彼女がどんな悪いことをしたというのか、彼女にどんな罪があるというのか。
僕はこの写真を見ていて思わず泣いてしまった。
恥ずかしい。
しかし
いい年して泣いたことが恥ずかしいのではなく、こんな世界をどうすることもできない自分が恥ずかしく、それ以上に伝わってくるこのいたいけな年端もいかない少女をここまで追い込んだ大人たちの鬼畜さが悔しくて堪らないのだっ!
粗末だが可愛い刺繍がついているトレーナーを着て、両手をまっすぐに上げてこちらを見つめるまだ4歳の少女。
その真剣な、必死な、しかしまだ幼くつぶらな瞳はしっかりとこちらをみつめ、怯えながらもある種の諦観と意思すら感じさせている。
一体何故
彼女は写真を撮られるときにこのような表情で、さらにこのようなポーズを採らなければならないのか。
なんて悲しいことだろう。
遠い、とおい、ちゅとうのこと?。僕らに関係ない、、、と思っている奴はもはや人間ではない。鬼かなんかであるとしか思えない。
この少女フデアちゃんが今暮らしているのはシリアにある難民キャンプであるから仕方ない?バカ野郎!てめぇら人間じゃねぇ。
人間であるのなら、
黙って見過ごせるわけはないだろうがっ!!!。
うちつづく戦乱、乱れ飛ぶ銃、おびただしい死傷者、、、
ほんとうなら、
まだ陽の輝きや緑の風、小動物、そしてそれにもまして、溢れるほどの「愛」に囲まれて「いなければならない」はずの、豊饒な感受性が無限広がっている「筈の」幼児期に、シリアのこのフデアちゃんは連日怯えながらいきているのだ。
こんな理不尽なことがあっていいはずはない!
ある日、フデアちゃんが暮らすキャンプ地にカメラマンがやって来た。
そして望遠レンズのついたカメラで彼女を撮影しようとした時、フデアちゃんは怯えた様子でさっと両手を挙げ条件反射でホールドアップしてしまったのである。
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皆さんは
フデアちゃんが望遠レンズを見て銃だと思い、撃たれないように瞬間手を挙げなければならなかった、その本源的な「悲しさ」がお分かりになるでしょうか、人類の、おとなの、責任をほんの少しでもかんじていただけるでしょうか。
そしてそれは
戦場でなんどかそんな光景に遭遇した僕だけが「感じた」ことではないと、、、、信じています。