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形は、動きを遮られた音である

(引用2)は、「フランス文学と詩の世界」というサイトから転載。
「in deep」の今日の記事の中の、次の一節を見て、ボードレールの「万物照応(コレスポンダンス)」という詩を想起したので、引用するために(私は蔵書というものがほとんど無い。)ネットで調べて、上記サイトを知った。いい訳だと思う。「悪の華」は堀口大学訳が有名だが、その文語的翻訳は、現代人には「文語日本語訳の現代口語訳」が必要になるだろう。
さて、「in deep」の記事中にあるノヴァーリスの

人間だけではなく、宇宙も言葉を話す。すべてのものは言葉を話している。無数の言葉を。


という言葉は、何か深遠な思いに人を誘うのではないか。
そういえば、ランボーも「母音」という詩で母音にさまざまな事象を当てはめていた。たとえば「0」という母音は、「o、オメガ、あの人の目の紫の光芒!」だったか。万物は照応する、というのは、ある種の詩人的感性の持ち主には自然な感覚なのかもしれない。
我々が花や木を見て慰められるのは、それらが実際に言葉を語りかけているからだ、とすれば、「星の王子様」が、高慢だがきれいな薔薇と会話を交わし、薔薇に恋をしたのも頷ける。(「星の王子様」は寓話の形の恋愛小説だから、実は子供が読んでも面白いものではない。)


(以下引用)


たとえば、ドイツの詩人であり哲学者にノヴァーリスという人がいるそうですが、以下のような言葉を残しています。


ノヴァーリスの 1968年の記述より

すべての空間に存在する形は、水晶から人間に至るまで、動きをさえぎられた音として説明できないだろうか? したがって空間的な形は音楽の表象的な表れにすぎないのでは?

これ・・・ノヴァーリスという人が何を言おうとしているのかおわかりになりますでしょうか。

> 空間に存在する形は、水晶から人間に至るまで、動きをさえぎられた音

これは、多分は、

この世にある「形は音そのもの」なのではないか

と言っていると考えてよいのだと思います。

もっといえば、現実の世界の中では「私たちは形があるものを『モノ』として認識する」と思います。もちろん「形 = 存在」ではないのですが、現実的な問題として、

「モノは音そのものだ」

と言っていると考えていいのではないかと思います。

さらに、ノヴァーリスは、『断章1』という著作の中で、


人間だけではなく、宇宙も言葉を話す。すべてのものは言葉を話している。無数の言葉を。

というようなことを記していますが、(以下略)


(引用2)

交感(ボードレール:悪の華)



交感

  自然は荘厳な寺院のようだ
  列柱は厳かな言葉をおりなし
  人は柱の間を静かに歩む 
  象徴の森をゆくが如くに

  遠くから響き来るこだまのように
  暗然として深い調和のなかに
  夜の闇 昼の光のように果てしなく
  五感のすべてが反響する

  嬰児の肉のような鮮烈な匂い
  オーボエのようにやさしく 草原のように青く
  甘酸っぱく 豊かに勝ち誇った匂い

  無限へと広がりゆく力をもって
  こはく 麝香 安息香の匂いが
  知性と感性の共感を奏でる
    
「交感」 Correspondances は、ボードレールの詩の中でも、もっとも議論を呼んだものであって、多くの批評家によって、夥しい言及がなされてきた。それらにほぼ共通するのは、この詩が、ボードレールの象徴主義的考えを、もっとも良く示していると見る点である。

Correspondances (万物照応とも訳される)は、自然と人間との共感であり、視覚や臭覚など人間の感覚器官相互の共感であり、また理性と感性との共感でもある。人はこの何重にもわたってめぐらされた共感の森の中で、自然の一部としての生を生きる。

この詩はボードレールの比較的若い頃に書かれていたとする説もあるが、1855年に「両世界評論」に発表した18篇の中には含まれていない。おそらく、初版の刊行に併せて、新たに書いたものだと思われる。

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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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