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自分自身を作品とする芸術

私は男だから、「男が自分の容姿や見かけを気にするのは恥ずかしいことだ」と思っているわけだが、見かけに限らず、「自分を実力以上に見せる」ことは恥ずかしい、という気持ちを物心ついて以来持っている。もちろん、冗談で自分褒めをしたりはするが、あくまで冗談だ。私が昔は美少年で美青年で美中年だったと言ったところで、誰も信じやしないwww 頭の悪さと性格の悪さは、書いた文章を読めば一目瞭然だ。
男が見かけを気にしたりするのは恥ずかしい行為だ、と思っているから、わざとダサい身なりをする習慣はいまだにある。まあ、バルザックは、「身なりに構わないのは社会的自殺である」と言っているし、私もその言葉に同意するが、社会とのつきあいから一歩も二歩も引いて生きるなら、外見などどうでもいいわけである。
だが、外部現象としてなら、女性が美しいのを見るのは好きではある。「生活など召使に任せておけ」ならぬ、「美しさは女性に任せておけ」、というわけだ。男が美しくても気味が悪いだけだ。まあ、俳優(つまり、その中身と無関係な、純粋な鑑賞の対象)なら許す。
で、女性は「自分自身を作品として見ている」というのが、下の某美女の言葉によく表れていて面白い。化粧も衣服もアクセサリーも、自分を土台としての作品の素材なのだろう。女性が他人の化粧やファッションを見る目が厳しいのも理解できる。まあ、私は女性でなくてよかった。化粧やファッションで(つまり他人の目のために)人生の貴重な時間を膨大に使うのは御免である。

年を取ることの大きな利点のひとつは男でも女でも他人の視線があまり気にならなくなることかもしれない。しかし、外見にまったく気を使わなくなった老女というのも、それはそれで無残な感じがある。やはり他人の視線を意識して生きるほうが美しさは保てるようだし、それが他人のためでもある。女性の化粧は社会奉仕活動のひとつ、ボランティア行為の一種、社会を美化する無償の芸術行為と結論しておこう。


(以下引用)





椎名高志@絶チル47巻12/16解禁! @Takashi_Shiina 5時間前

私は美しかったことなどないので、某美女に容姿とどうつきあってるのか訊いたことがある。「先生は自分の絵、巧いと思いますか」「いや別に」「でも自分なりのアベレージはあるでしょ?『なんかイマイチ』とか『うまく出来た』とか『ここは勝負』とか」「ああっ、わかりすぎる!!」


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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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