この前、「アナと雪の女王」(「じょおう」って発音しにくい。「じょうおう」と言いたくなる。)に少し触れたが、その時に頭にあったのが、下のブログ記事。ながたかずひささんの「ユルネバ!」である。(「ユルネバ」という名前のブログは他にもあるようだが、どういう意味だろう。ゆるくてねばねばしている、スライムみたいなものか。それとも「you'll never know」の前半だけか。)
余談はともかく、この「アナと雪の女王」への女性たちの支持は、前に書いたように、「今の自分は本当の自分の姿ではない」という、女性たちの、現実への不満の現れではないか、というのが私の推測だが、べつにこういう気持ちは女性だけのものではもちろんない。(ボードレールの詩に「ここではないどこかへ」というものがある。誰でも、時々、ここではないどこかへ行ってしまいたくなるものだ。)
しかし、男はわりと平気で現実に甘んじる(あるいは妥協し、あきらめる)から、たとえば中高年で離婚を言い出すのはたいてい奥さんのほうだ。旦那は、「ここまできたらしょうがないや」という感じで古女房で我慢するが、奥さんたちは古旦那がどんどん老人化していくのが我慢できないようだ。そして、現在の状況を壊せばすべて良くなる、という思い込みから離婚、となる。まあ、実際、離婚すれば女性は若返り、男はいっそう爺ィ化するような感じがあるから、女性が間違っているとは限らないが、少々危険なトライであることは確かだ。
また話が変るが、(多分、「変化」ということからの連想だ。)、先ほど見ていたネットテレビの「ハゲタカ」の中で、ドラマ中の人物が「昔は伝統というと守るものだったが、いつのまにか壊すものになってしまった」というような述懐をする場面があった。
今の日本は全体に、「壊すことはいいことだ」という気風に染まっている気がする。特に政治において。(日本国憲法とかね。)その一方で、本当に壊すべき原子力村などの存在に手をつけることは決してしないのである。
(以下引用)
http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/anayuki
世間の人がレリゴーレリゴー言うもんですから。
(以下ネタバレあります)
観て「とてもいい話」だとは思ったのですが、基本的に「おとぎ話」なので、なぜそんなに大人が号泣してインド映画観てる時みたいに合唱が巻き起こるのか(僕が観たのは21:30の回だったので起きなかったのですが)は、結局よくわかりませんでした。
つらつら考えてもわからないので、そんな時には友人に訊いてみる。観てない友人4人にカクカクシカジカ筋を説明しましてですね。
A「よくある話ですよね。どこが号泣ポイントなんでしょう?」
僕「いやそれを今訊いて……」
A「観てわからないのに観てないのにわかるわけないじゃないですか」
おっさるとおりです。
B「子どもはディズニー好きなんですよ!」
僕「いやでも僕好きじゃなかったよ子供の頃から」
B「あんたはな!あんたはなあ!」
僕「だから子どもじゃなくて大人が号泣をね」
B「ストレス溜まってんじゃないですか」
出たストレス万能説。
C「40代50代の女性やろ? そら今までの人生振り返って間違ってないと。間違ってないと」
D「僕の妻もねぇ、観に行って感動してサントラ買いましてねぇ、もクルマの中ずっとレリゴー」
C「間違ってないんや。間違ってない」
D「伝えとくわ」
話を見えやすくするために置かれたシチュエーションを常識的に置き換えてみましょう。
宇和島あたりの旧家の名家の長男が激しいオタク気質で小さい頃から萌え絵ばっかり描いててですね、それ素直な弟が小学校持って行ったらえらい問題になって
「お前の兄貴はHENTAIか!」
ということで家族会議の結果お絵描き禁止。その両手を縛られるような辛い抑圧の中なんとか成人して大学は逃げ出すように阪大あたりで下宿、ここぞとばかり部屋中萌え絵ポスターとタペストリー貼りまくって掛ける音楽初音ミク、レコーダフル回転でアニメ録りまくってPixivかなんかに恐る恐る10年ぶりぐらいの絵をアップしたら閲覧も評価もうなぎのぼりで有頂天、ここでレリゴー。
「♪ありのーーーーままでーーーーーーー!」
お兄ちゃん絶唱。
……と、この話聞いて「ああよかったねえお兄ちゃん」とは思いますけど、どこにその泣くほどの感情移入がありますか。
あなたにはちょちょっとやっただけでYouTubeに上げられて世界中の人が驚くような特殊能力がありますか。
子どもの頃明示的に「これこれだからこれをしてはいけない」と縛られた両腕がありますか。
それはちょっと言葉が悪いですが自分自身を買いかぶりすぎじゃないですかねえ。
「わたしもこの縛りさえなければエルサのように氷の宮殿を作れるすごい能力があるの!」
無いて。
見方を変えて、これを親からの抑圧全般と捉えるところまで抽象化してみます。(エルサの場合は自他共に認める「危うい力」であり子どもエルサも封印に同意してるのでそれはちょっと拡大解釈すぎる気がするのですが)
そういう場合問題になる(なりやすい)のは
「おまえはこういう子だから」
と言われてそのように思い込まされ人生が歪む、「やりたくもないことをやっている」「やりたいことができなかった」パターンです。
しかし食うや食わずの途上国ならまだしも日本でならそれは、これも厳しいこと言いますが言い訳に過ぎず、やりたくないことあるならやめればいいし、やりたいことあるならやればいい。
エルサの姿を観てカタルシスの涙流してる場合ではありません。
その場合その涙と解消感は街角マッサージ同様、根本原因には何の影響もない「問題の先送り」に過ぎない。
さて物語には続きがあって、当然そんな一時の現実逃避はノン・サステナブルであり、地元ですくすくマイルドヤンキーに育った弟が兄の下宿を訪ねてきます、
「ウチの家、兄ちゃんおらんかったら回らへんへねや。お願いやから帰ってきてーな」
「嫌!」
と一喝して追い返すのですがなんのかんのドタバタジタバタあって、実家の台所で弟の地元の彼女(これが名家の乗っ取りを狙っているひどい女)に包丁で刺されかかったところ飛び込んできた弟に助けられ、その瞬間
「愛がすべてだ」
と悟ったお兄ちゃんは……お兄ちゃんは……えー……同人誌がミッチリ詰まったリュックを振り回すと簡単にノせて(あれ凶器ですからね)、さらには御当主帰ってきた御当主帰ってきたと村を挙げての大歓迎。得意のイラストと人脈で人気ゆるキャラを生み出したり聖地巡礼で町おこし、それを優しい眼差しで眺めるヴェルファイア(黒もちろん2.4)に乗る弟と大阪の即売会に説得に行った時に案内頼んでそのまま仲良くなったオタク娘……
この話ね?
教訓とか主題めいたものを無理に見出そうとするなら、
「人の力や性質性格というものは、それ単独では良いものでも悪いものでもなく、ただ愛を持って周囲に貢献するような形で発揮される時にのみ価値を生みだす。そしてそれをそのように行うのは自分自身の意識と努力」
というきわめてあたりまえで納得のゆくスタンダード&クラシックなものでありかつ人類開闢以来懇懇と訴えられ続けてきたことであり、ビヨビヨ泣いて全く目新しいものを見出したかのように感動するようなもんでは……
まあ、いまちっちゃいパン屋さん、で腕のいいところは本当に大繁盛で、駅から遠くてもすぐ売り切れてもみんな狂ったように並んで奪い合うように買い漁るのですが、確かに、確かに美味しいのですがそこまでせんでも、というか、じゃスーパーにコンビニに並んでるあれは何だ、ということになりませんか。
なりますね。
そのへんの不安と不満が、全世界的に共感を生んでるのでしょうか。
でもそれやったらなおのことね?
パンに不満あるんやったらやるべきことは、自分でパンを焼くことですよ。
興行収入は現時点で日本で歴代3位(上は『千と千尋』と『タイタニック』)ワールドワイドでも歴代5位(アニメ最高位。ただしこちらは新しいタイトルほど有利になるので参考記録)。すごいですね、一番びっくりしてるのは製作陣ではないですか。
そんなに小難しく考えなくても音楽は最高なので、それで得点荒稼ぎ感はあります。
映像作品において音楽はほんとクリティカル。
わたし吹替で観まして、けして吹替否定派でも原語原理主義でもないのですが、やっぱり「ミュージカル」は歌詞を日本語訳する物理的ハンデがかなりあると思いました。もちろん日本語キャスト陣は熱唱熱演でしたけれども(沙也加さんお母さんによく似てきました)、DVD/ブルーレイで初見の方は原語が無難かと思います。
これは余談。
いろいろ言いましたが「こんなにウケてそんなに泣く」メカニズムが僕にはわからないだけで、作品としては全く文句ないデキです。シナリオもタイトで私好み、あっという間の108分。邦題(原題「Frozen」)もまあ仕方ないかな&これはこれで。
ご家族で、恋人と、あるいは独りでも、どうぞご覧あれ。
余談はともかく、この「アナと雪の女王」への女性たちの支持は、前に書いたように、「今の自分は本当の自分の姿ではない」という、女性たちの、現実への不満の現れではないか、というのが私の推測だが、べつにこういう気持ちは女性だけのものではもちろんない。(ボードレールの詩に「ここではないどこかへ」というものがある。誰でも、時々、ここではないどこかへ行ってしまいたくなるものだ。)
しかし、男はわりと平気で現実に甘んじる(あるいは妥協し、あきらめる)から、たとえば中高年で離婚を言い出すのはたいてい奥さんのほうだ。旦那は、「ここまできたらしょうがないや」という感じで古女房で我慢するが、奥さんたちは古旦那がどんどん老人化していくのが我慢できないようだ。そして、現在の状況を壊せばすべて良くなる、という思い込みから離婚、となる。まあ、実際、離婚すれば女性は若返り、男はいっそう爺ィ化するような感じがあるから、女性が間違っているとは限らないが、少々危険なトライであることは確かだ。
また話が変るが、(多分、「変化」ということからの連想だ。)、先ほど見ていたネットテレビの「ハゲタカ」の中で、ドラマ中の人物が「昔は伝統というと守るものだったが、いつのまにか壊すものになってしまった」というような述懐をする場面があった。
今の日本は全体に、「壊すことはいいことだ」という気風に染まっている気がする。特に政治において。(日本国憲法とかね。)その一方で、本当に壊すべき原子力村などの存在に手をつけることは決してしないのである。
(以下引用)
2014年06月12日
映画「アナと雪の女王」ディズニー
http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/anayuki
世間の人がレリゴーレリゴー言うもんですから。
(以下ネタバレあります)
観て「とてもいい話」だとは思ったのですが、基本的に「おとぎ話」なので、なぜそんなに大人が号泣してインド映画観てる時みたいに合唱が巻き起こるのか(僕が観たのは21:30の回だったので起きなかったのですが)は、結局よくわかりませんでした。
つらつら考えてもわからないので、そんな時には友人に訊いてみる。観てない友人4人にカクカクシカジカ筋を説明しましてですね。
A「よくある話ですよね。どこが号泣ポイントなんでしょう?」
僕「いやそれを今訊いて……」
A「観てわからないのに観てないのにわかるわけないじゃないですか」
おっさるとおりです。
B「子どもはディズニー好きなんですよ!」
僕「いやでも僕好きじゃなかったよ子供の頃から」
B「あんたはな!あんたはなあ!」
僕「だから子どもじゃなくて大人が号泣をね」
B「ストレス溜まってんじゃないですか」
出たストレス万能説。
C「40代50代の女性やろ? そら今までの人生振り返って間違ってないと。間違ってないと」
D「僕の妻もねぇ、観に行って感動してサントラ買いましてねぇ、もクルマの中ずっとレリゴー」
C「間違ってないんや。間違ってない」
D「伝えとくわ」
話を見えやすくするために置かれたシチュエーションを常識的に置き換えてみましょう。
宇和島あたりの旧家の名家の長男が激しいオタク気質で小さい頃から萌え絵ばっかり描いててですね、それ素直な弟が小学校持って行ったらえらい問題になって
「お前の兄貴はHENTAIか!」
ということで家族会議の結果お絵描き禁止。その両手を縛られるような辛い抑圧の中なんとか成人して大学は逃げ出すように阪大あたりで下宿、ここぞとばかり部屋中萌え絵ポスターとタペストリー貼りまくって掛ける音楽初音ミク、レコーダフル回転でアニメ録りまくってPixivかなんかに恐る恐る10年ぶりぐらいの絵をアップしたら閲覧も評価もうなぎのぼりで有頂天、ここでレリゴー。
「♪ありのーーーーままでーーーーーーー!」
お兄ちゃん絶唱。
……と、この話聞いて「ああよかったねえお兄ちゃん」とは思いますけど、どこにその泣くほどの感情移入がありますか。
あなたにはちょちょっとやっただけでYouTubeに上げられて世界中の人が驚くような特殊能力がありますか。
子どもの頃明示的に「これこれだからこれをしてはいけない」と縛られた両腕がありますか。
それはちょっと言葉が悪いですが自分自身を買いかぶりすぎじゃないですかねえ。
「わたしもこの縛りさえなければエルサのように氷の宮殿を作れるすごい能力があるの!」
無いて。
見方を変えて、これを親からの抑圧全般と捉えるところまで抽象化してみます。(エルサの場合は自他共に認める「危うい力」であり子どもエルサも封印に同意してるのでそれはちょっと拡大解釈すぎる気がするのですが)
そういう場合問題になる(なりやすい)のは
「おまえはこういう子だから」
と言われてそのように思い込まされ人生が歪む、「やりたくもないことをやっている」「やりたいことができなかった」パターンです。
しかし食うや食わずの途上国ならまだしも日本でならそれは、これも厳しいこと言いますが言い訳に過ぎず、やりたくないことあるならやめればいいし、やりたいことあるならやればいい。
エルサの姿を観てカタルシスの涙流してる場合ではありません。
その場合その涙と解消感は街角マッサージ同様、根本原因には何の影響もない「問題の先送り」に過ぎない。
さて物語には続きがあって、当然そんな一時の現実逃避はノン・サステナブルであり、地元ですくすくマイルドヤンキーに育った弟が兄の下宿を訪ねてきます、
「ウチの家、兄ちゃんおらんかったら回らへんへねや。お願いやから帰ってきてーな」
「嫌!」
と一喝して追い返すのですがなんのかんのドタバタジタバタあって、実家の台所で弟の地元の彼女(これが名家の乗っ取りを狙っているひどい女)に包丁で刺されかかったところ飛び込んできた弟に助けられ、その瞬間
「愛がすべてだ」
と悟ったお兄ちゃんは……お兄ちゃんは……えー……同人誌がミッチリ詰まったリュックを振り回すと簡単にノせて(あれ凶器ですからね)、さらには御当主帰ってきた御当主帰ってきたと村を挙げての大歓迎。得意のイラストと人脈で人気ゆるキャラを生み出したり聖地巡礼で町おこし、それを優しい眼差しで眺めるヴェルファイア(黒もちろん2.4)に乗る弟と大阪の即売会に説得に行った時に案内頼んでそのまま仲良くなったオタク娘……
この話ね?
教訓とか主題めいたものを無理に見出そうとするなら、
「人の力や性質性格というものは、それ単独では良いものでも悪いものでもなく、ただ愛を持って周囲に貢献するような形で発揮される時にのみ価値を生みだす。そしてそれをそのように行うのは自分自身の意識と努力」
というきわめてあたりまえで納得のゆくスタンダード&クラシックなものでありかつ人類開闢以来懇懇と訴えられ続けてきたことであり、ビヨビヨ泣いて全く目新しいものを見出したかのように感動するようなもんでは……
まあ、いまちっちゃいパン屋さん、で腕のいいところは本当に大繁盛で、駅から遠くてもすぐ売り切れてもみんな狂ったように並んで奪い合うように買い漁るのですが、確かに、確かに美味しいのですがそこまでせんでも、というか、じゃスーパーにコンビニに並んでるあれは何だ、ということになりませんか。
なりますね。
そのへんの不安と不満が、全世界的に共感を生んでるのでしょうか。
でもそれやったらなおのことね?
パンに不満あるんやったらやるべきことは、自分でパンを焼くことですよ。
興行収入は現時点で日本で歴代3位(上は『千と千尋』と『タイタニック』)ワールドワイドでも歴代5位(アニメ最高位。ただしこちらは新しいタイトルほど有利になるので参考記録)。すごいですね、一番びっくりしてるのは製作陣ではないですか。
そんなに小難しく考えなくても音楽は最高なので、それで得点荒稼ぎ感はあります。
映像作品において音楽はほんとクリティカル。
わたし吹替で観まして、けして吹替否定派でも原語原理主義でもないのですが、やっぱり「ミュージカル」は歌詞を日本語訳する物理的ハンデがかなりあると思いました。もちろん日本語キャスト陣は熱唱熱演でしたけれども(沙也加さんお母さんによく似てきました)、DVD/ブルーレイで初見の方は原語が無難かと思います。
これは余談。
いろいろ言いましたが「こんなにウケてそんなに泣く」メカニズムが僕にはわからないだけで、作品としては全く文句ないデキです。シナリオもタイトで私好み、あっという間の108分。邦題(原題「Frozen」)もまあ仕方ないかな&これはこれで。
ご家族で、恋人と、あるいは独りでも、どうぞご覧あれ。
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