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デモクラシーという虚構

私は昔は民主主義者だった(ような気がする)のだが、その時でも代議制民主主義は虚構の民主主義だと考えていた。選挙で選ばれた代議士が平気で民意を裏切り、公約を裏切る政治のどこが民主主義なのか。そして、権力が多数の代議士に分散されるほど、裏権力(現代なら大資本家)による支配が容易になる。多数派政党を作るのも、マスコミを使えば容易である。
世界でもっとも健全な政治運営をしているロシアと中国がどちらも「哲人統治」であるのは民主主義の空しさを示している。中国の場合は、共産党が決めたトップに絶対権力を与えるが、そのトップに至る人間は長い間の試練と周囲の観察に耐えた者だから、能力も人格も信頼性がある。そこが、選挙での浮動票や組織票(つまりカネの力)で代議士になり、カネの力で派閥の長になり総理大臣(大統領)になる「民主主義国家」との違いである。
しかし、代議士が公然と民意を無視するようになったのは、小泉純一郎と竹中平蔵以来ではないか。それと維新の会の政治侵略は軌を一にしている。つまり、その背後にはアメリカのDSの意思があると見ていいだろう。
そして、そういう「偽民主主義」に対抗できるのは、暴力革命でなければ、「有能で人格者の独裁者」の登場しかないのではないだろうか。まあ、日本の場合はそこに「錦の御旗」を掲げるという手段もある。
ついでに言えば、デモクラシーの本義は「民衆による支配」である。民衆という無形のアメーバの集合(抽象存在)が社会を支配するという御伽噺である。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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