21世紀初頭、小泉純一郎は、世界最高の、気高い「モノヅクリ職人国家」だった日本を、新自由主義による金融博打で儲ける国に変えると宣言し、それを竹中平蔵にやらせた。
真面目にモノを作って世界の人々の生活に寄与することで、生計を立てていた日本職人に対し、競馬や競輪と何一つ変わらない金融ギャンブルで生活しろと指示し、以来、日本は博打に夢中になって生活を顧みない、浅ましい浮浪の徒に変貌し、世界経済に寄与するイノベーションの職人魂は二度と見られず、目先の利益しか目に入らなくなった人々の生活の質も、堅実な精神も、際限なく凋落させていった。
小泉純一郎は、2001年ー2006年の間に「小泉構造改革」の名で「規制緩和」「市場解放」「民営化」「自己責任」の「新自由経済政策」を実施した。
「経済効率」を旗印に掲げ、弱肉強食だけを原理とする政策のみを実行した。
「儲からない事業」は、すべて切り捨てられた。地方の隅々まで経済の血液を行き渡らせていたはずの公共交通は、「儲からない」を理由に、片っ端から廃止させられ、高齢化によって自動車の運転ができなくなった地方の老齢世帯は、もはや交通機関のない地方に留まることができず、都会の貧民施設に身を寄せるしかなくなった。
自民党は、公共交通廃止の代替事業を一切行わず、ただ地方の人々の生活が荒廃するに任せた。
地方に人々が住むということは、国家の隅々まで血が通う、生きた国家の活性を支える大切な要素である。
もしも、山奥、過疎の地方に人が住まなくなれば、たちまち大河川の源流、上流は荒廃し、上流で大規模気象災害が起きたとき、下流の生活圏に取り返しのつかない災厄を招く。
また、過疎地方の農業は、大都会の人々の健康を支える大切な食生活を担っている。それは、大昔からの先住民が担ってきた膨大な「生活の知恵」の上に作られたものだ。
大都市の住民は、休みになれば過疎の奥山に向かい、心の癒やしを求めてきた。
そうした、大自然との触れあい、癒やしの場も、奥山に住み続けてきた人々あってのものなのだ。
そんな過疎の地方で生活する人々を切り捨てるということは、実は日本国家そのものを切り刻んで弱体化させることだった。
小泉純一郎と金融担当大臣として起用した竹中平蔵の二人は、米国支配層と綿密に計画した上で「小泉構造改革」を実行。
「金にならないものは切り捨てる」を合い言葉に三公社五現業の民営化を実行、これも大切な地方への血液循環を破壊していった。
大都会を支える地方では、儲からない公的事業が生計の支えであったケースが多い。
竹中平蔵は2002年「りそな銀行倒産」の可能性を言及した結果、日本企業の株と不動産が暴落し、予定通りユダヤ金融資本の買い占めを誘導した。
竹中平蔵は一転して「りそな銀行国有化」に踏み切ったため日本企業株と不動産価格が暴騰、ユダヤ金融資本に莫大な利ざやをもたらした。
竹中平蔵氏はユダヤ金融資本の指令で日本経済を一時的に崩壊させた上で急回復させユダヤ金融資本に莫大な利益をもたした。
このとき、植草一秀が一貫して批判しているように「国家インサイダー取引」の大犯罪が行われた。
竹中平蔵は、ハーバード大ロックフェラー研で、フリードマン・ハイエクによる新自由主義思想の薫陶を受け、それを日本に持ち帰り、日本経済の原理を根底から破壊していった。
自民党員(維新・公明も)は、すべて竹中平蔵の思想による弱肉強食社会に協賛することになった。
日本は大昔から「職人社会」であり、民衆の生活の必要ニーズに、きめ細やかに対応する相互扶助の社会であり、三井高利流にいえば、「三方良し」=売る側、買う側、作る側が、みんな満足できるシステムを大切にしていた。
その協調社会に対し、竹中平蔵の持ち込んだ新自由主義は、「弱肉強食原理」であり、「力の強いものが市場原理に従って社会を淘汰することで最適化される」という理屈だった。
こんな社会では強者が弱者と社会のすべてを飲み込み、最強のユダヤ金融資本が、全世界を一元支配し、管理するという社会以外は許されなくなる。
これはユダヤ教タルムードにある「神に選ばれたユダヤ人だけが人間であって、他のすべての人々はユダヤ人に奉仕するためのゴイム=家畜である」という、論理を実現するものである。
新自由主義にあっては、ただ「金儲け」だけが人間の自由であり価値である。人間愛とか助け合いなんて利他主義の思想はゴミに等しい。ただ利己主義だけが正義なのだ。
それがフリードマンの思想だった。
これらは、何回も書いてきたように、「優秀な人間が優秀な理論で社会を変革する」という、いわば「優秀病」ともいえる競争淘汰主義から導かれたもので、神の選民を自負するユダヤ人たちが生み出した思想である。
それは資本主義なのだが、一方で共産主義もまた、ユダヤ人が生み出した「優秀病患者」の思想だった。
マルクス・エンゲルス・レーニン・トロツキーらは、すべてユダヤ人である。新自由主義のフリードマン・ハイエクもユダヤ人である。
自民党員のほぼ全員も、この種の「優秀病」患者であって、幼いころから競争主義に飼い慣らされ、「自分が一番になりたいという立身出世病=エライ人病」の重篤な患者ばかりである。
彼らもまた「金持ちになり尊敬される」ことが、人生最大の価値であると信じこんでいる。だから、容易に利己主義=新自由主義に馴致されるのである。
小泉以降の政権のほとんども、竹中平蔵の新自由主義路線を踏襲してきた。わけても、麻生太郎・安倍晋三・菅義偉が、まるで竹中に直接操られるような弱肉強食経済政策を行い、日本民衆の格差拡大に貢献し、シングルマザー世帯や老人世帯を地獄に追いやってきた。
岸田文雄はどうか? 彼は「新しい資本主義」を提唱した。
岸田首相の「新しい資本主義」って何? 2021年10月25日
岸田首相が重視する「分配戦略」とは何?
【「分配戦略」の1つ目は「働く人への分配機能の強化」です。具体例として、賃上げを実施する企業への税制支援や大企業による中小企業に対する下請け取引の監督強化などをあげています。2つ目は「中間層の拡大と少子化対策」です。教育費や住居費支援、保育制度拡充と環境整備をあげています。3つ目は「看護、介護、保育などの現場に働く人の収入増」です。コロナ禍での医療現場や少子高齢化の最前線で働く人々の収入を増やすために、サービスの公的価格の在り方を見直すとしています。】
上の説明を見れば分かるとおり、新自由主義を本質的に批判し改革する姿勢など微塵もない、小手先の人気取り政策に終始していて、「ものごとの理解力」が存在しない人物だと分かる。
大切なことは、人々が目先の金儲けに走るのではなく、職人的ライフスタイルに立脚して、人々のニーズにきめ細やかに答えて、人々に奉仕することを人生の満足、目的とする利他主義を社会の礎にしなければならないのだ。
新自由主義を批判するということは、利己主義を批判し、利他主義に向かうということだ。
だから、岸田のいう「新しい資本主義」というのも、結局、新自由主義の装飾であり、毒々しさを薄めたものでしかない。弱肉強食の残酷な人間疎外を、ほんの少しだけ薄めて、誤魔化して見せるだけのものだ。
だから岸田は、日本人に対して、竹中や小泉同様、金融博打=マネーゲームによる金儲けを薦め始めた。
国民の過半数が「生活が苦しい」と回答しているのに、国がマネーゲームを主導してよいのか 2022/06/25
政府が「貯蓄から投資」への政策を推し進めている。だが、国が国民を巻き込んだマネーゲームを主導してよいのだろうか? 根底にあるのは新自由主義が世を席巻してから散々言われてきた「自由と自己責任」だ。
そこには「どんな人でも見捨てずに救う」という、本来、国が国民に対して持つべき優しさが感じられない。
政府としてはお定まりの国債やNISA(一定額で購入した金融商品の利益が非課税となる制度。利益が出ることが前提)だのiDeCo(個人型確定拠出年金。60歳までは引き出せない)だのに、もっと国民がお金をつぎ込むことを期待しているのだろう。
しかしながら一般的に考えて投資には、うまくいけば配当が得られる代わりに、元本割れなどのリスクがある。いわば一種のギャンブルを国民に推奨しているわけで、政府は「お勧めはするけどリスクまでは負わないから自己責任でどうぞ」と突き放しているのと同じだ。
自己責任は自由の代償として生じるものだ。そして、何をするにも選択肢を多く持てる余裕のある状態を「自由」と呼ぶのだと思う。
いまの日本は働く人の4割近くが非正規雇用者で正規雇用者の給料も目減りし続けている。
その国で、虎の子の資産を「自己責任」で投資できるほど自由な人がどれだけいるだろうか? 当たり前だが、元手がなければ運用はできない。日本の給与所得者の平均給与は1997年の467万円がピークで、2020年は433万円と34万円も減っている(国税庁調べ)。
にもかかわらず、黒田日銀総裁は「家計の値上げ許容度も高まっている」と発言し、岸田首相も就任当時に掲げた「令和所得倍増計画」が実らぬまま、5月になって「資産所得倍増」を打ち出した。
景気の先行きが不透明で賃金も上がらないのに、それを解決せずに家計の金融資産2000兆円を投資に回して何とかしようとするのは本末転倒だ。
国民の大半が不利益を被ったら国はどうするのか。「自己責任だから」と見放すのか。
そもそも生活に余裕がなく、投資や運用に縁のない人を救うためのセーフティーネットを用意するのが国の仕事ではないのか。国民生活基礎調査(20年)で「生活が苦しい」と答えた人が54.4%もいるのに、投資や運用を勧める政府の意識は私たちとかけ離れたものだ。
最近は、不労所得の稼ぎを競う「キャッシュフロー」という子ども向けのボードゲームがあるという。また今年4月から高校の家庭科で、金融教育の授業も始まった。政府の「貯蓄から投資へ」の政策を後押しするかのようだ。
そんななか、ニューヨークのダウ平均株価が16日、1年5カ月ぶりに3万ドルを割った。これは世界恐慌の前ぶれではないかとさえ思う。為政者が間違ったかじ取りをしたとき、国民が声を上げて正さなければ何も変わっていかない。7月の参院選には、ぜひ投票に行っていただきたいと思う。
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引用以上
三枝氏の指摘は極めて正しい。
【生活に余裕がなく、投資や運用に縁のない人を救うためのセーフティーネットを用意するのが国の仕事ではないのか。国民生活基礎調査(20年)で「生活が苦しい」と答えた人が54.4%もいるのに、投資や運用を勧める政府の意識は私たちとかけ離れたものだ。】
現在、生活に余裕がなくなっている世帯は、54%どころか、おそらく80%くらいに達しているはずだ。みんな生活の質を大きく落としている。
私は、健康上の理由で毎日山歩きをしているが、ガソリン代高騰で、もはや車を利用できないので、リットル50K走る原付を利用している。冬場は凍結する道なので、どうしたものか心配でならない。
中津川市から下呂市に向かう国道は、金曜の夜から日曜の夜まで、渋滞が出るほど交通量が多かったものが、ガソリン代高騰が始まってからは、ガラガラになり通行が楽になっている。みんな観光もセーブしているのだ。
こんななかで、国が貧しい民衆に投機生活を勧めているのだ。
ピント外れも著しい。今こそ、社会生活から落ちこぼれる寸前の貧困に陥った人のために強力なセーフティネットを作らねばならないのに、金融投機=博打を薦めているのだ。
原発を無意味に推進したがるのも、そうだが、こんな政権は続いてほしくない。
だが、期待していたれいわ新撰組も、原発推進の浅草キッドを候補に立てた。私としては、世の中が完全に二極に分かれ、もう誰にも期待できないのだと理解するしかない。
真面目にモノを作って世界の人々の生活に寄与することで、生計を立てていた日本職人に対し、競馬や競輪と何一つ変わらない金融ギャンブルで生活しろと指示し、以来、日本は博打に夢中になって生活を顧みない、浅ましい浮浪の徒に変貌し、世界経済に寄与するイノベーションの職人魂は二度と見られず、目先の利益しか目に入らなくなった人々の生活の質も、堅実な精神も、際限なく凋落させていった。
小泉純一郎は、2001年ー2006年の間に「小泉構造改革」の名で「規制緩和」「市場解放」「民営化」「自己責任」の「新自由経済政策」を実施した。
「経済効率」を旗印に掲げ、弱肉強食だけを原理とする政策のみを実行した。
「儲からない事業」は、すべて切り捨てられた。地方の隅々まで経済の血液を行き渡らせていたはずの公共交通は、「儲からない」を理由に、片っ端から廃止させられ、高齢化によって自動車の運転ができなくなった地方の老齢世帯は、もはや交通機関のない地方に留まることができず、都会の貧民施設に身を寄せるしかなくなった。
自民党は、公共交通廃止の代替事業を一切行わず、ただ地方の人々の生活が荒廃するに任せた。
地方に人々が住むということは、国家の隅々まで血が通う、生きた国家の活性を支える大切な要素である。
もしも、山奥、過疎の地方に人が住まなくなれば、たちまち大河川の源流、上流は荒廃し、上流で大規模気象災害が起きたとき、下流の生活圏に取り返しのつかない災厄を招く。
また、過疎地方の農業は、大都会の人々の健康を支える大切な食生活を担っている。それは、大昔からの先住民が担ってきた膨大な「生活の知恵」の上に作られたものだ。
大都市の住民は、休みになれば過疎の奥山に向かい、心の癒やしを求めてきた。
そうした、大自然との触れあい、癒やしの場も、奥山に住み続けてきた人々あってのものなのだ。
そんな過疎の地方で生活する人々を切り捨てるということは、実は日本国家そのものを切り刻んで弱体化させることだった。
小泉純一郎と金融担当大臣として起用した竹中平蔵の二人は、米国支配層と綿密に計画した上で「小泉構造改革」を実行。
「金にならないものは切り捨てる」を合い言葉に三公社五現業の民営化を実行、これも大切な地方への血液循環を破壊していった。
大都会を支える地方では、儲からない公的事業が生計の支えであったケースが多い。
竹中平蔵は2002年「りそな銀行倒産」の可能性を言及した結果、日本企業の株と不動産が暴落し、予定通りユダヤ金融資本の買い占めを誘導した。
竹中平蔵は一転して「りそな銀行国有化」に踏み切ったため日本企業株と不動産価格が暴騰、ユダヤ金融資本に莫大な利ざやをもたらした。
竹中平蔵氏はユダヤ金融資本の指令で日本経済を一時的に崩壊させた上で急回復させユダヤ金融資本に莫大な利益をもたした。
このとき、植草一秀が一貫して批判しているように「国家インサイダー取引」の大犯罪が行われた。
竹中平蔵は、ハーバード大ロックフェラー研で、フリードマン・ハイエクによる新自由主義思想の薫陶を受け、それを日本に持ち帰り、日本経済の原理を根底から破壊していった。
自民党員(維新・公明も)は、すべて竹中平蔵の思想による弱肉強食社会に協賛することになった。
日本は大昔から「職人社会」であり、民衆の生活の必要ニーズに、きめ細やかに対応する相互扶助の社会であり、三井高利流にいえば、「三方良し」=売る側、買う側、作る側が、みんな満足できるシステムを大切にしていた。
その協調社会に対し、竹中平蔵の持ち込んだ新自由主義は、「弱肉強食原理」であり、「力の強いものが市場原理に従って社会を淘汰することで最適化される」という理屈だった。
こんな社会では強者が弱者と社会のすべてを飲み込み、最強のユダヤ金融資本が、全世界を一元支配し、管理するという社会以外は許されなくなる。
これはユダヤ教タルムードにある「神に選ばれたユダヤ人だけが人間であって、他のすべての人々はユダヤ人に奉仕するためのゴイム=家畜である」という、論理を実現するものである。
新自由主義にあっては、ただ「金儲け」だけが人間の自由であり価値である。人間愛とか助け合いなんて利他主義の思想はゴミに等しい。ただ利己主義だけが正義なのだ。
それがフリードマンの思想だった。
これらは、何回も書いてきたように、「優秀な人間が優秀な理論で社会を変革する」という、いわば「優秀病」ともいえる競争淘汰主義から導かれたもので、神の選民を自負するユダヤ人たちが生み出した思想である。
それは資本主義なのだが、一方で共産主義もまた、ユダヤ人が生み出した「優秀病患者」の思想だった。
マルクス・エンゲルス・レーニン・トロツキーらは、すべてユダヤ人である。新自由主義のフリードマン・ハイエクもユダヤ人である。
自民党員のほぼ全員も、この種の「優秀病」患者であって、幼いころから競争主義に飼い慣らされ、「自分が一番になりたいという立身出世病=エライ人病」の重篤な患者ばかりである。
彼らもまた「金持ちになり尊敬される」ことが、人生最大の価値であると信じこんでいる。だから、容易に利己主義=新自由主義に馴致されるのである。
小泉以降の政権のほとんども、竹中平蔵の新自由主義路線を踏襲してきた。わけても、麻生太郎・安倍晋三・菅義偉が、まるで竹中に直接操られるような弱肉強食経済政策を行い、日本民衆の格差拡大に貢献し、シングルマザー世帯や老人世帯を地獄に追いやってきた。
岸田文雄はどうか? 彼は「新しい資本主義」を提唱した。
岸田首相の「新しい資本主義」って何? 2021年10月25日
岸田首相が重視する「分配戦略」とは何?
【「分配戦略」の1つ目は「働く人への分配機能の強化」です。具体例として、賃上げを実施する企業への税制支援や大企業による中小企業に対する下請け取引の監督強化などをあげています。2つ目は「中間層の拡大と少子化対策」です。教育費や住居費支援、保育制度拡充と環境整備をあげています。3つ目は「看護、介護、保育などの現場に働く人の収入増」です。コロナ禍での医療現場や少子高齢化の最前線で働く人々の収入を増やすために、サービスの公的価格の在り方を見直すとしています。】
上の説明を見れば分かるとおり、新自由主義を本質的に批判し改革する姿勢など微塵もない、小手先の人気取り政策に終始していて、「ものごとの理解力」が存在しない人物だと分かる。
大切なことは、人々が目先の金儲けに走るのではなく、職人的ライフスタイルに立脚して、人々のニーズにきめ細やかに答えて、人々に奉仕することを人生の満足、目的とする利他主義を社会の礎にしなければならないのだ。
新自由主義を批判するということは、利己主義を批判し、利他主義に向かうということだ。
だから、岸田のいう「新しい資本主義」というのも、結局、新自由主義の装飾であり、毒々しさを薄めたものでしかない。弱肉強食の残酷な人間疎外を、ほんの少しだけ薄めて、誤魔化して見せるだけのものだ。
だから岸田は、日本人に対して、竹中や小泉同様、金融博打=マネーゲームによる金儲けを薦め始めた。
国民の過半数が「生活が苦しい」と回答しているのに、国がマネーゲームを主導してよいのか 2022/06/25
政府が「貯蓄から投資」への政策を推し進めている。だが、国が国民を巻き込んだマネーゲームを主導してよいのだろうか? 根底にあるのは新自由主義が世を席巻してから散々言われてきた「自由と自己責任」だ。
そこには「どんな人でも見捨てずに救う」という、本来、国が国民に対して持つべき優しさが感じられない。
政府としてはお定まりの国債やNISA(一定額で購入した金融商品の利益が非課税となる制度。利益が出ることが前提)だのiDeCo(個人型確定拠出年金。60歳までは引き出せない)だのに、もっと国民がお金をつぎ込むことを期待しているのだろう。
しかしながら一般的に考えて投資には、うまくいけば配当が得られる代わりに、元本割れなどのリスクがある。いわば一種のギャンブルを国民に推奨しているわけで、政府は「お勧めはするけどリスクまでは負わないから自己責任でどうぞ」と突き放しているのと同じだ。
自己責任は自由の代償として生じるものだ。そして、何をするにも選択肢を多く持てる余裕のある状態を「自由」と呼ぶのだと思う。
いまの日本は働く人の4割近くが非正規雇用者で正規雇用者の給料も目減りし続けている。
その国で、虎の子の資産を「自己責任」で投資できるほど自由な人がどれだけいるだろうか? 当たり前だが、元手がなければ運用はできない。日本の給与所得者の平均給与は1997年の467万円がピークで、2020年は433万円と34万円も減っている(国税庁調べ)。
にもかかわらず、黒田日銀総裁は「家計の値上げ許容度も高まっている」と発言し、岸田首相も就任当時に掲げた「令和所得倍増計画」が実らぬまま、5月になって「資産所得倍増」を打ち出した。
景気の先行きが不透明で賃金も上がらないのに、それを解決せずに家計の金融資産2000兆円を投資に回して何とかしようとするのは本末転倒だ。
国民の大半が不利益を被ったら国はどうするのか。「自己責任だから」と見放すのか。
そもそも生活に余裕がなく、投資や運用に縁のない人を救うためのセーフティーネットを用意するのが国の仕事ではないのか。国民生活基礎調査(20年)で「生活が苦しい」と答えた人が54.4%もいるのに、投資や運用を勧める政府の意識は私たちとかけ離れたものだ。
最近は、不労所得の稼ぎを競う「キャッシュフロー」という子ども向けのボードゲームがあるという。また今年4月から高校の家庭科で、金融教育の授業も始まった。政府の「貯蓄から投資へ」の政策を後押しするかのようだ。
そんななか、ニューヨークのダウ平均株価が16日、1年5カ月ぶりに3万ドルを割った。これは世界恐慌の前ぶれではないかとさえ思う。為政者が間違ったかじ取りをしたとき、国民が声を上げて正さなければ何も変わっていかない。7月の参院選には、ぜひ投票に行っていただきたいと思う。
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引用以上
三枝氏の指摘は極めて正しい。
【生活に余裕がなく、投資や運用に縁のない人を救うためのセーフティーネットを用意するのが国の仕事ではないのか。国民生活基礎調査(20年)で「生活が苦しい」と答えた人が54.4%もいるのに、投資や運用を勧める政府の意識は私たちとかけ離れたものだ。】
現在、生活に余裕がなくなっている世帯は、54%どころか、おそらく80%くらいに達しているはずだ。みんな生活の質を大きく落としている。
私は、健康上の理由で毎日山歩きをしているが、ガソリン代高騰で、もはや車を利用できないので、リットル50K走る原付を利用している。冬場は凍結する道なので、どうしたものか心配でならない。
中津川市から下呂市に向かう国道は、金曜の夜から日曜の夜まで、渋滞が出るほど交通量が多かったものが、ガソリン代高騰が始まってからは、ガラガラになり通行が楽になっている。みんな観光もセーブしているのだ。
こんななかで、国が貧しい民衆に投機生活を勧めているのだ。
ピント外れも著しい。今こそ、社会生活から落ちこぼれる寸前の貧困に陥った人のために強力なセーフティネットを作らねばならないのに、金融投機=博打を薦めているのだ。
原発を無意味に推進したがるのも、そうだが、こんな政権は続いてほしくない。
だが、期待していたれいわ新撰組も、原発推進の浅草キッドを候補に立てた。私としては、世の中が完全に二極に分かれ、もう誰にも期待できないのだと理解するしかない。