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狂言 「安倍国葬」

菅の弔辞の中で引用された山県有朋の歌について、「世に倦む日々」氏が異論を述べているので、どういう歌かと探してみた。先にその歌に関係する文章を引用し、その後で「世に倦む」氏の説を載せ、考察してみる。

(引用1)
弔辞の最後で、菅氏は安倍氏が読みかけのままだった本にあった、山県有朋の盟友・伊藤博文を偲ぶ歌を「私自身の思いをよく詠んだ一首」として紹介した。
 <かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ>
 山県は、同じ長州出身の伊藤より3歳年上で、伊藤の2代後の首相を務めた。菅氏は、衆院議員になったのは安倍氏より1期遅かったが年は6歳上で、安倍氏の後に首相を務めた。 自分よりも若い友に先立たれた悲しみが、菅氏の弔辞にあふれていた。

<かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ>現代語訳は?
⇒語り合い、国のために尽くしてきた友は先だってしまった。これからの日本を一体どうしたらよいのだろう。

(引用2)

藤川みな代の話は違うな。解釈をスリ替えている。「今より後の世をいかにせむ」の意味は、喪失感とか空白感なんかじゃない。後はオレが存分に仕切ってやるという意思と自信だ。野心だ。実際、山形有朋はそうだった。自民党内部と右翼に対して菅義偉が意思を発信している。これからはオレが回すからと。


(夢人考察)

山形有朋の歌自体が拙劣だが、「世に倦む日々」氏の解釈も、有朋の歌の解釈としてはおかしい。つまり、有朋自身がそういう意味をこの歌に籠めたというのは過剰解釈だろう。ただし、菅がそういう底意を持ち、そういう意味でこの歌を引用した、という説は大いに妥当性はあるだろう。
有朋の歌は「尽くしし」の目的語が不明で、引用1では「国に尽くした」となっているが、「語りあひて尽くしし」だと、単に「語り尽くした」の意味としか取れない。伊藤博文と山県有朋が「語り尽くす」ほど親密な仲だったかどうかは知らないが、同じ長州閥(田布施グループ)だったわけだから、強固な結びつきではあっただろう。
で、問題は、この歌は安倍元総理が読みかけの本の中でラインマーカーが引かれていたとされていることだが、それは捏造だと思う。引かれていたとしても、菅の弔辞のために誰かが引いておき、菅の弔辞の中に利用したものだろう。そもそも、菅が安倍の読みかけの本の中身を見るということが想像できない。歌が、安倍の死にふさわしいように見えるのも錯覚である。この歌は、暗殺された伊藤博文を思って山県有朋が詠んだ歌だとされている。暗殺された当人である安倍が、死ぬ直前にこの歌にラインマーカーを引いたなら、予知能力でもあったのかwww それとも、「俺は暗殺されるから、弔辞でこの歌を利用しろよ」と準備してから暗殺されたのかwww

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