副島隆彦の「学問道場」記事の一部で、この部分だけ見ると「尊皇主義」だが、それは私と同様に「象徴天皇制」のメリットは、天皇という存在を廃止するメリット(何があるのだろう?)より大きいという考えだろう。そして、副島が「日本国憲法」護持派であることと、彼が「日本の、属国からの脱出」を生涯の研究テーマとしていることは矛盾しないと私は思う。
日本がアメリカの属国であることから脱出した時に、「天皇の存在しない日本」と「天皇の存在する日本」とどちらを選ぶかの選択肢が出て来るが、私は、天皇の存在しない日本、つまり「国民統合の象徴」の存在しない日本は今のアメリカのような「カネがすべて」の無道徳で下品な国に成り下がると思っている。まあ、要するに、「絶対権力を持つ大統領として『安倍晋三』が君臨する国」を想像すればよい。(もちろん、「安倍晋三」はたとえで、同類の人間のことだ)
皇室の存在価値は「日本人の品位」を保持することにある、というのもひとつの考えで、日本の皇室がイギリス王室のようなスキャンダルまみれの皇室になれば、その時は「皇室の廃止」が政治議題になるだろう。小室親子による「侵略」は「皇室の品位の危機」だったわけだが、眞子様の「臣籍降下」(この言葉は皇族以外を天皇の「臣下」とみなす、敗戦以前の「死語」だから「皇籍離脱」「皇籍除籍」と言うべきか)によってその危機は去ったわけである。しかし、同じような危機はこれからも起こるだろう。私は、天皇であることや皇族であることは、一種の「人権剥奪」でもあるから、天皇や皇族の「人生」にとっては重荷だろうな、とは思う。しかし、日本人のような「集団でしか生きられない」民族には国民統合の象徴は必要だろう。
なお、絶対君主としての天皇(日本の歴史で天皇が「絶対君主」であったことは無かったと思うが、「国家主権者」ではあった。)と、「象徴天皇」とを比較して、後者における「天皇制(つまり、天皇という政治的装置)」に何のデメリットがあるのだろうか。
(以下引用)
日本が、形の上だけでも、民主政(これを、本当は、デモクラタイゼイションと言う)になったのは、ほんの77年前の敗戦のあとの、新憲法体制のときだ(1946年公布)。この新憲法の1条で、天皇を、国民統合の象徴(シンボル)だと、決めた。
この今の憲法体制を、いくら、安倍晋三たちが、改正して徴兵令を憲法の中に入れたくて、あがいて策動しても、簡単には出来ない。日本は、戦争が出来る正常な国になるべきだ、という考えは、危険であり、大きなダマシだ。安倍晋三たちの、邪悪な憲法改正の策動に乗ってはいけない。
天皇は、日本国民の団結の象徴である、という考えで、このあとも、日本国民は、動いてゆく。天皇がいてくれたほうが、日本民族は一致団結して、国難に立ち向かえる、という素朴な、しかし強固な民族感情の上になりたっている。これを壊す必要はない。
日本の天皇家は、戦後は、ヨーロッパ各国の愚劣で、国民の評判が悪い王政国家とは違う。イギリス国王の藩屏(はんぺい)で、あるスウエーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも、国王たちは、ものすごく評判が悪い。 日本は、敗戦後の昭和天皇の深い反省をしっかり受け継いでいるから立派な王室だ。
慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇と美智子皇后
明仁上皇と、美智子上皇后 が、毎回、壇上の貴賓席から、厳しく睨みつけて、ずっと激しく怒っていたのは、安倍晋三に対してである。 安倍晋三たちぐらい、天皇家を蔑(ないがし)ろにして、昭和天皇の 「日本は、2度と戦争をしない。騙されて、愚かにも、戦争に引きづり込まされた。私は、バカだった」という固い不戦の誓いを、一番、毛嫌いして、一番、今の天皇を憎んでいるのは、安倍晋三たち、統一教会のキチガイたちである。
統一教会(帝都ワシントンでも猛威を振るっている)の世界最大の資金源である、笹川財団(英語では、the US -Japan Foundation 、ザ・ユーエス・ジャパン・ファウンデイション)は、朝鮮系の団体だ。 ドンの笹川良一は、統一教会と同様に朝鮮人である。このことは、韓国、北朝鮮では公然の秘密である。誰でも知っている。
このように、私、副島隆彦が、書くと、ひどい人種差別の人間に私がなってしまうことを私は分かっている。だが、朝鮮人、韓国人を、あれほどに軽蔑して、チョーセン人、チョン公 嫌い、嫌韓(けんかん)を言い続けた、日本のバカ右翼、言論人どもに、私は、腹の底から、怒っている。アジア人どうし、尊敬しあって、仲良くしなけばいけない。
だから、私が、「お前たちの大親分の、笹川良一こそは、おまえたちが、大嫌いな、朝鮮人じゃないか。お前たちの頭は、一体、どうなっているんだ。 なあ、橋下徹よ、曽野綾子よ」と、私は、書く。だから、私は、安倍晋三たち、統一教会の バカ右翼たちに、大きなケンカを売る。
日本がアメリカの属国であることから脱出した時に、「天皇の存在しない日本」と「天皇の存在する日本」とどちらを選ぶかの選択肢が出て来るが、私は、天皇の存在しない日本、つまり「国民統合の象徴」の存在しない日本は今のアメリカのような「カネがすべて」の無道徳で下品な国に成り下がると思っている。まあ、要するに、「絶対権力を持つ大統領として『安倍晋三』が君臨する国」を想像すればよい。(もちろん、「安倍晋三」はたとえで、同類の人間のことだ)
皇室の存在価値は「日本人の品位」を保持することにある、というのもひとつの考えで、日本の皇室がイギリス王室のようなスキャンダルまみれの皇室になれば、その時は「皇室の廃止」が政治議題になるだろう。小室親子による「侵略」は「皇室の品位の危機」だったわけだが、眞子様の「臣籍降下」(この言葉は皇族以外を天皇の「臣下」とみなす、敗戦以前の「死語」だから「皇籍離脱」「皇籍除籍」と言うべきか)によってその危機は去ったわけである。しかし、同じような危機はこれからも起こるだろう。私は、天皇であることや皇族であることは、一種の「人権剥奪」でもあるから、天皇や皇族の「人生」にとっては重荷だろうな、とは思う。しかし、日本人のような「集団でしか生きられない」民族には国民統合の象徴は必要だろう。
なお、絶対君主としての天皇(日本の歴史で天皇が「絶対君主」であったことは無かったと思うが、「国家主権者」ではあった。)と、「象徴天皇」とを比較して、後者における「天皇制(つまり、天皇という政治的装置)」に何のデメリットがあるのだろうか。
(以下引用)
日本が、形の上だけでも、民主政(これを、本当は、デモクラタイゼイションと言う)になったのは、ほんの77年前の敗戦のあとの、新憲法体制のときだ(1946年公布)。この新憲法の1条で、天皇を、国民統合の象徴(シンボル)だと、決めた。
この今の憲法体制を、いくら、安倍晋三たちが、改正して徴兵令を憲法の中に入れたくて、あがいて策動しても、簡単には出来ない。日本は、戦争が出来る正常な国になるべきだ、という考えは、危険であり、大きなダマシだ。安倍晋三たちの、邪悪な憲法改正の策動に乗ってはいけない。
天皇は、日本国民の団結の象徴である、という考えで、このあとも、日本国民は、動いてゆく。天皇がいてくれたほうが、日本民族は一致団結して、国難に立ち向かえる、という素朴な、しかし強固な民族感情の上になりたっている。これを壊す必要はない。
日本の天皇家は、戦後は、ヨーロッパ各国の愚劣で、国民の評判が悪い王政国家とは違う。イギリス国王の藩屏(はんぺい)で、あるスウエーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも、国王たちは、ものすごく評判が悪い。 日本は、敗戦後の昭和天皇の深い反省をしっかり受け継いでいるから立派な王室だ。
慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇と美智子皇后
明仁上皇と、美智子上皇后 が、毎回、壇上の貴賓席から、厳しく睨みつけて、ずっと激しく怒っていたのは、安倍晋三に対してである。 安倍晋三たちぐらい、天皇家を蔑(ないがし)ろにして、昭和天皇の 「日本は、2度と戦争をしない。騙されて、愚かにも、戦争に引きづり込まされた。私は、バカだった」という固い不戦の誓いを、一番、毛嫌いして、一番、今の天皇を憎んでいるのは、安倍晋三たち、統一教会のキチガイたちである。
統一教会(帝都ワシントンでも猛威を振るっている)の世界最大の資金源である、笹川財団(英語では、the US -Japan Foundation 、ザ・ユーエス・ジャパン・ファウンデイション)は、朝鮮系の団体だ。 ドンの笹川良一は、統一教会と同様に朝鮮人である。このことは、韓国、北朝鮮では公然の秘密である。誰でも知っている。
このように、私、副島隆彦が、書くと、ひどい人種差別の人間に私がなってしまうことを私は分かっている。だが、朝鮮人、韓国人を、あれほどに軽蔑して、チョーセン人、チョン公 嫌い、嫌韓(けんかん)を言い続けた、日本のバカ右翼、言論人どもに、私は、腹の底から、怒っている。アジア人どうし、尊敬しあって、仲良くしなけばいけない。
だから、私が、「お前たちの大親分の、笹川良一こそは、おまえたちが、大嫌いな、朝鮮人じゃないか。お前たちの頭は、一体、どうなっているんだ。 なあ、橋下徹よ、曽野綾子よ」と、私は、書く。だから、私は、安倍晋三たち、統一教会の バカ右翼たちに、大きなケンカを売る。
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