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自衛隊は米軍の従属機関

「逝きし世の面影」から記事の一部を三題噺風に抜粋する。
共通するテーマは「自衛隊英雄視という虚像」だろうか。
最初の「日航123便墜落事件」は、おそらく追尾していた米軍機による撃墜だろう。その理由については様々な「陰謀実在論」サイトで推定されているが、真相はやぶの中だ。だが、自衛隊が墜落生存者を見殺しにする行動をしたこと(あるいは、一人もしくは数名を除いて残りの生存者を殺した、という説もある)はほぼ確実のようである。「阿修羅」の最近の投稿にその件が載っている。



(以下引用)




『28年目の8月12日、御巣鷹に墜落した日航123便』

28年前の8月12日、ニッコロ・マキアヴェリが『君主論』で主張していた『役に立たない(無い方が良い)傭兵(職業軍人』の見本のような『最悪の例』が、群馬県御巣鷹の尾根で起きていた。
東京から大阪に向かって飛行中の、乗員乗客524名が乗った日航機123便の垂直尾翼が相模湾上空で突然脱落する。
(事故直後にボーイング社が圧力隔壁の修理ミスを主張、事故調も追認するが、墜落まで日航機の与圧は保たれていたことが生存者の証言で明らか。
垂直尾翼の脱落した原因は今もって、まったく不明である)
在日アメリカ軍輸送機C130は垂直尾翼の無い日航123便を追尾し、半時間後に群馬県山中に墜落した現場も直接確認している。
もちろん即座に救助活動も行っている。
横須賀から米軍の特殊部隊が墜落後20分以内に駆けつけて遭難者を救助しようとするが幾ら米軍でも時間的に無理がある。
墜落する前から米軍の救助隊員は、いち早く群馬県の現場に急行していた。
ところがヘリから降下中に『自衛隊の救助』を理由にして中止して仕舞う。
ところが救助に来る筈の自衛隊は、何時まで待ってもやってこない。
自衛隊は次々と墜落現場の発表を変更して地元の消防とか警察マスコミなどを10キロ程離れた別の場所に誘導して現場を大混乱に陥れる大失態を繰り返していた。
救助に動き出したのは翌日である。
結局正しい群馬県の御巣鷹山と遭難位置が特定され救助が開始されるのは、何と墜落事故後13時間45分後の翌日の8時49分だった。
米軍救助隊とは13時間半の時間差があり、これでは瀕死の重傷者は絶対助からない。
8月12日なら朝5時には十分明るい。
ところが救助に当たった自衛隊は慌てず騒がず堂々としている。
大勢の人間の命が自衛隊にかかっているのに、何時もと同じ通常勤務の8時出勤だったとは呆れ果てて開いた口がふさがらない。
いざと言うときに少しも役に立たない穀潰し自衛隊ですが『人でなし』ではなくて、文字どうりの『人殺し』集団である。
(陸自ヘリ V107(6機)は7時54分に習志野を出発している)

『安全が担保されていない(危ないから嫌だ)と命令を拒否する自衛隊』

2011年3月16日、菅直人首相が福島第一原発のメルトダウン事故発生で、日本の国土の3分の1、人口で40%が危機的な状態に落ち込む中、自衛隊ヘリによる4号基燃料プールへの空中からの放水を指令する。
ところが自衛隊の折木良一統合幕僚長は『安全が担保されていない』と最高司令官である首相の命令を拒否して動こうとしない。
日本国のシビリアンコントロールの喪失に危機感を抱いたアメリカ政府は、3月16日夜、ルース駐日米大使が松本剛明外相に『今日中に大量の放水をする必要がある。重大な決定を行う必要がある』と通告。
アメリカは駐日大使ばかりか、なんと直接オバマ大統領までが乗り出して来て放水の実行を厳命。日本側(自衛隊)は17日午前9時48分から放水を実施。
直後の10時22分、オバマ米大統領が電話で菅直人首相に『素晴らしい』と評価しつつ『米国市民の退避』を告げる。
福島第一原発へのヘリ放水ですが、管直人首相や政府の実施要請を前日の3月16日に自衛隊は『安全が確保できない』(危ないから嫌だ?)との不真面目な口実で、一度は拒否していた。
そもそも誰にも出来ないような、安全が確保出来ない『危ない』ことをするのが自衛隊の仕事(存在価値)でなないのか。
日本国の自衛隊は日本政府の要請では絶対に動かないが、アメリカ政府の要請なら渋々ながら嫌々動く。
しかも放水とは名ばかりの腰が引けた恥晒しな蝉のション便である。
日頃は自衛隊の宣伝しかしない産経紙にまで『もっと近づかないと駄目だべ』と皮肉られるが、この自衛隊ヘリからの放水は何のことは無い。アメリカ向けのパフォーマンスだった。

『満州開拓団と関東軍』

ひたすら真面目に行動する一般市民と、対照的に呆れ果てて言葉も無い百鬼夜行の浅ましすぎる東京電力や自衛隊。
東電社員家族は一般市民に避難指示が出る1日前(3月11日夜)に事前に全員が避難していた。
同じ福島県内でも、会津若松市やいわき市に避難した避難民らが『放射能に汚染していない』との検査証明がないと受け入れないと嫌がらせを受ける。
1号基が爆発した後の12日には避難民の車で大混乱する道路をサイレンを鳴らして、一般車両を強制的にどかして救助に来た筈の自衛隊の車列が、市民の避難を妨害して優先して逃げている。
3号基が大爆発した3月14日の夜に、南相馬町の自衛隊は『原発が爆発する。100キロまで逃げてください』と言い放って、敗戦時の関東軍と同じで一般市民を見捨てて真っ先に自分たちだけ逃げる姿を、避難所の多数の市民とか南相馬町役場職員などに目撃される。
我が日本国ですが68年前の1945年8月15日に無条件降伏しているが、実は2年前の2011年3月11日にも誰にも知られることなく密かに『敗戦』していたのである








(夢人追記)前書き部分で「三題噺風に」と書いたが、あれは筆の滑りである。落語の「三題噺」は、客から募集した三つの題目を有機的につなげた噺を即席で作る、というもので、上の記事のように羅列的なものは「三題噺風」とは言えないかもしれない。まあ、どうでもいいような事だが。ついでに言えば、すぐ前に書いた「筆の滑り」も、現代なら「キーボードの滑り」になるか。(笑)



















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