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一神教の人間観と仏教の人間観

東西の宗教は大きく仏教と「ユダヤ・キリスト・イスラム」教、つまり世界の創造者・造物主としての神を信仰する一神教に分かれると思うが、その大きな違いは、実は「祈り」の意義や比重にあるのではないか、と思う。
仏教では本質的には「仏に祈る」のは意味不明な行為だと私は思っている。というのは、仏とは「悟った人」のことであり、私やあなたが悟れば、即座に仏の仲間入りだからだ。とすれば、仏に「祈る」という行為の無意味さも自明だろう。祈る(祈願の)対象が存在しない(常に転変し、どんどん増殖する)のだから、仏教徒はいったい何に向かって祈っているのか分からないわけだ。ひどい場合には新興宗教の教祖が神様扱いである。
逆に言えば、「あなたも私も仏になる可能性を持った存在なのだから、他者をあだやおろそかにはできない」というように、他者尊重の姿勢の根本には、仏教があるとも言える。
西洋の一神教の場合には、「正しい神を信じている自分は人間だが、正しい神を信じていない連中は動物と同じなのだから動物扱いしていい」となるわけで、これが中世以降の西洋の世界侵略と略奪行為の基盤にあったのではないか。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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