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Que sera,sera

今日の「徽宗皇帝のブログ」の前説の最後を「ケ・セラ・セラ」の一節で締めくくったついでに、今では「放棄ブログ」になった「徽宗皇帝の娯楽的語学ブログ」の初期に載せた「ポップス名詞30撰」の「ケ・セラ・セラ」をここに転載しておく。
今見ると下手な訳だな、と思うが、面倒臭いので、少し改変するだけにした。




28 「ケ・セラ・セラ」

Que sera ,sera

When I was just a little girl,
   I asked my mother,“ What will I be?
Will I be pretty? Will I be rich?“
Here‘s what she said to me:
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see.
Que sera,sera,
What will be,will be.“

(まだ幼い少女の頃、私、母に聞いてみた。
「私、可愛くなれるかしら、私、お金持ちになれるかしら?」
これが彼女の答えでした。
「ケ・セラ・セラ、起こることはすべて起こるのよ。
未来は私たちには見られない。
ケ・セラ・セラ、起こることは起こるのよ」)

When I was just a child in school,
 I asked my teacher,“What will I try?
Should I paint pictures? 
Should I sing a song?“
This is her wise reply;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see.
Que sera,sera,
What will be will be.“

(学校に通った子供の頃、私は先生に聞きました。
「私、何をしようかしら。
絵を描こうかしら、歌を歌おうかしら」
これが彼女の賢い答えでした。
「ケ・セラ・セラ、成るように成るでしょう。
未来は私たちにはわからない。
ケ・セラ・セラ、成るように成るのです」)

When I grew up and fall in love,
 I asked my sweetheart,“What lies ahead?
Will we have rainbows 
Day after day?“
Here‘s my sweetheart said;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see,
Que sera,sera,
What will be,will be.“

(大人になり、恋に落ちた時、私は恋人に聞きました、
「私たちの前には何があるかしら。
毎日毎日、虹がつかめるかしら」
これが恋人の言ったこと。
「ケ・セラ・セラ、成るようになるさ。
先のことなどわからない。」)

Now I have children of my own,
 They ask their mother,“what will I be?
Will I be handsome?
Will I be rich?“
I tell them tenderly;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see,
Que sera,sera,
What will be,will be.
Que sera,sera.“

(今、私にも自分の子供がいて、彼らは聞いてきます。
「僕、ハンサムになるかなあ、
私、お金持ちになるかしら」
私は優しく答えます。
「ケ・セラ・セラ、なるようになりますよ。
未来のことはわからないけど、
大丈夫、なるようになるのよ。
ケ・セラ・セラ」)


ヒッチコックの映画「知りすぎた男」のためにジェイ・リビングストンとレイ・エバンスが書いた歌である。歌はドリス・デイで、映画の中でも彼女が歌った。その歌の使い方が、実にしゃれているので、映画も御覧になるといい。
「ケ・セラ・セラ」という言葉はこの映画以降、非常に有名になり、言葉だけが一人歩きをしている気味もある。なにしろ、インターネットでサーチすると、この歌よりもホームページのタイトルがずらっと出てくる始末である。
歌の内容も実にしゃれているのだが、リフレーン部分を同じ訳で繰り返すのも辛いので、少しずつ変化させてみたが、そんな小細工はいらん!と怒る人が絶対に出てくるはずである。世の中、そんなもんだが、まあ、ケ・セラ・セラである。
ついでながら、こんな一見他愛ないポップスにも、欧米の宗教的エートス(気風)は背後にあり、これは聖書の「汝明日のことをのみ思いわずらうなかれ」という一節に通じている歌詞である。「未来は我々に属するものではない」というのも、やはりある種の宗教的な姿勢だろう。
最後のリフレーン部分に「なるようになるから大丈夫」と、原詩には無い言葉を入れたのは、こうした神への信頼が詩の背後にあると考えたからである。
余計な話だが、最後のフレーズで、「I tell them tenderly」とある、この「テンダーリー」が実に素晴らしいと思う。かつて子供だった自分と同じ疑問を自分の子供が持ち、それを母である自分に聞いてくる。その時の母親の微笑が自然に想像できる一節だ。私は、この「テンダーリー」を訳しながら、思わず感動して涙が出たくらいである。





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