6月5日まで東京・池袋の東京芸術劇場で行われていた中国国家京劇院の日本公演『京劇 白蛇伝2016』を見に行った。連日好評で、6月9日には名古屋で、11日には大阪でも公演を行う予定だという。京劇にはほとんど馴染みがない素人の私だが、わかりやすいストーリーと俳優の演技や歌の上手さ、衣装や舞台の美しさなどにグイグイ引きこまれ、「京劇ってこんなにおもしろかったんだ!」と感動した。
ごく普通の日本人である私が見ても違和感がなく、こんなに素直に中国の本場の京劇を楽しむことができるのはなぜなのだろう? そう思っていたとき、京劇研究の第一人者である加藤徹・明治大学教授の解説をうかがって「なるほど」と合点がいった。以下、加藤徹教授の解説や『京劇 白蛇伝2016』のプログラムをもとに、『白蛇伝』と日本のつながりについて紹介したい。
テーマは「愛と憎悪は紙一重」
まず物語は、美しく善良な白蛇が、修練を積んで白素貞(はく・そてい)という女性に姿を変え、下女の小青(しょう・せい)とともに人間界にやってくるところから始まる。西湖のほとりで美男子、許仙(きょ・せん)と偶然出会い、恋に落ちて結婚する。ところが、老僧、法海(ほう・かい)から「人間と化身が愛し合うことは許さない」といわれ、妻に(蛇であるかどうかを確かめるため)薬酒を勧めるようにいわれる。夫から薬酒を勧められた妻は、夫から疑われたくない一心で薬酒を飲むが、そこで自分の正体が蛇であることが明らかになってしまう……。ショックで倒れた許は法海にそそのかされて仏門に入ってしまい、夫婦は離ればなれになるが、白と小青が奮闘して、ついに紆余曲折ののち、白が夫の愛を取り戻す、というラブ・ストーリーだ。
テーマは「愛と憎悪は紙一重」。中国語では「冤家(ユアンジァ)」(憎らしい人、愛しい人)。クライマックスで主人公の白が夫に情感をたっぷり込めていうセリフにもなっている。
日本の安珍清姫伝説にも通じる、わかりやすいストーリー
内容は単純明快でわかりやすく、予備知識がなくても、日本語の字幕を見なくても、誰でも十分に理解できる。日本の歌舞伎やミュージカルとは違う舞台を見ているだけで楽しめるのだが、もっと楽しむためにはいくつかのポイントがある、と加藤教授は指摘する。そのひとつは「異類婚姻譚」(いるいこんいんたん)であることだ。人間と人間以外の動物や妖怪が結婚することをこういうが、日本にも「鶴の恩返し」などの物語があるので、日本人にもすんなりと理解しやすい(ただし、「鶴の恩返し」では、正体がばれた途端、鶴は空に帰ってしまうが、「白蛇伝」の場合は姿をくらますわけではない)のだという。
また民衆の間で語り継がれてきた「世代累積型集団創作」であるという点だ。日本のおとぎ話と同じく、いつ、誰が書いた作品かはわからなくても、長い年月をかけて語り継がれてきており、馴染み深い話になっている。湖にまつわる伝説はイギリスのネス湖など世界中にあるが、とくに東アジアには「蛇女」「湖や川」「名刹」という3点セットがある。日本にも和歌山県・道成寺の安珍清姫(あんちん・きよひめ)の伝説などがあるため、日本人にとっては、より親しみやすい内容となっているのだ。
さらに、日本人にとって『白蛇伝』が親しみやすい理由がある。日本でも江戸時代に人気を得た『雨月物語』という小説があるが、これはまさに『白蛇伝』を翻案した作品なのだ。また、1956年、東宝が香港の映画会社と合作で『白夫人の妖恋』という特撮映画を作ったが、その出演者は、白蛇が山口淑子、許仙が池部良、小青が八千草薫という豪華な顔ぶれだった。
宮崎駿作品に洪水のシーンが多いのはなぜか?
1958年になると、今度は東映が長編アニメ『白蛇伝』を制作する。日本アニメ史上に残る画期的な作品だったといわれており、声を森繁久彌と宮城まり子が担当した。当時高校生だった宮崎駿氏がこの作品を見て感動し、のちにアニメの世界に入るきっかけとなったという。宮崎氏が手掛けた作品といえば、『千と千尋の神隠し』や『崖の上のポニョ』など数々あるが、思い出してみると『白蛇伝』のように洪水が出てくるシーンが多くはないだろうか。また『魔女の宅急便』は魔法少女の話であり、変身や妖怪にも通じる部分がある。このことから、『白蛇伝』は宮崎氏に何らかの影響を与えていた、といえそうだ。
加藤教授は「子どものときに見ておもしろかったり、印象深く思い出に残っている作品は、大人になっても、繰り返し見たいと思うもの。『仮面ライダー』や『キングコング』なども同様で、子どもだけでなく大人も楽しめるというところが“ミソ”です。『白蛇伝』も、子どもも大人も感情移入して楽しめる場面が何カ所かあり、それがこの作品が長年愛される魅力につながっています。ディズニー作品が『白蛇伝』を参考にしている、という話もありますし、あらゆる年齢層の人が見て、楽しめる作品ですね」と解説する。
今回、中国国家京劇院を招聘した「京劇中心」理事長の津田忠彦氏も「昨年は『孫悟空』を公演しましたが、今年もポピュラーな作品をこうして日本に持ってくることができてよかったです。とくにこの作品は『わかりやすい』、『楽しい』というお客様の声を多数いただいており、手応えを感じています」と喜んでいる。
なるほど、確かに私の右隣に座っていた40代くらいの女性は、3年連続で京劇を鑑賞しているといい、「4か月前にもうチケットを買って、今日を楽しみにしていました」と話していたし、左隣の20歳くらいの女子大生は「中国でも京劇を見てみたい。ねえお母さん、今度中国に見に行こうよ」と母親に熱心に話しかけていた。
また、ツイッターなどでも「初めての京劇だったけど、おもしろかった!」「おもしろかったし感動したし、やばかった!!」「京劇、白蛇伝を観劇してきたんだが、なんかもう、ボロ泣き」「白蛇伝つくった中国人ほんとうに神でしょ……むり……ありがとう……」など、文面から想像して若い人が書いたと思われる感想が多数アップされている。
中国では申年にちなみ、京劇『孫悟空』が大人気
京劇の本場・中国でも、伝統演劇が復活し、各地で京劇が公演されるようになってきている。昨今は若い女性のファンも増えているようだ。今年(申年)にちなんで、『孫悟空』が話題になっている。中国人の手によるアニメ『西遊記之大聖帰来』が昨年からヒットしているし、京劇『孫悟空』も各地で上演されている。日本にも留学経験があり、国家一級俳優として有名な厳慶谷(イエン・チングー)氏は今年、年間を通して『孫悟空』を演じており、話題となっている。『孫悟空』はいわずと知れた物語で、これも日本人にとって馴染み深い作品だ。この機会に一度中国で『孫悟空』を見てみたいと思った。
京劇というと「とっつきにくい」「見たことがない」「中国語がわからない」と日本では敬遠されがちだが、百聞は一見にしかず。『白蛇伝』はここまで述べてきたように、大人も子ども楽しめる作品である上に、役者のセリフを聞いていると「日本人も中国人も同じ人間なんだな。似たような喜怒哀楽の感情を持つのだな」、「自分もこういうときには、同じように感じることがあるな」と思わせられて、爆笑したり、共感したりできる。だからこそ、すんなりと、違和感なく見られるのだなと納得し、心が少し豊かになったような気分になった。