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「ガチョーン」の考察

前に書きかけて、パソコンのキーボードのどこかに触って記事が全部消えたので書くのをやめたテーマだが、今ふと思い出したので、書いてみる。
それは「ガチョーンの研究」という深遠なテーマだが、まあ、ほとんどの人には無意味なものだろう。別に意味があるから考察するのではなく、考えるのが面白いから考察するだけである。
言うまでもなく、谷啓の「ガチョーン」もしくは「ガッチョーン」である。何かに驚いたときに「ガチョーン」と言い、妙な動作も伴った記憶がある。
当然、これは何かが壊れた際の擬声語の「ガチャン」もしくは「ガッチャーン」から来ていると思うが、それが「ガチョーン」となると、なぜあの「間抜け感」が出るのか、という話だ。
その前に、物が壊れる際の擬声語が、なぜ、「驚き」の言葉に転化するかと言えば、当然、突然「ガチャン」という破壊音を聞けば驚くからである。しかし、破壊の音を「驚きの表現」に転化したところが谷啓の天才性だろう。「破壊→驚き」であって「破壊=驚き」ではないからだ。その証拠に、何かに驚いて、驚いた者が「ガチャン」と言うと、誰でも「こいつは馬鹿か」と思うだろう。驚きの際に上げる言葉は「ウワッ」とか「キャッ」とか「ウゲッ」とか「ウワアア」だろう。そこで「ガチャン」という声を上げる人間は普通いない。そこで、この「ガチョーン」は、単なる驚きではなく、おそらく「驚いた自分を冷静に眺めるもうひとりの自分」が存在していることを示す働きがある、と私は推測する。つまり、メタ視点である。そこで、この「ガチョーン」を聞く人は、「これは笑っていい状況なのだ」と潜在的に認識するのではないか。 (付け加えれば、これは「驚いた人間(谷啓)」の精神が瞬間的に軽く壊れた、という「破壊音」でもある。それを当人が口で言うからメタ的になって面白いのである。)
で、「ガチャン」と「ガチョーン」の音の違いだが「チャ」という「A音音韻」が「チョ」という「O音音韻」になることと、「チョ」が長音になって「チョー」となる、という2点が違う。その効果は、「あ」という切迫した驚きが「お」という「感心」の感情を含む「余裕のある驚き」に変化する。そして、長音の間延びが、そのまま「間抜け感」になるわけである。
以上が、なぜ「ガチョーン」には間抜け感があるか、ということの音韻的・心理的考察である。

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