言うまでもないが、マルキシズムは完全な無神論であって、宗教そのものを否定している。ここでも「共産主義と社会主義はイコールではない」と言えるだろう。
マルキシズムの宣伝文句である「科学的社会主義」という言葉ほど世界を毒した言葉は無い。「絶対性」を自惚れることが害悪をもたらすことは宗教でも科学でも同じことだ。つまり、他者への同情や共感の欠如とそれは近いのである。ある種の宗教や宗派が他の宗教や宗派を悪魔のように憎悪することはよく見られることだ。それを狂信と言う。マルキシズムやその運動者たちにもその狂信性が見られたのは良く知られたところだ。
だが、マルクスの、資本主義がその悪(極端なエゴイズム)のために自壊していくだろう、という予言だけは現実化しつつあるようだ。
(以下引用)
日本大百科全書(ニッポニカ)「キリスト教社会主義」の解説
キリスト教社会主義
きりすときょうしゃかいしゅぎ
Christian Socialism
キリスト教の信仰と思想のなかに社会主義思想をみいだし、それに基づいて資本主義の抱える社会労働問題の解決を図ろうとする思想と運動の総称。ただし資本主義の矛盾を批判し、教会事業の一環として労働組合や協同組合を設立するなどして社会労働問題の独自の解決を志向しているカトリック教会の活動は広義のキリスト教社会主義の一種とみられないことはないが、キリスト教社会主義とはいわない。したがってキリスト教社会主義は新教の国に限られている。その発端は1840年代の終わりごろイギリスで『キリスト教社会主義者』Christian Socialist誌(1849創刊)を中心に、社会主義は本来キリスト教の事業であるとして、労働者の自主的闘争を否定し、労働者の啓蒙(けいもう)活動や協同組合活動を展開したモーリス、キングズリー、ルッドローらの活動である。それはまもなく消滅したが、しかしスイス、オランダ、ドイツにも類似した活動が広がっていった。とりわけドイツでは、社会民主党の躍進に対抗して労働者階級への社会主義の影響を阻止するために、シュテッカーを中心とする保守的・国粋的なキリスト教社会主義や、F・ナウマンを中心とする自由主義的な福音(ふくいん)社会主義が19世紀後半に展開された。そして第一次世界大戦後ワイマール・ドイツでは、キリスト教社会主義の一つの注目すべき流れとして宗教的社会主義Religiöser Sozialismusがパウル・ティリヒを中心に主張された。それは、社会主義の宗教的根源を明らかにし、資本主義的な生産と消費の原子化された過程における人間の非人格化と物化の危険を指摘し、それを克服する神学とその実践的提言を行った。さらにそれは、社会主義を倫理的課題として規定して社会主義運動への意志の倫理的根拠づけを与えたことで、受動主義に陥っていたドイツ社会民主党の活性化に寄与するところがあった。
他方、新大陸のアメリカでも、1860年代から1890年代にかけて、プロテスタントの間でキリスト教社会主義が台頭していたが、1890年代にアメリカの神学校に留学中であった村井知至(ともよし)、安部磯雄(いそお)、片山潜(せん)がこれに影響されて帰国後、社会主義思想の研究と普及に努め、日本の創生期社会主義運動に大きな影響を与えた。しかし社会主義運動の成長とともに、キリスト教社会主義と同時に受容された社会改良主義やマルクス主義が運動の支配的潮流になるにつれて、キリスト教社会主義者は脇役(わきやく)に追いやられるか、脱落していった。その代表的な人は、上記の人々のほかに木下尚江(なおえ)、賀川豊彦(とよひこ)などである。
[安 世舟]
『古屋安雄・栗林輝夫訳『ティリッヒ著作集 第1巻 キリスト教と社会主義』(1978・白水社)』