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兵六餅のこと

私が子供のころ、時々食べた菓子に「兵六餅」と「ボンタン飴」がある。それが今でも百円ショップなどで買えるので、たまに買って来ることもある。もちろん、今どきの子供が好む食べ物でもないだろうから、私自身が食べるのである。
プルーストの「失われた時を求めて」の紅茶に浸したマドレーヌではないが、子供の頃の思い出の味は、失われた記憶を蘇らせこそしなくても、懐かしい感じはある。
下に書いたのはその兵六餅の箱に書かれている漢文(多分、漢詩の七言絶句だろう。「人」「身」「真」が型どおり押韻されているし。)と、そのふりがな(「読みがな」と言うべきだろうか。平がな書きの書き下し文とも言える。)だが、私は子供のころ、この中の「ひょうろくいかでかむいの志んを志らん」がひどく奇妙に思われたものである。まず「いかでかむいの」とは何か、どこでどう切って読むのか。「志ん」とか「志らん」はどう読めばいいのか。その頃は万葉仮名など知らないから「志ん」は「しん」と読めばいい、とは気づかなかったのである。小学低学年だから「志」の音読みが「し」であることも知らなかったかもしれない。五十音表で「ゑ」は知っていたと思うから「志」と「ゑ」を混同して「志ん」を「えん」と読んだりしたような記憶もある。全部平仮名の中に二箇所だけ「漢字」が混じるのはおかしいから、と子供なりに合理的な理由付けをしたのだろう。
父親が鹿児島旅行に行ったときに、兵六餅と「大石兵六夢物語」の小冊子をお土産に買ってきたようなうっすらとした記憶もあるが、今では茫々たる時の彼方の幻である。

五百年来世上人(ごひゃくねんらいせぜうのひと)
見来皆是野狐身(みきたればみなこれやこのしん)
鐘声不破夜半夢(せうせいやぶらずやはんのゆめ)
兵六怎知無意真(ひょうろくいかでかむいの志んを志らん)

(注)「怎」は、私のワードでは箱に書かれた「いかでか」に該当する漢字が出ないので、これで代用とする。「いかでか」は、「いかで…か」の短縮形で、「どうして~だろうか、(いや~ではない)」という反語を表す。

試みに訳してみると「この五百年の世上の人を観察すると、みな野狐のような連中である。鐘の音を聞いても誰も夜中に目を覚ます者などいない。兵六よ、お前がいくら強がっても、何もしないことが一番だ、ということは分からないだろう」といったところか。もちろん、私はこの文の前後関係を知らないので、ただ、兵六らしい男が腰の刀を握って化け物退治にでも行くようなパッケージの絵から類推しただけである。
私のブログのプロフィールで言う、「考えることが趣味」というのは、だいたい、こういう埒も無い夢想や、日常の謎の推理を意味しているわけだ。
なお、「野狐のような連中」とは、「野狐禅」で悟ったつもりになっている愚か者、くらいの意味だろう。





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酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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