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豚が肉屋を支持する理由

「混沌堂主人雑記」から、記事の一部を転載。
あるお坊さんのブログ記事だと思うが、非常に面白い内容である。一般大衆は伝統的宗教やカルト的新興宗教への嫌悪感を持ちながら、しかし宗教的叡智への関心は非常に高くなっている。そういう傾向からそのお坊さんは「post-religion」という概念を考え、これからの世界はその方向に進むのではないか、と見ているようだ。ただし、既成宗教が終わるのではなく、既成宗教に依存しないが宗教的精神を自ら考察し体現化していく人々と、既成宗教が並立していく、という形のようだ。
この考察に私も同感だ。と言うより、私がこのブログでよく書いているのはその種の考察である。ただし、考察するだけで体現はしない。人間の自己愛の強さは度し難いもので、宗教的行為は自己愛の対極にあると私は思うからだ。私にはそんな立派なことはできない。
まあ、宗教とか何とか言うよりも、その人が存在することでこの世界がほんの少しでも良くなったと評価できるなら、その人はこの世に生まれた価値がある。その逆ももちろん膨大に存在する。安部とか麻生とか小泉とか竹中とか橋下とかetc,etc
さて、下の記事の中で、私が赤字にした部分は、私が以前から書いている「組織悪」であり、実は組織悪とは自己愛の拡大化なのである。そういう観点からも下の記事は面白い。また、青字にした部分は精神分析学的に面白い。下級国民の安部自民党支持者を精神分析したらこんなものだろう。


(以下引用)色字部分は夢人による強調。


しかし、その叡智がどんなに素晴らしいものであったとしても、人間の営みである以上、求める人の行列ができれば、それを我が物にしようとする人、そこで商売を始めようとする人が出てきます。そこに、神や仏の威を借るキツネによる権威生成のための抑圧装置としての宗教組織が生まれます。聖性や霊性に対する人々の素朴な祈りが組織化され、少数の権威者のエゴを満たすため、商業利用や政治利用されていきます。信者を組織につなぎとめ拡大する常套手段は、罪悪感や不安や恐怖を植え付けた上で、その解放の唯一の方法として信仰を示すことです。抑圧構造の中で無力感を育てられた被抑圧者は、抑圧を自分自身が望んだものとして肯定することで自意識を保とうとするため、自ら抜け出すことはできず、依存関係が完成します。
そのような抑圧は、多かれ少なかれあらゆる宗教組織に見られます。宗教組織に限らず、人間である限り避けることのできないカルマといっても良いかもしれません。あえて言えば、この抑圧がマイルドなのが伝統宗教で、極端に出たのがカルト宗教です。マイルドなキツネを選ぶか、カルトなキツネを選ぶか? もちろん、どちらも選ばないで済むなら、それに越したことはないでしょう。だからといって、「無宗教」を選択することもノーリスクではありません。なぜならば、抑圧は人間社会の隅々まで浸透していて、ほとんどの人がそれを自分の中にも無意識に内面化しているからです。
無宗教によって、自分のエゴというキツネによる抑圧で自縄自縛に陥っている人も大勢います。「俺には宗教なんて必要ない。そんなものは弱い奴が信じるものだ」という人ほど、自分自身がすごく縛られています。宗教ではなくても、たとえば科学教だったり、お金教だったり、多くの人が無意識の中で何かに縛られて、自分で自分の枠を作り、自家中毒的に生きている。なりたい自分になりたいけれど、なれない。常に欠乏感に襲われ、自分で自分を無意識に縛りつけている。そのことに無自覚な人ほど案外コロッと、何かのきっかけでカルトにはまってしまったりするものです。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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