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確定深刻

蔵建て男さんは冗談が好きだが、誤字が非常に多い人でもあるので、これはどちらか分からないが、「確定深刻」というのは言い得て妙である。年収を計算して、深刻さが確定したのかwww





昨年度の年収が出て 確定深刻 なわけだが、おおよそ必要な書類は揃ったので、半分はできたようなものだな(あとは経費算出すれば)




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白人(自民族)至上主義という糞思想

絵がちゃんと元のサイズで掲載できるか分からないが、載せてみる。
最初、画像だけ見て、本物の写真だと思ったのだが、黒人の女の子が何となく可愛くて、そして何となくどこかで見た感じがあるな、と思っていたら、ノーマン・ロックウェルの絵らしい。ちょっとお腹を突き出すような子供の姿が、ロックウェル調なのだろうか。歩き方がのらくろ風というか、杉浦茂風と言うか、漫画っぽい感じだ。もちろん、日本の漫画家がロックウェルの絵の影響を無意識に受けていた可能性が高い。ちなみに、吾妻ひでおやはるき悦巳(じゃりン子チエ作者)の描く人物も(暢気なタイプのキャラは)、より誇張された形だが、こういう歩き方をする。手塚治虫の初期漫画にもあったと思う。私は、こういう歩き方が好きなようだ。
それはともかく、ロックウェルの絵に感じる暖かさは、人間性そのものの暖かさから来ているような気がする。でなければ、白人でありながらこういう題材の絵は描かないだろう。優しい画風の向こうに、白人的独善主義の暴力性への怒りが見える。
まあ、作品と作者の人格の同一視はできないが、ダリやキリコの絵は、やはりまともな人格からは生まれそうもない。大好きな画家たちではあるのだが、作者の隣人になりたいとは思わないわけだ。




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ノーマン・ロックウェルだけども。
これは黒人問題を扱った「新しい隣人」という絵と「みんなの問題」と題された絵。後者は連邦保安官に護衛されながら通学する少女の絵で、差別語が書かれた壁に投げつけられたトマトが描かれている。
我々は(トマトを投げた)差別者と同じ位置から、これを見ている。




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夢洲(ゆめしま)と夢の島

カジノを作るとなれば、当然ヤクザがバックに就くだろうから、ヤクザ事務所と大阪府役所と大阪市役所と、ついでに国会と経団連事務所をここに置いて、「西の夢の島(ゴミ溜め)」にしたらいい。やがてどんどん沈み出して、全員溺死したら日本は万々歳だ。




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大阪湾の人工島・夢洲(大阪市此花区)にカジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致を目指す大阪府と大阪市は12日、カジノ区域の床面積を最大3万平方メートル、事業者の投資規模を9300億円などとする基本構想案をまとめました。2024年開業を目指します。





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派遣奥さん

性的解放を良しとする女性にはぴったりの仕事ではないかw もちろん、性的サービスをするために派遣されながら引っ越しの手伝いをさせられたら、多少はプライドが傷つくかもしれないが、「逃げ恥」のガッキー(出張家政婦だが、出張奥さんと考えるとデリヘルとすれすれである。)みたいなのを期待していたら渡辺直美(なぜか女性には人気があるらしい)みたいなのが来たら、そりゃあ、別の肉体労働を頼むだろうwww

(以下引用)




デリヘル嬢というのは、なんというか、微妙な存在で、いわば「セックスをしない売春婦」とでも言ったらいいのか、諸外国では例を見ないシステムだよね。セックスをしないんだから、じゃあ、何をやらせるか? というので、引っ越しを手伝わせるとか、料理を作らせるとか、色々あるらしいw

ツイッターユーザーの「みゆな(@otinuki)」さんは今月1日、性的サービスを提供するために自宅に派遣されたはずが、引っ越しを手伝うことになった経験を語った。
サイト「worldofbuzz」が報じた。
みゆなさんによると、120分で客の自宅に呼ばれて到着したところ、引っ越しの手伝いを頼まれた。
その上でみゆなさんは、他に同じような経験を持つ人がいないか呼びかけた。
驚くことに、他にも同様の経験をした人々が複数人いた。
その中には掃除や引っ越しを手伝った人から、携帯の初期設定をした人、豚骨からラーメンを作らされた人など様々な人がいると判明した。

プロ意識の高い売春婦だったら、雑用させられたら怒るだろうが、そもそもプロじゃないし、売春婦でもないので、怒らないw ポカンとするだけw



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他人にマナーをうるさく言う奴

そりゃあそうだ。相手にマナーを教えるというのは、「お前は田舎者、礼儀知らず」と面と向かって言っているようなものだ。教わるほうは、その人(マナー講師)に頭は下げても、心の中は煮えくり返っている。
浅野内匠頭が殿中で吉良上野介に切りかかった理由は、案外ここに真相があったのかもしれないwww



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日本人のマナー講師嫌いは江戸時代からの筋金入りで、マナー講師を松の廊下で斬りつけたり、そこで始末できなかったら五十人弱で私邸まで押し込んで殺害するからな。


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大学受験と教養

教養というのは英語では「文化」と同じ「culture」という言葉になると思うが、この「culture」は「cultivate」から来ていて、cultivateは「耕す」意味だということを知っている人は多いだろう。
ということは、単に「知識がある」ことが教養なのではなく、その知識によってその人の心が耕されているのが教養なのだ、と理解していいのではないだろうか。膨大な知識があるだけなら単なる記憶機械と同じであり、知識は少なくとも、その知識がその人の人生を豊かにしているのが教養のある人だ、と私は思っている。
というのは、私は学者とか知識人というものを「知識が多いから教養人」だとはあまり考えていないからである。大学に行った人が行かない人より教養があるとも思わない。試験に受かるためにあれこれ覚えて、試験が終われば頭に何も残っていない、実人生ではまったくの下種やアホ、という人間を教養人とは思わないわけである。もちろん、高学歴で教養人という人もたくさんいるだろうが、学者だから、高学歴だから教養人ということにはまったくならないわけだ。
生涯に一冊しか本を読まなくても、その理解が深ければ立派な教養人であり、何千冊の本を読もうが何一つその痕跡が心に残っていないなら、とても教養人とは言えないだろう。

何でこんなことを言い出したかというと、気まぐれに図書館で借りた「新・もう一度読む『山川世界史』」という本の中に、私が高校時代から疑問に思っていたことが未だに何の説明も無く出ていたからである。
同書P152「移動宮廷」のコラムの中に、王による瘰癧(頸部リンパ腺腫瘍)治しのことが書いてあるのだが、私はこの「王による瘰癧治し」がどういうトリックだったのか、説明してある歴史書を一度も読んだことが無いのだ。その説明もなくイギリス王のチャールズ2世が「治世の最後の1年だけで6600人もの患者を癒したという」などと書かれては、これを読む人は、「へえ、昔の国王の中には超能力の持ち主もいたんだなあ」と思ってしまうのではないか。もちろん、細かい説明まで書いたら本が厖大になるし、誰も問題視しない「大学入試にも出ない」ことなのだから、自分でもよく知らないことを敢えて推測混じりに書く必要はない、と判断するのだろうが、私のように「自分が理解できないし興味も無いことを丸暗記だけするのはできない」というタイプの人間には、これは地獄である。だから、私は国語以外の科目はまるでダメだったのだ。で、大学受験に成功できるのはそういう「理解できなくても丸暗記できる」タイプの人間だろうし、そういう人間が大学教授や官僚などになるのではないか、と私は思っている。

念のために言うが、「もういちど読む『山川世界史』という本自体はいい本だと思う。昔にくらべてイスラム関係の記述が多くなり、説明も親切だ。だが、あくまで「大学受験のための教科書」を一般人向けに少し記述を増やしただけだなあ、と思う。つまり、こういう本を読んで知識は得られるが、それが教養になるとは限らない。

「王による瘰癧治し」など、そのトリックを今さら考えても、現代の我々にはまったく関係のない、つまらない詮索だ、と言う人もいるかと思うが、それでは安倍政権による「統計詐欺」への批判はつまらない詮索だろうか。権威的存在や様々な「上からの教え」に疑問を持たないという精神は学校時代から作られているのであり、批判精神の無い社会はゴミに溢れ腐臭のするドブ沼になるのである。要するに「一事が万事」なのだ。





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「明朗時代小説」の需要

これは何事にでもあることだろう。若いころには「つまらん」「無価値だ」と思い込んでいたのが、単に自分が無知なために理解できる能力が無かっただけだった、ということである。
もちろん、年を取ると好みが固定化してしまい、新しいものが理解できなくなる、という逆のパターンもある。いくら接しても自分には受け入れられないというものもあるだろう。いろいろである。だが、基本的には、物事は「感受する側」の問題だ、と思うほうがいいかと思う。

私はこの年になるまで松本清張の作品は「暗い」というイメージでほとんど読まなかったのだが、一昨年から昨年にかけてその長編時代小説を幾つか読んで、これほどハイレベルな時代小説があったのか、と感嘆した。司馬遼太郎作品などの数段上だと思う。松本作品に匹敵するのは、中里介山の「大菩薩峠」くらいだろうか。ただ、松本清張の時代小説の欠点は「タイトルが覚えにくい」ことで、今でもその数編の名前を覚えていない。(江戸の三大改革の2番目と3番目のあたりが話の舞台である。)そしてユーモアの欠如はどの作品にも共通している。そのあたりは司馬作品のほうが親しいやすく読みやすいだろう。つまり若者でも読める。
松本清張の長編時代小説にはある程度の年齢層でないと理解できない深さがあり、おそらく、私が若いころにこれらの松本清張作品を読んでも、理解はできなかったと思う。
よく覚えているのだが、私は高校1年くらいのころにバルザックの「ゴリオ爺さん」を読んで、つまらない作品だと思ったのだが、大学2年くらいの時に再読してその異常な面白さに感嘆した記憶がある。わずか3年か4年でも理解力はまるで違うのである。いや、「真面目に読んだ」か「いい加減に読んだ」かの違いだったかもしれない。
本を理解するには集中力と真剣さも必要なのである。

だが、読書はそういうものばかりでもないのは勿論だ。

この年になると、暢気な気持ちで楽しく読める、というのはなかなか得難い。だから、山手樹一郎などは一時期(おそらく高年齢層を中心に)非常に人気があったのだろうが、残念ながら今は地元の図書館にはほとんどないし、昔の私はそんなのは馬鹿にして読まなかったのである。
これから大衆作家になろうという人は山手樹一郎的な「明朗時代劇小説」を書いたら需要は大きいと思う。何しろ高齢社会だから時代小説は「これから」ブームになると予想する。いや、時代小説は山ほどあるのだが、「明朗時代小説」はほとんど無い(と思う)のである。

(「時代劇小説」というのと「時代小説」と文章中に混在しているがそのままにしておく。)




  1. 自分は映画「風と共に去りぬ」かなぁ。少年期に観た時は「キツいお姉さんとキザを貫けないオッサンの話」としか思わなかったけど、いい歳になったらレット・バトラーの弱さに泣けるようになって自分でも驚いた(笑)【RT】
    1. これ、若いころに見たときには「ふーん」くらいだったものが 「ええっこんなに良いものだったのか!」になるというのも多々含まれてるんですよ。だから若い時の感動を再確認するというのでもなく、ノスタルジーともたぶん違う。
    2. 5件の返信 206件のリツイート 291 いいね



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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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