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酔生夢人のお勧め作品リスト

これも昔書いたもので、青少年のための読書案内というか、お勧めの作品リストである。
もちろん、大人が読んでも面白いはずだが、私と好みが合わない人には無意味なリストだ。
思いつくままに書いたリストだから、抜け落ちはたくさんある。
だいたいにおいて、リスト上位ほどお勧め度は高いが、下位の作品を軽視していいわけではない。それぞれ、読んだ後、時間をムダにした、という思いしか与えない最近の大量生産作品の何万倍もの価値があるのである。どんなに上手く書かれていても、「読むのは時間のムダ」という作品が、なぜかあるもので、私にとっては推理小説の大半はそうだ。トリックのために人物がある、というのでは、ただのパズルである。(ホームズ物は、あれはホームズという超魅力的な人物を楽しむ物語だから、私は大好きだ。チェスタトンには「奇想の驚き」や文章の魅力があるから、これも良い。)
なお、トルストイやドストエフスキーは全作品に価値があると思うが、私はもちろんそのほんの一部しか読んでいない。かなり「腹もたれ」するので、若い頃でないと読めないかもしれない。
まあ、読む本が無くて退屈だ、という人は、下の「大衆文学」か「短編集」あたりが、まずはお勧めである。ネットばかりやっていても雑情報が増えるだけだが、いい本を読めば知性の質や、感情(情操)、つまり人格というか人間そのものが少しレベルアップします。すなわち、「カルティベート」されるわけで、頭の表層を流れるだけの情報と、心を耕す教養はまさしく違う、ということだ
なお、サマセット・モームの「世界の十大文学」と、夏目漱石の「文学評論」は、文学評論として最高に面白いものである。

大島弓子は「綿の国星」より、初期短編に優れたものが多いが(山岸涼子も同様)、読む人を選ぶような作品なので、ここでは普通の人に受け入れられそうな有名作品を選んだ。まあ、絵柄だけで最初から拒否反応を起こす人もいるだろう。リストに入れるのを忘れていたが、川原泉などもそうである。





世界名作文学・長編



1 戦争と平和(トルストイ)            11 罪と罰



2 カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)     12 悪霊



3 トム・ジョーンズ(フィールディング)      13 白痴



4 高慢と偏見(オースティン)           14 アンナ・カレーニナ



5 デイビッド・コパフィールド(ディッケンズ)   15 従妹ベット



6 白鯨(メルヴィル)               16 ドン・キホーテ



7 赤と黒(スタンダール)             17 ガリバー旅行記



8 ファウスト(ゲーテ)              18 パルムの僧院



9 ゴリオ爺さん(バルザック)           19 西遊記          



10 レ・ミゼラブル(ユーゴー)          20 水滸伝



 



名作中短編



1 虚栄の塔(マルキ・ド・サド)   11 じいさんばあさん(鴎外)



2 カンディード(ヴォルテール)   12 人面の大岩(ホーソン)



3 冷たい方程式           13 野ばら(未明)



4 アルジャーノンに花束を(キース) 14 虔十公園林(賢治)



5 みずうみ(ブラッドベリ)     15 茶碗の中(八雲)



6 最後の一葉(O・ヘンリー)    16 お春(八雲)



7 マテオ・ファルコネ(メリメ)   17 菊花の約(秋成)



8 春の鳥(国木田独歩)       18 白夜(ドストエフスキー)



9 黄金虫(ポー)          19 サンチマンタリズム(リラダン)



10 夢十夜(夏目漱石)       20 クロイツェル・ソナタ(トルストイ)



 



大衆文学



1 風と共に去りぬ(ミッチェル)  11 虚無への供物(中井英夫)



2 夏への扉(ハインライン)    12 白衣の騎士団(ドイル) 



3 Yの悲劇(クイーン)      13 後宮小説(酒見賢一)



4 吾輩は猫である(漱石)     14 長い道(柏原兵三)



5 竜馬が行く(司馬遼太郎)    15 冬の旅(立原正秋)



6 さぶ(山本周五郎)       16 陽の当たる坂道(石坂洋次郎)



7 富士に立つ影(白井喬二)    17 エジプト人(ミカ・ワルタリ)



8 宮本武蔵(吉川英治)      18 グイン・サーガ(中島梓)



9 ライ麦畑でつかまえて(サリンジャー) 19 銀河英雄伝説(田中芳樹)



10 赤毛のレドメイン家(フィルポッツ) 20 十三妹(武田泰淳)



 



長編漫画(短編連作含む)



1 火の鳥(手塚治虫)       11 ストップ!兄ちゃん(関谷ひさし)  



2 寄生獣(岩明均)        12 ハリスの旋風(ちばてつや)



3 エースを狙え(山本鈴美香)   13 柔侠伝(バロン吉元)



4 テレプシコーラ(山岸涼子)   14 ヒカルの碁(堀田ゆみ・小畑健)



5 じゃじゃ馬グルーミングUP!(ゆうきまさみ)15 惨殺者(小島剛夕・梶原一騎)



6 トーマの心臓(萩尾望都)    16 夢幻紳士冒険活劇編(高橋葉介) 



7 よつばと!(あずまきよひこ)  17 タッチ(あだち充)



8 綿の国星(大島弓子)      18 さよなら絶望先生(久米田康治)



9 カムイ伝(白土三平)      19 おおきく振りかぶって(ひぐちアサ)



10 喜劇新思想体系(山上たつひこ) 20 エロイカより愛をこめて(青池保子)



 



児童文学など



1 不思議の国のアリス     11 ロビン・フッドの冒険(中野好夫訳)



2 鏡の国のアリス       12 足長おじさん(ウェブスター)



3 わがままな巨人(ワイルド) 13 小公女



4 泣いた赤鬼(ひろすけ)   14 トワイス・トールド・テールズ(ホーソン)



5 クリスマス・カロル(ディケンズ)15 坊ちゃん(漱石)



6 ドリトル先生アフリカ行き  16 若草物語(オルコット)



7 赤毛のアン         17 銀河鉄道の夜(賢治)



8 秘密の花園         18 どくとるマンボウ航海記(北杜夫)



9 小公子           19 パンドラの筺(太宰治)



10 星の王子さま       20 海底二万海里(ヴェルヌ)



 



短編集



1 SFカーニバル(ブラウン編)     11 ウェルズ短編集    



2 十月はたそがれの国(ブラッドベリ)  12 サキ短編集 



3 月を売った男(ハインライン)     13 リラダン短編集



4 怪談(八雲)             14 ロアルド・ダール短編集



5 雨月物語(秋成)           15 ジョン・コリア短編集



6 筒井康隆の初期短編集すべて      16 O・ヘンリー短編集



7 アシェンデン(モーム)        17 メリメ短編集



8 コスモポリタン(モーム)       18 プーシキン短編集



9 シャーロック・ホームズの冒険(ドイル) 19 F・ブラウン短編集



10 チェスタトン短編集          20 黒後家蜘蛛の会(アシモフ)


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私の耳を脅かすあの音は何

前の「櫻井ジャーナル」記事を読んで私がすぐに連想したのがW・H・オーデンの「O what is that sound which so thrills the ear」だった。
昔、自分で訳したものを思い出しながら、今、訳してみる。なお、日本の詩人などによる既訳は、「私の耳をわくわくさせるあの音は何」などと、「スリル」の語を、何か楽しいものかのように思わせる訳になっていて、この詩の内容を誤解させかねないので、私は好まない。






「私の耳を脅かすあの音は何」

         W・H・オーデン


「おお、私の耳を脅かすあの音は何?
谷を下り、ドラムの音を響かせて、響かせて」
「ただの赤い服の兵士たちだよ、愛しい人
兵士たちが来るだけ」

「おお、私の目にはっきりと輝くあの閃光は何?
あんなに遠くから、はっきりと、はっきりと」
「彼らの武器に輝くただの太陽の光だよ、愛しい人
彼らの軽やかな歩みにつれて輝くだけ」

「おお、そんな武器を持って、彼らは何をするの?
こんな朝に、こんな朝に」
「いつもの演習だよ、愛しい人
でなければ、人々を威嚇しているだけさ」

「おお、なぜ彼らはあそこで道から外に出たの?
なぜ突然、輪になるの、輪になるの」
「隊列を変えただけだよ、愛しい人
なぜ君は膝まづくんだい」

「おお、彼らは医者の治療のために止まったのじゃないの?
馬の歩みをゆるめたのじゃない?」
「なぜだい、彼らの誰も傷ついてはいないよ、愛しい人
あの軍隊の誰も」

「おお、彼らが捜しているのは、あの白い髪の人じゃない?
あの人でしょう、ねえそうでしょう」
「いや、彼らはあの人の戸口の前を過ぎたよ、愛しい人
彼を訪ねたのじゃない」

「おお、きっと近所のあの農夫だわ
あの、ずるがしこい、あのずる賢い農夫のところだわ」
「彼らはあの農夫の家をもう過ぎたよ、愛しい人
彼らは走り始めた」

「おお、どこへ行くの、あなた
私と一緒にいて!
私と誓ったあの言葉は嘘だったの、嘘だったの?」
「いや、私は君を愛すると誓ったね、愛しい人
だが、私は行かねばならない」

「おお、錠が壊される、扉が裂ける
彼らは門を抜け、走ってくる、走ってくる
軍靴の重い響きが床に溢れ
彼らの目は火と燃えている」










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大塚国際美術館のこと

「カマヤンのツィッター」で知った記事だが、これは広く紹介する価値があるのでは。記事元のブログ名は「日ごと敵とらんだ(漢字がこのパソコンでは出ないww)に戦う」とかいうもの。
この美術館を作った人(大塚製薬創業者)は、日本の金持ちには珍しく、金の使い方を知っている人である。
私は昔からオロナイン軟膏を愛用してきたが、これからはいっそう愛用することにした。私の使った金の一部が、この美術館を形成しているわけだ。まあ、道路の砂利1個分くらいは。


(以下引用)


2015.08.23(日)

驚愕と茫然の大塚国際美術館 08:17 驚愕と茫然の大塚国際美術館を含むブックマーク 驚愕と茫然の大塚国際美術館のブックマークコメントAdd Starthe_sun_also_risesRed-Cometfromdusktildawnxr0038ohnosakikotaka18782TT_TTyu-kubonerory2kaeru-no-tsurakazutoxp_shirokumakosiganoonishin

大塚国際美術館名前だけは聞いたことがあった。世界中の名画を原寸大で陶板に焼き付けた作品が並ぶ美術館だという。徳島にあるという。大塚製薬創業者が一念発起して作った美術館だという。正直、偽物がずらずら並んでるだけかー、なんか変なお金持ちの道楽か?珍スポットの一種か?と思っていたんですよ。しかし、行った人はみんな大いに満足しているらしい。そしてこんな記事である


君は「行ってよかった美術館ランキング」1位の大塚国際美術館を知っているか。 - いまトピ


これは一度は行ってみなければなるまい…これまで47都道府県のうち、徳島宮崎未踏の身としては、徳島に行く機会にもなるし。と、阿波踊り熱狂が通り過ぎた後の日曜日阿波踊りイメージが氾濫する徳島阿波踊り空港に降り立ち


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路線バス鳴門市にある大塚国際美術館に向かう。途中、大塚国際美術館がある島に渡る橋の手前に、巨大な大塚製薬倉庫が並び、その壁面にポカリスエットやオロナミンCやボンカレー壁画が並ぶのを見ると、ああもう戻れないのだ、と、MIHOミュージアムにバスで向かった時のような緊張感と高揚感に包まれてくる。


MIHOミュージアム『中国・山東省の仏像-飛鳥仏の面影』 - 日毎に敵と懶惰に戦う


そして美術館に近づくにつれて、目の前にインパクトのある建物が迫って来て『いったいどっちなんだろう…』と不安になってくる。一つは山の下に竜宮城のような大伽藍、もう一つは山の上に某学会の記念講堂のようなギリシア風大伽藍結論からいうと、両方なのである


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竜宮城は、大塚グループ保養所か何かであるらしい。そして目の前に大塚国際美術館エントランスどーん


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瀬戸内海国立公園敷地内にあるために高い建物は建てられなかったというそ美術館は、山の下にエントランスがあり、山をくりぬいて地下三階までの巨大空間が広がり、山の上にギリシア風…と言ったらいいのだろうか、2階建ての建物からなる、延べ床面積29,412平方メートル美術館である。これは翌日、展望からみた美術館です


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3,240円と相当お高い入場料を払い、エントランスを入ると、地下三階の展示スペースに向かう長大エスカレーターがどーん。そしてエスカレーターを登りきると、巨大なフロアがどーん、そして目の前に、この美術館の目玉でもある、原寸大システィーナ礼拝堂がどーん


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建物が目に入った時から『ふぁー』みたいな頭の悪そうな声しか出なくなっており、これはちょっと気持ちを落ち着かせてから見学したほうがいいのではないか、レストランがあるので飯を食ってからにしよう…と、案内の人にレストラン場所聴く。目の前のエレベータではなく、その通路を入った先に大きめのエレベーターがありますから、それで上がっていただければー、というので脇の通路に入るとですね。いくつか写真パネルがあって、なぜかシスティーナ礼拝堂歌舞伎


大塚国際美術館 「第六回システィーナ歌舞伎」鑑賞ツアー|国内旅行(ツアー)|ANA SKY WEB TOUR


将棋王将戦に、白鵬結婚式


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なんなんだここは。そして『大きめのエレベーター』は50人は乗るのではという、本当に大きなエレベーターで、このあたりで圧倒されすぎて、もうなんか、展示物ちゃんと見る前から負けましたという感じになってきて、笑いが止まらなくなってくる。なかなか美味しいレストランのお食事をいただきつつ(最後の晩餐イメージしたメニューもあるけどやめておきました…)、お庭を眺めてしばし


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展示スペースの広さ…普通に順路を巡るだけで4kmぐらい歩くらしい…に軽く眩暈がしてくるようなカラーの『館内のご案内』と、16ページ1,074点に渡る『展示作品リスト』、ひたすら名前を聞いたことのある名画が目白押しな、地球征服した宇宙人押収した地球壁画絵画リストかな?というような展示作品リストを読み込みつつ、さてだいぶん、元気も回復してきたので地下3階に戻り、展示作品を見て行きましょう


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システィーナ礼拝堂であるミケランジェロである。もちろん、偽物である。偽物ではあるけれど、陶板に転写焼成されたその出来栄えはなかなか見事なもので、そしてこのスケールである。原寸大のスケールである。『はー』『ほへー』『すごいねえ…』と感嘆の声ばかりあがる。


この地下三階の空間、『環境展示』と名付けられた、展示空間をそのまま再現した空間が売り物になっている。システィーナ礼拝堂を出ると、古代中世作品たち、聖マルタン聖堂


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聖ニコラオスオルファノス聖堂


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スクロヴェーニ礼拝堂


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さらには、ポンペイの秘儀の間やら、鳥占い師の墓やら…カッパドキアの聖テオドール聖堂などは、洞窟までそのまま再現されてしまって、もう笑うしかない、いや笑ってる場合じゃないけど、よくまあここまでやったわ!と感嘆するしかないのであった。そしてこれらが、写真撮り放題、触り放題なのである。明るい光で空いている空間でいくらでも見放題なのである


もちろん現物を見るのが一番なのであるけれど、大混雑していて照明も暗く…という現物にはないアドバンテージがここに。そして原寸大環境再現の偉大さよ、現地に実物を見に行く研究者が、全体をじっくり見てイメージ形成するために、さきにこの美術館を訪れてから行くこともあるらしい。そういう使い方があるんですね…


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系統展示と称して、時代作品をずらりと並べた空間も、どこまでもどこまでも作品が並び、どれもこれも、あ、教科書で見たことある!みたいな作品ばかりであり。地下三階だけでもかなり満腹感があるのに、さらにこれが地下二階のルネサンスバロックへと続き…


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レンブラントばかり集まった部屋、受胎告知ばかり集まった部屋、最後の晩餐は修復前後が両方あるぞ…


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修復前後を並べて展示するという、普通ならできないような体験を原寸大でできる、すごい


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なんかもう、このあたりまで来ると、途中で止まらなくなってとりあえず名画という名画は全部再現しちゃいましょうか、みたいな狂気に近い情熱になっているのだろうか…と、とにかくすごいものを見せられているなあ、と。展示スペースがわりと複雑な構成になっていて、もうその奥まで行かなくてもいいか…と思いつつ入り込むと突然大空間が出てきて大作品に圧倒されたりですね。さすがに疲れてきて


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モネの庭のカフェで一休み


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1/4くらいのあたりから、まだあるのか…と途方に暮れる規模なのである。よもや、途方に暮れ具合でルーブルやウフィツィや大英博物館を疑似体験できる施設日本にあるとは思いませんでしたよ…。


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陶板画の作成方法について解説しているスペースもなかなか興味深いものがあったし


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そうだよなあ、キトラ古墳再現とか、まさにこの技術を使うためにある、って感じだよなあ…。このあとは近代作品になってくるので、ちょっと、そこまでする必要はあったのかな…みたいな気にもなるけれど、あ、これこないだ日本美術館に来ているのを見た!みたいな楽しみ方もできるのだった


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ゲルニカポロックであるんですからね…なんだかんだ言って、原寸大って偉大だわ


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全1,074点、ゆっくりまわっても数時間、歩く距離だけで4km、3,240円という入場料がまったく高いとは思わない、一大エンタテイメントだったのです。話のネタに、だまされたと思って一度は来る価値のある美術館であります大塚国際美術館


大塚国際美術館|徳島県鳴門市にある陶板名画美術館


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井上有一「噫横川国民学校」

8月15日の今日を記念して書家井上有一の「ああ横川国民学校」の書の一部と内容全文を転載しておく。(漫画「とめはねっ!」で知った作品である。)





 



噫横川国民学校

 


裂音(れつおん)忽(たち)まち舎内(しゃない)火と化す 1千難民逃げるに所なく 金庫の中の如(ごと)し 親は愛児を庇(かば)い 子は親に縋(すが)る 「お父ちゃ」「お母ちゃ」 子は親にすがって親をよべ共(ども) 親の応(こた)えは呻(うめ)き声のみ 教室校庭に焼き殺される… 白骨死体如火(ひのごとし) 火葬場生焼女人(にょにん)全裸 腹裂(はらさけ)胎児露出 悲惨(ひさん)極此(これきわめり) 生残者虚脱 声涙不湧(せいるいふゆう) 噫(ああ)何の故あってか無辜(むこ)を殺戮(さくりく)するか…


 


書「噫横川国民学校」



説明: 説明: キャプチャ3.JPG

 


アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東部忽化火海江東一帯焦熱地獄 茲本所区横川国民学校 避難人民一千有余 猛火包囲 老若男女声なく再度脱出の気力もなし 舎内火のため昼の如く 鉄窓硝子一挙破壊 一瞬裂音忽ち舎内火と化す 一千難民逃げるに所なく 金庫の中の如し 親は愛児を庇い子は親に縋る 「お父ちゃーん」「お母ちゃ―ん」 子は親にすがって親をよべ共 親の応えは呻き声のみ 全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる 夜明け火焼け尽き 静寂虚脱 余燼瓦礫のみ一千難民悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼 白骨死体如火葬場生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此 生残者虚脱 声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか 翌十一日トラック来たり一千死体トラックへ投げ上げる 血族の者叫声今も耳にあり右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲を記す 当夜下町一帯無差別焼夷弾爆撃 死者実に十万 我前夜横川国民学校宿直にて奇蹟生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし


 ゆういち(井上有一=1945年3月10日横川小学校で教員として宿直業務付いていたが奇跡的に助かった。書「噫横川国民学校」は群馬県立近代美術館蔵)。

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芥川龍之介の相聞歌

芥川龍之介の「相聞」と言えば、

「また立ち返る水無月の……」

が有名かと思うが、彼の「相聞」は別にもあって、これもなかなかいい。
先に、「また立ち返る」の方の全文を載せる。



  相  聞

                  



       また立ちかへる水無月の


       歎きを誰にかたるべき。


       沙羅のみに花さけば、


       かなしき人の目ゆる



私は、これの第四行を「恋しき人の」と覚えていたが、この「かなしき人」は、漢字表記すれば、おそらく「悲しき人」ではなく「愛(かな)しき人」と書かれたのではないか。だからこそ「相聞歌」(=「恋歌」)なのである。
なんで、この歌の話をするかと言えば、言うまでもなく、「水無月」となれば、この詩をいつも思い出すからである。(特に「また立ち返る水無月の」の調子の良さには惚れ惚れする。「花」と「目」の重ね合わせのイメージも素晴らしい。[注:旧暦では今年の水無月は7月16日からで、今はまだ卯月らしいが。]

さて、もう一つの芥川の「相聞」だが、


 風に舞ひたるすげ笠の
   何かは道に落ちざらん
 わが名はいかで惜しむべき
   惜しむは君が名のみとよ。


というもので、一読して「梁塵秘抄」の有名な歌の影響が感じられる。 
それはこういうものだ。

 君が愛せし綾藺笠、落ちにけり、落ちにけり
  賀茂川に、川中に、
 それを求むと尋ぬとせし程に、
  明けにけり、明けにけり、
 さらさらさやけの秋の夜は。


まあ、森村誠一の「人間の条件」で有名になった西条八十の詩などもそうだが、これまであったものが無くなったという喪失感をもっとも感じさせるのが、笠などが風に奪い取られる瞬間なのだろう。
芥川龍之介の「朱儒の言葉」(「朱儒」は「小人」の意味で、芥川が自分自身の臆病な一面を自嘲したものだろう。)の中に、「老練家」というのがあって、「彼は恋をしそうになると、叙情詩を作って、それを忘れることにしていた」とかいう風な内容だったと思うが、下の回答中の

「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。」

が、まさにそれで、面白い。恋愛についての男女の意識の違いというものもあるが、芥川個人の性格が分かる。恋愛詩を作る人間が恋愛に有能なわけではないようだ。
もっとも、創作物と作者の実人生(人格や生き方)は別物だ、というのは当然である。創作物(小説や詩)は作者のイデア(理想、アイデア)であって、彼自身の人格水準とは別問題だ。言葉は言葉として優れていれば、それでいいのである。作者の実生活など、作品の価値とは無関係なのだ。(とは言っても、私はかつていじめっ子だったと自白している人間の書く、「上手い」人情話など、嫌悪感が先立って読む気もしないのだが。人間の心には『一杯のかけそば』的な「感動のポイント」があって、それを利用すれば、泣ける話は筆達者な人間なら容易に書けるようだが、そういう「相手の手の上で踊らされる」ような感動というものは、御免蒙りたい。まあ、良寛が「嫌いなもの」に「書家の書」を挙げるようなもので、「上手いけど嫌いだ」ということはあるのである。)




(以下「教えてgoo」より引用)

   



芥川龍之介作『相聞《そうもん》』の「風に舞いたる菅笠の/なにかは路《みち》に落ちざらん。/わが名はいかで惜しむべき。/惜しむは君が名のみとよ。」
この詩の意味、背景をご存じの方おられましたら教えてください。


 

大正14年4月に発表された「澄江堂雑詠」 では

     恋人ぶり
   風に舞ひたるきぬ笠の
   なにかは道に落ちざらむ。
   わが名はいかで惜しむべき。
   惜しむは君が名のみとよ。

とあります。

しかしその前月 大正14年3月発表の「越びと」には 収録されていません。

ところが 自死後に 発見された 「或阿呆の一生」 には

三十七 越し人 
 彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。

   風に舞ひたるすげ笠の
   何かは道に落ちざらん
   わが名はいかで惜しむべき
   惜しむは君が名のみとよ。

とありますから 

越し人 は 歌人の 片山広子であり アイルランド文学翻訳家の松村みね子である となります。
芥川龍之介は 若い頃 同人誌の新思潮に 片山広子時代の歌集「翡翠」の 書評を書いている。

また、堀辰雄の「聖家族」は 芥川龍之介と片山広子(松村みね子)の および 堀辰雄のことなどを 描いたものとされている。

以上が背景など。

意味は、「叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。」で、充分でしょう。


この回答へのお礼


詳しく説明して頂き有難う御座いました。背景、意味共々良く分かりました。


お礼日時:2010/01/14 17:14

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形は、動きを遮られた音である

(引用2)は、「フランス文学と詩の世界」というサイトから転載。
「in deep」の今日の記事の中の、次の一節を見て、ボードレールの「万物照応(コレスポンダンス)」という詩を想起したので、引用するために(私は蔵書というものがほとんど無い。)ネットで調べて、上記サイトを知った。いい訳だと思う。「悪の華」は堀口大学訳が有名だが、その文語的翻訳は、現代人には「文語日本語訳の現代口語訳」が必要になるだろう。
さて、「in deep」の記事中にあるノヴァーリスの

人間だけではなく、宇宙も言葉を話す。すべてのものは言葉を話している。無数の言葉を。


という言葉は、何か深遠な思いに人を誘うのではないか。
そういえば、ランボーも「母音」という詩で母音にさまざまな事象を当てはめていた。たとえば「0」という母音は、「o、オメガ、あの人の目の紫の光芒!」だったか。万物は照応する、というのは、ある種の詩人的感性の持ち主には自然な感覚なのかもしれない。
我々が花や木を見て慰められるのは、それらが実際に言葉を語りかけているからだ、とすれば、「星の王子様」が、高慢だがきれいな薔薇と会話を交わし、薔薇に恋をしたのも頷ける。(「星の王子様」は寓話の形の恋愛小説だから、実は子供が読んでも面白いものではない。)


(以下引用)


たとえば、ドイツの詩人であり哲学者にノヴァーリスという人がいるそうですが、以下のような言葉を残しています。


ノヴァーリスの 1968年の記述より

すべての空間に存在する形は、水晶から人間に至るまで、動きをさえぎられた音として説明できないだろうか? したがって空間的な形は音楽の表象的な表れにすぎないのでは?

これ・・・ノヴァーリスという人が何を言おうとしているのかおわかりになりますでしょうか。

> 空間に存在する形は、水晶から人間に至るまで、動きをさえぎられた音

これは、多分は、

この世にある「形は音そのもの」なのではないか

と言っていると考えてよいのだと思います。

もっといえば、現実の世界の中では「私たちは形があるものを『モノ』として認識する」と思います。もちろん「形 = 存在」ではないのですが、現実的な問題として、

「モノは音そのものだ」

と言っていると考えていいのではないかと思います。

さらに、ノヴァーリスは、『断章1』という著作の中で、


人間だけではなく、宇宙も言葉を話す。すべてのものは言葉を話している。無数の言葉を。

というようなことを記していますが、(以下略)


(引用2)

交感(ボードレール:悪の華)



交感

  自然は荘厳な寺院のようだ
  列柱は厳かな言葉をおりなし
  人は柱の間を静かに歩む 
  象徴の森をゆくが如くに

  遠くから響き来るこだまのように
  暗然として深い調和のなかに
  夜の闇 昼の光のように果てしなく
  五感のすべてが反響する

  嬰児の肉のような鮮烈な匂い
  オーボエのようにやさしく 草原のように青く
  甘酸っぱく 豊かに勝ち誇った匂い

  無限へと広がりゆく力をもって
  こはく 麝香 安息香の匂いが
  知性と感性の共感を奏でる
    
「交感」 Correspondances は、ボードレールの詩の中でも、もっとも議論を呼んだものであって、多くの批評家によって、夥しい言及がなされてきた。それらにほぼ共通するのは、この詩が、ボードレールの象徴主義的考えを、もっとも良く示していると見る点である。

Correspondances (万物照応とも訳される)は、自然と人間との共感であり、視覚や臭覚など人間の感覚器官相互の共感であり、また理性と感性との共感でもある。人はこの何重にもわたってめぐらされた共感の森の中で、自然の一部としての生を生きる。

この詩はボードレールの比較的若い頃に書かれていたとする説もあるが、1855年に「両世界評論」に発表した18篇の中には含まれていない。おそらく、初版の刊行に併せて、新たに書いたものだと思われる。

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骸骨の隠れているのは、寺か

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
最初にぱっと見て、妙な印象の絵だな、と思い、しばらくその理由を考えた。
きれいな絵のようにも見えるが、そうとだけも言えないのである。
一番目立つのは、画面近景中央のやや右にある「白骨が手足を左右に伸ばしている」「白い妖怪か亡霊が踊っている」かのような枯れ木だ。なぜ、この自然の中に枯れ木を置く必要があるのか。枯れ木自体が美しくないというのではないが、自然の持つ生命感を否定するものではあるだろう。
次に目につくのは、中景の野原の渦のような模様だ。この渦(を半分にしたもの)の意味も分からない。実際にそういう景色だったからそう描いたのかもしれないが、このためにムンクの「叫び」を印象派風に描いたような雰囲気が生じている。中景右手の川(?)の色もおかしい。なぜ肌色なのだろう。道かもしれないが、中洲のようなものも見えるから川だろう。しかし、川の色ではない。曇り空の下だから青や水色や緑色ではなくてもいいが、肌色の川は異常だ。
最後に、全体の色使いである。全体が、くすんだような色だ。近景には青が多く、中景は黄色、後景には褐色が目立つ。空の色は灰色に近い青だ。つまり、生命感のある色がほとんど使われていない。
画面中央に立つ、後ろ手を組んだ若い女性は、顔を見せていない。風景を眺めている女性の後姿、という設定だから顔が見えないのは当然だが、彼女の顔が見えないことも絵を見る者に不安感を与える。
作者は、これらのことを意図的に描いたのなら、達者なものだ、と思うが、自宅には絶対に飾りたくない絵である。
題名も奇妙だ。なぜこの絵の題が「寺」なのか。
「寺」という題名を知ってこの絵を見直すと、最前景の花々が仏花に見えてくる。あるいはこの後姿の女性も死者かもしれない。

(編集画面と掲載画面で、絵のサイズが違うので、掲載画面では絵の右側が見えなくなっているようだ。興味のある方は、元記事の方に行かれたい。)

 画は ARON WIESENFELD アーロン・ウィーセンフェルド

 Aron (born.1972, Washington D.C.) currently lives in San Diego, California.

 人間の暗い側面を表現し続け、U.S.の終末を見据えるアーティスト。

 ☆http://www.aronwiesenfeld.com/              作


  「The Temple 2014」です。

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