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読みのレベルの問題

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
これは「メディアリテラシー」のテキストとして使ってほしい文章である。
文章を読みとるとは、こういうものだ。

私を含めて、ほとんどの人間は、この毎日新聞の記事を読んで、
「なかなかいい記事じゃないか。こういう題材を選ぶこと自体人道的だし、書かれた主張も健全だ」
と考えるだろう。

それは、
「何も読みとっていなかった」
ということなのである。

書かれたことの表層しか読んでいないのだから、読んだ意味がまったく無い。
我々の「情報取得のための読み」はたいていこんなものだ。
そして、その後に書かれた村野瀬嬢の読みを読んで、我々B層は、
「自分はいったい何を読んでいたのだ」
と自分の頭を殴りつけたくなるわけである。
まったく、頭の悪い人間は度し難い。そのくせ、えらそうにブログなどを毎日書いていたり他人の意見を批評したりする。これは私自身のことだ。

少し頭を使いながら文章を読めば、村野瀬嬢の言うことはもっともだ、と分かる。ならば、最初の読みは何だったのか。つまりは、ゼロである。
恐ろしいのは、こうした読みを日常的に行いながら、それに気づいてもいない可能性があることだ。
これは「時間内に要点を読みとらねばならない」という学校教育、特にテストの訓練の中で培われた表層的読みだろう。テストではむしろスピーディな表層的読みができないと良い点は取れないのである。それが習慣化すると、すべての読みが表層的読みになる。
もちろん、深い読み、批判的な読みをするには読む当人の中に「騙されないだけの芯になるもの」があることが必要なのであり、誰もがそれを持つのは不可能だろう。
しかし、それを持つように社会的啓蒙活動をすることは必要だと思う。
そういう意味で、この文章は素晴らしいテキストだと思うわけである。




(以下引用)




日本になんとか良い国になってもらいたいと強く願ってこんなブログを書いています。「いくらなんでもこの政策やこの社会現象はまずいでしょ」という気持ちで書いた記事もずいぶんたまってしまいました。日本社会は民主主義レベル向上にもなかなか思うように向かわないし、多くの人にとって住みやすく働きやすく幸福な社会にもなかなかなりません。それでも日本社会と政治を良くできるようにと考え続け、書き続けますけど...。

そこで、最近こんなツイッターと報道が目に留まりました。母国に戻れないまま避難先の国で長年滞留している難民を対象にした「第三国定住制度」を導入している日本ですが、難民の来日希望者が今年ゼロとなる見通しになったのだそうです。つまり、難民から日本は選ばれていない、好かれていないということになります。残念ながら...。

はねた @haneta317 だって日本に住む魅力がないじゃん。「外人は帰れ!」と叫ぶ国民も沢山だし。:記者の目:第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃=高橋弘司 mainichi.jp/opinion/news/2…
2012年11月28日 返信リツイートお気に入りに登録

はねたさんの紹介する毎日新聞の報道はこちら。興味深い内容なので、消されないうちに記憶のために記録しておきたいと思います。


●毎日jp(毎日新聞)
記者の目:第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃=高橋弘司
http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c.html
http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c2.html
毎日新聞 2012年11月28日 00時14分

 日本が、母国に戻れないまま避難先の国で長年滞留している難民を対象にした「第三国定住制度」を導入して3年目の今年、難民の来日希望者がゼロとなる見通しとなった。援助関係者の間で「このままでは日本は国際社会から取り残される」との危機感が高まっている。世界にあふれる難民に、我が国としてどう向き合えばいいのかを探った。

 2010年来、第三国定住制度を通じ、タイの難民キャンプに滞留してきたミャンマー難民計45人が来日。第3陣として今年も9月末、ミャンマー難民3家族16人が来日予定だった。だが、タイ出国直前、3家族のうち1家族が、「日本に行かないで!」という親族の強いアピールで翻意した。親類にあたる別家族も同調したため、残る1家族は「我々だけでは心細い」と辞退し、最終的に希望者ゼロになったという。

 ◇厳格な選考基準 受け入れ不備も

 この事態を受け、NPO法人「難民支援協会」(東京都新宿区)の石井宏明常任理事は「第三国定住制度導入を機に、国際社会は、日本が難民受け入れに積極姿勢を見せ始めたと期待していた。それだけに各国政府や支援関係者の評価は地に落ちた」とその影響を指摘する。10年の第三国定住難民受け入れ実数は米国5万4077人、カナダ6706人、オーストラリア5636人と続く。日本はわずか27人。移民国家でない国情を考慮し、国際社会には「小さく産んで大きく育てる」という期待があった。今年3月、事業の2年延長が決まったものの、「ゼロの衝撃」は制度の根幹を揺さぶっている。

 今月7日開かれた第三国定住制度の在り方を検討する政府の「有識者会議」でも討議され、厳格過ぎる選考基準に批判が出た。現行制度は、ミャンマーの少数民族カレン族で、幼い子どもを持つ家族に限定している。キャンプに残った父母らの呼び寄せも想定していない。基準緩和は遅すぎるぐらいだ。

 加えて、「受け入れ態勢」の改善も不可欠だ。一昨年秋に来日したミャンマー難民第1陣をめぐっては、千葉県内の農業法人で職場適応訓練を積んできた2家族が「事前説明と異なる長時間労働を強いられた」などと訴え、この法人への就職を断り、東京都内に転居してしまった。2家族をめぐる騒動がタイの難民キャンプにも伝わり、今回の「来日辞退」に影響した可能性も否定できない。現行のわずか半年間の日本語研修や生活指導だけでは定住には無理があり、きめ細かく、息の長い支援が必要だ。

 また、長谷部美佳・東京外国語大学特任講師は「第三国定住制度にとどまらず、我が国の難民政策全般で、難民を社会の一員としてどう溶け込ませていくかという『社会統合』の視点が欠けている」と指摘する。ベトナム戦争後、ベトナム、カンボジア、ラオスからの大量の難民流出に際し、我が国は1978年から2005年まで総数1万1000人の難民定住を認めた。だが、その後、十分な追跡調査もなく、現在の実際の定住総数さえ不明だ。学問的研究も緒に就いたばかりで、大半の国民は無関心なままだ。

 元カンボジア難民のハン・ソクアンさん(31)は日本社会にうまく溶け込んだ成功例だろう。父母とともに5歳で来日、神奈川県伊勢原市の小、中学校を経て、高校卒業後、かまぼこ工場などに勤務。幼なじみのカンボジア人男性と結婚、2人の女の子に恵まれた。昨年11月には日本国籍を取得、調理師免許まで取った。ハンさんは「小学校時代、バレーボールのクラブ活動でできた仲間の支えが大きかった」と振り返る。だが、頼れる日本人に出会わなかった多くの難民は落ちこぼれ、貧困にあえぎ、生活保護を受けたり、日本社会になじめず精神を病んだりした例も少なくない。

 ◇子の将来考え苦渋の離日

 ハンさんは今年10月、25年住み慣れた日本をたち、家族4人で母国に帰国した。帰国直前、「定住に成功したはずなのになぜ」と尋ねると、生活費がかさみお金がたまらないとこぼす一方で、「私は幸い、友人に恵まれた。だけど、日本ではやはり難民はのけ者扱い。子どもの将来を考えました」と顔を曇らせた。

 オーストラリアでは定住に成功した難民が新参難民の生活支援を行い、カナダでは無医村に難民出身の医師が着任するなど、難民による社会貢献が進む。日本でも、公益社団法人「難民起業サポートファンド」(東京都新宿区)が今秋、中古車輸出業を営むパキスタン出身の難民に初の融資を行うなど、難民の経済的自立を支える試みが始まった。難民を社会の一翼を担う戦力としてとらえるという発想の転換が求められている。(新聞研究本部)

(転載ここまで)

この記事はいくつかの例を紹介しているだけで、多数の例を統計的、網羅的に紹介しているわけではありません。しかし、ここには「いかにも日本だなあ」と思わせる事象が含まれていると思います。

まず、入国管理政策の問題。厳格過ぎる選考基準。いったい何を選んでいるのかわかりませんが、まるで来てほしくないと言わんばかりですね。一定の基準はあるべきだとは思いますが、入口のところで厳格すぎる基準を課せられたら、私が難民なら「これは日本では冷たい扱いをされそうだ」と直感して、それだけで日本に行こうと思わなくなるかもしれません。

そして、日本の労働慣習が雇用者側に有利にできていることの代表的な事象の一つである、長時間労働の強要。上の記事であげられている事例の詳しい事情はわかりませんが、一般的に言って、労働者に少しでもタダ働きさせようと言わんばかりの態度は日本人相手には通じても、外国人相手には通じないということですね。いえ、本来は、日本人相手に通じてもいけないのですが。

社会全体に『社会統合』の視点が欠けていること。私は、そのことは外国人、難民にだけ当てはまるのではないと思います。日本人に対してもまた、日本人は社会統合の視点を欠いていると思います。排除、切り捨て、無視、差別などを日本人が日本人に適用する例はいくらでもあると私は感じます。非正規労働者に対して。犯罪者に対して。逆に、沖縄で米兵からレイプの被害を受けた女性に対して。病気や高齢などの理由で生活保護を受給している人々に対して。いじめの対象にされた人に対して。...いくらでも例を思いつきます。そのような例のいくつかについてはうちで記事をたくさん書いてきました。

そして、単純に、日本では生活費がかさむこと。...確かに。

こういうことを難民の目から積み重ねていけば、結論はおのずと出てきます。

難民にとって暮らしにくい日本は、日本生まれの日本人にとっても暮らしにくい。そういうことです。日本人にとっても、そうはっきりと意識する機会ではないでしょうか。


最後に、「難民を社会の一翼を担う戦力としてとらえるという発想の転換が求められている。」という一文でこの記事が締められていますが、この表現にもう一つの問題が象徴されていると思います。「戦力」という言葉に違和感があるということです。難民は日本社会の一翼を担う戦力として「日本株式会社」に海外から「採用される」労働者ではないということです。

さらに言うなら、「少子化による将来の人口減への対策として海外から移民労働者を入れる」という考え方もまたおかしなものです。日本生まれの日本人が日本でふつうに働いて普通に生活を成り立たせるための政策を行なうべきで、日本人が暮らしにくい政策を続けながら日本人の人口が減った分を外国人で補充すればいいというのは、日本人と外国人の両方をバカにしていると思うのです。日本人が暮らしにくい日本に外国人を呼んだとしてもやはり日本が暮らしにくい国であることは全く変わりません。

「日本は日本人のものだ」という料簡の狭い国家主義で私は言っているのではありません。そこに住む者にとって暮らしやすい政策を行なうのが政治の役割であり、最優先目標であるということです。









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