アリから学ぶ
Learning from Ants
Jeff Thomas
たとえば、100匹の赤いヒアリと100匹の大きな黒いアリを捕まえて瓶に入れたとしても、最初は何も起こらない。しかし、瓶を激しく振って地面に投げ返すと、アリたちは最終的に殺し合うまで戦う。
問題は、赤いアリは黒いアリを敵だと思っているし、黒いアリもまた赤いアリを敵だと思っている。しかし、実際には本当の敵は「瓶を振った人物」だ。
これがまさに今日の社会で起こっていることだ。リベラル対保守。黒人対白人。マスク賛成派対反マスク派。ワクチン対反ワクチン派。金持ち対貧乏人。男性対女性。警官対市民。など。
私たちが自分自身に問うべき本当の質問は、誰が瓶を振っているのか…そしてなぜなのかということだ。
このシェラ・スター氏による観察は改善の余地がない。
しかし、この質問に対する答えは非常に単純だが、まずはこの異常性について考えてみよう。ある特定の個体を他の個体よりも強く認識するのは自然なことだ。この傾向はホモ・サピエンスが誕生する前から存在していた。さらに、動物が家族や群れに集まる傾向も人間より前から存在していた。
私たちは、自分と同じように行動し、自分と同じ認識を持つ人々の周りにいたいと思う傾向がある。それは当然のことだろう。私たちは、自分たちが選択しないような行動をすることで私たちを驚かせたり、場合によっては自分を危険にさらしたりする可能性の低い人々に囲まれたいと願う。
これは信頼の基盤であり、グループや群れの精神に不可欠なものだ。そして、グループや群れの一員になることで、私たちはより安全になる。
それでは、私たちのグループや群れの中にいない人たちについてはどうだろうか? 私たちは彼らとどのように関わっていくのだろうか。
(中略)以下は岡氏の発言。
ちなみに、私は本来的には人間には(あるいは一部の民族には)「対立や敵対といった概念はなかった」と考えています。
先ほどの文章でのサバンナの動物たちの様子の一部にあらわれているように、想像でしかない部分はありますが、縄文時代の縄文人とか、アメリカの先住民たちの集団には、基本的には対立や敵対といった概念はなかったと考えます。
たとえば、コロンブスがアメリカ大陸を発見し上陸してからコロンブスが書いていた日誌には以下のようにあります。
コロンブスの日誌より
彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。
彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。
彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。
…原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを「欲しい」といえば彼らは決して「いいえ」と言わない。逆に彼らは「これはみんなのものだ」と申し出るのだ。
このあたりは、コロンブス - Wikipedia に書かれて……いないぞ!
このことは、10年ほど前の以下の記事に抜粋していますが、この時に Wikipedia から引用した際には、上の文章もありましたし、コロンブスたちのもっとひどい行いを、同行した宣教師が書いた文章も掲載されていましたが、今はそれもないですね。
・虐殺の祝日コロンブス・デー:彼らは「理想的な人類像」を破壊し、そしてそれは「4回続く皆既月食」の渦中で起きた
In Deep 2014年10月14日
英語版の Wikipedia のほうには、ほんの少しふれられていました。日本語版のほうは、この 10年間でいろいろと書き換えられたようです。
それはともかく、
・武器を知らない
・個人所有という概念がない
のがアメリカ先住民だったようで、おそらく古代の民族には同様の民族が数多くいたと思われます。
世界中がこういう、かつてのアメリカ先住民のような人ばかりなら、
「対立も戦争もイデオロギー闘争も宗教紛争も領土紛争も起こらない」
はずです。
それでは困る人々がいる。
なので、「誰かが瓶を振らなければならない」。
長い歴史の中で、世界中でさまざまな瓶が振られることで、本来は争うことも対立することもなかったような人々のあいだに争いや対立が生じるようになり、「そのまま現在にいたる」というのが、この数千年か数百年かわからないですが、人類の歴史だと思われます。
そして、現在は「人々の対立の頂点の時代」となり始めていますが、ジェフ・トーマスさんが述べていましたように、
> 今後数年間、この傾向は現在よりもはるかに悪化することが予想される。
ということについては、私もそう思います。