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謝罪・弁解・アリバイ

金田一春彦の「日本語の特質」という本の中に出てくる話だが、日本の旧軍隊(陸軍だろう)では、謝罪が許されなかったらしい。謝罪すると「弁解するか」とかえってひどく怒られたという話である。これは、謝罪と弁解との類似性を教える面白いエピソードである。
言うまでもなく、何かの不祥事が起こった場合にお偉い連中がやる謝罪会見というのは、本当は弁解であり、自分たちには責任は無い、という主張を隠し持っている。だから聞いている方も本気で聞きはしない。単なる儀式である。政治家だと、次の選挙で当選したら「みそぎは終わった」ということにされてしまうわけである。

英語の「アリバイ(alibi)」というのは犯行時の不在証明、つまり自分はその犯行現場にいなかった、ということの証明の意味で使われることがほとんどだが、「言い訳」の意味もある。
昔の大リーグには「no alibi」という教訓というか、教育的な言葉があったらしい。つまり、「言い訳はダメ」「言い訳するな」ということである。おそらく、新人選手が何かのミスをした時に注意するといろいろと言い訳をすることが多かったのだろう(今でも多いはずだ)。だからこういう教訓が生まれたと思うのだが、それを逆手に取った「アリバイ・アイク」という野球小説がリング・ラードナーにある。やたらと言い訳をする野球選手の話で、自分が何かをするたびに、別にしなくてもいい言い訳をくどくどするという不思議な癖を持っているわけだ。たとえば、昼飯にホットドッグを食うとすると、なぜホットドッグなのか、くどくど言う。(これは小説の中には出てこない、今適当に作った例だ。とにかく、弁明や弁解の必要のないところで弁解するのが面白いわけである。)この話など、「no alibi」が大リーグの常識だ、というのが読者の知識にないと、何が面白いのか、さっぱりわからないことになる。

軍隊とプロ野球という異なる世界に、どちらも「弁解するな」が鉄則としてあったのは面白い。つまり、「行動を重んずる世界」において、弁解(口舌)は害しかない、ということだろう。過ちは、隠したり誤魔化したりするのではなく、即座に善後策を取るべきだ、ということだ。

今の安倍政権はどうだろうか? あえて言う必要はまったく無いだろう。あるいは、「言い訳すらしない」、権力の開き直りのほうが政治と社会の末期症状か。






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