にある高校生の言葉は、おそらく世間大多数の考えと同じかと思う。つまり、それだけ強力に人々の心を支配している固定観念だ、ということだ。
前回の「進撃の巨人」も同じことで(この高校生も案外あの漫画やアニメのファンなのではないか?)、「こちらが理性的にふるまっても、理性的対応の通じない相手にどう対処すればいいのだ。戦うしかないだろう」という考えである。つまり、相手は「ニヤニヤ笑いながら『人類』を食う、何を考えているかも分からない凶悪な巨人」、こちらは理性的な『人類』だが、こちらが平和主義で、戦いを放棄すれば食われるだけ、という思想だ。これは右翼や軍国主義者だけの考えではなく、一般大衆にも共有されている観念だろう。もっと言えば、人類が、戦争すなわち『人類』同士の殺し合いの長い歴史を通じてほとんど本能に近くなるまで心に植え込まれた固定観念である。だからこそ、強い説得性(というより俗情に訴えるもの)がある。
確かに、この高校生の言うように、「この世の中にはこちらがいくら歩み寄ってもひどいことをしてくる人がいる」。その類推で、だから国と国も同じだ、と考えるのは自然だろう。特に、お隣の中国や韓国には「こちらがひどいことをしてきた」のだから、その仕返しに「こちらがひどいことをされるにちがいない」と考えるのも自然と言えば自然だろう。だが、それが正しいかと言えば、そうとも言えない。
第一、国と個人は同一視はできない。比喩は比喩でしかないのである。ヤクザやキチガイのような国、道理の通らない国が存在するのは確かだが、それはお隣の中国よりも日本の宗主国の米国の方だろう。中国は、現代世界ではほぼ理性的行動をしてきている。(国境問題での小さな紛争はあるが、アメリカのような侵略戦争や敵国家転覆工作はしていない。)韓国も然りである。韓国の「日本非難」にうんざりさせられるのは毎度のことだが、それは言葉の上だけのことだ。日本が実質的に被害を受けたことはほとんど無い。つまり、「国も人の集合なので世界には一定数のそのような国があるということです」の、「そのような国」は、日本にとっては中国や韓国よりも、TPPなどを日本に押しつけ、日本国内に基地を置き、日本の政治の決定権すら持っている米国に該当する、ということだ。
だが、それにしても、日本が軍備を拡充し、「戦争のできる国」になった時の予想される惨禍よりはまだマシな状況だろう。日本が「米国の戦争」に参加した場合、「敵国」から狙われるのは、強国アメリカではなく、その弱い属国、日本の方に決まっている。その際、米国はいつでも日本を切り捨てることができるのだ。そのための「戦争法案」に決まっているではないか。何も、日本を守るために米国は日本を「戦争のできる国」にしたいわけではない。
第二に、「武装をすれば安全だ」という考えがほとんど妄想だ、ということをこの高校生は分かっていない。武装をすればむしろ武力闘争を引き起こす蓋然性が増す、というのは、世界一の武装大国アメリカが実証していることだ。軍隊は自らの存在価値を証明するためには定期的に戦争をする必要があるし、軍需産業も戦争を必要とするのである。銃大国アメリカは、その膨大な数の銃のゆえに、キチガイじみた数の銃犯罪を抱えているのと同様の話である。武器は平和をもたらす、というのは、武器が拡散していない状態(つまり、武器の独占による支配権の確立)でのみの話であり、世界中に武器が溢れている状態では、武装することはけっして安全を意味せず、むしろ突発的な「武力衝突」の蓋然性を高める、ということである。
では、どうすればいいか。それは「武器を捨てる」ことである。一国だけ武器を捨てることに抵抗感があるのは分かる。だが、丸腰で町を歩けば必ずヤクザや不良に襲われる、という恐怖そのものが幻想であり、ほとんどの市民は武器など持たずに町に出るものだ。それと同じだ、と言えば、比喩で現実を語る愚に私も陥っていると思われるだろうが、分かりやすく言えばそういうことである。そして、何よりも、自衛隊という「(憲法9条により)世界唯一の戦争のできない軍隊」しか持たなかった日本が世界の先進国でほとんどただ一つ、70年間の平和を享受できた、という事実が真実を語っているのである。


(以下引用)


自衛隊は武器を捨てて『国境なき救助隊』に その2

「自衛隊は、武器を捨てて『国境なき救助隊』に」という記事を書いてから、もう4年が経った。

この考えはいまでも変わっていない。
なぜだか今頃になってこの記事にコメントが来たので、ちょっと関連して書いてみたくなった。

コメントは以下の通り

あくまで一意見ですが....
世界中で慈善事業をするということは素晴らしいのですがそのための非武装化はどうかと思います。この世の中にはこちらがいくら歩み寄ってもひどいことをしてくる人がいます。僕はまだ高校生ですが、すでに3人のそのような人に傷つけられました。国も人の集合なので世界には一定数そのような国があるということです。いざという時の備えをしないでそんなやり方に期待するのは我々国民の安全に無責任で失礼ではないでしょうか。
2015-09-02 犬神

(引用以上)

犬神さんは、かなり記事を読みちがえているようだ。

このプランのキモは、「慈善事業ではない」ということ。したがって、やったことについて「お天道さんが見ている」なんてもっての外で、世界中にドヤ顔で宣伝しまくらなくてはならない、ということ。
そのことで、侵略されるリスクを極限まで低くする、ということだ。

もちろん、もとより今の日本が侵略されるリスクは高くないが、かといって、万策を尽くしてもゼロにもならない。
ゼロにならないことを「無責任」というのならば、とりあえず武装して「安全です」と言っている方がよほど無責任だ。
世界中を助けまくった挙げ句に侵略されるリスクと、とりあえず自衛隊が武装しても侵略されるリスク、どちらが危ないかなんてどうやって分かるのか??

国家間が非常にシビアになって、結果戦争になった場合、双方が武装していれば、一方的にどちらかが悪者にはならない。
世界規模で見れば、かならずどちらかの肩をもつ勢力が出てくる。

しかし、完全非武装で、年間何兆円もかけて、命がけで世界中の災害救助をしている国を侵略したら、その国を擁護する国があるだろうか?

どうやっても日本のリスクをゼロになんてできないが、現実的に、きわめてリアルな問題として限りなくゼロに近づける策として、私はあの「自衛隊は、武器を捨てて『国境なき救助隊』に」を書いたのだ。


同時にそれは、米国からの独立を目指す道でもある。
何のビジョンもなく、一方的に日米安保の破棄を宣言したら、間違いなく日本はアメリカに再占領される。

主要な政治家の粛正という方法かもしれないし、在日米軍が武器を持って永田町界隈を制圧するかもしれない。
方法は分からないが、米国の実力(ゲバルト)によって、日本は再占領される。

そうならずに日米安保=日本支配を脱するためには、決して米国に敵対しない、積極的な利敵行為はしないということを、納得させなければならない。
そのためにも、完全中立の緩衝地帯になることが、G2体制下においては米国にとっても利益があるということを説得しなければならない。

そのためにも、「自衛隊は、武器を捨てて『国境なき救助隊』に」することは、必要かつ有効な方法だと思うのだ。

戦争法案に反対するその目線の先に、そうしたことも考えなくてはならないと、最近とみに思う。

憲法破壊の戦争も、立憲主義の戦争も、どちらも私はしたくない。

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『進撃の巨人』の「『人類』を喰らう『巨人』」は中国を暗喩したものだろう

HULU(ネット配信TV)に「進撃の巨人」が入っていたので第一回を見てみたが、あきれた「反中国プロパガンダ」の右翼アニメ(漫画)であるようだ。子供の頃からこういう漫画やアニメで「中国嫌い」「中国恐怖」を心の中に植えつけようという電通(アメリカ)の戦略だろう。
どう考えても、主人公たち(人類)の住む「シガンシナ」は「シナの此岸」、つまり「日本海の彼岸である中国のこちら側、日本」の意味でしかない。
つまり、高い壁に守られて100年の平和の惰眠を貪っていたシガンシナの住人とは、「日米安保と米軍に守られて」70年の平和を享受して軍備不要論を唱える「憲法9条で頭がお花畑の日本人」を揶揄したもので、「壁の向こうの凶悪な巨人」に対し危機意識を持ち続けていた「高い意識の主人公」とは、中国の軍備増強に備えて、日本も軍備増強し、強兵政策を採るべきだ、という右翼少年、右翼青年であるわけだ。
これが日本のマスコミの応援を受けてベストセラーになり、アニメになり、映画化もされる、というところに今の日本が米国の手の上で踊らされている状況がありありと分かるが、そうした背景も知らず、「進撃の巨人」を喜んで見て、右翼少年化していく子供たちが大量生産されることだろう。





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学校に行くのが死ぬほど嫌(いや)という生徒たち

「ライブドアニュース」の記事の一節である。
鎌倉市図書館のツィートが転載できなかったが、学校に、死ぬほど行きたくない子は図書館においで、というような内容である。これはいい呼びかけである。
実際、学校で習える程度のことは自学自習できるし、図書館には学校などよりはるかに膨大な「本物の知識」が詰まっている。図書館を「私の高校」とすればいいのである。
ところで、いじめとか、「学校が死ぬほど嫌(いや)」という問題について考えてみたいと思うのだが、今日は、その前提として、仮説だけ少し。

1)いじめをする子というのは、本人自身、周囲の状況から過大なストレスを感じており、その発散の手段がいじめである、ということ。
2)いじめ問題の最大のポイントは、「逃げ場」が無いと子供には感じられていることではないか、ということ。(上記の図書館は、その逃げ場として有効だろう。ただ、周囲の大人がそれを理解し、賛同してくれる必要がある。これは社会的運動に発展する可能性もあるのではないか。)
3)友人関係とは、子供社会における「日常の政治」でもあり、政治的交渉や立ち回りの苦手な子がいじめ被害者になる、ということ。つまり、弱者だから、ではなく、強者であっても、集団化したいじめに対抗するのは困難だ、ということ。いじめ被害者への「強くなれ」という言葉は、概括的すぎる嫌いがあり、また、個人的努力を過信しすぎた言葉ではないか。もっと、集団システムとしての抑止政策が必要。つまり、「学校そのもの」を根本から変えることが、いじめ問題解決だけでなく、子供の幸福のために必要ではないか。

この3)に関して、少し前に書いた「夢の高校」を現実的に考察してみたい、と考えている。

つまり、「夢の高校」は学校から逃げる必要性を無くすという根本的解決策、「アジール(避難場所)としての市民図書館」は、現段階での緊急避難的な解決策、ということである。


(以下引用)


番組では鎌倉市図書館のTwitterアカウントがイジメに悩んでいる子どもたちに向けたツイートを紹介し、新学期が始まるにあたってのイジメや自殺問題について取り上げた。

その中で内閣府の調査として、1972年~2013年までの18歳以下の自殺者が、年間でもっとも多い日付が9月1日であることを紹介した。



VTR後に松本人志は、自身がイジメを受けていたわけでも、友達がいなかったわけでもないとしたうえで「8月の終わりからブルーになる」と、学生時代を振り返りながら一定の理解を示していた。

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肉体労働心得

世田谷区保健センターというところのホームページから転載。
ふと、乳酸がなぜ肉体的疲労(筋肉疲労)の原因になるのか、そのメカニズムが知りたくなってネットを見たところ、驚いたことに、乳酸は疲労の原因ではない、とか、乳酸を疲労物質と呼ぶのは間違いだ、と書かれたサイトが最初にずらっと並んで出てきた。
これはまたしても、医学界の陰謀かな、という気がするので、根気よく、乳酸と疲労との関係を説明したサイトを探して、見つけたのが下の記事だったわけだ。

この説明は実に腑に落ちる。筋肉は酸に弱いから、乳酸が蓄積されると十分に働けなくなる、それが疲れやだるさ、筋肉の張りになる、というのは合理的な説明ではないか。実際、肉類を酸に漬けると変性する現象は私も知っている。要するに、薄切りの生ハムにレモン汁をかけると白くなる、といったことだ。乳酸もクエン酸も同じく酸である。肉の赤身は鉄分であり、それが白くなるというのは鉄分が失われか変質したということだろう。ということは、酸素を保存する力が失われたということではないか。こう言うと、クエン酸は疲労回復に効用があるはずではないか、と言われるかもしれないが、それも怪しいものだ。少なくとも、クエン酸が筋肉に直接働きかけて疲労回復させるのではない、と思う。
ところで、乳酸は筋肉の無酸素活動で生じるらしい。ということは、酸素供給をきちんとしながら活動すれば肉体疲労は最小限度に抑えられる、ということだろう。実際、そうであるらしい。私は肉体労働者だが、仕事に慣れるまでは「力をこめて仕事をする」のが常で、そのころは毎日のように死ぬほど疲れていた。というのは、力を入れる運動とは自然に「無酸素運動」になるのである。要するに、息を止めないと全力は出せない、ということだ。逆に言えば、全力を出す必要も無いのに息を止めて無酸素運動をすると、死ぬほど疲れる、ということである。
百姓仕事などもそうだと思うが、長時間の肉体労働をする人は、実にゆったりと仕事をする。力などほとんど入れることはない。力は道具や機械が出してくれるのであり、自分自身の力をいかに使わないようにするかが、肉体労働の秘訣だと言えると思う。
で、私自身の経験から言えば、「呼吸をゆっくりとすること」が「疲れない労働」のポイントだった。別の言い方をすれば、「常に静かに呼吸をしながら動くこと」「無酸素運動をしないこと」が秘訣である。切迫した呼吸は、どうしても切迫した動作になり、無意識的に無酸素運動になりがちなのである。呼吸をうまくコントロールできれば、肉体労働者の初段くらいにはなったと言えるのではないだろうか。
なお、付記すれば、無酸素運動による急激な疲労は、完全にではないが、呼吸を整えながら有酸素運動をしている間に回復するものである。つまり、筋肉に酸素を送り込むことで疲労の一部は回復できる。「運動をしながら疲労回復できる」わけだ。これも長時間の肉体労働の秘訣で、ここでも呼吸を整えることが大事である。
念のために言うが、乳酸は肝臓でブドウ糖などに変わるから、乳酸自体が完全に悪というわけではない。ただ、疲労に関してはやはり悪玉だろう、という話である。

なお、ここは疲労の問題を話しているのであり、筋肉細胞の分裂、つまり筋肉の増大は筋肉の無酸素運動で起こると言われており、若者が肉体を作り上げる過程では無酸素運動も大事である。まあ、筋肉など、現代生活でそれほど必要だとは私は思わないのだが、男の「見た目」には筋肉も大事だろう。ただし、日本の女性は男性の筋肉をそれほど魅力的だとも思っていないと聞いたことがある。特に、ボディビルダーの体は滑稽でグロテスクだと思うようだ。実は私もそう思う。必要以上に筋肉のついた体は、男でも美しくはない。優れたアスリートは必要以上の筋肉は体につけないものだ。というのは、たとえばボクサーなどが上腕二頭筋などを鍛えると、(それは腕を縮める筋肉なので)パンチのスピードは落ちるからである。ただし、一般的には力やスピードは筋肉の量に比例してはいる。私が言うのは、無目的な筋肉は無意味だ、というだけの話だ。男なら多少は筋肉質のほうが見た目はいいだろうから、若者が体を鍛えることは結構だ。だが、それより自分の頭で物事を正しく判断できる程度に頭を鍛え、友人と政治の話がまともにできる程度に本を読み教養をつけるべきだろう。


(以下引用)



あなたの疲れの原因は?疲労の正体を見極めよう!上手な心とからだの休め方
疲労回復のメカニズムをよく知れば、効果的な回復方法が見えてきます。
疲労回復のコツ-イラスト
疲労は、肉体的疲労、精神的疲労、神経的疲労の3つに大きく分けることができます。

肉体的疲労の主な原因は、筋肉を動かすためのエネルギーの不足と、疲労物質(乳酸)の蓄積。ガソリンが切れた車が動かないのと同じように、筋肉もエネルギー不足の状態では力を発揮することができません。また、糖質が分解されてエネルギーとなるときにできるのが乳酸。筋肉は酸性に弱いため、乳酸が多く蓄積されると十分に働けなくなります。それが疲れやだるさ、筋肉の張りとなってあらわれます。

また、同じ姿勢を続けるなど、一部の筋肉が緊張を続けていれば、そこに乳酸がたまり、確実に筋肉の働きは悪くなります。さらに、筋肉は適度に動かさないと萎縮し、どんどん弱くなっていきます。動かないことが、もっと疲れやすい身体を作ってしまうのです。

精神的疲労は、人間関係や悩み事などのストレスを原因とする心の疲れ。神経的疲労は、デスクワークなどで視神経や脳が緊張した状態が続くことによって起こる、頭の疲れです。

疲労回復のコツ-イラストこれら3つの疲労は、互いに密接に関係しており、放っておくとさらにしつこい疲労へとつながります。たとえば、脳が緊張している間は、交感神経の働きにより内臓や筋肉が働き続けているため、身体へも疲れがたまっていきます。また、身体や脳の疲れは自律神経のバランスを乱し、精神状態にも影響を与えます。

疲れはこじれる前に、すっきり解消しておくことが大切。
そのためには、姿勢休養睡眠運動食事の、5つの方向からアプローチしていく必要があります。それぞれ、疲労回復につなげるちょっとしたコツを知れば、すぐに実践できるものばかり。

今度の休日は、ゴロ寝するより効果的な「積極的疲労回復の日」にしてみませんか?
効率的に疲れを取る! 5つのポイント
ポイント1─姿勢
デスクワークや家事などで長い時間同じ姿勢を続けていると、一部の筋肉が緊張し、そこに乳酸がたまってきます。さらに動かさない筋肉は血行が悪く、乳酸が流れ出にくいため、なかなか疲れが取れません。筋肉に負担をかけすぎないようにするには、正しい姿勢を心がけましょう。
疲労回復のコツ-イラスト 疲労回復のコツ-イラスト

ポイント2─休養
疲労回復のコツ-イラストゴロゴロ横になっているだけが休養ではありません。心と身体をリフレッシュする時間を持つことが大切です。

お風呂は浮力・水圧・水温の働きで筋肉を緩ませ、血液循環をよくします。この時、体内の老廃物を排出させるとともに、神経の緊張も心地よくほぐしてくれます。

ぬるめのお風呂にのんびり入って、リラックスしましょう。このとき、お風呂の中で、疲れている部分をマッサージするとより効果的です。
ポイント3─睡眠
疲労回復のコツ-イラスト睡眠は脳や身体を休めるとともに、成長ホルモンが分泌されて細胞が活発になったり、食べ物が消化吸収されて栄養が蓄えられます。

明日の活力になるエネルギーが作られる、大切な時間なのです。

眠りには身体を休めるレム睡眠(浅い睡眠)と、脳を休めるノンレム睡眠(深い眠り)があります。レム睡眠とノンレム睡眠は90分でワンセットの周期を繰り返しているので、6時間か7時間半くらいの睡眠で起きるようにすると、すっきり目覚めることができます。

心地よい眠りが得られるよう、寝室の照明や枕の高さを工夫してみましょう。
疲労回復のコツ-イラスト
ポイント4─運動
筋肉にたまった乳酸は、適度に体を動かすことでよりスムーズに排出されます。
疲れたからとゴロゴロ動かないでいると、乳酸の排出が遅れ、なかなか疲れが取れません。

散歩のすすめ
適度な運動は、筋肉や内臓の働きを活発にし、血液の循環を良くするうえ、疲れにくい元気な身体を作ることにも役立ちます。

また、自然の中をのんびり散歩することは、心のリフレッシュにも最適。自分のペースで楽しみましょう。
ポイント5─食事
1.1日3食、とくに朝食・昼食をしっかり食べる
朝食や昼食を軽くすませるのが習慣になると、ミネラルやビタミン類などの微量栄養素が不足しがちになります。 また、夕食をたくさんとると睡眠中に胃腸が休まらず、翌朝まで負担がかかります。

2.時間をかけて、よくかんで食べる  
食べ物の消化吸収は、ゆっくりくつろいだ状態のときに、よりスムーズに行われます。早食いであったり、よくかまないで食べると、消化不良をおこし、胃腸が疲れてしまいます。

3.ビタミンB1・B2をとる
ビタミンB1が不足すると、糖質の代謝がうまくいかず、乳酸が体内に蓄積されやすくなるため、だるい・疲れやすいなどの症状がおこります。また、ビタミンB2もタンパク質や、脂質・糖質の代謝に関与する重要な栄養素です。不足すると口内炎などができやすくなります。
 ビタミンB1を多く含む食品  豚肉、レバー、胚芽米、枝豆、きのこ類など…
 ビタミンB2を多く含む食品  レバー、さば、ししゃも、納豆、小松菜など…

4.カルシウム、鉄をとる
カルシウムは骨を丈夫にする他に、筋肉をスムーズに動かす働きがあります。また、鉄は体内の酸素を各細胞に運ぶ役目があるため、不足すると運動能力が低下し、疲れやすくなります。
 カルシウムを多く含む食品  牛乳、乳製品、小松菜、大豆、大豆製品、小魚など…
 鉄を多く含む食品  レバー、あさり、大豆、大豆製品、ひじきなど…

5.食欲のないときは、 消化しやすい食品を効果的に使う
オクラ、山芋、モロヘイヤなどはタンパク質の分解を助け、消化吸収を高める作用があります。また、しょうが、みょうが、しそ、ごまの風味、柑橘類や梅干しの酸味などで味にメリハリをつけ、食欲を増進させるのもよいでしょう。

6.アルコール、タバコは控えめに
アルコールを大量にとると、その分解のため肝臓が余計に働くので、疲れやすくなります。  タバコを吸う方は、吸わない方よりも、体内のビタミンやミネラル類をこわしやすいので、食事でより多くとる必要があります。

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東京オリンピックは本当に実行されるのか

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
時間が無いので前説は簡単に。
東京オリンピックは直前でご破算になる可能性大。それを知っているハイエナ連中が、オリンピック予算の分捕り合戦に血道を上げているというのが、無数のオリンピックドタバタ喜劇の根本原因だろう。だからこそ、これほどいい加減な事件がたくさん起こるのだ。前にも書いたが、日本株式会社そのものが倒産目前なのではないか。



(以下引用)



日本人の集団無責任体制・公金占有手口の事例研究としてのみ、「新国立競技場」と「2020年東京オリンピック」は興味深い。

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2020年東京オリンピックをめぐる日本の政治、経済、社会の中での様々な動きと、それらが日本社会にもたらす問題点。そして、目立ちやすいところでいうと、「新国立競技場」をめぐる一言では語り尽くせない官民あげての迷走。

うちのブログでも、たとえば「東京オリンピック」などのキーワードで検索していただくと過去記事がいろいろ出てくるのでわかるように、折に触れて記事を書いてきました。それ以降も事態を観察していてますます強く思うのは、『東京オリンピックが日本社会に与えるプラスの影響よりも、日本社会に与えるマイナスの影響の方がはるかに大きく、そのプラスの影響は見えやすいように演出されて麻薬的な一時の仮装快感を日本社会にもたらすのに、そのマイナスの影響は目には見えにくいのに長期的な害毒を日本社会にもたらすからなおさら問題が大きい』ということです。

そういう問題点の一つを指摘した過去記事を一つだけリンクしておきます。

■2020年東京オリンピックは復興にマイナスだという被災地首長たちの意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5414.html
2014/03/21 19:00

現在、オリンピックによる経済効果を「復興」と関連づける言論も政治動向も私の知る限りありません。「復興」をダシにして日本に引っ張ってきたオリンピックは現在、集団的公金占有というもともとの目的のもとにしか動いていません。こんなオリンピックには賛成も応援もする気がわきません。もともとオリンピックに含まれる国家主義的側面、国威発揚による害を考えなくても、この東京オリンピックには関心を持つことができません。...日本人の集団無責任体制・集団的公金占有手口のケーススタディとしてしか見ることができないのです。

オリンピック開催で動くお金は政治や経済の世界で利権に近い立場にある者たちや業界や企業だけがもっぱら占有し、その果実は社会全体、特に、地震、津波、原発事故などの大災害後に生活の再建を必要としている人々にまであまねく回ることはまずないという現実を今一度忘れまいと私は決心します。...貧しい人々、社会の中で恵まれない地位に置かれている人々への国家予算からの援助がますます縮小されているという背景とともに。

さらに、「新国立競技場」など、ひとたび箱物が建設されると、その後の使い道は採算がとれるほどはないだろうという予想と、実際に採算が取れなくなった場合にさらに失われる税金のことも。





さて、ここまでは、オリンピックの公金占有手口の話。もう一つ、新国立競技場をめぐる予算超過の件やロゴの盗作騒動にみる、集団無責任体制の大問題がさらに加わります。最近の報道をメモしておきます。

●東京新聞_(TOKYO Web)
■無責任ドミノ 新国立ドタバタ劇検証
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/new_stadium/list/CK2015072302000209.html
2015年7月23日

■「白紙撤回」形がい化 「建てずに既存施設活用」議論なく
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/new_stadium/list/CK2015082902000190.html
2015年8月29日

これだけの人間がこの大プロジェクトにかかわって運営しながら、予算大超過の件といい、競技場建設のスケジュールの危うさといい、ロゴの盗作騒動の件といい、誰も責任をとらないですむ組織作りだけはしっかり確立させていることに(皮肉を込めて)「感心」します。公正や道徳を身につけていないとしか言いようがない日本人にしかできない、世界が絶賛...いえ、絶句する匠(たくみ)の技、...いえ、悪だくみの技といえましょう。

自分の金でずっとやり続ける事業じゃなくて、期間限定で税金を引っ張ってくる事業だから、責任を避けながらここぞとばかりに甘い汁にたかっているようにしか見えません。本人たちの頭の中では真面目に(?)オリンピックを成功させようとしているのかもしれませんが、自分たちの利益を最優先に考えるものですから、このような無責任で強欲なことをするのだと考えられます。組織や運営のずさんさも目を覆うばかり。醜く不手際で無責任。ただただ呆れるばかりです。

ロゴ盗作疑惑やそれへの対応のどたばたぶりもそうですし、予算超過の見直しのために日本の夏場に猛暑の日光の下で競技や観戦をさせられるはめになりかねない競技場の設計変更、そして、果たして建設が間に合うのかというところまできてしまいました。



一つ一つの問題についてリアルタイムで詳しくフォローする時間は私にはありません。いずれにしても個別の件はマスコミが報道するでしょうし、この件をフォローするネットメディアやSNSも多いです。だから、そちらにお任せします。しかし、こんな失態続きのオリンピック準備のために無駄にされる報道のリソースとエネルギーはかなりのものです。ほかにも報道されるべきもっと重大な問題を隠してしまうという害悪までおまけについている始末です。

私がここで強く言いたいのは、これは全世界の目にさらされる日本人の集団無責任体制・公金占有手口の実に恥ずかしいリアルタイムの事例研究なのだということです。そういう目で2020年東京オリンピックの件をこれからも観察しようと私は思うのです。

ただ、オリンピックの競技を楽しみにしているスポーツファンに文句を言うつもりはありません。ですが、私が「オリンピックの競技を見ているどころではない。オリンピック運営で露わになっている日本人の集団無責任体制と公金占有の手口を観察し、批判し、改善をはかることの方が日本社会の将来のために重要なことです」と主張することは許してほしいと思います。記事タイトルに込めた気持ちもそういうものです。

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