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「三島VS全共闘」前半の感想

ネットフリックスの「三島VS全共闘」は前から見たいとは思っていたが、見るのが億劫でもあり、頭脳の体力がある時に見ようと思っていた。で、先ほど見始めたが、途中から話が観念的になりすぎて、まったく面白くない展開になったので、中断している。
私としては、なぜ三島が尊皇主義者であり、共産主義を敵だとしているのか、もっと明晰な説明を聞きたかったのである。私は何度も書いているように、尊皇主義の社会主義者なのである。社会主義とは必ずしも尊皇主義と両立できないものでもない。(北一輝の社会主義がそれであるようだ。)
要するに、社会全体の利益を個人的欲望より上位に置いて、個人的欲望に制限をかける思想が私の言う社会主義で、何度も書いているように、宮沢賢治の「社会がぜんたい幸福になるまでは個人の幸福はありえない」というのが私の社会主義だ。とすれば、当然、個人的な財産・富には制限がかかるわけで、それが富裕層に社会主義が憎まれるところだろう。しかし、人間ひとりが幸福になるのに、何億円何兆円もの財産が必要だろうか。よく言われるように、「起きて半畳、寝て一畳」が人間に必要な空間であり、一度の食事には一人前しか食えないのである。
ただ、「三島VS全共闘」の前半にも面白い部分があり、確かサルトルの言葉だと言っていたと思うが、エロティシズムは相手の主体を認めず、物体視するところに生まれる、という思想を三島が肯定的に語っているのである。これは通常のエロティシズム理解とは逆だろうが、そこが面白い。このエロティシズムは「わいせつ感」の意味のようだ。

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酔生夢人
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男性
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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