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保守主義と自由主義への印象

物事はやはり根本を考えないといくら考えても「多岐亡羊(道が多すぎて逃げた羊が行方不明になる)」かと思う。
我々の日常の思考はわりと単純な問題が多い(ネジを回すのにプラスドライバーを使うかマイナスドライバーを使うかの類)のだが、政治や社会の問題はそうはいかない。それで根本を無視した思考を重ねても、まったく無意味な「下手の考え休むに似たり」となるしかないだろう。

たとえば、アメリカの「共和党」の「共和」とは何か、何度調べても私の頭には入ってこない。これは訳語が悪いと思う。あるいは「寡頭政治」とか「寡頭権力(勢力)」などもあまりピンと来ない言葉だ。特に「寡頭権力」を「ディープステイト」の意味で使うのはどうかと思う。要するに「表の政治の裏側から政治を動かしている、政治の実権を持つ連中」なのだから、やはり「ディープステイト」がベストの言葉だろう。その頭数が単数か複数かが問題なのではないのだから「寡頭」という言葉は無意味だと思う。まあ、本来の意味とは違うが「僭主」というのが「ディープステイト」に近いかと思う。つまり、「本来は君主である資格が無い支配者」である。ただ、「僭主」は表に出るが「ディープステイト」は裏に隠れている。つまり、「僭主」ではなく「潜主」かwww

あるいは、何度も書いているが「地政学」という言葉も、単に「戦略」とか「軍事的思考」と言うべきだろう。政治や軍事が地理と密接な関係を持つにしても、それがすべてではないし、軍事では地理的要件など長距離兵器や大量破壊兵器があれば簡単に無意味化されるはずだ。「大陸国家」とか「海洋国家」だとかの大別は今はほとんど無意味なのではないか。「ハートランド」「リムランド」という言葉の示すような世界地図全体を大きな視点で見る思考も現代人には常識であり、事々しく言うこと自体が19世紀的(帝国主義時代的)思考だと思う。
ただ、国境が隣接していると揉め事が起こりやすいのは昔も今も変わらないわけで、それを利用しているのがDSである。つまり、「国境があるから紛争が起こる。だから国境を無くし、カネ、物、人の移動を自由にしよう。何なら世界政府を作ろう(その支配者には我々がなるけどねww)」というわけである。EUがその実験室で、その加盟国の間で貧富の格差はむしろ拡大し、固有文化が衰退しているのは言うまでもない。

さて、ここで根本を考えようと最初に考えていたのは「保守」あるいは「保守主義」という言葉と思想である。
その「保守」の対義語は「革新」であるが、たいていの人の頭の中では保守の対義語として「自由」という言葉も連想されるのではないか。特に現在の政治状況では「保守主義」に対立するのは「革新」というより「自由主義」だろう。つまり「規制の撤廃」だ。これは近年の日本の政治では野党よりもむしろ自民党がやってきたものである。特に小泉政権以降の自民党が、(と後に維新も加わって)さまざまな自由化(規制緩和。たとえば契約社員の職種の拡大)を行い、それによって庶民生活が圧迫され貧困の一途をたどったことは言うまでもない。
まあ、それらの自由化を「革新」と言ってもいい。問題はその「革新」が誰のため、何のために行われたのか、国民はずっとつんぼ桟敷に置かれていたことである。中には「革新」だから良いのだろう、「自由化」なのだから良いことなのだろうと呑気に考えていた国民も多かったのではないか。私が非常に危険視するのが、そういう「言葉の魔術」なのである。

なぜ「保守」はダメで、「革新」や「自由」はいいことだ、という印象を人々は持つのか、というのが私がここで問題としていることだ。
だが、文章が長くなりすぎたので、稿を改めて考察したい。


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