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恋の風雅

睡眠時間が短いので、深夜に目覚めることが多く、寝床の中で目をつぶって半覚醒状態であれこれ妄想的な思考をするのが常だが、今朝の朦朧思考のひとつが「恋の風雅」というものである。ただし、恋とはまったく関係なく、単に思考のタグ付けとして付けたタイトルだ。
先ほどカレンダーで確認すると、今日は旧暦の9月2日のようだ。つまり、暦の上では晩秋だ。なぜ確認したかというと、朦朧思考の内容が「枯れ枝に烏の止まりけり 秋の暮れ」という芭蕉の俳句に関するものだったからで、「秋の暮れ」は「秋の夕暮れ」とも「晩秋」とも取れる。まあ、晩秋でもあり夕暮れでもあるという情景だろう。
で、私が考えたのは、この俳句の音調の良さであり、それが実は「字余り」であることと、飛び飛びに出て来るK音の作るリズムのためだろう、ということである。
「字余り」は普通は俳句の音調を悪くするが、しかしたとえばこの俳句を「枯れ枝に烏止まるや 秋の暮れ」とか「枯れ枝に烏の止まる 秋の暮れ」としたら、実に愚劣な、平凡な印象になるのではないか。この俳句の非凡な印象は実は「烏の止まりけり」という破調にある、ということだ。
そして、K音の作るリズムとは、全部平仮名書きした次の赤字部分で分かるだろう。

れえだにらすのとまりり あ

K音というのは鋭い音である。それが一定間隔で出てくるので、その度に我々の心が驚くわけだ。
「烏の止まりけり」という破調も、「り」のK音を入れた効果もあるわけである。通常は「けり」は伝聞過去の助動詞とされているが、詠嘆の助動詞でもある。

言うまでもないが、「恋のフーガ」はザ・ピーナッツの歌で、「フーガ」とは「遁走曲」と訳されたりする。つまり、同じメロディーが繰り返されるのが、訳名の理由だろうが、上に書いた俳句はK音の繰り返しという、フーガ的な俳句でもあるから、風雅でもありフーガでもある。
ただし、この考察をしていて考えたのだが、この烏が止まっていたのは本当に枯れ枝だったのだろうか。それもまたK音を出すための工夫だったのではないか。烏がわざわざ枯れ枝を選んで止まったわけではないだろう。もちろん、この「枯れ枝」とは、実際に枯れている枝ではなく、晩秋の、葉が落ち切った枝、ということだろうとは思う。

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酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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