「易経」のような中国の古典を時々手にして眺めることの効用の一つは、思いがけない漢字の意味を発見したりすることがあることだ。
たとえば、「災」と「眚」の違い。「災」は天災を、「眚」は人災を意味するようだ。このように一字だけで使い分ける習慣があれば、たとえばフクシマの災害を「眚」の一字で表すことができ、その人災の責任者たちの責任が有耶無耶にされることもなかっただろう。
「生」の下に「目」があるのが「眚」という字だ。見た目で騙されるような愚かな生き方、愚かな社会が人災のもとであるということか。(笑)
本当は、長い文章が書きたいが、パソコンの語句変換機能に異常な不具合があり、たったこれだけの文章を書くにのも無闇に時間がかかるので、ここまでにしておく。わざわざ書くほどの内容でもなかった。
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