3.11は首都移転の絶好の機会であり、東京一極集中の弊害を一気に直す好機であったのだが、首都にへばりつく既得権益関係者、すなわち官僚と企業の癒着のために、その機会はみすみす失われた。まあ、東京都民も、東京が首都であることによって様々な文化的経済的恩沢を受けている面はあるのだから、都民の中で首都移転に賛成する人は少ないことは少ないだろう。フクシマが今後どうなるかは、「明日は明日の風が吹く」くらいにあきらめているのではないか。
下記記事の企業経営者は本社機能の一部を西日本へ移転するという「英断」を下したが、さすがに全面移転とはいかなかったようだ。しかし、将来的に西日本へ比重を移していくのではないか。そして、今だに東京へしがみついている大企業たちは、その優柔不断のツケを近いうちに支払うことになるのではないだろうか。
何より、まずは行政府からその機能を少しずつでも関西に移転すべきなのだが、「東京オリンピック」を招致したということは、あくまで「フクシマ」の放射能禍は存在しない、でどこまでも押し通す、というのが政府方針であるようだ。
(以下引用)
震災後、即、福岡へ移転 今後5年、東京で何があっても不思議はない-
-後藤玄利・ケンコーコム社長
--2011年3月11日の東日本大震災を機に、日本の社会全体でもリ
スク管理への関心が高まりましたが、本社移転となると慎重
になる企業が多いのが現状です。
その中で、御社はだいぶ早い段階で本社機能の一部を福岡県に
移すことを決断しました。
当社のネット通販サイト「ケンコーコム」は、健康食品を中心に
日用雑貨や化粧品など17万点の商品を取り扱っています。
震 災時は、水をはじめ需給が逼迫していたものを
アグレッシブに確保しました。
“ケンコーコムは生活を支えるライフラインである”とお客様に
改めて認識してい ただけたのではないでしょうか。
福岡オフィス新設も、“ライフライン”としての使命を果たすた
めの取り組みの1つです。
僕は福島第一原発の メルトダウンをほぼ確信していた
ので、震災から10日ほどで本社機能の移転を決断しました。
社員の福岡勤務は5月から開始しています。
当時は国民に対して 情報が開示されていませんでしたが、
実際のところ官邸は最悪の事態を想定していたし、
実際メルトダウンもしていたわけですよね。
今となっては最悪の事態を免れたので当社の福岡移転は
多少、大げさに映っているかもしれませんが、
あの時点で判断をするだけの理由はあった。
後悔はしていません。
昨年の3月11日以前に比べても、余震や放射能などいろいろ
な意味で首都圏はリスクが高まっています。
今後5年間のことを考えれば、東京で何があっても不思議はない。
僕は1%のリスクであれば切り捨てる場合も多いですし、東京に居続けて
も何も問題が起こらないかもしれないけど、さまざまな角度から5年後を
見据えたうえで損がないと判断した。だから福岡へ移転しました。
リスク分散をしっかり行い、ビジネスを継続できる環境をきちん
と作っておくことは、いずれにせよやっておかなければいけないことだと思います。
--なぜ移転先を福岡に決めたのでしょうか。社員は混乱しませんでしたか。
もともと福岡に物流センターがありましたし、取引先も多いので。
賃料は東京の半分ですし、人件費も安い。
人材に関しては、配偶者が東京の会社に勤めているなど家庭の事情に
よって福岡へ移れない社員もいるので、部署単位で福岡に人を移す
ということはしていません。
移転してからもうすぐ1年ですが、それでも支障はありませんし、
何とか業務は順調に回っています。
逆に転勤を希望する社員も何人かいました。
子どもがいるので安心して過ごしたいということで、旦那さんに勤め先で
異動願いを出してもらうなどして家族全員連れて福岡に引っ越してし
まった女性社員も何人かいます。
現在、社員は東京オフィスに70人、福岡オフィスに80人おり
、福岡オフィスが増え続けているような状況です。福岡はヒトを集めやすい。
東京のように大企業がたくさんあるわけではないので、
高学歴の人をはじめTOEIC950点以上といった人も応募してきています。
--東京、福岡、そしてご家族のいらっしゃるシンガポールを
転々としながらの生活ですが、滞在時間はどこがいちばん長いですか。
月2回週末を絡めてシンガポールに行きます。
ちょっと前まで週3日は福岡でしたが、最近は東京が多いですね。
福岡オフィスが軌道に乗ってきたというのもありますが、
外部の人と接触をする機会はやはり東京が多い。
日本はみんな東京が便利だからといって、離れることができない
でいます。
本当はこのパラダイムを変えないといけない。震災は絶好の
タイミングだったはずなんですけどね。復興庁にしたってなんで
東京なんかでやっているのか。
まずは公的機関が出て行くとか、一度分散させてしまえばみんな
適合を始めると思うんですが、一極集中している限りは真っ先に
出ていくのはアホらしいので誰も出られないでいる。
このままでは日本は、ゆでガエルになってしまうと思うのです。
ごとう・げんり
1967年02月大分県で80年の歴史を持つ地場の製薬会社の
創業家に生まれる。89年03月東京大学教養学部基礎科学科第一卒業、
同年04月アンダーセ ンコンサルティング入社、同社の戦略コンサルティンググループ
設立メンバー。94年うすき製薬取締役、同年11月ヘルシーネット(現ケンコーコム)設立、
代表取締役就任。97年うすき製薬代表取締役(01年より取締役)、
2000年05月ケンコーコムを立ち上げ。
(撮影:梅谷秀司)