そういえば、私は憲法擁護の必要性を口うるさく主張しているくせに憲法前文をきちんと読んだこともない。あの難しい文章を読むのに気おくれしてしまうのだ。そういう人は多いだろう。ここは、昔の教育勅語(私は、あの「朕思ふに我が皇祖皇宗……」のリズムが大好きなのである。日本国憲法には、残念ながら、そのリズム感が無い。)のように、全国民に小学校入学時から暗記を義務づけてはどうか。(笑)
何しろ、憲法は社会の土台なのだから、そうしてもいいはずだ。前文どころか、憲法全文(全100条なのか?)を暗記させてもいいのではないか。
一度覚えたものを忘れるのは癪だから、国民も憲法を大事にするようになるだろう。
後で、前文の全文を付記するが、先にその一部、今こそ噛みしめるべき言葉を転記しておく。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
(以下引用)
(付記)ウィキペディアより。
前文[編集]
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
解説[編集]
- 前文の基本原理
国民主権の下ではじめて基本的人権が成り立つという関係に立脚し、国民主権と基本的人権が広義の民主主義の両輪として機能することが、「人類普遍の原理」と位置づけられている。
また、人間の自由及び平和的生存は、「恒久の平和」の実現によって確保されるのであり、平和主義は基本的人権及び国民主権と密接な関係にある。国内の民主主義と国際の平和の一体性は、近代的憲法の精神を邁進してきた原則である。
(追記)これは私の趣味からの転載である。「教育勅語」の文章のリズムの良さを知ってもらうためのものだ。内容も嫌いではない。国民が天皇の臣下(臣民)と位置付けられていた、明治時代という時代の時代的制約(パラダイム)に注意しさえすれば、社会人としての普遍的規範を示した、良い内容だと思う。分かりやすくするために、「読み方」の部分を色字にしておくので、口ずさんでみてほしい。
教育勅語
本文
教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此
レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ
兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ
修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開
キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々
服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
画像は「新編 修身教典 尋常小学校用 巻二」(訂正4版、明治35年)より。
参考:現代口語訳
私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)
解説1:教育勅語の最後には、原本では実際には「睦仁」という天皇陛下の署名と、その下に「天皇御璽」と書かれた印(御璽)が押されています。しかしそこから書き写す時には署名と印の代わりに「御名御璽」と書くことになっています。六法をお持ちの方は、日本国憲法の前文にも「御名御璽」がありますから探してみてください。
解説2:なお、教育勅語の口語訳は、「国民道徳協会」の訳が比較的有名なようですが、どうも「皇祖皇宗」や「臣民」の意味がぼけている。あくまでも意訳だと私は解釈します。当時の背景を理解しながら元々の意味を忠実に伝えるというよりは、“現代の日本に適応させようとした平成アレンジ”になってしまっている感があります。一方、天皇機関説事件の後の頃の、昭和初期の文献による教育勅語の解説もまた極端に思えるし、とにかく人によって結構解釈が違うらしい。結局私の納得行く訳が見つからなかった(ことと著作権の問題もある)ため、極端な意訳を廃した自前の訳を作ってみました。[1999年?初版、2002/05/21, 2004/07/01改訳。]
参考:読み方(新かな表記)
朕 惟 フニ我カ皇 祖皇 宗 國 ヲ肇 ムルコト宏 遠 ニ德 ヲ樹ツルコト深 厚 ナリ
チンオモうにワがコウソコウソウクニをハジむることコウエンにトクをタつることシンコウなり
我カ臣 民 克ク忠 ニ克ク孝 ニ億 兆 心 ヲ一 ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
ワがシンミンヨくチュウにヨくコウにオクチョウココロをイツにしてヨヨソのビをナせるは
此レ我カ國 體 ノ精 華ニシテ教 育 ノ淵 源 亦 實 ニ此 ニ存 ス
コれワがコクタイのセイカにしてキョウイクのエンゲンマタジツにココにソンす
爾 臣 民 父母ニ孝 ニ兄 弟 ニ友 ニ夫 婦相 和シ朋 友 相 信 シ恭 儉 己 レヲ持シ
ナンジシンミンフボにコウにケイテイにユウにフウフアイワしホウユウアイシンじキョウケンオノれをジし
博 愛 衆 ニ及 ホシ學 ヲ修 メ業 ヲ習 ヒ以 テ智能 ヲ啓 發 シ德 器ヲ成 就 シ
ハクアイシュウにオヨボしガクをオサめギョウをナラいモッてチノウをケイハツしトクキをジョウジュし
進 テ公 益 ヲ廣 メ世 務ヲ開 キ常 ニ國 憲 ヲ重 シ國 法 ニ遵 ヒ
ススンでコウエキをヒロめセイムをヒラきツネにコクケンをオモンじコクホウにシタガい
一 旦 緩 急 アレハ義勇 公 ニ奉 シ以 テ天 壤 無窮 ノ皇 運 ヲ扶翼 スヘシ
イッタンカンキュウあればギユウコウにホウじモッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし
是 ノ如 キハ獨 リ朕 カ忠 良 ノ臣 民 タルノミナラス
カクのゴトきはヒトりチンがチュウリョウのシンミンたるのみならず
又 以 テ爾 祖先 ノ遺風 ヲ顯 彰 スルニ足ラン
マタモッてナンジソセンのイフウをケンショウするにタらん
斯ノ道 ハ實 ニ我カ皇 祖皇 宗 ノ遺訓 ニシテ子孫 臣 民 ノ倶 ニ遵 守 スヘキ所
コのミチはジツにワがコウソコウソウのイクンにしてシソンシンミンのトモにジュンシュすべきトコロ
之 ヲ古今 ニ通 シテ謬 ラス之 ヲ中 外 ニ施 シテ悖 ラス
コレをココンにツウじてアヤマらずコレをチュウガイにホドコしてモトらず
朕 爾 臣 民 ト倶 ニ拳 々 服 膺 シテ咸 其 德 ヲ一 ニセンコトヲ庶 幾 フ
チンナンジシンミンとトモにケンケンフクヨウしてミナソノトクをイツにせんことをコイネガう
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
ギョメイギョジ
教育勅語・賛否両論
教育勅語とは,明治23年に公布されたもので、国民の培うべき徳行を説くものです。
「朕惟フニ…」の出だしだけは知られていても、その意味は今ではほとんど語られることがありません。なるほど、途中の徳行をすすめる内容は、現代にも共通する部分は多いと感じるかもしれません。
一方、戦後、このような点が問題視されるようになりました。
- 「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の部分は神が国を作ったという神道的な考えなのではないか。(皇祖は天皇家の先祖という意味であり、神武天皇や天照大神を含むと一般にみなされている)
- 「臣民」という言葉が出てくるが、天皇の臣民という考えを押しつけるものではないか。(確かに、大日本帝国憲法からすると、当時の日本国民は天皇の臣民であったが)
- 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分は、戦争が起こったら兵隊に行って戦い、皇国の繁栄に尽くすべきだと教え込んでいるのではないか。
- 教育勅語は「天皇崇拝の儀式」と結びつけて使われてきた過去があるので、問題ではないか。