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「夢」の功罪

小田嶋隆ツィッターから転載。
いつもながら、見事なものだ。彼がフランスにでも生まれていれば、ラ・ロシュフコーの再来、箴言の名手としてもてはやされていただろうが、今の日本ではこうした苦い真実を口にする人間は好まれない。
若い人々が、マスコミや支配層の提供するエサで「夢」を持ち、その夢が現実化しないことで鬱状態になる。周囲から押し付けられる「良識」で自分を雁字搦めにし、さらに鬱状態を悪化させる。これはまさに「煩悩」と「同調圧力」と言うべきだろう。
ところで、私は「我々の生の刻々は、その人の主観で解釈されたもの、つまり夢である」という意味で、自分自身を「酔生夢人」とも名乗っている。(本当は「名宣る」と書きたいが、こちらは一般的な表記ではないようだ。)その意味の「夢」と、「あなたの将来の夢は何ですか」の「夢」の意味はまったく違うことは言うまでもない。で、私は後者の意味の「夢」は大嫌いなのである。こういう場合は「目標」と言うべきであり、夢というフワフワした言葉を使うべきではない。ここでの「夢」は、砂糖でデコレーションされた煩悩だ。
「夢は必ず実現する」などという言葉は、学校や予備校などが宣伝広告でよく使うが、それは「あなたが我々のところに来て、金を払えば、あなた自身のしかるべき努力の結果あなたの夢が実現することも可能性としてはある」ということだ。それに「必ず」という冠を付けるのは詐欺もいいところだが、こうしたキャッチコピーは詐欺とは看做されていない。
そして、この「夢はかならずかなう」というフレーズは、成功した芸能人も、成功したスポーツマンも、よく口にするのである。そのほとんどは、子供や若者へのメッセージを頼まれたとき、マシなセリフを考えるよりも、こうしたできあいの安全な文句を口にするほうが楽だからだろう。
成功した人間が、「夢の99%は実現しないよ」などと言えば、確かに若者にとってこの世は暗黒になるだろう。そして、そういうことを口にした人間がマスコミや社会から袋叩きに遭うのは目に見えている。それを言っていいのは、たいして成功していない人間だけだ。それなら、「あいつがあんなことを言うのは、成功できなかった人間の僻みさ」、「酸っぱいブドウって奴だ」ということで、軽く嘲笑され、無視されるだけで終わる。
ところで、成功した人間というのは、確かに大きな夢を持っていた人間でもあるだろう。言い方を変えれば、大きな煩悩を持っていた人間だ。自分の今の状態に満足している人間がそれ以上の努力などするはずは無いのだから、社会的にそれ以上上に行くはずはない。そういう意味では、夢を持つことが成功の原動力だ、というのも確かだ。ただし、それは社会的地位の上昇という意味での成功でしかないし、それが真の幸福かどうかは別の話である。
まあ、若い人は、とりあえず、社会的地位の上昇を目指すのが無難な選択ではあるだろう。出家遁世(あるいは「入家遁世」というのもアリだ。働く女性が結婚して家に入るのも、ある意味では「遁世」になる。だが、現在の日本は専業主婦の存在を許さないようになりつつある。)など、いつでもできるのだから。





(以下引用)


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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