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人災としての水害

別ブログに書いたばかりの記事だが、そちらはブログというより「文書倉庫」としての役目が主で、閲覧者はほとんどいないので、多少とも読者のいるこっちにも載せておく。
つまり、なるべく多くの人にこの問題を考えてもらいたいのである。
災害に遭われたばかりの人にとっては不愉快に聞こえる部分もあるかもしれないが、このことは、誰も何も言わず、一向に改善される気配が無いから、あえて私がここで言うのである。私が下記のようなことを考えてからもう数十年になる。いったい私以外の人は私のようには考えないのだろうか? それが私には不思議でならない。



人災としての水害

誰も書かないので、私がここに書いておく。半分は、時がたつとこの問題はまた忘れられてしまうから、記録に残すためである。
それは、「台風や大雨による水害、特に九州北部の水害は実は年中行事である。したがって、その被害は天災ではなく人災である」というものだ。
実際、今年の大雨は記録的だとか何だとか言っているが、水害自体は毎年、この時期、つまり梅雨時から台風シーズンにかけて必ず起こっているのである。
つまり、水害に遭った土地は、水害に起こる可能性が非常に高い土地だと推測できる。
簡単に言えば川の流域に住宅が存在しているのである。ならば、少し大雨になれば、その程度如何で水害になることは予想できる。予想できることに対して対策をたてないから天災ではなく人災だと言っているのである。
この「人災」の責任は行政にもあるし、住んでいた人々自身にもある。しかし一番の責任は、そうした川の流域を住宅地域として開発し、売り出したデベロッパーにあると私は考える。もちろん、それらの流域が昔からの住宅地帯ならば、ほとんど住人の自己責任になるが、しかし、私の予想では、そうした「流域住宅地」は明治以後、それも第二次大戦後に多くは開発された地帯だと思う。
行政としてやるべきことは、そうした「流域住宅地」に人が住むことをやめさせることである。何なら、移転費用の何割かを補助してやってもいいだろう。それでも移転しないならば、それは完全に自己責任だ。
この「根本的対策」をしないかぎり、これから先、半永久的にこうした「人災的水害」は続くだろう。



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