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「自由主義」とは何か

「自由主義」というのは麻薬的な言葉で、悪魔の囁きと言ってもいい。
人間というのはいつでも自由への憧れ、それも絶対的な自由への憧れを持っているものだ。「絶対的な力への憧れ」と言ってもいい。だが、それで何をやりたいかというと、それがまさに悪魔的なものなのである。
「倫理とは禁止の体系である」という言葉があるが、その倫理というものを踏みにじって、やりたい事をできる力、というのが「絶対的な力」だ。まさに、悪魔になりたいということなのである。嫌いな人間を殺す自由、目の前の女を犯す自由、あらゆる法律を踏みにじる自由。それが究極の自由だ。さらに妄想を言えば、空を飛ぶ自由、月や金星や木星に行く自由。そういう自由をSF作家などは書いてきた。透明人間、不老不死、etc etc。
つまり、自分を縛っているもの、それは法律であり倫理であり、家庭であり、学校であるが、それから自由になりたいというのが「自由主義」の本質なのである。だが、それで自由になるということは、他人の自由や権利や心情や感情を踏みにじることである。誰かが自由になれば別の誰かの自由が奪われる。それを調節する社会的知恵が法律であり倫理であり社会的慣習だ。これは「伝統」という別名がある。
その法律や倫理や社会的慣習を守ろうというのが「保守主義」なのである。
これが自由を求める人間の反発を呼ぶのは当然なわけだ。自由主義が社会的無軌道とほとんど同化するのは当然のことなのである。今のアメリカ社会がその究極の姿だろう。そこでは、低額の窃盗は犯罪ではない(逮捕されない)とする法律すら制定されたのである。(もちろん、州法だ。)そして毎日のように銃によって何人もの人間が殺される。これは銃所持の自由であり、犯人は「他人を殺す自由」を主張したわけである。
もちろん、これは極論だと言われるだろう。だが、本質論とは常に枝葉や飾りを切り落として論じるのであり、極論が当たり前なのだ。


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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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