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阿呆陀羅経の解釈

まあ、雑談なのだが、「ネットゲリラ」氏が「阿呆陀羅経」について書いていて、私は「日本語ラップ」が登場した時から、「こんなのアホダラ経の現代版じゃねえか。メロディも何もない、賢(かし)こぶった若僧のお説教が流行するわけがあるか」と思っていて、その予測は見事に外れたwww やはり電通式に、「馬鹿(B層)が世の中の8割を占めているのだから馬鹿に合わせて流行を作れ」という商法が正しいようだ。
ただし、下に出ている「阿呆陀羅経」の詩句はなかなかナンセンスで面白い。
私は下らないものや些事の解釈が趣味なので、解釈作業をしてみる。たとえば「お尻けつ」という表記などは当然「お尻(けつ)」とでも表記するべきだろうが、その類はいちいち説明はしない。私の解釈は括弧内に赤字で書いてみる。

 隣のおさんも年頃で、ビンツケ油をコテシコテシとぬりつけて、お尻けつをなでたりお腹なかをなでたり、(主語の「私」の省略で、「私は隣のおさんのお尻を撫でたりお腹を撫でたり」ということだろう。もちろん、「私」ではなく「おさんの隣の家の馬鹿息子」としてもいい。)パカポコ、パカポコ。(確か、「ドグラマグラ」では「チャカポコチャカポコ」だったと思う。
 親からもらった四両二分(この「四両二分」という数字の意味は不明。単に「しりょうにぶ」の音数(5音)のためかもしれない。「もらった」の主語は「私」もしくは「おさんの隣家の馬鹿息子」だろう。)、使い過して借りだらけ、隣のおさんが引受けて(借金した馬鹿男の身を借金もろともおさんが引き受けて、ということだろう。)、とうとう十月で(言うまでもなく、「とうとう」と「十月(とつき)」が頭韻を踏んでいる。)産しました。(ここは「産みました」でないと語呂が悪い。)ああ、パカポコ、パカポコ。
 頭の光ははげ光り、ホタルの光は尻けつ光り、親父の光は七光り、かかの光はくそ にもならぬ。(封建時代は家父長制の時代だから、父権が絶大で、「親の七光り」は「父親の七光り」が普通だったから「母親の光は糞にもならぬ」と母親が軽視されているわけだろう。このあたりの思想がフェミニストの私は大嫌いである。それにくらべて「母親はもったいないが騙しよい」という狂句は、「もったいないが」という一語に母親への敬愛が現れていて好きだ。)パカポコ、パカポコ。
 権兵衛が種子まき、烏がほじくる。かならずこれを見習って、人のカサ(言うまでもなく、梅毒による顔の病変。ここでは、「他人の隠したがる欠点」全体を象徴しているのだろう。)なのほじくるな、それさえなければ国家安泰、家内安全。パカポコ、パカポコ。(「見習って」の一語が分かりにくいが、「権兵衛」や「鴉(烏)」を見習うのではなく、「ほじくる行為の迷惑性を知って」の意味だろう。
 会いたい見たい顔みたい、顔見りゃ一度は話してみたい、話すりゃ一度寝てみたい、寝てみりゃ一度はしてみたい。(「寝る」ことと「する」ことはほとんど同義だろうが、わざわざ言葉を変えて繰り返したのは単に音頭の節の長さの都合だろう。)パカポコ、パカポコ。


(以下引用)

【Thoun music】夜の街で演奏するクメールバンドです。モーラムもそうなんだが、こうした語り芸というのは元は宗教的なところから始まっていて、まぁ、日本で言う阿呆陀羅経みたいなもんです。なに?阿呆陀羅経を知らない?オマエそれでも日本人か!

江戸・東京や上方の都市で、願人坊主が門付して歩いた話芸である。世間一般の話題や時事風刺を交えながら俗謡の節にのせて語る。後にヒラキから寄席芸となり、漫才に取り込まれるなどしながら昭和の時代まで主に見られた。また、ちょぼくれ・ちょんがれときわめて近い存在の芸能である[1]。文久年間(1861〜64)、阿呆陀羅経が江戸市中にあらわれたときには、錫杖を捨て、大きな木魚をたたいていたが、のちにはおもに男女二人が連れ立ち、男は手拭をかぶり、豆木魚二個を一組にしたものをたたき、女は三味線で伴奏し街を流した。明治初年、東京では筋違や両国あたりで人気を博した大道芸かっぽれ一座の人気者初丸が、阿呆陀羅経の巧者でもあった。また同じ大道芸仲間の豊年斎梅坊主(1854年 - 1927年)は当初、飴を売りながら演じていたが、1877年(明治10年)ごろには、寄席へ進出して大評判をとった。後に吹き込んだ阿呆陀羅経のレコードに〈虫尽し〉〈無いもの尽し〉〈反物尽し〉など数種がある。「あほだら経」には「ないない尽くし」「諸物価値上がり」など多様な演目のあることが知られるが、江戸末期の当時、相当に強烈な政治批判が含まれるものもある。下記の「無いもの尽くし」を参照のこと。

阿呆陀羅経 出鱈目 - 豊年斎梅坊主連中 実はおいら、日本文学科の卒論がこうした口承文芸の世界で、なんせ口承文芸、文字にされなかった文学なので、参考文献の引用もなしで卒論80枚書いて、担当教員から「出版したらいいのに」と言われた。阿呆陀羅経は生き残らなかった演芸なので、夢野久作の「ドグラマグラ」くらいでしか知らない人が多いだろう。阿呆陀羅経の一例。

 アホダラキョウで申します。
 隣のおさんも年頃で、ビンツケ油をコテシコテシとぬりつけて、お尻けつをなでたりお腹なかをなでたり、パカポコ、パカポコ。
 親からもらった四両二分、使い過して借りだらけ、隣のおさんが引受けて、とうとう十月で産しました。ああ、パカポコ、パカポコ。
 頭の光ははげ光り、ホタルの光は尻けつ光り、親父の光は七光り、かかの光はくそ にもならぬ。パカポコ、パカポコ。
 権兵衛が種子まき、烏がほじくる。かならずこれを見習って、人のカサなのほじくるな、それさえなければ国家安泰、家内安全。パカポコ、パカポコ。
 会いたい見たい顔みたい、顔見りゃ一度は話してみたい、話すりゃ一度寝てみたい、寝てみりゃ一度はしてみたい。パカポコ、パカポコ。

ちゃんちゃん征伐呆痴陀羅経(国会図書館デジタルコレクション)、阿呆陀羅経は今は既に残っていないが、似たような存在が河内音頭です。浪曲というのも、ちょんがれ節という似たようなところから出発して、今の形になったのは明治、大正時代。

こうした存在は、「文学」と呼ぶべきか、「音楽」と呼ぶべきか。文学だとするなら阿呆陀羅経の願人坊主は吟遊詩人だし、音楽だとすればストリートミュージシャンかラッパーかw このカンボジアの街頭音楽も、そんな系列の存在です。

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酔生夢人
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仙人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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