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東方穢土?

先ほど読んだ「ネットゲリラ」常連コメント欄のメビウス氏の投稿が、なかなか裏日本史の教養に溢れていて興味深いので転載する。ただ、仏教の「西方浄土」は分かるが「東方穢土」は初耳である。私が前に書いた「厭離穢土」は一向一揆の「厭離穢土 欣求浄土」というスローガンから採ったものだ。仮に仏教に「東方穢土」という言葉があったとしても、それは西方の仏教の聖地(釈迦の生誕地)であるインド(天竺)に対する東方、つまり日本全体、さらには現世を指しているのではないかと愚考する。ただし、その「東方穢土」という思想が、西から侵略してきた大陸系住民によって日本の東方地域への差別に使われた、ということはありそうだ。


(以下引用)


ハメを外すつもりがハメちゃった、ということでしょうか…


もっとも青森のお姉ちゃんがお相手だったら、
大間のマグロ状態だったかも知れませんからね。


ということで、


東京の前身である「江戸」(えど・ゑど)というのは、同じ読みの「穢土(穢戸)」(ゑど)という読みから由来するという説があります。


仏教に「西方浄土、東方穢土」という思想があるように、基本的に関東地方(江戸)から東は、すべて反仏系の原住日本人の地域であるため、いわゆる「童話」の問題は関東以東のエリアには、本来は存在しないとされています。


つまり、仏系(半島・大陸)の西方民を「良」とすると、東方の原住系の日本人は「賤」ということになり、すべてのネイティブ住人が「賤」となると東日本には、そもそも差別問題自体が発生しえないという論です。


巷間いわれる日本における差別・被差別の階級構造は、大陸半島由来の渡来民である「選良民」が、被支配「賤民」である原住日本人たちを分断対立させ、相互監視するために作り上げた被支配民の管理システムという見方もあります。


「士農工商」というのも、もともとが単なる職業・職能による区分けであり、
本来は「源、平、籐、橘」、つまり「源=元(モンゴル)、平=ペルシャ、藤=唐(中国)、橘=契丹(旧満州あたり)」ということになり、民族区別の差異がそのまま支配階級差のベースになっているということです。


そして、この「源、平、籐、橘」といった外来支配層の下に組み込まれたのが原住系の日本人=一般の庶民で、大多数の日本人庶民をごく少数の在日系が支配するという構図は、安倍征倭会に象徴されるように、現在もそのままの形で引き継がれています。


戦国時代の武士階級そのものが、そうした外来在日者の支配層(藤原、足利、源氏、平家)からの解放(下克上)から生まれたもので、徳川家康にしても、三河出身というよりも、北関東の上州(群馬県)由来の原住系出自である新田二郎三郎が本来の姿だともいわれています。


徳川家康が江戸幕府を拓いて関東地方に固執したのも、そうした出生の由縁があったからというお話です。


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