「マドモワゼル愛」さんのブログの今日の日記に素晴らしいことが書かれているので、転載する。
私は(愛さんには申し訳ないが)星占いなどはまったく信じていないが、占いというもの自体は有益だと思っている。それは、人が迷う時、あるいは自分自身の思考の枠の中に閉じ込められて打開の道を見つけられない時に、占いの言葉で新しい思案や発想が生まれたり、あるいは新しい道に踏み出す勇気やきっかけを与えられることがあるからだ。
要するに、「思考のガイド」の一つ、発想法のアイテムとして占いを使えばいいのである。通常の「マインドマップ」などの方法だと、思考素材が自分自身の通常の思考の内部に限定されているので、飛躍的発想は生みにくい。そこに「異物」を投入すると思考に飛躍性が生まれるわけだ。占いもその一つと考えればいい。ただし、占いを絶対視する人間には、こうした占いの使用法は不可能だ。
さて、マドモワゼル愛さんは、占い師としてというより、優れた見識を持った人間として私は高く評価している。世界政治や経済の見方が、優れているのだ。
そして、ここでは人生の生き方についても素晴らしい言葉を書いている。
ほとんどの人間の人生は、実はそのほとんどの時間を他人のために生きている。特に仕事はそうだ。労働というものは基本的に自分の時間を金のために切り売りすることであり、社会の中で生きるためには、それは仕方がないのだが、それが人の心をどんどんすさませる。ひどい場合には仕事のストレスから自殺したりする。
しかし、労働と遊びは実は行為自体は同じものである。プロ野球選手はシーズンオフにはゴルフをするが、そのゴルフは彼らには遊びだ。しかし、プロゴルファーにとってゴルフは仕事である。同じ行為が一方では遊びになり、一方では仕事になる。
はたして仕事とは何なのか。
会社経営者は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。だが、私などから見れば、これほど楽しい遊びはないだろうな、と思う。モノポリーをして遊ぶより、大会社を経営する方が楽しいに決まっている。
各都市の市長は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。それがつらいなら、やめればいいではないか。その後を継ぎたい人は無数にいる。
本当に仕事と言えるのは、苦痛に耐えることが絶対的に付随している活動だ。つまり、世間一般の社会の中下位の人々がやっている仕事こそが仕事なのだ。
もちろん、社会のお偉方にも「責任逃れ」とか「恫喝」とか「演技」とか、いろいろ仕事はあるだろうが、それで何億円もの報酬が貰えるのだからいいではないか。その辺のホームレスを東電や関電の社長や会長にしたほうが、よほど誠実な会社経営をするのではないか。
いや、話が脱線した。
本題に戻ろう。「仕事」とは苦痛を伴うのがお約束なのだが、生きるためには仕事をするしかない。それならば、せめて自分のやりたい事をやる、というのが賢い生き方というものである。しかし、たいていの人間は賢くないから、「他人のために生きる」ような仕事を選んでしまう。
もちろん、仕事とは世間の需要に応えるためのものだから、すべて「他人のため」という面はある。問題は、自分のやっていることにまったく充実感が得られないような仕事を、それ以外の仕事を選べるにも関わらず選んでしまう、という場合だ。
そこで、これから人生に本格的にスタートする若者は、いや、人生に悩んでいる人なら誰でも下のマドモワゼル愛さんの文章を熟読するとよい。自分の今後の生き方について、大きな手がかりと勇気を与えられるだろう。
(以下引用)
小学生の低学年の頃、「路傍の石」という小説が映画化されて学校で見に行きましたが、丁稚奉公の主人公がひどくいじめられるのが、我慢できず、私は映画館からの帰り道に「あんなところ出て行けばいいんだ。死んだっていいじゃないか」と、ぶつぶつ言っていたことをよく覚えている。友人たちは、「かわいそう、、、かわいそう」と言っているので、さらに腹が立って「死んだって、出て行った方がいいんだよ」と。
私自身、何の実力も実績もないのに、強い独立心と希望があるだけだったが、それでも何とかやってこれて、思ったことがある。
人は独自性で生きて行った方が、本当は苦労もなく、うまく行く、、、ということである。
普通は逆に思う人が多い。何かやりたいけど、安定しないし、自信がないと。しかしそれは嘘である。一般の道にこそ危険があり、罠があり、罠にはめられたことさえ気づけなくされている。
人はなぜ違った顔、形で生れてくるのだろう。それはその人の独自性を天や地が求めているからだ。
なので、独自性を生かして生きて行こうとすると、必ず、その人のための人生が切り開かれていく。そこには、安全も、報酬も、未来もすべてがセットされて用意されている。
こんな簡単な開運法はない。
勝手にやりなさい。本当はそれでいいのだと思う。どうせ、人のため、、とか、家族のため、、、とか言い出すと、結局は何ひとつ責任のとれない人生に逆になる。
いやいやながら安定を求めたところで、安定が得られる道理もないのだし。
勝手にやれば、エネルギーがわいてくる。やることがすべて楽しくなる。自分がやったことだから、潔く責任も取れる。楽しくやるからなぜか伸びる。
もちろん、勝手にやってうまく行かない場合も多いが、その際にはそれは勉強になる。次のステップに生きてくる。
要するにいいことづくめ。
みなが楽しく勝手にやっていけば、自然な秩序が生まれて行く。みんなが勝ってにやったらバラバラになってしまうというのは嘘。それは、人を強制して使うことで良い思いをしているサイドからの価値観でしかない。
強制された秩序は収容所的な秩序で、そんなものは、社会にとっての害悪ですらある。
とにかく時代の変化には勢いがついています。その際に、重要なポイントは、独自性にあります。あなたが自分の独自性で行動していく、と決意したときから、あなたの本当の運命の星が働くようになっていく。
独自性がホロスコープであり、独自性を拒否した者には、星は何も語りかけてはくれない。運命学のこうした基本を、これまで語って来なかった責任は私たち運命学者にもある。
あなたはあなたひとりだけの表現、独自性の表現のために生れてきた。その表現の中に多くのギフトもぎっしりと詰まっているのです。それを見ないで年老い、死んでしまうのではあまりにもったいない。
星はあなたのために配置され、あなたのために働こうといつでも用意して待っているのです。
(付録)
今、小田嶋隆のツィッターを見ていたら、先ほど私が書いた記事に縁のある部分があったので、コピーしておく。
そうですか、「日曜大工が趣味の大工さん」もいますか……。
(以下引用2)
小田嶋 隆@tako_ashi
大工の趣味が日曜大工だというのは実はよくある話だと思うが。
18時間 小田嶋 隆@tako_ashi
不可思議なのは、ギャラの出る原稿の仕事から逃避するためにやっていることが、ギャラの出ないテキストを書くことだったりすることです。じゃあカネが嫌いなのかというと、カネは欲しい。要するに私は義務ということが嫌いなのかもしれない。
私は(愛さんには申し訳ないが)星占いなどはまったく信じていないが、占いというもの自体は有益だと思っている。それは、人が迷う時、あるいは自分自身の思考の枠の中に閉じ込められて打開の道を見つけられない時に、占いの言葉で新しい思案や発想が生まれたり、あるいは新しい道に踏み出す勇気やきっかけを与えられることがあるからだ。
要するに、「思考のガイド」の一つ、発想法のアイテムとして占いを使えばいいのである。通常の「マインドマップ」などの方法だと、思考素材が自分自身の通常の思考の内部に限定されているので、飛躍的発想は生みにくい。そこに「異物」を投入すると思考に飛躍性が生まれるわけだ。占いもその一つと考えればいい。ただし、占いを絶対視する人間には、こうした占いの使用法は不可能だ。
さて、マドモワゼル愛さんは、占い師としてというより、優れた見識を持った人間として私は高く評価している。世界政治や経済の見方が、優れているのだ。
そして、ここでは人生の生き方についても素晴らしい言葉を書いている。
ほとんどの人間の人生は、実はそのほとんどの時間を他人のために生きている。特に仕事はそうだ。労働というものは基本的に自分の時間を金のために切り売りすることであり、社会の中で生きるためには、それは仕方がないのだが、それが人の心をどんどんすさませる。ひどい場合には仕事のストレスから自殺したりする。
しかし、労働と遊びは実は行為自体は同じものである。プロ野球選手はシーズンオフにはゴルフをするが、そのゴルフは彼らには遊びだ。しかし、プロゴルファーにとってゴルフは仕事である。同じ行為が一方では遊びになり、一方では仕事になる。
はたして仕事とは何なのか。
会社経営者は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。だが、私などから見れば、これほど楽しい遊びはないだろうな、と思う。モノポリーをして遊ぶより、大会社を経営する方が楽しいに決まっている。
各都市の市長は自分のやっていることを仕事だと言うだろう。それがつらいなら、やめればいいではないか。その後を継ぎたい人は無数にいる。
本当に仕事と言えるのは、苦痛に耐えることが絶対的に付随している活動だ。つまり、世間一般の社会の中下位の人々がやっている仕事こそが仕事なのだ。
もちろん、社会のお偉方にも「責任逃れ」とか「恫喝」とか「演技」とか、いろいろ仕事はあるだろうが、それで何億円もの報酬が貰えるのだからいいではないか。その辺のホームレスを東電や関電の社長や会長にしたほうが、よほど誠実な会社経営をするのではないか。
いや、話が脱線した。
本題に戻ろう。「仕事」とは苦痛を伴うのがお約束なのだが、生きるためには仕事をするしかない。それならば、せめて自分のやりたい事をやる、というのが賢い生き方というものである。しかし、たいていの人間は賢くないから、「他人のために生きる」ような仕事を選んでしまう。
もちろん、仕事とは世間の需要に応えるためのものだから、すべて「他人のため」という面はある。問題は、自分のやっていることにまったく充実感が得られないような仕事を、それ以外の仕事を選べるにも関わらず選んでしまう、という場合だ。
そこで、これから人生に本格的にスタートする若者は、いや、人生に悩んでいる人なら誰でも下のマドモワゼル愛さんの文章を熟読するとよい。自分の今後の生き方について、大きな手がかりと勇気を与えられるだろう。
(以下引用)
小学生の低学年の頃、「路傍の石」という小説が映画化されて学校で見に行きましたが、丁稚奉公の主人公がひどくいじめられるのが、我慢できず、私は映画館からの帰り道に「あんなところ出て行けばいいんだ。死んだっていいじゃないか」と、ぶつぶつ言っていたことをよく覚えている。友人たちは、「かわいそう、、、かわいそう」と言っているので、さらに腹が立って「死んだって、出て行った方がいいんだよ」と。
私自身、何の実力も実績もないのに、強い独立心と希望があるだけだったが、それでも何とかやってこれて、思ったことがある。
人は独自性で生きて行った方が、本当は苦労もなく、うまく行く、、、ということである。
普通は逆に思う人が多い。何かやりたいけど、安定しないし、自信がないと。しかしそれは嘘である。一般の道にこそ危険があり、罠があり、罠にはめられたことさえ気づけなくされている。
人はなぜ違った顔、形で生れてくるのだろう。それはその人の独自性を天や地が求めているからだ。
なので、独自性を生かして生きて行こうとすると、必ず、その人のための人生が切り開かれていく。そこには、安全も、報酬も、未来もすべてがセットされて用意されている。
こんな簡単な開運法はない。
勝手にやりなさい。本当はそれでいいのだと思う。どうせ、人のため、、とか、家族のため、、、とか言い出すと、結局は何ひとつ責任のとれない人生に逆になる。
いやいやながら安定を求めたところで、安定が得られる道理もないのだし。
勝手にやれば、エネルギーがわいてくる。やることがすべて楽しくなる。自分がやったことだから、潔く責任も取れる。楽しくやるからなぜか伸びる。
もちろん、勝手にやってうまく行かない場合も多いが、その際にはそれは勉強になる。次のステップに生きてくる。
要するにいいことづくめ。
みなが楽しく勝手にやっていけば、自然な秩序が生まれて行く。みんなが勝ってにやったらバラバラになってしまうというのは嘘。それは、人を強制して使うことで良い思いをしているサイドからの価値観でしかない。
強制された秩序は収容所的な秩序で、そんなものは、社会にとっての害悪ですらある。
とにかく時代の変化には勢いがついています。その際に、重要なポイントは、独自性にあります。あなたが自分の独自性で行動していく、と決意したときから、あなたの本当の運命の星が働くようになっていく。
独自性がホロスコープであり、独自性を拒否した者には、星は何も語りかけてはくれない。運命学のこうした基本を、これまで語って来なかった責任は私たち運命学者にもある。
あなたはあなたひとりだけの表現、独自性の表現のために生れてきた。その表現の中に多くのギフトもぎっしりと詰まっているのです。それを見ないで年老い、死んでしまうのではあまりにもったいない。
星はあなたのために配置され、あなたのために働こうといつでも用意して待っているのです。
(付録)
今、小田嶋隆のツィッターを見ていたら、先ほど私が書いた記事に縁のある部分があったので、コピーしておく。
そうですか、「日曜大工が趣味の大工さん」もいますか……。
(以下引用2)
小田嶋 隆@tako_ashi
大工の趣味が日曜大工だというのは実はよくある話だと思うが。
18時間 小田嶋 隆@tako_ashi
不可思議なのは、ギャラの出る原稿の仕事から逃避するためにやっていることが、ギャラの出ないテキストを書くことだったりすることです。じゃあカネが嫌いなのかというと、カネは欲しい。要するに私は義務ということが嫌いなのかもしれない。
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