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日本の本当の課題は「正常な再配分」の構築である

「神州の泉」記事を全文転載。
私の考えもまったく同様である。


(以下引用)



2014年2月 5日 (水)



「国家戦略特区」は東京を「ブラック首都化」する





最近よく目にする言葉に「ブラック企業」がある。

これは従業員に過度の心身の負担や極端な長時間の労働など劣悪な労働環境での勤務をさせて、一向に改善しない企業のことだ。

一般のイメージは、これを企業側の倫理や社会道徳の劣化という文脈でとらえている。

確かに現象的にはその側面は否定できないが、その狭義の認識は本質を見誤る。

強いて言うなら、ブラック企業の存在や増加は、倫理道徳の問題というよりも純粋に経済システムの問題なのだ。

従業員の労働成果だけを苛酷に絞りとって、従業員の人間としての生存権や人権を可能な限り抑制することによって、そこに生み出される“非人間的な労働環境”により、会社の利潤を最大化するという姿勢がブラック企業の特質なのである。

これを社会的な視点で見るなら、企業側によるCSR(企業の社会的責任)の放棄に他ならない。
人間が社会的動物であり、唯一、経済的な動物(ホモエコノミクス)である以上、労働して糧を得る場が、全的な生活の中で重要な部分を占めること言うまでもないだろう。

その意味では、企業と従業員の労使契約と国家が管理する労働基準法などの適度な調節環境が必要である。
しかし、1990年代からアメリカの内政干渉により、新自由主義が国内制度を変え始めてから、日本の修正資本主義的な側面は急速に消滅し、小泉政権の規制緩和と構造改革で労働環境は極限的に悪化しつつあった。

これはワシントン・コンセンサスというネオリベ構造改悪によって、日本の企業環境と労働環境が激変したからである。
日本に時代劇の悪代官のようなブラック企業が増えたのは、倫理道徳の低下が根本の理由ではなく、企業倫理を極限的に劣化させる政府の政策が招いているのである。
つまり、ブラック企業の存在は日本社会の構造的な問題であり、アメリカのワシントンコンセンサスが浸透した当然の結果として出ているのである。

社会運動家の白川真澄氏が“アベノミクス批判”で語るように、規制緩和の内実は、企業の自由を無制限に拡大することである。
新自由主義とは、CSR(企業の社会的責任)を取り払うのだが、それは企業活動に対する社会的な制約の解除であり、企業の利益活動を最大限に優先させる体制づくりである。

ブラック企業の出現は、アメリカ・コーポラティズムを外圧によって引き入れた、日本政府のその場限りの国政デザインが招いている当然の結果である。
つまり、この負の結果は売国政府の責任なのである。
企業の利益追求至上主義を何らかの形で国家が制御することを止めたら、つまり、企業のレッセフェール(なすがまま)に委ねたら、労働者の権利、安全性、公共性が破壊されることは理の当然である。

白川真澄氏によれば、解雇規制の撤廃は、正社員の既得権をなくす改革と言われるが、セーフティネット(転職に必要なスキルを身につける職業訓練、失業し求職活動をしている期間中の所得保障など)の拡充がないまま、また正社員と非正社員の均等待遇の義務づけがないまま、正社員の解雇だけを自由にすれば、いつでも仕事を失う恐れのある不安定雇用の労働者を大量に生みだすだけである。

http://blogos.com/article/78792/

2008年の年明けを思い出して欲しい。
非正規労働者が企業のブラック体質の顕著化によって生存権を剥奪されてしまったというのが、あの“年越し派遣村”の出現に繋がった。
これは全国的にショックを与えたできごとだったが、あれから足掛け6年、はたして社会は変わっただろうか。
日本社会は全く変わらないどころか、むしろ企業中心で人間不在の社会構造が政府によって激化・深化しているのが実状である。

この人間不在の経済構造、社会構造への転換が極限的に制度化したのが、アベノミクスの「成長戦略」である。
平成の失われた20年とは、1990年代から先鋭化した、米国による日本のネオリベ構造改悪という内政干渉の歴史と一致しているのだ。
その具体的な政策課題が規制緩和と構造改革なのである。

竹中平蔵氏は小泉政権の終盤に、小泉・竹中構造改革路線が格差社会を生じさせ、労働環境の苛酷さや貧富の差を生み出したと批判された時、それは「構造改革が不十分だからです。」と、堂々と開き直っていた。
これが竹中氏を象徴とするネオリベ路線の最大の詐術であり、構造改革を徹底すればするほど、規制緩和を徹底すればするほど、企業も日本社会も無機的に“ブラック化”するのである。

東京都が都心部を「アジアヘッドクオーター特区(AHQ特区)」として国に申請したが、これは竹中平蔵氏の構想である。
構造改革と規制緩和、外資を最大級に優遇、これが東京のアジアヘッドクォーター特区の実態である。

思想家の内田樹氏は国家戦略特区の最終目的は日本という国家を企業体質に変換することだと単刀直入に言っているが、竹中平蔵氏の東京のアジア・ヘッドクォーター特区化も同じであり、これは首都東京の企業化なのである。
もっと言うなら、成長戦略に「人間」や「国民生活」という概念がほとんど見られずに、企業利益、外資利益だけが成長戦略の対象になっていることを鑑みれば、東京都の国家戦略特区、すなわちAHQ特区が東京の“ブラック首都化”であることが明らかとなっている。

アベノミクスの最大の詐欺性とは、企業の成長こそが日本回復のかなめと言っていることにある。
この基本思想が大間違いなのである。
日本回復の要点は企業の成長ではなく、“正常化した再配分の構築”なのだ。
国民を傷めつけ、窮民化する現政策の問題点は再配分を企業側に一方的に傾斜させることにある。
これは国民の奴隷化・搾取化と同義なのである。

グローバル企業に魂を売り渡した安倍政権にとって、「再配分」は禁句中の禁句となっている。



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